市民社会と地球人の責任−−武器貿易と東チモール−−

アンジー・ゼルター 97年10月31日

訳 真鍋毅(元佐賀大学教授)
ver. 0.96
(ケン・ブース編『安全保障・共同体・解放』のためのエッセイ)

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目次

背景:グループ「犂」の行動
情況:イギリスの対インドネシア武器販売
行動
公判と反論(抗弁)
地球市民権
参考文献


 「無罪、完全無罪!」 1996年7月30日、リヴァプール刑事裁判所の法廷に居た人は、ほとんどが泣いていました。グループ「犂」に属する4人の女性が遂に無罪釈放されたときです。彼女たちは、インドネシアに引き渡されることになっていた地上攻撃機ホークを破壊したことで拘禁10年に処せられるところだったのです。「犂」の女性の主な支持者の一人、リカルダは、この時の気持ちを次のように適切に述べています。「無罪−−私たちは、この公判の間ずっと、私たちの友人がジェノサイドを阻止するために行動したことで拘置されていた6カ月間ずっと、このことを心に刻み付けていました。正義と東チモールにとって、何と素晴らしい日であったことか!私が法廷を……飛び出してゆくと…通りという通りは喜びに、笑いに、そして涙に弾けていました。祝いながら、私たちは東チモールを含む世界中の人々が一緒に祝っていると感じていました。この行動は実際に生命と正義の為の非武器化を為し遂げたのです。誰もが互いに抱き合い、私たちはみんな、この歴史に残る瞬間の、回り続ける輪の、新たに生まれた希望の一部と感じていました」。
 私は、この「犂」(すき,ploughshares)に属する4人の女性のうちの一人でした。私は、わが政府がすべきなのにしなかったこと−−ジェノサイドの独裁者スハルトヘの武器提供を阻止すること−−世界の人権記録のうち最悪のものの一つをもたらしているインドネシア政府に少なくとも一機のホーク戦闘機が引き渡されるのを阻止することに、他の3人の女性とともに加わろうと決意したのでした。
 私たちの行動、公判、私たちの反論*について述べる前に、背景と情況にいくらか触れておきましょう。  (*「反論」は法律的には「抗弁」)

背景:グループ「犂」の行動
 ブリティッシュ航空宇宙は、24機のホーク地上攻撃機をインドネシアに供給する取引にサインしていました。既にインドネシアは1978年に売られたホークを数機持っていて、これらのホークが東チモールの村落を攻撃するのに使われていることを、目撃証言が伝えていました。そこで、二回目のホークの取引が1993年6月に最終的にサインされる前にも、イギリスで何千人もの人々がこの取引を止めさせようと働きかけていました。この売却に反対して、人権、平和及び反武器貿易のグループの大きな同盟が形成され、手紙を送ったり、陳情したり請願したり、徹夜で祈ったり、平和キャンプやデモを呼び掛けるビラを撒いたり等々、多くの抗議行動をしましたが、それには、政府の建物とブリティッシュ航空宇宙の敷地におけるダイ・イン、封鎖、立ち入りなどの多くの市民の不服従行動も含まれていました。私たちのうちの何人かは、ホークの最初の数機がインドネシアに引き渡されることになる前にこれらの活動のどれもが実らなければ、その時には、考え得る限りの平和的な非武器化によって、個人的にホークが移動するのを阻止しようと決めました。私たちは小グループを作り、一年以上かけて、他の全てがうまく行かなかった場合の最後の手段として私たちの「犂」行動(ploughshares actionを計画したのです。
 「犂」運動の起源は北アメリカの信仰に基づく平和運動にありますが、それは1970年代のベトナム戦争反対の中で生まれました。最初の「犂」行動は、1980年に「8人の犂」によって実行されましたが、彼らはマーク12Aという核弾頭の先端部を作っていたアメリカ合衆国ペンシルヴアニアのジェネラル・エレクトリック工場に入ったのです。「剣を犂に鋳直せ」という聖書の預言(旧約イザヤ書2:4、同ミカ書4:3)を実行して、彼らは2つの先端部をハンマーで打ち延ばし、書類の上に血を注ぎました。彼らは普通の家庭用ハンマーを使って、武器を武器でないものにすることそのままの行為を実行したのです。1997年8月以降、オーストラリア、ドイツ、オランダ、スエーデン、イギリス、アメリカ合衆国で140人以上の人々が60以上の「犂」行動に加わりました。このハンマー使いの最小のグループは1人から成る「命のための調和的非武器化」で(支持者も1人だけいました)、最大のグループは9人、「トライデントナイン」と呼ばれていました。
 非武器化された兵器システムには多種多様のものがありますが、その中には、MX、ミニットマン、B52爆撃機、P3オライオン対潜機、NAVSTARのようなアメリカ合衆国の第一撃核兵器システムの部品が含まれています。ヘリコプター、F111及びF15E戦闘爆撃機、ホークのような軍事介入に使われる軍用機が、対空ミサイル発射台、バズーカ擲弾筒、AK5自動ライフルなどと同様に非武器化されました。「犂」行動は常に平和的で分かり易い行動であり、非暴力的で市民的な不服従の伝統の一部です。もともとはキリスト教に根ざしてはいるものの、今では普遍的になって、多くの異なる信仰や伝統から精神的な支持を得ています。私たちの行動は、このような世界中で普通の人々によって行なわれている「犂」行動の第56番目のものですが、私たちはこれを「希望の種子−東チモールの犂−女性による生命と正義の為の非武器化」と名付けました。これは最初の女性ばかりの「犂」であり、被告が全員無罪となった点で最初のものであり、兵器システムに与えた損害の点で最大のものでした。ブリティッシュ航空宇宙の損失は最初250万ポンドに及ぶとされましたが、後に法廷で反論によって150万ポンドに減額されました。

経緯:イギリスの対インドネシア武器販売
 経緯に移りましょう。インドネシアの軍隊は、1965年にスハルトが権力を握って以来ずっと、インドネシア国内で人権を抑圧、否定してきました。スハルトは、みずからの権力の座を固めるために、百万人と言われるほどの自国人民を殺害しました。インドネシアの軍部は、インドネシアの多くの地域で人民を抑圧し続け、悪名高い移住政策をよいことにその土地に居る人々を本島から移すことで地域先住民の土地と人権を無視しています。エイシーやカリマンタンで紛争が多発し、最近では大規模な暴動や殺人に激化しています。インドネシア軍隊は、1963年に当地の人々の願いに反して西パプアを併合し、全く抑圧的な軍事体制で後押ししながらそこの天然資源を開発し続けています。
 人権侵害は驚くべき規模になっています。アムネスティ・インタナショナルは、状況を次のように要約しました。「10万人もの市民が殺され、時にはバラバラにされた死体が公然と放置されて腐るままになっています。囚人たちは決まって拷問を受け、虐待され、どうかすると余りに厳しいために死んだり不治の傷害を負わされたりしています。数千の人々が、平和的な政治的・宗教的見解を持っているというだけで捕えられ、見せしめの裁判にかけられています。多くの囚人が銃殺執行隊に射殺されています」。
 インドネシアの軍隊は、1975年に東チモールに侵入して東チモールの自決権を侵し、国連安保理事会と国連総会の決議に反してずっと東チモールを不法に占拠し続けています。この不法占拠が他のあらゆる犯罪的行為の基礎になっています、つまり、資源搾取、土地侵奪、拷問、爆撃、射撃などが行なわれているのです。東チモールの人口の3分の1の人々が−−つまり3人毎に1人が殺されています。追放された東チモールの指導者でノーベル賞受賞者であるホセ・ラモス・ボルタは次のように述べています。「全ての村が消し去られました。全ての先住民種族が抹殺されました。これこそジェノサイドです」。
 しかも1978年以降、イギリスはインドネシアに対する武器、軍用機や艦船の主要な供給者になっています。イギリスはインドネシアと特殊な関係を持っていますが、それは、人権についての公約を形骸化するような貿易に基づいています。またイギリスは、警察ないし国内保安の装備を提供し、正規軍と予備軍の双方を訓練してもいますが、この中には拷問や人権侵害の第一線に立っている警察が含まれています。最初に売却されたホーク、これはミサイルを装備していますが、このうちの2機が1983年にほぼ6カ月間毎日のように使われ、東チモールの3地域で市民及びゲリラ戦闘員の数百人もの死をもたらしました。1994年の9月には、1機のホークが東チモールのある村を破壊しているところを目撃されています。1995年12月、オブザーバー紙のジャーナリストであるヒュー・オショーネシーが、ディリ上空を飛ぶホークを見ています。
 インドネシアは、どんな客観的基準から見ても、系統的で一貫した国際法違反者といえます。にもかかわらずイギリスは、インドネシアが人権に関心を持っており、国際法を尊重しているといいます。政府当局が私たちに告げるところでは、彼らは、イギリスのガイドライン、EUの基準、CSCE(ヨーロッパ安全保障協同委員会)の基準及び国連安保理事会の5常任理事国の基準に反する武器輸出を全てチェックしているとのことです。これらの基準は全て、受け入れ国の人権の記録、その国際法に対する尊重、国内状況、地域的平和の維持、武器取引における抑制の必要といったことを強調しています。
 兵器が依然としてインドネシアに送られるのであれば、全てこれらの基準はどんな役に立つのでしょうか?それらは全く時間、労力、紙の浪費であり、それらが実際には真っ赤な嘘であるという以上に、もっと悪質です。これらの武器管理協定は、そこに列挙された基準をみると、武器取引が管理されているような印象を与えますが、その一方で、イギリスは事実上あらゆる人間的配慮を無視して利益と戦略の為に武器を売っているのです。このような見方は、型に嵌まったシニシズムによるのではなく、政府当局、軍需産業ならび経済評論家の手紙や陳述、政策文書をよく読めば浮かび上がることです。
 ぴったりの例をいくつか挙げましょう。『ブリティッシュ航空宇宙会社運営方針』は次のように述べています。「当社はその事業活動に最高の倫理的標準を要求し、維持するであろう。当社は取引相手とする各国の伝統と文化を尊重するであろう。倫理的標準に反する履行は絶えず監視される必要がある」。
 当時、ブリティッシュ航空宇宙の代表幹部であったディック・エヴァンズは、私宛ての手紙に書いています。「輸出制限に関するお尋ねの件について。1994年にわれわれの防衛産業の82%が輸出市場に上がり、FS調査はブリティッシュ航空宇宙をイギリス最大の製品輸出者にランクしました。航空機と防衛生産物をめぐる世界市場の競争は極めて激烈であり、われわれには、没落する危険を顧みずにみずから輸出のチャンスを制限したり、もつぱらイギリスの国内市場に依拠したりするような余裕はありません」(1995.7.20付)。
 通産省文書室で発見した(ここは軍備についての輸出許可を取り上げる政府部局です)『インドネシアの国情』は次のように述べています。「その外交政策の目的達成を追求する上で、政府はなお、2つの争点に関する外圧に妨げられるであろう。即ち、インドネシアの旧ポルトガル植民地東チモール合併問題とその人権・勤労権の状況である…これらの圧力は、インドネシアのもっとも有力な貿易相手の多くが東チモールにおける国家の役割を暗黙のうちに承認していること、人権の改善を理由にインドネシアとの潜在的に有利な貿易関係を敢えて犠牲にしようとする外国政府はごく少数であることをもってすれば、何とか処理できるであろう」。
 イギリスの二枚舌は、抗議者に送られてきた手紙で実証されます。そこでは、われわれは自衛するし、他者が同様にする権利を否定すべきではないとされています。そうして国連憲章第51条が引用されています。これは一面的で歪められた見当違いです。というのはこの条項が認めているのは、武力攻撃に対応する力の行使だけであり、それは国際的戦争法規に従って、限られた釣り合いの取れた対応でなければならないからです。インドネシアは、攻撃を受けて自衛のため勇敢に戦っている国ではありません。インドネシア自身が侵略者であり、兵器を必要としているのは攻撃行動を実行するためであって、防衛行動ではありません。しかも、いかなる人民にも自決権があると規定する国連憲章第1条2号については、イギリス当局は一言も触れないのです。
 私たちの機関は数年の間、このように言葉遊びをもてあそんできました。権力の座にあるのが労働党政府であるか保守党政府であるかは問題でないように思われます。1978年、最初のホーク機売却についての抗議の手紙に答えて、6月19日に外務省のガラウィ・ロバーツ卿は言いました。「問題の航空機は練習機型であり、地上攻撃用の装備は売却に含まれていません。従って、それらが東チモールで、或いは民間人に対して使われることはあり得ませんので、ご安心くだされば幸いです」と。1996年8月8日、外務省のジェレミー・ハンレーは言っています。「ホーク機売却の場合、その装備がインドネシアないし東チモールで国内抑圧のために使われる蓋然性について徹底的な査定が行なわれました。われわれは、それらがそのように使われる見込みはないと結論しました」と。もちろん私たちのような抗議者も東チモールの人々も、これらの言葉に安心しなかったし、安心していません。このことが、彼らがみずから行動を起こしていることの−−直接彼ら自身の安全のために、また全体としての人間性の利益のために活動していることの理由です。
 拘禁状態から解放されて後、私たちのホーク非武器化行動の続きとして、抑圧政権に向けた武器輸出についての議会における政府声明を吟味するために、私はCAAT、TAPOL、そしてWDMとともに働きました。ブリティッシュ・アルヴィスの戦車が1996年4月に南スラウェシのウジュンパンダンで学生に対する暴行の中で使われ、プリティッシユ・グローヴアー・ウェブの放水砲が1996年6月に西ジャワのバンドンでの平和的抗議行動を解散させるために使われました。TAPOLはこれらの出来事の写真と証言を入手しています。これら1966年の事件が議会に司法審査を適用する基礎となりました。司法審査は、武器売却に関する決定が、イギリス自身を拘束していたいくつかの国際法規の実務に従って、受け入れ国の人権状況の慎重な考慮に基づいているという政府主張の有効性を吟味しなければなりませんでした。それは武器の輸出に対するまさに最初の法的挑戦であったのですが、吟味は不首尾に終り、人権の基準に拘束されているという政府の主張が無意味であることを示しました。このことは、侵略的、抑圧的国家を武装させるのを拒否するという自身の政策に忠実に従うように政府を拘束し得る唯一の事柄が、曖昧でない立法であるという理解をもたらしました。
 私たちの「犂」行動について報道機関に伝えた際、私は言いました。「殺人やジェノサイドは、道徳的あるいは法律的に、それらがイギリス人民に職を提供するというような理由によって許されるものではありません。ところが、このことが、スハルト政権への武器提供の基礎になっているものなのです。ジェノサイド法はイギリス法の一部であり、これが今回、私たちの政府と企業がインドネシア国家による恐ろしい殺人と抑圧に普通のイギリス労働者を巻き込むのを阻止するために使われたのです。イギリスの人民は職を必要とし、望んではいますが、それは、社会的及び倫理的に正当とされ得る職に限ってのことなのです。『犂』活動はその非武器化の行為に責任を持ちます−−私たちは、政府がその武装化行為に責任を持ち、ジェノサイドに加担することについて責任を取るのを見たいと望んでいます」と。職という論点はもちろん、非常に心を動かす論題です。雇用は、非倫理的な仕事を維持するためにもっとも普通に用いられる弁解の一つであり、軍需産業を擁護するのに用いられることを別としても、他の多くの問題ある産業を擁護するためにも用いられます。社会は次の問いを避けることができません−−即ち、どの程度に道徳的配慮が、また他の価値が、経済的配慮よりも高く置かれるべきか?ということです。世界中の他の人々を犠牲にしてまで生計を得るのは正しいでしょうか?これらは倫理的な問題であり、そのようなものとして問われなければなりません。どんな国も、他人の苦痛を伴うかたちでその経済を組み立てるべきではないというのが、私の意見です。しかし、そうは言っても、経済と仕事についての議論はよくどんな場合にも非常に歪められます。資源を武器生産から切り替えることによってより多くの仕事が節減され得ることは、多くの研究が示すところです。また、現代社会では、仕事と雇用を思い切って見直す必要があります。行なわれている仕事のかなりの部分が、実際には行なわれる必要のないものと論じられます−−武器産業、原子力、ポルノグラフィ、危険物の生産、原始林の伐採、広告、なくもがなの消費財の過剰生産などです(14種類もの異なるブランドの洗剤や電動歯ブラシが、本当に必要でしょうか?)。逆に、する必要のある仕事のかなりの部分が実現されていません−−環境保護、有機農業、地域管理、公務の再築、平和的紛争解決、リサイクル可能でクリーンなエネルギー生産、物品の修復などです。行なう必要のある多くの仕事はヴォランディアによって為されており、無償です。人が自分の時間を雇い主に売る場合に削るべき仕事の倫理と一般的な雇用規律は、150年ほど昔のものにすぎず、既に大きな欠陥を示しています。人々を支え、為さるべき基本的な仕事を獲得するための代替策が開発されなければなりません。「基礎的な収入」と「自分にふさわしい仕事」についての考え方を含め、それらをめぐっては多くの考え方があります。

 行動
 私たちの「犂」グループはみんな女性でしたが(支持者6人を含めると全員で10人になります)、意識的に−−私たちの社会のアンバランスで家父長的な基盤に挑戦するためにそうしたのです。私たちが女性とともに動くことを望んだのは、多くの男性たちはあまり歓迎しないようなある活動方法を探りたかったからでもあります。例えば、ずいぶん永い投獄であるかもしれないということについて、私たちの恐怖や感情を探り、ふさわしく準備して支え合うために互いの面倒を見ようと思ったのです。私たちは、「犂」行動がその頃まで男性によって支配されていたことによって得ていた、むしろ男っぽいイメージに反対したくもあったのです。私たちは、私たちの行動がしだいに女性だけの「犂」行動になって以来、その点に成功しました。武器産業、戦争及び人権侵害は男性によって管理され、女性と子供を主要な犠牲として伴います。ここ10年間に200万の子供が戦争で殺されたのですが、これは兵士の総数を遥かに上回ります。このことに対決するのには女性ばかりのチームでやるのがよいと感じたのです。
 私たちは50ページほどのレポートを作りましたが、それには、インドネシアによる東チモールの不法かつ野蛮な侵入と20年に及ぶジェノサイド的占拠にいたる背景、関連する国際法規と決議のリスト、インドネシアに対するイギリスの武器取引に関する情報、私たちの個人的意見が含まれています。20分のヴィデオも作りましたが、これにはジョーン・ピルガーの『民族の死』から取った多くの情景が収められています。私たち4人はみんな、これに非常に深い感動を覚えました。ヴィデオには、ホークが村人たちを攻撃し殺すのを目撃した東チモール人から得た個々の証言が収められていますが、何人かは、自国民を殺すためにイギリスの兵器を使わないというインドネシア政府の再確認が、それを載せた新聞ほどの値打ちもないという大臣たちの声明を語っています。さらに、なぜ私たちがホーク非武器化のためハンマーを使おうとしたかを説明する、私たち4人全員のインタヴユーも収めました。レポートとヴィデオはどちらも、私たちの行動の背景を世論及び法廷に説明するために作ったのです。
 1996年1月中旬、一切の準備と計画とを終えて、最後に私たちは互いの行動に共同責任を負う2つのグループに分かれました。1月29日の早朝、ロッタ・クロンリッド、アンドレア・ニーダム、ジョアンナ・ウィルソンは、ランカシャー州ウォルトンにあるブリティッシュ航空宇宙の兵器工場のフェンスに穴を穿ち、金てこで格納庫のドアを開け、ホーク機にハンマーを振り続けて操縦室の計器盤、レーダーシステム、翼と頭部と胴体を使いものにならなくしました。約150万ポンドに相当する損害を与えたのです。1991年インドネシア軍隊が平和的なチモに発砲して528人を殺した時、ディリ(東チモールの首都)のサンタクルス大虐殺で射たれた女性と子供の写真を、数カ月前から丹念に心をこめて縫い上げた旗とともに飛行機に吊しました。ヴィデオとレポートを操縦士席に残し、「希望の種子」(野菜と花の種)を飛行機の上や周りに撤きました。彼女たちは格納庫から何度か電話で連絡することができ、報道機関は彼女たちが飛行機を非武器化したとブリティッシュ航空宇宙の保安員に知らせ、やっと保安員たちが到着して彼女たちを逮捕し、拘束しました。
 私(アンジー・ゼルター)が彼女たちと刑務所で合流したのは1週間後、2月6日でした。そうなるのが時間の問題であることは分かっていました。というのは、ヴィデオとレポートの中に4人ともみんな登場していたし、私たち全員がこの行動にともに責任を負うことを明確にしていたからです。私たちの名前と住所はレポートに明記されていました。私たちは、誰がこの行動を計画したのかについての混乱や、逃げ隠れしようとしていたのではないかという疑いが、いささかでも残ることを望みませんでした。私の役割は、彼女たちが格納庫に入れずに捕まった場合に第二波の「秘密の」企てを試みること、彼女たちが成功した場合にこの非武器化の行為が確実に報道されるようにすること、他の人々が残りのホークの輸出を止めさせるように討論を広めること、さらには私とともに「公然の」犂行動に加わるよう他の人々に呼び掛けて今後の非武器化行動への参加を促進することでした。
 予想どおり、1週間後に私はウォルトン近くでの集会の最中に逮捕されました。警察はそこで話すのが私だと知っていたのです。しかし私は覚悟していましたし、既にいくつかの報道インタヴユーを済ませ、通産大臣に対してホーク輸出計訂にサインしたことによるジェノサイド幇助及び教唆の共謀についての逮捕状を裁判所に出させるように企て、好意的な国会議員に会って議会での緊急討論を開催させようとしていました。
 公判までに拘置所で過ごした6カ月間、私たち4人はさまざまな国からの数千通もの支持の手紙を貰いました。報道の主流は現実の非武器化行動や私たちの逮捕をほとんど伝えず、犯罪的損壊、蛮行、無責任な妨害活動などと書き飛ばしていましたが、別の報道はそれを詳しく伝え、すぐにインターネットに載りました。世論の支持は非常に高まっていったので、公判の時には裁判所は混雑し、人々は交替で傍聴しなければなりませんでした。また、数百人の人々が毎日のようにリヴァプールの通りを裁判所に向って行進し、裁判所のビルの外にある大きな広場で祈り、デモをしていました。支持者たちはみんな、私たちの行動の道徳的合法性を認め、その愛と祈りと支持を贈ってくれたのです。
 私たちのもっとも大きな喜びは、東チモールからの手紙がもたらしてくれました。この手紙はインドネシアの監獄からこっそり送られてきたもので、そこでは東チモールの囚人たちが私たちの行動をラジオで、また非公然の刑務所のネットワークを通じて聞いていたのでした。この人たちは、私たちの愛の行為、かの人々の悲劇に連帯する行為を受けとめていました。私たちは、クサナナ・グスモその人からの手紙をとても大切にしています。おそらく、これらの手紙のもっとも重要なところは、私たちが地球市民として、国際的正義と私たち自身の人間性を擁護して、平等と人権、地球の安全保障のために、かの人々とともに行動しているという認識であったでしょう。

 公判と反論(抗弁)
 私たちの公判は6日にわたって開かれました。これは、普通のイギリス人が、リヴァプールから無作為に選ばれた12人の陪審員という形で、ブリティッシュ航空宇宙、イギリス政府及びインドネシア政権に対立する証拠を聴く機会を与えられた最初の時でした。もちろん表向きには、これは私たち4人の女性の審判でした。私たちは、損壊罪及び損壊罪実行の共謀という非常に重大な容疑と向い合い、拘置所でも安全を脅かす高度に危険な人物として扱われていました。有罪ともなれば、10年以下の拘禁に直面するのです。私たちは長期の刑を覚悟していましたし、無罪釈放を敢えて強くは望みませんでした。
 しかし私たちは、真の犯罪者がインドネシアの軍隊や保安・警察部隊、貿易によって現に行なわれつつある抑圧に支持と手段を提供したイギリスその他西欧諸国の政府、現実に武器を製造し売却した有力企業であることを知りました。私たちは反論を通じて、これら真の犯罪者たちを審判に付すよう、あらゆる機会を利用しました。私が公判で述べたように、「会社、政府、有力者たちは、しばしば法の上にあるかのように扱われています−−彼らの犯罪はしばしば無視され、或いは全く知られてさえいません」。公判は、私たちが彼らの犯罪を認識する機会でした。私たちはみんな自分で代弁したかったのですが、二人の一流弁護士にお願いすることに決めました。事務弁護士がギャレット・ピアース、法廷弁護士はヴェラ・ヘアードでした−−二人とも女性です。彼女たちは公式には法律扶助によってジョーを代弁しましたが、私たちみんなを裁判制度の中での乱用から守り、公平な聴聞を受けられるようにしてくれました。私たちはみんな、公判がある程度「政治的」審理であることをかなり気づいていました。
 警察や検察が何と言おうと、私たちには法律上の抗弁があることを知っていました。私たちは刑法典第3条−−「何人も、犯罪を予防する上で状況の中で合理的な有形力を行使し得るものとする」−−を有効に使いました。公判の後でヴェラは、私たちの無罪が「不当な評決」ではないと説明してくれました。この言葉は、無罪をかち取るのが困難と見ていた報道機関によってしばしば言われていたのです。ヴェラの説明によれば「これは不当な評決ではなかった……法律的に誤ってもいなければ、証拠の示すところに反してもいなかった……非武器化されたホークは、1月に引き渡されるはずの4機のうちの最初の1機であった…壊されなかった3機はインドネシア空軍のバンドン戦隊に送られた。公判での証拠によれば、これは反乱鎮圧作戦にもっとも貢献した戦隊である。この作戦は、武装・非武装にお構いなく人々を抹殺するものであり、この戦隊は東チモールの作戦領域の真只中にいた。要するに、新しいブリティッシュ航空宇宙製ホークは、東チモールに対して真先に空から攻撃する戦隊に送られていたのであり……これらのことは、物理的介入以外にこの飛行機の差し迫った引渡しを止め得るものはないことを示し得た……本件の証拠が示したのは、イギリス法及び国際法上の犯罪が差し迫っていて、この犯罪は止められたということである」。
 他の被告たちは主としてイギリス刑法典の抗弁に集中し、強力な道徳的抗弁を示しました。私たちは、然るべき法律上の抗弁を持ちながらも、私たちの行為が単純なヒューマニティと愛に基づいていることを裁判所に隠そうとしなかったし、法律がどうなっていようと、やはり、飛行機が無辜の人々を殺すために送られるのを防ぐよう、行動したでありましょう。しかし、私は意識的に国際法上の抗弁を使いました。それは、私は自分を地球市民と考えており、イギリス市民としての私に利用できるものがどうあれ、地球規模の抗弁を使いたかったからです。私の抗弁はおおよそ次のことに依っていました。「国際法はあらゆる個人、あらゆる国家を拘束しており、本法廷においてももちろんのことです…インドネシアは系統的で一貫した国際法侵犯者です…わがイギリス政府とプリティッシユ航空は、インドネシアの犯罪と重要な国際法そのものの違反に加担しています…これらのホーク機に対して発せられた輪出許可は正式のイギリス政府の許可かも知れませんが、現実には、国際法上不法なものです……このような恐ろしい犯罪が侵されないように国際法を努めて支持するのは、あらゆる市民の権利であり義務であります…従って、私たちには、国際法上認められるべき行動を執る義務があったし、その合理的な行使であるということが私たちの『犂』行動を合法としたのです」。
 企業犯罪に関連して、私がリヴァプールの法廷に注意を促したもっとも興味ある事例の一つは、サイクロンB事件のそれでした。ここでは、二人のドイツの事業家がサイクロンBという毒ガスをナチ親衛隊に売ったとき、それが人間を抹殺する目的で使われるであろうと信じるに足る相当な理由があれば、彼らにそんな資格があったのかどうかという問題が取り上げられました。戦後、ガスを売ったこの会社の所有者及び管理者がニュルンベルクで審判を受けました。彼らは、サイクロンBは合法的な目的のために使われ得る物品にすぎず、だからこそ市場に出ている他の物品同様に売ることができた、と主張しました。これは、ホーク機についての検察官及びブリティッシュ航空宇宙の態度と同じです。しかし、ニュルンベルク法廷は、国際法の下ではサイクロンBを売ることは戦争犯罪であり、二人は有罪と認められると裁定しました。法廷での最終弁論で、私は次のように説くことができました。「私たちの行動の物理的及び精神的な影響や私たちの決定の人間的な効果から遠くなればなるほど、道徳的責任が感じられなくなる、ということに注意する必要があります。事柄の鎖がより長く、より複雑にされればされるほど、それだけ道徳的責任は,赦され、衰えさせられます。だから、体制は人間性に反する恐ろしい犯罪について有罪かもしれないが、個々には誰もその結果を負うべきと感じない、という場合が肝心なのです。インドネシア政府はその責任を否定し、ブリティッシュ航空宇宙も、イギリス政府もそれぞれ自らの責任を否定しました。従って、私たちが責任を取らなければならなかったのです。私たちは、これらのホーク機がたとえ1機でもインドネシアに到達すれば、それによって犯されるであろう犯罪を知っていましたし、インドネシアの人が当地で飛行機を使えなくしようとすれば誰でも拷問され射殺されるであろうということを知っていました。だからこそ私たちは、他の可能な手段をすべて試みた後で、ここで責任を取ったのです。
 さて、陪審員の皆さん、私たちに同意され、私たちを無罪と認めていただいて、嬉しく思います。裁判官、検察官、ブリティッシュ航空宇宙その他、様々な役人たちがショックを受け、憤慨しましたが、ある程度覚悟していたのは明らかです。法廷から手を引くことになっても、私たちが直ちに受けたのは、私たちがイギリスにある多くのブリティッシュ航空宇宙の敷地のどこにも近付けないようにする差止命令の仮処分ですが、これは後に本処分に変わりました。しかし、闘争は続きます。全部で13人がブリティッシュ航空宇宙に対する差止命令の本処分を受けていますが、依然として彼らに立ち向かい、或いは別の方法のキャンペーンを続けています。反倫理的な武器取引を止めさせるキャンペーンは、非常に多くの参加者とともに続いています。公判の宣伝は多くの新たな人々を勇気づけ、AGMの武器売却見本市、種々の武器製造に対する抗議に加わらせ、通産省に対する抗議とデモに参加させています。このデモには、大多数の東チモール難民がアイルランド、ポルトガル、イギリスにある難民村から参加しました。これは、キャンペーンにおける強力な、新しい発展でした。さらに多くの東チモール難民が今、イギリスに移動して非暴力的直接行助に立ち上がっています。4人の東チモール人が、7人のイギリス人の抗議者(私を含む)とともに、サザンプトンの近くのグローヴアー・ウェップ工場に侵入して、インドネシアヘの輸出を待つ武装車と放水砲に『輸出するな』、『人権侵害阻止』と大書した後で逮捕されました。讐察は東チモール人が受けた拷間の実際の有り様の前に恥じ入り、会社も同様に悩んだらしく、公判に伴うであろう宣伝を望みませんでした−−告訴は秘かに取り下げられたのです」。

地球市民権
 地球規模の責任、地球市民権という考え方は、私たちみんなを一つの家族と見るものですが、これは古代的観念です。多くの有力者は、「国家の安全保障の必要」及び「経済成長」の観念に縛られた、きわめて物質主義的、産業的、短絡的な考え方をしますが、多くの普通の人々は、私たちのルーツが互いに繋がった生命の網の中にあり、私たちはそのうちの一つの種にすぎないということを忘れていません。私たちは、世界中の生命維持系が劣化し死滅しつつあることを感じ取っています。ほとんどの自然林ばかりか海洋中の生命も破壊されています。私たち自身の人間社会が安住し得る、健康で活力ある生態系の基本的な保障は、もはや完全ではありません。私たちは、私たちを取り巻く生命維持系の死を見、感じ、聞き、呼吸し、味わうことができます。この惑星のあらゆるところで、私たち自身を含む多くの種における新たな疾患、減少する生殖力について、汚染され減少される清水の供給、土壌汚染、森林破壊、広がる砂漠化、他の種の大量死滅、気候の変化、大衆社会の機能障害について語る普通の人々の報告があり、私たちは自分の身の回りにその証拠を見ることができます。これらの差し迫った諸問題に対する実際的な解決は、政府や世の「指導者たち」、「政策決定者たち」によってはなされていないことが見て取れます。
 事実、自分たちの自然資源が切り開かれ、数千マイルも遠くの市場に送られて、後は貧しいままという、そんな資源開発に抗議する地域の人々は、まさにこれらの地から原料を輸入している先進国家によって供給された兵器でしばしば厳しく抑圧され鎮圧されています。イギリスのリオ・ティン・ツィンクは世界最大級の鉱山会社ですが、西パプア(インドネシアではイリアン・ジャワと呼ばれています)高原部にあるグラスベルク鉱山の大株主です。この鉱山は世界最大の金と第三位の銅の鉱床を持ち、合衆国の会社フリーポート・マクモラン・コッパー&ゴールドによって管理されています。鉱山は、この山が自分たちの先祖の霊が住むところと考えているアムンメ、ダニ、コモロ及びエカリ地方の人々の願望に反して動かされています。この地域は軍事占領下にあり、地方住民による抗議は厳しい抑圧に逢ってきました。インドネシア当局自身、地方が虐殺され「姿を消し」ているのを認めざるを得なかったのです。
 何かがとても間違っています。システムに全体として包括的な問題があります。どこでも、地方の人々は無権利にされ、自治、自給経済及び文化を失っており、地球経済は地球人たちの福祉よりも地球規模の株式会社の「利益」のために突っ走っています。イギリスの今のシステムはこの地球システムに組み込まれているのですが、様々なグループや人々全てのために公益において動いているのでもなければ、全体としての世界の中で支えるために振舞っているのでもないのです。私たちの今のシステムは、国民国家によって、またそれ自身の利益において−−力を持ち、資源を管理する者たちの利益において行動する株式会社によって設立され、使われています。地方の人々や地方の市場の利益に動くために使われる小規模の事業や会社は今では地球規模の市場に呑み込まれてしまっています。世界貿易機構はこれら地球規模の株式会社によって設立されているのですが、それは、地方の共同体、民主的に管理された制度や国家さえもが、自分たち自身の人々の利益のために資源利用を管理しようとすれば、或いは、認めることのできない有害な製品の輸入を防ごうとして正当で公平な貿易制限を確保しようとしたときに、これに服従させるようにするためなのです。例えばオーストリアは、「持続可能」でない工業スタイルの古木伐採による熱帯木材の輸入を禁止していましたが、世界貿易機構に反対され、国内法を廃止して木材輸入を許さなければ厳しい貿易上の制裁を課すと脅されたのです。
 私たちみんなが知るところでは、どうしても変化が必要であるのに、何ら行動が起こされず、却ってもっと調査が要求されるということです。諸問題を認識し、時には解決策を承認して、おそらく立派な政策を作ってさえいても、それらを遂行しない政府や企業が多くなっています。文書、ガイドライン、憲章や法の多くは、地球規模で長期にわたって支持できる諸利益において人々に奉仕し人々のためになる素晴らしい考え方を表明していますが、そこでの実際の行動や実践はしばしば全く一致していないのです。
 このような事態は、生き残りたいならば、実際の安全保障を得たいならば、そのために自分たちで動かなければならないということを悟った、より多くの市民グループを生んでいます。それらは、自分たちの生活、土地、法、宗教、文化を再生しなければなりません。自由に、自律的に、そして充分活動的になるための困難な過程を始めなければなりません。自分たちの利益になるように政府や企業を平和的に保たなければなりません。私が抱くこのような世界観は、人権侵害の問題と現地住民の権利とが、環境破壊と内戦ないし紛争とが、武器売却や企業の力の乱用と増大する難民の数とが相互に関連していることを示しています。
 私たちの「犂」行動は、従来の仕組みが地球規模で責任を負うようなやり方で行動しようとせず、またできなかったから、いっそうの地球規模の安全保障のために立ち上がった小さな市民グループの一つの例でした。
 責任と地球市民権というテーマは、これまでにも再三登場しており、私たちのレポートに収められた個人的陳述のどれにも見ることができます。例えば、ロッタは次のように述べました。「20年間、西欧の諸政府のインドネシア及び東チモールとの取引には、二つの顔がありました。国連において彼らは、苛酷なインドネシアの占領を非難し、インドネシアに退去を要求する多くの決議を通しています。同時に、西欧の企業は各自の政府の同意を得て、まさに占領を遂行する手段を提供し、インドネシアの統治を武装させ、経済的に支えてきました。私たちには、このような虐殺と抑圧の貿易を止めさせる共同責任があります。この責任から立ち上がって、私はこの「犂」行動に加わっているのです。ホーク機にハンマーをふるうことで、私たちは人の命が尊重される社会の展望を実現します。これは、東チモールで平和と正義のために苦闘している姉妹兄弟たちに私が示し得る、もっとも直接的で実際的な連帯なのです」。彼女は続けて言っています。「私たち人間は、互いに愛し合い気遣い合う強い豊かな能力を持っています。自分の命と行動によって、私たちは世界を正しい美しい住みかにすることができます…。自分の行動によって、私は、他の人々と協力して、不正に反対して立ち上がるのをためらわせている恐怖を克服することが可能であると示したいのです。私たちはその原動力を持っています。不道徳、不正な決定をする政府に従ってはなりません」と。
 アンドレアは、3年以上もの間、ホーク機の売却を止めさせようとしてきたこと、この売却はイギリス法と国際法の両方に違反するものであり、同時に東チモールの人々にとって現実の差し迫った脅威でもあると考えていたことを述べました。彼女は言っています。「だから私は、人々をインドネシアに委ねたままにしないためには、自分でこの飛行機を非武器化する以外に、選択の余地はないと思います…私は、生活の中で何よりも、私たちが愛するために、人間的であるために生まれてきていると考えます。だから私は、平和的に抵抗するために私ができることを尽くさずに、ホーク機が引き渡されるのを傍観することができないし、許すことができません。私は、この状況の中で黙っていることは不正に加担することであると考えています」と。
 ジョーは次のように述べました。「少なくとも20万の東チモールの人々が、インドネシアのこの地の侵略と占領の直接の結果として死んでいます。多くの子供、女や男が、イギリスの兵器で殺されていますが、この兵器は、ブリティッシュ会社がイギリス政府の承認と支持を得て供給したものです。私は、イギリスがこの残酷な大量殺人に加担していることに憤慨し、恥じ、がっかりしています…。私は人間として、わが政府が人間性に反し国際法に反するこの犯罪に関わるのを防ぐために、私にできる全ての平和的な手段を使わなければなりません。だから、友人たちと一緒に、インドネシア向けに決められているホーク機をその地上攻撃の役割にとって基本的な機体の部分にハンマーをふるうこと−−つまりそれらを無害にすることで非武器化し、自分の責任を果たそうと決意したのです…東チモールの姉妹兄弟たちに、恐怖、苦痛、悲嘆と死ではなく、希望、平和、正義と自由を贈りたいのです」。
 私は次のように述べました。「以前の武器売却によるホーク機が、東チモールで村落を爆撃するところを見られています。私は、イギリス政府とブリティッシュ航空宇宙がホーク機をインドネシアに送ることによって東チモールにおけるジェノサイドを幇助・煽動しており、彼らがその武器取引から生じた、また生じるであろう死に責任を取るつもりは全くないことは明らかであると考えます。この国の内外の多くの人々が、インドネシアの行為を暴露してきましたし、彼らに武器輸出入禁止命令を課すべきことを要求してきました……。しかしスハルト政権は、インドネシアが人権を残酷に無視してまでその人民の土地からもぎ取っている金、木材、石油といった資源にいたく関心を持つアメリカ合衆国、オーストラリア、イギリスからずっと支持を受けています」。さらに続けて「私は、無辜の市民が私の名において殺されること、そのことがイギリス人民に仕事を提供するものとして『正当化され』ることを望んでいません。私が欲するのは、世界共同体の責任あるメンバーとして行為することです。私は、非武器化という私の個人的な行為が国際法を支える方法であると考えます…国際法は無辜の市民の保護のための規律を設けているのですから。眼前に起こっているどんな悪をも物理的、平和的に止めるために全力を尽くすのは、あらゆる個人の責任であると考えます」と述べました。
 外交政策に倫理を注入すると言った新しい労働党政府は、実際にこの立派な言を遂行するかもしれないし、しないかもしれません。しかし、政府や企業の行動がどうであれ私たち地球市民は、平和的に対案を試みようとし、私たちの人間性を再生しようとし、私たちの共同体を作り上げ、私たちの土地を取り戻し、共通のものを建て直し、道徳と法を再生し、その過程で自他ともに活性化しようとするでしょう。私たちはお互いに学び合って、私たちの政府や企業に閉じ込められ飼い馴らされるのを自らに許さぬために、闘争に参加するでしょう。私たちはみな、地域に生きなければなりませんが、しかし私たちの地球規模の責任は、これを厳粛かつ人間的に負わなければならないのです。