「法を守る」とは何かが問われている

「法人法」国会通過に際しての声明

国立大学独法化阻止全国ネットワーク世話人会
(事務局長 佐賀大学理工学部教授 豊島耕一)
http://www003.upp.so-net.ne.jp/znet/znet.html

1.はじめに

 「国立大学法人法」が7月9日に国会を通過し,国立大学行法化問題は新たな段階に入った.われわれ全国ネットは,一昨年5月の結成以来,思いつく限りの,また力の及ぶ限りの努力を重ね,この制度の実施を阻止するための活動を続けてきた.この努力が実らず,法律の制定を許してしまったことは極めて残念であり,その口惜しさと深い失望は言い尽くせない.しかしこの無念さは,本気で行法化阻止のために闘った証であること,そしてわれわれと同様に,あるいはわれわれよりももっと厳しい闘いを貫いた多くの仲間と共有するものであることを心に留め,これを新しいエネルギーに変えていきたいと思う.

 法案阻止という課題では敗れたが,しかしその一方では多くのものを手に入れたことも事実である.それらをも正当に評価し,今後の活動につなげなければならない.また,もちろん行法化反対運動もこれで終わったのではない.上位法である憲法23条に違反する制度は違法であり,憲法自身がその無効を宣言している.

  憲法第98条
  この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、 命令、
  詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有
  しない。

 すなわち,この制度とそれを規定する法律は,これからつねにその「違法性」,「無効性」を問われ続けながら存在するのである.にも拘わらず文部科学省とこれと結託する大学当局はこれを強制して来るであろう.このことは,われわれに法的な対抗措置を取る義務を課すことになろう.

2.問題の核心を突く国会質問

 国会に於ける野党の追及はこの問題の核心を突くものであった.国会審議冒頭,4月3日の衆院本会議での代表質問で,山口壯議員は「文部科学大臣が国立大学に対して中期目標を示」すような制度は「戦前の日本にも存在しなかった」と述べた.そして「大学の自治」と「学問の自由」は常に国会論議の中心に位置した.これは,大学教員や組合がどちらかというと遠慮がちにこれらの言葉を口にしていたのとは全く対照的であった.「正論」の持つ重みを逆に大学関係者は実感したのではないだろうか.またある議員は,労働安全衛生法に関して来年4月では違法状態となり,そもそも日程的に不可能であることを追及した.また,6月10日には,「中期目標」等の作成を文部科学省が指示していた問題で,虚偽答弁があったため審議が中断するという事態が生じた.法案もない段階での文部科学省の国会無視がきびしく問われたのであるが,この問題では大学側にも責任がないとは言えないだろう.文部科学省の指示とはいえ法的根拠はなく,断ることが可能であったし,当然そうすべきだったのである.

 衆参両院の委員会での多くの大学関係者の意見陳述も,この法案の実像と,さらに文部科学省による大学支配の実態をも暴き出した.

 このように国会審議は,この法案だけでなく,関係者の行動についても鋭くその問題点を抉り出した.そして最終盤でも,多くの野党議員が審議打ち切りを拒否する態度を貫いた.あらためて,この問題の最前線,すなわち衆参両院の委員会で闘った野党議員の方々に深い感謝の言葉を申し上げたい.

 しかし,ある野党議員の行動は,反対は名目的で,実際は与党による「審議拒否・採決」に加担するものであったと多くの人が認識したのではないかと思われる.

3.最終盤での反対運動の盛り上がり

 阻止運動は,終盤になって多様な展開と盛り上がりを見せた.奇しくも法案そのものを審議する衆議院本会議の開会ベルを聞きながら始まった国会内集会(全国ネット・アピールの会共催)には,最大野党,民主党の議員も参加した.そこで一出席者から提案された「意見広告」は,そのために結成された独自組織によって4度にわたって実施されることになり,世論に大きな影響を与えた.最後の2つは,運動体自身が臨時のマスメディアになる,すなわち「自主報道」という考えに基づいて実施された.

 議員との連携も,主に首都圏ネットによって,効果的,精力的に追及された.多くの大学関係者の協力で作られた「論点集」は,議員の質問に材料を提供し,大きな影響を与えたと思われる.

 参議院に舞台が移り,継続的な強行採決の危機というきびしい状況にあった6月10日,全国ネットは,佐賀大学教職員組合,全大教九州と共同で,韓国教授組合など7団体とによる「共同声明」をソウルで発表した.そこでは,国際協力は,教育と研究の分野だけでなく,「学問の自由」の擁護の活動においても重要であることが強調され,韓国での民主主義と自治破壊の諸傾向に反対すると共に,日本の国立大学行法化への明確な反対が表明された.これは現地のテレビで即日報道された.

 本会が全面的に協力した電子投票は,学生や私大も含む大学関係者に,信頼性と秘密性の両方を十分に満足する意見表明の機会を提供した.法案に反対が圧倒的であり,当事者から支持されていないことを示すものであったが,投票総数は4千弱にとどまった.

 首都圏ネットや全大教による国会傍聴,デモ,集会なども組織された.最終盤,結果的には強行採決前の最後の週末となった7月5,6日は,この上ない,また最後の街頭宣伝の機会であったが,全大教その他大きな組織からの行動呼びかけも見られず,東京と佐賀だけでしか行われなかったことは極めて残念である.

 「はがき署名」などこのほかにも様々な運動が行われた.国会審議期間中はもちろん,それ以前からの約3年に及ぶメールマガジン「国立大学独立行政法人化問題週報」は,この問題での重要なメディアとしての役割を果たし,それが発展した「国立大学通信」は,もはやこの分野での「マスメディア」となった.大学関係者だけでなく,国会議員などにこれが与えた影響は計り知れないだろう.

 国会審議の期間中の,首都圏ネットを中心とする文字通り不眠不休の国会オルグと情宣活動は,深い感謝の気持ちを込めてここに特筆しておかなければならない.

 以前の「任期制反対運動」に比べて,今回の運動が大きく盛り上がった要因としては,その問題の比較にならない重大さ,深刻さもあるが,活動家が組合など既成組織だけに頼らず,個人やグループの自発的,自主的運動の必要性と,その力を認識したことにあると思われる.これは今後の活動の大きな財産となろう.

4.「学問の自由」の未曾有の危機

 しかしその運動もこの法案を阻止するまでには至らなかった.この法律の成立によって,またそれが実施に移されることによってわが国はその重要な「かたち」の一つ,「学問の自由」を空前の規模で失おうとしている.戦前であっても国家が大学の教育・研究内容に直接介入することは認められていなかった.それがこの法律によって可能になったのだから,実に恐るべき国家制度における退行であり,アカデミズム・セクタの扱いに関する限りわが国は独裁国家の仲間入りをすることになる.

 このような重大事態が,最終盤では反対運動も多少は盛り上がったとは言え,当事者である国立大学教職員のストライキもなく,多くの学生が声を挙げることもなく,また国立大学以外の大学関係者の目立った動きもなく,いわば「平穏に」進んでしまったことも,この国で進んでいる危機の深刻さ--民主主義の腐食と劣化--を示している.このことは本当に深刻に受け止める必要がある.大学関係者に関しては,「自由度が拡大する」という政府の説明を鵜呑みにした大学首脳部の見識のなさ,そして大学教員でさえ行法化を「学問の自由」の問題と理解しなかった人が多数いたという事実は,「大学とは何か」という問いを彼ら自身に投げ返している.

5.マスメディアの負の役割

 また,大手マスメディアの意図的な隠蔽によって,国民の大多数がこの問題の真実を知ることもなかった.全国民にとって重要な問題を報道しないということは,国民が少しでもメディアを信頼している状況では,問題自体を「存在しないもの」とする効果を持つものであり,厳しくその責任が問われる.

 しかし大手メディアは,これを反省するでもなく,むしろ「勝てば官軍」とばかりにこの制度を正当化することに忙しい.例えば,読売新聞7月11日付社説では,文部科学大臣による中期目標設定を「最低限の国の関与」であるとし,文部科学省とうり二つの言葉でこれを正当化している.国会で野党に「外国に例があるか」と問われて,文部科学大臣は「単純に比較できない」と答弁を避けた.「国際標準」にうるさい新聞がこのことに無関心なのは不思議なことである.

 多くの記者たちは問題の深刻さを真に理解し,憂慮していたし,それは主に地方紙には反映された.しかしついに大手メディアの紙面に記者たちの考えが反映することはなかった.

 メディアの幹部たちが,自分たちを(主として政府に奉仕する)たんなる「情報産業」に過ぎないと思っているのであれば何をかいわんやだが,もし「報道機関」であるという意識を少しでも持っているのであれば,自分たちのやっていることが「大政翼賛」でないかどうか,少しは「自己点検」をしてみたらどうであろうか.

6.運動の一つの教訓

 この間の事態の展開は,国大協,組合,教授会,メディア,それに一般市民のそれぞれの特性の問題,関係の問題について様々な生きた知識を提供するものになっている.その中から重要な問題を一つだけ指摘したい.それは「参加」の問題である.

 国大協が文部科学省の「調査検討会議」に参加したことが,国立大学が全体として行法化に巻き込まれていく重要なステップとなったことは今や明かであろう.そうならない可能性があったが,力不足であったとか,努力が足りなかったという問題ではない.そもそもこれは相手側の罠であり,しかも罠と言うにはあまりにも公然としたものであった.なぜならこの発足に際し当時の文部大臣は,「独立行政法人制度の下で、(中略)国立大学を独立行政法人化する方向で、法令面での措置や運用面での対応など制度の内容についての具体的な検討に、速やかに着手」する一環としての会議であると述べているのである.

 全国ネット結成のきっかけともなった「国大協への署名」はこの問題を指摘し,調査検討会議からの離脱を求めたが,全大教やかなりの大学関係者の意見は「外野で意見を言っても仕方がない」というものであった.ここには,「官」が主宰するものを「内野」と考える,官僚中心主義,官僚依存主義とも言うべきものが抜きがたく存在するように思われる.国権の最高機関は議会であり,行政府ではないのである.

 同じ型の問題が,「中期目標」作文に関しても生じた.組合がその内容に注文を付けるのはあり得るとしても,教員がこれに当事者として加担するのは間違いであった.このことは,上に述べたように,まさに野党の国会議員によって国会無視として批判されたのである.一般に「参加」は重要であるが,何に参加するかが問題である.決して「注文の多い料理店」に入ってはならないのである.

7.今後の課題

 さて,今後の課題は何か,運動をどう進めるべきかについて,ごく大まかな提案をしてみたい.その前提として,法律は国会を通過したとは言え,我々は半年ないし1年前とは比較にならない程の「資産」を手にしていることを自覚する必要がある.本質を突く国会審議の議事録,週刊誌など一部マスコミによる的確な報道,それに意見広告による国民一般へのこの問題の認識の浸透がある.そして何よりも,国会議員やジャーナリストを含むさまざまな個人や集団のネットワークが生まれている.

 7a 「慣れ」との闘い

 まず何よりも重要なことは,この制度がもたらす状況への「慣れ」と闘うことであろう.この法案に書かれていることが次々と実体化されていけば,次第にそれは当然のことと見なされるようになり,教育基本法10条,憲法23条の解釈改悪・改憲が定着してしまう.そうさせないためには,法の実施のすべての局面に目を光らせ,上位の法に照らしての違法行為が認められれば,あるいは個々人の権利侵害が認められれば,これを問題化し,あるいは法廷に持ち込むことも必要となろう.主体は当事者である国立大学教職員であるが,このような活動を支援するための市民も含めたネットワークの構築がどうしても必要である.

 このような監視と告発の活動は,理事への「天下り」問題など,これまで取り上げられ,また国会でも追及されたすべての点にわたって行われなければならない.「天下り」に関しては,対象を中央官庁だけに限るべきではない.メディアの意図的な沈黙,すなわち隠蔽工作は,メディア幹部たちもこの分け前にあずかろうとしているのではないかという疑いを持たせるに十分である.しかもこれは従来の「天下り」の概念には当てはまらないのである.

 7b 「中期目標」の抽象化

 だれが作るにせよ大学に「中期目標」などという制度は存在したことがなく,必要性を感じた人もいない.これを文部科学大臣が「定める」などということは,上に述べたように憲法と教育基本法に違反する.したがって,大学はこの「下書き作り」でこの違法行為に協力・加担してはならない.これは,90もの大学の目標を大臣という一人の人間が作る(官僚組織が手助けするにしても最終責任は一人)という法律の非現実性,滑稽さをハイライトするためにも重要である.大学としてのこれへの関与の仕方としては,この文書を,たとえば教育については,教育基本法第一条のコピーとするなど,極めて抽象的なものとするよう文部科学大臣に「意見を述べ」(法人法30条3項),文部科学大臣が違法行為に手を染める程度を最小限にするようにしなければならない.「中期計画」の作成にあたっても同様である.

 法案の提出以前でさえ各大学では「中期目標」の作文に励んでいたのであるから,このような方針は非現実的と言われるかも知れない.しかしこれは,法人法を国会で阻止することが非常に困難だからといって,行法化阻止のスローガンを非現実的と言うのと同じであろう.つまりそれと同様原則的な問題なのである.

 「中期目標」に代わって大学は独自に「将来計画」を必要に応じて作成・公表し,国民に対するアカウンタビリティーを果たすべきである.その中には,大学運営への学生参加,一般市民の関与など,大学運営を民主化し市民に開かれたものにする方策が「具体的」に示されることを望みたい.全国ネットの大学関係者は当事者としてこれを努力する.

 7c 教育基本法改悪反対運動との連携

 全国ネットでは,行法化が教育基本法10条の実質的改悪,「解釈改悪」であることを結成当初から指摘し,改悪反対運動団体に連携・協力を呼びかけてきた.それは今年に入ってから少しずつ実を結びはじめていた.今国会では,教育基本法改悪の法案は提出されずに終わるが,政府が近い国会でこれを狙っていることは明かである.我々としても,この法律の明文改悪を阻止する運動に貢献する必要がある.

 「学問の自由」は大学だけの問題ではなく,高校までの学校でも原則的にはこれが保障されなければならない.そのようにわれわれの,あるいは大学関係者の視野を広げるためにも,また改悪反対運動団体との真の連携のためにも,このことは重要であろう.

 これまで長い間にわたって,文部省・文部科学省は高校までの教育の官僚支配のシステムを作り上げてきた.これは教育に於ける様々な歪みを生み出し,特に教育基本法8条の系統的な無視・抑圧は,今日の若い世代の「政治離れ」の大きな原因となっている.これは,今回の行法化反対運動への学生の関与の少なさにも反映してもいる.大学「法人化」は,この官僚支配のシステムを大学も含めて完成させることを狙ったものである.

 もしさらに教育基本法が文科省が検討を進めている方向で改悪されれば,それは再び高校までの教育に--もちろん大学にも--跳ね返り,教育内容の面で巨大な網がかけられる.これを食い止める運動,そして逆に教育基本法を完全に実施し,そのために実施状況を見直す運動は,「法人法」廃止のためにも死活的な重要性を持つと言えよう.

2003年7月22日