-- 福岡県の教育・文化懇話会の提案 提言、序論--
九州大学教授 福留久大
一年間の高校中退者の数が12万人を越えた。登校拒否、校則強制など、生徒と学校の距離の拡大を思わせる現家が頻発している。次代を担う若者たちの教育が病んでいることには、疑間の余地がない。われわれが、身の非力をも顧みず「福岡県の教育・文化」の問題の検討を試みるのは、この事態を放置できないと考えるからである。様々の教育関係者の声に耳を傾け、おたがいに意見を戦わすなかから、一筋なりと打開の糸口を見いだしたいと願うからである。福岡高教組の求めに応じてこの懇話会に集まったのは、このような考えと願いに基づくものであって、他意や他からの強制は無い。したがって、われわれは、いずれの組織・団体(福岡高教組をふくめて)にも、また特定の思想・信条にも囚われることなく、全く自由に発想し討論を重ねてきた。
人間の動物的本性あるいは人間と他の動物との差異というような人類史の根源に関わる大間題から大学受験のための課外授業の実状や学校週五日制の導入の是非というような身近な間題に至るまて、論議は多岐にわたった。公式・非公式あわせて十数回に及んだ会合での討議内容を整理して、現場の教師への提案提言として文章化したいと考える。何らかの参考資料となり得るならば、そして叱正なり共鳴なり、現場からの反応が得られるならば、大変に嬉しい。兼ねて、父母・同窓生を含む地域社会への訴えとなり、学校教育の抱える間題へ関心が集まる縁(よすが)となり得るならば、一層幸いである。
全く自由に発想し討論を重ねるがゆえに、われわれの議論は拡散の傾向が強く、容易には焦点を結びそうにない。とはいえ、緩やかな形では、われわれの間に共通の精神的基盤が存在することも、また確かである。「力による強制」は教育に馴染まないであろう。「理による説得」「情による誘導」などの直接的人間活動こそが教育の核心に置かれるべきであろう。一例を挙げるとこういう感じ方・考え方は、その共通の精神的基盤の一面を成していると言えよう。
この感じ方・考え方をすこし敷行して、われわれの共通の精神的基盤を論理化してみると、次のように表現できるのではないだろうか。-- 類としての人間は清濁柔剛雅俗大小実に多様である、個としての人間は弱点をいっぱい抱え込んだ未完成の存在に過ぎない。しかしそれゆえに、多様な人間の協力共同の必要、より完成した姿へ向かっての弱い人間の努力の必要、個人の自立性を生かしながら共同に生活する場の組織の必要が生み出される。そういう多様な人間の生存の必要に応えるところに教育の本来の課題と目的が見い出される。
作家はさすがに観察が鋭く、表現が巧みである。教育という仕事の眼目について、すぐ上に論理化を試みたのと同一の趣旨を、トルストイはさりげなくこう表現している。「周知のように、人間は一見どんなにつまらないような対象にでも我を忘れて没頭できるものである。さらにまた、どんなにつまらない対象でも、それに全注意力を集中すれば、必ず無限大に成長するということも、周知の事実である」(『戦争と平和』エピローグ第1編第10節)。
「つまらない」と見るのは世間の常識の眼である。世間の常識から離れて、自由な囚われない眼で見るとき、「どんなにつまらないよつな対象」にでも、きらりと光る価値が見い出せる。ここに、常識的平均的価値観と自由な個性的価値観の葛藤の形で、人間存在の多様さ複雑さが映し出されている。そして、世間の常識の眼には無意味と見える対家であっても、それに魅力を覚え価値を見い出す人が丹念に育てるならば、無限大の価値を発揮するものとなる、という次第で、人間の未完成性と教育によるその発達可能性とが語られている。
こう読解するとき、この叙述は、平均と個性、通俗と孤高、常識と主観という形をとった社会対個人の葛藤関係の描写と交錯させつつ、育てるものと育つもの、教えるものと教えられるもの、双方の不思議に味わい深い関係を浮き彫りにして、教育という仕事のもつ醍醐味を示唆するものになっていると言えよう。
「どんなにつまらない対象でも、それに全注意力を集中すれば、必ず無限大に成長するということも、周知の事実である。」トルストィの言葉のうち、この部分に重ねて注意を払いたい。「無限大に」とまでは欲張らないとして「かなりの程度に」と控えめに構えるならば、相手が、あるいは自分が「必ず成畏するということ」は、私たちの教師生活のなかでもしばしば経験し得ることである。
例えば高名な先達の論文について、自分ひとりで読んているときには核心部分に不明瞭な個所が残っていたのに、学生との輪読の場で霧が晴れるように脈絡がはっきり把握できるようになり、さらにはその論文の弱点の所在、弱点の克服の方向も見えてくるというよつな場合がある。そういうとき、自他ともに確実な成長を実感できるのであって、それに伴う達成感・充実感こそは、正に教師冥利と言うべきであろう。
その種の達成感・充実感があればこそ、とかく思うに任せぬままに日頃の生活で味わう淋しさや悔しさに耐えて、ともかくも前向きの姿勢を保つことが出来るようである。「必ず成長するということ」への確信を白覚的に胸底に育むことに、教育という仕事の原点が求められるのではないだろうか。
社会と個人の葛藤関係のなかで弱体な人間が可能性を伸ばし生きる力を身につけつつより完全な姿に育っていく-- そういう形で先の世代が後の世代を教育する事業を、人間社会は古代から現代に至るまで営々と宮み続けてきている。ただ、次の世代を教育する形態は、近代に至って大きく転換した。
長い間、生きるのに必要な知識や技術を次の世代に伝えるための教育は、それとして独立の形態を採ることなく、日常生活や労働の現場で生活や労働の一環として行われてきた。「教育」が日常生活や労働の場を離れて、一定のまとまった時間一定地点に集約されて「学校」の形態を採って行われるのは、人類の歴史のなかでは新しいことと言える。
「学校」(school)という言葉の源がギリシャ語「閑暇」(schole)にあるように、労働の場を離れて一定地点に通う暇が得られるためには、経済的余裕の存在が不可欠である。一部の階層のための学校て、あれば、古代ェジプトやギリシャの時代にも、東洋の孔子孟子の時代にも存在してはいた。しかし、一般庶民の規模にまで学校が普及するには、産業革命(英国で18世紀後半から1830年代に生じた道具の機械への集中的転化現象、のち欧米・日本に伝播)による生産力の飛躍的上昇と経済的余裕の拡大とを待たなければならなかった。こうして学校の急激な普及は、欧米や日本でも19世紀後半からであり、世界の各地には学校の普及の遅れによって非識字率50%を超える地域が残っているのである。
旧来の社会では実務的知識や体験的技能を次の世代に伝授する教育機会が各所に散在していた。それらは、近代に至って、「読み書き算盤(算数)」の文字情報に類型化されて「学校」という一定点に囲い込まれた。「学校教育」という形で社会制度化が図られたわけである。こうした社会制度化に伴って、学校と学校教育は、それ自体一つの部分社会として、国なり県なりの全体社会における社会と個人の葛藤関係を濃厚に反映せざるを得なくなってくる。
社会と個人の葛藤関係という観点から見るとき、メダルに両面があるように、この学校教育にも表と裏の両面がある。一面では、「教育する」(educate)という言葉の源がラテン語「引き出す、導き出す」(educo)であるところに見られるように、青年少年のもっている才能を引き出す、若者の様々の才能の芽を育て花開かせるという機能がある。と同時に他面では、既存社会の主流階層がその社会の安定的維持のために必要と考える知識・技能や道徳・価値観を次代の世代に伝授し体得させるという機能をも、学校教育は果たしている。仮りに前者を「内からの開発」機能と呼び、後者を「外からの伝達」機能と呼ぶならば「内からの開発」機能は、個人の生命の維持・発展を目的とするものであり、「外からの伝達」機能は、社会の体制の保持・強化に繋がりを持つものであることは言うまでもない。
先に挙げたトルストイの「無限大の成長の可能性」の命題は、個人の生命の発展の視点から教育における「内からの開発」機能を強調したものと見ることが出来よう。この視点の尊重されなければならないことは、改めて言うまでもない。しかし同時に、学校教育は社会体制の安定的維持のために「外からの伝達」機能を担わされていること、それによって学校教育は深刻な矛盾を抱え込むに至っていることをも、怠りなく認識しておかなければならない。
社会も個人も死を避け生を全うしようとする根源的欲求を有する。つまり社会はその体制の維持・強化のために全力を揮い、個人はその生命の保存・発展に懸命になる。社会の側からは、構成員である個人に対してこれを体制秩序のもとに統治し管理しようとする力が働く。その力は、体制の掲げる中心的価値観への指向を奨励するという精神的心理的次元のものから、法令の遵守を求めて違反者に体罰を科するという物理的実力的次元のものまで多様な形態を採る。個人側からは、不可譲の人間の権利(人権)が主張され、社会の統治権力からの自由とそれによる自由な個性の発露が求められる。
社会の側からの集団主義的統治原理と個人の側からの個人主義的自由原理との対立は、濃淡の差、強弱の差を含みつつどのような社会にも存在する。そして、前者の肥大と後者の衰弱によって前者が後者を圧倒する場合も、その逆の場合も、その社会は健常状態とは認められない。そこで、前者と後者の均衡状況あるいは拮抗状況を目指して、様々に民主主義が模索されることになる。「民主制とは、法律、命令、裁判判決、行政処分などいろいろの形態であらわれる国家の統治意志と、それによって統治される国民各自の意志とを一致せしめ、統治する者と統治される者との間に自同性(identity)の関係をもたせようとする原理、いいかえれば、国民の政治的自治または自律を認める原理をいう。」(清宮四郎『憲法』--統治の機構--有斐閣)
民主主義が「統治する者と統治される者との間に自同性(identity)の関係をもたせようとする原理」であるとして、現実の社会においては「統治する者」との間には絶えずズレがある。したがって「自同性の関係」はいわば永遠の目標ということになり、現実に得られるのはその近接形態であろう。「自同性の関係」は、いわば絶えざる不均衡を通じて達成される均衡という宿命を負っていると言えよう。
そのことは、社会において「統治する者」と「統治される者」とが「民主主義」を挟んで絶えず綱引き競争をしている状況に愉えられる。換言すれば、前者の集団主義的統治原理と後者の個人主義的自由原理とが対立し、絶えざる葛藤関係にある、ということである。近代以降の社会制度化された学校は、一つの部分社会として、全体社会における統治原理と自由原理の葛藤関係に巻き込まれざるをなかった。それが学校教育の場において発現したのが、先に触れた「外からの伝達」機能と「内からの開発」機能との対立関係に他ならない。
近代の学校教育は、統治原理と自由原理の対抗、「外からの伝達」機能と「内からの開発」機能の対立を抱え込み、その両立を図るために苦しむ運命を当初から背負わされている。ドィッの社会哲学者ジメンルは、この教育の不遇について、こう述べている。「教育というのは不完全なのが普通である。その一歩一歩が、『解放』と『束縛』という二つの対立する傾向に仕えねばならないから」(『愛の断想・日々の断想』岩波文庫)。『束縛』が「統治」ないし「外からの伝達」に『解放』が「自由」ないし「内からの開発」に対応していることは、明らかだろう。ジンメルは、束縛と解放の二語を用いて、教育が不可避的に競合する二つの原理の葛藤状況に悩まざるを得ないことを指摘したのである。私たちも、人を教え育てる教育という仕事が原理的に困難を背負いこんでいることを改めて確認しておきたいと思う。
学校教育の機能が「外からの伝達」と「内からの開発」という二面性をもつのに対応して、学校教育の成果も、二つの側面から考察されなければならないだろう。そして、管見のかぎりで結論を先取りして言えば、「外からの伝達」の面では、日本の学校教育の成果は大変高いのである。この面に関しては、日本の教師たちの手腕と努力は、国際的にも抜群の評価を得ている。物的に恵まれない条件のもとでのこの高い成果は、特筆大書するに値しよう。特に、日本国内ではこの「外からの伝達」機能面の評価が正当になされないままに、「内からの開発」機能、こ関わる弱点のみが指摘されがちであるだけに、十二分の留意が必要であろう。
そこで、このような結論を裏付ける調査資料を提示しなければなない番である。ここでは、英国の週刊誌・「エコノミスト」(The Economist)による調査報告に耳を傾けよう。「エコノミスト」といえば、1843年創刊のロンドンの経済専門週刊誌であったが、今日では政治外交等国際問題を広く取り扱う総合週刊誌に発展、新聞「タィムズ」紙と並ぶ権威をもつに至っている。日本の経済成長に早くから注目、しばしば日本特集を編んできた。その「エコノミスト」の東京支局が、1990年4月21号に、日本の教育を論じた特集記事を発表した。「日本の学校-- 太郎くんの思考力が弱いのは何故か」(JAPAN'S SCHOOLS-- Why can't llittle Taro think?)と題されている。
その冒頭部分に、現在の日本の教育問題の正負両面の核心部分がこう要約されている。「日本の教育組織は、その目的に即して輝かしい成果を達成している。しかしその反面、日本の教育は過剰の知識と過少の思索をもたらし、勉強しすぎの子供たちと過度に体制順応的な大人たちをあまりにも沢山作り出した。さすがの日本人もそう考始めている。」
Japan’s education system has served its purpose briliantly‐But even the Japanese have begun to think it produces too much knowledge and toohttle thought,too many overworked children and over‐conformist adults.)
この要約が言うには、日本の教育は「勉強しすぎの子供たちと過度に体制順応的な大人たち」を大量に作り出したというのだから、「外からの伝達」機能の面では、「輝かしい成果を達成している」。ところが、他面で日本の教育は「過剰の知識と過少の思索」を産出したというのだから、ということはつまり、日本の子供たちは知識は豊富だが、それを何の目的でどういう具合に運用するのかという判断力・思考力は貧弱だというのだから、「内からの開発」機能の面では、成果が乏しかったということになる。より正確には、「内からの開発」機能の面では、弱点があり問題が生じているというわけである。
「エコノミスト」がいう日本教育の「輝かしい成果」について、具体例を見ていこう。「あなたは会社の社長で、新設工場に必要な部品組立労働者を探していると仮定する。あなたが求める模範的労働者はどういう人だろうか。思うに、次のような人だろう。読み書き能力と計算能力に優れている人、困難な仕事に耐えて働く人、矢敗しないよう細心の注意を払う人、体制順応的な人、上司に対して従順である人。一言に括れば、これこそが、すなわち日本人なのである。」
「言うまでもなく、以上は大局的判断である。細かく見ると、他国の場合と同じく、日本にもいろいろの人がいるわけで、決して一色ではない。それでも、良好な労働者を作り出す能力に異常に恵まれているし、他国に例のないほど誰も彼も一様にそうだというところに、日本の特色がある。このような人間類型を生み出す教育組織は、現代世界の驚異の一つである。日本では、英国や米国と違って、産業社会で必要な基本技能を子供たちに伝授する点で十分でないと言って学校制度を非難する人など皆無である。」
「産業社会で必要な基本技能を子供たちに伝授する」機能を十全に果たして、「良好な労働者」にふさわしい「人間類型」を産出するうえで、日本の学校は、「現代世界の驚異の一つ」と言える存在となっている、というわけである。
「具体例を挙げよう。(1)日本では義務教育は中学校(12〜15歳)で終わる。しかし94%がさらに高等学校(15〜18歳)へ進学する。この進学率は、世界最高である。(2)日本の生徒たちは、1983年の世界規模の数学試験で、最高得点を獲得した。米国の生徒たちの2倍の成績だった。(3)標準知能テストでみると、西洋人平均を100として、日本の生徒たちは117である。(4)最近米国人トーマス・ローレンの書物『日本の高校』(Thomas Rohlen’s“Japan’s High Schools”)が好評を博しているが、この書物によると、日本の高等学校の卒業証書は米国の平均的な学士号に相当するという。(5)日本人は、平仮名と片仮名の2種類の基本文字と2000個の中国文字(漢字)を使う。それでいて難読症は極めて稀で、これが医学上の問題となったことはない。また、成人で文字を読めない人はほとんどいない。」
「こういった学校教育の貢献は、たんに学術的な面に限られるわけではない。日本の学校は、他の工業国に比較して驚くほど安定的社会をつくることに貢献してもいる。英国、米国、西独と比較して-- それぞれの部門ごとにこの3国のうちでの最も低い数値を比較の対象にして-- 日本の離婚率は30%も低く、殺人事件率は40%も低く、強姦事件率は80%も低く、合法的婚姻によらない出産の率は95%も低いのである。」
日本の学校教育は、高い基礎学力と識字率を実現する過程で、忍耐強く勤勉な「人間類型」を産出して産業的繁栄を支えたし、順応性に富んだ穏和な「人間類型」を作り出しては社会的安定の維持に貢献している、というのである。日本の教育に対する「ェコノミスト」の評価は、このように大変高いのである。
産業的繁栄と社会的安定とを蘭らすうえで日本の学校教育の貢献が大きいとして、「エコノミスト」はそれを「錬金術」(alchemy)に愉えている。
「日本の学校の設備は大抵貧弱であり、その建物は薄汚れており、殆どの学級の生徒数は40人を超えている。この劣悪な教育環境の存在を知れば、どんな錬金術を使って、日本人は学校の教室を、読み書き能力と計算能力の大聖堂へと化身させ築きあげたのか、不思議な思いに駆られないわけにはいかなくなる。」
欧米のいわゆる先進工業地域では1学級の生徒数は20〜25人で上限が画されるのが普通だし、国連など国際機関の文書でも1学級30人というのが常識となっている。したがって、「殆どの学級の生徒数は40人を超えている」という国際水準より劣る環境で、国際水準より優れた読み書き能力・計算能力を達成するのだから、「錬金術」ということになるのだろう。
「錬金術は何よりもまず、時間である。1日のうちで生徒が学校にいる時間は他の国々の場合とほぼ同じだが、日本では学校に通わない休みの日数が遥かに少ないし、上曜日にまで学校がある。高校の終わりまでに、日本の平均的生徒は米国の生徒に比べて1年相当分多くの授業を受けていることになる。学校外においても、最近の調査によれば、ひと晩あたりの自宅学習が、日本の子供たちは2時間であるのに米国では30分であった。」
多くの時間を費やして生徒たちが一所懸命勉強することが「錬金術」だという。この点については、先に「エコノミスト」が触れていたトーマス・ローレンの書物が、より雄弁である。この書物は日本で翻訳刊行されており(『日本の高校』友田泰正訳・サィマル出版会)、日本の高校卒業生の基礎学力の高さの理由が、こう説明されている。日本の学校では、米国に比べて、授業日がより多く1日の授業時間がより長い。日本では40週通学、週6日制。米国では36週通学、週5日制。日本の生徒は、米国のそれより1年につき3か月多く通学していることになる。授業時間の長さを加味すると、高校3年間で日本人は1年分余計に勉強する。「このような計算をしつづけると、驚くべき背筋の寒くなるような事実にいきつく。まさかと思うかもしれないが、日本人は小学校から高等学校までの12年間に、ほんとは4年分も余計に学校教育を受けているのだ。」
日本の生徒たちが一所懸命勉強していることが、高い基礎学力と識字率を実現し、産業的技能と社会的安定とを招来している。それが「エコノミスト」の観察だといえよう。そのことは、生徒たちを教育する教師たちもまた一所懸命だということになる。「ェコノミスト」は、その点についてこう言う。「教師たちの目的は、平均的な生徒たちの学力水準を引き上げることであり、その目的を達成する点において、彼らは立派に成功を収めている」。日本の教師たちの苦労が戦後日本社会の安定と産業の繁栄に貢献している事実が、正当に評価されていることを確認しておこう。
と同時に、「エコノミスト」が、日本の教師たちの熱心さの内容に疑問符を付していることも付け加えておこう。「懸命」に努力してはいるが、その努力が文字通り「一所」に限られているのではないかというのである。すぐ上に引用した文章に先行して、こういう指摘がなされている。「日本の教師たちは、厳密にカリキュラムに即して授業を進める。欧米の教師よりも教科書を使用する頻度が高いし、教科書により忠実である。儒教の伝統に忠実に、日本の教師たちは、意見よりも知識を求める。知性よりも努力を求める。自己表現の態度よりも謙遜の態度を求める」。
種子から芽が出て花が咲き実を結ぶように、生徒の意見の形成と知性の錬磨を勧め、自己表現の力を養わせる。このような教育の「内からの開発」機能に関わる側面が弱いという指摘である。骨惜しみせず年長者に忠実従順な態度でひたすら知識の吸収に努力すること、何よりもそれが重視される。そういう狙いで英語、数学、国語(あるいは精々でも理科、社会を加えた5教科)の知識と刻苦精励の精神が植え付けられる。教育の「外からの伝達」機能に関わる面が強力に推進されることになるわけである。しかも、極端に画一的に。
知識の伝達を中核とした基礎学力の向上という「外からの伝達」機能が、日本教育において効率的に進められているについては、種々の選択肢を切り落として、画一主義・標準化方式を特色としていることも、注目される。就中、文部省の中央集権的な教育統制が、画一主義・標準化方式を一層際立たせ、「外からの伝達」機能の展開を目覚ましいものにしている。「内からの開発」機能は、放置され、さらには犠牲に供されているのではないか。成功の代償としての失敗という形で「内からの開発」機能は、押し潰されているのではないか。そこに、高校中退や登校拒否という生徒と学校の不調和が胚胎しているのではないか。「エコノミスト」は、「マレイ半島からマイフェアレディへ」の小見出しの下にそういう議論を展開している。
「エコノミスト」のその部分を引用してみよう。「それでは、日本の教育は、全てがうまくいっているのだろうか。決してそうではない。教育制度の恐ろしいまでの画一化は、その代償を支払わなければならないのである。その代償のうちで大きな懸念材料は、中央集権的教育統制に潜む危険性である。これは、いまのところ、代償の小さな部分でしかない。だが悪くすると、いつの日か重大な結果を惹き起こしかねないのである。1931年に始まり1945年にまで続いた日本の冷酷な戦争の歳月の間に明らかになったことであるが、上意下達の儒教精神に基づいて運営される大衆教育の制度が間違った指導層の手に委ねられるとその災禍は実に大きいのである。今日、この種の危険性の指摘が文部省に対してなされるといっても、不当ではないだろう。」
「官僚制度の最も反動的で秘密主義的な一面の現われであるが、文部省は、日本近代史の恐怖の一面が学校で詳細に教えられることを組織的に防止しようと試みてきた。例えば文部省検定の教科書では、満州における“進出”(advance)については言及があっても“侵略”(invasion)については記述がない。なかには、1910年から1945年までの日本の野蛮な朝鮮統治について全く触れられていない教科書の例さえ存在する。時には、文部省が笑止の沙汰というしかない行動に走ることさえある。昨年(1989年)、文部省が教科書出版社に命じて、第二次大戦中に日本人兵士がマレィ半島で幼児を銃剣で刺したという一節を“マイフェアレディ”に基づく物語に差し替えさせたのである。」
「最近、文部省はますます横暴になってきている。今月(1990年4月)からの新学年度以降、日本の学校では、重要な儀式の際に、“日の丸”を掲げ“君が代”(天皇への讃歌で、非公式の国歌の役割を果たしているもの)を歌うことを義務づけられた。これに異議を唱える教師たち-- かなりの大きさをもつ少数派集団で、左翼系労働組合の支援を得ている-- は、懲戒処分となってしまうこともある。」
「文部省の役人たちは、米国で国旗国歌などの象徴物が広汎に使用されていることを引合に出して、日本でも国民に自分たちのあり方を気付かせる必要がある、と言う。だが、この日米対比は、間違っている。米国は何百という少数民族から構成されており、彼らの多くは近年の移住者で、忠誠の対象も様々である。日本では、事情が異なる。そこでは、人々の日本人意識はすでに十分すぎるほどに強いのである。」
(この部分については正確を期して、THE ECONOMIST APRIL 21 1990・原文の写しを別添する)
現代の日本では、年間12万以上の高校退学者が生まれ、5万人近い小学児童、中学生徒が登校拒否をしている(文部省編『我が国の文教施策』1991年度)。この事実の内に、「外からの伝達」機能が一方的に強行される結果として、「内からの開発」機能が軽視され、さらには犠牲に供されるという動きが看取される。
教育のもつ「外からの伝達」機能の一方的強行の背景を成すものとしては、何にもましてこの問の未曽有の高度経済成長とそれに伴う生活様式の変化が挙げられねばならない。文部省の中央集権的教育行政もそれに束縛された教師たちの一所懸命も、経済の成長と生活の変化の流れに添い、その流れを速めようとするものであろう。
1945年の敗戦とその後の食うや食わずの生活、1950年代前半の戦後復興とその半ばから始まり73年まで続く高度成長と、73−74年および80年という二度のオイルショックとそれを乗り切って定着した「豊かな社会・経済大国・日本」、これだけの量と質を備えた変化が、多数国民の生活と意識に甚大な影響を与えないはずはなかった。現在の豊かな機械文明の軌道の安定的拡大を願望し、それへの適応を主軸に自分と家族の生活を設計すること、そこに人々の関心が集中し、それを中心に人々の価値観が色付けされていった。
社会学者・日高六郎はその状況を的確にこう表現している。「高度経済成長がつくりだした現在の生活様式を維持拡大したいということが、ほとんどの日本人の願望となった。多くの人々が価値観の多様化を言うけれども、それは、ボーナスを自家用車の頭金に使うか、海外旅行に使うか、貯金にまわすか、といった程度の選択の可能性でしかない。生活水準と生活様式の維持拡大への執着という点では、価値観の画一化こそが意識の深部で進行している。」「国民のひとりびとりの意識のなかで、また日常のくらしかたそのもののなかで、経済優先の価値観が根をおろしたとき、私はそれを経済主義と名づける。」(『戦後思想を考える』岩波新書)。
子供たちも、高度経済成長の影響の例外ではありえなかった。経済開発と都市化進展とは、子供たちの生活空間から山川や樹木や鳥虫獣の自然環境を遠ざけ消し去った。高度機械化による家業と家事の縮小は、そしてその反面としての大人の会社人間化やパートタィマー化は、子供の眼から労働する父や母の姿を見えなくしてしまった。子供自身が大人を手伝って労働を経験する機会も激減した。人口の向都離村と都市集中によって生じた小家族化・核家族化は、子供たちにとって親族の老人や兄弟姉妹との接触機会を乏しくした。都市化と自動車化は、地域社会の近隣づきあいをなくしたし、子供たちから遊び場と遊び仲間を奪った。合算してみると、高度経済成長の過程で、子供たちは自然環境・労働経験・人間仲間という不可欠の根源的要素を奪われたことになる。
子供たちに代償として与えられたものは、過剰な物資、娯楽的情報、人生目的と化した受験勉強であった。これら三つは人間生活にとってなければなしで済む非本質的要素である。人間生活の根源的要素を奪われ、多様な生活様式と多面的価値観を体感し体験する機会を失った子供たちにとっては、自己の個性を見いだすことも、前途に夢を描くことも、極端に困難な仕事であっただろう。かれらは、ただ与えられたものを受け取り、ひたすら吸収するほか術がなかったであろう。「内からの開発」は顧みられる間もなく「人生目的と化した受験勉強」の渦に巻き込まれて「外からの伝達」だけが際立つことになったのも無理からぬことだった。
「受験勉強」というと、普通高校における進学準備だけに眼が向きがちである。これが大問題であることは論を待たないが、いまや「受験勉強」は職業高校の就職準備をも席巻している。模擬試験を重ねて成績上位順に「良い会社」「安定的企業」への「受験切符」が与えられて「入社試験」に臨む仕組みが、堅固に作られているからである。体育スポーッなどの課外集団活動も就職に有利な条件と見倣されて「受験勉強」としての意味合いを帯びてきている。労働と仲間を奪われて代償として与えられた空白を受験勉強に没頭して埋めるか情報過多と過剰物資のなかで人間的孤独に落ちこぼれるか、子供たちは極めて困難な状況に立たされている。落伍したくなければ、「受験勉強」を人生航路の一大目標として「頑張るっきゃない」のが、高校生562万人の、さらには中学生519万人の日常なのである。
経済学者馬場宏二の卓抜な比愉を借りると、状況はこうである。「社会は寄ってたかって子供たちをテープレコーダー付きプラモデルに仕立てようとした。教えられたことを、咀嚼しなくともよいから速くかつ正確に反復できればよい。テープの音質はともかく、回転が速いのがよい。」「テープレコーダーの回転が速いだけの一部がェリートになり、プラモデルになり切れなかった一部が落ちこぼれ、大多数のものは白けとあきらめといくらかの劣等感をもって、無抵抗に労働生産過程に人るようになる。」(『教育危機の経済学』御茶の水書房)受験生の将来の全てが懸かる選抜試験が巨大な暗記試験であることが、一層困った状況を生んでいる。ゆっくり時間をかけて表現力や分析能力を見る試験と違って、事実についての知識を求める試験では、全ての知識が役立つものとなる。受験生は、どこまでも知識を追わねばならない。したがってどこまで行っても勉強を止めるわけにいかないことになる。「無窮動複合体(アド・インフイニツム=ad infinitum)上永遠に際限なく膨張するものに、立ち向かわねばならないのてごある。愉快にのびのびと「学ぶ喜び」「考える楽しみ」を味わう余裕は、最早ない。「覚えなければならない苦しみ」が始まり、膨れる。登校拒否や中途退学の不適応現象が、日を追って増加することとなった。
日本の学校教育の機能と成果を考えるにあたって、私には、社会学者・副田義也の論文「学校教育と日本社会」(東京大学社会科学研究所編『現代日本社会・第6巻・問題の諸相』東京大学出版会・1992年1月25日発行・所収)が、格別に有益であった。そこには、日本の教育問題の現状が、多方面の参考文献の紹介とともに、過不足なく明確に解明されている。
それに加えて、いまひとつ有り難いことがあった。教育学は勿論のこと、教育問題についても素人の私のことゆえ(因みに、私は大学時代に「教育原理」「教育心理」ともに教育学部から出講の二人の先生に「不可」の成績を付けられ、「教育胸囲苦」という思いとともに教員免許状取得の断念を余儀なくされた苦い経験の持ち主です)、この「提案提言」を纏めるにあたって、どういう枠組みで考えを進めていけば良いのか。皆目見当がつかず、苦しい思いをした。1991年の春から夏にかけて、「提案提言」の草案を書く段階で、苦し紛れに浮かんできたのが、「外からの伝達」機能と「内からの開発」機能という教育の二面性を枠組みにして問題に接近する方法だった。そして今、「提案提言」の執筆の最終局面で飛び込んできたこの副田論文「学校教育と日本社会」においても、二つの原理原則の葛藤という分析枠組みが用いられている。我田引水的に言えば、私の分析枠組みとも相当程度共通するように見えるのである。懸命に智恵を絞って仕上げた宿題を先生に認めてもらえた小学生のような気分を私は味わった。
社会のなかに学校教育を置いて見る視角を二つの原理原則の葛藤の構図に求める、そういう副田論文の要点から出発しよう。
副田義也著「学校教育と日本社会」は、現代日本社会を「経済体制において資本主義であり、政治体制において民主主義である」と把握し、「資本主義と民主主義は原理的に矛盾する」と理解する。その把握と理解に基づいて、現代日本社会にも、そのなかの学校教育にも、二つの原理原則の葛藤の関係が認められる、と言う。「資本主義と民主主義という二つの全体的イデオロギーの拮抗関係は、効率原則-- 平等原則、統合原則-- 自由原則、そして、競争原則-- 友愛原則という、それぞれ三つの部分的イデオロギーの対抗関係となった」と考え、そのうえで「その葛藤を常態とみて、一方のイデオロギーが決定的に優越するべきであるという主張に同意しない」との認識を示している。
効率原則-- 平等原則、統合原則-- 自由原則、競争原則-- 友愛原則という対立する三つの組合せの原則を基準にして、日本の学校教育について、次のような判断が示される。
「生徒の基礎学力の高さや勤勉の習慣の形成からみると、効率原則では最高の達成をはたしている。しかし、平等原則では、平等な初等教育では成功しているものの、中等教育以後では性差別や階層的不平等を世代的に再生産している。」
「教室の集団主義でみると、統合原則では成功しているが、その成功の過剰が自由原則を抑圧する傾向が認められる。校則と生活指導、教科書検定、いじめの構造にいたっては、統合原則が病理的に肥大し、自由原則ははなはだしく衰弱している。」
「頑張りの精神て、みると、競争原則では着実に上昇する達成がみられる。しかし、柏対的評価法では、生徒たちを学力評価や入学試験で敵対的競争関係に追いこみ、友愛原則から遠ざけている。また、高卒就職も徹底した競争過程を本質とする。」
総括的に言えば、「学校の内部で、資本主義の原理が強大になりすぎ、民主主義の原理は後退してしまい、両者の拮抗のバランスが失われている」ということになる。「すなわち、学校は、経済体制の資本主義に大きく貫献しているが、政治体制の民主主義のためにはさして役立っていない。」
「これを、いま少し具体的なふくらみをもたせて、未来志向風にいうならば、つぎのようになる。学校教育が育成しつつある未来の日本人の成人世代の大多数は、効率よく働き、所属する組織・集団への忠誠心がつよく、敵対的競争になじんでいる。しかし、かれらは、学校によって不平等な経歴を歩まされはじめ、自由と人権を抑圧され、他者への無償の愛をわずかしか教えられなかった人びとである。かれらは経済的繁栄の担い手としてはよく訓練されているにちがいない。けれども、かれらは将来の民主主義社会、高齢化社会、国際化社会の担い手としてはどうだろうか。かれらはうまくやれるだろうか。うまくやれるのなら、それはわずかにしか学校のせいではない。うまくやれなかったら、それは多分に学校のせいである。」
ここまでくれば、間題の所在は、相当に明確になったと言えよう。副田の用語法で言えば、効率原則と統合原則と競争原則とを主柱とする資本主義の原理が強大になりすぎたこと、平等原則と自由原則と友愛原則とに支えられた民主主義の原理が後退してしまったこと、この両者の均衡が崩れてしまったことが、現在の学校教育の困難な状況、そして将来の日本社会の予想される困難な状況の根本原因である。福留の用語法で言えば、「外からの伝達」機能が一方的に強行され肥大化した反面で、「内からの開発」機能は放置され縮小衰弱の過程を辿っていること、そこに現在の教育困難と将来の社会不安の根源がある。ジンメルの用語法で言えば、教育における「束縛」傾向が強大になりすぎ、「解放」傾向が弱くなって、バランスを失っている、ということである。
そういう偏った学校教育は、中途退学や登校拒否などの教育困難問題を生み出すだけでなく、社会の安定的維持という点でも大きな問題である。例えば、経済的繁栄を考えてみよう。世界人口の6分の1を占める欧米及び日本、経済的最先進地域と目されるこれらの地域に見られる所得と消費の水準(1988年径済協力開発機構OECD平均1人1.3万ドル)に追い付き追い越そうという経済成長路線は、いまや全世界共通の目標と化している。他地域が成長路線追求を続けて目標を実現すると仮定すると、人口50億人で65兆ドル、現在の経済規模の5倍を超える。ということは、石油消費も原子力発電も食料消費も森林破壊も環境汚染も、すべて今の5倍を超えることを意味する。人口増加(国連人口基金『世界人口白書』の中位推計では2050年100億人)を加味すると、今の10倍を超える。これでは地球はもちそうにない。いや、正確には地球上の人類が破滅して地球は再び青い天球の姿に帰るだろう。21世紀を展望して地球環境維持を最優先に考える立場からすると、最先進地域の経済成長を止めたり所得消費水準を下げたりという新機軸への大胆な移行が不可欠である。他地域の成長願望を冷却するために、欧米や日本の路線転換がまず先行しなければならない。
効率原則と統合原則と競争原則の貫徹した教肯を受けてきた人々、「外からの伝達」機能に長けた教育を受けてきた人々、「束縛」には慣れていても「解放」には馴染みの薄い人々、「エコノミスト」の用語法に従えば、「過剰の知識と過少の思索」を特徴とする「勉強しすぎの子供たちと過度に体制順応的な大人たち--これらの人々に新機軸への大胆な移行を期待し得るだろうか。「然り」とは答えられないように思う。このこと一つを考慮しても、教育の質的転換は、避けて通れない喫緊の大きな社会問題だと言えよう。
学校教育の質的転換が喫緊の課題だとして、どのような方向に転換するか、それが次の問題である。そして、その方向については、以上の検討の過程で得た材料を以てすれば、おおよその見当を付けるのに困難はないはずである。
副田の用語法で言えば、効率原則と統合原則と競争原則とを主柱とする資本主義の原理が強大になりすぎたことが、困難な状況の根本原因であるのだから、救いの道は、学校教育の機能のいまひとつの側面、すなわち、平等原則と自由原則と友愛原則とに支えられた民主主義の原理を充実させること、それによって資本主義の原理に偏っている現状を民主主義の原理の側に引き戻して両者の枯抗のバランスを回復することに求められることになる。
福留の用語法で言えば、「外からの伝達」機能の肥大化と「内からの開発」機能の弱体化に現在の困難と将来の不安の根源があるのだから、解決の糸口は、「内からの開発」機能を強化する以外にないはずである。
すでに1970年の時点で、経済協力開発機構OECD教育調査団が、日本教育の最大の問題点として「学生が生まれながらにもつ能力を開発することよりも、選抜の方を重視すること」を挙げ、「こうした選抜制度は、大学教育はいうまでもなく、高等学校以下の教育まで大きくゆがめている」と指摘したことがある(『日本の教育政策』深代惇郎訳・朝日新聞社)。ここでいう「選抜」の重視は、「外からの伝達」機能の肥大化に連動するものであり、「生まれながらにもつ能力を開発すること」の軽視が、「内からの開発」機能の弱体化に対応するものであろう。
20年以上前の時点で、現代日本の教育困難の根本要因は的確に指摘されていたわけである。その時どのような問題解決の方向が示されたのだろうか。OECD教育調査団は、調査結果に基づいて日本政府への質問書で、次のように勧告している。「現在のように入学試験が大学にはいる唯一の狭い門戸である限り、多様なタィプをもち、しかも地位において同等な学校が形成される可能性はほとんどない。ェリート大学の入学試験にそなえて準備教育を行うタィプの学校が、依然として他に比して高い地位を占め続けるだろう。したがって、社会的な選抜を強調する教育制度から、個人の能力を最大限に発達させることを目的とする制度へ移すためには、なによりも文教当局自身がみずから全面的に、この新しい目標に身を入れることが必要だと思われる。」
「社会的な選抜を強調する教育制度から、個人の能力を最大限に発達させることを目的とする制度へ移す」こと、「社会的選抜のための教育でなく、個人の十分な発達のための教育を目標として揚げること」が第一の条件だ、というのであった。この時点ですでに、学校教育の二面のうち「内からの開発」機能の充実へ重点の移動を図ることが提案されていたのである。
現在の教育困難を克服する方策もまた、ここに求められる。20年以上以前の提案を再確認する形にはなるが、真理は古くて新しいと言うしかない。「生まれながらにもつ能力を開発すること」を主眼に「内からの開発」機能の充実へ大きく踏みだすこと、この四半世紀の間、蔑ろにされてきた感のある「自由原則」「平等原則」「友愛原則」の民主主義の精神、民主主義の原理、民主主義の価値観を大胆に復活させること、私たちも活路をこの方向に探ることにしたい。
デモクラシー(民主主義)はギリシャ語「デモクラティア」(demokratia)の音訳である。この語は、「人民」を意味する「デモス」(demos)と「権力」を意味する「クラティア」(kratia)とから構成されている。人民の権力、民衆の統治という意味を当初からもっていたわけである。
ヘロドトスは、その『歴史』で、三つの政治形態(君主政、寡頭政、民主政)の相対的徳および悪徳について述べた。それは、プラトンやアリストテレスによって整序され、18世紀にまで反響を響かせた。そして、モンテスキューに摂取されて、現代の私たちもに親しいものになっている。モンテスキューは、政体を共和政体、君主政体、専制政体に三分し、民主政を共和政体との関連でこう規定している。
「共和政体は、人民が全体として、あるいは人民の一部だけが最高権力をもつところの政体であり」、「共和政体において、人民が全体として最高権力をもつとき、それは民主政(democratie)であり、最高権力が人民の一部の手中にあるとき、それは貴族政(aristocratie)と呼ばれる。」「民主政においては、人民はある点では君主であり、またある点では臣民である。」(『法の精神』2編1章、2章)。
引用の最終部分を現代風に読めば、「人民はある点では統治する者であり、またある点では統治される者である」となるであろう。ここから、先述した清宮の用語法で、「民主制」を、「統治する者」と「統治される者」との間に「自同性(identity)の関係をもたせようとする原理」、いいかえれば、「国民の政治的自治または自律を認める原理」とする考え方が導出される。
この原理を巡って、少なくとも二つの論点が重要となる。第一は、〔(一)(8)において〕既述したように、現実の社会にとっては「統治する者」と「統治される者」との間に絶えずズレがあって、「統治する者」と「統治される者」は絶えざる葛藤状態にある。したがって「自同性(identity)の関係」は永遠の目標であり現実に得られるのはその近接形態であろう。「自同性(identity)の関係」は、絶えさ、る不均衡を通じて達成される均衡という宿命を負うだろうということて、ある。この事情ゆえに、社会制度の一環としての教育もまた「束縛」と「解放」の二傾向の間で揺れ動く運命を免れないことについても、ジンメルに即して既述した通りである。
そこから、第二に、「統治される者」つまり民衆の側で、例えば、権力担当者の選出と罷免について、労働負担と成果配分のあり方について等々、種々の社会間題に関して、的確な判断能力と適切な合意形成能力とが育成されなければならないということである。ギリシャの昔からデモクラティアが衆愚政の意味合いをもたされることがあったのは、この能力が民衆の間に育つことの困難性を物語るものだろう。しかし、このような事情があるからこそ、教育によるこの能力の育成は、民主主義にとって特別に重い意味をもつことになるわけである。
副田論文においては、民主主義の原理を達成するものとして、平等原則、自由原則、友愛原則が挙げられ、各原則について若干の言及がなされている。「民主主義政治は民衆を主権者として平等を重んじる。この平等の中核は、人間がもつ属性・業績にかかわらない価値の平等である。」「自由の法的表現が自由権であり、その本質は国家からの自由である。」「友愛の本質は、民衆のあいだの連帯である」「友愛原則を生徒たちが体得する可能性も、かれらの学校生活の広い範囲にみいだされる。かれらは授業、遊び、作業、行事などで、他者との協働をおこない、その体験をつうじて協働の有効性、友愛の価値を学習する。」
こういう言及によって、三つの原則とそれから構成される民主主義の原理について、私たちは、大体の理解に達することができる。しかし、大事なことが、そのもう一歩奥にある。三つの原則についてであれ、それから構成される民主主義の原理についてであれ、個々ばらばらのものとしてではなく、民主主義の精神の原点との関わりで、理解されなければならないということである。
民主主義の精神の原点は、どこにあるか。それは、「統治される者」が「統治する者」との間のズレをできるだけ埋めて、両者の間に「自同性(identity)の関係」をもたせようとする試み、いいかえれば、国民の自治または自律を目指す努力の内に存在するものであろう。
例えば、国民の白治または自律のために不可欠の必要事である構成員の問での意見交換と合意形成とについて考えてみよう。その際に「人間がもつ属性・業績」によって意見に差別を付けたのでは旧式の偏った合意しかできないであろう。新しい的確な合意形成のためには、「人間がもつ属性・業績にかかわらない価値の平等」「主権者としての平等」が是非とも必要とされるわけである。また、「統治する者」としての国家の側からは絶えず体制の枠内に『束縛』する力が作用することを考えるとき、「統治される者」としての民衆の側においては、既存の枠からできるだけ『解放』されて自由に思考し行動することが前提とされねばならないし、その前提としてまた「民衆のあいだの連帯」が是非とも必要となる。こうしてみると、「自由の法的表現が自由権であり、その本質は国家からの自由である」という命題、「友愛の本質は、民衆のあいだの連帯である」という命題は、それぞれに「統治される者」の自治または自律を目指す努力を水源として、そこから派生した水路である、と言えよう。
「統治される者」の自治または自律を目指す努力-- ここに、民主主義の精神の原点を求め、絶えずこの原点に立ち婦って考え動くことが大事になってくる。
話を本筋の教育問題に返すことにしよう。「生まれながらにもつ能力を開発すること」を主眼に「内からの開発」機能の充実へ大きく踏みだすこと、「自由原則」「平等原則」「友愛原則」の民主主義の精神・原理・価値観を大胆に回復すること、そういう方向に、私たちは活路を見い出したい、と思っている。その際、「統治される者」の自治または自律を目指す努力という民主主義の精神の原点が、大切にされる必要がある。それが、ここでの論点である。
学校教育を巡って「統治される者」といえば、中央政府に対しては地方自治体があり、中央・地方合わせた政府に対しては学校がある。学校に眼を移すと、管理職教師に対しては現場の教師があり、教師に対しては学生・生徒・児童がある。また、「統治する」か、「統治される」か、単純には決まらないが、おそらくは双方の要素を幾分かずつ含みつつ間接的に学校に関わる者として、父母・同窓生を中心とする地域住民の存在も、看過されてはならないであろう。それらの様々の次元ごとに、「統治される者」の自治または自律を目指す努力が、第一の優先的課題とならなければならない。そして、周囲の関係者もまた、「統治される者(あるいはそれに近い者)」の意見と努力を可能なかぎり重視し尊重しなければならない。
学校教育の質的転換のためには、民主主義の精神や価値観を大胆に回復することが急務だというとき、その眼目は、「統治される者」(学校でいえば「管理される者」「教えられる者」)の自治ないし自律の努力の促進に求められることになる。中央政府に対しては地方自治体の、文字通り自治体としての実質化が好ましい。政府に対しては学校の自治が望まれる。学校の内部においては管理職と現場教師の差は少なくて済むに越したことはない。管理されるばかりの教師には従属感にかわる責任感が育ちにくい。責任感を欠いた自治や自由は勝手気儲に流れやすい。凛とした自主独立の気風と巧みな合意形成の才覚を備えた教師の拡充が急務であり、そのためには管理と現場との両方の兼務が常態である職場がふさわしい。教師と生徒の関係については、「教える者」と「教えられる者」との差があることはその本来の役割からやむをえないとしても、他面で「発問する生徒」と「回答する教師」とに主客逆転する場面が多くあるほど好結果が期待できる。教えられるばかりの生徒は、自発性や創造性が育ちにくい。活発に疑問を発し批判を投げ掛け合うなかで、生徒たちは、事実の記述と意見の表明を区別する習慣、意思決定・合意形成の方法等々、主権者として未来を担うに足る力を体得していく。つまり、「教えられる者」から「自ら学ぶ者」への質的成長・転換がなされる。そういう種々の努力の順調な展開に伴って、自ずと教育の「内からの開発」機能の充実も現実のものとなるに違いない。
どのようなものであれ、教育の質的転換を試みる場合には、「統治される者」(学校でいえば「管理される者」「教えられる者」)の自治ないし自律の努力の促進、という民主主義の精神の原点が、念頭に置かれなければならない。改革の指針が、この方向を指し示していることには、抽象的理念の範囲においては、疑問の余地はないであろう。貝体的現実の領域は、しかしながら、無限に複雑で多様である。「統治される者」といっても十人十色で、価値観も利害関係も必ずしも等しくはないだろう。特に戦後の高度成長期以後、日高の用語法でいう「経済優先の価値観が根をおろした」「経済主義」の時代にあっては、人々は公的価値より個人利益を優先する傾向が強いという事情もある。そういう現実のなかで、平等・自由・友愛の原則が、直接的な形て、単純に実現を見ることなどまずは望み得ないだろう。
だが、複雑多岐な具体的現実の場においてこそ、民主主義の精神の原点が正しく顧みられる必要がある。例えば、「統治される者」「管理される者」「教えられる者」が、「統治する者」「管理する者」「教える者」をも兼ねよう、そこに至れるように自らを高めよう強めようと努力が払われる。その努力の一環として、関係当事者のできるだけ広い意見の交換と可能な限り丹念な合意の形成が試みられる。そういう努力と試行の蓄積があって初めて、理念を踏まえ現実を直視した均衡のとれた解決が見いだされることになる。
逆に、この理念を踏まえず、関係当事者の意見交換と合意形成を欠いたまま、「平等」「自由」「友愛」の名目が、断章取義的に独断専行させられるとき、現実の厚い壁に手痛いしっぺ返しを被ることになる。1966年秋に規則制定が断行された東京都の学校群制度を見よう。ローレン『日本の高校』に、「教育改革がうんだェリート校」として、つぎのような記述がある。
「今や実力主義の原理がおびやかされている。灘高のような私立高校がトップ高となったために、有利な教育を購入するうえで、お金がますます重要な要因となってしまった。灘高が並はずれて競争に強い原因は、部分的には、文部省や教育委員会、さらには教員組合からの束縛がないことにある。しかしそれ以上に重要なことは、公立学校から才能に恵まれた生徒をひきつけることができたことである。ェリート的な私立高校は、トップクラスの公立高校が弱体化するたびごとに、強化されてきたのである。公立高校への入試競争をやわらげる改革がなされるとか、受験準備中心の教育を正常化する改革がなされるたびごとに、公立のトップ校が衰退していった。
そのなかでも最も注目に値するのは東京都である。1960年代の末に、序列的な公立高校に終止符を打とうとする大改革がなされたが、その結果は、都内の私立高校を強化するだけにとどまった。進歩的な改革者たちの善意にもとづく試みが、親たちの根強い野心と自己保存本能とによって、完全に歪められてしまったのである。多くの親は、ただちに私立ルートへと方向転換した。東京都では、小学生の通塾率が全国一高いが、それは私立中学への入学が重要な意味をもつようになったからである。」
「私立ェリート校の台頭とともに、それによって高価だが、受験に有利なルートが開かれた。このルートに人るために、家庭教師や塾に支払う費用は相当なものであり、財政上の理由のみによって、当該年齢集口の相当部分が、競争から排除されることになった。」「ェリート教育にお金が関係するようになった分だけ、教育機会に歪みが生じ実力主義の原則がそこなわれたといってよいであろう。
公立学校への信頼性が問われ、ひいては、社会の正当性が問われているのである。」「依然として日本は、教育の機会均等という点で称賛すべき条件をそなえている。しかし私立の学校や塾、ひいては商業ベースの参考書などの発展がこのまま続くならば、多くの日本人が疎外され、階級意識を強めることになるであろう。1982年に、東京大学入学者の半数以上が私立高校の卒業生であったという事実は、けっして無視できないものである。それは、お金が大きな役割を演じるようになったことを示している。」
安易な制度いじりが甚大な被害をもたらした事実といえるのではないだろうか。高い所を潰してしまって平等にするというのではなく、不平等な部分を屹立させることによって平等にするべきなのである。
(愚痴を一言。このような流れに、私は個人的にも恨めしい思いを持つ。素人の私が、「提案提言」づくりに引っ張りだされ、いま四苦八苦しているのも、もとはというと、このような流れに源を発するからである。福岡高教組・大塚和弘委員長によって課された宿題の第一は、「私立高校や塾に対し公立高校の地位低下の克服」であった。その真意を問う私たちに、大塚氏は大声て、叫んだ。「東京のように受験は私立にまかせてよいか、ということです。」「東京の二の舞にはなるな、という声があります。」と。副田の用語法でいう民主主義の原理が押し流され、資本主義の原理が教育界に重みを増す動きについて、つい引用が長くなり言葉数が多くなった所以でもある。)
教育の質的転換の仕事を、社会環境や教育制度という客観的要因に関わる部分と、教師や生徒など人間の主体的要因に関する部分とに分けるとき、客観的部分は社会全体の構造を反映し全体の力に『束縛』されて、すぐ上に見たように思うに任せないことが少なくない。それに比べて、主体的部分には、人間に直接関わる領域だけに、未だしも夢を描き夢を実現できることが多い。さらに、客観的部分は教育の「外からの伝達」機能(社会的機能)に繋がる面が多いのに対して、主体的部分は教育の「内からの開発」機能(人格的契機)に深く関わるが故に、人間の『解放』を目指す教育の質的転換の仕事は、「教育の現場」における主体的部分に「拠点」を置くことこそ望ましい、とも考えられる。別言すれば、二つの機能を合わせもつ教育という仕事は、外部の条件がいかに厳しくとも、学校内部に独自にそれなりの活力源を見出だし得るものだ、ということでもある。
この観点を強調するのは、政治学者・宮田光雄である。「学校教育の社会的機能を一つの事実として確認することは、けっして教育が個々の人間にたいしてもつ人格的契機を否定するものではない。すなわち、教育は、一方的な社会的編入と同化の過程につきない。むしろ、子供たちの可能性と創造性とを十分に開花させるという理念的志向が、依然として残されているはずである。」
「教育の営みを通して、子供たちは基礎的学力や広い教養を身につけていく。そこで獲得された読み書きの能力は、たとえば企業の経営方針を容易に伝達することをたすけるかもしれない。しかし同時に、それは就労規則の不合理性を見抜く力にもなる。徴兵通知を判読しうる力は、反戦ビラを理解しうる力でもある。『だれがどのようなつもりで教育しても、その教育は教育を受けたものの主体性によって、そのもののしあわせに貢献する形でしか、生かされることはない』(斉藤次郎)。ここに、教育にたいする大きな可能性への信頼の根がおかれねばならない。」(『若き教師たちへ-- 希望としての教育』岩波書店)。
宮田は、教育の現場における教師と子供たちの主体性に期待を寄せつつ、教師の位置づけとしての教師『専門職』論に関して、こう述べる。「教師『専門職』論は、教師が専門家になること、専門職としていきねばならないこと-- そうした主体的責任という文脈においてはじめて意味をもつ。『専門』職である以上、教師は子供たちに実力をつけてやらなければならない。子供の能力や家庭での勉強の不足などに責任転嫁することは許されない。『専門職』としての教師は、『よい』授業をすることに命をかけて勝負しなければならない。」「教師が、自分自身の人生を不断に鍛えていくことを抜きにして、教師としていきるということはありえないのである。」
宮田の論述のなかで、教師のエートス、教育実践の独自の価値に言及した部分は、印象的な響きをもつ。「現在の労苦に耐え得るためには、それに努めることそのことのなかに人間としての喜びと感動とをもちうる具体的体験が必要であろう。それには、教育を専門の仕事とする新しいエートス(精神態度)が打ち出されてこなければならない。このような仕事は、私たちが目を開きさえすれば、日常生活の周辺に、いっぱいあるのではなかろうか。例えば、子供たちにとって、とべないと思っていた跳び箱がとべたとき、わからなかった算数がわかるようになったとき、自分が一回り大きくなったような喜びをもつ。つぎつぎと未知の世界に入っていく感動に充たされる。こうして、いまある自分を変えていく自信をあたえられる。
このような教育を創造しうる教師には、教育にたいする腹の底からの喜びが生まれてくるであろう。」「教室の場で、こうした感動をつくり出し、自らも味わい得る教師は、この人間性を豊かにしていく教育実践のなかに、かけがえのない価値のあることを実感しうるはずであろう。日常的な教育の営みに白巳の全ェネルギーを注ぎこみ、教育を専門とする仕事のなかから、一つの確実な手応えが生まれてくる。」
この「提案提言」の冒頭に「身の非力をも顧みず」と書いた。いま、正に「身の非力」を痛感している。寸暇を惜しんで、乏しい知恵を絞り文字に移してきた。字数だけは、2万8千を超えようとしている。しかし、「学校を希望の育つ場に」するために、何をどうすれば良いのか。焦点の定まった明確な「提案提言」の結論は、一向に浮き彫りにできないままである。悪戦苦闘の末に、いまは「身の非力」を率直に認め、降参するしかないようである。他の人々の手になる「提案」の紹介と、他の組織の「提言」を参考に我々の議論の要点を盛り込んだ暫定的「提言」の提示とで、責めを果たすこととしたい。
まずは、「提案」から。ここに紹介する「提案」は、OECD教育調査団『日本の教育政策』「第1章、幼児教育と初・中等教育」の結論部分に含まれているものである。ドーア英サセックス大学教授、フオール元仏首相、ラィシャワー元駐日米大使など国際的に著名な研究者・政治家を含む調査団が日本を担当した。1970年1月11日から24日まで日本を訪問した。当時の佐藤首相、坂田文部大臣、四大政党代表を含む国会の各委員会委員、天城次官以下の文部省関係者、学校管理者、教師、教師団体、学生、学生団体、大学教授、大学管理者、中央教育審議会委員、各種企業、労働組合、市民団体などと、会見し討論を重ねた。そのような本格的調査の結果は、数多くの傾聴に値する分析と提案を含んでいる。ここに紹介するものも、教育の場に「より弾力的な教育計画」「もっと自由な時間」を導人することによって、「規律と競争だけでなく協力を」「受容と模倣だけて、なく創造を」目標にした教育内容への転換を企図しており、「生徒同士の協力」「生徒の個性の発達」を中軸に「学校を希望の育つ場に」昇華させようとする貴重な提案と言える。
弾力生にとみ、拘束性の少ない教育計画を立てて、もっと自由な時間、もっと選択自由な教育課程、もっといろいろなことができる課外活動、もっと親密な生徒同士の協力を実現させ、生徒の個性を発達させるべきだと考える。
また、そのための実際的な方策をすすめるのに、十分な基盤はすでにできていると感じている。(原注:日本の一小学生は、万国博の「松下タイム・カプセル」に納める、遠い未来の小学生にあてた手紙の中で「やがて自分自身が立てた計画によって、好きな時に学校へ行って、好きなことを勉強できるようになるだろう」と強調している。これは、現在の日本の教育改革の方向を端的に表現したものである。)
規律と競争だけでなく協力を、受容と模倣だけでなく創造を一そうしたことに強い関心を向けるべき時機が、すでに到来しているのではなかろうか。
この点で最善の方法の一つは、課外活動を大幅に生徒の手にゆだね、彼らに自由にそれを組織させてみることであろう。責任ある意思決定の力を身につけさせるため、毎週一定の時間を子供たちにあたえる。選択し決定するという、なかばむずかしいが、なかば楽しい仕事に取り組ませてみたらどうか。また教科書を選んだり、時間表を編成するといった事項について、生徒たちの意見を求めるようにしたらどうだろうか。
つぎに「提言」。ここに示す「提言」は、福岡高教組・田中久雄副委員長が手配し送付して下さった教育科学研究会編集「教育」1991年10月号(国土社)に掲載されている、長野県高教組の「どの子にも豊かな学力を保障するための五つの提言」を一つの手掛かりにしている。ただ、そこには今日の高校教育の現場で生々しく大きな問題となっている「課外」授業について明示的な言及が欠けていた。そこで、これも田中氏に紹介された、熊本日日新聞社政経部『大号令!「現役合格」-- 高校教育を問う』(社会思想社)に収録されている熊本、鹿児島、佐賀、大分などでの過熱する「課外」授業の実状とそれぞれの地域の高教組の取り組み、それと対照的な富山県の事例を参考にして、そしてまた、懇話会での現場教師の声や接触できる範囲の可能なかぎり多くの現役大学生の声を再考三思して、「課外」授業に対する一つの指針を纏めて、付け加えることとした。
過度の「課外」授業について、「受験戦争」を潜り抜けてきたばかりの現役大学生の間では、その有功性について疑問の声が強い。かつての「受験戦争」の経験者である若手大学教師たちは、とくに「自ら学ぶ者」を育てるという観点からは、異口同音に、むしろ有害でさえある、と言う。だが、何にもまして説得力をもつのは、富山県の高校関係者の声だろう。前掲の『大号令!「現役合格」--高校教育を問う』に収録された実例を引用してみよう。「富山県は、いま全国の高校関係者の間で『国立大進学率日本一』の県として注目を集めている。日本一は昭和46年以来、続いている。他県の注目を集める理由は、まだある。これだけの国立大進学状況にありながら、ほとんどの高校で日常の早期課外や夏休み、冬休みをつぶしての長期課外などいわゆる物量作戦の受験対策を取らず、『授業第一主義』に徹している点だ。」「富山中部高校の校長自身、一律の強制課外などが全体のある程度の底上げに有効なことは認める。しかし、『課外をやれば、進学に熱心な親には喜んでもらえるでしょう。でも中身の濃い授業をすれば、生徒はそれについていくだけで手いっぱい。時間だけふやしても、教師や生徒の疲労など、払う犠牲に見合うだけの効果はありません』と言い切る。」「高岡高校でも、生徒のノート添削や個別の面接による学習指導に重点を置く。『学年が進むにつれてしつこいくらい質問に来るようになります。やみくもに生徒のしりをたたくより自主性を引き出す方が効卒がいい』と教頭」「教育行政などからの号令の下、朝タの課外や学習合宿、盆も正月もない補習授業などに明け暮れている九州各県とは、様相が大きく違っている。富山中部のベテラン教師の一人が言う。『頑張っている先生方には失礼ですが、九川のやり方はとても正気とは思えません。そこまでやって生徒はつぶれませんか。第一、教師が授業の工夫や教材研究をする暇もないんじゃないですか。』」
こうした事例に照らしてみるとき、「課外」授業が、(とくに強制「課外」授業が)教育の「内からの開発」機能を阻害しており、「自ら学ぶ者」を育てる面で効果が疑わしい、むしろ逆効果でさえある、と言わざるを得ないであろう。知識を伝授する「外からの伝達」機能の点でも、丁寧さを欠いた物量作戦的な「課外」授業は、長期的、永続的な有効性をもち得ないであろう。「課外」授業については、正確な実態調査に基づいて適切な整理の措置が採られるべきであり、代わって生徒の個性と進度に即した「正課」授業と生徒の自学自習、教師との質疑応答とによって、「教えられる者」から「自ら学ぶ者」へと自主性を導きだす教育が目指されなければならない。「教えられる者」から「自ら学ぶ者」への転化は、「教えられる者」と「教える者」との間に「自同性(identity)の関係」が作られることを意味するわけで、教育における民主主義の具体的表現であるとも言える。
1.専門職としての教職員各人のより一層の努力と、教職員集団のより高度の相互研鎖とに基づいて、学校を挙げて教育内容・教育方法・研究体制の思いきった改善を行い、平明な授業と豊かな自主活動によって魅力ある高等学校を創造する。
2.生徒の個性の発達と自律的な生活の確立を促し、意欲と主体性とを育て、「教えられる者」から「自ら学ぶ者」への自立の道を確かなものとする。生徒一人ひとりの個性と進度に適合した進路保障の取り組みを一層充実させ、生徒の社会的自立を目指した就職・進学指導を重視する。その観点から、「受験一辺倒の教育」を厳しく戒め、任意「課外」授業はともかく、強制「課外」授業については修正ないし廃止の方向で見直す。大学進学指導は、充実した「正課」授業と、教師生徒間・生徒相互間の自主活動を主軸として、高等学校本来の自然な形態で実施する。
3.責任の押しつけあいではなく、学校、家庭、地域、マスコミ、産業界、行政等の責任の分担と共同の力で、生徒、父母、県民の願い・要求に応える教育を創造する。とくに、週休二日制(学校五日制)や高齢化社会の進行という世界の潮流を念頭に、生涯教育、文化・スポーッ活動、「地域おこし」や地域環境問題などを巡る、学校と地域社会との新たな連携を構築する。
4.教育予算を大幅に増額し、35人(職業科30人)以下学級をめさ、しつつ、直ちに全国に先駆けて40人(職業科35人)学級を実現し、生徒一人ひとりにゆきとどいた教育を実現する。そして教職員が、生徒たちとの豊かな人格的交わりを保ち、専門職にふさわしい研修ができる、ゆとりある教育条件および勤務条件への改善を岡る。
5.定時制高校生、障害や貧困に苦しむ生徒など不利な条件の者について、その白立のための環境づくりに特別の努力を傾注する。憲法と教育基本法に基づき、生徒一人ひとりについて教育を受ける権利自ら学ぶ権利を平等に保障する。それを通じて社会からドロップアウトする生徒をなくすることは、教育にしかできない事業である。
文字通りの拙論ですが、以上を以て序論といたします。
(1992・2・22)
「(二)日本の教育問題を探る。(6)文部省の中央集権統制。」で使用した英文記事。
THE ECOMIST. APRIL21 1990.
From MaIaya to Mayfair
So all is well?No. The system’s ferocious standardisation has its price. A sma1l part of that price,but one that cou1d one day,if things turn sour,become significant,is the risk inherent in centralised contro1 of education. Japan’s years of ruthless war in 1931-45 showed the danger of leaving a mass education systemrun on take‐it‐from‐me Confucian principles in the wrong hands. That charge today can fairly be applied to the education ministry.
One of the reactionary and secretive bits of the bureaucracy,this ministry has systematically tried to prevent schools teaching the grisly detai1s of Japan’s modern history‐Text books have referred to the“advance”into Manchuria,not its invasion; sometimes no reference at all is made to Japan's brutalrule of Korea between 1910 and 1945. Occasionally the ministry’s actions are laughable:last year it ordered a pubhsher to replace a section describing how Japanese soldiers bayoneted babies in Malaya during the second world war with a story based on“My Fair Lady”.
Recently the ministry has become even bolder. From the new school year that started this month,Japanese schools must raise the sun f1ag and sing“Kimigayo”(a hymn to the emperor that does duty as an unofficial national anthem)on important occasions. Teachers who demur-- a sizeable minority,backed by their left‐wing union-- are liable to be disciphned.
Ministry offficials say Japan needs to remind its citizens of what they are,pointing to the widespread use of similar totems in America. The parallel is false. America is made up of hundreds of different minorities,many of them recently arrived and with other loyalties. Not so Japan. Its citizens’consciousness of being Japanese is already quite strong enough.