2003年4月3日国会内集会

私立大学の側から見た国立大学法人

蔵原清人
工学院大学,東京高等教育研究所事務局長

 ここでは個人の資格で発言します。

今度、上程されています国立大学法人制度については、すでに様々に指摘されているように、国立大学は文部科学省の全面的な指揮権のもとにおかれ、大学の自治が全く破壊されることになりかねない点で、またそのねらいとして国立大学を国策に寄与できる教育研究だけを進めさせようとしている点などにおいて、大きな問題を感じています。大学は大学人の自治によって自由な発展を遂げてこそ、本当に日本の社会と人類に役立つ学術文化の発展に寄与できることになると確信しています。これは学術文化教育についての本質に根ざすものです。それゆえ現在の政策を押し通したとしても、必ず失敗に終わることでしょう。しかしそれは日本の学術文化教育に大きな損害を与えることになるでしょう。

今回の制度の特徴の一つは、国立大学に法人格を持たせるという点にありますが、私立大学の立場から、現行制度と比較してこの点について特に発言したいと思います。

 わが国の現在の学校制度では、国立、公立、私立を問わず学校と学校の設置者は明確な区別があります。すなわち、国立、公立、私立の設置者は国、地方自治体、学校法人ですが、設置される学校はともに学校教育法で区別無く規定されているのです。そして設置者は、運営の費用を負担することと、教育財産の管理(登記など)をすること、雇用契約の締結など人事管理をおこなうことなどが主要な役割です。しかし教育研究に関してはもっぱら大学の権限で、「重要事項を審議するため教授会を置」くこととなっています。

 戦前は、学校=法人であり、教学の責任と財政などの責任は同じ人(機関)が負っていましたので、教学は財政などの制約の下に強く制限されていました。戦後の改革で、大学はもっぱら教学に専念できるように、財政などの確保、やりくりは設置者が責任を持つという制度になりました。これは財政の面から学問の自由を保障する制度として、私は重要な改革であったと考えます。

今回の、独立行政法人ないし国立大学法人の制度は、こうした戦後改革を根本から崩し、教学の機関である大学に財政のやりくりや管理までも責任を持たせることになります。この結果は、財政条件に教学が強く規制されることになり、この面から学問の自由は強く制限を受けることになるでしょう。学術文化の社会における役割がますます重要になっていますが、そうした時代において学問の自由およびその制度的保証である大学の自治を保証することは、民主主義の根幹の問題です。これは社会全体で守るべき問題であると考えます。

このほか、国立大学法人制度では、学外者の運営参加がいわれています。これは一面では私学ではすでに行われていますが、その場合、多くはその学校の関係者ですが、国立大学法人の場合は直接には関係のない財界、産業界や評論家、他大学の教職員などが就任することが考えられます。そのとき、文部官僚が大学の教員として天下り、大学教員という身分で就任することが予想されます。これでは国立大学は内部から官僚支配されることになります。すでに発足した独立行政法人において天下りが増加しているという指摘に十分注意すべきです。

 また産業界、財界人が直接個々の国立大学の運営、教育、研究に注文をつけることが出来る仕組みが出来ます。現在、わが国の産業界は国際競争力をつけるために、大学の資源を根こそぎ利用しようとしています。わたしはそれほど緊急の役に立つ技術を大学が持っていると考えるのは過大な幻想だと思いますが、財界、産業界はそれを熱望していますし、文科省は全面的に推進しています。しかしだという組織はもっと長期の見通しのもとに運営されなければならないものです。

 私立学校の立場から見たとき、国立、公立大学の問題は、卒業生の運営参加が法定されていないことになると思います。卒業生は、その学校の最大の応援者です。この力を組み込んでいないことが大きな損失になっているのではないでしょうか。今回の制度提案にも卒業生の問題は無視されています。

 理事会の構成についても問題がありますが、割愛します。

会計制度の改革も進められます。この要点は企業会計の原理の導入といわれていますが、その核心は現在の財産とその期の利益を決算上明示することになるでしょう。つまり儲かる経営に走り出すことになるでしょう。しかし教育というものは営利を目的としないということが改革の大原則ではないでしょうか。したがって学校法人では剰余金を利益として配分することを禁止していますし、学校法人解散にあたっても残余財産を山分けすることはできません。(抜け道はあるでしょうが)最近、公立大学について大幅赤字、財政の持ち出しが宣伝されていますが、これは利益追求の裏返しです。この原理の基礎にはもう数十年にわたって宣伝されてきている教育の受益者負担主義があります。この批判も併せて行っていく必要があります。この会計制度の導入は近い将来、営利企業の大学経営に道を開くもので、教育、研究、文化に対する重大な攻撃です。

そして利益のでない学校や赤字の学校の「破産」ということを推進しようとしています。これは教育研究事業の安定性を根本から切り崩すものです。学校は企業のようにすぐに破産しなければならないものではありません。受け皿があればいいというものではありません。明治以来の私立学校関係者の努力は経営、教育の安定性という点に集中していたのであり、戦後改革はそれを制度的に実現したといってもいいのですが、今回の制度はこの1世紀以上の努力を全く覆すものです。大学の持つさまざまな教育研究の資源、資料、標本、人脈などを社会の財産として大切に保持し、発展させるという観点こそ重要です。

今回、国立大学法人の制度が成立すれば、つぎは学校制度全般の改革が行われることは必至です。すでに公立大学では独立行政法人化するという発言がしばしば行われています。私立大学の学校法人制度や私学会計制度の改革も動き始めるでしょう。私立学校は現在でもトップ・ダウンのところが少なくなく、もし学校法人制度が崩されれば今以上に、理事会主導の学校運営が強まり、学問の自由、大学の自治はますます崩されていくことになるでしょう。このような重大な影響を与えることになる国立大学法人制度について、強く批判し、それを実施させないよう要求するものです。