「学生参加」こそ、大学改革の中心に

豊島 耕一 (佐賀大学理工学部教授)

 「アカウンタビリティー」という言葉が間違って使われていないだろうか。日本は民主主義国だから国民の意思は政府が代表しており、国費を使うのなら政府の命令を受けるのは当然というように。もっともらしい理屈に見えるが、しかしどこまで命令できて、どのような問題には口出ししてはいけないかというけじめをはっきりさせないと旧ソ連型の「社会主義」を博物館から甦らせることになる。

 ところが国立大学を「独立」行政法人化するというのはまさにこの類のことなのである(現行との比較)。いつから日本は旧ソ連のまねをすることに決めたのだろうか。文科相がすべての国立大学に目標を指示し、実行結果を政府が評価するなどという異常な制度をとっている国が欧米に存在しないことは文科省系の研究機関が出した報告書も認めている。教育基本法10条が示すような、官僚支配を避けて「国民に直接責任を負う」ようなやり方を見つける努力こそ必要なのだ。

 このための指針は、教育界のグローバルスタンダードとも言うべき98年の「ユネスコ高等教育世界宣言」に求められる。そこには「大学運営への学生の関与」が述べられている。辞書に「権利」という言葉も持たない (例1,例2) ような文部科学省の大学審議会や「調査検討会議」を過大評価すると未来を誤る。