最初に掲示した版で田端博邦さんの名前が間違っていました.お詫びします.
[テープ起こし(集会前半部分)] Ver.1.1
日時 2001年10月5日 12時30分〜15時30分
場所 衆議院第一議員会館 第一会議室
目次
報告 豊島耕一(全国ネット事務局長)
意見表明 川田悦子議員
保坂展人議員
石井郁子議員
田端博邦さん(東職委員長)
浜田盛久さん(全国大学院生協議会議長)
中村真之さん(東北大学学生)
豊島耕一と申します。全国ネットワークという活動を行っています。本日は国会議員の方3名、それから私の方から報告、そして院生の方からお話をしていただく、そして学生の方から1名発言していただくということで、いろんな方のご意見を発表して頂いてこの問題についての理解を深めていきたいというふうに考えております。前半が約90分見ておりまして、その後休憩をはさみまして自由に討論をしていきたいというふうに考えております。最初に議員の発言の順番といたしましては、委員会の都合ということで川田議員にお願いをしておったんですけども、まだお見えじゃないようですので、私の方から報告を始めておきまして、川田議員が見えた時点でお話をしていただくということにしたいと思います。
私の報告につきましては、レジユメを作っておりまして、1枚のものなんですけれども、4年間で価値規範は変わらないというタイトルをつけた1枚紙なんですけれども、これを参照していただければと思います。およそ10分あまりお話しをさせていただこうかと思います。
この独立行政法人制度というものは、4年前に当時の文部省は徹底的に批判をしていたわけですね。小さな字で書いてありますけれども、独立行政法人の狙いというのは効果的な業務の実施にある、つまり文部大臣が3ないし5年の目標を指示し、大学はこれに基づいて教育研究を策定するというようなことで、そういうふうに政府が指示する仕組みというのは、だめだと。国立大学の「業務継続の必要性」、つまりこれは国立大学を廃止するということも大臣が決めていいということになるわけです。そういうような制度であるとか、そういうものは大学の自主的な教育研究を阻害し、教育研究水準の大幅な低下を招くということで、はっきりと否定をしていたわけです。4年前に。
この内容というのは現在も変わっていないわけです。名前は確かに国立大学法人というものに変わりましたけれども、しかしなぜか文部科学省は態度を変えてしまったわけです。この事態は何に喩えるかというと、やはり私はこういう言葉を想い出さざるを得ません。「嘘も百ぺんくり返せば本当になる」ということだと思います。ですから、こういう問題は非常に単純な問題なんです。
しかし、文部省が方針を変えたということで、大学関係者はもうこれは動かないものだというふうに考える人が多くなっている。非常に憂慮すべき事態になっています。法律案さえもできていない時点で、そう考えるということはまさに国会無視である。国民無視であるというふうに言わざるを得ないということです。
この制度の最大の問題点は何かということなんですけれども、これはやはり憲法であるとか教育基本法という私たちのこの国の制度、法制度の基本にもとるということです。目標を役所が指示する、計画を許認可する、そして役所が評価をする。第三者評価などと言っておりますけれども、これは文部科学省の中に評価委員会を作るということですから、第三者ではありません。国による評価、そして大臣の判断で存廃する。これは現在は法律によって、国立学校設置法ということで国民の代表である国会が決めるということになっておりますけれども、これを大臣が存廃まで決められるような制度になっておる。そして、法律上そういう4つの点で、現行の教育基本法であるとか学問の自由を定めた憲法23条であるとか、そういうものに真っ向から反対する、敵対するものであるということは非常に明らかであると、私は考えております。
この制度が間違っているということは、文部省も4年前に認めていたわけですけれども、文部省系の機関である国立学校財務センター、これは資料の2枚目表を見ていただきますと、「大学の設置形態と管理・財務に関する国際比較研究」という文書がありますけれども、これによりますと、
2枚目の裏のところを見ていただきますと、今度は5枚つづりくらいの資料なんですけれども、表が一番最初が文部大臣の所信ですね。独立行政法人はだめだと述べた文部大臣の所信、たくさん資料があると思いますけれども、文部大臣の所信というのが一番表面にある資料ですけれども、それをめくって頂いて、その3ページ目、2枚目の表ですけれども、
これはごく最近、国立学校財務センターの大崎仁という方、文部省で高い地位までいかれた方だと思いますけれども、この方も一緒になってまとめられた資料の中に、大学の法的地位として独立行政法人のような法人類型を大学に適用している例というのは諸外国にないんだと。そして自治を尊重している欧米では、2枚目の裏のあたりになりますと、政府による目標の指示、実行計画の認可、変更命令というような独立行政法人のそういう例をとっているところは欧米にはないということであります。たった先ほどまで、私ども杉野さんという文部省の方と交渉してまいりましたけれども、ないということははっきり彼自身も認めております。しかし、欧米の真似をする必要はないというようなことを言っておりましたけれども。ですから、文部省も政府の関与を認める制度であるということがいえると思います。
さらに、ごく最近は「大学構造改革」というようなことが言われておりまして、これは非常に有名な発言があります。6月の国立大学学長会議で文部省の工藤局長が、この構造改革方針に従わなければ見捨てると、脅かしますとはっきりそういう言葉を使いまして脅迫をしたわけです。文字通り脅迫をしたわけです。これは事実上の命令であります。こういうことを発言するということは、文部科学省が国立大学に命令をしたというようなものでありまして、これも法的根拠は全くない。そういう事態が発生しております。このようなことに対して、批判的な言動をとっている学長が一人もいないということは非常に残念なことです。むしろ保守派、どう呼んだら喜んでいただけるか分かりませんが、加藤寛という千葉商科大学の学長がおられますけれども、保守的な人だと思いますけれども、あの方が公然と批判しておられます。一体、日本の左翼は何をしてるのかというふうに言わざるを得ないです。あるいは日本の国立大学の学長は何をしてるのかということを言わざるを得ない。
それでは、どういうふうに大学を変えていったらいいのかということについても、我々はもちろん考えを持っておりますけれども、その指針というのはすでに、これは言葉は嫌いかもしれませんけれども、グローバルスタンダードというのがちゃんとできておりまして、それはユネスコがいくつも文書を出しております。そういうものに、そういうガイドラインに従って私たちは国立大学の改革を考えていくことができると思います。その指針というものは、これはもう話が終わってしまうところなんですけれども、先ほどのレポートには資金交付についても直接政府が関与できるようなことはいけないということで、先ほどのレポートにも書いておりますけれども、私としてはやはり法律どおりの元に戻すべきだろう、文部科学省と国立大学、これはどちらも設置法という形で文部科学省と国立大学は対等であると、私は思っておりますけれども、それがいろんな圧力で歪められている。これを正すということが重要ではなかろうかと。そして以下、4つほど項目を提案しておりますけれども、そういうことですでにアイデアは出ておりますので、ユネスコのスタンダードに従って変えていくということが重要ではなかろうかというふうに思います。
特に3番目に当たります、大学運営について学生が関与するということです。これは文部省がやりたがらないだけではなくて、実は大学自身にも問題がありまして、私などが学生を関与させようという提案をしましても、大学がなかなか腰を上げないという問題があります。ですから、文部省だけに問題があるのではもちろんありません。
そして、最後に申しあげたいことは、文部科学省が中間まとめを出しましたけれども、その会議というのがどうなっているかということです。これは完全に文部科学省の委員会と国立大学の中にできている委員会とがコピーである、ということであります。ここに名簿がありますけれども、この色を塗ったところは兼ねてない人なんですけれども、他のメンバーは全部ですね、左側が国立大学協会のこの問題を検討する委員会、右側が文部省の委員会なんですけれども、兼ねてない人はわずか4人なんです。ですから、同じ答申が出るのはあたりまえです。これは国立大学が文部省に乗り込んで考えを変えるなどと勇ましいことを言っていますけども、そんなことができるはずがないんです。結局、文部科学省の意向を国立大学協会が受けるという形になってしまうわけです。
これは、私は1つ喩えを申しあげたいんですけれども、私の地域では運動会の季節なんですけれども、運動会の世話役をやっているんですけれども、運動会の種目に百足競争というのがありますね。百足競争というのは、みんなで一緒にやることによって非常に苦しい、非効率なという典型なんですけれども、まさに国立大学協会は自らみんなで一緒になることによって、非常にひどい案をですね、文部省の案を丸飲みするような案を作ろうとしているということで、これに対してやはり大学だけではなくて公然と国民が批判をするということが求められると、私はそう思っております。大学のことだからなかなか口出しはできないんじゃないかと思われる方もあるかもしれませんけれども、すでにどんどん口出しはされているわけです。文部科学省の圧力はすさまじいものであるでしょうし、財界からの圧力もそうでしょう。それに対して、どうして革新的な考えを持った人が批判をしないのでしょうか。それが大変不思議であります。
(川田議員来場)
司会:次は川田議員にご意見をお願いします。
皆さんこんにちは。すいません、時間が遅くなってしましましたが、私からお話させていただきます。私は議員になってまだ1年なんですけども、いろいろ皆さんと一緒に勉強して取り組んでいかなければならないというふうに思っています。私は実は先日東京大学駒場寮を見てきました。そこが壊されるということで、立ち退きを迫られていました。今は、強制立ち退きということになってしまったのですが、私は大学に行って見てきてとても強く感じたことは、大学の自治はもうないのではないかということです。このままどんどん進んでいけば、どうなっていくのだろうかと心配です。大学の方に「大学の主人公は誰なんですか」って聞きましたら、「学生ではない」って言うんですね。それを聞いて、唖然とさせられたんです。
私は薬害エイズの被害者川田龍平の母親で、薬害エイズをたたかってきました。つい最近、9月28日に松村被告に有罪の判決が出ました。画期的な判決です。業務上過失致死ということで、刑事裁判で有罪判決が出たわけですけども、何もしなかったということで、有罪判決が出たということ。官僚が震えあがったと思いますけれども、私は本当になぜこんな官僚が生まれてきたのか。狂牛病問題でも国会議員になってすぐに、これは大変な問題になると感じて質問もし、そして要請行動をしてきました。そのとき農水省は、大丈夫と豪語してたんです。私は大丈夫ではない。危険な肉骨粉が出回っている。豚や鳥にだけ食べさせないで牛にもきっと食べさせるだろう。きちんとした対策をとらなければならない。検査もちゃんとやってほしいということを言ってきたんですが、「日本では狂牛病は発生しない。大丈夫だ」。農水大臣はそう言っていたんです。ついに発生してしまったわけです。
今の官僚が何のために仕事をしているのか。どうしてそういうことになってしまったのか。
官僚の多くが東大から出てきていますけども、私はとっても疑問に思います。なぜ、あれほど勉強してきた人たちが、こんな仕事しかできないのか。どうしてこのような危機的な状況の時に、きちんとした判断ができないのだろうか。自分の在任期間に何事も起こしたくない。先送りをしていく。そういう体質があります。私は今本当に大変な状況になってきていると思います。私たち一人一人が本当に自分の頭で考えて判断し行動していく、このことが重要になってきているわけですけども、組織の命令がなければ動けない。誰かが死ななければ動かない。そういう体質を変えていかなければならないと思います。
そのために何が大事か。まさに私は学問の自由、大学の自治、人間の自立、そこに根本的な問題があると思っています。私は今ここでこのようなやり方で文部科学省が進めていくやり方に対して、大変強い疑問を持っています。私はこの独立行政法人化について、深く勉強はしていません。しかし東大に行って実際に目の当たりにしたときに、あそこの駒場寮をなくしていく考えの根っこにあるのは経済優先、効率優先の思想がであると考えました。4分の1の敷地を占めているので、あれを壊せばもっといろんなものに使える。もっともっと効率のいい使い方ができるというふうに大学当局はおっしゃったんです。これこそ狂牛病を発生させた思想です。効率化を求めてやってきたのが狂牛病の発生です。
本当に大事なもの、それは目に見えないものです。目に見えない大事なものを奪おうとしているのが、今の日本の政府のやり方だと思っています。私たちは今こそ本当に何が大事なのか、そのことをきちんとさせていかなければならないと思います。皆さんと一緒に私たちは本当に深く考え、議論し、そして本当に大学がどうあるべきなのか、その議論を積み重ねていって私たちがきちんとした対案を出していかなければならないと思います。もうこれで決まったのではなく、あきらめずに私たちは本当に多くの人たちと一緒にやっていかなければならないと思います。あきらめずに、取り組んでいきましょう。時間がないので退席します。話をさせていただいて申し訳ありません。恐縮です。頑張りましょう。(大きな拍手)
司会:ありがとうございました。これから司会は私がさせていただくことにします。私、岡山大学の野田といいます。よろしくお願いいたします。
続きまして、社民党衆議院議員の保坂展人さんにお願いいたします。
お集まりの皆さんご苦労様です。社民党の衆議院議員の保坂展人です。今回出されてきているエージェンシー化あるいは遠山プランというものを見ていきますと、これは行き着くところまで行きつつあるなという感を深くいたします。たぶん4年ぐらい前ですか、任期制という制度を、これが提案をされたときに、一定の期間、5年でしたか、そういう期間で終結をする契約の教員を大学の中に入れていこうと。これはすばらしいんだというようなことで、どこがすばらしいのか言ってみろということで当時の文教委員会で議論したんですが、そのとき私が言ったのは、もうどこから見てもすばらしい、そしたら、まず文部省からそれをやれということを言ったんです。答えはもちろんないわけですけれども。
今回はいろんな問題点があると思うんですけれども、1つ改革というと、今の政治状況がそうなんですが、改革はいやだよというリアクションというのは、じゃあそれじゃあ保守派じゃないかと、勇気がないじゃないかと。本来一番保守的で何も変えたくない、既得権を、がんじがらめの利権を独占をしてきた人たちが今改革という看板を振り回しているわけです。ですから、この改革の看板が例えば今回の自衛隊派兵だということを今回のテロ事件のドサクサ紛れに、それしか考えられないというようなことが起きているのと同じように、大学改革というと「それは改革をしなきゃね」ということは当然出てくると思うんです。改革はしなくていいよという声は、ないと思うんです。やっぱり、改革の中身が問題なんだろうというふうに思います。
例えば歴史教科諸問題というのがありました。日韓、日中の関係、とりわけ悪化しましたよね。靖国神社、総理の参拝でさらにそこにとどめが入ったみたいな状態にあるんですけれども、現在の大学の問題点というのは、例えばこういう大昔の話しではなくて、まだ戦争を体験された方たちもたくさん生き証人もいる、そういうかつての戦争の事実がどうあったのかということすら、ああいう新しい教科書を作る会というグループが出てきて、勝手に改ざんをしていくと。そして、若い人たちに一定の影響力を与えるというぐらい、やっぱり大学のいまの停滞というのがあると思うんです。
結局は企業によって、あるいは例えば先端技術であるとか、あるいは様々なバイオテクノロジーだとか、そういう部分で企業が金を出しそうな分野というのはよく考えてみると限られていますよね。今の国立大学あるいは私大もそうでしょうけども、様々な基礎的な研究も行っているだろうし、またそれぞれの専門分野の掘り下げもいざというとき大事だということもあります。知的な蓄積、それを社会に向けて還元をしていく。そしてまた、若い人たち学生を教育をしていくという大学の機能というものを、現在ある機能を市場化しようと、いわゆるグローバル化の名のもとに、スポンサーが付く研究、そしてまた儲かる技術、こういうことに大勢の人が群がり、また学生もそこにどっと行き、そして他の歴史だとか、あるいは絶対的に必要な環境問題、こういうものについてお金を出す企業というのはないわけです。オゾン層の破壊、紫外線の増加ということに対して、総合的に何をしたらいいのかということは大変トータルなことを議論しなければいけない。今の大学は実は、そういう機能を急速に失ってきているんだと思います。失ってきているがゆえに、例えばこういういま大変な境目の時代で、あの事件のあったアメリカでも1万人の若い人たちが、年齢も超えてですけどもデモに出てくる。日本もそういう動きはありますけれども、非常に社会、政治、国際的な動向からは分離をした形で多くの若者が自らの世界にこもっている。今日集まっている方たちは、そうじゃなくてここに出てきておられるんだと思いますけれども。先日私、早稲田大学に行きました。これは、サークル部室ですか、各建物の地下に学生たちのサークルの部屋が長いこと使われてきた。これが全部閉鎖をされて学生会館という近代的な建物ができあがって、出入りにIDカードを使ってコントロールされるんだと。それがもうそろそろ閉鎖されそうなんで、抗議をしたいというような学生たちが集まっているところに行きまして、また実際どういうところで学生たちがいるのかというのを見てきました。大変汚い部屋が多かったですけどね。ただ、非常にぱっと思い出したのが私が1980年代半ばにドイツのニュールンベルグ、ここにコムというかつての演劇博物館を最初は空間占拠といって、若い人たちが取り壊し反対でそこに住み込んで、やがてそこに映画館を造り、ライブハウスを造り、そしてさまざまなサークルがそこに入っていくという、そういう空間がありました。ベルリンにもありました。そこに何日か通って見てきた、その感触と非常に良く似ていた。おそらく、その当時80年代半ばのそういう若者たちは、たぶんドイツのSPD、社会民主党ですね。ドイツの社民党は政権党で日本はちょっと小さいんですけども。それを担っていたりとか、緑の党の活動をやってたりとか、やはりそのスペースが先生からの授業として、あるいは講義として受けるという教育という機能が大学に1つあるだけではなくて、若い世代同士が啓発しあって、様々な失敗をしたり、無駄な時間に思えるような果てしない話をめぐらしたりとか、あるいは徹夜で話し込んでしまったとかというようなことが、文化の活力を生むんじゃないだろうか。
学問というものがあるとしたら、人間の根底からの自由な発想。そして、誰にも遠慮せずに持論を展開してみる、そういうようなことが、やっぱり社会全体から消えつつあるんです。おそらく大学の空間からも消えつつあるんだろうと思います。それを今一掃セールをやっているわけですね。学生寮問題の様々な、山形大学の学生たちも来ましたけれども、一掃セールをやっているんだと思います。要するに、今の社会から見て能率の悪い、あるいは汚い、あるいは何か無秩序であるというようなことは全部きれいにして、そこに真四角の鉄筋のビルを建てて、そこで処理をしていくというような、要するに大学を企業にしようという発想が、その遠山プランそのものじゃないかなというふうに思います。実はそういう声というのは、産業界中心に即時的にあるんだと思いますけれども、しかし今、日本の経済や企業の深刻な、いわばどうしていいかわからない立ち往生の状況を見てみたときに、利益をあせって、いわゆる企業内社員教育が不況で難しくなっていますよね。電気関係とか。そういうのを大学にやっちゃいたいということですよね。はっきり言えばね。しかし、そういうふうに企業が利益を目先に求めて、やっぱり多くの若い人たちが様々な冒険や挑戦を学生時代にして、そして人格的にいろんなことに挑戦をする、学生運動世代も散々、大学の中を駆け回ったけれども、結局は日本の企業を支えているのはその世代だったりとかするわけですから、そういうふうに企業の側も非常に近視眼的な要望を文部省にぶつけ、そしてまた文部省という役所が、一番構造改革されなければならない役所だと思うんです。やっぱり非常に遅れちゃうんですね文部省というのは。おそらくいま文部省の中で議論している大学改革のインセンティブというのは、少なくともこの大不況時代に入るずーと前のバブル経済の余韻も少し残って、ちょっと悪くなってきたなという当時の企業の声だと思います。そういう意味では、この議論もいま保守的な、千葉商大ですか、そういう方もそういう発言をされているとおっしゃてましたけども、大いに、もちろんその社民党、あるいは共産党の先生もいらっしゃいますけども、いろんな政党に属する議員が声をあげるのも大事ですけれども、企業はこれでいいのかと、こんなくだらんことを大学に要求していたら、存立基盤つまり社会的な基盤が崩れちゃうよということを彼らにも考えさせる。そういう問題の議論の仕方というのが1つの大勢の方に関心を持ってもらう方法の1つかなというふうに思います。ちょっとまとまらない話で恐縮です。どうもありがとうございました。(大きな拍手)
司会:どうもありがとうございました。
続きまして日本共産党衆議院議員の石井郁子さんにお願いします。
皆さんこんにちは、今日は本当にご苦労様でございます。私ご紹介いただきました衆議院議員石井郁子です。日本共産党からは、衆議院の児玉健次議員、また参議院の林紀子議員、畑野君枝議員が参加しておりますことをご紹介申し上げまして私の方からご報告申し上げます。
今年6月に経済財政諮問会議に大学の構造改革が出され、いわゆる「遠山プラン」が発表されたわけでございます。また先月の27日には、文部科学省の調査検討会議の国立大学の法人化の中間報告が出されたということで、本当に今、日本の学術研究をめぐる重大な曲がり角を迎えていると私たちは考えています。これまで文部省が進めてきた大学改革の、括弧つきの改革でございますが、総仕上げをこの機に一気に進めようと、重大な情勢のときにこうして全国から、大学関係者の皆さんたくさん国会においでいただいてこういう集会を開いていただいたということに、まず敬意を申しあげたいと思います。
まず、「遠山プラン」についてでございますけれど、この点では国立大学協会についてはいろいろご意見があるところですけども、この国立大学協会からも何らの相談も協議もない、一方的だと、これまでの信頼関係を揺るがしかねないと、大学の現場では無用の混乱も生じている。積み重ねてきた議論、意見等や個別大学の事情等も十分考慮して慎重に、と注文を付けざるを得ないほどであるわけです。ところが文部省の方は、コンセンサス重視の手法というのは時として痛みを伴う大胆な改革を妨げる面があると、またスピード感をもって目に見える形で大胆に進めなければいけないということで、文部科学省主導でプランを強行しようとしているわけです。この「遠山プラン」が、もう皆さんよくご存知のように国立大学の再編統合を大胆に進めるとか、また国立大学に民間的発想の経営手法を導入するとか、また3つ目に大学に第3者評価による競争原理を導入するとか、この3つの点を強調しているわけでありまして、すでに筑波大学と図書館情報大学、山梨大学と山梨医科大学の統合が来年度に実施される、神戸大学と神戸商船大学、島根大学と島根医科大学の統合が検討されているということで、具体化が始まっているということも極めて重大だと思います。
また国公私トップ30の問題があります。資金を重点配分するという方針は、もうすでに来年度の概算要求に盛り込まれているんですね。そういう実施の準備がすすめられているという状況、これは文部科学省に設置された審査委員会によって、大学の教育、研究、学問の評価を行う、10分野30専攻に重点的に資金を配分する、こういうやり方ですから、大学の序列化をすすめる、大学間の格差を一層広げる、そして国の方針に合わない研究、大学は切り捨ててしまう。という点で、私たちは断じてこういう方向は、容認するすることはできません。
さて、今日、主題の、国立大学の独立行政法人化問題、これも皆さんよくご存知のように、そもそも出てきた出所というのは行政組織の減量化、効率化という行政改革の中の話でした。そして、巨額の財政赤字を口実にして公務員を削減すると。この削減目標の引き上げの中で始まった議論です。それが、この「遠山プラン」では法人化への移行は当然だというばかりに、早期の移行と掲げられているわけでしょう。その、この法人化を進める狙いは文部科学省もあけすけに語る、それはこんな言い方なんです。国立大学には親方日の丸主義や護送船団の発想がある、意思決定の非効率性などがある、その対応が閉鎖的で硬直的だと決め付けている。法人化で民間的経営手法の発想を導入、競争原理を打ち出すというものであります。私は本当にこれが文部科学省かと、文部科学省は今までやってきた大学行政を根本からひっくり返して、こういうことを言い出しているという点でも、驚かざるを得ませんし、ひどいことになっているというふうに思います。それで今日皆さんが議論される調査検討会議の中間報告ですけれども、私どもも文部科学省のレクを受けました。そうするといろいろ弁解をするんですね。いいとこもありますよという話になるわけです。つまり、これは行政改革の視点を超えているだとか、法人化のメリットを大学改革のために最大限に活用すると。国立大学の果たすべき使命や機能は法人化それ自体によっては大きく変化するものではないとまでも言うんですね。大学としての自主性、自立性が十分に尊重される制度であることは、当然の前提となる。こういう形で、今日お集まりの大学関係者の懸念を一生懸命払拭しようというふうに説明をされるわけです。しかし、よく聞いてみますと、もうそんなどころではない。文部科学大臣による中期目標を策定、中期計画、企業会計原則の導入と、国からの運営費交付金、これまた文部科学省に設置される評価委員会の評価、これは第3者評価どころか文部科学省の中に評価委員会をつくるというのですから、本当に驚くわけです。そういう評価に基づいて、資金配分される。ですから、大学関係者の皆さんが最も心配しておられた独立行政法人通則法に定める基本的骨格は維持されている。しかも、文部省のこれまでの統制をより強めるものになっているというところが大変重大だというふうに考えております。
中間報告は大学の自主性、自立性が拡大するということでそれで大学に経営責任をと、経営責任をもたせるというわけですね。それが大きな柱になっている。そして、民間的発送のマネージメントの導入などして、自己収入の拡大などを求めているわけです。これでは設置者としての国の責任は後退をすると言わなけばなりません。それから、大学運営のありかたでも、これも自主性、自立性という名のもとに学長、学部長を中心とするダイナミックで機動的な運営体制の確立とか、学外者の参画による社会に開かれた運営システム等々、結局、各大学が自主的、自立的に運営組織を設置するということになりまして、これまで教育公務員特例法が定めてきた評議会、教授会といった組織での大学運営のあり方を根底から、根本から覆すということが見えてくるわけであります。それから、あわせて中間報告では、身分も非公務員型になりますので、こうすると教育公務員特例法の規定もあてはまらないということになるわけです。
こうした内容でありますので、マスコミからもいろいろと論評も出ているところで、独立行政法人のもとでの議論というのは限界があるんじゃないかと、ある新聞は書きました。国大協も一定の懸念を出しているところは、紹介したとおりです。それは、学問の自由に由来する大学の自治と、そういうものを基盤においた教育研究の発展という観点、これに重大な問題があるというのは、多くの皆さんが指摘されるとおりであります。私は、法人化で競争原理の導入、効率的運営ということを進めるのは、大学の予算と教職員を削減することにつながる、目標と評価で大学を政府の強い監督と関与のもとに置くというのは、教育と研究とは相容れないと思います。その上で、学術の衰退をもたらすという点で、本当に重大だというふうに考えています。
文部科学省は、さきほどお話しもございましたように、脅しともいうやり方で今のスケールで大学はいいのかと言っているわけでしょう。国立大学の大幅な削減をめざすと、大規模な再編統合も進めるということでありまして、これは地方の大学から大きな心配、危惧が起こっていますよね。地方自治体から県議会はもとよりですけど、町議会の単位でうちの大学をつぶすことになったら困るという意見書が国会に寄せられているんです。もう、10数件の意見書が寄せられています。私たちは、やっぱり国立大学が地方の文化、経済に果たしてきた役割、これは本当に大きなものがあると思いますから、こういう点からも、しっかり見ていきたいと考えています。
最後にですけども、私ども日本共産党は、憲法に保障された学問の自由、大学の自治のもとで学術の中心としての大学の教育研究条件を抜本的に整備をする事を主張し、国会でもがんばってまいりました。1年前になりますが、党として昨年22回大会で、わが国の知的基盤である大学の自主的創造的発展をゆがめる国立大学の独立行政法人化に反対をする、大学の教育研究条件の抜本的改善をはかることを重要な課題というふうに決議もしてきたところです。いま世界の流れ、ユネスコのいろいろ一連の文書等もありますけれども、やっぱり社会の発展にとっても大学の教育研究機能を強めるということが不可欠の課題だと思います。そういう立場で、いま日本の政府がやるべきことは国立大学の独立行政法人化やましてや民営化ではない。国民の高等教育の期待に応える方向での、各大学の自主的創造的な改革を支援することだと思います。抜本的に大学関係の予算を増やすということは言うまでもありません。しかし、小泉内閣のもとでの聖域なき構造改革ということが、嵐のように各分野を襲っているわけでありまして、そういう中の1つとしてこれが出てきております。私たちは、国民生活のあらゆる分野に痛みを押し付ける、この偽りの改革に反対をしてがんばっていきたいと思います。その1つとしての、「遠山プラン」の押し付けをきっぱり止めさせる、国立大学の独立行政法人化を許さないという立場で皆さんとご一緒に国会内外で奮闘するという決意を申しあげまして、私の発言とさせていただきます。ご一緒にがんばりましょう。(大きな拍手)
司会:ありがとうございました。石井郁子議員には今日の会場の用意もお願いいたしました。この場を借りてお礼を申しあげたいと思います。申し遅れましたけれども、お忙しいなか多くの国会議員の方にご出席いただきましたことに厚く御礼申しあげたいと思います。
司会:続きまして東京大学職員組合委員長でいらっしゃる、田端さんにお願いしたいと思います。東京大学職員組合は現在の国立大学職員組合の中でも、頑張っている数少ない組合の1つだと思います。(笑い)
東京大学職員組合の田端と申します。私たちの組合の見解は、このグリーンのペーパー(中間報告に対する「東職見解」)に書いてありますが、この声明自身を作る際に私も加わっておりますので、私自身の考えでもあります。大上段に言えばこういうことなんです。私が考えている基本的な問題点ということなんですけども、少し柔らかい話をさせていただきます。2つのことを申したいと思います。
1つは、かつて私の同僚であった人の話です。その人はもともと自然系の人なんですけども、大きな民間企業の研究所で長く働いていた人であります。その人が大学に来てから、こういう大学を巡る問題が起きてきて、非常に学内の雰囲気、研究所内の雰囲気が非常に良くなくなってくる。そういう中で、彼はしみじみ言っていたんですけども、大学が民間の研究所のようになってしまってはだめだ。つまり、大学というのはのんびりとした豊かな時間があるということが価値がある。私も含めて、大学の先生の給料は非常に低い。ですから、民間の一流企業の研究所から比べれば給料は遥かに低いわけです。しかし、その中で自由に考えられる、ゆっくり考えられる、これが本当の大学の価値であるというわけです。おそらく学問の根本に関わる問題ではないかというふうに思っているわけです。
それから、もう1点ですけども、これも個人的な経験です。「東職見解」では5番目の、競争原理と第3者評価ということに関わるんですけども、私のイギリスの友人とつい1ヶ月も経たないぐらいでしょうか、このことで喫茶店で議論したことがあるんですけども、イギリスでは92年に大学評価、個人評価というものが入ったそうです。どうなったかということなんですけども、学問的な見地からすると、極めて悲惨な状況になっている。1つは、研究者が大きな仕事を、4、5年かけてまとめるというような大きな仕事をしなくなってきている。毎年毎年成果をしかも論文の数などで測るということになりますので、非常に細切れの仕事が多くなる。それから、そういうものをレフリージャーナルに出して、そのことで評価が良くなっていくわけですが、肝心のレフリージャーナルのレフリーになり手がなくなってきている。これは、レフリーになりますとたくさんの論文を読んで雑誌に載せるかどうかとか、載せる場合でもコメントをつけて、ここを直せとか非常に時間をとられるわけです。そうしますと、自分の仕事をする時間がなくなるということであります。ということで、非常に大きな問題が起きた。もっと身近にいうと、同じ研究仲間の職場とか学会レベルでの研究会、自由なディスカッションの場というのが、どこの国でもあります。そういう研究会が、まったく成り立たなくなってきたと言うんです。一歩でも先を争うような競争原理ということになりますと、新しいアイデア、非常に優れたアイデアというものがあったときに、それを論文にまとめないうちに、そういう研究会で話したりすると取られてしまうかもしれないというわけです。したがって、議論が成り立たない。みんな本当のとこまでは踏み込まないで、形だけの議論ということになる。専門分野によって違うかもしれないんですけども、学問とか研究というのはそういうフリーなディスカッションの中で鍛えられていく、質が上がるということがあると思うんです。そういう本来の学問研究の場というのが崩壊しつつあるということをこのことは意味している、と私は考えております。私はそういうようなことが、私たち研究者にとっては非常に重大な問題であると思います。現在すでに大学もそうですし、研究者もそうですが、文部省攻勢のもとでシュリンクしています。おそらく、このまま行けば日本の学問にとって非常に重大な危機の時代に入ると危惧しています。以上で終わります。(拍手)
司会:ありがとうございました。
では、続きまして、院生協議会の浜田盛久さんお願いします。
(浜田さんの話の部分については録音不調のため,本人から集会後に寄せられた原稿を掲載します.別のテープが利用可能になり次第,置き換える予定です.)
全国大学院生協議会(全院協)は、全国の25大学の院生協議会が加盟し、大学院生の 勉学研究条件の向上のために活動しています。独立行政法人化が大学院生にとって、 (1)研究職への就職難、(2)学費の高騰、(3)学問の質の低下、(4)私立大学の 勉学研究条件への悪影響 などを招くと考えられ、大学院生の現在おかれている実情 をより良くするどころか、むしろ、悪くするものです。
大学院重点化で、この10年間の間に大学院生は10万人から20万人へと倍増しました が、研究施設・条件の整備は遅れています。また、研究職への就職難も深刻です。学 術審議会の見通しでは、10年後には毎年18000人が博士の学位を取得するものの、実 際に就職できるのは13000人となっています。日本学術振興会の「ポストドクター1万 人計画」も、ポストドクターの任期が終わった後の出口がない、いわば、若手研究者 のフリーター化ではないか、という心配の声が、大学院生の間から上がっています。 現在、「遠山プラン」に基づいて、大学の再編・統合の議論が盛んですが、若手研究 者の就職口はますます狭まることが懸念されます。国立大学に独立行政法人化が適用 された場合も同様です。
「中間報告」の中で、「学費の自由化」が謳われていることは、見過ごせません。現 在でさえ、高い学費を支払うために、大学院生がアルバイトに追われ、勉学の時間が 十分に取れないという声が数多く寄せられています。親の退職や、長引く不況下での 親のリストラも、大学院生の経済条件を厳しくしている要因です。一昔前なら盛んに 行われていた院生同士の自主ゼミも、最近ではお互いがアルバイトなどで忙しくなっ て、議論する機会に飢えているのが現状です。
これでは、院生の研究の質が下がってしまうことになりかねません。実際、例えば、 経済学を専攻する院生が、今の不況を分析する際に実体経済全体を踏まえるのではな く、金融面だけからの狭い分析に留まっているなど、全体的なレベル低下も報告され ています。
独立行政法人化は、私立大学にも悪影響です。例えば、中央大学は、自校で研究者を 養成する目的で、大学院生の学費は国立大学と同じ額に抑えてありますが、国立大学 の学費が大学毎に自由化されれば、当然、学費値上げということになることが懸念さ れます。
以上の理由により、大学院生の勉学研究条件の向上を願う立場からは、国立大学の独 立行政法人化は認められません。
司会:どうも有難うございました。続きまして学生から発言を受けたいと思います。東北大学の学生にお願いしていますので、よろしくお願いします。
本集会に全国から集まられた教職員・学生・市民のみなさん。ご承知のように9月27日、文科省に設置された調査検討会議は「中間報告」を明らかにしました。これを絶対に許さず、「最終報告」を粉砕に追い込みましょう。「国立大学法人化」で独法化を推進する国大協を教職員・学生・労働者の怒りで包囲しましょう。私はその先頭でたたかうけついです。
まず第1に、「中間報告」は独法化の狙いをエスカレーションさせていることをはっきりさせたいと思います。明らかにされた「中間報告」は、政府―文科省が独法化で何を狙っているのかをはっきりと示しています。「中間報告」は、「新しい『国立大学法人』像について」とうたっていますが、その中身は「中期目標―中期計画」と「評価制度」、またその評価に基づく予算配分を基本骨格にしており、改廃や予算の恫喝で、大学自治を一掃し、国家が大学の研究や教育など全てにわたって掌握・統制することを狙ったものです。まさに独立行政法人化そのもんです。
さらに決定的なことは、「中期目標・中期計画」の前提に、新たに「国は……我が国の高等教育・学術研究に係るグランドデザインや政策目標」を策定するとし、それに基づき各大学が「長期目標」を定めるとしていることです。また「中間報告」に先立つ調査検討会議では"報告に国際競争やグローバル化に対応するビジョンも入れよう"という議論され噴出しているのです。ここに示されていることは、大学が徹底した国家統制のもとにおかれるということです。いや、もはや統制という言葉すら不適当かもしれません。「中間報告」が示していることは、学問の自由を保障するために大学自治を有し、建前上にしろ国家権力から相対的に独立した存在としてあったこれまでの大学を外から縛ろうというものではもはやなく、これまでの大学の在り方をいったん解体して、その出発点から完全に国策を遂行する機関とするという大学の位置づけの大転換を行おうとしているのです。
さらにそのための大学運営への学外者の参入や、学長による「トップダウン」式の大学運営、職員の専門職能集団化などがいわれているのです。第2に、小泉政権の「構造改革」の登場で、独法化の本性がむき出しになっています。6月、「大学のトップ30校」に重点的に予算を配分し、大学の再編統合を進める「大学の構造改革」が打ち出されました。今や小泉政権の「構造改革」路線の登場の中で、独法化の本性がむき出しになっていると言わねばなりません。「遠山プラン」はその実践です。
6月21日、政府の経済財政諮問会議が明らかにしたいわゆる「構造改革」の柱の決定的一環に大学問題を位置づけているのです。そこでは競争原理の導入で、世界最高水準の大学を整備するといわれています。
そもそも小泉政権の「構造改革」とは何でしょうか。「骨太の方針」では他にも、2―3年以内で不良債権を処理することや、郵政事業の民営化や特殊法人の民営化、さらに「自助自立」や「『給付は厚く、負担は軽く』というわけにはいかない」という社会保障の事実上の解体などがいわれています。
膨大な失業者が生まれるなど様々なことが指摘されていますが、小泉政権の「構造改革」の核心は、日本経済の危機の矛盾を全て民衆にかぶせ、戦後的な労働者や民衆の諸権利を剥奪し、むき出しの資本主義の原理を導入するということにあるのです。さらに「聖域なき」とは、利権団体などに向けられているように言われていますが、戦後以来営々としたたたかいによる労働者民衆との関係をひっくり返そうとしているのだと私たちは見なければなりません。
独法化との攻防はこうして、大学問題の枠を飛び出し、労働者民衆の生きるために国家からもぎりとってきた諸権利の一掃を許すのかをかけた決戦に押し上げられたのです。
第3に、核心は何でしょうか。自治破壊と戦争大学への転換が独法化の狙いです。中間報告の発表に先立つ、調査検討会議の論議では、"大学自治や学問の自由を問題にするのはおかしい""今は国家権力が横暴を極めた時代とは違う""いつまでもそういう意識でいるからそれを見抜かれ、大学の構造改革という方針がでたのではないか"という主張がされています。
問題の分岐点はこの点にこそあるのではないかと思います。今や世界は確実に戦争の時代を迎えています。9・11事件はそのことを完全に突き出しました。アメリカは、今日、明日にも戦争に突入する体制を日々整えています。他方で、アフガニスタンではアメリカの攻撃から逃れるために膨大な難民が発生し、「史上最悪の事態になる」と指摘されています。こんなものを到底「正義の戦争」などとはいえません。
さらに日本も日部安保条約に基づき米軍の出撃基地・兵站補給基地として事実上参戦しています。さらに「後方支援」という事実上の軍事行動へ自衛隊を参戦させる法律の成立も狙われています。
日本は確実に戦争に向けて動き出しているのです。それだけではありません。事実上の憲法停止である有事立法の制定すら来年の通常国会で制定すると言われているではありませんか。強行と戦争が一緒にやってこようとしているのです。
さらにその中で、「国家の危機」や「軍事的緊張」をてこに国家権力が強大化し、労働者民衆の生活が統制されていくことは火を見るより明らかです。まさに"国家権力が横暴を極めた時代"がやってきているのではないでしょうか。そもそもこれまでの大学は、国家による有形無形の圧力によって大学自治を骨抜きにされてきたではありませんか。そして戦争の時代が本格化する中で、独法化によって大学自治が最終的に一掃され、国家政策をストレートに貫徹する機関へと完全に変貌させられようとしているのではないでしょうか。
そしてむしろ私たちが今なすべきことは、独法化絶対阻止の立場から、逆に大学の本分を今こそ発揮し、今まさに国家権力が横暴を極める時代が始まっている中で、大学をそれに抗してゆく労働者民衆の拠点としていくことではないでしょうか。
アメリカにおいては軍事報復に反対して150の大学での一斉行動が行われています。ベトナム反戦運動の発祥の地であるカリフォルニア州立大学バークレー校では、学生や教官さらに市民も参加して2000名が集まる集会が行われているのです。今大学にかかわる全ての人々こそがアフガニスタンの民衆を虐殺する全く不正義の戦争に激しく警鐘を乱打することが必要です。大学の本来の使命が問われています。私は、その先頭に立ちます。
最後に、全国にこのたたかいを広げる、学生がその先頭でたたかう決意を明らかにします。全ての参加者の皆さん、今こそ、独法化絶対反対を一層鮮明に、全国的なたたかいを広げていきましょう。
すでに、独法化攻撃は始まっています。大学の再編統合の動きが現れている一方で、山形大学学寮、東京大学駒場寮の廃寮強行、さらに東北大学でも建て替えすらなく、しかも3年以上も話し合いのないまま寮の廃寮が通告されてきました。大学において、教育の機会均等をいかに貫くのかなど、もはや小泉政権の「構造改革」の中で完全に無視されているのです。そもそも1県1大学も独法化の中で一掃されることは不可避ですが、問題は完全に共通であり、大学を国家に役立つほんの一部のエリートを育成し、国家戦略そのものを担う研究機関へと変貌させる動きはすでに始まっているのです。
国大協は、「国立大学法人化」の名で独法化を推進しようとしています。そもそも調査検討会議連絡調整会議主査として今回の報告を発表した責任者が、国大協会長である長尾京大学長であること自身全くおかしな話しではありませんか。本当に学生・教職員の固い団結こそ勝利の道です。本日のたたかいを起点にさらなるたたかいの全国的広がりをつくりだしていこうではありませんか。さらにさらに署名運動を広げていきましょう。私たち東北大学の学生は、独法化を絶対に阻むためにみなさんとともにどこまでもその先頭でたたかう決意です。ともにがんばりましょう。(拍手)
司会:どうも有難うございました。これで前半を終わります。