審議入り前の法案をあらかじめ「承認」することがメディアの仕事だろうか?

-- 3月27日付け朝日新聞社説批判 --

国立大学独法化阻止全国ネットワーク事務局長

豊島耕一

 朝日新聞は,国立大学法人法案の国会審議を控えて,「国立大学法人――自己責任の時代だ」と題する社説を出した.しかしこれには法案そのものを第三者的立場から分析しようという態度は全く見られず,審議に入る前からこれを盲目的に「承認」するものとなっている.つまり,単にその実施方法などについて注文を付けているに過ぎず,法案そのものに対する批判や疑念などは一言も書かれていない.前回1月16日付け社説同様,あるいは読売の3月1日付社説にも負けず劣らず,同紙が独立したジャーナリズムであるのかどうかを疑わせるのに十分である.

 今日だれでも法案をネットで閲覧することが出来るので,それがいかに異常なものであるかということはすぐに確かめることができる.例えば,法案では,「大学」とその設置者となる「法人」とがそれぞれの大学ごとに作られるのであるが,これらの二つの組織の相互関係を規定する条文が見られない.というより,「大学」そのものの規定が全くないのである.しかも法人の長と大学の長とが同一人(学長)とされており,私学に喩えれば「ワンマン経営」を法律で定めるに等しいのである.これ以外にも,異常な学長への権限集中と,これをチェックする仕組みの欠如など,およそ,それこそ今流行の「民主化」とは正反対である.これに比べられるのは独裁国家の諸制度であろう.独裁国家の政治体制の批判はよく見られるが,自らの国で同様の事が行われようとしているのになぜ気付かないのだろうか.

 もちろん何よりも重大なのは,欧米にも例がなく,また戦前のわが国にさえ存在しなかった,文部科学省から大学への命令制度,すなわち「中期目標」制度の創設である.同紙は,2001年6月24日付の社説では,「こうした仕組みは、時々の政府と一線を画して自由に真理を探求すべき大学にはふさわしくない、という大学人が多い。同感である」としてこれを批判していた.さらに当時の国大協の「対案」をも批判し,次のようにも述べていたのである.

「期待外れなのは、代わる仕組みとして国大協が6月半ばの総会でまとめた案だ。『中期目標は大学が申請し、文部科学大臣が認可する。もしくは、大学の申請を踏まえて大臣が定める』としている。中期計画も『大学がつくって申請し、大臣が審査して認可する』という。これで果たして大学が「自主性・自律性さらには柔軟性を拡大する」ことになるだろうか。」

 もちろん同じ新聞社の中でも多様な意見があってよい.しかし同じ問題で全く反対の見解を示す場合は,相互に何らかの言及がなされるべきだろうし,それなしには読者は戸惑ってしまう.あるいはもしこのような懸念が解消されたのであれば,なぜそれが解消されるに至ったかを説明すべきだろう.

 このような,かつては同じ社説が指摘したはずの根本的な“規制強化”に目を瞑って,「自立性の高い法人」とか「自由度が増す」などとどうして言えるのだろうか.自由になる部分があるとしても,それは箸の上げ下ろしについてだけである.

 このように,行法化で独立性が高まるという見方の背景には,これまでの大学が文部科学省の強い規制の下に置かれていたという認識があるのかも知れない.「調査検討会議」の発端となる2000年5月26日の学長会議の席上での文部大臣の発言に,「現状では国立大学が文部大臣の広範な指揮監督権の下に置かれる」というのがある.あるいは,社説の筆者もこれをそのまま信じたのだろうか.しかし文部科学省の権限を規定する「文部科学省設置法」にあるのは,たかだか「指導・助言」であり,「指揮」という言葉も「監督」という言葉も一切存在しない.つまり,現実に「指揮監督」が行われているとすればそれは違法なのである.

 つまり,「文部科学省の強い規制」というものが,法制度の上でそうなっているのか,それとも法を無視してそれが行われているのか,ということが問題なのである.現実は後者なのであり,法を守ることで大学は政府から相当自由になれるのである.

 社説には明かに不正確な記述も見られる.中程より少し後に,「各大学が評価委と話し合って、研究や教育、運営について6年間の中期計画を決める」とあるが,これは法案の事を言っているのか,それとも何か裏情報のことなのだろうか.法案に書かれているのは,大学は中期計画を作るが,文部科学大臣の認可を要すること,文部科学大臣は認可に際し評価委員会の意見を聴かなければならないとということである.これらを混同して,「大学が評価委と話し合って決める」と誤解したのだろうか. 中期目標についても,「最終報告」では各大学が原案を作るとされていたのが,法案では単に文部科学省が大学の「意見を聴く」だけになり,また,「最終報告」が大臣は原案を「尊重する」としていたのが法案では意見に「配慮する」だけになった.

 もともと社説とは,どちらかというと当たり障りのないことが書かれるものと思われており,普通の記事ほどには読まれないのかも知れない.しかしこの件に関しては多くの大学関係者が注目していることは間違いない.その視線を十分意識されるよう要望したい.記者クラブ制度という「護送船団」制度に守られ続けたいために,当局批判に手心を加えるというのであれば,新聞は多くの読者から見放されるであろう.(2003..4.3)