2003年3月1日付読売新聞社説「自主運営は結果への責任を伴う」への訂正要求

読売新聞社御中

                国立大学独法化阻止全国ネットワーク事務局長
                  豊島耕一(佐賀大学教授)
                 佐賀大学理工学部物理科学科
                 840-8507 佐賀市本庄町1

 拝啓

 私たちは国立大学の独立行政法人化に反対する運動に取り組んでいる全国組織で,全国の国立大学教職員や市民,学者,文化人など300名の会員・賛同者からなり,また21の団体の賛同を得ています.詳しくは下記をご覧いただければ幸いです.
  ../znet.html
  http://www003.upp.so-net.ne.jp/znet/znet.html

 さて,貴紙の3月1日付社説「自主運営は結果への責任を伴う」の文章には重要な誤りがありますので,紙面での速やかな訂正をお願いしたいと思います.社説はニュースとは違うのでしょうが,しかしその中の事実についての誤った記述は,報道機関がみずからのメディアを使って配布する文書における重大な欠陥であり,責任が問われるものと考えます.

 具体的に誤りを指摘する前に,まずこの社説の論旨とその姿勢について一言申し上げます.この文章は,貴紙が独立したジャーナリズムなのか,それとも単なる政府の広報紙なのか,という根本的な姿勢が問われる内容となっています.いうまでもなく,法案が国会に提出されたということは,「国権の最高機関」がこれからその内容を精査し審議するということです.つまりその是非の判断は国会と,その主人である全国民に委ねられたことを意味するのです.しかしこの社説は,法案自体について吟味しようという姿勢は全く見られません.それどころか,この法案が当然のものであるとの前提で,もはや実行の段階であると言わんばかりの内容になっています.

 この法案が与野党のいわゆる「対決法案」になるのか,それともそうならないのかは分かりません.もし後者であるとしても,いや,むしろ対決法案でなければなおさら,言論・報道機関が厳しいチェックの目を光らせなければなりません.そのような意識のかけらも見られないこのような文書を発表されたことに,気後れも何も感じられないのか,大変不思議に思います.あるいは,長年の「記者クラブ」制度という「護送船団」方式に浸りきっておられるため,感覚が麻痺しておられるのでしょうか.

 さて,問題の誤報は次の2点です.

(1)第11段落(3段目最後)の記述の誤り

「法人化された大学は、六年ごとに、運営、教育、研究などに関する中期目標や 計画を文科省に提出し、その達成度に応じて予算配分を受ける。」

 「中期目標」は大学が「提出」するものではなく,「文部科学大臣が定める」ものです(第二条5項).これは完全に180度方向が違います.また「中期計画」は「提出」だけではすまされず,文部科学省の「認可」を受けなければなりません.

(2)第2段落の「大学は自らの責任で予算を決め」るという記述の誤り

 法案では予算は文部科学大臣の認可制となっており,大学が自由に決められる ものではありません(第三十一条).それとも貴紙は許認可制の事を「自らの責 任で決める」ものと通常表現されるのでしょうか.

 以上,これら二点は法案に照らして明かな誤りです.これらは意図的なねじ曲げなのか,それとも法案を良く読んでおられないための誤りなのでしょうか.あるいは,これらの問題は些細なことに過ぎないと考えておられるのでしょうか.

 この文章が,法案に含まれる規制強化の側面に少しでも言及しておられるのであれば,細かい字句まであげつらう必要はないかも知れません.しかし社説は,「独立した法人になる」「国の規制は大幅に緩和」という表現に見られるように,この制度をもっぱら「規制緩和」として描いています.上に指摘した誤った記述と合わせて,読者にこの法案について全くの誤解を広めるものとなっています.

 そこで貴紙にお願いしたいのは,この誤解を一刻も早く解くために,同等程度に読者の目に触れる形で,訂正の記事を掲載して頂きたいと思います.もしそれができないのであれば,その理由を是非ともご回答下さい.もしもこの件について何十通も意見が寄せられているとすれば,個別に回答をいただくことは無理かと思います.しかしその場合でも,その中には私どもが提出したものと同様の疑問があるかと思いますので,それに対する貴紙の対応を紙面等で注目申し上げたいと思います.

 最後に,この社説の大学批判の姿勢について一言申し上げます.

 どのような組織や業界にも欠陥や問題点はあります.それを,当事者の意見にも耳を傾けながら真摯な態度でその改善策を探る態度がジャーナリズムには求められると思います.しかしこの社説は「自己改革の意欲に乏しいところがあった」「多くの教員は狭い研究分野に閉じこもり,社会貢献意識も希薄だった」と断定し,「大学の状況に対する批判」について「大学関係者はそのことを心せねばならない」と説教しており,ここにはとても尊大な態度しか感じられません.メディアに必要なのはそのような尊大さなのでしょうか.大いに疑問に感じます.

 また,「護送船団」という言葉が相変わらず大学に対して用いられていますが,その適切性についていま一度吟味していただきたいと思います.この言葉はもともと,石油業界などに対する政府の過剰な保護政策を批判するものとして,つまり経済界の問題に対して使われたものです.この言葉を国立大学に使用するということは,「護送を外すべきだ」,つまり高等教育への公的支援を縮小せよ,教育分野も「市場原理」にさらすべし,という意味合いを暗に持つことになります.今でさえOECDレベルに比べて少ないとされる高等教育への政府支出を一層減らすべきだという論旨にもつながりかねません.「競争」の必要性とその程度の議論は別として,この言葉は教育分野を経済活動と同列に論じる効果を持つもので,少なくともそのことをはっきり意識することは必要かと思います.

 なお,この手紙はネット等で公開することをお許し下さい.敬具

2003年3月1日