法人格の議論は独立行政法人化「粉砕」が前提

ver. 1.2

又学問者は,才智・弁口にて本体の臆病・欲心などを
仕隠すもの也。人の見誤る所也。(葉隠,聞書第一)

佐賀大学 豊島耕一

 「長尾試案」に代表されるような,「独立行政法人」を雛形にした,あるいはそのイデオロギーに引きずられた「法人化」案が出されていますし,今後も同じ種類のものが出てくると思われます.しかしこのような中途半端な態度は,最善の場合でも新制度に独法化の骨格と思考方法を引き写すことになるでしょうし,また独法化に対するカウンターバランスとしても軽すぎるため,むしろ純正独立行政法人への動きを助けることになる可能性が大きいと思います.したがって,国立大学の法人格の議論は「独立行政法人」の完全な否定の上になされなければなりません.あえて'60-'70年代の用語を使って「独法化粉砕」が前提,と表現したいと思います.

 法人格の問題を議論する際に文部省の元高等教育局長,大崎仁氏のスピーチ(注1)の内容がたいへん参考になると思います.「国立大学法人化への国際的視点」と題して昨年7月21日に学士会午餐会で行われたこの講演は,言葉の上では独法化に対して中立的ですが,実はむしろこれに対する原則的な批判になっているのです.(それだけでなく文部行政全般への批判もかなりあります.例えば高額の授業料批判など.別便でもっと広範な抜き書きを送ります.)いくつか引用しますと,

「大学が法人格を持つことが、その国立機関性を失わせるものでないことは、各国の状況を見れば極めて明白です。」

「国立大学が法人格を持つということは、国立大学の自治的な運営を保障し強化するためのいわば法技術的な配慮であって、法人となることによって国家機関でなくなるといったような発想は、ヨーロッパ諸国にはありません。」

「例えば、カリフォルニア大学は、州憲法で設立され、法人格を付与されている憲法上の機関です。」

 このような「国立大学でかつ法人格を持つ」先例が諸外国にあるのですから,もし参考にするとすればこのような制度をこそまず学ぶべきでしょう.しかしその方面での本格的な検討は見たことがありません.私は以前に,国立学校設置法に「国立大学は法人格を有する」という一条を付け加え,その法人格の権利範囲と義務は別の法律で定める,というやり方がどうしてダメなのかと質問を出しました.法改正の「量」という意味ではいわば「ミニマル」な方法,つまり最も経済的な方法だと思うのですが,これへの有力な反論を受け取ったとは思えません.もちろんその「別の法律」に問題を先送りするだけの事かも知れませんが,現在の傾向のように独立行政法人制度を雛形にすることがないので,このイデオロギーから自由になれると思うのです.

 いわゆる「行革」という言葉,P. ブルデューの言うところの象徴権力がこの問題と関連して幅を利かせていますし,今後もこれが強まる事が予想されます.しかし独立行政法人制度が規定する行政による大学支配は「行革」とは何の関係もなく,これに何の役にも立たないことを強調すべきです.国の職員の25%削減が言われますが,百歩譲ってもしこれがやむを得ないことで,しかもその相当部分を国立大学に当てなければならないとしても,これと独法化流の制度改変とを結びつける理由など全く存在しません.(因みに「25%削減」はどの法律に書いてあるのでしょうか.法律には10%の数字しかありません.また閣議決定は法律ではありません.)最近あまり言われなくなりましたが,もし,「独法化すれば25%削減を免れる」などという子供だましに踊らされたならば,21世紀初頭の日本の国立大学の人間は歴史の笑いものとして永遠に記憶されるでしょう(注2).「生き残り」論も同様です.

 「独法化」問題での攻防はまだ緒についたばかりです.この制度の本質が多くの人に知られれば,これが憲法23条と教育基本法10条に反する違法なものであり,それへの準備行為はいわば「予備罪」と言うべきものだということが理解されるでしょう.そのことは,「調査検討会議」への国大協の参加に反対する署名に対して,わずか1月余りで多くの著名人,国立大学OBの支持が集まったことからも明かです(注3).文部省という役所が一度決めたことをひっくり返すというのはたしかに容易なことではありません.しかしだからこそ挑戦するに価するとも言えます.国権の最高機関は国会であるというこの国の政治制度の原則を信じて,あらゆる努力を続ける必要があります.

 最近出版された中村忠一氏の国立大学と私立大学との「効率の数値比較」(注4)は,”国立大学は非効率”という風説へのよい反論材料を提供しています.このスタイルでの議論は,私大対国立大という「内輪もめ」にならないよう注意すべきですが,風説を排して客観的な認識を広めることは重要です.

 大学や学会は組織として有明海の惨事を警告できませんでした.このような大学の批判的な機能を強化するような改革をこそ目指すべきです.まさにユネスコの「高等教育世界宣言」が指摘するように,です.独法化はこの正反対であり,大学が行政に従属すれば,教員個人レベルでの批判の能力までも殺がれて行くでしょう.日本人であるユネスコの事務総長も独法化問題に無関心であって欲しくないと思います.(2001.4.3)


(注1) 全文は次です.
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/00c/29-oosaki.html

(注2) 「独法化を拒否して25%削減を甘んじて受ける」というのも騙され方のバリエーションの一つ.

(注3) この名簿は次をご覧下さい. ../UniversityIssues/shiji.html

(注4) 中村忠一,「国立大学民営化で300の私大が潰れる」,エール出版,2001年.

(大学改革情報,高等教育フォーラムへの投稿はver. 1.0として下さい.)