大学評価システムを評価する

佐賀大学理工学部 豊島耕一
2008年9月9日
メールリスト「高等教育フォーラム」に投稿

要約

現在行われている国立大学評価システムは,法人法の国会審議の段階で指摘されたように違憲の制度であり,その弊害が出始めた今日,これを法廷に問うべきである.また,評価機構の長が問題人物であったり,審議機関のありかたにも問題がある.このような評価機構そのものに対する「評価」を同時進行させる必要がある.国立大学は,授業料の大幅引き下げと,そのための運営交付金の大幅増額を掲げることによって,格差社会是正という「社会貢献」ができる.

目次

1.現行の評価システムの違憲性
2.評価機構の実態について
3.「評価」と予算配分や大学再編とのリンクに合法性があるのか
4.評価への対応について
5.違法行為に対する評価は?
6.いま最も重要な大学の「社会貢献」とは?

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はじめに

国立大学の「中期目標」の期間が終わりに近付き,「評価機構」の評価を受ける時期を控えて,各大学は関係文書のとりまとめや評価への対応で忙しい.しかしこの「評価」なるものがその名に価するものかどうか,そして,自己暗示的に口にされる,評価に連動する予算配分なるものがどういう法的根拠を持つものかを明らかにすることが重要だ.いわば,評価システムとその評価行為そのものの“評価”が必要だ.

1.現行の評価システムの違憲性

現在の国立大学の評価システムの法的根拠は次のようなものとされる.すなわち,国立大学法人法35条は独立行政法人通則法34条の準用と読み替えを規定しており,その通則法には「独立行政法人は,中期目標の期間における業務の実績について,評価委員会の評価を受けなければならない」とある.読み替えを施した後の通則法の34条2項は次のようになる(すなわちこの文章が国立大学法人法となる).
「前項の評価は・・・独立行政法人大学評価・学位授与機構に対し・・・国立大学及び大学共同利用機関の教育研究の状況についての評価の実施を要請し・・・」

つまり「評価委員会」はいわばトンネル会社のようなもので,実際には「大学評価・学位授与機構法」が評価を実施することになる(同機構法の16条の2「業務の範囲」参照).

ところがこの法的枠組みと制度そのものが,学問の自由,大学の自治に照らして違憲の疑いがある.すなわち,
1)行政が大学を直接評価するシステムである.法人法9条は「国立大学法人評価委員会」が文部科学省の機関であることを規定している.
2)大学評価・学位授与機構の人事権は行政(文部科学省)にある.つまり,文部科学大臣が機構長や監事を任命し,機構長が評議員を任命する.

このような違憲性については,法案審議の際に国会で野党議員が指摘したが,その後も,評価機関が政府からの独立性を欠くという問題について櫻井充議員が2003年10月7日付けの質問主意書で取り上げている.
 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/157/syuh/s157008.htm
(答弁 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/157/touh/t157008.htm

法律となり実施されたからと言って違憲性が消えるわけではない.むしろ,実害の発生によりこの問題を法廷に持ち込む根拠が成立したと言うべきであろう.

2.評価機構の実態について

機構長の木村孟氏は,「君が代・日の丸」強制で悪名高い東京都教育委会の委員長であり(2008年7月17日現在),石原都知事と並んでこの違憲行為,教育破壊行為の最高責任者である.また彼は,全国都道府県教育委員会連合会の会長でもあるので,最近問題となった大分県教員採用汚職事件と全く無関係というわけにもいかない.

評価機構の審議機関である評議員会の構成を見ると,ほとんどが学長など組織の長が占めている.これらの人々はそれぞれが重責を担っているはずであり,自由になる時間がそれほどあるとも思えない.実際,一昨年6月から今年の3月までの2年間に開かれた6回の会議についてその出席状況を見ると,委員20名のうち8名は(持ち回り会議を除く)出席率が5割を下回っている.東大総長,京大総長など5名はこの間に一度も出席していない(それでも何らかの報酬を受け取っているのだろうか?).毎回の会議も,6回のうち4回は出席率が50%以下であり,内規で認めた委任状でなんとか成立させているという状況である.
出欠表を次に置く.
 ../UniversityIssues/hyouka/hyogiinkai.html
 ミラー http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/hyogiinkai.html
 エクセルファイル
 根拠資料:同機構の評議員会議事要旨
各委員の,本務とこの委員会との間での「エフォート率」の配分はどうなっているのかを訊いてみたい.

このような,東京都の違法かつ反教育的な政策に責任がある木村氏をヘッドとし,エフォート率の低い審議機関でコントロールされる法人によって行われる「評価」に国立大学はさらされようとしている.国立大学は,単にこれをそのまま受け入れるというだけでいいのだろうか?特に,木村氏のような,東京都の教育破壊に責任がある人物が長であることを黙って認めていいのだろうか?

なお,文部科学省の「評価委員会」の議事録が,第19回(2007年4月6日)以後少なくとも5回の会議について1年以上にわたって公開されていない.透明性,公開性という点で重大な瑕疵がある.

両委員会について,その議事録の内容までチェックする余裕はないが,誰か第三者がこれを精査しなければならない.

3.「評価」と予算配分や大学再編とのリンクに合法性があるのか

「評価」と予算配分,あるいは個々の大学の運命そのものがリンクしかねないということで,大学側はつまらないと思われる形式的な作業をも強いられる状況になっている.これは,通則法35条が国立大学法人に対しても準用されることになったため,やむを得ないかのようにも見える(法人法35条).しかも,例によって「情勢分析」という名の自己脅迫も進んでいるように思われる.財界人などによる大学統合や再編の非公式な話をとらえて,「狼が来る」と自らに言い聞かせているのではないか?悪い評価を受けると,自分の大学の運命がどうなるか分からないから,とにかく必死で対応するしかない,というわけだ.

しかし,国立大学法人法を可決した国会は,同時に付帯決議も付けている.参院のそれには「運営費交付金等の算定に当たっては、法人化前の公費投入額を踏まえ、従来以上に各国立大学における教育研究が確実に実施されるに必要な所要額を確保するよう努めること」(“各”国立大学とあることに注意)という項目があり,衆院の決議にもほぼ同様の文言がある.共産党の石井議員はこの決議を根拠に,「運営費交付金の算定に当たっては,二〇〇四年度ならびに今後,二〇〇三年度国立学校特別会計繰入額を上回る公費投入額とすべきではないか」との質問主意書を2003年11月26日に出している.これに対する答弁書はこれに反論も否定もせず,「国会審議における附帯決議にのっとり,国立大学法人の業務が確実に実施されるよう,運営費交付金を措置していくことが必要」と,むしろ肯定的に答えている.

これらのことを見れば,行政が「評価」とリンクさせて“各”国立大学の経費を削減したりすることが「国権の最高機関」たる国会の意志に背くものであることは明らかであろう.現在行われている毎年1%の削減や,言われている3%削減も同様である.このような国の介入を正当化する唯一の方法は,文科省や財務省など行政の判断ではなく国会に諮ることである.

しかも上に述べたように評価そのものが合憲性を欠くのだから,「評価」と予算等とのリンクは二重の意味で不当なものだ.これに対して各大学はもちろん,全大教など大学関連の団体が本気で怒りを表明しているようには見えない.全く理解に苦しむ.

「狼が来る」説に関して言えば,これまでの例からしても,再編などの政策は個々の大学の「実績」―プラスであれマイナスであれ―などとは無関係に進められるものだ.これに対抗出来るための重要な要素は,大学社会全体の「民度」であろう.(これがあまりに低かったため,教養解体以来の「改革」が一方的に進められてきたと思う.)

4.評価への対応について

だからといってここで,私のような者が「評価を拒否せよ」などと言ってもほぼ無意味であろう.評価に対しては,将来の改善に実質的に役立つように,形式的でなく実際的態度で臨むべきだと思う.したがって,現在,不適切と見なされるものについては,目標・計画の修正・変更も(今となっては当然「自己批判」付きで)考えるべきではないだろうか.当初,文科省の「合田フォーマット」に無批判に追随し[1],「項目競争」をしたツケが回ってきたのではないだろうか.中期目標・計画はさわれないものと見られているようだが,実際「上から」変更させられた実例もある.少なくとも,後々になって「偽装」報告とか粉飾報告などと言われないようにしなければならない.

5.違法行為に対する評価は?

「評価」に関して気になるのは,評価以前の問題,すなわち大学による違法行為の問題がある.いくつかの大学で残業代不払いが表面化してメディアでも取り上げられているが,任期制の適用に関しても問題がある.教員全員を任期制にしている部局が複数あるようだ.これは明らかに教員任期法に違反している.「大学の教員等の任期に関する法律」の4条と5条が教員に任期をつけられる条件を規定しているが(助教を採用するときは条件なし),あくまでも特別の場合であって,決して一般的に,全員に任期をつけることは許容していない.はたして評価機構はこの問題に目を向けるだろうか?なお,この件(違法性という問題)は全大教など組合さえ問題として取り上げていない.

任期制で採用するということは,当然のこととして「われわれはあなたをずっと必要としているわけではない」という被雇用者に対するメッセージを含むのである.コンプライアンスの問題であると同時に,教員の士気や忠誠心を大きく左右する組織運営上の問題でもある.

6.いま最も重要な大学の「社会貢献」とは?

他人の目を気にせずに自分のやりたいことをやる,信じるとおりに行動する,というのが,本来的な大学人のありかたの理想で,このような態度を取るメンバーのabundance(存在比)が少なくなりすぎたこと,あるいは絶滅したことが「独立性」の面での大学劣化の大きな原因かも知れない.しかし今日,国民的な理解や支持なくしては,資本原理主義[2]による大学破壊に対抗できないのも明かである.実はその絶好の材料がある.授業料問題である.今や日本の国立大学の授業料は,公立の大学としては世界最高水準にある.他方,「格差社会」と言われる状況が深刻化しており,教育の機会“不”均等は,この病状を格差“固定”社会へと進行させてしまうだろう.

これに対する有効な答えの一つは,国立大学の授業料の大幅引き下げだ.数十年前の,月額3千円程度のレベルにまで戻すことだ.「貧乏人でも国立なら行ける」という状態を再現しなければならない.そのためには,運営交付金の削減などもってのほかで,大幅な増額をしなければならない.この要求は幅広い国民的な支持を得られるはずだ.むしろ大学がこのような要求を打ち出すことこそ「大学の社会貢献」そのものだ.

「フルブライト奨学金」で有名なフルブライト上院議員の次の言葉には,大学関係者が常に心にとどめるべきことが含まれていると思う.

"When the university turns away from its central purpose and makes itself an appendage to the Government, concerning itself with techniques rather than purposes, with expedients rather than ideas, dispensing conventional orthodoxy rather than new ideas, it is not only failing to meet its responsibilities to its students; it is betraying a public trust." (Senator J. William Fulbright, 1905-1995)



(関連法律)
独立行政法人通則法
 http://www.kantei.go.jp/jp/cyuo-syocho/990427honbu/houjin1-h.html
国立大学法人法
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H15/H15HO112.html
独立行政法人大学評価・学位授与機構法
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H15/H15HO114.html
大学の教員等の任期に関する法律
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H09/H09HO082.html


[1] 拙稿「『意見』の根幹は項目設定(アジェンダ・セッティング)にある」参照.
 ../UniversityIssues/chukimokuhyo.html
[2] いわゆる「新自由主義」のこと.この呼び名の「新」も「自由」もともにプラスイメージの言葉である.批判するつもりでこの言葉を一回使う毎に,このイデオロギーを自動的に賞賛し褒めそやすことになるため,この美名で呼ぶことは避けなければならない.