アルベマール非安全複合体

3月地域行動週間の一環として、ノースアンブリア・トライデント・プラウシェア(友人も含む)は、ニューキャッスル・アポン・タインの西7マイルにあるアルベマール安全核連搬手段複合体を訪ね、そこをそれほど安全でないようにした。我々の振舞いは、複合体のフェンスに沢山の穴を開け、いくつかのリーフレットを残し、内側にスローガンを書いたというものであるが、ここには核弾頭護送隊が一日中動き回った挙句に夜通し留まっているのである。スローガンは次の通り。「TP2000参上」と「トライデント打倒」。門の標識も次のように変えられた。「TP2000に入所の権限あリ」。かつて我々はシティ・セン夕一で他の人々に参加を呼び掛けて1000部のリーフレットを配ったが、この次も?

 6週間後、キャタリックの国防省警察がジョアン・メレディスに、彼女の「コンヴィニエンス」に彼女を逮捕したいと電話で通告してきた。もちろんジョアンはブリュッセルで放水砲などでやられていたので、戻ったときに応じるようにした。ジョアンは6月2日にきちんとアルンウイック警察署に出頭し、正式に逮捕された。あれこれの権力を恐れない平和運動家に対処する羽目になったときの国防省ののろまさ加減は、全く理解を超えたものがあり、ジョアンはむしろ彼等を哀れんだぐらいであった!ジョアンは、このことが自分の行動続行を止めるものではないという理解に対して警告を受けた。

 ジョアンは同様のグループのメンバー、友人達、地域労働党幹部らにしっかり支持されていた。このことは、地方新聞におけるジョアン及ぴジョイの尊敬される地位につけ加えられただけのことであったが、多分、それは当たり前すぎることであるから! アラン


地域の英雄達、見事に動きだす

私は、緊張の余りに心騒いだので、奥部屋を前線に委ねるようなことを容易に決めかねていた。他の地域の英雄達との会合で、私の恐怖は和らげられ、我々の開始行動を待ち望みはじめた。

 エリックの熱烈な隣人達と違って、私は本稽古に出損なったが、計画は文句なしに単純だった。朝に切り替わる数分前、我々のうちの数人は雑談の間にファスレインの北門に着いていた。エリックとダヴィッドが基地への入口をケーブルで閉鎖したとき、一人の婦人警官が訳が分からずにぽかんと見守っていた。何秒かの間、私がケーブルに錠をかけるのに余り手が震えるので、ブライアンが助けなければならなかった。一瞬、顔を見合わせたが、すぐに終った。…交通は渋滞し切っていた。うまくいったことははっきりしていた。我々のほとんどにとって、これが最初の閉じ込めであり、何人かにとってはその最初の非暴力的直接行助、そして引き続く逮捕であった。

 しばらくして一人のお巡りが念入りのケーブルに一対の大きなボルトカッターを当てたが--何の役にも立たなかった。彼は顔を真っ赤にして離れ、10分ほど後にちょうど合いそうな鉄棒切断機を持って戻った。結局それが削り取った。我々は順々に引き抜かれ、引っ張られた。ブライアンは穏やかにどっしり座り込んでいた。この象徴的意味は、このような逞しい創造的なグループの一貫であることの誇らかで慎ましい感情を私に残した。「手続き」は長時間を要したが、いったん独房に入ると、私はくつろぐ以外に何もすることがないのだと悟った。魅惑的な会話の間に仲間うちの沈黙が散りばめられていた。万歳!4時間後、我々はジェーンのところでチップサンドと一杯の酒で祝った。

成果:

●北門への交通は半時間遅れた。
●運動家、国防省、公衆及ぴ基地労働者との間の有意義な交流。
●全体としてBOPすることで6人の告発:一人はBOPと逮捕の抵抗で。
●私自身にとっては回復された連帯感覚と、対立についての全く非暴力的な対応に関わることの強化。(中略)  エレノア

予定表
1999年8月10〜24日   クールポートで非武器化キャンプ
      11月12〜15日 同上(週末)
2000年(案)       以下省略


TP2000ニュース:5月キャンプからの報告

ヤナギの皮剥ぎ 5月週末の元気になるお話

北門で「ヤナギの皮剥き」を激励した後で(いつ終るのだろうか?)、予めの合図に基づいて、計画はフェンス沿いに広がり、それぞれのグループ毎に白らの行動を実行することになっていた。これは、鎖で繋がったフェンスを通ってファスレインに入り、燃料庫の溶接された網目のフェンスに至るという、中部諸州グループのいくつかのメンバーによる第三の企ててあった。ボルトカッターとD錠を携えて、我々は我々の目的、つまり警官が来る前に鎖で繋がったフェンスを破って溶接網に自分自身を固定するということを目指して動き出した。真っ昼間に大衆行動で歩いて、駐車しているストラートクライド警察の数台のトラックの傍を過ぎたというのに、一人の警察も後をつけて来ないというのは不思議な感じであった。

 外側のフェンスに小さな穴が開き、我々は素早く内側のフェンスに渡って小さな穴を開けたが、ジョイにボルトカッターを返して固定するまでには時間がかかった。これは全て緊迫感をもって遂行されたが、それは警察がすぐにもやって来得る--或いは我々がそう予期していたからであった。

 一息ついたとき、我々は国防省警察がどこにも見えないことに気が付いた。ストラートクライドは今や車椅子行動の対処に忙殺され切っていて、我々のフェンスの側には男女や犬の姿も声もなかった。挫折感はこの上もなく大きかった。というのは、フェンスにD錠で固定されたものの、その鍵は全く手の届かないバッグの中、ボルトカッターはなく、警察は見えない!密着していながら遠くにいるようで、基地の真っ只中にいるのに、それ以上動きが取れないでいるのだから。しかし、挫折は恐慌に変わった。というのは、我々がこのままでいるしかないとすれば、恐ろしい蚊どもがその夕食--フェンスに縛り付けられた二人の人間から提供されるご馳走を求めてやってきたとき、どうなるか?

 だから、ついに国防省警察(と犬)がやってきたのを見たときは、まるで助けを得たようであったが、そこで彼等のお定まりに従って事が運び、ファスレインの独房入りとなった。しかし、優美な技術と手仕事の跡は、我々が深夜過ぎに釈放される前に整理された。このお話の教訓は、行動が常に綿密に計画されるべきだといっても、それは機会が生じているときにその先に行けないという具合にあなたの選択を限定するものでは決してないということである。   シルヴィアとアリソン

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