全国ネットワークの設立総会の様子 (テープI  浜林氏の講演)

目次

●I浜林氏の講演

●はじめ

●1 政府の長期戦略として捉えることの大事さ

1−1 中教審
1−2 つくば大学問題
1−3 大学審
1のまとめ

●2 運動を進めるには

2−1 大学の備えるべき条件
2−2 私大(公立大)とともに
2−3 国民とともに
2のまとめ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

要旨

●はじめ

話しをと言われたが、この2年、「新しい歴史教科書をつくる会」との闘いに力を注いでいる。通則法以後の新しい情報を知らず。大局的な2点を話す。

1点は、「独立行政法人」という名前は、直接的には、行政改革から出てきたが、根はずっと深いもので、国の大学に対する長期的戦略の問題であること、もう1点は、運動をどう進めるか、ということ。

●1 政府の長期戦略として捉えることの大事さ

1−1 中教審

「独立行政法人」は、行政改革の中の、公務員の整理から出てきたが、内容は1971年の中教審の答申に現れている。(昭和46年なので、46答申などと、略称することも。)

高等教育に対する基本的な管理戦略目標が現れている(ぜひ、読みかえすべき)。

例:現在、東大・駒場寮の廃止問題があるが、すでに「学生寮はなくす」と現れている。

中教審の基本は、大学の多様化路線。

直前に大学紛争があり、直接的にはこれに対する国の対応。

画一化された大学を、どう、多様化するか。

これは大学を5種8類型に分けるというもので、サラリーマン・コース、研究者コースなどと、呼んだりしたりした。

一層、根本的には、新制大学に対する見直し、ということであって、以下1)-4)のポイントがある。

1)組織の分離。 研究と、教育との、分離。
2)中枢的管理機構の確立。これは、文部省・政府がいつも唱えること。
3)教官の任期制。
4)設置形態。イ)法人化か、ロ)学外者機関を設けるか。

イ)法人化:法人化の方が自立性が高まる、と。校費を国から受ける以外は、一切、経営を自主的にさせる。ただし、校費を受けるべき法人として値するかの判断は、国が保留する、と(すなわち、評価は国がする、との意図)。

ロ)学外者機関:第2案として、国立・公立はそのままにして、学外者機関を設ける、と。法人化すれば、学外者機関は不要なので、国立・公立に残る場合は学外者機関を置き、と読むべき。

現在では、法人化も、学外者機関も、ということになっている。

以上が、中教審のポイント。

1−2 つくば大学問題

中教審の答申と同時に、「つくば大学問題」が進行した。

はじめは東京教育大学の「移転問題」であった。1967年6月に文部省の調査費がついた(調査費がつくことは、政策の決定を意味すると、一般には捉えられる)。

途中で、問題の性格が変わり、「新構想大学問題」となった。すなわち、71答申のモデル校の推進ということ。設置形態(国立大学)は不変。この問題のポイントは次の3点(1-3)。

1)研究と教育の分離。
2)教授会の人事権を、人事委員会に移す(教授会からの人事権の剥奪)。
3)学外者機関として参与会をおく。

「新構想大学問題」は、全国の反対運動となった。

73年に法案が通過した。通称は、「つくば大学法案」で、正式には、「国立大学設置法の一部改正法案」。

この法律の2章の2として、例外規定を付記した。

これは、よく使われる手段。

99年の大学管理運営が変わったときも、やはり同じく、「国立大学設置法の一部改正法案」であった。

そもそも、「国立大学設置法」は、「何々大学を、どこそこへ置く」と書かれている大学の戸籍ともいうべきもの。

「つくば大学法案」以後、個々の大学の管理運営方式を、つくば大の例と同じように、この法律に例外規定として付記する、という方式になった。

今も、同様に、「国立大学設置法」をいじっている。

教授会に関しては、「学校教育法」(52条 教授会)に規定がある。これは、全ての大学に共通なので、これは変えずに、「国立大学設置法」において、個々の大学の教授会についてのみ、その都度、例外規定を付記している。したがって、このような小手先の対処により、現在、国・公・私大の教授会の権限がバラバラという状態。

これに対して、全国的な反対運動のスローガンは、「つくば化阻止」であった。大学教員のデモ(300人規模)もあり、運動は盛り上がった。このため、文部省は、つくば方式を既存の他の大学に広げられなかった。したがって、以後、新設の大学に、このつくば方式が適用された。科学技術大学、単科の医科大学、などであった。

1−3 大学審

その後文部省は、臨時教育審議会を経て大学審議会ができ、つくば大以後、進まなかった大学改革を進めることになった。

このときの文部大臣が、現在、とぼけた発言の塩川氏であって、その諮問には今でも腹が立つ。曰く、

「日本の大学は、質・量とも世界において著しく劣っている。これを高度化に向けて改革しなければならぬ」と。

諮問は次の3点であった。1)研究の高度化。2)学部教育の充実。3)管理運営の効率化。

1)研究の高度化。高度化の実体は、マスターの増加であった。これは諮問の”高度化"を捻じ曲げ、研究重視でなく、高度職業人養成が進められた。

2)学部教育の充実。91年、設置基準の大綱化以後、一般教育と専門教育の区別が無くなった。まさに多様化路線であり、学部・学科の名称からは、何が教えられているかが分らなくなった。

現在、学部の種類は200以上ある。かつては、7学部であった。不動産学部などもあり、不動産鑑定士の養成などが、大学でなされるべき教育か、との疑問もある。

以後、大学は大混乱。一つぐらい、うちは変えない、という自主的な大学があるかと、期待したが、それは不可能で、ともかく、変えなければと、明白な目標なしに、バスに乗り遅れないだけを目指す事態となった。

口火は、慶応大学の藤沢キャンパスではなかろうか。政策学部、情報学部など、出現し、当初は人気があった。

しかし、現在は「ケイオウは三田に限る」(目黒のサンマのもじり)といわれている。

3)管理運営の効率化。任期制、学外者機関など。学外者機関は、今のところ、形式的運用に留まり、大きな機能は発揮していないようである。

つくば大は、10年ごとに、総括を行うことになっていて、「つくば大は失敗であった」との総括が行われた。

すなわち、文部省、大学当局の意図がみのらず、(学系つまり研究系と学群つまり教育系の分離を意図したが、融合してしまった、など)、失敗ということ。

失敗の総括自体は、出されてよかったのではないか。

1のまとめ

中教審以来、そもそも、国が大学に対してもつ長期目標は何のためか。一般的には、国策に奉仕する大学づくり、である。しかし、日本の国策は、長期的理念でなく、ほぼ、10年単位で変わるようなもの。

60年代は、理工の重点化。

しかし公害がでると、医学、環境、農学の見直しとして、全国に医科大をつくった。これが済むと、医者の過剰と称し、現在は、情報、ライフサイエンスが重点。

このような、産業界に要請された無軌道な政策に、大学は振り回され、自主的な構想を維持できない大学となっている。このことが、ねらいであったかと、捉えられる。

このような状況において、運動をどう進めるか。

●2 運動を進めるには

設置形態に目を奪われてはいけない、との東職の委員長の発言が、先ほどのシンポジウムで述べられたが、政府の対応の歴史を見ればその通り。

2−1 大学の備えるべき条件

また、「大学は国立でなければならぬ」は、先験的には成り立たない。大事なことは、大学が持つべき基本的な条件を満たすことである。これは3点ある。1)大学の自治。2)学問の自由。3)財政的基盤。現在、比較的よく、これを満たしているのが国立大学なので、それを崩すことにつながることは阻止しなければならぬ、ということ。

2−2 私大(公立大)とともに

私大を運動の仲間に入れることが重要。なぜなら、国費の配分において、大きな差があり、私大の経営は困難。

私大には不満があり、国大が独法化することで初めてハンディキャップが無くなり、同じスタートラインにつける、というムードがある。

日経新聞のアンケートに、国立大学長は独法化に80%反対、私大の学長は80%賛成、の結果がある。

また、予算措置は98年で次のよう。国立大(およそ100校)に対し、2.7兆円(うち、55%が国費)。

私大(およそ500校)に対し、国費助成はわずか2950億円。私大のうち、最大が日本大学で、100億円(慶応とトップ争い)。したがって、多くの私大は、微々たる経費の配分に対して文部省に対して頭を下げなければならぬ状況。

国立大が変質すると、私大も変わらなければならぬ、は、正論だが、多くの私大は、現在はピンと来ていない。むしろ、「国大、ざまあ見ろ」のムードがある。それでも、ぜひとも、私大を運動の仲間に入れなければならぬ。全ての大学が、日本の大学問題として、捉えるようになることが大事。

2−3 国民とともに

さらに、国民の反応は、「よくて無関心。悪くてざまあ見ろ」というムード。なぜなら、どうせ大学には関係ないとか、もっと門を開いてほしい、というところ。

運動の取掛かりとして、学費の値上がりの論点は、当然含まれるが、決してそれだけではないことをよく説明する必要がある。

東京と地方では異なるかもしれないが、次のようなムードがある。県に一つの大学がなくなるのは大変。しかし、国立でなくなっても在るなら良いではないか、など。東京では、東大はもともと自分たちとは無関係だし、何百もの大学の一つや二つがなくなっても関係ない、という状況。

このような状況下の中で(すなわち、決して国立大学の問題だけはないのだが、これが広く理解されない中で)、ユネスコの高等教育宣言は、共感を覚え、感銘深い。それは大学が担うことの第一は、民主的市民の育成である、ということ。これを基礎として、その後に初めて、職業人も、研究者もあるのである。大学では人間として市民としての基本を身につけさせることを根本とすべき。この面では、競争・効率化は決して進められない。

日本ではかつて、教養部での一般教育が、この教養教育を担っていた面があったが、条件が整わず、つぶされた。

他に、自治、学生参加、教職員の地位勧告、などに関する宣言も、まことに味方を得た思いがする。任期制に関して、安定的地位を与えるべき、との勧告もある。評価についても、「本人を励ますための評価」が基本であって、選別のための評価であってはならぬ、とある。まことにその通り。

●2のまとめ

従来の大学の自治は、不十分。従来は、教授会だけの自治であって、助手以下は無権利、職員・学生は入らず、である。

さらに、自治が「教員人事権」という狭い範囲だけに限られている。

この点は、大学紛争時に進展したはず。東大の7項目確認書もある。この後、全国の大学で、似たものが作られ、およそ10年、役割を果たした。

近年、この成果が揺り戻され、変質させられている。

一ツ橋大では学生の学長選挙参加権が剥奪された。

大学自治に関する寺崎氏の著は参考になる。以下に要点をあげる。1)-3)。

1)現在の大学には財政自主権がない。これを操作されると、大学間のまとまりも崩れる。
2)学外からの意見をどう、取り入れるか。大学が自ら、積極的に社会に対して開かなければならない。
3)教員、職員には社会的責任がある。

これらの諸点について、大学が積極的になることが大事。このような自らの能動的行為に基づいてこそ、本当の自治に向かうことができる。