本田和子様
国立大学独法化阻止全国ネットワーク事務局長
豊島耕一(佐賀大学教授)
拝復
私たちのアンケートに早速ご回答いただきありがとうございます.
問4の記述欄に,独法化阻止運動の最終目標は何か,とのお尋ねがありましたので,ご説明したいと思います.私どもの運動をご理解いただくための一助となれば幸いです.ただ,「全国ネット」としての公式見解ではなく,多分に私個人の意見が入ることをお許し下さい.
独法化阻止ネットワークの目標は,国立大学への国家の干渉や介入を排除し,大学の自治と学問の自由,教育の自由を守ることです.さらに,「自治」を学生も含む大学構成員すべてに拡大し,また何らかの市民参加の道を開き,より民主的な大学運営のありかたを追求します.そしてユネスコの98年の「高等教育世界宣言」が求めるように,大学が社会の独立したセクタとして「批判的で進歩的な機能」を充分に果たせるようにしたいと思っています.
法的には,憲法23条(学問の自由)と教育基本法10条(不当な支配の禁止)を守ること,国家に守らせることが重要だと考えています.独法化はこれらの基本法に違反するもので,何よりも違法な制度を導入してはいけない,というのが私たちの基本的立場です.
規約とセットになったネットワークの「趣旨」には,その末尾につぎのように簡潔にこれらを表現しています.
国立大学の改革は,現在行われている様々な官僚的な規制を撤廃して大学と諸構成員の自由と権利を拡大する方向でなされなければなりません.そのためにも,市民・納税者の意思を国立大学に反映させることは,「学問の自由」と矛盾しない方法で積極的に追求されなければなりません.
独法化は,「中期目標」という大学への政府の命令制度一つ取ってみても,この私たちの目標とは全く相容れないものであり,当然これを阻止することが前提になります.別の「法人化」の道を探るにしても,独法化を政治的に葬り去ることとセットとなってこそ考えうることです.この点を曖昧にすると,どのような修正を試みようとも限りなく独法制度に引き寄せられたものになるでしょう.密室の委員会の中では,個人がいかに努力しようとも全く限られた効果しか持ち得ないのです.このことは,国大協が調査検討会議に参加した後の事態の展開が証明しています.
現在の国立大学は,文部科学省による,そのほとんどはおそらく違法な「行政指導」によって自治を奪われています.そのような「官」による支配の反面,というよりそれと相俟って,大学の重要な構成員である学生の発言権は公的にはほとんど認められていません.数え切れないほどある学内の委員会に,学生代表が正式メンバーとして加わっているものがいくつあるでしょうか.また,社会の意見を採り入れるはずだった「運営諮問会議」に,お偉方や著名人でない普通の市民がどれだけ加わっているでしょうか.
大学は,そして大学が生み出す研究と教育は,国家や産業界のためだけにあるのではなく,何よりも普通の市民のためのものであるべきです.もしそのように大学のあり方が変われば,薬害エイズももっと早く告発されたでしょうし,有明海のカタストロフィーも防ぐことができたかも知れません.
そのような学生本位の,市民本位の改革にとって,現行の国立大学制度の変更が焦眉の課題であるとは考えられません.上に述べた違法な「行政指導」をなくせば,相当程度まで自治と自律性を回復できると思われます.「法人格を持たない」などといわれますが,現在でも,「統合・再編」に見られるように,大学が独自に隣の大学と「統合協定」を結んだりしていますが,これをどう説明すればいいのでしょうか.これは大学が何らかの主体としての「人格」と権限を持っていない限りあり得ないのではないでしょうか.すなわち「法人格」を持つ・持たないと言っても程度問題なのです.ですからさしあたっては制度改変が中心課題ではなく,自治が貫かれるように運営のしかたを実務的に変えていくことが重要なのです.制度改変は書類の山を築くことによって官僚組織の「生き残り」に奉仕するだけです.そして大学と教職員はますます疲弊していきます.
「独法化の流れは止められない.『阻止』を掲げても実行できなければ無駄ではないか」という態度もかなり見受けられますが,私たちはそのような考えは決して受け入れません.国会に法案も提出されていない時点で「止められない」と断定することは,国会無視,すなわちこの国の法制度の基本をないがしろにすることです.また,その可能性がどの程度であろうと,明らかに悪いと信じる政策に最後まで反対し続けることは人間としての倫理の基本でもあります.風説に追随して残されているかも知れない可能性に目をつぶることは,「人間の努力」ということ自体を否定するニヒリズムにもつながるでしょう.
国大協がこの問題の本質を国民に理解してもらう活動を十分にやったとはとても言えない状態です.会長がテレビに出て,堂々と独法化反対の論陣を張ったことがあるでしょうか.私は知りません.むしろ文部科学省に抑えられて,あるいは遠慮して,言いたいことも言わないというのが実態ではないでしょうか.それでは国民の間に理解が進まないのは当然です.つまり世論に訴えることで開ける大きな可能性が,まだほとんど手つかずに残されているのです.
国大協の4.19総会決定のすぐ後に発表した私たちの「見解」にも述べたことですが,大学関係者の任務は,みずからの研究者・教育者としての良心にのみ忠実に,率直に意見を表明し,国民に事実を正確に伝え,国民と議会の的確な判断を助けることにあります.ここで独法化の本質的問題について沈黙することは,まさしく国民に対する「説明責任」の放棄に他なりません.この問題での文部科学省との「二人三脚」とは,情報隠蔽のための官と学との癒着以外を意味するとは思えません.
「中期目標」などという政府の大学への命令制度,そしてこれを政府が評価して直接予算に反映させるという制度は,おそらく戦前でも存在しなかったのではないでしょうか.過去だけではなく,文科省系の調査機関「国立学校財務センター」が2000年に発行した報告書が述べるように,欧米にも例がありません.「『目標』の下書きは大学にさせてもらえるから問題ない」というのは子供だましです.高等教育分野での「大政翼賛会」とも言うべき独法化に対して,是非とも大学存立の原理を対置していただきたく存じます.
私たちだけではなく,国大協自身もわずか5年前には独法化反対を表明*しているのですが,その「最終目標」は何だったのでしょうか.先生のご賢察を期待申し上げます.
敬具
2002年8月5日
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*1997年10月21日付け.
追伸 この手紙は,アンケート結果と同時にインターネット等で公表させていただきます.どうかご了承下さい.