英核攻撃システムに挑む我々の運動
トライデント・プラウシェアズ広報担当 マッケンジー氏福岡講演 2002年7月10日,あいれふ 訳 八谷まち子
オリジナル(英語)本日、こうして皆様方に私が関わっておりますトライデント・プラウシェアズのキャンペーンを代表してお話できますことを光栄に存じます。あまり技術的なことへは立ち入らないで、イギリスの核兵器システムに対する人間的な反応とは何かをお話したいと思います。
まず、私たちのキャンペーンの名前についてです。これは、ヘブライ人預言者であるイザヤが、人間が武器を鍬(すき、ploughsharesプラウシェアズ)に持ち替える平和の黄金時代、と言ったことに由来しています。トライデント・プラウシェアズの目的は、イギリスの核兵器システムであるトライデントTrident を平和的、非暴力的かつオープンな方法で非武器化することです。
イギリスは戦争犯罪に加担している
大国(スーパーパワー)に比べれば、イギリスの核装備は相対的には小規模であるが、そのシステムは、一二〜一六基のミサイルを搭載する四隻の潜水艦を基本としており、ミサイル一基はそれぞれが一〇〇キロトンの弾頭を数多く標的へ発射できるという、想像を絶するレベルの大量破壊能力を持つ。潜水艦は、スコットランドのグラスゴー近くにあるファスレーンを基地としており、約一〇マイル離れたクルポートで武器が装備されている。弾頭はイギリスのオルダマストンとバーフィールドで生産され、ミサイル本体はアメリカ合衆国からのリースである。
トライデントシステムは国際人権法に違反している。過去二千年を通じて、戦争時の行為の正誤にかかわる規約が作りあげられてきた。これらの規約には、非戦闘員を傷つけてはならないこと、戦闘員の苦痛は最小限に抑えられること、自然環境への永久的な脅威となるような戦争形態はとらないことなどの、中心となる原則がある。
一九九六年七月に、国際司法裁判所はこれらの原則の核兵器への適用を考察し、「このような武器の使用は(人道法の決まりとは)ほとんど合い入れない」という(驚くには当たらない)勧告的意見を出した。裁判所の意見ではトライデントのような個別の核兵器は考慮されてはいないが、承認された原則はトライデントに適用されるのであり、大量破壊の違法かつ無差別な兵器であることに何らの疑いもないのである。
さらには、イギリスはこれらの兵器を脅しとして使用している。最近、イギリス国防大臣ジェフ・フーンは次のように述べている。
「もしわが国の部隊や国民が大量破壊兵器の脅威にさらされるようなことがあれば、極限の状況においては核兵器の使用をも含むような適切で均衡のとれた対応をなす権利を有する、という長年のイギリス政府の政策を明確にする」
もちろん、イギリスの政策はMAD(相互確証破壊)理論によるものではないことは長らく認められている。MAD理論は冷戦時代の核兵器を前面に出した状況下のもので、核兵器の使用は自らの国家、そして恐らく全世界の壊滅につながるという知識のもとで、核武装国家はその使用を抑止するという考え方である。 実際にイギリスの政策は、後に「リフキンド・ドクトリン」として知られる、イギリスの国益を世界的に保護するために核兵器を(相手側への)脅威として展開するというものであった。この状況は、世界各地の問題地点でヴァルカン核爆撃機が飛び交っていた五〇年代や、もっと最近では、湾岸戦争時や一九九九年のイラク危機の時などは、その通りであった。
戦争犯罪及び戦争犯罪の準備は許されない
イギリスの核兵器に対してはその始まりの時期から強力な反対があったが、こうした大規模な反対にもかかわらず、政府は(核兵器)政策を継続している。
四年を経過したトライデント・プラウシェアズ運動は、従来の政治的手段や、国会議員への働きかけやデモを行なうなどによって政府の政策を変えることができない以上は、座して容認することはできないと言う信念のもとに始まった。
イギリス政府が関与しているのは戦争犯罪であるのだから、一般市民は、そうした犯罪が実行されることを予防するために、非暴力的行動をおこす権利と義務があるのである。 例を二つ紹介しよう。一九九九年二月、「ヴェンジャンス(復 讐)」という名の英国トライデント核武装潜水艦がイングランド地方の北にあるドックで修理中であった。トライデント・プラウシェアズの活動家であるロージー・ジェームズとレイチェル・ウェンハムの二人が闇にまぎれてドックを泳いで渡って、潜水艦にたどり着いた。彼女たちは司令塔へ登って、そこで、艦のレーダーシステムのテストに使われている設備を見つけた。彼女たちは金槌を取り出し設備を破壊し、何千ポンドという損害を与え、それから艦を離れて警備員へ向かって歩いて行き、逮捕された。
彼女たちは三つの裁判を受けた。一つは取りやめになり、後の二つは陪審員が有罪か無罪かの決定が下せなかったために、放免された。一つの裁判のなかでわかったことだが、彼女たちの行為は潜水艦を四週間足止めにした。同じ年の二月に、我々は何百という人たちでファースレーン海軍基地を三日間にわたってロックアウトしたが、その第一日目には、基地に出入りする全車両をストップさせて甚大な混乱をもたらした。
第二次世界大戦後のニュールンベルグ裁判や日本の将校たちの裁判では、一方的であったこと、ドレスデンや広島、長崎などの避難民への意図的爆撃という勝利者である連合国側の戦争犯罪が考慮されなかったことなどのために、大きな汚点がついていることは広く知られている。
同時に、これらの裁判によっていくつかの重要な原則が確立されたが、特に、個人の説明責任、とりわけ、違法な命令の実行を拒否しなかった公的立場にあった人々の責任である。戦争犯罪が計画されたり実行されていることを知っている一般人についても同様の説明責任を問うことは、前述の原則の非常に理にかなった敷衍である。
これは、捕虜を満載したトラックが秘密の場所へ向かい、空でもどってくるのを目撃したり、真夜中にマシンガンの銃声を耳にしたりする人たちに課せられた義務である。
そのような状況下では恐怖のために動けなくなり何の行動もできないという普通の人々のことはよくわかるけれども、戦争犯罪が完全に明らかであり一般に知られている場合や、今日のイギリスのように、はっきりと発言したり予防的行動をとったりすることによる結果が相対的に微小である場合には、弁解の余地は少ない。
「いかに」この作業を実行するかは我々にとってきわめて重要である
暴力を用いずに行動すると言う我々のやり方は、三つの理由に基づいている。第一は、もしイギリスの核兵器システムを暴力的手段で除去したならば、我々は暴力と言う思想に支持を与えることになり、その究極表現は核兵器である。そうではなく、紛争の暴力的解決を、正気で人間的な方法に置き換えるという世界的な運動の一部となりたいと思う。その方法とは、力と資源の共有、コミュニケーション、そして平等に基づ
いている。
第二の理由は、非暴力の効率性である。世界中の多くの運動が見出しているように、我々も、出会う人全てを大切にして、尊重し、誰も傷つかないようにしながら非武器化の作業を実行することは、実にパワフルであることを知った。これは大変困難なことであり、 「彼らと我々」という態度に陥り我々に反対する人々を自分たちとは違う人たちだと考えてしまうのはやさしい。しかし、こうした態度が想像力をもって壊されたときの結果は、驚くべきものである。
ちょっとした例をあげよう。二年前の、スコットランド、クールポート核兵器庫のすぐ外側での毎年恒例の非武器化キャンプでのこと、広島の記念日をロック・ロング湖にろうそくを浮かべて終わりたいと考えた。しかし、問題があった。風が岸へ向かって吹いており、ボートがなくてはろうそくを浮かべることはできない相談であり、我々にはボートがなかった。すると、一人が言った。「警備の人の警備艇を貸してくれるように頼んでみようよ」。
警備の人とは、我々が基地に近づくのを阻止し、基地周辺に我々がいる時はいつも見張っている人たちである。ほとんどの人がこのとてつもない思いつきを笑ったが、一人が言った。「やってみましょう」。別の一人が言った。「私が頼んでみる!」。そこで我々はろうそくを持って岸辺へ向かい、彼女は暗闇の水辺へ歩いていき警備艇へ近づくようにと合図を送った。
彼らは当初は警戒していたが、やがて岸辺へ向かってきた。彼らは我々の数人とろうそくを乗せて湖の真ん中あたりまで連れて行き、そこでろうそくを浮かべた。警備艇の乗船員たちは大変な敬意と気配りをもってろうそくを扱い、出来事の全体に明らかに感動していた。スコットランドの基地や特に警察や警備隊は、我々が安全であることを知っており、我々との間には相互の敬意と理解が生まれている。
第三の理由もまた重要である。我々は自らの行動の正しさに信念を持ってはいるが、もしかしたら誤っているかもしれない、ということをも認める謙虚さも持ち合わせるべきである。我々の状況分析や方法が誤っていたとなった場合は、そのプロセスのなかで誰も傷付けていなかった限り、その誤りは相対的に小さな問題である。
我々の作業は、また、開放的で責任を持つもの(アカウンタブル)である。我々が秘密裏に作業を行なうのは、そうすることが効率的であるために必要である場合に限られる。 我々は行動に対して責任を負う、つまり、逮捕され法廷に出廷させられる。封鎖の場合には、公共秩序の妨害の軽度の告発、装備を破壊した場合は、より重度の告発で長期の拘留を言い渡されることになるかもしれない。
我々のメンバー、即ち核の犯罪を予防する宣誓に署名した者たちの氏名はウェッブ上に公開されており、イギリス政府に対して定期的に、我々がなぜ、何を行なっているのかを手紙で知らせており、いつの日か本当の対話を始めることを望んでいる。こうした開放性には大きな利点がある。それは、いつも隠し事をし、隠れて秘密であろうとすることから来るストレスを避けることができるということである。
もし我々の行動が刑事告発に至ることがあれば、必ず行為を認め、なぜそうしたのかを注意深く説明する。こうしたことは全て当局との間で大きな問題を引き起こした。四年前にキャンペーンを開始して以来、逮捕は一七三五件、(警察での留置を含まない)刑務所での拘置は一六三〇日におよび、二九八件の法廷が開かれ、我々には七百万円を超える罰金が科せられている。
このような状況に適切な準備も考慮もなく入り込むことは決して賢明なことではない。我々の中心的な一九〇名のメンバー全てが、非暴力と行動に関する実際的事項に関する特別訓練を受けたうえで、平和的非武器化運動へのまじめな誓約を行なうのである。誓約をしていない人たちが、キャンプや大きな行動に参加する場合は、(私たちには三千人を超えるサポーターがいる)短期間の訓練を受講してくれるように依頼する。こうしたことは全て、運動が暴力によって汚されないように、また、何らかの理由でこうした運動のあり方を乱そうとする人たちが入り込むのを防いで、我々をできる限り潔白にしておこうとするためである。
我々の運動はイギリスのトライデント核システムに焦点を当てたものだが、それは国際的なもので、主にヨーロッパの一二カ国から参加者がいる。イギリス以外の国の人びとは、我々の問題がヨーロッパ全体に影響を与え、全世界を脅かすものと見なしている。このような連帯は、我々をおおいに勇気づけてくれる。なぜなら、イギリスの裁判所や報道機関が、我々の運動を一部の特殊な地域での騒ぎだと、切り捨てにくくなるからである。
大量殺人計画と闘い続ける決意を次から次へと声明として打ち出すという、イギリスの法廷を通した非武器化運動に参加する人々の絶え間なしの示威行為は、わくわくするほどである。最近の裁判からいくつか紹介しようと思うが、その告発容疑はたいてい(皮肉にも)「治安(peace)の侵害」というものである。
一月に、エミリー・アップルは、トライデント審判に関しては何百回も審理され、もはやこれ以上何も付け加えることはない、と判事に対して申し立てた。「治安(peace)の侵害で告発されていることは、不条理なことです。もし、国家の「治安」の意味がトライデントやアフガニスタンの一般市民への爆撃をも含むのであれば、そのような「治安」と は私とは全く関係のないしろものです。私は何度でも侵害するでしょう。」と彼女は述べた。
三月に、マーリーン・イエオは法廷で、彼女がファスレーンでなした行為はテロへの戦いであると、述べた。トニー・ブレア自身、大量破壊兵器は全世界に対する脅威であり、除去しなければならないと認めた。第二次大戦中に、マーリーンの母親は、戦争犯罪人に食べ物を与えて彼女の祖国、ナチスドイツの法を破った。この行為は裁判にかけられるであろうか?ニュールンベルグ裁判はナチ体制を支持したとしてドイツの裁判所の責任を認めた、と指摘して彼女は証言を終えた。彼女は言った、「皆さんが大量殺人に共謀したという、歴史の審判を受けるまで待ったりなさらないよう願います」。
同じく三月に、マーカス・アームストロングは刑務所へ連行される途上で、傍聴席にいた支持者の一人にこう言った。「もしこれで僕の行動を止めさせることができると判事が考えているなら、別の考えを知るさ」。先週、パット・サンチェスは、ファスレーンの封鎖に参加した人たちは「自らの体を自らの心がある所に置いている」のだと、判事に告げた。
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我々の共同作業の方法も重要である。我々は高度に訓練された専門家でも、高度のテクニックと肉体的能力を持つ活動家でもない。それでも、我々の非武器化の運動をできる限りうまく実行しようとしている。我々は、多様な年齢と社会的背景からなる、あくまでも一般的な人々の集まりであり、開放性と非暴力という我々の原則を守る意思のある人であればだれでも参加できることが、我々にとって重要なことである。ファスレーン封鎖では、80歳代の人や車椅子の人、会社役員、子供を抱いた母親、政治家、社会活動家、失業者、などの様々な人がいた。我々のキャンペーンでは指導者も追随者もいない。合意による共同決定方式をとり、各人が自らに責任をとることが期待されている。個人ベースのコミュニケーションがとれて相互にサポートできるような少人数のアフィニティーグループを組織する。私自身について言えば、長らく教師として働いてきたが、このようなやり方は非常に新鮮で楽しいものであると思っている。
次に、サポート構造がある。キャンペーンの基本単位はアフィニティーグループであるが、参加者の誰もが使えるような支援インフラもある。例えば、大がかりな封鎖をするときに逮捕される危険がある場合は、逮捕の時点から釈放の時点、それに続く告訴において法的な支援を行なう。支持の拡大と活動家の安全をできる限り保つための手段として、何が起こっているのかを確実に世間に知らせるメディア支援も行なう。キャンペーンの正統性を担保し、かつ活動家の安全を向上させるために、国会議員やその他の有力者の支持を獲得すると言う我慢強い作業がある。国会議員が我々と並んで立ち、逮捕の危険を冒していれば、何が起こっているのかについてのさらに鋭い問いかけとなる。
また、我々の目的の誠実さという問題がある。1995年11月、シルヴィア・ボーイズとキース・ライトは、バロウ(Barrow)でトライデン潜水艦HMSヴェンジャンスに侵入し損害を与えようと試みた。彼らはほとんど何もしないうちに捕らえられ、持っていた道具のために、犯行共謀罪という重い罪で告発された。彼らは全ての事実を認めたにもかかわらず、マンチェスター裁判所の陪審員は彼らを釈放し、シルヴィアの事件はBBCの番組で報道された。私はシルヴィアに、二百万人を超える人々に彼女が「へま」と呼んだ行為のメッセージが伝えられたことは、へまの償いになったと思うかと尋ねてみた。彼女の答は、「少しはね。でも、私は本当にあの潜水艦を止めたかったし、今でも止めたいの。」ここで明らかなことは、シルヴィアは宣伝のために事をおこしたのではなく、犯罪を予防するという純粋な意図を実行しようとしたということである。皮肉なことに、行なおうとしていることへの誠実さの度合いが強いほど他の便益が表出することがある。たとえば、支持の増大、宣伝効果やトライデントに法的な焦点を当てさせる裁判などである。
すでに触れたように、我々の運動の焦点は、イギリスの核兵器システムであるトライデントの違法性にある。もちろん、トライデントに対する我々の基本的な異議は道徳的であり(何百万という人々を殺したり傷付けたり、自然環境を破壊したりするべきではない)、分別があり(もし核兵器による脅威が継続するならば、この惑星上の人間の生命は終焉する)、国際人道法に訴えて、効果的な法的論争を提示することができる。結局のところ、国際人道法が国内法よりも、道徳性から派生していることがわかりやすのである。そこで、我々の非武器化運動のために法廷に出廷させられる場合は、法的問題の焦点をトライデントとその違法性に当てるようにする。これは、判事たちは国際法のもとで考えることに慣れていないので、なかなか難しい。彼らは地方や国家の制度に基づいている方が安心だと感じているし、特に最近では、スコットランド高等裁判所が我々の事件の一つに非常に不利な判決を出したこともある。これはトライデントプラウシェアズの三人の女性が、1999年にトライデント関係の研究施設に損害を与えた後のことで、当初、トライデントの違法性の観点からその行為は正当とされることを判事が受け入れ、下級審では、三人は刑事上の損傷では有罪にあたらないとされた。スコットランド司法当局はこの判決に警戒し、昨年、高等裁判所は、当該判事を批判して、イギリス政府はトライデントの展開で法を犯しているのではないと述べた。彼らの言い分は、武器に関する国際法は特定的に戦争と武力衝突時に関するものであって、わが国は戦時ではない(と彼らは言う)から、わが国の兵器システムの合法性を検証することはできない、というものであった。さらに、イギリスのトライデントの展開は脅威ではなく、一般的抑止であると述べた。我々の見解は、この言い分は無意味であり、1996年の国際司法裁判所の判断に反するというものである。彼らの言い分に従えば、サダム・フセインを(アメリカが主張するように)大量破壊兵器を開発しているとして国際法違反を問うことはできない。彼に対して国際法を適用するためには戦争の勃発を待たねばならなくなる。次に、国際司法裁判所は、拘束力無しであるが、違法な武器を使用する脅威はそれ自体が違法であると、明確に述べている。
高等裁判所の判決がどれほど政治的圧力を受けたものであるかを述べるのは不可能であるが、法を十全にかつ正直に援用していないことについての、これ以上の説明はない。この恥ずべき判決を言い渡すときに、三人の担当判事のうちの主任判事は、彼が判決を読み上げたが、誰とも目を合わせることなく、あたかも恥じ入っているように−まさしくそうであるべきだが−ぎこちなく去っていった。彼らの動機がなんであれ、トライデントに対する法的闘いは決して終わっていない。家庭内暴力やレイプが人々の意見によってどれほど多くの法改正と解釈の変化を示してきたかを知るとき、トライデントに対する生粋の単純さと法的審理の力が、十分間をこのために考える時間として使っている全く普通の人々のように、いずれは司法当局によって理解され受容されることを願うことができる。
これら全ての根本的問題は、他国へ押し付けようとしている基準によって(自国が)判断されることに対して、核武装国家の西側諸国にその気がないことにある。結局のところ、国際法の意味するところは、共通の基準によって拘束されることへの意思なのである。こうした欺瞞は、昨年の9月11日以後に発せられた、テロとの戦いとよばれる出来事において、もちろんいっそう明らかである。
我々は何かを達成したであろうか?ある意味では、応えはNoでなければならない。トライデントは24時間警護のもとにまだ存在しているし、それを建造したあきれるばかりのネアンデルタール的な態度もまだ存在する。それでも、4年間にわたる核兵器反対のキャンペーンは、スコットランドにおいてだけでなく、変わってきている。より多くの人々が、今ではこれらの恐ろしい兵器の存在を知っており、それに反対する裁判の基本についてわかっている。昨年のシステム3の世論調査によれば、スコットランドの殆どの人はトライデントに反対する市民運動を承認しており、スコットランド教会は、我々のキャンペーンに言及して、これまでのところ運動を応援している。また、キャンペーンに参加する人たちのもとへ大いなる力づけが寄せられている。核兵器の狂気を支持するような現状を決して許してはいけないという、権利と義務を持つ個の人間としての立場に、次々と気がつくからである。一般的な人々によって我々の手から運動の力が取り上げられて、国家による大量殺人に反対するうねりが止められなくなるまでには、長い道のりがある。しかし、そんなことがどのように起こっていくかは予測がつく。たとえば、ファスレーンの封鎖があまりにも大規模になって警察が取り締まることも難しくなり、やがて永続的なものとなり政府に膨大な圧力をかける、というように。
キャンペーンの焦点はイギリスのトライデントシステムであるが、キャンペーンは国際的広がりを持ち12カ国、大半はヨーロッパであるが、に誓約者がいる。イギリス以外の国の人々は我々の問題をヨーロッパ全体に影響を与えており、より広い世界に脅威を与えるものとみなしている。こうした連帯が我々に大変な勇気を与えてくれるのであり、イギリスの裁判所やメディアが我々を一地方の騒ぎとして片付けることを難しくしている。我々は日本からの関心と支持を歓迎し、皆さん方も核物質と核兵器に関する闘いをなさっていることを知っている。もし、我々のキャンペーンと連絡をとっていこうとお考えであれば、連絡先は次の通りである。
Trident Ploughshares, 42-46 Bethel Street, Norwich, Norfolk, NR2 1NR
Tel: 0845 45 88 366 , Fax: 0845 45 88 364