フランク報告とは

 アメリカで史上初の原爆の完成が間近となっていた1945年5月,陸軍長官のスティムソンは,原子力問題の現状,政策,戦後の展望を検討するための委員会を設置した.「暫定委員会」とこれを補佐する科学顧問団*がそれである.

 この科学顧問団のメンバーであり,実験原子炉の建設でこのプロジェクトの出発点となったシカゴの研究者グループの指導者コンプトンは,この顧問団会議への提案をまとめるために六つの委員会を設置した.そのうちフランク**を委員長とする委員会は原子爆弾の社会的政治的意味を検討するもので,6月12日に陸軍長官の特別補佐ハリソンに報告文書を提出した.これが「フランク報告」である.直ちに機密扱いとされ,関係者以外の目に触れることはなかった.

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* コンプトン,ローレンス,オッペンハイマー,フェルミ

** 原子の持つエネルギーが飛び飛びであることを実証した「フランク・ヘルツの実験」で有名.これは高校や大学の物理学実験のテーマとしてよく採用される.