「もしわが国が侵略されたらどうするのか?」という問いかけについての確率論

豊島耕一 (佐賀大学)
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アクロバット形式文書はここ同,英語版


式がありますので等幅フォントを使って下さい.
同様の内容の文章が「日本の科学者」05年1月号に掲載されました.
掲載表題:『攻められる』と『攻める』ことの等確率性 -- 数学における平和教育?--

「もしわが国が侵略されたらどうするのか?」という 問いかけ そのものに含まれる問題

 軍縮問題や憲法9条を議論するときなどに必ず提出される質問が,「もしわが国が攻められたらどうするのか?」というものです.特に9条を擁護する人に対して,その姿勢の「欠陥」を指摘するのに使われます.しかし,どのような問いかけも,多かれ少なかれ「誘導尋問」の性格を持っていることに注意する必要があります.言い換えれば,質問自体にイデオロギーが込められているということです.
 この質問の誘導尋問性は,これと対をなすべき,これより2文字だけ少ない「もしわが国が攻めたらどうするのか?」という質問が発せられることがほとんどない,ということに表れています.
 ある軍隊がある時点で侵略の軍隊であるか防衛の軍隊であるかは,純数学的な確率としてはどちらも50%です.言い換えれば,ある朝目が覚めたとき自分の国がB国と戦争を始めていたとしましょう.そのとき自分の国が侵略しているのか,それとも侵略されているのかは,確率的には半々だということです.これは,自分がB国民であったかも知れないと考えれば納得できるでしょう.にも関わらずこの質問がほとんどなされないのは不思議というほかはありません.
 しかしはじめの「もしわが国が攻められたらどうするのか?」は無意味な質問ではありません.ですから答えなければならないのは事実です.「そのような可能性はほとんどない」というのも一つの答えでしょう.しかし相手は「でも万一の時は?」と追いつめるでしょう.これに対する非武装主義者の答えは「世の中には『どうにもならないこと』というものが存在する」というものではないでしょうか(補足参照).火山の噴火から町や村を守ることが出来ないのは誰でも分かります.それだけでなく,我が国はつい60年ほど前「わが国が攻めた」ことをどうにも出来なかったのです.
 侵略に対して絶対に安全が守れる方法など存在しません.仮に武力に武力でこたえたとき,つまり自衛戦争に訴えたときに,その手段を取らない時と比べて双方の犠牲がより小さくなる,などということは誰も保証できないのです.
 実はこれは当たり前の事なのですが,にもかかわらず「国家」には何でも出来るはずだという間違った思い込みがあるのではないでしょうか.そしてこれは社会に大きな危険をもたらしているのではないでしょうか.

数学における平和教育

 「攻められる」と「攻める」とが等確率であること

自分の国は1つ,しかし他国はたくさんあるので,侵略される確率の方が大きいような錯覚を持たないだろうか? しかしこの二つの事象が,数学的には同じ確率であることに注意する必要がある.

n +1の国があり,どの国も他の国を侵略する確率は等しいものとする.ある国がある一定期間に他の何れかの国を侵略する確率をp とする. p はまた,その期間に侵略を行う回数の期待値でもある. 同じ国が他の特定の一つの国を侵略する確率(また同時にその回数の期待値)はp/n である. なお,国々の間での侵略傾向には全く相関がない(例えば軍事同盟などは存在しない)ものとする.

逆に,ある一つの国が,他の何れかの国から侵略を受ける回数の期待値を求めよう.
k 個(k は1からn )の国から同時に侵略される確率 P(k)は

          p  k     p  n-k
 P(k) = ( - )  (1- - )
          n        n

であり,その場合の数は

        C 
       n k

である.
そこで,何れかの国から侵略される回数の期待値は次のようになる.

      n                  n          p  k    p  n-k
<f> = Σ k   C   P(k) =  Σ k  C  ( - ) (1- - )
      k=1   n  k         k=1   n k  n       n


      n   n-k                r  p  k  p  r
    = Σ  Σ k  C     C  (-1) ( - ) ( - )
      k=1 r=0   n k n-k r       n     n

      n   n-k         n!            r  p  k+r
    = Σ  Σ  ----------------- (-1) ( - )
      k=1 r=0  (k-1)!(n-k-r)!r!        n

kとrによる和をs(=k+r)とrによる和に置き換えると,

      n   s-1         n!            r  p  s
<f> = Σ  Σ  ----------------- (-1) ( - )
      s=1 r=0  (s-r-1)!(n-s)!r!        n

      n     n!     p  s  s-1      1          r  
    = Σ  ------ ( - )   Σ ----------- (-1) 
      s=1 (n-s)!   n     r=0 (s-r-1)!r!        

        n!     p  1
    = ------ ( - ) 
      (n-1)!   n   

       n     n!     p  s  s-1      1          r  
     + Σ  ------ ( - )   Σ ----------- (-1) 
       s=2 (n-s)!   n     r=0 (s-r-1)!r!        


2番目の項の最後のrによる和は,単に

           s-1
    (1 - 1)

の二項展開を(s-1)!で割ったものにすぎないのでゼロとなる.
したがって<f>は p に等しくなる.

数学の確率論の練習問題にはどうでしょうか? 二つの国を同時に侵略する可能性なども考えれば,もっと複雑な「練習問題」が作れる.

侵略は反対側から見れば侵略されることであり,すなわち戦争という一つのイベントに付けられた二つの名前であることを考えれば,このような計算するまでもなく明らかなことではある.


補足
”これに対する非武装主義者の答えは「世の中には『どうにもならないこと』というものが存在する」というものではないでしょうか”と書きましたが,これへの補足です.

 しかし最終的に武力による阻止が必要になることもあるのは事実で,その点は日本は「世界政府」主義者になったということでしょう.つまりそのようなケースでは国連の介入を要請するということです.
 ではなぜPKOなどで他と同じ責任を果たさないのか,ということになりますが,それは,非武装国家の特権として認められるべきだ,という論理です.(自衛隊を廃止するという公約と一体でなければなりません.)小田実氏がいうように,「国家としての良心的兵役拒否」です.
 この論理に矛盾がないのは,どの国家にも平等にこの特権を得る道が開かれている,という事です.そのようにして非武装国家が増えればあるいは常設国連軍が必要になるかも知れませんが,その兵力は大変小さくてすむはずです.
 また,国家の非武装と,日本の市民が個人として国連軍に参加することとは全く別問題です.