大学の教育・研究を文科省の「許認可事項」にしてはならない

憲法・教基法の効力が試される国立大独法化問題

佐賀大学理工学部  豊島耕一
2003年5月15日,東大駒場キャンパスでのスピーチ.改訂03.7.19,最終改訂04.9.12
レジュメ

目次

0 はじめに
1 行法化,これまでの経過
2 全国ネットの運動
3 国会を無視した大学の暴走
4 文部大臣のデマ
5 文部科学省と大学の本来の関係
6 行法化とは「戦前にもない大学統制」
7 教育基本法10条違反のシステム
8 裁判所を警察に変える
9 学長独裁制の確立
10 行法化されるとどうなるか
11 最近の著名人による反対論
12 なぜ大学は反対しないか--文部科学省防波堤論
13 学者の陥りやすい傾向
14 水戸黄門イデオロギー,忠臣蔵イデオロギー
15 教育基本法の8条違反の影響
16 どう「改革」すべきなのか--グローバルスタンダード
17 文部科学省のイデオロギー,テクスト解析から
18 何よりも「ガッツ」が大事


0 はじめに
 佐賀大学の豊島と申します.1時間以上も時間をもらったので,十分いろんなことが話せると思います.大体,普通の授業では,私は物理なんですけども,物理で90分話しても,あんまり大したことはしゃべれないですけども,こういう問題ですとそんなに難しい問題ではないし,非常に易しい問題なんですよね.ですから十分にお話ができると思います.

 私は佐賀大学に勤めてもう20年位になるんですけれども,最近ずっと「改革」,「改革」に付きまとわれています.ちょっと前には,教養部解体という事件がありました.全国の教養部が一斉になくなりました.たまたま私が教養部にいたものですから,その騒動にも巻き込まれたということです.私などは「教養部を解体する理由は全くない」ということで,最後まで教授会で抵抗したんですけども,なぜか全国横並びで,教養部を解体するという事件が起きたわけです.これが5年位前のことでしょうか.それで今になって文部科学省が何と言っているかというと,あれは設置基準を「大綱化」したんだと,「自由にやって下さい」というふうに言ったんだそうです.大綱化,なるほど名目上は「自由にやりなさい」と政府は言ったんですけども,全国一斉に,なぜか教養部解体という画一的な現象が起きました.それで,これは両方に問題がある.

 もちろん,文部省が圧力をかけたことは間違いないわけで,今ごろになってそれを「とんでもないことをやりましたね」なんて白々しいことを文部官僚が言っていますけれど,それはもちろん文部官僚がいろんな圧力をかけた結果なんです.それに迎合した大学人も大学人です.そういうことで,両方に非があると思います.どちらかと言えばやっぱり大学人の責任が大きいと思いますね.ノーと言えば断れたはずなんですから,それを言わなかったということで責任がある.

1 行法化,これまでの経過
 そういう非常におかしな事態が5年前に起こったんですけども,またそれに輪をかけたおかしな事態が現在起ころうとしているということです.私もこういうとんでもないことが起きるとは想像しませんでした.独立行政法人化,これは名前の通り,要するに大学を行政機関に変えようということですから,本当にもう訳の分からない,支離滅裂というか,正気の沙汰ではない話なんです.まさかこんなことを文部科学省がやるとは,私は5年位前には,この問題始まって5年くらいになりますが,まさかほんとにやるとは思ってなかったんです.ですから,こんな仕事に私が首を突っ込むなどということは,想像もしなかったんですけれども,やむを得ないということで,やっておるわけです.

 どういういきさつでこういう事態になってるかということを,少し時系列で見てみます.「10年間で25%公務員削減」という話が起こって,そのターゲットに国立大学はちょうどいいわい,というようなことで狙われたということが発端のようですね.それで,当初は文部大臣もですね,「とんでもないことである」ということで反対をしていたわけです.どういうことを理由に反対しているかというと,まったくまともな理由で反対してるんですね,正当な理由で.つまり,文部大臣が3年とか5年とかいうような目標を決めて大学に示して,中期計画というようなものを大学に作らせてそれを役所が認可して,そんなものはとんでもない話だというようなことで,学問の発展にも何も役に立たないと,衰退するばかりだというようなことで反対をしているわけです.全く当たり前の話ですね.

 それで97年になりますと,これは各大学一斉に,これは文部省の指導だと思うんですけどね,各大学一斉に反対声明を出しました.私の佐賀大学でも出しております.98年になりますと,この独立行政法人を定義する省庁改革基本法というのが成立して,いろんな機関の独立行政法人化がこの辺から始まるわけですけども,この時点ではまだ,国立大学はターゲットには直接はなっていなかったんです.それが何と驚くべきことに,東大の元総長の有馬朗人氏ですね,彼は物理学者で核理論が専門で,私も昔,彼が現役でやってた頃,彼の学会講演を聞いたこともありますが,原子核理論の有馬朗人という人が文部大臣になって,何と大学人が「それに乗りますよ」というようなことを決めてしまったのです.そういう事態が起きたのが99年.それで,その頃まではまだまだ反対の声の勢い,論調はありまして,例えば全国理学部長会議が反対声明を出すというようなことはありました.この声明はいろんなところに,いろんなホームページに載ってると思います.例えば名古屋大学の理学部のホームページには,そこに当時の理学部長であった野依良治さんの名前で,「こういうこと出しておりますので,皆さん尊重してください」というメッセージが表示してあります.これは別に取り消してはいないわけですね.この理学部長会議声明は取り消してはいない.

 しかしこの辺からだんだん,大学側が取り込まれてくるというプロセスが始まりまして,99年8月になりますと,有識者懇談会,いわゆる賢人会,「賢い人の会議」ということで,文部科学省が懇談会を発足させる.この懇談会には,いろんな人が入っているんですけれども,ちょっと驚くような人も入っているんですね.梅原猛さんというのは,聞いたことありますね,日本ペンクラブ会長ですか,確か.それで有事法制反対だとか,あるいは教育基本法改悪反対だとか,そういうことを言ってる人の中に入っているんですけれども,そういう人も入ってる.そのグループが最終的には,文部省の結論をオーソライズした.有識者懇談会の下に調査検討会議ができ,調査検討会議が答申を出し,最終報告を出し,それを有識者懇談会がハンコを押す,お墨付きを与える,そういういつものパターンなんですが,ここでの最終的な役割の有識者懇談会の中にその梅原さんが入っているわけです.梅原さんが入ってるんだから,少しは理解してくれるだろうということで,この会議の前日に彼の家に電話をしましてですね,「もう,ちょっとここでとめてくれないか」と電話をしたんですけれども,彼は「日本の大学,特に文科系が世界レベルから非常に遅れている」というようなこと言ってましたね.まあ,この法案の本質をあまり分かっていないという印象.それと「もう今となってどうにも止められない」というようなことを言われて,説得することはできなかったわけです.ものの10分位話をしたでしょうか.

2 全国ネットの運動
 ちょっと話が前後しましたが,それで国大協が一応その「調査検討会議」に入っていくわけです.それが2000年の6月であります.で,入っていく時に,蓮實会長は,当時の東大総長ですが,「独立行政法人として実現させないために入っていく」というような弁解をしたわけですが,それは無理な話ですよね.そこに入ってしまえば,そこで出た結論には従わざるを得ないわけですから.そこに選ばれる人というのは,人選は文部省,お役所がやる,事務方がやるわけで,国大協だけではないわけです.いろんな人が入ってくるわけです.財界からも入ってくる.そういうことで,「こういう甘い見通しはむだですよ,取り込まれるだけですよ」と,私や北大の辻下教授,岡山大学の野田教授の3人で「こんなことはやめなさい」と運動をしたわけです.

 この呼びかけは国立大学教職員だけでやってたんですけれども,もっと一般に広げようということで,いろんな知識人,文化人とか,あるいは国立大学OBなどの賛同も得ましたので,市民的な運動にしようということになりました.ちょうど2年前ですね,--2周年記念日に法案が衆議院を通りそうですけども--「独法化阻止全国ネットワーク」というものを結成しました.それから,ずっと運動をしておりますけれども,最近になりましていろんな団体が立ち上がってきております(注1).大変喜ばしいことだと思います.ちょっと遅きに失しているという感じもありますけれども.そして,2001年6月に,例の,統合再編であるとか,「トップ30」というのが出てきて,「一生懸命改革をしないと見捨てますよ」という言葉を,国立大学の学長の前で文部省の官僚が言いました.「脅しをさせて頂きます」という言葉も使いました.それに対して学長は,何も抗議も何もしないという,本当に情けない体たらくを示したわけです.

 そして,この全国ネットで,国会内集会をやったり,文部科学省交渉をやったりしておりましたが,事態はずっと進みまして,昨年の3月に最終報告,そしてその最終報告をさらに国大協が容認する.その後の展開は皆さんご承知と思いますが,法案が提出され,国会審議が始まったのがこの4月3日ということですね.

 ところが一つアキレス腱となっておりますのは,国大協は確かに最終報告は承認したかもしれないんですが,法案自体についてはまだ正式には議論してないわけです.ですから,いま国大協に対して「ちゃんと審議をしろ」というようなことを要求しておりますし,さらに,信頼を裏切り続けた役員,国大協の会長・副会長はもう「クビだ」ということで,リコール運動をやっているところです.そういったことが,大体の経過ということになります.

3 国会を無視した大学の暴走
 独立行政法人制度の問題になかなか入りませんが,もうちょっと待ってくださいね.いまどういうことが起こっているかということで,ちょっと順番が逆になりますが.大学の中でいま起きていることというのは,この制度を,独立法人制度を前提にした作業が行われているのです.独立行政法人制度の中に,中期目標・中期計画というのがあります.文部科学大臣が中期目標を定める.調査検討会議の報告では,大学が中期目標の原案を作る,それを文部省に提出して,文部科学大臣が中期目標を決めるとなっていたんですけれども,法案では,もうはじめから文部科学大臣が中期目標を定める,となっているんです.で,大学の意見は一応は聞くと.ところがいま進んでいるのは,大学でやっているのは,中期目標を一生懸命下書きをするという仕事をやっているわけです.ですからこれは二重の意味でおかしい.まだ法律にもなっていないことを,先走ってやること,それにものすごい時間を使うこと.中期目標を書いたりするのも,2,3ページじゃないですよ,大学全体だったら数十ページですよ.そういう書類をですね,いろんなことを書いてあるわけですけれども,そこの中には,教員の任期制を取り入れるとか,そんなことまで書いているところもありますが,そういう膨大な作業を,法律が国会で審議している途中であるにもかかわらずやるという意味でおかしいんです.もう一つおかしいのは,そもそもその文章は,文部大臣が書くことになっているわけですね.だからそのお手伝いをわざわざしている.下請けに出してもいないのに,すすんで下請け作業をしている.

 だから私,言うんです.そんなことが,文部大臣が一人が,全国九十いくつもの国立大学の各学部の目標を,いろんな細かい目標をですね,書けるものなら書いてみなさい,と言えばよかったと思うんですね.あの小さな役所で,おそらく高等教育担当の人が,十何人位しかいないでしょう.そういう人たちが,そういうおそらく全大学の中期目標の文章にしたら,1大学で20ページとして,2000ページですか,大体100あるとすればね.それだけの文章を書けるはずがないわけですから,「やれるものならやってみなさい」と言えばよかったんです.なぜか,組合系の人も含めてですね,「いや,われわれも積極的に民主的にそれに参加しておかないと後で困る」なんてことを言って,それに参加してしまうという事態が起きておりまして,私のような言い方をするのは少数派です.ほとんどの人が参加をしてしまっているわけですけれども,そういう事態が起きている.そういう中で非常に忙しい,つまりそういう本来の職務以外のことに時間を使うわけですから,問題があるわけですけれどもね.それで教育研究がおろそかになるという事態が発生しているわけです.

4 文部大臣のデマ
 さて,それでは,国立大学制度というのはどうなっているか,どういう運営原則なのかという問題です.文部大臣が,国立大学を独立行政法人化しなければいけないという理由に使ったのが,「国の機関だから自由がない」と言うことです.「国の機関だから自由がない,だから独法化してやる」という理屈をこしらえたわけです.これはいつの演説かといいますと,00年5月29日,この年表でいうと,これですね.この文部大臣は有馬文部大臣ではないんです,これちょっと名前忘れたんです,調べればすぐ分かりますが (注 中曽根弘文文部大臣),ここで演説した.なぜ,独立行政法人にしなければいけないかというのを演説したんですが,ここでこういうことを言っています.

「そもそも国立大学が,国の行政組織の一部,言葉を換えれば,文部省の付属施設として位置づけられている以上,規制緩和を進めたとしても,文部大臣の広範な指揮監督権のもとに置かれる状況に変わりはない,国立大学の運営の自主性自立性と自己責任の範囲は依然として不明瞭なままであるということも否定できない.」

国立大学は文部省の命令下にあるということを言ってしまったんですね.

 これに対して誰も異を唱えなかったというのがまた全く不思議なことでありまして,大学は行政機関じゃないですから,文部省の命令で動かなければいけないなんてことはどこにも書かれていないし,そして,当時の文部省設置法(いま文部科学省設置法ですが)にも,「指揮監督」なんて言葉は一切出てこないんです.「大学を指揮監督する」と.実は「指導助言」という言葉しかありません.指導と助言という言葉はありますけれども指揮監督なんて言葉は一切ない,つまり,そもそもそういう権限はないわけです.ところがそれをあたかもあるかのように言って,だから窮屈でしょうというフィクションをでっちあげて,それで,独立させてあげますという,作り話を持ってきたんですね.そういうことに対して,行政法の専門家も,教育法の専門家もですね,なぜ声をあげなかったのかというのが非常に悔やまれるところであります.「こんなこと言っているんですけれども,なんであなたたちは反応しないんですか」ということで,教育行政の人たちに,メールを送ってですね,返事が返ってきたりしたのが最近になって,今年の初めぐらいなんですけれども,そういうデマゴギーを振りまいたということがあります.

5 文部科学省と大学の本来の関係
 文部省設置法には何を書いてあるかというと,その1ページの上のほうにありますように,文部省設置法では,「事務を扱う」ところであるとはっきり書いてあるわけです.それ以上の権限はちゃんと法律で明示されない限りはないはずなんです.そして,旧文部省設置法には,権限,次の権限を有するという条文がたくさんあったんですけれども,不思議なことに,こんど文部科学省設置法になって,その権限という条項が消えてしまっている.どなたか法律関係の人がいたら是非調べていただきたい,これがどういう意味を持つのか.つまり,権限という言葉がなくなったということは純粋に事務を扱う無権限省庁になったということであれば非常に理想的だと思うんですね.文部省が本当に,事務をちゃんとやってくれると,余計な命令なんかはしないということであれば非常に理想的だったと思うんですが,実はそうでもないのかどうか,調べていただきたい.とにかく権限という条項が旧文部省設置法にあったのがなくなっているというのは非常に不思議な気がします.

 そして,国立学校設置法と学校教育法によって,国立大学は存在の根拠を与えられています.また,評議会,教授会による自治権がはっきりと謳われているわけですね.つまり,国立大学は国立大学設置法,文部科学省は文部科学省設置法というそれぞれの設立根拠法を持っているということです.私はいつも,両者は「国会の前に平等である」という言い方をしたりするわけです.命令関係があるとすれば,法律に明記されていなければならない,それがない限りは対等であろうというふうに私は理解しております.

 国立学校設置法の7の3というのが出てきたついでに,資料の訂正を申し上げます.現行制度との比較表というのがありますが,これの中期目標・中期計画のところの右の欄,現行制度の欄ですね,ここが,そのような制度はない,というちょっとぶっきらぼうなことで終わっておりますが,そこにちょっとこれを入れていただきたいんですね.(スライド)

  評議会に審議権
  国立学校設置法 第7条の3

  5 評議会は,次に掲げる事項について審議し,並びにこの法律及び教育公務員特例法の
    規定によりその権限に属させられた事項を行う.
    5-1.大学の教育研究上の目的を達成するための基本的な計画に関する事項

(スライドは)新旧対照表の旧バージョンなんですけれども,これは法案が出てくる前に作ったものです.いまみなさんにお配りしておるプリントは法案の内容に即して書いたものです.中期計画に関しては,中期計画という名前ではありませんが,「基本的な計画」という言葉で,国立学校設置法7条の3に,評議会に審議権があると明記してあります.大学の教育研究の目的を達成するための基本的な計画に関する事項は評議会が審議するとなっているわけですね.つまり「審議する」ということ.法律に審議するということが書いてあったら,おしゃべりをしてもいいという意味じゃないでしょう.そこで何か決められる,最終的な決定かどうかは知らないですけど.少なくとも,文部省設置法にはそんなこと一言もないわけで,文部省が決められるなんてことはあり得ない.文部省の方が優先権を持つなんてことはあり得ない.国会はもちろん国権の最高機関ということで,それは決められるかも知れませんけれども,この上にあるのかも知れません.物事によっては.ですからこの,中期計画の右の表のところにはこれをちょっと当てはめて頂きたいと思います.

 そのように,現行制度ですでに独立性が保障されているわけです.国立大学というのは独立性が保障されている.それを,単に形式上,国の機関だから命令に従わなければいけないと,いうふうなことを言うんだったら,それは例えて言えばどういうことになるでしょうか.われわれ皆どこかの警察の所轄の区域にいますよね.で,国立大学は文部省の所轄だと,管轄だと.管轄だったら,みんな上の言うこと聞かなければいけないか,ある所轄の区域にいたらみんな警察の言うこと聞かなければいけないか,そんな馬鹿なことはないわけです.

 現在もすでに,相対的にではありますが,完璧じゃないでしょうけれども,法律上は大学は独立性を持っている.その法律上の独立性を奪っているのがむしろ,文部科学省の裁量行政なんです.不透明で,説明責任が全く負われていない裁量行政,そういうものがむしろ,独立性を妨げている.そして,さらに学校教育法には教授会が重要事項を審議できると書いてあります.「重要事項」と非常に抽象的ですけれども.しかし実態としては,文部科学省が非常に不透明な実権を握っているというのが実態です.それは,広く信じられていることですけれども,予算配分を文部省が行うという.確かに,文部省の裁量で出来る予算もあるんでしょうけれども,最終的には国会だと思うんですね.ところがその,国会のことはもう全然頭になくて,文部省が全部決めるかのように思いこんでいる.大学の教員,大学の首脳部がそういう風に思いこんでいるということがあるわけです.

6 行法化とは「戦前にもない大学統制」
 それでは,独立行政法人化というのは一体なにものか,ということなんですが,その比較表でもお分かりのように,やっぱり最大の問題点,いろいろ問題点あるんですけれども,非常に分かりやすいのは,やっぱり中期計画・中期目標なんですね.つまり,お役所が大学に命令できるという,そういう制度が創設されるということですね.これは本当に「戦前にもなかった」と.今度の国会の冒頭で民主党と一緒に組んでいる無所属の山口壯議員は,国会本会議質問で,「こんな制度は戦前にもなかったじゃないか」という質問をしたんですけれども,まさにその通りです.私も戦前の大学関係の法律を少しインターネットで検索してみたんですが,確かにありません.明治憲法という枠がありますので,一概には言えないのかも知れません.法律の専門家ではありませんので詳しいことはあまり分かりません.しかし明文的にですね,明文的に文部大臣が大学になにか指図するような,そういう条文はですね,全部見たんですが,確かに載ってないんですね.

 戦前起こったのが滝川事件であるとか,天皇機関説事件,みなさんご承知だと思いますが,滝川事件は滝川教授の説が余りにも自由主義的である,リベラルであるということで,クビにしろということでやったわけですけれども,そういう権力抑圧が戦前にあったわけですが,今回の法律というのは,いわば戦前のそういうのが「ピンポイント攻撃」であったとすれば,もう全部に網をかけてしまうということで,全部に命令を出せるわけですから,そういう話であるということも言われております.

 それから,「監事」というのが文部省の任命になります.それから中期計画というのは先ほど言いましたようにこれは認可制.そして,予算配分が.いままではとにもかくにも最終的には国会の審議だったのだろうと思うんです.ところがこれが,文部科学省が一手に握ってしまう.そしてその文部科学省のもとにある評価委員会が,さらに,総務庁の評価委員会が評価をする,その評価に基づいて予算配分をするということなんですね.

 そして,もっと恐ろしいのが,文部大臣による大学閉鎖.この大学は業績が良くないから,閉鎖しろと,そいうことまでやるわけですから,全く,行政機関,どうにでもなる出張所,文部科学省の出張所に変えるようなもんである,ということなんです.

7 教育基本法10条違反のシステム
 それで私たちが最初から言っていたのは,教育基本法10条にこれが違反するんじゃないか,ということです.つまり,教育基本法10条というのは,非常にシンプルな条文なんですけどね.教育基本法10条はですね,--いま教育基本法改悪の問題も出てきておりますけれど--10条は非常にシンプルな条文なんです.「教育行政は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきである.A教育行政は,この自覚のもとに,教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない.」いうことです.この10条,みなさん知っていました? 知らない? まあこれも非常に抽象的で,「不当な支配」というと何かと言われたら,分からない.

 例えば,何か宗教団体であったりとか,あるいは政治団体とか,そういうものが乗り込んできて支配するとか,或いは大会社が乗っ取ってしまうとか.まあそういうこともあるかも知れませんが,実はですね,これを立法するときに,一番頭にあったのは,実は,政府自身なんですね.国家自身なんです.これは制定過程における議会でのやりとりを読むとよく分かります.つまり,戦前の日本が,教育に対して,あまりにもくちばしを入れ,国家主義イデオロギーの世論を刷り込む機関にしてしまった.小学校・中学校・高校と大学も含めてね.国家主義イデオロギーを注入する道具にしてしまった.まあ言ってみれば,最近で言えば,パキスタンの何ですか・・・なんとか神学校.そういうことにしてしまった,というので大変な災いを招いたんですけれども,そういうことの反省から,官僚がくちばしを入れるということも,防止しなければいけないということで,国家官僚の支配,ということが非常に重要で,頭にあったわけですね.是非その時の,設立過程に関する文章を読んでいただきたい.私のホームページにも入れてありますので.

 それから,そのついでにちょっと紹介しておきますが,何しろこの問題はですね,もう長いもんですから,膨大な文章が出ております.こういういろんな論説,評論とかですね.それで,CD−ROMにまとめましたので,是非参加されたみなさんは持っていって下さい.原価は皆さんご承知の通り100円切ってますが,200円,カンパということでお願いしたいと思うんですが,ここにも入っております.制定過程についての文章がですね.ですからこれ,明らかに反しているわけです.お役所が,教育について命令できるなんてことは.教育内容について命令できるなんてことは明らかに反しているわけですね.

 でもそのときに,じゃあ,税金でやっているのにどうして,ということになるわけですね.国民の税金でやっているんだから,国民の代表は国会だし,その国会で任命された政府が,そこに指示を出すのはなぜ悪いの,という理屈は当然出てくると思うんですけれども,敢えてそれを遮断しているわけですね.敢えてそれを遮断している.つまり,教育というのは,国家が直接,内容に介入してはいけないんだという,戦前の反省も含めて,教育の独立性というものを謳っているのがこの10条なんですね.ですから,そこまではっきり言っていいかどうか分かりませんが,三権分立というのがありますが,それと同じような意味で,教育というのも独立していなければいけない.例えば,裁判所っていうのは,国の機関ですよね.だけと裁判所というのは独立していなければいけない,つまり三権分立というのはみなさんよく習っているわけでしょ,社会で.ところが同じように,この10条によって,教育権も独立,100%かどうか分かりませんが,独立していなければいけないという規定だと私は理解しています.私だけでなく多くの教育学者の理解でもあるのですが,それが全く無視されている.つまり,この10条が教えられないから,その意味が教えられないから,そして,入学試験にも出ない,ですから誰も知らない.ほとんどの人が知らないということになってるんだろうと思うんですね.これを全く無視にしているのが文部省ですから,そんなこと教えるはずがない,教えたがるはずがない.ということで,残念ながらこういう事態,10条というのが無視されてきた経過というものがそこにあるのではないかと思います.

 そういう風に大上段に振りかざして言わなくてもいいかも知れません.「金をやるから口を出すんだ」という理屈で政府は言っているわけですね.だけどそんなことばかりじゃないでしょう.私立学校にだって助成してますね,私立学校に助成しているからって,国費が行っているからということで中期目標なんか出してますか?それから,ODAで外国にたくさん援助してますね.外国の政府に中期目標与えてますか?そんなことしてないわけで,相手を信頼して,そしてそのお金を自由に使いなさい,しかし何らかのチェックはするでしょうけれども.相手を信頼してその使い道を自由にやるということをやる税金のつぎこみ方なんていくらでもあるわけですね.

 じゃあ何もチェックしないかというと,そんなことはなく,現状ですでにチェックされてる.会計検査院によるチェックというのは必ず入るわけです.会計検査院によるチェックが,もちろん「不当な支配」にならないようにしなきゃいけないでしょうけど,そういうチェックっていうのは当然税金である以上,ある.そしてそれは今,誰でも認めていることとして行われている.それ以上の指揮命令を文部省がするということは考えられないことなんではないかと思うんですね.

8 裁判所を警察に変える
 そういうことで私たちは,教育基本法10条違反であるということを当初から言い続けていたんですけれども,大変ありがたいことに,ごく最近になって,教育学者,教育法学者がですね,これに同調してくれました.何しろ我々,この全国ネットワークは全部理系の人間ばっかりが世話人をやっていて,私が物理で北大の辻下という人が数学で,岡山大の野田という人が数学,それから岡山大のもう一人の白井さんが生物,宮崎大の橋本さんが制御工学,という具合で全部理系なもんですから,そういうこといくら言っても信用されないんですね.ところが最近になってようやく,このプリントの・・・2ページの右上ですかね.右上のところに独法化が10条の改悪の先行実施であるとの理解が広がったと書いてありますけども,みなさんにお配りしているプリント,声明文,「国立大学法人化法案は明らかに憲法23条及び教育基本法大10条に抵触する」という声明が準備されています.教育法学会有志からですね.ということで,ようやく広がったということで大変喜んでいるわけです.冗談で言うんですけれども,我々は一番最初に言ってたんで,もしこれで特許権が認められたとすればですね,我々が特許権を持ちます.その場合の特許は,まあビジネスモデル特許というんでしょうか.まあそういうことでですね,つまらん冗談を言いましたが,まあ要するに,裁判所を警察に変えるに等しいと言うことができると思います.規制緩和ではなくて規制強化であるということですね.

 そのように国内法に違反するというだけではありません.日本政府が一緒に作り上げて賛成して帰ってきた,ユネスコのいろんな宣言にも反しているということです.「21世紀の高等教育 行動と展望」というのが98年に出ております.これは,大学の自治を認める,大学の運営の,民主的な運営を認める,それが大事であると言ってる.そして,大学が政府から独立して,自由にものが言えなければいけないというふうにも言ってる.そういう線から全く反しているわけでありまして,このように,政府に,全く,政府から評価され,その評価によって金を,財布を握られる,というのでは政府の批判もできるわけがないのでありまして,そういうことがユネスコの宣言にも反しているということが言えると思うんです.

9 学長独裁制の確立
 それからもうひとつ言い忘れましたね,独立行政法人制度でもうひとつ問題なのは,学長の権限が,極端に強くなるんですね.私立学校と比べてみると,私立学校というのは学校法人と学校・大学というのがあるわけですけども,学校法人の理事長と,それから大学の学長というのは別人なんです.しかし国立大学法人の場合はそれが同一人であるというように,わざわざ法律で決めてしまう.また,学長任命の役員がやたらと多い.で,その学長が任命する役員が,また学長選考会議を構成する.そういう異常な,つまり自分が任命した者が自分をまた選ぶ.自分が再任したいと思ったらですね,その自分が任命した役員を学長選考会議に入れればいいわけですね.それでまた自分を再選してもらうという,考えられないようなシステムになっているということです.そういうことは法案自体をちらちらと眺めてもらえば分かることなんです.まあ,だいたい30条くらいまで見ればだいたい分かるんです.

10 行法化されるとどうなるか
 それでは独法化されたらどうなるかということなんですけども,よく言われることは授業料値上げということが起こるだろう.つまり,独立という意味での,金銭的には独立させられるということがありますので,国立学校特別会計ではなくて,自前でやれというふうな傾向に行きますので,授業料が上がるということは考えられます.それから,中期目標の中に,教育研究の質の向上なんてことが書いてますので,質の向上に関することというのが文部大臣が命令できますので,授業の質・内容に影響する可能性がある.非常に分かりやすく言えば,ある傾向の分野,ある傾向の授業内容,そういうものを文部省が嫌うんですね.だから「そういう授業はやめなさい」と言われる可能性だってあるわけです.それから,質を向上させるために,教科書を文部省が検定しますなんてことを言い出すことも十分考えられる.あるいは学習指導要領を,大学について作るというようなことだって考えられるということです.学問の,授業の内容についての自由度というものが非常に危なくなってくる.多様な授業内容を学べなくなる可能性があるという心配が当然出てくると思います.

 そして,学生の自治活動自主活動に対してもやはり影響が出て来るんじゃないかと思います.例えば,寮.自治寮というのがあるわけですよね.学生寮で自治寮というのがあるわけですけど,東大の場合も駒場寮の問題というのがあったわけですけども,そういうふうに学生が自治的に管理している寮というのを文部省当局は嫌うわけです.それでそういうところを潰していこうという動きが出ているわけです.最近では,東北大学の有朋寮問題があります.これは非常に古い寮なんですけども,これが廃寮されようとしているわけです.私も何回か呼ばれてそこで喋ったことがあるんです.そこで,驚くべきことに,新一年生がその寮に入った,入寮停止と大学は決めているけれども,その入寮停止のルールを破ってその寮に入ったということだけで,今年になって無期停学処分を一年生が受けているわけです.そういう事態にもすでに行法化の影響が先行して現れています.無期停学なんてのは本当に驚きます.カンニング,東大の場合はよく知りませんけれども,佐賀大の場合はカンニングでも停学2週間なんですけどね.で,寮に住んだというだけで,出ていかないというだけで無期停学というような事態が起きています.そういう非常に権力的,強圧的な,非常に息苦しい大学になる可能性がとても強いのではないかと思います.

 小中高がこのような文部科学省の一元的な統制が非常に行き届いてしまっていますので,小中高の先生方がたいへん息苦しい思いをしているというふうに私は感じています.そんなによく付き合っているわけじゃないんですけれども,子供が小学校に入ったりあるいは中学校でPTAの役員をしたりとか,そういうことで先生たちと付き合ったり,あるいは高校の先生の研究集会,教育研究集会に呼ばれて,いろんな話を聞いたりするとですね,管理職の締め付けというものを感じて非常に息苦しい思いをしておられるような感じを受けるんです.そういう状況が大学にまで,今のところ自由が残っている大学にまでですね,そういう管理統制が行き渡ってしまう.ということはやはり何らかの形で学生のみなさんにもですね,ネガティブな影響が出て来るんじゃないかという心配を持っているわけです.

11 最近の著名人による反対論
 さて,そんな大変な問題なんですけども,これがどうして,反対勢力がなかなか,反対運動がなかなか盛り上がってこないかという問題があるわけです.最近ようやく,非常におそまきではありますけども,これ一番最後に書いてますけどね,少しずつ反対の論調も出てきています.例えば中央公論で,最新号6月号に櫻井よしこさんが,国立大学病院,これ大学病院改革ってのは国立大学のことなんですけども,大学病院改革は,とんでもないことだということで,文部官僚の恫喝による支配ということを非常に鋭く暴いた,まだ私読んでないんですけども,先行した週間新潮の方を読んだんですけども,多分その系列だと思うんですけども,そういうものが出たりしています.地方紙にもいくつか出ておりますし,それから保守系と思われる産経新聞ですね,そういうところでも,お茶の水大学の教授が,独法化は絶対駄目だという論調を,5月11日に出していたり.あるいはちょっと前にさかのぼりますが日経新聞でも,千葉大の,南塚氏,前の学部長でしょうか,この方の反対意見を出したりというふうに,少しずつではありますけども,出ては来ております.

12 なぜ大学は反対しないか--文部科学省防波堤論
 しかしなかなか,肝心の教授会もなかなかものを言わない.いくつか反対声明を出しているところはあるんですけども,せいぜいが慎重審議をお願いしますという情けない状況で,反対ということをはっきり言っているところはほとんどないという残念な状況なんですね.3年前は反対とはっきり言っていたのにですね.いまはもうこの状況になると,もう反対ははっきり言わずにせいぜい慎重審議という残念な状況にあるんですけども,なぜそういうことが起こるのかということをいろいろ考えてみるわけですが,やっぱり一つは大学首脳部というのはどうしても文部科学省に取り込まれてしまうんでしょうね.どういうメカニズムかは分かりませんが,そこでどういう心理的メカニズムが起こるかを想像してみましょう.学部長,まあいろんな意味で予算に縛られています,予算を文部省が握っているということになってますので.で,そこで文部省に楯突くと予算を絞られて,例えば新しい学部を作ったりとか,学科を作ったりというのが認められないだろうというようなことを想像してしまう.学部長の側が.それでいろいろ「自粛」をする,そして,教授会の側はと言えばですね,そういう難しい立場にある学部長をあまり責めるのも悪かろうということであんまり問題にしないということで,文部省の不透明な行政指導が結局通ってしまう,というようなことがあるんだろうと思うわけです.

 それから,いまでもやっぱり強いのは,文部省防波堤論とか,文部科学省は味方であるとかですね,本当の敵は財務省であるとかあるいは財界であるとか,そういう言い方をする人が今でもいます.広島大の牟田泰三学長なんかははっきりそういう言い方をしております.もちろん味方になってくれるところは 味方 にすればいいんですけどね.本質的に 味方であるなんていう捉え方はおめでたいと言わざるを得ないですね.それから,教授会のあり方ですけども,教授会によって違うかも知れませんが,私の経験ずる限りでは,なかなか表決をしないということがある.多数決を取るのが民主的ではないかのような変な思い込みがあってですね,何かその,形だけ全会一致にしたいと.そうすると,反対意見がどうしても言いにくいというような風潮ができますね.それであまり議論が活発にならないというようなこともあります.いろんな原因があるかと思うんですけども,その中で,ひとつ,最初の文献からの引用のところにも入れてありますが,学者の習性というのもあるかも知れません.葉隠という古い文献があるわけですけども,これ名前は聞いたことあるでしょうね,葉隠.何で有名ですか? 葉隠にある有名なフレーズ・・・

――「武士道とは死ぬことと見つけたり」(会場より)

そうそう.武士道とは死ぬことと見つけたりというフレーズがあまりにも有名で,あのフレーズは第二次大戦で軍国主義に大いに利用されたわけですけども,もちろんだからこの著者が悪いというわけではない.山本常朝が口述したものを佐賀藩の藩士が記憶してそれを本にまとめて,しかしそれはアングラ本で,佐賀藩に認められたものではない,アングラ本として藩士の間で読まれていた,そういう文献です.で,武士道とは死ぬことと見つけたりというのもあれは〜それが軍国主義に大いに利用された責任まで著者に負わせるのは酷だと思いますが,まあ,それだけいろいろと面白いフレーズがあります.そのなかに「勘定者がすくたるるものなり,〜」とまあ現代語とあまり変わりませんので,とにかく勘定高い者というのはどうしてもひきょうになるものだというようなこと.そのあと後半の方にですね,「又学問者は,才智・弁口にて本体の臆病・欲心などを仕隠すもの也.人の見誤る所也」とあります.学者というものはとかく,口でですね,あるいは自分の知識とか機転でですね,自分の臆病さとか私欲とかをうまくごまかす,人はそれを見抜けない,見誤ってしまうというようなことが300年ぐらい前の文献にあるのです.そういう学者の習性,つまりこういう習性があるかもしれない.

13 学者の陥りやすい傾向
 あるいは学者というのは,なんというかそのサイエンスというのはものごとを観察し,説明するというのが信条ですね.だからそれに,ものごとに介入するというようなことはあまり考えない,そういう習性もある.それは,レジュメの最後の「科学性のはき違いを加藤周一氏が指摘」と書いてありますけども,これは「わたしにとっての21世紀」というとことのなかに非常に面白いことが書いてあります.加藤周一氏というのは有名なのでみなさんご存知だと思いますが,彼がアメリカにいた頃ですね,当時アメリカのベトナム戦争に対する反戦運動が起こっていたわけです.集会で学生がいろんな反戦演説をする,そこに政治学の教授が出てきてですね,この戦争にはある原因があり,あるプロセスがあり,起こるべきして起こっているのであるから,そのメカニズムについて一冊の本ぐらい読んでから,それくらい勉強してからものを言わないと意味がない.このようなことをアメリカの政治学の教授が言ったそうです.それに対して加藤周一氏が,「それはあなたも道楽かもしれないけども,現に子供たちが,あるいは女性が殺されているという現実があるわけだから,とにかく戦争が悪いということ,そこから出発するのが当然である」ということを言ったそうです.つまり「科学的に」ということになると,現状を過去から説明するということになるわけですね.必然性,今の現状は過去のいろんな原因の結果として必然的に起こってきたものだと,そしてその必然性の解明がサイエンスだと考えてしまうと,それはもうなるべくしてそうなったのだからどう対応してもしょうがないという,そういう非常に保守的なイデオロギー,考え方になってしまうのですね.そういうのに陥りやすいということを加藤周一氏は指摘しているわけです.それはやっぱり一種の科学性のはき違いであろうと私は考えているのですけども,そういう傾向もやはりあるのではないかと思うのですね.

 私は自然科学をやっている立場からいうと,それはあまりにも機械的決定論,物理で言うと古典力学,つまり初期条件が与えられ,力が与えられるとその軌道が完全に決まってしまうという,非常に古典的な機械的決定論の世界に落ち込んでしまっているのように見えます.われわれはもっと自然科学の新しいことを知っているわけですね.非線形性,それからカオス,そういう知識を我々持ってますのでね.人間社会ほどカオスなものはないとおもうのです.あるいは人間社会ほど,非決定性,あるいは非線形性というのが起きる場はないと思うのですけど,そういうもっと広い意味で科学をとらえるという必要があるのではないかと思います.

 それから新しい物理学ですと常識ですが,対象に働きかけることなしには観測は出来ないわけですよね,理系の人がいたら分かると思いますけど,量子力学の観測の理論というのは,対象に働きかけて対象を変えてしまわないと観測できないんですね.そういうミクロな対象に対してはそういう原則が適用されるわけで,そうすると我々自身は社会を構成している一要素ですからね.ですからそれが何らかの作用をしなくてはならないということは当然のことではあるんです.そういうことが大事ではないかということを考えております.

14 水戸黄門イデオロギー,忠臣蔵イデオロギー
 それからもうひとつ,まあ非常に広く広範に悪い影響を及ぼしているというのが私はどうしても言いたいのが,水戸黄門イデオロギーということを前から言っています.どういうことかといいますと,水戸黄門ドラマを全然見たことがないという人はいますか? ほとんどの人は一回くらい見てますよね,で,あれは一生懸命見ようとはとても誰も思いませんけども,しかし罪のない勧善懲悪ドラマくらいにはみなさん思っているかもしれないですね.ところが私は決してそうは思わないんですよ.見たことがない人にはちょっと説明しなければいけないんですけど,あれは要するに悪代官とかいろんなものが弱いものいじめをするのですけども,そのときに最後の段階で,助さん格さんが一生懸命がんばってそれでもどうしようもない,そのときに水戸黄門が現れて,悪人の前で印籠を示す.そうするとどれだけ大勢いたとしても全ての悪人がいっせいにひれ伏すわけですね.そして「この方をなんと心得る」と印籠を出すとみんながひれ伏すというパターンで終わるわけです.で,あのシーンにこめられている暗黙のメッセージ,サブリミナルなメッセージというのは何なのかということを考えてみると,結局「権力というのは究極的には善である」というメッセージではないでしょうか.つまり水戸光圀公というのは権力の別名というか,つまり徳川権力の中にあるわけですね.そして,中間管理職的に悪代官とか悪いやつがいるかもしれない,しかし最終的には,中央権力につながっている人が救ってくれるというメッセージが送り込まれている,つまり権力は究極的には善である,中央権力は究極的には善であるというメッセージが入っているのではないかと思うんです.それは暗示ですから逆にものすごく強いんじゃないかと思います.で,それが今の中高年の人たちのイデオロギーに相当影響しているんじゃないかという気がしてしょうがないんですね.で,これをわたしは「中高年へのテレビの悪影響」といっているんです.そういうことをあちこちでいっているんですけども,それで信者が全国で今20人くらいにはなったかとは思います.

 それとあわせて忠臣蔵イデオロギー.忠臣蔵もほとんどの人が見たことがあると思うんですけども,これまた「お家大事」ということが中心ですね.すべての価値基準はその集団,小さな集団の利益が最優先である,現代に翻訳すると会社の利益が最優先である,倫理的な規範というのは二の次であるということですね.それから連想するのは儒教.儒教のなかにあの直躬説話というのがありますが,これはみなさん知っていますか.これはどういうものかといいますと,自分の親が羊を盗んだ,それを息子が当局に密告したと.それをこういう風に親の不正でも見逃さないようにやっていますよと孔子にいったら,孔子が「それはとんでもないことだ,親の間違いは隠さなくてはならない」といったというのがあるんです.まあ,それは確かに家族の間ではそうかもしれませんけども,これが拡大解釈されてですね,身内のものは,悪はかばうという風にどこかで変わっているのではないかという気がします.私は儒教に相当敵意を持っているわけですけども,いろんなそういう文化的な装置が非常に大きな影響を及ぼしている.

 つまり,なぜそういうことを思うかというとですね,教授会でなぜそんなにものが言えないかという理由を考えるのです.大学の教員というのはものすごく自由なんですよ.会社に勤めてる場合は,いろんな大変なことがあるんでしょうけれども,大学,少なくとも国立大学の教員というのは,何を言っても首になることはないしですね,自由にものが言えるわけです.ところがそれを自粛するわけです,皆ね.なぜか自粛するわけですね.それはどうしても,そういう文化的なものに原因を求めざるを得ないですね.ですからぜひとも,そういうものを打ち破るような面白い,面白くないと誰も見ないわけですから,そういう新しいドラマを作って欲しい.ぜひとも水戸黄門が切り殺されるところも一回ぐらい見てみたいもんだと思うんですけれども(笑),そういう文化・芸術をですね,ぜひ皆さん開発して頂きたいと思うんです.

15 教育基本法の8条違反の影響
 それで,だいぶ長くなりましたが,そういういろんなことがあって,なかなか反対運動が盛り上がらないということがあると思うんですけれども,それとやっぱりもう一つ指摘したいのは,やはり教育基本法の問題に戻らざるを得ない.教育基本法の第8条.「教育基本法を見直す」ということを言っていますけれども,教育基本法をちゃんと実施もしないでですね,「見直す」なんてことはもってのほかでありまして,まずこれを実施すること.これを実施したら,相当民主的な社会になるであろう.それから第8条ですね,これがまた無視されている.わざわざ「政治教育は大事だ」と書いてあるんですね.わざわざ法律の条文に一項を設けて,「政治教育は大事だ」と書いてあるんですね.皆さん,どうですか.高校までの教育で,政治教育は大事にされたと思います?確かに「倫理・社会」はあったでしょう.「公民」もあったでしょう.その中で,本当に今の政府の政策について関心を持つような,そういう教育がされたと思います?どうですか?(会場の声)「思いません」.どうですか?十分それでいろんな政治的な関心,政治的な関心が高まるような教育がされたと思います?

 私の子どもたちの話を聞いてもですね,とてもそうは思えませんね.非常に抑圧されている.つまり,政治的な話をすると,政治的なことを話題にすると,偏向教師であると言われるのではないかという恐れを抱いていたりですね.これは高校の先生たちの平和教育の分科会に参加したときなんですけれども,やっぱり平和教育をやろうとすると管理職に止められるんですね.そういう非常に抑圧を受けてると.自由に政治教育が,先生たちができないようにされているということが,現在の状況につながっているんじゃないでしょうか.つまり,これだけ大事な問題が国会で決まるかもしれないという事態で,やはりなかなか学生が関心持ってくれないんですね.それから,有事法はもっともっと大変ですよね.戦争ができるようにしようという.だから今日の集会がこのぐらいの規模というのはおそらく,たくさんの人が有事法反対集会を1,000人位でやってるんですか,国会で(笑).そういうことでもどうもなさそうでですね,こういう政治教育の問題が非常におろそかにされていることの結果が,つまり文部省の初中高等教育の「成果」がいま現れている,残念ながら.そう思わざるを得ない.

 それを大学にまで及ぼそうということですね,早い話が.だから,大学でも政治教育が押さえつけられるかもしれない.ますます窒息させられていく.政治的無関心というのが,若者の政治的な無関心というのがよく言われるんですけれども,これは世界的な傾向かというと,決してそんなことはないですね.例えばフランスでは,イラク戦争に対して反対して,何万人もの高校生がデモをするということが起こっていますので,決して世界的な傾向とは言えない.やっぱりこれは,かなり日本に特殊な傾向だと思うんですね.若い人たちが,政治に興味を持たない.私も卒研生と,時々食堂でイラク戦争の問題なんかを話したりして,「関心あるのか」と言ったら,「政治に興味がない」と言うんですね.やっぱりそういう傾向が,それは昔からあったんでしょうけれども,それが改善されないどころか,ますますひどくなっている.やっぱり教育基本法が無視されているからでしょう.改正するなどと言うことではなく,もっとちゃんと「実行する」ということがものすごく大事なんじゃないかという気がします.

16 どう「改革」すべきなのか--グローバルスタンダード
 それから,だいぶ時間がなくなってきましたので,それじゃあどういうふうにすればいいのかという問題についてです.そのままでいいのかと,対案はどうするんだということが,よく言われるわけですが,やはり私は,本当の意味で大学を独立させるということが大事で,そのためには,決して制度が問題ではないんだと思うんですね.制度改革ということがよく言われるわけですけれども,これは本当に,一番最初に書いてますように,これは本当にいわゆる「公共事業」ですよ.(配布レジュメの)一番最初の1ページの左側の真ん中よりちょっと下.「ムダ『公共事業』の弊害が言われるが」と,いろんな引用の後に,冒頭に書いてますけれども.要するに,お役所は書類がたくさん作られないと仕事したことにならない.書類がたくさんできるのは,制度改革ですね.「新しい学校を作りました」「学部を再編成しました」,そしたらたくさん書類ができるんで,これは仕事をしたということになるわけです.それにずっとつき合わされているのが,今の大学です.国立大学です.教養部解体もそうです.そういうことで,とにかく組織をいじる,組織をいじるということで,われわれは本当に消耗なことばかりさせられてきているというのが実態です.そういうことに問題があるんじゃないんですね.そうじゃなくて,運用の仕方ですよ.ソフトですよ,問題なのは.メンタリティーですよ.それを変えることが重要であります.

 やっぱりそのヒントとして,やっぱりグローバルスタンダードといいますか,ユネスコの宣言というのがある.これは,日本政府も,文部省の役人も行ってですね,旅費使って,賛成して帰ってきているわけですからね.これを翻訳して出版しろと言うわけですが,翻訳さえ公表しない.それなら旅費を返してもらわねばいけないと思うんです.1998年『ユネスコ教育世界宣言』.これは,学生の教育について述べたところなんですけどね,学生の教育はどうあるべきかというところです.私が注目すべきだ,もっともだ,ということはたくさんありますよ.その中で,ちょっと日本であまり言われないことということで,ピックアップしたものなんですけれども,「学生を批判的に思考し,社会の問題を分析してその解決策を求め,それを実践して社会的責任を受け入れることができる見聞の広い,深く動機付けられた市民となるように教育すべきである」.非常に重要なことは,この「実践して」ということですね.つまり,自分でやってみろと.社会運動でも何でもいい,ボランティアでも何でもいいんです.それで,これと全く同じ時期に出された文章があります.それは文部省の大学審議会答申なんですけれども,この答申には,確かに「問題発見能力」はあるんですけれども,それは「考える」までですね.「実践しろ」なんて全然書いてない.「批判」という言葉は全く出てこない.「批判的」という言葉は全く出てこない.

 そして,大学運営に関しても同様ですね.職員と学生は本来当事者であるということですね.ユネスコ宣言は「国および教育機関の意思決定者は,学生および彼らのニーズをその関心の中心に置き,彼らを高等教育の革新における主たるパートナー,そして責任のある当事者とみなさなければならない」と言っています.学生の関与ということをはっきり言っているわけですね.「学生は組織化し,代表者を立てる権利を有するので,これらの問題への学生の関与は保証しなければならない」と.つまり,学生参加ということをとはっきり謳っているわけですね.これも全く,そういうことは,文部省が出す答申には一切出てきません.確かに,授業評価,学生による授業評価というのはあるかもしれませんが,あくまでもそれはお客さんとしか受け取っていないのであって,当事者とはみなしてない.パートナーとしてみなしいるかどうか疑わしい.

 大学にはたくさん委員会があります.膨大な数の委員会がありますが,東大の場合に,学生代表が入る委員会はいくつかありますでしょうか?あまり聞いたことないですか?やっぱり.残念ながら,佐賀大学にもそれはありませんで,学生の参加ということは制度的に保障されていない.そんなことは別に法律を変える必要は全くない.制度を変える必要は全くない.ただ学内でそういう合意をすれば良いんであって,それで学生の意見が反映されるようになれば,色々なことも,もっと,授業も良くなるかもしれないし,色々可能性はあるでしょう.

 ところが,外国というか,欧米というか,そういうところではある程度そういうことが進んでいるわけですね.つまり日本でも,欧米でも,われわれがちょうど学生の頃は,いわゆる大学紛争世代というのが我々なのですが,70年前後ですね.あの頃,世界中に,これはもう世界共通に大学闘争の嵐が吹き荒れたのですが,その中でアメリカの大学とかヨーロッパは,それなりに権利を実体化しているんですね.学生が参加する権利を実体化している.ところが,日本は大騒ぎが起こっただけで,安田講堂事件が起こっただけで,何も全く形が残っていないんですね.そういうわけですから,それを今,その当時学生だった人にその頃を少し思い出してもらって,あのときのあなたたちの闘争は一体何だったのですか,ということを思い出してもらえれば,少しは理解してもらえるかもしれないと思います.こういうことはつまり,中身をかえるということが大事であって,何もその制度をいじるということは全く時間の無駄にすぎないと私は思います.

17 文部科学省のイデオロギー,テクスト解析から
 そろそろ時間も近づきましたので,色々なことをいいましたが,それでまあ文部省の傾向を見る上でですね,一つ指摘をしておきたきたいと思って,一つ注目すべき統計をごらんに入れたいと思います.文部省のイデオロギーがどのようなものかということで,この高等教育世界宣言と,大学審答申という文書についてのある比較です.先ほど言いましたように,これらはどちらも同じ年の同じ月,1998年の10月に出た文章です.それで,こちらの文部省の答申の方は膨大な長さです.「個性輝く大学」という立派なタイトルがついています.そして,こちらはユネスコの宣言です.同じ年に出た.

 それでこれに出てきたキーワードを,私が注目したキーワードを数えてみたんですね.そうすると,「民主」「権利」「人権」「学問の自由」「平和」「連帯」,一切こちらの文部省の答申には出てこないんですね.出てくるのは,「競争」.それで,長さは,答申は,宣言のなんと7倍もあるんです.いかに文部省のイデオロギーが偏っているかということ.それこそ,私はどうしてもこれは儒教イデオロギーの影響としか考えられない.儒教には,権利というものも人権というものもありませんね.もちろん民主というものもありません.これはもう,それ以外にどうも想像できないんですね.儒教イデオロギーでしかものを考えていないと.つまり二千年前のイデオロギーでしか考えていないんじゃないかと.文部科学省の人は.そういうことをどうも考えざるをえないですね.しかもそこに就職する人はかなり東大から行っているんじゃないでしょうか.

 それから,大学のあり方としても,こういうことを言っています.大学は「社会が必要とするある種の学術的権威を行使することによって,倫理的,文化的および社会的問題について完全に独立に,そしてその責任を十分に自覚して発言する機会を与えられ」るべきであると,いうこと.つまり,社会的な発言が大事だと言っている.独立した機関としてですね,社会の独立したセクターとして,社会の問題について独立した発言をしなさい,と.

 非常に分かりやすいことで言えば,例えば,薬害エイズ事件がありましたが,あのときに,医学会が,あるいは大学の医学部が,どこかの小さな医学部でも良いですが,こういう危険があるよということをですね,はっきり言っていたとしたら,どれだけ被害が減ったか,ということが考えられますね.あるいは,私の近くの有明海の諫早湾干拓の問題にしても,ああいうせき止めをやったら,有明海がとんでもないことになるということを,土木学会か何か,あるいはそういうことを知っている,詳しい人たちが,はっきりと,あるいは大学の学部が,何か言ったとすれば,ああいう極端なことは防げたかもしれない.そういう役割が非常に大きいんじゃないかというふうに思うんですね.

 もちろん,学問をすすめ,研究・教育をやり,ということがもちろん第一義的なんですけれども,こういう社会的な役割というものが,それこそ社会貢献ですね.本当の社会貢献というのはこういうことではないかというふうに私は思うのですが,こういうことが独立行政法人ではますますできなくなるということではないかと思います.

18 何よりも「ガッツ」が大事
 言いたいことはそれくらいなのですが,最後に,何よりも私が言いたいのは,とにかく決定論的な物事の考え方をすべきでなくて,やっぱり,何といいますか,非線形性を信じるべきであると.そのためには,やっぱり自分に暗示をかけることが大事だと.そういうことを言うと,すぐ非科学的とか,そういう風な反応が最近は多いかもしれないですが,そういうことはやっぱり非線形性ということを信じると可能性が開ける.自分が「できる」と思わないとできないわけで,それはスポーツの試合も一緒で,勝つと思わないと勝てないわけですからね.そういう意味で「ガッツ」が大事だと思うのですが,非常にガッツのある女性の紹介を最後にしたいと思います.

 これは分野が違うんですが,反核運動,核兵器廃絶運動に関することです.1999年ですけれども,イギリスの3人の女性.ここに3人の女性が小さなゴムボートである施設に近づいています.これは,民間による核査察.大量破壊兵器核査察ということでですね,彼女らが実施をしているわけです.

(→支援運動サイト

 つまり,これは,原子力潜水艦,核ミサイル潜水艦の研究施設です.ここで,その原子力潜水艦のソナーの性能とか,音響特性を調べるという実験をやるんです.つまり,核ミサイル潜水艦ですから,この実験室自体も核兵器の一部である,大量破壊兵器の一部であると.その疑いがあるということで,民間人がこれを査察するということで,ここに乗り込んだ.案の定,そこの中には核兵器関連のコンピューター,実験施設があって,まあ最初から分かっていたわけですけれども,そういうことで,直ちにそれを廃棄すべしということで,その中のコンピューターを全部海に投げ込んだ.そのビデオの一部です.ここに,今まさに,投げ込む,白いものが今,投げ込まれて,これちょっと見えにくいかな.ドボンと水しぶきがあがっている.

 それで,3時間近くをかけて,よく警察も気がつかなかったものだと思いますが,夕方の7時から初めて9時頃終わったのです.これはイギリスのスコットランド,グラスゴーの近くです.時間が余ったので横断幕を掲げて夕日を,このへんに三人が並んで夕日を眺めていますけども,こういうことをやった.やったのが1999年6月.で,たまたま私はこの中の一人と当時,直前にメールのやり取りをしていまして,最後のメールが,「ちょっとしばらくメールのやりとりができないよ」というメールだったんですけれども,それが実はこういうことだということでびっくりしたのです.何とこれが半年後に,6月の事件で10月21日に判決がでました.無罪ということで,つまり,大量破壊兵器を処分するのは当然だよということで無罪ということになったわけです.

 無罪になっただけではなくて,翌2001年にRight Livelihood賞を受ける.正しい生計,Livelihoodというのは生計,生計を立てるの生計.正しい仕事で生計を立てる,それに貢献した人に送られる賞です.第二のノーベル賞といわれ,ノーベル賞を出すスウェーデンの国会議事堂で授賞式があり,ノーベル賞の前日か翌日かにあるのですが,そのアワードを2001年に受けました.そういうガッツのある女性たちもいます.

 これは非常に過激に見えますが,彼女らはあくまでも非暴力ということで,物はですね,大量破壊兵器は廃棄しますが,決して人に対しては暴力は絶対に振るわないというような信条でやっています.しかもオープンにということで,忍び込むのは秘密に忍び込まないとできませんけども,やったあとは直ちに,大量破壊兵器を廃棄しましたという届けを警察にするわけですね.ですから当然逮捕されるわけですけれども,そういう活動をやって,今も続けています.

 他にも,色々な活動をやっています.普通は基地封鎖とかですが,時にはこのような事もやる.ですから10年ぐらいの投獄は覚悟した,女性たち,女性も男性も含む,集団なんです.事件の直前にメールのやり取りをしていたということもあって,この運動を支援する羽目になってですね,2000年に彼女を,リーダー格の一人を呼んで,日本で北海道から沖縄まで講演してもらったこともあります.こういうガッツのある女性にやっぱり見習いたいものだと,そういうふうに思います.ちょっと長くなりましたが,以上で大体話したいことは終わりました.どうもご静聴ありがとうございました.

(注1) 「独立行政法人反対首都圏ネットワーク」は国立大学関係者の団体として全国ネットより約一年前から活動している.