「ニーメラーの詩」の書き出しは「共産主義者」でなくてもいい

全国大学高専教職員組合のメールリスト「高等教育フォーラム」への投稿 [he-forum 9986] (2006年3月22日)を字句修正したものです.転送・転載歓迎です.

佐賀大学の豊島です.

法政大学での学生大量逮捕事件に関しては,3月17日の野田さんの投稿以後話題になりませんが,これは相当重大な問題を含んでいると思います.ところがメディアによって,あるいは噂として,「中核派」などのキーワードがかぶせられるといつも沈黙が支配してしまう,これはたいへん困ったことだと思います.

同大の教授である五十嵐仁氏が,自身のウェブサイトでこの問題を取り上げています.「五十嵐仁の転成仁語」の3月17日と19日の記事がそれです.

 http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

五十嵐氏は,事実に関して,(中核派が)今回は暴力を振るったわけではなく,逮捕容疑となった「建造物侵入罪」と「威力業務妨害罪」は妥当しないと判断しています.また彼らにも「暴力を伴わない形での政治活動や政治的主張の場は保障するべき」で,問答無用の形で逮捕させるようなことがあってはならない,「『中核派だから』ということで、このような不当な逮捕を認めるのは『ダブルスタンダード』だとの批判を免れない」と述べていますが,これはまさに正論だと思います.

今回はその一部始終を記録したニュース映像がネット上にありますので,だれでも「目撃」できます.次のページの中程にリンクがあります.

 http://www.geocities.jp/housei_kougi/01.html

これを見ると,もう戦前そのものです.(ただしこのサイトに関しては,その呼びかけ人の名前にふざけた感じのものが多いので,逆に「ほめ殺し」になっているのではないかと懸念します.)

言論弾圧という点で,これは明らかに,立川テント村事件や,共産党の都議会報告ビラ事件などと同じです.であれば,弾圧を受けた人たちが何派であれ,いやしくも「護憲」を口にする人ならば傍観すべきではありません.個人だけでなく,組織としては労働組合や主要左翼政党には是非とも迅速な対応を望みたいものです.大学の組合はもちろんです.

すでに法政大学名誉教授の吉川経夫氏らが救援会を設立し,釈放要求の賛同署名を呼びかけています.

 http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-March/006020.html

読みやすいよう整形して次に転載しました.

 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/university05/AML_6335.html

中核派の過去については,「大学紛争」の真っ直中を学生として過ごした私としては,全く不案内というわけではありません.「新左翼」と呼ばれたグループが竹槍,鉄パイプを持って大学キャンパスを闊歩し,互いに竹槍で突き合っている現場も目にしました.現在でも,中核派の機関紙に革マルへの「復讐」という言葉を見かけますので,まだ暴力と絶縁していないようです.しかし重要なのは,彼らの過去や考えと,今の実際の行為とをきちんと識別することです.(この件では,自治会や学生たちを中核派と完全に同一視していいのかどうかという問題もあります.参加者の大多数が中核派かどうかわからないし,また彼らは中核派の名前で行動しているわけでもないようです.)

犯罪の取り締まりは,実際に行われたことに基づいておこなわれるというのが当たり前のことであって,過去の履歴や,意図,考えによる「予防拘束」のようなことを認めるのは,まさに共謀罪のイデオロギーに与することになるでしょう.「中核派だから」,「過去に暴力事件を起こしているから」,「まだその考えを改めていないから」ということで,今回のような事態を黙認するのは,共謀罪への反対と両立しないと思います.

もう一つどうしても注意しなければならないことは,そして本来むしろこの文章の冒頭に来るべき論点は,学内のタテカン等を一方的に規制するという今回の法政大学当局の言論抑圧に対して,彼らがまさに体を張って抵抗したという事実です(同大の他の教職員,学生はどうだったのでしょうか?).そのことはいっさい無視して過去の行状だけをあげつらう,これはとても公平な態度とも思えません.

左翼やリベラル側の反応が鈍い背景には,多くの人が,抗議行動に賛同すると中核派ないしその同調者と思われてしまうことを懸念するためと想像します.しかしそのような態度は,いじめられている子に味方すると自分もいじめにあうのではないか,というような心理とウリ二つではないでしょうか.さらに言えば,「いじめられる側にも問題がある」という言い方との共通点もありそうです.

権力側は,このような心理や過去の行状への反発があることを織り込んで,このような諸派を狙い撃ちにするのです.「民主勢力」はあまりにも簡単にその手に嵌っています.冒頭に紹介した五十嵐氏の論調もこの意味で弱点があります.「ニーメラーの詩」*の書き出しは何も「共産主義者」**でなくてもいいのです.

ブログにもほぼ同じ内容の記事を書いていますので,どうぞご覧下さい.

「こんどは法政大学で言論弾圧」
 http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2006-03-21

「法政大学事件:五十嵐氏の論調について」
 http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2006-03-22

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* http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/metaphor.html

** もっとも中核派自身は自分たちを共産主義者と思っているのでしょうが.