独法化後の国立大学はいま

(季刊誌「社会評論」2011年春号,巻頭エッセイ)

豊島耕一(佐賀大学)

TPP問題でその中身も分からないまま交渉に参加するという報道がある.3月8日,菅首相は「TPP交渉後に不参加あり得る」と国会で述べた.このニュースを聞いて,国立大学の独立行政法人化(以下,独法化)の際の,国立大学の学長の集まりである「国立大学協会」(国大協)の態度を思い出した.独法化が公式に「問題」とされ始めた頃,当時の文部省は「調査検討会議」と称する機関を作って国大協をこれに取り込もうとしていた.国大協会長で東大総長(当時)の蓮實重彦氏は「独法化を前提にした会議に参加するということは,この制度を受け入れたのか」とのメディアの質問に,「まったく受け入れていないので,それを独立行政法人として実現させないために,そこに入っていく」などとと答えたものだ(2000年6月14日).そしてこの「交渉参加」のわずか4年後に,すべての国立大学は「法人化」されることになる.

現在は,文部科学大臣がそれぞれの大学に対して定める「中期目標」期間の6年がすでに一昨年2009年度で終わり,次の期間が1年過ぎたところである.国立大学は全体として,「大学とその教員の独立性を損ない,それらを官僚的決定に従属させる」(チョムスキー,2003年),「行政上の形式を整える事にはなるかも知れないが,大学に対しては学問の自由と大学の本質的な役割を危険にさらす」(R.ゴンブリッチ,2001年)というような,米英の著名大学人が我々反対運動に寄せたメッセージの予測のようになりつつあると言わざるを得ない.大学教員の日常的なデメリット感覚としては,「行政上の形式を整える」ための書類づくりの激増だ.例えば,私の大学で2008年5月に配られた「年度計画進捗状況管理表」のエクセルシートは8列1,245行に及ぶ.この表のセルを,自分の役職や委員会の役回りに応じて埋めていくことが求められる.

中央官僚が喜びそうな「体裁づくり」の見本だが,筆者の大学では学内予算配分を「競争資金」化して「研究プロジェクト」を提案させられるという事があった.そのような計画がにわかに作れるものでもない.そのために減らされる通常予算の金額を回復すべく,尤もらしいプロジェクトを作文するという愚にもつかない作業が行われた.

もちろん,起こった変化のすべてが悪いことばかりと言うわけではないが,それらは国立大学の制度のもとでも,規則の変更や個人や組織の努力で可能であったものばかりだろう.

おそらく唯一の制度上のメリットは,教職員が国家公務員の枠から外されたことに伴って労働基本権を手にしたことだ.しかしこれは全く生かされていない.従う義務もなくなった人勧賃下げに対し,組合ははじめから賃下げ受け入れを前提としての「代償措置狙い」だ.「スト」など選択肢にすら入らない.予想される「世間」のバッシングにあらかじめ怖じ気づき,運動神経麻痺だけでなく発話機能麻痺にも陥っているかのようだ.

独法制度では「中期目標・計画」の実行状況を年度ごとに文科省の「評価委員会」が評価する.行政機関による大学の評価であり学問の自由と大学自治を否定するものだ.文科省はこの作業を「学位授与機構」という,これまた独立行政法人に「丸投げ」しているのだが,これが相当いい加減なものだ.筆者はこの機構の審議機関である評議員会の実態を調べて驚いた.2006年から2008年にかけて開かれた6回の会議のうち4回も出席率50%以下だ.委員の4割は5割以下の出席率である.一度も出席していない委員が5名いるが,東大総長と京大総長はこの「長期欠席組」だ.さらにこの「機構」の当時のトップであった木村孟氏は「君が代・日の丸」強制で悪名高い東京都教育委会の委員長(現在も)であり,石原都知事と並んでこの違憲行為,教育破壊行為の最高責任者である.間接的ながら,すべての国立大学はこのような機関の支配下に置かれたことになる.

過剰な書類づくりは時間の浪費だが,「プロジェクト」のでっち上げは研究者の良心を腐敗させる.さらに,大学の管理運営に関しての教授会の無気力化,すなわち「エンパワーメント」ならぬ「ディスパワーメント」という状況が見られる.私の大学の経験では,大学評議会への教授会代表の定数減という,学部の利害に係わる変更が,さしたる抵抗もなく実施された.

昨年は,政府の大学予算縮減を巡って,国大協主導の「パブリックコメント」という名前の大がかりな陳情作戦が行われた.その甲斐もあって大幅減は免れたが,そのかわり文科省が直接口出しできる「特別整備費」が設けられた.この58億円は一般経費(運営費交付金)の減額分と同額になっている.この状況は,「大学は58億円で魂を売ったのか」と批判されたが,批判は左翼からではなく,日経新聞系の「日経サイエンス」だった(2011年3月号).

独法化も既成事実化しつつあるが,唯一「首都圏ネット」が批判と抵抗の論陣を張っている.「大学がその中心的な目的に背いて政府の付属物になる(J・ウィリアム・フルブライト)」のを避けるには,大学教員個人の行動が大事だ.特に著名な大学人にはその責任がある.

(筆者らの「独法化阻止全国ネット」のページもご覧下さい.「社会評論」は「スペース伽耶」発行)