スーパー大管法としての「独立」行政法人化

豊島耕一
当時の文部省の画期的提案はココ

 今から31年前の1969年に,大学紛争収拾の名の下に「大学の運営に関する臨時措置法」(注1) が成立したが,これをめぐっては大学の自治を侵害する「大管法」であるとして反対運動が取り組まれた.これは5年の時限立法ですでに廃止されている.この法律を紛争に限定せず,無期限にかつ万能化して恒常的に大学に適用するものが今回の「独立」行政法人化に他ならないことは,条文を対照することによって明らかになる.すなわち独法化とは「スーパー大管法」である.

 条文の順番によれば,まず「臨時措置法」は大学に文部大臣への報告義務を決めている.

第4条 国立大学の学長は,当該大学において大学紛争が生じたときは,直ちに文部大臣にその旨及び当該大学紛争の状況を報告しなければならない.

 2 文部大臣は,前項の国立大学の学長に対し,当該大学の大学紛争の状況並びに当該大学紛争の収拾及び当該大学の運営の改善のため講じた措置及び講じようとする措置について,必要に応じ,報告を求めることができる.

これに対応するものは通則法33条に見られる.紛争などの限定はない.常時,万事についてである.因みに現行の国立学校設置法,学校教育法に「報告」の文字は見当たらない.

第33条 独立行政法人は,中期目標の期間の終了後三月以内に,主務省令で定めるところにより,当該中期目標に係る事業報告書を主務大臣に提出するとともに,これを公表しなければならない.

次に,文部大臣から大学への発言権を見てみよう.「臨時措置法」には次のようにある.

第5条 文部大臣は,大学紛争が生じている国立大学(以下「紛争大学」という.)の学長に対し,当該大学紛争の収拾及び当該大学の運営の改善のため講ずべき措置について,臨時大学問題審議会にはかり,必要な勧告をすることができる.
 2 (略)
 3 第1項の勧告を受けた紛争大学の学長及び当該大学のその他の機関は,その勧告を尊重し,勧告に係る措置の実施に努めなければならない.

通則法では,次のように事実上広範な事項について指示する権限を文部大臣に与えている.

第29条 主務大臣は,三年以上五年以下の期間において独立行政法人が達成すべき業務運営に関する目標(以下「中期目標」という.)を定め,これを当該独立行政法人に指示するとともに,公表しなければならない.これを変更したときも,同様とする.

 業務停止,廃校について「臨時措置法」は次のように文部大臣の権限を規定している.

第7条2項 紛争大学の学部等において大学紛争が生じた後9月以上を経過した場合又は学部等の大学紛争が収拾された後1年以内に同一の学部等において再び大学紛争が生じ,その後6月以上を経過した場合において,なおこれらの大学紛争の収拾が困難であると認められるときは,文部大臣は,当該大学の学長の意見をきいたうえ,臨時大学問題審議会の議に基づき,当該学部等における教育及び研究に関する機能を停止することができる.

第9条 第7条第2項の措置がとられた後3月以上の期間を経過してもなお大学紛争の収拾が著しく困難であり,当該大学又はその学部等の設置の目的を達成することができないと認められるに至つたときは,その事態に応じ,国立学校設置法(昭和24年法律第150号)を改正するための措置その他必要な措置が講ぜられなければならない.

通則法も同様に「所要の措置」として文部大臣に廃止の権限を与えている.

通則法

第三十五条 主務大臣は,独立行政法人の中期目標の期間の終了時において,当該独立行政法人の”業務を継続させる必要性”,組織の在り方その他その組織及び業務の全般にわたる検討を行い,その結果に基づき,所要の措置を講ずるものとする.(引用符筆者)

 「独立」行政法人ではこれ以外にもさまざまな規制,義務,制約が行政当局から加えられるのである.「スーパー大管法」ないし超大管法と名付ける所以である.

 このような「歴史の繰り返し」--しかしより重篤な--であれば,当時の闘いから学ぶことも有用であろう.こんにち大学組織の中堅に位置しているベビー・ブーマー,団塊の世代たちが当時は学生の立場から問題提起をしていたはずである.その時の問いかけは時間軸を通じていま自分たち自身にブーメランのように戻って来ている.これに耳を傾けてみてはどうだろうか.(注2)

 一方,「臨時措置法」の文部省の原案「管理運営の正常化法案」には,「学生参加」の項目があった事は注目に値する.今日盛んなアンケートという江戸時代の「目安箱」を連想させるようなやり方ではなく,正式の合議体に代表参加を認める考えを打ち出しているのである.しかしこのような当然と思われる提案は現在,文部省はもとより,組合など批判勢力の側からもほとんど聞かれない.

文部省原案

14条(全学連絡協議会の設置)学生の意見を大学の運営に反映させるために,大学に全学連絡協議会を設ける.

15条(全学連絡協議会の組織)全学連絡協議会は,国立大学または公立大学にあっては,評議員全員と学生を代表する者で組織するものとし,私立大学にあっては,国立大学または公立大学の評議員に相当する者全員と学生を代表する者で組織する.

 国立大学が法人格を持つことが,現行国立学校設置法の「調整」では不可能だということは未だに論証されていない.かつて「自主改革すれば独法化の対 象からはずすが,改革がなければ独法化することを法律で規定し」たなどとデマを振りまいて「大学審答申」の実施の宣伝役を務めた内田博文氏(注3)だが,彼が今度は「挙証責任」がどうのこうのと言っているのを見ると(注4),実はこれは不可能ではないのではないかと思いたくなる.本当はどうなのだろうか.ドイツなどでは国立(州立)大学のままで法人格を持っているのである.なぜ日本ではダメなのだろうか?(2000年10月31日,11月2日改訂)


(注1)「大学の運営に関する臨時措置法」
http://www.houko.com/00/01/S44/070.HTM
(注2)1969年のある文章を発掘して次に掲載しています.
論理と論理の対決」,九州大学理学部院生協議会
../UniversityIssues/riinkyo69.html
文体や用語はいかにも紛争時代の様式で,翻訳の必要さえあるかもしれませんし,書き手の若さゆえの強調表現もあるでしょう.しかし内容としては今日に通じる重要な事が述べられていると思います.
(注3)内田博文「大学改革の課題と展望」
http://ha4.seikyou.ne.jp/home/kinkyo/Alink_niigata990528.htm
(注4)[reform:03208] 国大協設置形態検討特別委員会委員の講演
このなかで内田氏は,「通則法とまったく違 うスキームを提案することにすると,国立大の側が起案し,国民各界を説得する義務を負わざるをえない」とも述べている.しかし,「国民各界」どころか大学関係者さえ説得する義務を放棄している政府のことは棚に上げて,国立大学にはその義務があるから新提案はあきらめろという,この恐ろしく対称性を欠いた論理は一体どのような思考形態から出てくるのだろうか.