「世界」02年12月号の大学問題特集批判

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佐賀大学 豊島耕一

 この雑誌で教育問題が取り上げられることはしばしばありますが,大学に関しては相当少ないようです.独法化の法案提出が迫ろうとするいま,この特集は時宜を得たものと言えますし,冒頭の小沢氏の「新自由主義改革」という観点からの分析はこの問題の一つの重要な本質を突いています.

 しかし,特集全体としては,この問題のもう一つの核心,そしてむしろ一般国民にとってより関心を持つことの出来るテーマである,高等教育の国家統制そのものにまつわる問題,すなわち教育基本法10条の正面からの無視という問題は,なぜか議論から除外されています.これは,特集の編集方針の重大な欠陥を示すものと思われます.

 その前に,何よりも驚かされるのは,扉(205ページ)の文章です.最後の段落は「2004年の独立行政法人化を控えたいま」という表現で始まりますが,これは独法化がもうすでに決まったことだという前提の文章です.誤った表現であるだけでなく,どのような論説よりも強い影響力を持つ暗示として,読者をミスリードするものです.「世界」ともあろうものが,一般マスコミと同じように「既成事実化」の動きに加わるとは驚きです.かりに防衛庁が「有事法」の施行を1年後に予定しているとしましょう.はたしてそのことを以て同誌は「1年後の有事法の施行を控えて」などという表現をするでしょうか?事柄は違っても国会無視,すなわち民主主義の原則を蔑ろにするという点では全く同じなのです.おそらく不注意によるものと思われるので,次号での,同等に目立つ方法での訂正を期待したいと思います.

 さて,問題の教育基本法10条との関連についてです.独法化で,大学への文部科学省からの直接の命令制度,すなわち「中期目標」「中期計画」が新設されるということは,「学問の自由」の保証のために「大学の自治」を認めた憲法23条に違反するものです.このことは多くの人が指摘しました.しかし同時に,教育への官僚支配を禁じた教育基本法10条の正面からの否定でもあります.これは前者の違反がやや間接的であるのに比べ,より直接的で明白です.このようなわが国の法制度の根幹に関わる問題を含むにも関わらず,ほぼ「新自由主義」の観点に限定したような編集のやり方は,国民の問題意識をより広範に引き起こす可能性を塞ぐもので,もし編集部がこれを知りながら敢えて触れなかったとすれば,情報操作とさえ言えるのではないでしょうか.

 「有事法」が取り上げられるとき,そのアメリカの戦略と関係や,資本の要求とのつながりなど,その要因や背景が分析されるだけでなく,必ず憲法との関連が議論されます.ところがこの独法化問題特集ではほとんど前者の背景分析のみで,なぜ後者つまり法的側面が無視されるのでしょうか.私の理解では,これは知識人の間でさえ教育基本法のこの条文の意味が十分に理解されていないからだと思います.これは長期的には学校教育の問題でしょう.憲法9条は学校でもしっかり教えられますが,教育基本法10条はそうではありません.文部省・文部科学省はこれに反して「不当な支配」を続けているので,この条文の存在を教えるのに熱心なはずがないのです.大学入試にもはたしてどのくらいの頻度でこの項目が出題されたでしょうか.また短期的には,教育法や教育行政の専門家の責任だと思います.これらの人々の中には,一般論として「教育基本法を守れ」という人はたくさんいます.しかし独法化がこの条文に触れると明言している人が何人いるでしょうか.この分野の専門家の発言がない限り,このような問題意識は広がらないでしょう.

 同誌は一方では教育基本法改悪の問題を系統的に取り上げています.にもかかわらず独法化問題がこの法律とは何の関係もないように扱うことは,全く理解しがたいことです.「中期目標」「中期計画」の制度を許せば,大学版の学習指導要領,教科書検定も可能なのです.もちろん文部科学省もバカではありませんから,すぐに,また,あからさまにそんな事を言い出したり,実行したりはしないでしょう.もっと「高度な」言語表現でこれを製品化してくるでしょう.そして独法化はこれを可能にする制度改変なのです.「そこまで行くはずはない」などと言わないで下さい.現に,国立大学の独法化などという,数年前はだれもがバカなことだと思っていたことが,このように,まるであたりまえのことのように進行しているではありませんか.

 このような法制度の根幹にかかわるような重大さに多くの知識人が気付いていないということこそが重大です.二番目の論者の石田氏は,「『法人化』その他についてはまだよく分からない」と書き,またこれらの問題を「『バベルの図書館』の回廊の配置換え」(何れも220ページ下段)という程度にしか理解していないのです.このような状況は,はっきり言って主に教育法や教育行政関係の専門家の怠慢がもたらしたものだと思われます.

 「新自由主義」批判だけでは,独法化問題がこの種の分野の,いわばイデオロギーでの闘いに局限されてしまうのです.ニュージーランドや英国のケースとの違いをはっきり認識することが重要です.ニュージーランドの調査報告(同誌241ページ)はそのことを明らかにしていると思います.たとえば,「国家教育行政というものはなくなり,学校運営は学校自身に委ねられ,その監視役として,独立した教育評価局が置かれることとなった.」(242ページ最下段)とあるように,国家統制の要素は含まれていません.いわば純粋な「市場原理主義」と言えるのでしょうか.しかし独法化の場合は「幸いな」ことに,それが含む国家統制の性格が国家の基本法に触れるという問題を含むため,「新自由主義」に反対の人だけでなく,教育基本法改悪に反対している広範な人々の共感を得ることが可能なのです.その意味で反独法化運動は,この法律を,特にその10条を再発見しその実施状況を「見直し」ていく運動でもあるのです.

 「世界」編集長の岡本厚氏は,教育基本法改悪に反対する組織「教育と文化を世界に開く会」の賛同人でもあるのですから,ぜひその視点からも大学独法化問題に光を当ててもらいたいと思います.(2002.12.28. Ver.1.3)



教育基本法10条についての資料を準備していますので,どうぞご覧下さい.
「教育基本法 第十条の条文の成立過程」
../Education/edulaw-art10.html
http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/Education/edulaw-art10.html
旧ミラーサイト(12月で閉鎖)
http://www03.u-page.so-net.ne.jp/ta2/toyosima/daigaku/Education/edulaw-art10.html