平成14年10月21日
鹿児島大学評議会殿
氏名 井上政義 印
はじめに
今日の我々にとって最大の問題は、国立大学の行政法人化の問題である。これからの学長は、国の根幹に関わるこの教育改革への責任ある対応が問われる。これについての私の意見をここに表明したい。
大学のあるべき姿と国の役割
1.大学は、高等教育を担い、文化を継承発展させると共に批判的・予見的役割を社会から期待されています。そして大学は、国民さらには人類の未来の社会に歴史的責任をもたなければなりません。
2.この役割を果すためには、「学問の自由」が不可欠であり、教官の本来の任務である、教育・研究に専念できる環境が是非とも必要です。
3.国の役割として公共財の提供があり、国は国民に教育を受ける権利を保障し(憲法第26条)、かつ市場原理によっては成立し難い学術・研究を維持・発展させる責任があります。(先進国では、国の存亡に関わることとして、高等教育は国が責任をもって行うことは、当然のことであり、高等教育に国費を使うべきかどうかが議論になるのは日本だけだといわれています。)
つまり、私たちが求める大学は、競争的環境ではなく協力的環境のもとで、雑用から解放され自由な雰囲気の中で教育・研究に専念できる大学です。これによってこそ、長期的に見て大学が本来の役割を果たすことができるでしょう。
国立大学の行政法人化の3つの問題点
1.思想の矛盾
大学行政法人は、市場原理の導入という「自由主義」と国による中期目標の策定と中期計画の認可という「国家統制」という相矛盾する思想を内包したアマルガムです(教育・研究の許認可事業化)。(第三セクターの失敗、官と民の悪いところが出る)
2.法体系の矛盾
行政法人通則法を大学に適用すると、憲法第23条(学問の自由は、これを保障する)と教育基本法第10条(教育行政:教育は不当な支配に服することなく、国民全体に直接責任を負う)に抵触すると思われる。(内閣法制局の見識が問われる)
3.大学理念との矛盾
「許認可事業化」により、大学は自主性を失い天下り先になり、多量の行政文書の作成に無駄な労力を費やす行政実施機関(大学校)になる。これは、自主自律と学問の自由を理念とする大学と相容れない。大学をこのように、位置づけることは、民主的な先進国として、国際的な批判に曝される恐れがある。
その他の重要な問題として、憲法と教育基本法の理念を具体化した法律である教育公務員特例法の改廃がある。もし、「調査検討会議の最終報告」の枠組みによって法人化されると教員も非公務員になり、この法律によって規定されている、教員の任免、懲戒等についての教授会と評議会の権限がなくなり、これら人事についての行政等からの直接の干渉の排除が保障されなくなる。
そもそも昨今の行政改革の出発点である「行政改革会議の最終報告(平成9年12月)」には「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へと転換することに結び付くものでなければならない。」という高邁な理念が語られている。しかし、皮肉なことにいち早く行政に恭順を示し、自己の利益を図ろうとする大学人がいる。現在の大学は確かに改革すべき問題点が多い。学問の発展と社会の現代的要請に応える改革を自ら行う必要がある。これがもっとも必要とされる改革であり、そのほか、(1)事務機能の強化と合理化、(2)教授会などの審議事項を整理し会議に費やす時間を減らす、ことなどが必要である。