次の本の488−497ページに掲載されたものを,翻訳者の奥様と出版社の許可を得て転載します.
A. K. スミス著,広重徹訳『危険と希望 アメリカの科学者運動: 1945-1947』現代史,戦後篇25,みすず書房,1968.


フランク報告(一九四五年六月一一日)

pdf版 →豊島訳

I 前文

 物理学の分野における他のどんな発展からも区別して原子力を取扱う唯一の理由は、平時には政治的圧力の手段として、また戦時には突発的な破壊力としてこれを使用する可能性があるということである。原子力の分野における研究機構、科学的ならびに工業的開発、そして出版についての現行のすべての計画は、その計画が遂行される枠組みを与えている政治的・軍事的状況によって制約されている。したがって、戦後の原子力工学の機構について提案するにあたっては、政治問題の計議を避けることができない。この計画に従事している科学者は、国家政策や国際政治の問題について権威をもって語ろうとしているのではない。しかしながら、過去五年間の出来事に強いられて我々ば、わが国の安定ならびに他のすべての国の未来にとっての重大な危機、しかも残余の人々はまだ気づいていない危機、を認識した少数の市民であることを自覚するにいたった。そのため我々は、原子力の実用化から生ずる政治問題は全く容易ならぬ事態にあることが認識されるよう、また、必要な決定のための研究と準備に対して適切な措置がとられるよう警告することは我々の義務であると感じている。原子力全般を扱う委員会が陸軍長官によって設置されたことが、政府によってこれらの問題の意味が認譲されたことの証左であってほしいと我々は望むものである。この状況の科学的要因に対する関心と、その世界的な政治的意義について長らく考え続けてきたことから、我々は委員会に対してこれらの重大問題の解決に関連する若干の提案を行なう義務を負わされていると信ずる。

 これまで科学者はしばしば、福利を増進する代りに国家間相互の破壊のための新しい武器をつくりだしたことを責められた。たとえば、航空術の発見は、これまで人類の喜びや利益をもたらすよりずっと多くの惨事をもたらしてきた、ということは疑うべくもなく真実である。しかしながら、過去においては、人類が科学者の私欲のない発見を使用した結果について、科学者は直接の責任を否認することができた。だが今や我々は、もっと積極的な立場を取ることを強いられているように感ずる。というのは、原子力の発展において我々のなしとげた成功が、過去のあらゆる発明よりもはるかに重大な危険性を孕んでいるからである。原子力工学の現在の状態に通じている我々全員は、我々自身の国にふりかかる突然の破壊、わが国の主要都市のすべてにおいて何千倍の規模で再現される真珠湾の惨害をありありと思い描きながら暮しているのである。

 過去において科学は、それが可能ならしめた攻撃の新兵器に対抗する新しい防御方法を提供することもしばしば可能であった。しかし、原子力の破壊的使用に対抗するのに十分な効果的な防御を科学は約束できないのである。それに対する防御は、世界的な政治機構によってのみ与えられるのである。平和のための効果的な国際機構を要求するあらゆる論拠のうちで、核兵器の存在はもっとも強力なものである。《国際紛争において暴力に訴えることを全く不可能にする国際的権威が存在しない条件のもとでも、核軍備競争を禁止するという限定された国際協定によって、相互の全面的破壊に導くにちがいない道から離れることができるであろう。》

II 軍事競争の予想

 少なくともわが国に関する限り、無期限に我々の発見を秘密にしておくか、さもなくば他国がせん滅的な報復を怖れて、我々に攻撃しかけようとは考えなくなるまで、我々の核軍備を急速に発展させるかすることによって、核兵器による破壊の危険は避けることができる、と考えることもできよう。第一の提案に対する答えは、我々がこの分野において世界の他の人々よりも先んしていることは疑いないけれども、原子力の基礎的事実は常識の問題となっているということである。英国の科学者たちは、たとえ我々の産業的開発に用いられた特殊過程については知らないにしても、戦時中に我々がニュークレオニクスでなしとげた基礎的進歩については、我々が知っている程度には知っている。また、フランスの核物理学者が戦前にこの分野の発展で演した役割りに加えて、彼らが折にふれて我々の計画に接触したことは、少なくとも基礎科学的発見に関する限り、フランス人がすみやかに我々に追いつくことを可能にするであろう。この分野のすべての発展はドイツ人の発見に端を発するのであるが、戦時中ドイツの科学者は、明らかに、アメリカでなされたのと同じ程度には、ニュークレオニクスを発展させなかった。しかしヨーロッパでの戦争が終るまで我々は、かれらが多分原子爆弾を完成するのでないかと常に懸念しながら生きていた。ドィツの科学者がこの武器について研究しており、それができ上ればかれらの政府はためらうことなく必ずそれを使用するだろうという確信が、この国で、大規模に軍事目的のための原子力の開発を始めるようアメリカの科学者が率先して働きかけた主な動機であった。ロシアにおいてもまた、原子力の基本的事実とその意味合いは、一九四〇年にはよく理解されていたし、原子核研究におけるロシアの科学者の経験内容は、我々がそれらを隠すためにどんな方法を試みようとも、二、三年のうちに我々の通った道をかれらに繰り返させるに全く十分である。さらにまた、本計画ならびにそれに関連した仕事に関与した科学者が、多くの大学や研究所に散らばって、その多くは、我々の進展の基礎となった諸問題と密接に関係のある研究を続けるようになることを考えれば、基礎的知識を平時にも秘密に保とうという企ては、余り成功を期待すべきでない。換言すれば、本計画およびそれに関連した計画において達成されたすべての結果を秘密に保つことによって、ある期間ニュークレオニクスをの基礎的知識における我々のりードを保つことができたとしても、それが数年以上にわたって我々を守ってくれる、と望むのは愚かなことであろう。

 原子力の原料を独占することによって、他国の軍事的ニュークレオニクスをの発展を防ぐことができるかどうかということは問題となりえよう。それに対する答えは、今日知られている最大のウラン鉱床は「西側」グループに属する国々(カナダ、ベルギー、英領インド)の支配下にあるとしても、チェコスロパキアの古い鉱床はこの圏外にあるということてある。ロシアは自国内でラジウムを採掘していることが知られており、これまでにソ連邦で発見された鉱床の規模はわからないけれども、地球の陸地の五分の一を占める国で(その勢力圏はさらに広い)ウラニウムの莫大な貯蔵量が発見されないという確率は、安全保障の基礎となりうるにはあまりに小さい。《このように、原子カの基礎的な科学的事実を競いあう国々に対して秘密にしておくことによっても、そのような競争に必要な原料を全部おさえてしまうことによっても、核武装競争を避けることは望めないのである。》

 そこで、この節の最初に示した二つの提案の二番目のものを考察して、我々の大きな潜在工業力と、科学的、技術的知識の広汎な普及、訓練された労働力集団の量と効率、それに管理運営についての我々のゆたかな経験のおかげで核軍備競争において安全を感ずることができるかどうかを問題にしてみよう。これらの要素の重要性は、わが国が現在の戦争における連合国の兵器庫に転化したことによってきわめて目ざましく示されたのであった。我々の答えは、これらの利点が与えることのできるのは、より大きな、より効力のある大量の原爆の蓄積ということだけである。しかもそれは、平和時に我我の全力をあげて爆弾製造にあたり、戦争が勃発してから平時の原子力産業を軍事的生産に転換する必要などないようにしておいて初めて可能である。

 しかしながら、そのように壜詰にした破壊力の量的な優越も、突発的な攻撃から我々を安全にしてはくれないであろう。潜在敵国は、まさに「数と火力で凌駕される」ことに対する恐れから、突然の正当な理由のない攻撃を企てる制し難い誘惑にかられるであろう。とくにその国が、その安全や勢力圏に対して我々が侵略的意図をいだいているのではないかと疑っているなら余計にそうである。他のいかなる形態の戦争においても、先制攻撃の利点は核戦争ほど大きくない。敵は前もって我々の全主要都市に「偽装爆弾」を仕掛けておき、同時にそれらを爆発させて、我々の工業の主要部と人口稠密な大都市地区に集まっている人口の大部分を破壊することができる。たとえ、何百万の人命の損失と大都市の破壊とに対して報復が適切な補償であったとしても、その報復の可能性は非常に不利なものとなるだろう。なぜなら、我々は爆弾を空中輪送しなければならないし、しかも、工業と人口が広大な領土に散在している敵を相手にしなければならないことになるだろうからである。

 事実、核軍備競争の発展が許されることになれば、突発的な攻撃の一国を麻痒させる効果からわが国を守ることのできる唯一つの明白な方法は、戦力にとって必須の工業と、主要な大都市の人口とを分散させることである。核爆弾が稀である限り(すなわち、ウランとトリウムが爆弾製造の唯一の基礎的原料である限り)、工業の効果的な分散と大都市の人口分散は、核兵器によって我々を攻撃しようという誘惑をかなり低下させるであろう。

 今後一〇年間は、多分二〇キログラムぐらいの活性物質を含む原子爆弾は六%の効率で爆発させることができるだろうから、爆弾一発は二万トンのTNT火薬に歴敵する威力をもつことになる。そのような爆弾一つで、三平方マイルぐらいの都市の地域を破壊することができるであろう。もっと多量の活性物質を含み、しかも全重量一トン以上の原子爆弾が一〇年以内には作られるであろう。それは一〇平方マィルの都市を破壊する効力をもつであろう。わが国に対する秘かな攻撃を準備するために原子爆発物を一〇トン割当てることのできる国は、五〇〇平方マイル以上の範囲の全工業とほとんどの人口を破壊することができると期待することができる。攻撃目標をどう選んでも、アメリカ領土を五〇〇平方マイル破壊することによって、わが国の潜勢戦力と防御力を喪失させるだけの打撃を工業と人口とに対して与えることができないとなれば、そのような攻撃は引きあわないであろうし、企てられることもないであろう。現在のままなら、そこを一時に破壊すればわが日が壊滅的な打撃を受けることになるような一〇〇個の各五平方マイルの地域を選ぶことは容易である。合衆国の面積は約三〇〇万平方マイルあるから、核攻撃の目標とするに十分値いするような五〇〇平方マイルを残さないように、工業資源と人間を分散させることは可能なはずである。

 わが国の社会的経済的構造のそのような根本的な変化には、呆然たらしめるような困難が含まれていることを我々は十分にわきまえている。しかしながら、もし国際的な協定に達することができなければ、それに代るべきどんな防御法が考えられねばならぬかを示すためには、ジレンマをはっきり述べておかねばならないと我々は感じたのである。この分野において、我々は、今日もっとまばらに人ロが分布し、工業がもっと分散している国々、あるいは人口の移動と工業施設の位置決定について政府が無制限の力をもっているような国々と比べて、ずっと不利な条件におかれている。

 もし有効な国際協定が達成されなかったなら、核兵器の存在を我我がはしめて表示したその翌朝からただちに、核軍備競争が熾烈に開始されるであろう。その後では、他の国々は三、四年で我々の最初の出発点に追いつくであろうし、我々がこの分野での強力な研究を続けたとしても、八年から一〇年で我々と肩を並べるにいたるであろう。これが、そのあいだに我々が人口と工業の再編成を達成しなければならない時間である。明らかに、専門家によるこの問題の研究を始めるのに、一刻の猶予もあってはならないのである。

III 協定の見通し

 核戦争の結果、および核爆弾による全面破壊から国を守るために取らねばならない手段の形態は、合衆国にとっても、他の国々にとっても忌わしいものであるに違いない。人口と工業が密集しているイギリス、ランス、その他のヨーロッパ大陸の小さい国々は、そのような脅威に直面してことさら絶望的な状況におかれるであろう。ロシアと中国だけが、現在、核攻撃から生き残ることのてきる国である。しかしながら、これらの国々では西ヨーロッパやアメリカの人々よりも人間の生命を軽くみているとしても、また、とくにロシアは重要な工業を分散させるための広大な土地と、必要だと思ったときに即刻工業の分散を命ずることのできる政府とをもっているとしても、モスクワやレニングラード、そしてウラル地方やシベリアの新輿工業地帯が一瞬に崩壊するかもしれないということを考えれば、ロシアも身震いすることは間違いない。したがって、協定への願望が欠けていることではなく、相互信頼の欠如だけが、核戦争防止の効果的な協定への道をはばむことができる。そのような協定の実現は、かくして、本質的にはすべての当事国が自国の主権のわずかな必要部分を犠牲にする意志と用意をどれだけ固めているかにかかっているのである。

 この観点からすると、わが国で現在秘かに聞発されつつある核兵器が最初どのようにして世界に知らされるかが、大きな、おそらくは決定的な重要性をもっていると考えられる。

 核爆弾をまず何よりも、現在の戦争の勝利を助けるために開発された秘密兵器と考える人々にとくに気に入るであろう一つの可能な方法は、日本国内の適当に選ばれた目標にそれらを警告なしで投下することである。比較的低効率で小規模の、最初に使われる原爆が、日本の抵抗しようとする意志や能力をくしくのに十分であるかどうか疑わしい。ことに、東京、名古屋、大阪、神戸などの主要都市が通常の空襲によってゆっくりとではあるが、すでに大方灰燼と化してしまったことを考えれば、なおさらである。核兵器を突然導入することによって重要な戦術的効果があげられることは疑いないけれども、それにもかかわらず、手にはいった最初の原子爆弾を対日戦で使用する問題は、軍事当局者によってばかりではなく、この国の最高の政治指導者によっても極めて慎重に熟考されるべきだと我々は考えるのである。もし我々が核戦争の全面的防止に関する国際協定を最高の目標と考え、それが達成し得るものと信ずるのなら、そのような形で核兵器を世に送りだすことは、容易に我々の成功の機会を全く破壊してしまうであろう。ロシアだけでなく、我々のやり方と意図にそう不信をいだいていない同盟諸国さえ、中立諸国とともに、深い衝撃を受けるであろう。ロケット爆弾のように見境いのない、何百万倍もの破壊力をもつ兵器を秘密に準備したり突然投下したりした国が、国際協調によってそのような兵器を廃止させたいという希望を宜言しても、それを信じるよう世界の国々を説得するのは非常に困難なこととなろう。我々は毒ガスを沢山蓄積しているが、それを使いはしないし、最近の世論調査は、たとえそれが極東戦の勝利を早めるとしても、わが国の世論は毒ガスの使用に不賛成であることを示した。ガス戦争が、爆弾や銃砲の戦争以上に「非人道的」というわけでは決してないにもかかわらず、群衆心理のある不条理な要素が、ガス攻撃に対して爆発物に対するより以上の反感をよび起しているというのは間違いでない。しかし、それでも、原爆の効力に関して啓発されたならば、アメリカの世論は、わが国が大規模に市民の生活を破壊させる見境いのない方法を最初に採用した国であることを容認するとは思えないのである。

 このように、核戦争防止に関する国際協定を期待する「楽観的」見地からみると、日本に対して原爆を突然投下することによって達成されるアメリカの軍事的優位と人命の節約は、その結果生ずる信頼の喪失や、アメリカ以外の全世界の上に吹きまくり、そしておそらくはアメリカ国内でさえも世論を分割させる恐怖と反感の波によって、帳消しにされてしまうであろう。

 《この観点からみると、新兵器の示威実験は、砂漠か、不毛な島の上で国連のすべての国々の代表者の目前で行なうのが最も良いといえよう。》もしアメリカが世界に対して、「あなた方は、我々がいかなる種類の兵器をもっており、しかもそれを使用しなかったことがおわかりになったでしょう。もし他の国が我々と一緒になってこの兵器を放棄し、効果的な国際管理を設定することに賛成するなら、我々は将来におけるそれの使用を放棄する用意があります」と言うことができるならば、国際協定達成を可能にする最上の雰囲気が生じ得るであろう。

 かかる示威実験の後なら、もし国連や国内世論の認可が得られ、さらにおそらくは、日本に対して降伏するか、あるいは少なくも、全面破壊に代るものとしてある地域を無人とするように予め最後通牒を出した後でならば、この兵器を日本に対して使用することがおそらく許されるであろう。このことは空想的に聞こえるかもしれない。しかし、核兵器は破壊力の大きさの点で全く新しい何ものかであり、我々がそれを所有することによる利点を十分に利用したければ、我々は新しい想像力に富んだ方法を用いねばならないのである。

 もし悲観的な見方をして、現在の核兵器に対する効果的な国際管理の可能性を度外視するならば、日本に対して核爆弾を早期に使用することの当否は、人道主義的考慮には全く関係なく、いっそう疑わしいものとなる。もし最初の示威の直後に国際協定が成立しなかったとすると、そのことは無制限の軍備競争に向かって飛び立つことを意味するであろう。この競争が不可避だとすれば、我々は他に先んじたスタートをいっそう増強するために、できるだけ長くそれが始まるのを延期すべき多くの理由がある。戦時の危急という強制的な境遇の下で、まれにしかない分裂性同位元素ウラン二三五の分離を基礎にした核爆発物製造、あるいはそれに等価な量の他の分裂性元素を生産するためのウランニ三五の利用、の第一段階を達成するのに、我々は大体三年かかった。この段階では、大規模で高価な設備と面倒な手続きが必要であった。今や我々は、トリウムやウラニウムの比較的豊富な同位元素を分裂性物質に転化させる第二段階への入口にいる。この段階はそれほどいりくんだ計画を必要とせず、約五、六年の内に相当量の原爆貯蔵を我々にもたらすであろう。したがって、少なくともこの第二段階の結果が成功裡に終るまで、軍備競争の開始を遅らせることは、我々の利益になる。核爆弾の早期の示威を放棄し、他国をして、「原子爆弾は作れる」という確かな知識なしに、当て推量をもとにして、しぶしぶこの競争にはいらせることによって達成される国の利益と将来におけるアメリカ人の命の節約とは、対日戦において最初の、しかも比較的効率の悪い爆弾を即時使用することから得られる利益をはるかに超えるであろう。他方、早期の示威なしには、わが国においてニュークレオニクスを一そう強力に発展させるための十分な支持を得ることが困難となり、したがって、公然たる軍備競争を延期することから得られる時間は有効に用いられないであろう、という論議がなされうるであろう。さらに、他の国々が我々の現在の達成に全く気づいていないという状態は今でも、あるいは近い将来には、存在しえないし、したがって示威を延期することは、軍備競争の回避に関する瞑り、何ら有益な目的には役立たず、新しい不信の念をつけ加えて、核爆発物の国際管理に関して究極的な同意の機会を増大するよりむしろ悪化させることになるだろう、と論ずる人もあるだろう。

 このように、もしごく近い将釆には協定の見込みが薄いと考えられるなら、日本に対する実際の使用だけでなく、予告された実験によるにしても、わが国の核兵器保有を早期に世界に向けて明かすことの可否は、この国の最高の政治的、軍事的指導者によって注意深く検討されるべきであり、決定を軍部の戦術家だけに任せてはならないのである。

 科学者自身がこの「秘密兵器」の開発を始めたのであり、したがって、それが使えるようになるや否や、敵に対してそれを使用することにかれらが抵抗するのは納得できない、と指摘する人もあろう。この質間に対する答えはすでに右に与えられている。−−このような速さでこの兵器を作りだした止むをえない理由は、ドイツ人がそのような兵器を開発するのに必要な工業的技術をもっており、しかもドイツ政府はその使用について何ら道徳的拘束を感しないだろう、という我々の怖れであった。

 使えるようなれば即刻原子爆弾を使用するということに賛成するために引用できるもう一つの議論は、この「計画」には非常に多額の税金が投資されたのだから、議会やアメリカ国民は、かれらの金に対する返りを要求するだろう、ということである。前に述べた日本に対する毒ガス使用の問題におけるアメリカの世論の態度は、時には、極端な緊急事態に使用するためにのみ武器を用意しておくということの方が望ましいことを、アメリカの公衆に理解させることができると期待してよいことを示している。核兵器の潜勢力が知らされるや否や、アメリカ国民はそのような兵器の使用を不可能にするためのあらゆる企てを支持するに違いない。

 ひとたびそのような企てが達成されると、現在潜在的な軍事的使用にあてられている大きな設備と爆発物質の集積は、動力の生産、大々的な建設事業、放射性物質の大量生産などを含む、平時の重要な発展のために使えるようになるであろう。このようにして、戦時中に原子力工学の開発のために費された金は、平時の国民経済の発展に対する一つの賜物となるであろう。

IV 国際管理の方法

 そこで、いかにすれば核分裂の効果的な国際管理が達成されるかという問題を考えてみよう。これは難しい問題ではあるが、解決可能であると我々は考える。それは、政治家や国際法の専門家による研究を必要とするものであり、我々は、ただそのょうな研究のために若干の予備的示唆を提供することができるにすぎない。

 すべての国が相互信頼をもち、国家経済のいくつかの面の国際管理を認めることによって、主権の一部を譲ることをいとわないものとして、核武装の管理は二つの異なった水準において遂行しうるであろう。それら二つは、二者択一的にも平行しても行なわれうる。

 第一の、そしておそらく最も簡単な方法は、原料−−まず何よりもウラン鉱を配給制とすることである。核爆発物の生産は、大規模な同位元素分離工場か、巨大な生産用原子炉において大量のウランを加工処理することから姶まる。様々な場所の地中から採取された大量の鉱石は国際管理局の駐在員によって管理され、各国は、分裂性同位元素の大規模な分離は不可能なていどの量だけを割当てられることになろう。

 そのような制限は、平和目的のための原子力の開発をも不可能にするという欠点をもっているであろう。しかしながら、それは産業的、科学的、技術的な放射性物質の使用に革命的変化をひき起すに十分な規模で放射性元素を生産することを妨げるわけではなく、したがって、ニュークレオニクスが人類にもたらすことを約束している主要な思恵を排除するものではない。

 一そうの相互信頼と相互理解を含むもっと高い水準での協定においては、無制限な生産が許されるであろうが、しかし採掘されたどんなにわずかのウランもその行き先が正確に記帳されることになろう。一ボンドの純粋な分裂性同位元素が、幾度も繰り返しトリウムから新らたな核分裂物質を生産するのに用いられる第二の生産段階になると、この管理方法にはある困難が生ずるであろう。それを克服するには、たとえトリウムの商業的使用に多少の混乱が起きるとしても、トリウムの採鉱と使用にまで管理を広げればよいであろう。

 ウランとトリウム鉱石の純粋な核分裂物質への転換がつねに規制されるとしても、一国または数カ国の掌中にそのような物質が大量に累積されるのをいかにして防止するかという問題が生ずる。もしある国が国際管理から脱退したら、この種の蓄積物はすぐに原爆に変えられるであろう。純粋な核分裂性物質は、動力エンジンには役立つけれども軍事目的には使えなくするために、生産されたのち適当な両位元素でもって希釈して、強制的に変性するという取り決めを結ぶべきだとの示唆がなされている。

 一つのことだけは明白である。すなわち、核武装防止に関するいかなる国際協定も、現実的かつ効果的な管理によって裏付けられねばならない。わが国にしろ他の国々にしろ、他国の署名を信用してその国の全存在を賭けることはできないから、紙の上だけの協定は十分ではあり得ない。国際管理機構を妨げようとするいかなる試みも、協定に対する攻撃に等しいと見なさるべきであろう。

 我々は科学者として、どんな管理機構の計画においても、世界の安全と両立する限り、できるだけ多くの自由が平時のニュークレオこクスの発展に与えられるべきだと信していることは改めて強調するまでもない。

 要約

 原子力の発展は、合衆国の工業的、軍事的な力にきわめて多くをつけ加えるだけでなく、わが国の未来に対して重大な政治的、経済的問題を提起している。

 核爆弾をわが国が独占的に使うことのできる「秘密兵器」としておくことは、ほんの数年のあいだしか可能でない。その製造の基礎となっている科学的事実は、他の国々の科学者によく知られている。核爆発物の効果的な国際管理が確立されるのでなければ、我々が核兵器をもつことを世界に向けて最初に明かしたのに続いて、核軍備競争が姶まることは確実である。そして一〇年以内に他の国々も核爆弾をもつであろう。その爆弾の一つ一つが、重さは一トン以下で、一〇平方マイル以上の都市の地域を破壊することができる。そのような軍備競争が導いてゆきかねない戦争では、比較的少数の大都市の地域に人口と工業が集中している合衆国は、広い地域に人口と工業が分散している国々に比べて不利な位置におかれるであろう。

 これらを考慮すると、事前の予告なしに日本への攻撃に核爆弾を急いで使用することは勧められないと我々は信ずる。もし合衆国が最初にこの新しい無差別破壊の手段を人類に対して使用することになれば、合衆国は全世界の人々の支持を失ない、軍備競争を促進し、将来そのような兵器の管理に関する匡際協定に達する可能性をそこなうことになるてあろう。

 もし原子爆弾が、適当に選ばれた無人島での実験によって最初に世の中に姿を現わすならば、そのような協定を可能ならしめる、一そう好都合な条件が作りだされるてあろう。

 もし、核兵器の効果的な国際管理を確立する機会は現在のところわずかしかないと考えられるべきだとすれば、原子兵器を日本に対して用いることだけでなく、早期に公開実験をすることさえ、わが国の利益に反するであろう。実験の延期は、この場合には、核軍備競争が姶まるのをできるだけ長く遅らす点で有利になるであろう。こうして得られた時間のあいだに、この分野をさらに発展させることに対する広い支持が得られるなら、その延期は、現在の戦争の間に我々がつくりあげた指導的地位をいちじるしく強めるであろう。こうして、軍備競争に関しても、後になってからの国際協定の試みに関しても、我々の立場は強化されることであろう。

 他方、もし示威実験なしには、ニュークレオニクスの発展に対する十分な公衆の支持が得られないとしたら、実験の延期は賢明ではないとみなされるであろう。なぜなら、他の国々に軍備競争を始めさせるに足るだけの情報がもれるということがあるかもしれず、そうなると我々はこの競争において不利になるからである。我々が秘密裡に開発を行なっていたことを他の国々が知って不信をいだくとか、そのことが終局的に彼らと協定に達することをいっそう困難にするとかいう可能性もある。

 もし政府が、核兵器の早期の実験が好ましいとの決定をすべきだとすれば、政府は、核兵器を対日戦に使用すべきか否かを決定する前に、わが国と他の国々の世論を斟酌する可能性をもつことになる。こうすることによって、他の国々はそのように重大な決定に対する責任を共有することになろう。

 結局、我々はこの戦争において核爆弾を使用することは、軍事的便宜というより遠大な国家政策の問題と見なされるべきであること、そしてその政策はまず何よりも、核戦争の手段の効果的な国際管理を承認する協定を実現する方向に向けられるべきであることを主張するものである。

 わが国にとってそのような管理がきわめて重要であることは、それに代るべき、わが国を守る唯一の効果的な方法は、我々の主要都市と重要工業の分散しかないと思われるという事実からして明白である。

委員長 J・フランク

D・J・ヒューズ

J・J・ニクソン

E・ラビノウィッチ

G・T・シーボーグ

J・C・スターンズ

L・シラード