「裁かれざるナチス 一 ニュルンベルク裁判とその後」
訳者 宮野悦義,稲野強.出版社 大月書店.1981年4月20日第1刷発行
Peter Przybylski, Zwischen Galgen und Amnestie
(C) Dietz Verlag Berlin 1979
まえがき
一九四六年一〇月一日、今世紀のもっとも重要な刑事裁判がその幕を閉じた。戦禍のニュルンベルクで開かれた国際軍事法廷(IMT)は、ドイツの主要戦争犯罪者−−残忍な強制収容所長、諸民族の工業的抹殺計画の演出者、世界征覇の夢潰えた野望家たち−−に判決を下した。
ニュルンベルクの被告席についたのは並の犯罪者ではない。へルマン・ゲーリング、ルードルフ・ヘス、ヨアヒム・フォン・リッペントロープ、その他一九名の容疑者たちは、ドイツ独占資本のもっとも野蛮な支配体制を代表する人物であった。彼らの犯罪帳はほぽヨーロッパ全域にわたる五〇〇〇万の死者によってうずめられている。
だがニュルンベルク裁判は今日ではもう歴史的な興味の対象でしかないのだろうか。むしろ反対に、帝国主義世界で見られる諸事件を契機として、この裁判の諸原則はますます今日的な問題として受けとめる必要に迫られているのではないだろうか。ニュルンベルクの判決に照らしてみるとき、資本主義諸国の代表者たちは、かつてニュルンベルクの判事席にあった国をも含めて、早くもすでにその無節操ぶりをさらけ出してはいないだろうか。アメリカ合衆国首席検事ロバート・H・ジャクソンはニュルンベルク法廷で次のように警告した。「きょう被告たちを裁くその同じ尺度で、月日は歴史がわれわれを裁くかもしれないことを、けっして忘れてはならない。被告たちに毒杯を突きつけることは、われわれ自身の唇に毒杯をあてがうことを意味しているのである」。
だがこの自戒の警鐘は聞き流される。たとえぱ一九五六年一〇月のエジプトにたいする帝国主義列強の侵略、アメリカ合衆国の犯罪的なベトナム戦争、イスラエル侵略者のアラブ領土占領、ナンビアとアンゴラにたいする南アフリカ共和国の侵略に−−南アフリカ共和国の犯罪的な人種差別、チリにおけるファシスト軍事評議会の暴政はさておいても−−それは明白である。
これは偶然ではない。きわめて反動的で緊張緩和を敵視する大資本の一派にとって、ニュルンベルクは一場の悪夢でしかなかったし、今もなおそうである。大資本の代弁者たちはニュルンベルク裁判の意義を歪曲し、あれは奇妙な歴史の気まぐれである、いなそれどころか国際法の退歩であったとさえ主張しかねない。ドイツ連邦共和国をはしめとする資本の牙城では、法律家や政治家たちが今日まであらゆる手段を用いてファシスト戦争犯罪者、人道にたいする犯罪者に特権を与え、名誉を回復し、恩赦をほどこし、賛美しようとさえしている。現在のドイツ連邦共和国ではナチの後継と目されるネオ・ファシストのドイツ国家民主党(NPD)さえも合法であり、遵法の党と認められているほどである。
平和を愛する人類にとってニュルンベルクの諸原則は、侵略戦争こそがすべての犯罪のうちでもっとも重大な犯罪であるとする新しい、民主的な国際法への発展の一里塚であった。国際軍事裁判所の規約およびその判決を支える諸原則は、恒久的な、国連において幾度となく確認された国際法である。それはまた民族の自決権やその他の人権、さらには現在および未来の社会進歩を、侵略や戦争犯罪、人道にたいする犯罪によって抑圧しようとするすべての勢力に対抗する、変わることのない諸国民の武器なのである。
ニュルンベルクの判決を擁護し、その諸原則を守りぬくたたかいは、平和共存政策を追求する努力の一環である。このたたかいはもっとも基本的な人間の権利を守るたたかいと不可分のものである。いうまでもなくファシストの血の支配に抗してたたかった反ヒトラー連合諸国の数百万におよぶ犠牲者にたいする敬意からも、われわれはニュルンベルクの精神を忘れてはならない。