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 平成9年10月27日付の独法化反対声明は死んだのか?

(佐賀大学教職員組合ニュース 2000年10月4日 No.15)

(理工学部) 中 島  謙 一

 今、手元に1枚の文書がある。平成9年10月27日付の『国立大学の「独立行政法人」化について』と題する声明文である。当時、佐賀大学に赴任されていなかった方もおられるので、全文を紹介する。


国立大学の「独立行政法人化」について

  国立大学の独立行政法人化は,教育研究に対して短期的で,効率性に重点を置いた運営を想定しているものであり,長期的視点のもとで,多様性,創造性を求められている大学の体制に相容れないものである。
  地方の国立大学である佐賀大学は,地域との連携を図りつつ,教育研究活動を行うとともにその水準の向上を図ってきている。独立行政法人化による単なる経済的効率性の追求は,授業料の値上げなど大学教育の機会均等を阻害する。
  以上のような重大な問題を有しているので,性急な結論づけには賛同しがたく,佐賀大学は反対の意志を表明する。

  平成9年10月27日

佐 賀 大 学

    

 この声明では、独法化を「教育研究に対して短期的で、効率性に重点を置いた運営を想定しているもの」としてとらえ、「大学の体制に相容れないものである」、「大学教育の機会均等を阻害する」と強い口調で断定している。

 一方、手元にもうひとつの資料がある。朝日新聞社の「論座」という月刊誌の特集記事(2000年9月号)であり、独法化に対する全国の国立大学長へのアンケート結果である。これは九州の分だけでも数ページにわたるので、要点だけを示すと表1のようになる。

  表1 大学独法化国立99大学長アンケート

  [質問]今年の5月の文部省方針表明までの段階で出てきている「独立行政      法人化案」は、貴校にとってプラスになると思いますか?

   (1)大いにプラスになる、 (2)プラスになる、(3)マイナスになる、
   (4)大いにマイナスになる、(5)どちらとも言えない

  [回答]九州大学   (3)   佐賀大学   (5)
      長崎大学   (5)   熊本大学   (5)
      大分大学   (5)   宮崎大学   (4)
      鹿児島大学  (4)

  (九州の総合大学のみ抜粋)    

 前出の声明文と表1のアンケート結果を比較すると、佐賀大学の姿勢には驚くほどの落差がある。このアンケート結果を最初に聞いたとき、間違いではないかとわが耳を疑った。いったいこの落差はどこから来たのであろうか。「平成9年当時は独法化=通則法という構図しかなかったが、今日では特例法・個別法を設けて大学になじむようなものに修正する案がいろいろ出てきている」という言い方もある。しかし、「教育研究に対して短期的で、効率性に重点を置いた運営を想定しているもの」という独法化の本質は今も変わっていない。平成9年の声明を出すときには、文部省がまだ国立大学の独法化に反対していた。アンケートは文部省が独法化受け入れを表明してからのことである。第三者的な意地の悪い見方をすれば、最初は文部省の尻馬に乗って威勢よく独法化に反対していたが、文部省が方向転換したので、形勢不利と見てじりじりと後ずさりを始めたと取れなくもない(世間からそう思われてもしかたがない)。鹿児島大学や宮崎大学の学長が今でも毅然として反対の姿勢を貫いているのとは対照的である。何年か前のサラリーマン川柳の入選作に「よくやった!事情が変わった、なぜやった!」というのがあった。身勝手な上司の豹変ぶりを皮肉ったものである。まさかわが佐賀大学の後退ぶりも、文部省から同様のおしかり(?)を受けることを恐れてのことではあるまいと思うが・・・。

 さらに、同誌の「独法化の賛否方針の表明も含めて、貴校の今後のスケジュールをお教えください」という質問に対して、佐賀大学では「調査検討会議においてとりまとめがなされるまで、独法化の賛否について学内での論議は不可能だろう」と答えている。このような消極的な姿勢は平成9年の声明に反するだけでなく、文部省の意向にすら反するのではないか。何故なら、文部省の工藤・高等教育局長は同誌のインタビューに答えて、「・・・法人化をプラスのものにするために、これから調査検討会議でアイデアを募集するわけですから、そこを大学人にはよくわかってもらいたいですね。文部省にすべてを任せっぱなしにするのではなく、大学関係者みんなで智恵を出し合いながら、その意向を踏まえて検討していきたい」と言っているからである。まさに佐賀大学の回答は、「智恵を出さずに、調査検討会議(文部省)に任せっぱなしにする」ということの別の表現である。

 さて、平成9年の声明について次のことを強調しておきたい。それは、独法化に対する佐賀大学の公式見解について改訂版が出されないかぎり、上記の平成9年の声明が今も生きており、少なくとも公的発言はこの声明の趣旨に沿って行われるべきである、ということである。もし、独法化への対応について軌道修正したいというのであれば、再度、学内で議論をしてそれなりの改訂版を出すべきである。ちゃんとした手続きもなしに、いつの間にかこの声明と90度あるいは180度違うことを言い始めれば、大学としての節操と見識を疑われ、社会的信用を失う。

 前記の高等教育局長の発言の中にはいくつか注目すべきものがあるので紹介しておきたい。同局長は国立大学の役割として「・・・社会に変な動きがあったときに警鐘乱打したり啓蒙したりするような役割もあるわけです」と述べている。つまり、大学には社会の木鐸としての役割があると言っているのである。社会の木鐸としての役割を保証するために、戦後の大学に自治が導入されたことは周知のことである。この歴史的な事実は同局長も認識をしていて「日本の場合、戦前の苦い経験を踏まえて、・・・」と言っている。大学の自治について、何かにつけてそれを認めたがらない文部省の官僚ですら、この程度の理解は示しているのである。

 情けないのは、わが佐賀大学に大学自治の意味を知らない(あるいは知っていても、思惑によってそれを無視する)人たちがいるということである。私が学内の某紙に「独法化すれば、・・・戦争抑止勢力としての大学の機能が弱まる」と書いたら、「戦争抑止勢力としての大学」という認識は問題だといってクレームがついたそうである。しかし、私の認識が間違いではないことは、高等教育局長の発言と照らし合わせても分かる。同局長の発言の中の「社会に変な動き」には「戦争への動き」も含まれるであろうし、「警鐘乱打」と「抑止」はこの場合、同じ意味である。つまり、私の表現は、期せずして、高等教育局長の一般的な表現を具体的事例に即して言い換えただけになっている。何が問題であるというのであろうか。今回は、諸般の事情を考慮して書き直しを行ったが、今の佐賀大学は、独法化を先取りしていると思われるくらい、自ら大学の自治や言論の自由を失いつつあるのではないかという印象を強く持った。