「ピースフル・トゥモロウズ」及び「ピース・アビー」からの
被爆者へのお詫びの言葉

 今日ここに、私達アメリカ人は1945年8月6日、9日の広島、長崎、両市民に対して犯した残虐行為にお詫びの言葉を申し上げます。核兵器による大量虐殺がもたらした皆様の苦しみに対して、心からの悲しみと良心の呵責を表明いたします。苦しみの中を耐えてこられた皆様の経験の全てを知ることは無理だとしても、それがいかに残酷で、悲惨で、破壊的なものであるかは歴史によって理解することが出来ます。被爆者の皆様こそがその歴史そのもので、私達の前に立っておられるのです。

 人間に対する犯罪は今に始まったことではなく、私達は国家が他の国家に、社会が他の社会に、個人が他の個人に犯してきた戦争や暴力の犠牲者全てに哀悼の念を抱いています。しかし、皆様が耐えてこられた核兵器による異常な惨害、60年間ずっと続いている苦しみは特別です。そのような残忍な行為を行なった国の国民として、私達はひどく悲しく、良心の呵責を感じており、その行為に対して深くお詫び申し上げます。

 広島、長崎に原爆投下を決定した悪事が再興することを防ぎ、同じような残酷行為が将来二度と起こらないようにしなければなりません。あれから既に60年が経ち、核兵器開発と拡散の脅威を世界の人々は否という程、経験してきました。核兵器の犠牲者である被爆者である皆さんは、この邪悪な兵器に依存している国々が及ぼしている影響を既に知っていらっしゃいます。

 邪悪な道を突き進み続けている国の国民として、私達はこの悲劇を阻止できないでいる悲しみを表明し、国民を悲惨な方向へと導いている指導者の精神を変えることが出来ないことに対して、心よりお詫びをしなければなりません。

 既に核を保有している、或いは保有しようとしている国や組織が増加する中で、核攻撃の恐怖は続き、世界の国や人々に高い代償を支払わせています。人道的用途に遣われるべきお金が兵器開発や研究に使われるという側面だけではなく、人間同士や国際関係のあるべき流れ――恐怖から生じる憎しみや暴力ではなく、理解によって築かれる思いやりや協調の流れ――にも悪影響を与えています。

 平和の追求は暴力や戦争に使う武器を放棄することだと各人が十分に理解しているかどうかは自分だけが知ることが出来ます。

 しかし、私たちは被爆者の皆さんの前に立って、皆様の力強い存在こそが事実の証人なのだということを思い起こしました。歴史を変えようとする皆様のたゆまない努力に感謝し、核兵器も全ての武器も過去の物となる日を目指して一緒に歩く、この一歩一歩に感謝します。

敬具

平和な明日を目指す9.11 家族の会、及び、ピースアビー

2005年

(日本語訳: 前川智子)