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大学問題の所在と改善策

文通団「大学改革情報」への投稿,[reform:604]+[reform:605]
1997年5月26日
 ver. 0.9

 これまで,政策提案をしてもせいぜい一つの大学内だけでしか読者がいないような状況のため,提案の意味自体もあまりなかったが,このような新しいメディアができたことでこの状況は変わったようだ.「対案」がないのではなく,これまで議論の場がなかったにすぎない.
 これまでの文章でもいくつか政策提案をしてきたが,ここで少しまとめて論じてみたい.以下は,自分の大学での経験をもとにした一つのラフなスケッチであって,ほかの大学にどの程度当てはまるかはわからないし,基本的な問題と細部のこと,それに時事的なことがらが多分ランダムに入り交じっている.
 私の考える優先順位とは異なるが,「流動性」を中心に教員人事のあり方がここ数カ月の流行なので,まずこの問題から述べよう.まえの文(注1)で「解決策を逆提案する」ことが「任期制導入阻止の最も強力な戦略」だと述べたいきがかりもある.そのあと本来は冒頭に置くべき「基本的姿勢」と続く.

1.人事政策

イ)公募による採用を拡大すること,名目だけの公募はしないこと.
ロ)妥当な理由のない年齢制限を撤廃すること.これは研究室における年功序列制に寄与しているだけでなく,多くのODから研究職への再挑戦の機会を奪っている.
ハ)同じ職場での昇進については,自主的になんらかの量的制限のルール,たとえば最低何十パーセントは外部からというようなルールを設けること.同僚をさしおいて外部からその上役を持ってくる人事がやれるような人はまれだろう.このルールの存在によって心理的な葛藤から相対的に自由に年功序列的でない人事政策が実行できる.(この提案は,私もそうだが,多くの同一職場での昇進を経験した人にとっては,気楽に言えるという反面,自分を棚に上げて「後輩」にだけきびしい条件を課してしまうことになるので,心理的には大いに抵抗があるのは事実だ.また,大学ごとに組織されている組合の立場からはとうぜん問題で,もし私が組合の役員をしていれば反対することになるかもしれない.)
ニ)すべての人事について,プライバシーに関わる部分を除いてできるだけその審査内容を公開すべきである.
ホ)文部省による国立大学間の先天的な格差付けを全ての面で廃止することで,移動しやすい環境を作ること.
ヘ)移動が可能になるような財政的,制度的措置を充実すること.
ト)サバティカルリーブや客員教員などのビジター制度の拡充,若手研究員(PDF)の増員.

2.基本的姿勢:「欲しがりません変わるまでは」
 「教育基本法原理主義者」の立場からは次のようになる.
 大学関係者の役所に対する卑屈な姿勢と,文部省の権限濫用とによって,大学のありかたは教育基本法が規定するようなものから大きくはずれてしまった.これを修正しなければならない.国民→国会→内閣→文部省→大学というルートで民主主義は成り立っているなどという考えは幼稚すぎる形式論であって,この連鎖の最後の段階に教育基本法が言うところの「不当な支配」の最大のリスクがあるということは教育行政論のイロハであったはずだ.この段階,つまり行政からのコントロールとチェックを必要最小限のものに止めると同時に,「国民に対し直接に責任を負って行われる」(教育基本法10条)ための保障,すなわち国民の意見を大学運営に反映させるための,上の連鎖とは異なる一種のバイパスが必要となる.
 このようなシステムの改変のための努力を並行して続けるとしても,現在のままでも法律どうりに物事を進めれば「官主主義」からの離脱は相当な程度可能なのである.そのために必要なことは何よりも教授会じしんの頭の切り換えである.すなわち,予算獲得第一主義から,ソフト第一主義への転換を図ることである.このためのスローガンは,「NOと言える大学」,あるいは「欲しがりません変わるまでは」であろう.今日,個別の大学の何かの計画が政府から認められ実行されても,それにともなう人員もなく予算もはるかに足りないというのが実態であって,しばしばそのための埋め合わせを研究費で行ったり,教員は忙しい中に新たな管理運営の仕事を抱え込んだりする.このように大学は見かけの膨張とともにますます貧しくなっている.かりに文部省から「干され」たとしても,ダイエット効果によってその大学はより健康になれるはずだ.

3.教育
 一般論をここで論ずるにはあまりにも大きなテーマである.いくつか気になる点だけを述べる.
 専門教育では,効果的に学生に身に付くようにカリキュラムや授業内容をきちんと体系化する必要がある.少なくともコア,つまり必修科目の部分では,教授団として教育の自由があるのであって個々の授業は統一的な仕様にもとずかなければならないだろう.教育界での悪の権化とされる「偏差値」だが,もしこれを認めるとすれば大学入学時ではなく卒業時の方が多分害毒は少ないと思われる.
 一般教育では,授業内容については教員個人の完全な自由が伝統となっているが,これを変更する必要はない.しかし学生がいろいろな分野の学問を幅広く履修できるように(単に名目的でなく実際に)カリキュラムを構造化することは重要である.教養部解体によって今日これが大きく混乱しているようだ.
 一般教育の内容も検討が必要だ.東大卒の高級官僚の一部にみられる一般教養のなさ,幅広い教養を身につけたはずの卒業生が企業の中で簡単にエコノホリック(注2)に染まってしまうこと,教員になった卒業生が体罰や人権無視の「管理教育」に加担してしまうことが希ではないこと,これらの事実を計算に入れて一般教育や専門教育のあり方の修正をしなければならない.また,今日はメディアの恣意的な利用によって政治が操作される時代である.このようなメディアの強い影響力のもとで民主主義を防衛するためには,国民がその言説や映像を解読する力を持たなければならない.「メディア・リテラシー」教育を行うこと.

4.研究
 これも3と同様,包括的な議論でないことをお断りする.
 研究システムとしての「講座制」が次第に姿を消し,大講座化していることはその柔軟化として積極的な意味を持つ.予算の使い方を大幅に大学にまかせることが重要である.当然より綿密な監査システムが必要となる.予算の効果的活用のため年度繰り越しを認めることや,研究資材の学内市場(研究費移転の手段としての小切手の流通)をつくることなどの工夫の余地もある.
 しかしこの問題では「研究者にもっと時間を与えよ」いうのが第一である.大学院,学部の授業,全学「出動」の一般教育,いろんな委員会の仕事,さらに「改革」のための会議という具合に,万事が忙しくなりすぎている.「改革」を中止することが最良の改革,と皮肉りたくもなる.
 評価は,研究成果や研究状況の公開によってその材料が与えられることで,団体や個人が自由に行う.公的な評価が必要かどうかはわからない.

5.管理運営
 「学長権限の強化」ということが言われているようだが,対文部省と言う意味であれば大いに結構なことだ.対教授会ということなら,責任の明確化ということでそれでも結構だが,その権力と釣り合うように随時の「リコール制」のようなチェックのためのシステムが同時に作られなければならない.しかしこれの主唱者である文部省にそんな考えが浮かぶはずはなく,実際は,学長を行政権力の代理人にしようということである.もはや腐臭を放ちはじめた日本の「官主主義」だが,大学分野でその防臭剤として学長を利用しようということだから,これに付き合うわけにはいかない.
イ)教授会の「活性化」
 教授会が,学校教育法59条が規定するように,「重要な事項」を文字どおり「審議」するようにしなければならない.大学の業務の多様化・複雑化によって教授会の議題の数が多くなり,これをさばくために実質審議は委員会で済ませ,教授会は単にそれを承認するだけという議事運営が普通のパターンとなっている.(そのような「能率的な」処理方法でも会議は長時間に及ぶ.)ほとんどの場合,事務的な内容の議題が多いのでこれで支障はないのだが,問題なのはこれで実質審議をしない癖がついてしまうことである.「重要な事項」であるはずの「任期制法制化」の是非についてきちんと議題にあげて審議した教授会がいくつあるのだろうか.ぜひ全大教で調べてもらいたい.いくら組合で熱心に反対運動をしていても,その人が教授会で何も発言しないのなら,その人の本来の最も重要な責任から逃避していることになる.
ロ)学生の「意見表明権」の保障
 数多い委員会のなかに,学生が構成メンバーとなっていたり,正式に意見聴取をしたりするようなものは非常に少ないと思われる.「アンケート」などは単なる補助手段にすぎない.学生が大学運営に対して正式に発言権を持つと言うこと,実はそのこと自体が重要な「教育」なのである.
ハ)事務局長の人事権
 事務局長を文部省の「天下り人事」ではなく,大学評議会で人選すること.
ニ)国民・納税者の立場を代表する機関の設置
 教授団(faculty)の代表としての学部長・学長に対して,国民・納税者の立場を代表してこれに対抗する存在が必要と思われる.2で述べたように「国民に対し直接に責任を負って」大学教育が行われることを保障するためである.このようないわば「市民参加」がないと,文部省の支配に対抗する根拠がなくなる.このような組織を作ったとき,「液晶社会」とでも言えるようなわが国の社会風土の中では,それが大学の操り人形になるかあるいは文部省や他の権力の代理機関になるかのどちらかの「安定点」に落ち込みがちだ.そうならない工夫が必要である.

6.対社会
 大学が社会に与えている害悪のうち最大のものの一つは,「偏差値競争」に代表されるような受験体制による高校以前の若者の全生活への圧迫である.このようなことは昔からあったし将来もなくなってしまうことは多分ないだろう.しかしこれが一層激しく極端になっていることは憂慮すべき事態である.
 この原因の一部(もちろんすべてではない)は現在の大学入学制度にある.このことは多くの人の共通理解であって,今日までいろんな「改善策」が大学側と受験者両方のたいへんな労力の上に行われてきたが,事態は改善どころかより悪くなっているようだ.それはこれまでの「改善策」のほとんどが,結果的に,浅はかな考えによるものだったということを示しているのだろう.大きく変えるには,「選抜」という考え方の廃止しかないと思う.毎日新聞96年10月19日の「オピニオンワイド」という記事に,連合などが主催した教育問題の会合でのロナルド・ドーア教授という人の講演の結論が次のように書かれている.「名声のある大学の先生たちはわがままで,できるだけ「いい学生」を採ろうとする.・・・大学入試はクジ引きでやろうということにすれば,入試は根本的に変わり,教育も変わるだろう.」この提案は重要である.具体的には,国立大学については共通一次(注3)を数年間有効の資格試験とし,そのなかから入学者は抽選で決めるようにするのである.定員を超えなければもちろん「全入」である.そもそも国民の税金によって運営されている国立大学に,学力にせよいわゆる「やる気」にせよあるいは「一芸」にせよ,なんらかのクオリティーで入学者を「選り好み」する権利があるのかどうか考えてみる必要がある.(注4)
 次に,大学教員が中央や地方の政府の審議会などに入って政策作りに協力するという問題についてだが,本人たちは「社会に貢献」しているつもりかもしれないが,実際には悪事を働いていることがしばしばである.大学審議会しかり.97年4月8日22時放映の「ETV特集」で,「日本/権力構造の謎」の著者ウオルフレン氏が,「大学や東大の先生は政府の審議会を辞めなさい.それらは官僚のプランを民主的体裁にする手段にすぎない」という趣旨のことを言っていた.対論相手の猪瀬直樹氏も次のように応じている.「学者は論文をぶつければいい.それを政策にしろと」.参加することがすべて悪いとは言えないだろうが,少なくとも参加する場合の条件の吟味が必要だろう.官僚に主導権がある「審議会」には参加してはいけない.
 学者の社会的発言の問題で重要なのは,これを抑圧している国家公務員法102条と関連する人事院規則の廃止という問題である.これは,禁止事項を役所が決める規則に委ねるという,「法の支配」の代わりに「官の支配」を認めた”トンデモ”条文である.これは国立大学の教員の言論活動への大きな抑圧となっている.(注5)

 以上,思いつくままに放談調でいろんなレベルの問題をごちゃ混ぜに述べてきたが,問題はこのような類の提案をどこで練り上げ,実際に影響力を持つ本物の政策にしていくかということである.そのような有力なオルターナティブを提案するには,個別大学のワクをこえた作業グループが必要である.相手が全国版の「大学審議会」だからである.国大協はほとんど役に立たない.またこれは組合の役割の範囲を超えているので,組合が参加するとしても,他の教員団体(NGO),たとえば日本科学者会議や諸学会,民間の教育関連団体などの参加が必須である.パネルには,たとえば大学審議会であのようないい加減な答申に荷担するような専門オンリーの人ではない,教育,研究,社会全般についての哲学的に深い考え方を持つ人を選ばなければならない.
 このような提案の作業なしには,つねに政府側の案に対してyesかnoかというパターンでの選択肢(つまり選択肢のない選択)しか国民の前には提示されない.そして対抗勢力のただ一つの可能な方針は「反対」のみである.政府側に対抗して,このようないわば「民間大学審議会」(注6)や,国大協,それにJSAなどの個別のNGOが対抗案を出せば,いろんな選択肢が国民の前に明らかになり,実りある議論が可能となるだろう.

(注1)reform:392,reform:393
(注2)筆者の造語.経済至上主義者.
(注3)わざわざセンター試験と言い換える必要があるとも思えない.
(注4)入学制度についての私案をご覧下さい.../UniversityIssues/entr-exam2.htm
(注5)「国家公務員の政治活動の制限・禁止について」をご覧下さい.../UniversityIssues/PoliticalActivities.html
(注6)「大学審議会答申批判と『民間大学審議会』の提唱」をご覧下さい.../UniversityIssues/daigakushin95.htm