臨時 独法化問題、国大協会長への共同質問書、連名者募集中(2月18日正午まで)


究極的に悪いのは悪人の残忍さではなく,良識ある人々の沈黙である.
      マーチン・ルーサー・キング


「理念・目的」および「統合に対する基本的な考え」に対する意見

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佐賀大学教職員組合ニュース No.50(02年2月4日) に掲載

2002年1月
理工学部 豊島耕一

 大学の統合に際して,ことさらに新しい「理念」が必要だというアプリオリな理由はない.教育と研究を遂行する上でのさまざまなメリットとデメリットを比較するだけでよいはずである.しかしことさら「理念」を謳い上げなければならないのは,今回の統合計画が,文部科学省の工藤局長による「脅し」(注)を起点として,同省の「大学構造改革」に追随するものであることは誰の目にも明らかだが,そこでこれを何とか糊塗したいという意思の表れであろうか.

 とは言え,どんな機会にせよ大学の存立や運営の理念について振り返って見ることは悪いことではない.その際重要なことは,その時々の政府筋や産業界によって流布されるイデオロギーの注入の手段とならないように十分注意することである.今日問題とすべきイデオロギーとは,「国際競争」主義,市場原理主義,産学共同偏重などである.今日喧伝されるこれらのスローガンは,これらとそれぞれ対をなすべき,国際協調,共同体の尊重,産業部門以外のセクタや単なる一市民の尊重という価値観とのあいだではっきりバランスを欠いた扱いを受けていることからも,そのイデオロギーとしての性格が明らかなのである.しかし残念ながら「理念・目的」と「基本的考え」の何れも,前者の価値観に偏したものに,つまり時流のイデオロギーに傾いたものになっているように思われる.

 それは,たとえは「産・官・学・民の連携」が繰り返し強調されていることに,また「競争的環境への適応」,「個性化への対応」といった決まり文句の肯定的使用に表れている(因みに「x・民の連携」という新語が具体的に何を意味するのか不明である).これに対して「権利」,「人権」,「批判」,「自由」,「平和」,「協調」といった言葉が全く見られない(したがって「学問の自由」という言葉も使われない).つまり「競争」は重視されるが,これら6つの言葉が担う人間社会の基本的価値への言及がなされないのである.言うまでもなくこれらの基本的価値は,教育上もまた大学の社会への貢献においても最も重視されなければならないものである.また環境問題には触れるが平和の問題には全く触れないのも大いに不満である.憲法,教育基本法というわが国の基本法規も全く引用されない.

 特に,大学と学問にとって極めて重要な価値である「大学自治」が大きく損なわれる危険性に対する危機感のなさはきわだっている. 大学自治 への言及は,「学部自治」との対比ないし対立させる形で次のように1回だけなされているのみである.

「これからの競争的環境の中で大学としての機能を十分に発揮していくためには,大学全体の組織戦略という視点に立ち,従来の「学部の自治」から「大学の自治」へと大きくパラダイム・シフトしていく必要があろう.」

これではまるで大学自治に対する主な阻害要因が「学部自治」であるかのようである.もちろん現実は,政府も含めた外部の権力こそが自治への主たる脅威であり,この現実を無視した議論はおよそ真面目なものとは思えない.

 「大学自治」や「学問の自由」に対する危機感のなさを通り越して,ほとんどこれらに無自覚ではないかと思わせるのは,「独立行政法人」化問題に言及した箇所である.

(統合の経緯及び必要性)
「・・・国立大学の法人化などの理由により,両大学にとっては,競争的環境への適応,個性化への対応,人的・物的・知的資源の有効活用の必要性が増大している.」

今日「法人化」と言えば即ち独法化を意味する.それは文部科学省の「調査検討会議」が昨年出した中間報告の内容からも明らかである.そして上の文章は独法化を当然の事として間接的ながらこれに「対応」すると表明しているのである.

 しかし佐賀大学は独法化に対しては1997年に次のように明確に反対を表明している.そして本学はこの声明を撤回してはいないのである.短いので全文引用する.

   国立大学の「独立行政法人」化について

「国立大学の独立行政法人化は,教育研究に対して短期的で,効率性に重点を置いた運営を想定しているものであり,長期的視点のもとで,多様性,創造性を求められている大学の体制に相容れないものである。
 地方の国立大学である佐賀大学は,地域との連携を図りつつ,教育研究活動を行うとともにその水準の向上を図ってきている。独立行政法人化による単なる経済的効率性の追及は,授業料の値上げなど大学教育の機会均等を阻害する。
 以上のような重大な問題を有しているので,性急な結論づけには賛同しがたく,佐賀大学は反対の意志を表明する。

  平成9年10月27日             佐賀大学

 このような矛盾した態度は「説明責任」とは正反対のものである.時間が経てば「間違い」が「正しい事」に変わるなどということはない.それは「ウソも百編くり返せば本当になる」という事態を容認することである.そしてこれは,”独法化不可避”という「情勢認識」の問題でもない.ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動く」と言ったとされるように,正しいことを正しいことと,間違いを間違いと最後まで言い通せるかどうかという,学問に仕える者としての最低限のモラルに関する問題なのである.また,国会に提出されるべき法案さえ存在しない段階で,すなわち「国権の最高機関」が何も知らない段階で,官僚の意向を先取りして「対応」を準備することには違法性の疑いさえあるだろう.(もしそのために何らかの支出を行えば明らかに違法であろう.)

 大学の社会的役割として重要なのは生産活動に貢献することだけではない.むしろ社会の中の独立した存在として,学問的良心に従った公平な批判活動こそ重要であろう.たとえば,有明海問題でも,もし干拓やダムが漁業に悪影響を及ぼすかもしれないという警告が大学自身によって,あるいは多くの大学人によってなされていたなら,今日のような事態は避けられるか大きく緩和されたかも知れない.事態が起こってから,漁民たちが止むにやまれず立ち上がってから「プロジェクト」を立ち上げるのでは相当遅いのである.節度のない「産学連携」や「官学連携」は,この種の問題で求められる大学の独立性を侵している可能性もある.今日でも,干拓の是非について,あるいは川辺川ダムの問題について,どれだけ多くの教員が率直な意見を表明しているだろうか.

 高等教育改革の「グローバルスタンダード」とも言うべきユネスコの98年「高等教育世界宣言」は,冒頭の「使命と機能」で,高等教育の役割として教育, 研究だけでなく,「倫理的役割」として社会に対して発言することを求めている.

「社会が必要とするある種の学術的権威を行使することによって、倫理的、文化的および社会的 問題について完全に独立に、そしてその責任を十分に自覚して発言する機会を与えられ」るべきである

とし,そしてその機会を生かすよう次のようにも述べている.

「UNESCO憲章にうたわれているように、平和、正義、自由、平等および連帯を含む普遍的に受 け入れられている価値を擁護し積極的に普及するために、知的能力およびその道徳的名声を行使し・・・」

このような大学の役割こそもっと注目すべきであろう.CPUのスピードを2ギガヘルツに上げることと,戦争を防止し核兵器を禁止することとで,果たしてどちらがより人々の幸福につながるのか,答えは明かではないだろうか.

 「基本的な考え」は最後に具体的な大学改革の事項も挙げているので,これにも注文をつけたい.これら7つの項目は言葉の上では尤もらしく見えるが,しかし現実に十分即したものではないし,ユネスコの98年「高等教育世界宣言」をふまえたものとも思われない.

 まず何よりも,ヨーロッパで行われているように,大学運営への学生の関与を認めるべきである.「高等教育世界宣言」には次のように大学運営における学生の「当事者」性を協調している.「アンケート」だけでは学生をパートナーとして扱ったことにはならない.

「国および教育機関の意思決定者は、学生および彼らのニーズをその関心の中心に置き、彼らを 高等教育の革新における主たるパートナー、そして責任のある当事者とみなさなければならない。
  これは、教育レベルに影響する問題、教育法やカリキュラムの評価、改革、そして教育制度の施行、 方針の作成と運営における学生の関与を含まなければならない。
 学生は組織化し、代表者を立てる 権利を有するので、これらの問題への学生の関与は保証しなければならない。」

 また,学生だけでなく最近は教員さえ「大学運営への関与」を妨げられている傾向がある.事務組織の「一元化」においては,まるで「事務組織の自治」が存在するかのように,教授会はこの問題への意見表明さえ「自粛」してしまった.事務組織と教員組織とが一体となって大学を運営するという原則が失われ, 事務組織はまるで文部科学省の出先機関ででもあるかのようだ.このような問題は改革項目では無視されている.

 教授会の「活性化」も必要だと思われる.私の知る限り,重要な問題についてさえ教授会で真剣に議論が戦わされることがほとんどない.教授会自治,あるいは学部自治を「大学自治」と対立させるのではなく,その重要な構成要素として再定義することが必要である.

 先に独法化問題への態度について批判したが,独法化こそは改革の最大の阻害要因である. 阻害要因というより大学を大学でなくするものと言うべきだろう.これの阻止なくしていかなる改革もあり得ない.すなわち阻止のための行動を起こさない人には改革を口にする資格もないだろう.

 本学にとって,この文書はかつてない重大な意味を持つ可能性がある.したがってこの作成に携わった方々は個人としても責任を明らかにしていただきたい.すなわち,起草委員の名簿を公表し,それぞれがこの文章にどのように関わったか,全面的に支持するのか,それとも少数意見,反対意見の立場を取ったのかも開示されるべきだろう.それによって委員会としてだけでなく委員個々人の「アカウンタビリティー」も果たされる.(2002.1.30)



(注) この「脅し」発言への筆者のコメントはこちら
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