4章 これまでの活動報告

 アンジー・ゼルターは、プラウシェア活動を初めて耳にして以来、長い間、核廃絶プラウシェア活動に参加したいと思っていた。ゼルターは「ホーク戦闘機の非武器化活動を経験したあと、刑務所に収監中にプラウシェア活動に取り組むことに決めた。( それには3 年かかった!!) だが、ホーク戦闘機非武器化活動とその後の空白から、私はもっと多くの人達が参加できるような組織とキャンペーンを立ち上げたいと思うようになっていた。本当に成果をあげるには、多数の人が長期間にわたってプラウシェア活動に参加し最後まで遂行する_トライデント・プラウシェアの進化_が必要であると、気がついたのだ。それから、私は机に向かい数週間かけて概要を書き、それを数人に見てもらい了解を得た後に、公開書簡として1997年8 月に送付した。」と書いている。

 1998年4月に、平和運動家ジョージナ・スミス(Georgina Smith)が所有する、クールポートの核弾頭施設から5000ヤード(約4.5キロ)程の所にあるペートンの森(Peaton Wood)で週末の計画打ち合わせが行われ、アフィニティ・グループの代表が参加して、キャンペーンの実際行動面での最初の活動となる8 月の2 週間の軍縮キャンプについて打合せた。私達はイベントに必要な現実的取り決めや活動に求められる精神について話し合い、誓約者やその他キャンプの参加者に対して、最小限のコア・バリューを示している誓約を守るよう求めることを再確認した。このコア・バリューは、様々な考え方やキャンペーンの歴史を背景に持つ人々を結束させるために必要なものである。政府当局による厳しい対応の可能性つまり、核の違反行為を防止するための誓約書に署名しただけで共同謀議罪(最高10 年の禁固刑を受ける)に問われる可能性が出てくることについても話し合った。この心配は現在根拠がないものであることが分かっているが、そのような重大な結果となる可能性があるにもかかわらず誓約を取り消したメンバーが出なかったのは非常に意味のあることである。

 実践的な取り決めと平行して、キャンペーンでは英国政府を話し合いに参加させる努力が始まった。3 月に、コアグループが英国首相トニー・ブレアに書簡を送付して、非武器化行動を1998年8 月11日までは行わないことと、キャンペーンに対する政府の意向と対応について話し合いの用意があることを伝えた。政府からの回答は、トライデントの保有は政府の政策公約であり政府はトライデントが国際司法裁判所の勧告的意見に基づき正当であると確信している、というものだった。8 月のキャンプの直前、TPは英国首相に「最後の要請」を出し、核廃絶直接活動を始める前に再度会談を求めた。今回の返事には活動家と面会できない理由が新たに付け加えられていた。違法行為のおそれのある活動家と面会することは不適切であるというのがその理由であった。

 1998年5 月 2日、広島、ゲント(Gent)、ゴーテンバーグ(Gothenburg)、ロンドン、エジンバラで同時に、キャンペーンが公式に開始された。べルギーに本拠を置くアフィニティ・グループ「タイタニック・トライデント(Titanic Trident)」のPol D'Huyvetter が力強く宣言した。「状況を憂慮する市民として、私達が核廃絶行動を始めるよりほかに道はありません。」エジンバラでは、誓約書に署名した62人全員の名前が書かれた美しい旗が掲げられた。

 そして、8 月になり、激しい雨が降り続く中、世界中から活動家がやってきた。12カ国からおよそ200 人が参加し、ブリュッセルのNATO本部から「フォー・マザー・アース(For Mother Earth:母なる地球のために)」の1000キロ平和行進が到着して多くの国際的広がりが見られた。2 週間の直接行動がファスレーンの北側のゲートで正式に始まり、蹄鉄工がトライデント原潜の模型をハンマーで叩いて反核運動(CND)の平和の象徴にした。2日間の行動で逮捕者が出始めた。8月13日の明け方近くに、「ウッドウォーズ( Woodwoses)アフィニティ・グループ」の5 人のメンバーがファスレーンでフェンスを切断しようとして連行された。次に、あるグループはクールポートを封鎖したため捕らえられ、正午になって「アドムナン( Adomnan)アフィニティ・グループ」はファスレーンで、大量の害のない明るい色の洗剤で清めの儀式を行った。翌日の夜に「オルダ_マストン・ウィメン・トラッシュ・トライデント(Aldermaston Women Trash Trident:オルダーマストン女性トライデント廃棄組織)」のメンバーがクールポートに侵入し、次の日「コーパス・クリスティ(Corpus Christi:聖体の祝日)」の3 人の若いスウエ_デン人牧師が侵入した。8 月15日土曜日に、ファスレーンでスコットランドCND(スコットランド反核運動)が主催した大規模集会が開かれ約300 人が参加した。8 月16日月曜日には、クールポートで封鎖とフェンス切断が行われ、ファスレーンでも侵入行為が行われた。キャンプでの呼び物は、8 月18日早朝に、タイタニック・トライデントのカトリー・シルヴォネン(Katri Silvonen)、クリスタ・ヴァン・ヴェルゼン(Krista van Velzen)とリック・スプリンガー(Rick Springer) が行った大々的な遊泳だった。ウェットスーツを着た3 人はゲール湖(Gareloch)の向こう側から水中に入り、逮捕された時には停泊中のトライデント原潜から僅か10メートルのところにまで近づいていた。3 人は原潜を廃絶するために金槌と接着剤を持参しており、彼らを捕らえた警備員は水から上がった3 人の見事な行動に称賛を与えた。だが予想どおり、国防省当局はメンバーが原潜に近づいたことを否定した。8 月24日にカトリーとクリスタは再度泳いで原潜に近づいた。8 月20日には逮捕者が100 人に達した。地方裁判所には大勢の人が出廷し、キャンプの終わりには7 人の活動家が拘留されていた。グリーノック刑務所にはジェンス・ライト(Jens Light)とイアン・トーマス(Ian Thomson)、スターリング(Stirling)のコートンベール刑務所にはヘレン・ジョン、クリスタ・ヴェルゼン、ハンナ・ジャーヴィネン(Hanna Jarvinen)、アンジー・ゼルターとカトリー・シルヴォネンが収監されていた。キャンプはかなりの成功を納め、協力から生まれるエネルギーは人々の糧となった。「バンブルビー(Bumblebee:マルハナバチ)アフィニティ・グループ」が第一週に用意した菜食料理は大歓迎されたし、参加者のほぼ全員が情報は分かりやすく役に立ったと感じていた。良くなかった面としては化学処理式トイレが不評で、実行グループはもっと十分な注意が必要だった。キャンプが続行されるにつれて法的支援は改善され、私達は将来の方向性を確立した。すなわち、キャンプ及び直接行動期間中の24時間法的支援の提供、拘留施設との積極的なコミュニケーションである。英国内では、私達の功績に対するマスコミの報道は不十分だったが、海外ではそれよりずっとましだった。コーブ(Cove)にある私達の『隠れ家』の報道局は活動に関する記事をオランダ語、フランス語、フラマン語、スウエーデン語、フィンランド語、デンマーク語で発信し、エール(アイルランド共和国)、米国、オーストラリア、そして日本にも送った。キャンペーンが世界中に広まったことを想像し、国際的なエネルギーがこの問題と解決に注がれていることを実感し、大きな感動を受けた。

 キャンプ直後、私達はダンバートン(Dumbarton)の地方検察庁に市民の不服申し立てをし、トライデントに関して英国政府を国際法違反で告訴するように求めた。検察側が私達の不服申し立てをこれ以上取り上げる価値なしと判断したのは、特に驚く程のことではない。だが、私達があらゆる既存の方法に訴えるつもりであるということを示すあかしとして、裁判でその点に触れることは有益なものとなった。

 9 月19日、英国の4番目のトライデント原子力潜水艦がバロー(Barrow)の停泊所から出航した。コーントンベールに拘留されている4人の女性はささやかな抗議を行って、この問題を印象づけることに決めた。4 人は、シーツに新聞から切り取った文字を歯磨き粉で貼りつけて垂れ幕を作り、刑務所の監房の窓から垂れ下げる準備をした。女性達はその日監房に留まり会話や食事を取らないつもりだった。刑務所当局に声明を用意して自分達の行動を説明し、抗議はトライデントに対するもので当刑務所に対するものでないことを明らかにしようとしたが、刑務所側は計画を嗅ぎつけて金曜日に監房に踏み込んできた。女性全員が裸にされて調べられ処罰を受けたが、アンジーは特にひどい扱いを受けた。アンジーが懲罰室に連行されたとき、看守がアンジーの親指と手首をひねり上げたので、アンジーは激しい痛みに襲われた。裸で一日中懲罰室に放置された。不当な扱いを地方の警察に訴えたが、事実上、もみ消されて努力のかいもなく無駄だった。スコットランド刑務所苦情委員会はアンジーの訴えを深刻に受け止め、そのような状況下で受刑者の衣服を取り上げるべきではなく、看守は無抵抗な抗議に対する扱い方の訓練を受けるべきだと勧告した。さらに、スコットランド刑務所にアンジーに謝罪するように勧告したが、陳謝はなかった。行政監察官はアンジーの苦情は詳しく調査するに足るものであるとし、2000年10月には苦情に裁定を下す予定である。地元のスターリング支援グループは受刑者を接見して強い衝撃を受け、刑務所の中で何が行われているかに大いに関心を持つことになった。

 9 月末の別々の日に行われた裁判で4 人の女性は説諭を受けた。ジェンスとアンジャ・ライト(Anja Light)も同様に説諭を受けた。国際法に基づいた強力な抗弁が展開され、カトリー、クリスタ、ハンナの裁判は、ケンブリッジ大学のグレン・ラングワラ(Glen Rangwala) による専門家証言によって支援された。治安判事は明らかに心を動かされたが、女性達は有罪のままであり、判事は国際法に関する議論は無視しなければならないと語った。ヘレン・ジョンには180ポンド(約32220円)の罰金を課した。いくつかの例外を除き、これがアーガイル(Argyle)とビュート(Bute)の地方裁判所がそれ以来私達の裁判に対してとってきた態度である。こうした地方治安判事裁判所の姿勢は次のように要約できよう:「あなた方は立派な方々で、当裁判所はあなた方が重い罰則を受けないように最善を尽くしている。あなた方は国際法に基づいて論争をしているが、我々はこの法に関して多くのことは分からないし、我々の担当外であることは確かだ。これらの問題は上級裁判所が判断することだ。だが、それでも当裁判所は審理を行い判決を出す。当裁判所はスコットランド法を適用し、それによれば被告人は有罪であり処罰を受けなければならない。」

 ルパート・エリス(Rupert Eris) とピーター・レイヨン(Peter Lanyon)は12日木曜日に、クールポート基地の爆発物取り扱い桟橋近くに侵入して、11月のキャンプを好調にスタートさせた。重い装備用のカバンにペンチ、ボルトカッター、強力な接着剤、液状のセメント、敷物とのこぎりの刃を入れて運ぶことは簡単な試みではなかった。天気は私達に味方して、快晴の好天気だった。さらに活動は続き金曜日に5人の女性がファスレーンで逮捕され、土曜日には「ガレロッホヘッド・ホーティカルチャリスト(Garelochhead Horticulturalists:ガレロッホヘッドの園芸家達)」がグラスゴーの国防省の正面玄関を封鎖した。日曜日にはファスレーンで、スコットランド教会指導者のマックスウェル・クレイグ(Maxwell Craig)が礼拝を行い、トライデントは邪悪の範疇に入るとはっきり述べて、さらに逮捕者がでた。月曜日には、新たに車で乗り入れる直接活動が見られた。アンジーはファスレーンの正門で好機をとらえて、ピーター・レイヨンの車を運転して車の列に加わり基地へ侵入した。警備員はこれを見てあわてふためいて、無謀運転を理由に、暴力的行為による脅迫未遂の罪をでっちあげた。クリスタ、アンナ、カトリーとハンナも車に同乗し、車のトランクの中のコンピューターのことが心配になった。1999年8 月にこの件に関する訴訟が審理された時、ダンバートン州裁判所の判事は活動を一笑に付し、次のように言った。「有名な王室顧問弁護団が、ある刑事事件のことを話したことがあった。『地平線に向かって粗末な小舟が出帆したが、やがて見えなくなり、二度と見ることがなかった。』この訴訟をみているとそのことが思い出される。」

 英国のマスコミの報道はその時までには少しは好意的になり、ラジオのチャンネル4で午後、3分間の特集番組を放送した。一方で、ベルギーに本拠を置く活動家についてのドキュメンタリー番組が放映され、11月キャンプを取材したフィンランドテレビ製作班がハンナとカトリーが参加した経緯を優れた30分番組にした。

 1998年12月、各アフィニティ・グループの代表がトウィード川のほとりのベリック(Berwick-on-Tweed)にある平和の教会(Peace Church)に集まった。振り返ってみると私達は有益な5 カ月間の活動を行ったが、懸念もあった。一部のメンバーは、私達が最初の計画から横道にそれてしまったのではないか_今まで以上にトライデントを非武器化するためにはもっと重要な活動に関与することが真のプラウシェア・キャンペーンなのではないかと感じていたのである。停泊している原潜に向かい「タイタニック・トライデント」が8月に2度遊泳したことだけが、比較的ローレベルな活動が多かったなかで、唯一、活動のバランスを保つものであった。ここで言うローレベルな活動とは、象徴的活動のことだが、多くの活動家が様々な個人的理由を抱えながらも何とかやっているそうした象徴的活動を、もっと低く評価しなければならない理由があるのだろうか。彼らは「真剣」ではないのだろうか。 結局、全ての活動に平等の評価を与えるということと、色々な人が出来る限り参加できる機会を用意するためには、「最大級の非武器化」と私達が呼んでいる活動とその他広範囲の活動の両方が必要だということで私達は合意した。振り返ってみると、この話し合いはキャンペーンの性格を明らかにするために重要だった。私達は少数の反核活動エリートが、自身で直接行動が始められない大規模な支持グループに支援されるようなキャンペーンにしたくなかった。全てが、後に「市民による核廃絶」と呼ばれるようになる考えに支えられたキャンペーンにしたかった。「市民による核廃絶」とは、トライデントの非武器化という、国がやろうとしない緊急の仕事を一般市民が行うことである。

 ベリックで明らかになったもう一つの懸念は同様には解決されていない。序列を排し、重要事項は全誓約者の同意によって決定されることを目指した運動組織として、私達は多くのアフィニティ・グループが会合に直接代表者を出席させていないという事実に直面しなければならなかった。全グループによる提案書が協議に加えられることになっているが、私達はそこで決める結論が、あまりに少数のメンバーによって決定されていると感じていた。すでにこの年の4月、スウェーデンの誓約者達、特に「ブレッド・ノット・ボムズ(Bread Not Bombs:兵器でなくパンを)」がこれに関して疑問を投げかけていた。同グループの考えはコンセンサスに至る方法を十分に徹底させ、グループと個人の拒否権も含むべきだ、というものだった。その姿勢は極右派分子による平和・環境保護団体が欧州に潜入したという長い経験と、徹底したコンセンサスを行わないと少数のメンバーに大きな権限が集中するという信念に基づいている。一部のスウェーデングループが提起した疑問に原則的には賛同しその判断を評価しながらも、キャンペーンとしては、現実的な理由から完璧なコンセンサスの取り方は受け入れないことに決めた。メンバーが広範囲に渡るため全ての決定事項に関して完全な意見の一致をみることは非現実的だった。組織の基本として、年2 回の誓約者の会合と非武器化キャンプで開かれる会合で、キャンペーンに関する基本的決定、すなわち一年のスケジュール、直接行動の取り組み方、法律上の戦略、キャンプの運営上の基本方針等に関する決定を行う。コアグループはそれが本当に行われているかどうかを確かめるため、その枠組の中で活動する。全誓約者に対する調査における賛成数は、メンバーはこの取り組み方には満足しているものの、代表者会議への出席者が少数であることには依然として不安があることを示している。

 1999年初めの6週間は「象徴的」活動と、「最大限の核廃絶」と、益々多数の人が参加するようになるパターンの萌芽が見られ、活動の健全な多様性が示された。 1月、マーガレット・ブレムナー(Margaret Bremner)は、1998年8月にファスレーンの封鎖に加わったことと監房の壁に幾つかの核廃絶の落書きをした容疑でへレンズバラの地方裁判所に出廷した。マーガレットは保健衛生の専門家として、公共医療サービスは核戦争で生じる結果にうまく対処できない、と治安判事に述べた。1 月の末に、カトリー・シルヴォネンは同裁判所で、全世界が英国の核兵器の脅威にさらされるなかで、これが国際問題になっている状況を証言した。人道法との関連性に触れる陳述に一切耳を貸さない裁判所への苛立ちがあった。アンジー・ゼルターもまた8月のキャンプで告訴され出廷して、「判事が私を正義に基づいて扱えないのなら、退廷したほうがましだ」と判事に訴えた。アンジーは退廷して捕えられ、法廷侮辱罪で刑務所に拘束された。傍聴席の支持者達は判事が退廷する時起立を拒んで、結局判事はまだ着席中の支持者のなかを退廷するはめになった。この種の苛立ちは法廷での矛盾や多方面での無能振りが多くなると、時として膨れ上がる兆しが見えてきた。そして、2 月1 日月曜日の朝、私達はバロー・イン・ファーネスに停泊中の新トライデント原潜ベンジャンスを叩いて大きなへこみを与えた者がいるというニュースを耳にした。

 午前5 時30分、「オールダーマストン・トラッシュ・トライデント・アフィニティ・グループ」のロージー・ジェームズ(Rosie James)とレイチェル・ウェナム(Rachel Wenham)が泳いで原潜に乗り込んだ。2 人は原潜にペンキで「違法」、「死の原潜」と書き、展望塔に「女性は平和を望む」と書かれた垂れ幕を下げ、逮捕されるまでに研究施設の試験装置にダメージを与えることに成功した。他の3 人の誓約者、イッピー(Ippy)、 ヘレン・ハリス、ルイス・ワイルダーはバロー警察署に濡れたウェットスーツを着たままの2人に衣類を届けにいって逮捕された。5 人の女性全員が25000ポンド(約445万円)の損害を与えたとして告訴された。

 「予定地点に着いたとき私達は『そう、私達は今実際にやっている!』という思いに打たれた」とレイチェルは言った。「余りにも簡単に原潜に近づくことができ、内部に入り込めたことに私達はびっくりしてしまった。その夜の活動は大胆さと幸運に恵まれて成功した。信じれば実現できるのだ。一番滑稽だったのは原潜の周りにいた監視員の反応で、余りの驚きにまさに開いた口が塞がらない状態だった。ウェットスーツを着てハンマーを持ったずぶ濡れの2 人の女性を瞬きもせずに見つめていた監視員に『こんにちは』と話しかけたなんて信じられないほどだった。あの極悪非道な建造物と共に水中にいたことは絶対に忘れないだろう。」

 ロージーは、「この活動について他の誓約者に伝えたいメッセージは、その簡単さだ。原潜ベンジャンスが水中からの侵入にいかに脆いかが分かったとなると、一番難しいのはウェットスーツを着ることだ。そのことを甘くみてはいけない!組織化された活動が行われていない時、彼らがいかにうすのろであるかを心に留めておこう。そうすれば、あとは、やり方を認識し、用具を買い、ウェットスーツを借り、水に飛び込むだけだ。」と語った。

 1 年が過ぎて、ロージーとレイチェル(2人は保釈されている) が初めての裁判にかけられた。現在これを執筆している時にも、2人は司法システムの中で苦労している。確信はできないが、時間が経つにつれて、2人の非武器化行動が原潜ベンジャンスを数週間も足止めしたように益々思われてくる。

 私達はクライド基地での次の計画として、キャンプではなく2 月15日にファスレーンを終日封鎖することを決めた。グラスゴーのフレンズ・ミーティング・ハウスに一泊し、早朝にバスで基地に向かった。政治的支援が高まってきた兆しとして、スコットランド愛国党の前党首ビリー・ウオルフが(48人と共に) 封鎖に加わって逮捕された。一方、当時まだ労働党の下院議員だったデニス・カナヴァン(Dennis Canavan)とスコットランド社会党のトミー・シェリンダン(Tommy Sheridan)は封鎖を支援するために「アイオナ・コミュニティ(Iona Community)」のリーダー、ノーマン・シャンクス(Norman Shanks)と行動を共にした。マーティン(Martin)がノリッジ(Norwich)のミニバスを基地内に乗り入れると、「ウッドウォーズ(Woodwose)」と車と戸外警備ゲートの交錯は再度強力なものとなった。車の中にいた犬のマックスも尋問のために拘束されたが足型をとるいつもの手順をふんだ後釈放された。へレンズバラのジェーンとジムの家の居間にいた法的支援チームとメディアサポートチームにとって、それはわくわくする朝だった。私達はあちこちの警察署にいる多くの活動家をモニターするための詳細な計画を練っていた。報道機関が政治家の存在に関心をもち、記事にするために熱心に近づいてきた。少なくとも一人のジャーナリストは事の始まりから英国の核抑止力についての真実を詳細に説明してもらわなければならなかった。それだけの価値はあった。というのは、後に、そのジャーナリストはキャンペーン活動を報じる公平で堅実な記者となったからである。

 2日後、トライデント・プラウシェアはオルダーマストンの核兵器施設で再び活動を始めた。トリガー・マックレガー(Tigger McGregor) とサム・ギール(Sam Geall) は、外部との境界を示すフェンスに登り、有刺鉄線から垂れ幕を吊るし支柱を飾り付けて国防省の警官につかまった。拘束されて何日も経った3月4日、そのキャンペーンでの初めての禁固刑の判決が言い渡された。シルビア・ボイズ(Sylvia Boyes)は3件の容疑で訴えられてへレンズバラ地方裁判所に出廷した。2件は軍内規に基づいて、1件は外部との境界を示すフェンスを切断したためだ。軍内規に関する1件は証拠不十分のため却下された。治安判事のマッグイグハン(McGuighan) はあとの2つの訴因についてシルビアに有罪の判決を下し、50ポンド(約8950円)の罰金を支払うよう申し渡した。シルビアは支払うつもりはないと卒直に申し述べ、それぞれの訴因で7 日間同時並行的に拘置された。3 月はあっという間に過ぎて、同法廷で「コーパス・クリスティ」のフレデリック・イバソン(Fredrik Ivarsson) が核兵器は神への冒涜であると述べ、ジヨー・マークハム(Jo Markham)とアンジー・ゼルターは重い罰金を課された。アンジーは仲間の「ウッドウォーズ」のクライブ・ファッジ( Clive Fudge)と共に同月後半再び出廷した。容疑は2月の封鎖での秩序違反だったが、両者は説諭を受けただけだった。アーガイルとビュートの地方裁判所の治安判事と検察当局間の長期にわたる矛盾に関しては種々の見解が提出されていた。検察側の気まぐれ振りはまるで起訴状を裏階段に投げて処理しているかのようである。階段の7 段目より下にそれを落としたら賛成ということだ。判事の気まぐれは、多分、判事自身の理解不足や、特異な影響力を発揮する一部の活動家の力量ということで説明がつくだろう。月末に、「アドムナン」メンバーのバーバラ・サンダーランド(Barbara Sunderland)も封鎖に対して軽い警告を受けた。調度その頃、「ノーサンブリア(Northumbrian)アフィニティ・グループ」はニューカースル(Newcastle)近くのアルベマール核兵器運搬施設(Albemarle Secure Nuclear Vehicle Compound)のフェンスを切断していた。この施設はバーグフィールド(Burghfield)からクールポート(Coulport)に核弾頭を運ぶ核輸送車が定期的に使用していた。グループは30分かけてフェンスを切断し、燃料置場のコンクリートにスローガンをペンキで書いた。あたりに人影がなかったので、チラシと「TP2000参上」のスローガンを残して説明責任を果たした。

 こうした活動の間にも、新しい誓約者が誓約書に署名して新しいアフィニティ・グループが結成された。その一つはへレンズバラを中心に、スコットランドの他の地域の人も含めた「ローカル・ヒーローズ(Local Heroes:地元の英雄たち)」だ。4月22日、颯爽と行動を開始した。「ローカル・ヒーローズ」のエル(El)は書いている。「朝の交替の少し前に、一部のメンバーが雑談のためファスレーンの北ゲートに向かった。エリックとデビッドが基地の入り口をケーブルで封鎖するのを婦人警官が唖然として見ていた。その直後、手が震えている私をブライアンが手助けしてくれ、私は身体をケーブルに括り付けることができた。私達は少しの間互いに見つめ合った。入れなくなった車の列はどんどん長くなり私達はついにやったのだということを実感した。気持ちが高揚していた。大部分のメンバーにとって初めてのロックオン「固定化」であり、ある者にとっては、初めての非暴力直接行動とその後の逮捕だった。しばらくして、警官が細いケーブルを切るために大きなボルトカッターを持ってきたが役に立たなかった。顔を紅潮させてその警官は立ち去り10分後に切断機を持って戻ってきてやっと切断することができた。一人づつ私達は外されて連れていかれた。ブライアンは冷静にどっしりと座りこんでいた。私はその象徴的な姿を見て、このような力強い、創造的なグループの一員であることに誇りと身の引き締まるような思いを感じた。」

 英国政府を意味のある対話に参加させる試みも同様に継続されていた。英国の新しいトライデント原潜ベンジャンスがファスレーン基地に向け出港するのに際し、ある国防省幹部はトライデントの合法性という問題に関して次のように説明した。国防省のサイモン・ギレスピー(Simon Gillespie) は、トライデントの実際の使用が検討されるようになった時にのみ法律上の勧告に従うと語った。このことはSOFAL(Send Out For A Lawyer_弁護士を呼べ)という対応として知られている。原潜ベンジャンスがクールポートに到着したとき、原潜はプラウシェア活動家によって温かく意義ある歓迎を受けた。ファンガス(Fungus)とタムソン(Tamson)の両者が泳いで原潜のすぐ側に近づいた。この裸の抗議(タムソンのはいていたキルトが脱げてしまった)は翌日の新聞で大々的に報道された。この活動は、核弾頭を搭載した原潜に対する多くの活動と同様に、トライデント・プラウシェアとスコットランド反核運動(CND)とファスレーンピースキヤンプという3者間の強固な協力関係と相互支援を示している。そしてこうした行動の場合、2つ以上のグループに属している個人メンバーは、重要な共通の目的を実行しているということで、どちらのグループの活動を行っているかについてはあまり気にしていない。トライデント・プラウシェアにとって、特に調査やネットワークについてスコットランド反核運動から受ける強い支援と、ファスレーンピースキャンプの活力と自発性とが、スコットランドで活動するための重要な要素となっている。

 5 月の中頃、私達は大勢の仲間と共にペートンの森に戻ってきた。月初めのテレテクストによる調査では85%のスコットランド人がスコットランド内の核兵器に反対すると回答していた。5 月16日、ファスレーンの正門で、ニール・マコーミック(Neil McCormick)教授を含むスコットランド愛国主義の主だった活動家が同じような強力なメッセージを伝えた。同日に、16人が逮捕され合計で200 人を上回った。一つの目立った活動は、車椅子のモラグ・バルフォー(Morag Balfour)とロズ・ブレン(Roz Bullen)がエジンバラの「ケイリー・クリーチャー(Ceilidh Cratur:物語と歌と踊りの夕べに集う者)」の誓約者と共に行ったものだ。彼らは様々な方法でフェンスやお互い同士を固定し、腕と脚を複雑に縫うように絡ませていた。車椅子レースで大きな事故が起こったような光景だった。警官がやって来たが全てを元の状態にするのに長くかかった。皆上機嫌だった。変化に富んだ週末だった。太陽が輝き、マーティン(Martyn)はトニー・ブレアが竹馬に乗ったような格好をして大股で歩き回った。「ケイリー・クリーチャー」のメンバーたちは奇抜な衣装を着て、すべてが活気づいていた。スコットランドのテレビ放送局は学校放送として4 チャネルで、スコットランドの国家としての再生に関する番組としてこの模様を放映した。

 その月の終わりに、NATO軍がセルビアを空爆したとき、「ローカル・ヒーロー」のブライアン・クエイル(Brain Quail)は世界各国からの500人の非暴力活動家( トライデント・プラウシェアのメンバーを多く含む)と共にNATOの違法な核兵器使用に抗議して、ハーグからブリュセルまで徒歩で行進した。彼はそのときの模様を次のように記している。「テレビで何度も目にした多くの不気味なスターリン主義の役者たち、すなわち、高圧放水銃の行列、覆面をした警察機動隊、楯と警棒を目の当たりにして疑い様がなかった。間違いなく私達はNATO本部に着いたのだ。長い行進は終わり、足にまめができ、出血して、疲れ切って私は地面にへたり込んだ。すぐさま高圧放水銃で激しく放水され道路の反対側に吹っ飛ばされた。心臓バイパス手術を受けた61才にとって今までにない経験だった。その後、機動隊が有刺鉄線に近づいたメンバーの腕や手首を棒で激しく打つのが見えた。私達が犯罪者?ただここにいるだけなのに。NATOの核戦争計画という違法性に立ち向かっているだけなのに。平和的に、隠しだてなく、そして非暴力で。」

 表面には現れていなかったが、長い間何かが醸成されていた。計画をたて、構想を練った数カ月の後、アフィニティ・グループ「フェザント・ユニオン(PhesantsユUnion:キジ同盟)」のウラ・ローダー、エレン・モクスレーとアンジー・ゼルターは垂れ幕にスローガンを書いて、バッグに工具類をつめ、小型トラックにゴムボートを積んで「メイタイム」の本拠地、ゴイル湖に出発した。「メイタイム」は国防省の研究機関DERAが運営している水中に浮かぶ研究施設で、トライデント原潜が音波によって探知されずに航行するための研究をしている。3人は乗船し、研究室に入り込み、スローガンを書いた垂れ幕を窓から垂らし、コンピューター、電気機器、研究資料をゴイル湖の水中深く投げ込んで研究室を空っぽにした。警察が注意や関心を示している徴候は見られなかった。3人はもう一つの施設でも同様の行動をする予定だったが、ボートが水漏れしたので、夕日が没する中、座り込んでピクニックと洒落込んだ。走り回る小さな人影を眺めたり、金属がガーンと鳴る鋭い音を聞いたり、装置が沈む度に上がる大きな水しぶきやたくさんの紙片が優雅に漂っているのを浜辺で見るのは胸がわくわくするような経験だった。エレンはこの研究施設で非武器化を行いながら、トライデント、「自由」市場、子ども搾取、抑制のきかない軍国主義、社会に蔓延する暴力、発展途上国の債務などを取り払っているように感じ、驚くほどの解放感を体験した。午後9時に行われた私達の報道発表によって、保安警備員が初めて「ゴイル湖上で」問題が起きている事実に気づいたことはまず間違いない。日が暮れて、メイタイムの主任の憂鬱そうな言葉が水上に響き渡った。「私の施設に何をしたのか? 」3 人の女性は間違いを犯したことを認めなかったので、コーントンベール刑務所に拘留された。報道機関はスコットランドのビッグ・イシュー誌の名誉ある例外を除いて、この素晴らしい活動をほとんど取り上げなかった。その理由として、訴訟継続中原則(訳注:裁判所で審理中の事件の報道と議会の発言を制限する)を破って厄介な問題になることを心配したためと述べている。だがこれは本当の理由ではない。訴訟継続中原則に関してかなり厳しい態度を取っているスコットランドにおいてさえ、報道機関はいつも鋭く突っ込み、出来るかぎり詳しく最新記事を伝えているのだから。私がこの活動に関して書いているその週に、スコットランドBBC放送はフットボールのマネージャ、ジム・マックリーン(Jim McLean)が取材記者に今にも飛び掛ろうとしているシーンを何回も映し出した。地方検察官がこの問題を審理しているのを十分に知っていたのにである。

 6 月30日、昨年11月にファスレーン基地で核廃絶行動に参加して有罪判決を受けたブライアン・クエイルの抗告を審理する予定だったエジンバラ高等法院は、その抗告をより広い根拠に基づいて再提出することを許可した。ブライアンはアーガイルとビュートの地方裁判所で、基地のフェンスを「正当な理由もなしに」犯意を持って損壊した罪で有罪の判決を受けていた。ブライアンの抗弁は、国際法に基づいたトライデントの違法性が彼の行動の正当な根拠となるというものだった。控訴審では、治安判事が判決に至るまでに国際法を考慮に入れなかったことの是非が論議されるだろう。これを書いている時点では、ブライアンの抗告はまだ審理されていない。ブライアンより前にヘレン・ジョンが同様の論拠に立って行った抗告は高等法院が却下した。同件は弁護士の弁論が説得力を欠いており、特にトライデント特有の問題やトライデントが脅威にあたるという事実に焦点が当てられていなかった。判事は、ヘレンのトライデントの違法性に対する確信は抗弁として不十分である、と見解を述べた。ブライアンの件以外にも、スコットランドの下級裁判所における2 件の有罪判決に対して抗告の申し立てが行われている。

 キャンペーンに関して、クールポートとファスレーンだけでなく、英国内の他のトライデント関連施設にも関心を向けたらどうかという意見がこれまでも時々あった。「メイタイムへの侵入」は良い例となり、7 月に「ミッドランド・グループ」がオルダーマストン基地に対する活動を行った。ロジャー・フランクリン、シルビア・ボイズ、アリソン・クレネ(Alison Crane)とマーリーン・ヨー(Marlene Yeo)の、後に「魔術の4 人組」と呼ばれるようになる_本人たちは困惑ぎみだが_4 人はオルダ_マストンの「厳重警備」の核兵器施設に侵入し、逮捕されるまでにスローガンを書いた旗を掲げることができた。基地内で作業員にニュルンベルグ原則に関して問いかけるつもりだった。4 人は当時、この活動をどちらかというと失敗だったと見ていたが、他のメンバーの励みになったことや訴訟手続きに関して得た成果などから、大きな意義があったことが分かった。7 月13日、イアン・トムソン(タムソン)(Tamson)は7 月の活動に関係した罪状でへレンズバラ地方裁判所に出廷した後、拘置所から釈放された。イアンは7月1日のスコットランド議会の開催を祝して、ロング湖畔にあるクールポート核兵器施設のフェンスを破損することを企てたのだった。彼はまた、5 月にベンジャンス原潜に泳いで近づいた件でも訴えられていた。両件で有罪の判決を受けて、グリ_ノック刑務所で12日間拘留されたあと、釈放された。

 7 月と8 月の始めは、8 月のキャンペーンの準備とコーントンベールに拘留されている「フェザント」のメンバーを支援するために費やされた。この拘留が世界中に知れわたり、支援に大きな効果を及ぼしたが、同時にまた否定的な側面もあった。アンジーは始めから本人弁護に決めていた。一方、エレンは法廷弁護士ジョン・マクローリン(Johe McLaughlin) と事務弁護士ステファン・フォクス(Stephen Fox)に依頼した。ウラはブライアン・クエイルの訴訟を取り扱った法廷弁護士ジョン・メイヤー(John Mayer)と事務弁護士マシュー・バーロー(Matthew Berlow)に依頼した。弁護士とアンジー間、また弁護士間のコミュニケーションは刑務所の菅理システムの問題に直面して、公判直前まで難問だらけだった。1999年8月のキャンプの設備は、本線からの電力供給とコンポストトイレの設置により大きく改善された。第一週目は「バンブルビー」が再び料理を作り、将来この仕事を引き継ぐトライデント・プラウシェアのメンバーのための訓練という特別のおまけまでつけてくれた。それは実際「バンブルビー」の見事な最後の作品であり、彼らは私達に貴重な調理器具を譲り渡してくれた。多数の新メンバーが加わり、はっきりと国際的な特色を表していた。活動家達は活動をどんどん進めたいと思い、ジョイ・ミッシェル(Joy Mitchell)とジョーン・メレディス(Joan Meredith)が初日にクールポートの正門を封鎖して方向を決定づけた。実際、逮捕者が一人も出ない日は15日間のうち一日もなかった。マーカス・アームストロング(Marcus Armstrong)、ルイス・ジェイムズ(Louise James)、クライブ・ファッジ(Clive Fudge)、クリスティ・ギャザーグッド(Kirsty Gathergood)、ジョージー・スノック(Josje Snoek)らが、色々な形で参加した遊泳などのように華々しい活動もあった。新しいタイプの行動としては「ウッドウォーズ」らが、コーブ(Cove)の原潜試験施設の外壁に「トライデントは違法」などのトライデントに相応しいメッセージを書いて美しく飾ったというのがある。クールポートのフェンスが水没している場所で「命に関わるボート漕ぎ行動」を行う女性達もいた。彼女達は湖岸に沿ってボートを漕ぎ基地内に旗を持ち込んだ。国防省の警官の一人は「警官をからかうのは許さない」と言っていたらしいが、彼女達の逮捕容疑は、実際、警官をからかったことではなく、秩序違反だった。活動は疾風と共にやってくる通り雨のようにキャンプ最終日の夜まで続いた。マリアン・ウイルムセン(Marjan Willemsen)が詳しく語っている。「月曜日はキャンプの最終日で、そこに留まっていたメンバーはクールポートのゲートで集会を行うために出掛けた。楽しい音楽、歌やダンスが始まり、そして突然、全員がおとり役になるためにばらばらに走りだした。大部分が戻ってきたとき、何かが聞こえ、2 人の女性が基地内にいた! そのあと、別の物音が聞こえ、ジェニー(Jenny)がフェンスのてっぺんに登ってレーザーワイヤーのロールの中にいた! ジェニ_は数時間もそこにいた。一方、デイビットとエマはフェンスを切断して逮捕された。馬鹿にするしぐさをしたティーポット(Teapot)、ゲ_トの下を這って基地内に入ろうとしたファンガス、 護送車を妨害したアン、そして警官がアンをどのように扱うか見ていた私も逮捕された」 警官がこれで全ては片づいたと考えたら、それは間違っている。4日後、シルビア・ボイズとアン・ショルツ(Anne Scholz)がファスレーンの境界のフェンスの周りを泳ぎ、2 時間後にポラリス原潜が以前停泊していた桟橋の下で泳いでいたとき取り押さえられた。アンは語った。「 私の計画はトライデント原潜に乗り込んで篭城することだ。シルビアは原潜の外壁に使うためにハンマ_を、内部のコンピュ_タ_・モニタ_に使うためにスプレ_・ペンキを用意していた。もしも一寸した幸運があったなら、ロージーとレイチェルがバローでしたように私達も乗艦出来ただろう」8月のイベントに関するメディアの報道は不十分だったが、アイリッシュ・タイムズが私達の活動を取り上げ、インタ_ネット上では、ヤフ_新聞のその日のトップ記事となった日もあった。

  9月の初め、ヘレン・ジョンはエジンバラのハイ・ストリートにある人目をひく公共建築物にペンキでスローガンを書き、英国の核犯罪、違法な劣化ウラン弾の使用、イラクに対する経済制裁措置の支援について人々の注意を喚起した。2週間後、ヘレンはウエストミンスター宮殿の下院へ通じるスティーブン・ゲートにも30cmほどの幅のスローガンを書いた。エジンバラの検察官側はまだ彼女を起訴するだけの十分な体制がとれていなかった。1999年12月、ヘレンのウエストミンスター事件に関する公判で、アラン・シンプソン(Alan Simpson)議員とトニー・ベン(Tony Benn)議員の証言を聞いたロンドン陪審は、犯罪的意図があったとする損壊罪でヘレンを有罪としたものの、「被告の行動には合理的な理由があった」とする副申書を添付した。このような副申書が出されるのはおそらく異例のことであろう。

  筋の通った綿密な抗弁を刑務所内で準備することは困難だったが、私達は「フェザンツ(Pheasants:キジ)」のグリーノック公判にある程度の希望をもって臨んだ。ジェイン・タレンツ(Jane Tallents)は以前行われた審問でマーガレット・ギムブレット判事の裁判を傍聴し、判事が若い法律違反者に対して断固とした態度で、しかし、真の洞察力と共感をもって対応する姿を見たことがあった。ジェインは、ギムブレット判事は必ずや、私達にすっかりおなじみとなっている裁判所の「心を閉ざす症候群」を直してくれるだろう、と確信してその法廷をあとにした。グリーノックでサポート体制を確立することには色々な困難が伴った。私達が連絡をとった教会や他の組織で、事務所または宿泊所として場所を提供してくれるというところが1つもなかった。結局、私達は事務所用の部屋を家賃を払って借り、グラスゴーから毎日通った。グラスゴーではフレンズ・ミーティング・ハウスの歓待を受けることができた。グラスゴーからグリーノックまでの道程は、被告人が通わなければならなかった距離に比べれば短く、便もよかった。被告人たちはまずグラスゴーの警察署まで行き、それから別の護送車に乗せられてグリーノックまで来た。したがって、朝の出発は早く、コーントンベールへ戻るのは夜遅く、しかも休憩や飲食の時間も僅かか、全くないかのどちらかだった。刑務所は、裁判所から夜遅く帰った被告人たちに冷たい食べ物を出しただけだった。被告人たちが1か月にもわたることになる公判の間を何とか持ちこたえられるだけのまずまずの栄養補給を受けられたのは、グリーノック裁判所の職員たちの現実的な対応によるものだった。

 被告人の3人の女性達は公判に出廷した。容疑は故意の器物損壊と窃盗などの4つだった。地方検察官デイヴィッド・ウェブスター(David Webster)による検察側の陳述は、3人の女性が「メイタイム」に乗船していたことと、起訴状のなかに述べられているすべての損壊を行ったことを立証する、非常に単純なものだった。そのハイライトは、ゴイル湖の湖底を撮影した国防省のビデオだった。それは沈泥の上に横倒しになっているコンピューターの周りに小さな魚がひらひら泳いでいるという、予想通りの画像だった。中には隅にひとでが貼り付いているのもあった。

 弁護側の陳述には5名の専門家証人が含まれていた。イリノイ大学国際法のフランシス・ボイル(Francis Boyle)教授は、国際法があらゆる場所に適応すること、また、トライデントはその破壊力から考えて、いかなる方法を用いても合法的な使用というのはあり得ないということを証言した。ドイツの裁判官ウルフ・パンツェル(Ulf Panzer)は、国際法を支持するための非暴力運動の正当性について証言した。ウルフは、米国のパーシング・ミサイルをドイツから追い出すためにどのような運動を行ったか、さらに、運動が高まって他の20人の裁判官とともにムートランゲン(Mutlangen)基地で座り込みによる封鎖を行うに至ったことを述べた。彼らは、政府の非合法的なふるまいに対して沈黙していると高い代償を払わなければならなくなることをナチス時代から学んでいたのだった。ブラッドフォード大学のポール・ロジャース(Paul Rogers)教授は、トライデント・システムの構成および性能と、差し迫る核戦争と核事故の可能性、公的政策を変えさせる目的での市民による抵抗運動の効果について証言した。ジャック・ボーグ(Jack Boag)教授は核兵器のもつ危急的危険性について証言した。最後に、アクロニム・インスティテュートのレベッカ・ジョンソン(Rebecca Johnson)が、代々の英国政府が核拡散防止条約に基づく軍備縮小義務を履行しなかったことの重大性と、現在の内閣がいかに交渉を妨げ続けているかについて説明した。また、「メイタイム」がトライデント兵器システムのなかでどれほど必要不可欠な部分であるか、また、他国が英国のトライデント配備をいかに脅威と捉えているかを述べた。

 弁護側は、国際法がスコットランドに適用されること、国際司法裁判所(ICJ)は核兵器による威嚇または核兵器の使用が一般に国際法に違反することを認めていること、また、トライデントの配備が脅威とみなされていることを主張した。さらにジョン・メイヤー(John Mayer)は必要性に基づいた行為であったという抗弁を適用するよう主張し、ジョン・マクローリン(John Mclaughlin)は、被告たちの行為は計画的ではあったが悪意の動機から出発したものではなかった、と述べた。抗弁の最後に両者は、被告人たちを無罪にするよう陪審団に説示すべきだとギムブレット判事に提案した。

 ギムブレット判事は陪審団に対して、「私は、3人の被告およびその仲間の人々の行為が以下のように考えて正当とされると結論せざるを得ません。その考えとは、英国はトライデントの使用において(中略)他国によって脅威と解釈される可能性があり、このようなことは国際法および慣習法違反であるということです。(中略)私は、被告人らが犯罪的意図をもって行動したと思わせるような事実を何一つ耳にしていません」と語った。

 この高揚した日々以降、その判決に対して集中砲火を浴びたマーガレット・ギムブレット判事は、私達が裁判官の仕事ぶりを評価するときの基準となった。これは、評決が正しかったからというよりは、_もちろん、それも重要だが_彼女の根底にある専門的職業意識と、洞察力、礼儀正しさのためである。その公判中のマナーは完璧で、彼女は傍聴席を陽気な「おはようございます」の声で包み込んだ。彼女に匹敵するような裁判官にはその後まだ会ったことがないということも言っておかなければならない。彼女とウルフ・パンツェル判事とが相互に尊敬を寄せていたことは明らかで、ウルフは証人席からギムブレット判事の訴訟指揮の見事さを称えた。これは極めて異例なことである。

 スコットランドのメディアはこれまでどちらかというと無関心であったが、これがいい新聞種であり、大当たりの記事になることを遅ればせながら認識した。イングランドのメディアはこの件に関してほとんど取り上げず、ガーディアンには特に失望させられた。グリーノックから河をへだてて5マイル(約8キロ)のところにあるヘレンズバラ(Helensburgh)地方裁判所は、予想通り、国際法を考慮に入れることを断固として拒否する考えを変えなかった。10月25日、アン・ショルツ(Anne Scholtz)は8月のファスレーンへの遊泳による侵入に関して有罪の判決を受け、罰金を科せられた。27日、スコットランド法務総裁が、ギムブレット判事の裁定について法的問題を明らかにするため、この事件を最高法院に付託するという決定を発表した。事件付託におけるこの政府の手先の動機は明らかだった。結局、これによって英国の防衛政策の合法性に対する大きな疑念が提示された。同時に、トライデントの法的位置付けが上級裁判所で議論される機会が得られたことを私達は歓迎した。また、スコットランド議会においても前向きの政治的反応があり、議論が巻き起こっていた。欧州議会ではニール・マコーミック(Neil McCormick)議員が次のように述べた。「ギムブレット判事の勇気と独立性、そして、アンジー・ゼルターおよび彼女の仲間たちの勇気は、包括的核実験禁止条約(CTBT)に批准しようとしない米国上院のわがままと好対照を成している」

 私達が11月12日の週末キャンプのためにクールポートに戻ったとき、確かに新しい勢いが感じられた。これまでのメディアのグリーノック裁判に関する報道はいつも雑で非常に単純化されたものではあったが、それでも、トライデント計画の推進と私達の犯罪防止活動からそれを守ることを生業としている人々の心のなかに疑いの種を蒔き始めたらしく、それを信じるべき確かな根拠があった。私達はクールポートのゲートの責任者であるグレゴリー(Gregory)准将に手紙を手渡した。そして、あなたは部下たちを犯罪的かつ非道徳的活動に従事するよう先導することにより、彼らを困った状況に置いているのだ、と助言した。私達は、ストラスクライド警察の内部に存在する私達の姿勢への共感に、ずっと以前から気づいていた。そして、大量虐殺の脅威に対してよりはっきりと不快感を表しつつある社会のなかで、法の強制への加担が意味するものについて彼らが真剣に考えようと思うなら、私達は必要な支援を提供したい、という希望を表明した。この時点で、私達は犯罪を防止する役割を果たしている、ということをさらに強調し始めた。その週末の行動のハイライトはクールポートの2つのゲートをともに封鎖することだった。1つのグループがメーンゲートの前に長く連なる障害物を作っている間、シルビア・ボイズ(Sylvia Boyes)とマルジャン・ウィレムセン(Marjan Willemsen)とジェニー・ガイアウィン(Jenny Gaiawyn)が建設用ゲートに止まっている3台の作業員用バスに身体を括り付けた。もう少し変わったイベントとしてはキルクレガン(Kilcreggan)の上の通信用支柱までの行進があった。秋の陽を浴びて湿原のなかを延々と歩くものだった。通信用支柱は犯罪的な海上交通だけでなく、罪のない海上交通も支えているものだったので、これを壊すつもりはなかったが、その代わり、ここにふさわしいプラカードが掲げられた。この行進は長時間にわたるもので、すべての参加者がこの企画を実行する価値を確信していたわけではなかった。1人の男性は何度も湿原の泥のなかから足を引っこ抜きながら、こんな感想を漏らした。「これは間抜けな計画だって、俺はいつも言ってたんだ」

 11月22日、アイルランドの活動家であるマリ_・ケリー(Mary Kelly)が、トライデントに反対する論拠をすばらしく要約して述べたにもかかわらず、ヘレンズバラ地方裁判所は予想通り彼女を有罪とした。警察の証人はいつもに増して真実からかけはなれ、ファスレーン基地内に核兵器があるということは知らないと述べた。こうしている間に英国軍艦ベンジェンスはバロー・イン・ファーネス(Barrow-in-Furness)に戻って、就役を待っていた。それは、シルビア・ボイズとリヴァー(River)の関心を引いた。2人はハンマーとのりとニスのスプレーを持ってVSELドックを泳いで渡り、その潜水艦に乗船しようとして、ドックのなかで逮捕された。シルビアは保釈を拒否し、リヴァーは保釈を望まなかった。12月2日の審問において、リヴァーはそのときに提示された、すべての核兵器基地の10マイル(約16キロ)以内に立ち入らないという条件を含む保釈条件を拒否した。リヴァーは、英国にはトライデント関連施設が山ほどあることを指摘し、もし、英国軍艦ベンジェンスの10マイル以内に核弾頭が1つもないことが確信できるならその条件をのむと述べた。彼はプレストン刑務所に送り返された。一週間後、彼は、その保釈条件が彼の平和的に抗議するという基本的権利を侵害している、と巧みにかつ意義深く主張して釈放された。リヴァーとシルビアの公判は2001年1月8日にマンチェスター刑事裁判所で行われることになっている。(彼らはそれ以来釈放されている)

 1999年11月以降、告訴されている活動家の一部がヘレンズバラ裁判所での難局を打破する試みとして、抗弁への別のアプローチを考えつつあった。「ローカル・ヒーローズ(Local Heroes:地元の英雄たち)」のバーバラ・マグレガー(Barbara McGregor)、ブライアン・クエイル、ジェイン・タレンツ、エリック・ウォーレス(Eric Wallace)は、戦争犯罪が行われていると知ったとき平和的かつ非暴力的に介入することができる権利がヨーロッパ人権条約によって与えられている、ということを主張に盛り込んだ。「アドムナン(Adomnan)」のアラン・ウィルキー(Alan Wilkie)は秩序違反の罪に対する彼自身の抗弁で同様の主張をし、パメラ・スミス(Pamela Smith)は秩序違反という概念全体に挑んだ。これらの申し立ては争点付託として知られている。それはスコットランドの1999年の制定法下においてヨーロッパ人権条約をスコットランドの法律に組み入れたことに言及しているからである。アランの抗弁もパメラの抗弁も棄却されたが、パメラは上訴した。「ローカル・ヒーローズ」のメンバーたちもスコットランドのどこか別の場所で同様に訴訟の結果を待っている。

 2000年1月25日、ロージー・ジェームズとレイチェル・ウェナムは英国軍艦ベンジェンスに対して行った優れた活動に関し、ランカスターで裁判に付されたが、この裁判はきちんと開始される前に終わってしまった。2人の代理人となったのは事務弁護士のギャレス・ピアース(Gareth Peirce)と法廷弁護士のヴェラ・バイルド(Vera Baird)だった。そのとき裁判の記録をとっていたリヴァーは次のように書いている。「要するに、検事局がへまをやって、去年の5月に検察側の核心的な『証拠』を得たとき、それを記録しておかなかったのだ。これは法廷に現れた検察官の落ち度ではなく、前もって下準備をしておくはずだったチームの落ち度である」

 「肝心な証言は全く記録されず、弁護側に伝えられなかった。さらに不運なことに、この証拠は彼らが持っている証拠のなかで最も論議の的となるものだった。受けた損害の評価額が、国側が最初に陪審審理付託決定手続き(訳者註:被疑者を刑事裁判所での正式審理に付するか否かを決める手続き)で陳述した額である25,000ポンド(約4,475,000円)から、110,000ポンド(約1,969,000円)へと跳ね上がったのである。この評価額の跳ね上がりは判決内容に大きな差を生むはずだった。もし、そういう事態になるならば、の話だったが。検察側が土壇場であっと驚くようなことをしたので、弁護士たちはその仕事柄、事の次第を注意深く調べたいと思った。もし、増額に関して昨夏に適切な通知を受けていたならば、これほど注意深くは調べなかっただろう。彼らは証拠を裏付ける記録を精査し、驚くなかれ、国側はさらにもう1人の専門家をつれてきた。そして、おもしろいことに、われわれはまた25,000ポンドのあたりに戻っている。弁護側はその機器について調べるための弁護側独自の専門家を得たいと考えており、英国政府もこれにやぶさかではないが、弁護側が用意できる専門家は早くても来週の中ごろ以降になる」 結局、次の公判は9月になった。

 2000年2月14日にCNDと合同で行うことが予定されているファスレーン封鎖計画に関して、私達は広報活動で、これをその年の優先事項にするよう呼びかけた。それに対する反応は非常に期待がもてるものだった。13日の日曜日にグラスゴーで行われた大掛かりな訓練と最終打ち合わせのイベントは、周囲の善意とがんばりと期待に大きく助けられ、無事に終了した。翌朝5時30分、ミニバスや車が積み込みを終えて、ほとんど混乱も遅れもなくグラスゴー・センターから出発した。国内の至るところから夜を徹して車が基地を目指し進んでいた。下院議員らが姿を見せるらしいとの予想と、ショーン・コネリー、エマ・トンプソン、カート・ボネガットらが支持のメッセージを送ってきたことによって、メディアも関心を寄せていた。彼らのメッセージは、このキャンペーンを「狂気に反対する戦争における正気の人々からなる突撃部隊」と表現していた。この封鎖によって基地の機能は2時間以上停止し、185人が逮捕された。逮捕者のなかにはスコットランドのトミー・シェリダン(Tommy Sheridan)議員や欧州議会のキャロライン・ルーカス(Caroline Lucas)議員、10名のスコットランド教会牧師らも含まれていた。

 逮捕手続きを待つ間、2人の警察官が人々の警護にあたったが、2人がその持場から離れられないのをいいことに、人々は自分達がなぜここにいるかを話してきかせた。ある人は、その警察官がこれまでに逮捕したなかで「最もいい人」であると言われ、手続きを待っている間に釈放された。

 この日の天気は特に言及するに値する。2000年10月、数件の事件について公判が開かれたとき、証人の1人である警察官が事件の日の記録があるかと尋ねられて、天候が良くなかったのでメモをちゃんととれなかったと述べたのだ。この言葉はこの日の天気を控えめに言い表している。法律関係のサポートをする「ランナーズ(使い走り)」の働きはめざましかった。彼らは逮捕者に関する記録をとり、ばらばらになる紙束を手にあちこち走り回った。おかげで、活動家の多くは今でも、証拠となるバレンタイン・デーの雨のしみのついた日記や記録ノートを持ち歩いている。法的支援チームは26時間シフトで間断なく逮捕者に関する情報収集を行い、どの警察署にだれがいるかという情報を更新し、釈放される者の迎えの手配をした。このイベントはメディア報道をあてこんで計画した全国的なものだったが、核犯罪防止に積極的な役割を買って出る人々がますます増えているということが分かったのが最大の収穫だった。

 3月3日、ニューベリー治安判事裁判所において、「ミッドランド・グループ(Midlands Group)」の「マジック・フォー(魔術の4人組)」が有罪の判決を受けた。治安判事は、ヘレンズバラ地方裁判所にいる近視眼的な彼の同僚達と同様、国際法はそれが制定法によって組み入れられていなければ考慮することはできない、と述べた。重い賠償命令が下され、シルビアもその名誉ある活動記録のために罰金を科せられた。マーリーン・イェオ(Marlene Yeo)は全額支払うことを拒否したが、これは興味深い後日談を残すとともに、地域のメディアの働きに価値があることを教えた。彼女は次のように書いている。「さあ、お次は執行吏だ。私は家のドアに『トライデントの核弾頭は大量殺戮のための武器です』と書いたポスターを貼った。私はそんなものにお金を払う気はない。執行吏は入れない。友人は歓迎する。レスター・マーキュリー(Leicester Mercury)がその写真を撮るためにわざわざやってきた。昨日の新聞に既に2つ載っていたのに。もちろん、どちらも好意的なものだ。だから、トライデントのことを知らない地元の人はもうあまりいないだろう。そして、これまでのところ、皆が私と同じ見方をしている。これは素晴らしいことだ。裁判所でも、オルダーマストンの破壊性やトライデントにかかる経費、そして私自身について、つまり法律に従っているのは彼らではなく、この私であるということを話す機会を得た。」

 ヘレンズバラ地方裁判所は奇妙な審問を重ねていた。マリリン・クローサー(Marilyn Croser)とヘレン・ハリス(Helen Harris)の公判では、グラスゴーのゴーバルズ(Gorbals)管区の警官が「平和を求める抗議者がファスレーンやクールポートでは国際法が侵害されていると言うならば、私はその疑いを追求するために行動を起こすだろう」と述べた。検察側証人の証言は頼りないものだった。スターリング(Stirling)治安判事は、ヘレン曰く「理由は最善とは言えなかったが」、無罪判決を出した。治安判事は例によって、被告人が検察側証人に国際法について反対尋問することを許さなかった。

 スコットランド法務総裁が1月にギムブレット裁定に関して最高法院に事件を付託したとき、法務総裁は取り上げることを希望する4つの質問を提示した。これらの質問がなされた意図は、今後スコットランドにおける平和運動家の裁判で国際法が使われないようにし、普通の市民が戦争犯罪を防ぐ目的で行動することを全体的に厳しく制限するための回答を明らかにすることにあるようだった。この事件付託と関連した非常に不満足かつ懸念がもたれる予備審問は4月4日に開かれた。まず、ロジャー卿が裁判長を務めた。ロジャー卿はスコットランド法務総裁だった1992年、反トライデント運動家たちによるトライデントの合法性を問う訴訟を却下していた。ロジャー卿が理論的に偏向していたことは間違いないが、それだけではなく、彼の裁判の進め方もプロらしいとは言えなかった。アンジーが自分自身で抗弁していたとき、抗弁の最中にいきなり終了させられたことがあった。しかし、あとになってみると、今回の予備審問後に私達が抱いていた強い懸念の多くは緩和されていた。ロジャー卿は判事団のリストからはずされていた。これが私達の強力な抗弁や支援してくれている政治家たちの主張によるものであるかどうか、私達には知るすべはない。グリーノック裁判の最後から3日間分の筆記録と、専門家証人による証言記録の一部を提出するよう命じられた。アンジーの裁判費用の一部は国が負担することになり、さらに重要なことに、実際裁判にあたる判事団が法務総裁の質問の真意を探りたがっていることが分かった。私達はネットワークを構築し、審問へのアプローチの仕方に関して世界各地における法律上の経験をもとに最善のアドバイスが受けられるよう準備した。

 5月9日、ヘレンズバラ地方裁判所において、マーカス・アームストロング(Marcus Armstrong)とルイス・ジェームズ(Louise James)は、8月のトライデントへの遊泳に関して罰金を課せられた。そのとき、2人はファスレーンの浮き遮蔽物のところまでしか行けなかった。裁判でマーカスは、トライデントの道義性を問う抗弁の要約を簡潔だが見事に述べ、最後にこう言った。「もし、いつか何かが起こったとして、そのとき、私の子供か孫か誰かが私に『知っていたの? あなたは何をしたの?』と聞いたなら、私は『知っていたよ、もっと色々なことができる力が欲しかったけれど、その状況下でそのとき私にできることはすべてしたよ』と言えるだろう。だからといって、それが大きな慰めになるわけではないが」彼はそれからスクリオン(Scullion)治安判事に向かって、「あなたは自分の子どもや孫になんと言うのですか?」と尋ねた。しばしの沈黙ののち、治安判事は言った。「私はその質問に答えるつもりはありません」

 5月13日、トライデント・プラウシェアはスコットランドのCNDとともにファスレーンで「カーニバル」を催した。スコットランドを拠点とする活動家達は、5月中のおもな活動の場がオルダーマストンになることを歓迎していたが、一方で、クライド基地への圧力も維持し、それによって南での活動に連帯のメッセージを送りたいと考えていたのだ。バーバラ・マグレガーはカーニバルを次のように表現した。「5月のカーニバル、それは豊饒と素朴なエロチシズムの祭りである。古来より、五月祭の前夜には若い男女がメイポールにちょうどよい頑丈な幹を探しながら森へ行き、『司祭と下着は抜きで暗い木立の中を大いに楽しんだ』ものだ。しかし、私達の仲間のエル(El)は裁判中だった。ゴイル湖頭への愛が込められたポールが作られた。それは単なるポールというよりは、むしろトーテムポールで、海の生物たちや鳥、愛らしい獣たちが全体にあしらわれ、てっぺんに輝く太陽があった。酒盛りをしながら人々はその回りを踊り、創造的な混乱のパターンを織りなしていた。あらかじめ指定された時間に北ゲートとの巧妙な連絡が行われて、女性ロックバンド、モラグ(Morag)がバリケードの上で演奏を始めると、回りながら踊り狂っていた9人がポールを横たえて道路の真ん中を横切るように置き、紙張子で覆われている表面に穴をあけて、内部の中心を走っている鎖に自分達の色とりどりの装身具を固定した。歓声が上がり、陽気な音楽が続き、暖かい太陽に照らされて警官たちは日焼けし、私達は乾杯し、リコライスを噛みながら、気まぐれな犬たちのよだれだらけのキスに圧倒されていた。ソウルマスターズ(Soulmasters)による『HOLD ON(踏みとどまれ)』がこれほどふさわしい場はなかった。警官たちは無線で『逮捕するには多すぎる』と言いあっていた。警官たちでさえけだるそうだった。午後 3時、私達は全員ぶらぶらと、帰るためのバスに向かった。素晴らしい愉快な夏の出撃だった。」

 テムズ・バレー警察は4月、私達に対して文書で、オルダーマストンで計画されているイベントの主催者を明らかにしてほしい旨を告げていた。そして、5月22日(封鎖予定日)の私達の活動を、指定された駐車場に限るように要請していた。私達は次のように回答した。「『主催者』や『指導者』はいません。色々な人々が時に応じて色々な責任をとることになっていますが、常に、他の人に敬意を払いつつ、個人の責任と自立に基づいて行動することが基本です」 喜ばしいことに、この点が受け入れられたことがのちに国防省の印刷物から分かった。私達はまたこの機会を捉えてテムズ・バレー警察の怠慢を非難し、次のように述べた。「トライデント・システムは何百万人もの罪のない市民を脅かすとともに、自然環境に対して長期にわたる深刻な脅威となっている。この緊急的かつ著しく深刻な状況に際して、テムズ・バレー警察はどんな行動をとっているのか」 テムズ・バレー警察はストラスクライド警察に連絡をとり、私達の活動に対する彼らの対応経験を参考にしようとしたが、威嚇するほうを選択した。しかし、のちに自分達のはったりが露呈すると、もっと適当な線に落ち着いた。そして、私達が計画してきた非公式のキャンプ・サイトの使用に理解が得られた。また、オルダーマストン核兵器施設(AWE)公社からも文書が送りつけられた。そこには、万一キャンペーンによって混乱や損害が生じたときには法的措置をとるという脅し文句が書かれていた。

 その週末は、ゲートで行われたバロック・アンサンブルSonnerieと世界的バイオリニスト、モニカ・ハゲット(Monica Hugget)によるコンサートで幕を開けた。ハゲットは「オルダーマストンで平和の象徴としてコンサートを開催することは、人々の心にその対照をはっきりと印象付けることになるでしょう」と述べた。翌日、レディング(Reading)からの行進が到着し、そして、最初の逮捕者が出た。ウラ・ローダー、ロジャー・フランクリン(Roger Franklin)、ジョアン・メレディス(Joan Meredith)、それにファンガス(Fungus=Zoe Weir)らが基地内に入って逮捕された。警察の保釈条件は、オルダーマストンから5マイル(約8キロ)以内に立ち入らない、というものだった。スコットランドのアフィニティ・グループ「ローカル・ヒーローズ」のエリック・ウォーレス(Eric Wallace)は、月曜日に行われた封鎖について次のように記述している。「私達の行動にカラビナ(登山の道具)とチューブを使うという決定は、一部の者にとって初めはやっかいなことのように思われたが、ファンガスが私達を説得し、結局いい結果につながった。これらの道具を使ったために、警官たちは私達を引き離そうとすることをあきらめ、結局、3時間以上もゲートを封鎖できたのだった。特別警察官たちが来て私達を切り離したときも、個人がそれぞれ留まってもよく、離れてもよく、常に主導権は私達のほうにあった。もし、私達が単に腕を組んでいただけだったならば、怒りに駆られた者が私達の行動をこけおどしと見て戦列を車で突破し、戦列は崩されてしまったにちがいない。私達が動けないということが明らかだったからこそ、そういうことが起きなかったのだ。チューブを使う方法のもうひとつの優れた点は、自分達の意のままに場所を移動できることで、実際、警察は私達の必要に応じて道を開けてくれた!」 その日の逮捕者は46人、週末全体で55人だった。これらのなかで起訴された者はほとんどいなかった。多くの者が保釈され、後日警察署に出頭した。この週末キャンプはかなりの成功だったと言える。特に、長い間オルダーマストンを標的にしてきた人々の参加を得られたことが良かった。ヘレン・ハリスはそれを次のように記述している。「いつものように情報不足からくる敵意が多少見られたが、全体として、トライデント・プラウシェアのキャンプはオルダーマストン地域住民の意識を呼び覚まし、その結果、地域の高い関心と厚い支援を得ることができたと私は感じている。」 その週末キャンプの核心となった封鎖の実行については、オルダーマストンにはゲートがたくさんあり、危険な道路もあるため、大集団での行動には不向きであり、初めてキャンプに参加する者にとって理想的な場所とは言えないと考える人もいて、実行前は懸念が持たれていたのだった。

 6月19日、トライデント・プラウシェアと「メンウィズヒル女性平和キャンペーン(Menwith Hill Womenユs Peace Campaign)」との共同行動で、ヘレン・ジョン、アンジー・ゼルター、アン・リー(Anne Lee)の3人は、ヨークシャー州メンウィズヒルにある米国家安全保障局宇宙戦争偵察基地(U.S. National Security Agency Space-War Spy Base)の新しい警戒厳重なフェンスを乗り越えた。そのフェンスは米国の新型弾道弾迎撃ミサイルシステム(ABM)を支援するシステムを取り囲んでいるもので、3人の目的はこのフェンスを撤去することだった。3人は衛星通信エリアを取り囲む内側のフェンスを切り始めたところで逮捕された。アンジーは「弾道弾ミサイル防衛は国際的秩序全体を脅かしています。たとえ、トライデントが明日なくなったとしても、彼らはまだ宇宙に核兵器を持とうと計画しています」と述べた。3日後、「ウォーカーズ・フォー・ピース(Walkers For Peace:平和のために歩く人々)」の一団が400マイル(644キロ)先のファスレーンを目指してオルダーマストンを出発した。このグループはおもに日本山妙法寺の僧侶や尼僧からなっていた。妙法寺は平和運動に力を注いでいる小さな仏教寺である。次の木曜日、ヘレン・ハリスは罰金と重い賠償命令を拒否し、7日間刑務所に送られた。この時点で、トライデント・プラウシェアの活動家が刑務所で過ごした日数はのべ700日に達していた。

 8月に予定されているクールポートでの3回目のキャンプと8月1日のファスレーンの封鎖について、着々と準備が進められていた。私達はこれらのイベントに関する7月の新聞発表で、英国が高等裁判所におけるディエゴ・ガルシア島民達との裁判で抗弁していることを指摘した。1960年代における英米間の裏切り行為的ポラリス協定の結果、島民たちは島から立ち退かされていた。都合のよいときだけ国際法を認めるやり方は英国政府の長い伝統だった。私達は封鎖の準備段階でストラスクライド警察署長ジョン・オール(John Orr)に公開書簡を送り、私達を逮捕したり、現場から無理やり立ち退かせたりしないように要請した。これを端緒として、オールは私達と興味深い往復文書のやりとりを始め、合法性の問題について少なくともある点までは進んで話し合おうとする意思を示した。グリーノック判決は依然としてインパクトをもっていた。

 8月1日、平和行進をしてきた30人の到着を皮切りに封鎖が始まった。彼らはトライデントの核弾頭が作られているオルダーマストンを6月26日に出発して以来ずっと歩き続けていた。僧侶や尼僧を先頭に、彼らはまっすぐゲートまで行って、持ってきた何千羽もの折鶴をゲートにかけようとし、拒否された。活動家達は短い儀式を行ってから、座り込んでお互いに手を組み、入り口を封鎖した。警察が警告を発したのち出動し、彼らを逮捕、告発した。リーズのハロルド・ベスト(Harold Best)議員とスコットランドの作家A.L.ケネディ(Kennedy)がその場で支援と励ましを送った。皮肉だったのは、オルダーマストンからクライドバンク(Clydebank)への平和行進中にウエスト・ダンバートンシャー(West Dumbartonshire)議会から暖かい歓迎を受け、注目を集めた女性達の多くが、封鎖時の逮捕で今度は同じ町の刑務所にいるという結果になったことである。メディアの報道は好意的で、出動した警察が封鎖する集団を引き離そうとしているなかでウェールズのレイ・デーヴィス(Ray Davies)が口を開けて苦悶に満ちた表情をしている写真が掲載された。実際はレイは歌っていただけだったのだが。もう一枚のいい写真はフージー(Hoosey)とティーポット(Teapot)が南ゲートの三脚状の櫓のてっぺんにいる光景を写したもので、これはそこらじゅうに掲載されていた。彼らが自主的に下りてくるまで、南ゲートは7時間以上閉鎖されていた。A.L.ケネディがその場にいたことによって新たな賛同者が増えたことは明らかで、数日間のうちに、私達はスコットランドの彫刻家ジョージ・ワイリー(George Wylie)からの訪問を受けた。彼は全面的な支援を約束してくれた。

 クールポートのキャンプは、ジェニー・ガイアウィンが罰金の支払いを拒否したためにコーントンベールへ送られたのと同時に始まった。その後の数週間はほんとうに様々な活動が行われた。クールポートでのShift To Peace Work(平和な仕事への転換)活動、いくつかの封鎖、平和のための落書き、クールポートの立ち入り禁止区域内へのゴムボートによる侵入、山ほどのフェンス切断(特にSponsored Fence Cut〔資金提供者のいるフェンス切断〕での)等々。活動のハイライトは今回も、トライデントへの遊泳であった。8月6日、ウラ・ローダーとマーカス・アームストロングは基地の重要警戒区域に泳いで侵入し、ブームを通り抜けてシップリフトまで行き、トライデントから数メートルのところに迫ったとき、偶然発見されて逮捕された。そのとき防犯警報が鳴った。この広島の日、私達はファスレーンに集合して長い感動的なセレモニーを行い、核犯罪に対する怒りから希望とエンパワーメントへの感情の移り変わりを経験した。これらのすべてが巨大な女性像に象徴的に表されていた。ロング湖の湖畔で行われたその夜のセレモニーは水辺での仏教式典で始まった。用意していた灯篭が岸に向かって吹き寄せられる危険があったので、私達は国防省海兵隊の部隊の助けを求めた。数人の活動家が灯篭を高く掲げてゴムボートのところまで歩いて行き、それを水兵たちが非常に紳士的かつ友好的にボートに乗せた。2週間の逮捕件数は計161件にのぼった。2回以上逮捕された活動家もいた。そのなかの最高はマーカス・アームストロングで、7回逮捕されていた。今回のイベントは1つの行動キャンプであったと同時に、以前から参加していた者にも、今回始めて参加した者にも、さまざまな機会を提供した。このイベントを機に、参加者たちは自分のビジョンと目標を新たにし、色々な領域にわたる技術_裁判に関すること、非暴力の原理と実行方法、通信方法、ボートの扱い方など_を学び、将来への戦略をじっくり考えた。キャンプがちょうど終わった時、クレブ・ドラゴンライダー(Kreb Dragonrider)が再拘留となってグリーノック刑務所に送られた。彼は前回の裁判に出廷せず、保釈条件にも違反していたのだった。9月4日、事務弁護士リズ・ロス(Liz Ross)の上手な弁護にもかかわらず、彼は不運にも、ヘレンズバラ地方裁判所でフレーザー・ギリーズ(Fraser Gillies)治安判事から合計850ポンド(約152,000円)にのぼる罰金の判決を受けた。その裁判所の欺瞞に対する私達の忍耐は限界に達した。9月11日、シルビア・ボイズは前夏ファスレーンに泳いで侵入した件とクールポートでバスに自分の体を固定した件に関して裁判に出廷した。そのとき彼女は、判事達にふさわしいやり方で不敬の意を表した。シルビアは自分はクエーカー教徒として常に真実を語ると述べ、証人席から証言することを拒否したのだった。マックファイル(McPhail)治安判事は彼女の力強い要約を根気よく聞いていたが、自分はトライデントの合法性を審判するためにここにいるのではない、と述べた。シルビアは100ポンド(約18,000円)の罰金を言い渡された。しかし、それを支払うつもりはなく、まだ支払っていない罰金のすべてに関する問題が裁かれるまで法廷に残る、と述べた。裁判は次の事件に移り、ロジャー・フランクリン(Roger Franklin)がシルビアの隣の被告席に座った。ロジャーの裁判に休廷が告げられたが、シルビアはまだ座ったままだった。治安判事は書類をかき集め、シルビアと4人の支援者たちが起立の指示に従わなかったことを無視して、事務官と地方検察官とともに足早に退出していった。

 同日、レイチェル・ウェナムとロージー・ジェームズの公判がマンチェスター刑事裁判所で始まった。英国軍艦ベンジェンスを非武器化しようとしたレイチェルとロージーを原潜から連れ去るとき同行した海軍の技士が証言し、非武器化行動によってベンジェンスの出航が遅れたことを認めた。公判2日目、別の検察側の証人が出廷し、ロージーとレイチェルによって非武器化された装置に取って代わる検査装置がなかったため、ベンジェンスはレーダー監視システムが正常に作動しているかどうか分からないまま出航した、と証言した。次にロージーが、直接行動が成果を生み出す唯一の方法であると実感していることを感動的に述べた。14日の公判ではレイチェルが証言し、汚物だらけのバロードックにおける恐怖の遊泳について語った。レイチェルがドイツの裁判官ウルフ・パンツァーらが行ったドイツ国内のパーシング・ミサイル基地の封鎖について述べると、判事は明らかに驚き、自分にもウェットスーツが必要かもしれない、と言って皆を笑わせた。15日、弁護側の専門家証人3名が出廷した。アンジー・ゼルターは、すべての通常の方法による道が閉ざされたときは直接行動が必要であると述べた。ポール・ロジャース教授は、トライデント艦隊が与える脅威がいかに現在の英国の防衛戦略の基本になっているかを説明した。アクロニム・インスティテュートのレベッカ・ジョンソンは、被告たちが非武器化を行ったとき、国際的緊張の高まりのなかで核の脅威がいかに機能していたかについて述べた。判事は、トライデントの脅威または使用は現行のイングランドの法律に違反しておらず、弁護側の抗弁のうちでそのことを根拠にした部分は陪審に付することができない、と裁定した。レイチェルは事件要点の説示(訳者註:判事が陪審員に与える)の前に、法廷弁護士の手をわずらわせることなく、陪審団に向かって、ニュルンベルク原則に従ってそれぞれの良心に従うよう訴えた。ロージーとレイチェルは、前年バローでトライデント原潜である英国軍艦ベンジェンスに平和のスローガンをスプレーで書いたという犯罪的破壊行為に関して、無罪の評決を得た。陪審はさらに長時間を費やしたが、司令塔の試験装置の損壊という第一の訴因については評決に達することができず、「不一致陪審」となった。ロージーとレイチェルがスプレーでスローガンを書いたことを一度も否定しなかったという事実に照らすと、陪審は彼女達の抗弁が正当であると決定した、ということになるだろう。これは非常に大きな成果であった。この裁判は陪審員達にとって明らかに深刻なジレンマの種となった。「フェローAWTT(Fellow AWTT:オルダーマストン女性トライデント廃棄組織の仲間)」のメンバーであるヘレン・ハリスは次のように語った。「おそらく、その裁判で最も良かった部分は審問である。検察側証人の用心深い陳述から、今回の活動がほんとうに効果を上げた_つまり、英国核艦隊の4分の1にあたる部分の配備が一定期間、おそらく、数週間か数か月間遅れた、ということが明らかになったのである」 検察側は時間を相当引き延ばした末に、来年の再審を通知した。これは、犯罪を防ぎ法律を支え守るための告発の法的手続きが2年以上かかることを意味している。法的手続きの著しい乱用である。

 10月4日も、ヘレンズバラ地方裁判所での長い1日の1つとなった。トライデント・プラウシェア関連の事件24件が審議され、6件の公判が開かれる予定になっていた。しかし、結局これらの裁判は1件も行われず、私達は今回も、来年まで延期するという審議持ち越しの合唱に服することになった。午後遅く閉廷したが、私達の1日はまだ終わっていなかった。せっかく遠くからやってきたのに、この機会を無駄にするわけにはいかない。私達のうち12人ほどがクールポートを目指して西へ向かい、フェンスに手をかけた。7人が逮捕された。全員が数時間で釈放された。この話は翌朝、スコットランドのテレビの定時ニュースで、ガレ湖(Gareloch)に停泊中のトライデント原潜の資料写真とともに放映された。

 ギムブレット裁定に関する法務総裁の事件付託の審問は予定されていた通り10月9日に始まった。国側とレスポンデント(被告)と呼ばれる当事者側_この場合はアンジーとウラとエレン_がそれぞれ、3人の最高法院判事の前で主張を述べることになっている。これは実質的に、ギムブレット判決に対する国側の裏口からの上告である。これによって3人の無罪が覆ることはないが、否定的な結論が出されれば、3人を有罪とすべきであったという示唆をもたらすことになるのは明らかだ。3人のレスポンデントは全員、人権条約から発生する争点(付託されるべき争点と呼ばれる)を提起しており、その1つは、この手続きは被告の再審に等しいとの主張である。しかし、犯罪の真の源、すなわち、トライデントそれ自体についても議論されつつある。裁判長のプロッサー(Prosser)卿と判事団がこの裁判に入れ込んでいることは明らかだ。彼らは法務総裁の4つの質問だけでなく、関連性のある争点のすべてを検討するつもりだとの意思を示している。国側とレスポンデント側はそれぞれ2巡ずつ発言することになっている。サイモン・ディ・ロロ(Simon Di Rollo)が検察側の口火を切った。彼の主張の核心は、英国はトライデントの配備によって慣習的国際法のどの規定にも違反していることはなく、トライデントの使用は現在も脅威ではないし、これまでも脅威であったことはない、というものである。興味深いことに、彼は1996年に出されたICJの勧告的意見のかなりの部分を読み上げた。

 次はアンジーが自分自身の代理として発言した。アンジーは発言者のなかで唯一のしろうとだった。この手続きは、無実の人々が殺されるのを防ごうとする権利が一般市民にあるか否かという問題に関係している、とアンジーは述べた。検察側はアンジーとウラとエレンが単に反対運動あるいは抵抗運動をしていただけだと主張したが、アンジーはこれに強く異議を唱えた。アンジー達は戦争犯罪への準備を阻止しようと行動してきたのだ。市民はこれまで何度も司法制度を通じてこの犯罪性が問われるよう試みてきた。しかし、犯罪訴追手続きは一度も行われたことがなかった_「イングランドとスコットランドの刑事訴追当局は厳しく責任を追及されるべきである」 そして、アンジーは次のような言葉で締めくくった。「法務総裁の事件付託の結果がどう出ようとも、核犯罪を防止するための行動は続くでしょう。しかし、裁判所が賢明で勇気を持っているならば、グリーノック裁判から明らかになった根底に潜む問題、すなわち、トライデントの違法性というきわめて重大な問題と、いかにしてトライデントをスコットランドから撤去するかという問題にも正面から取り組もうとするでしょう」 法廷で着席している私達は、スコットランドで最高位の法廷において、じっと聞いている裁判官達と騒がしい傍聴人達の目の前で、トライデントの合法性がついに崩れ始めたことを夢のように思い、自分達の頬をつねった。

 次にジェリー・モニハン(Gerry Moynihan)勅撰弁護士が発言した。彼は、ICJの判事達が核兵器の包括的禁止を求めていない唯一の理由を説明した。それは、海上での船舶に対する、または砂漠の孤立した軍事目標に対する低爆発力兵器の使用に限って合法的な核兵器の使用もありうる、とICJ判事の一部が考えているということである。この条件付けは、もちろん、明らかに違法なトライデントにはあてはまらない。また、グリーノックでウラの弁護に成功したジョン・メイヤー弁護士が今回もウラの代理人として出廷し、「照準をセットし、いつでも発射できる態勢になっている100キロトンの核弾頭を装備したトライデント原潜の艦隊を、『ただ所有しているだけ』などということはありえない」と述べた。核兵器を配備しているということは、それを戦争で直ちに使えるようにしてあるということだ。

 10月13日金曜日、審問は延期され、10月14日に再開されることになった。金曜の夜、エジンバラ市議会(非核地帯議会)はトライデント・プラウシェアのために市民レセプションを開いてくれた。レセプションの前に支庁舎で英国世界法廷プロジェクト(World CourTProject UK)が企画したセミナーが開かれ、アンジーとオスロ大学のステイル・エスケランド(Stale Eskeland)が短いスピーチを行った。アンジーは、変化をもたらすことができるのは普通の人々の行動と圧力だけである、と述べた。ステイルは、ある程度楽観できる余裕はあるものの、私達はこれからも「冷静な頭脳と暖かい心を持って懸命に努力する」必要があるだろう、と述べた。市の中心にある聖アウグスティヌス合同教会(St. Augustineユs United Church)は仕事場と宿泊所を提供してくれるという実用的で心のこもった方法で私達を歓迎してくれた。おかげで私達はいつでも市議会広場に行くことができた。ときどき、片手にトライデント・ミサイルを、もう一方の手に病院や学校のような建設的なものを持った白衣の背の高い正義の女神像も同行した。女神は最高法院の灰色の建物を悲しそうにずっと見つめていた。

 エジンバラ高裁で付託された争点についてハイレベルの審理が行われていたのに対し、ヘレンズバラ地方裁判所ではまだまぬけな裁判が続けられていた。10月23日、ジェイン・タレンツは1999年8月の直接的封鎖行動に関して300ポンド(約54,000円)の罰金を課せられた。2日後、マリリン・クローサー(Marilyn Croser)とジョイ・ミッチェル(Joy Mitchell)が、2月の「クライム・バスターズ(Crimebusters:犯罪始末人)」による封鎖で果たした役割に対してそれぞれ50ポンド(約9,000円)の罰金を課せられた。同日朝、「ファスレーン・ピース・キャンパーズ(Faslane Peace Campers:ファスレーン平和キャンパーズ)」のマルジャン・ウィレムセンとファンガスは法廷に出廷して前回の反トライデント行動に対する罰金をまだ支払っていない理由を説明することになっていた。2人は裁判所に行く代わりにファスレーン海軍基地に行って、外辺部のフェンスに穴をあけて侵入し、基地内の船積み用停泊場所の1つにある照明用支柱に登り、「トライデント原潜は世界を脅かす」と書いた垂れ幕を下げた。国防省によって拘留された2人は正午に釈放され、午後の公判に出廷した。ファンガスはもう1週間支払いを待つとされ、マルジャンはすぐに刑務所に送られて、そこで7日間を過ごした。マルジャンは金曜日に釈放されたのち、活動の続きを行うためにまっすぐファスレーンに戻った。

謝辞

 この部分はデビッド・マッケンジー(David MacKenzie)が執筆した。

 この章で使われた写真を提供してくれたすべての人々に感謝する。写真を撮った人の数があまりに多く、その大部分が無名の方なので、最も平等な方法として、すべての写真にクレジットタイトルをつけないという方法をとることにした!

5章 トライデント潜水艦非武器化の実際

5.1 トライデント潜水艦、ファスレーン(Faslane)、クールポート(Coulport)についての背景説明

 1970年代半ばから後半にかけて、英国政府は秘密裏でポラリス艦隊の交替を決定した。このことが英国製核弾頭を装備した米国製のトライデント・ミサイルを搭載する4隻の潜水艦を建造する決定につながった。こうして英国のトライデント潜水艦発射型核ミサイルプログラムは、設計、開発、配備にいたるまで米国政府に幇助されることになった。

 米国はトライデント・ミサイル用の核弾頭を英国に直接提供するようなことこそしていないが、設計、開発及び製造に関する情報や材料と技術の提供といったすべてをディスカッショングループを通して行っている。すべての英国の核兵器はほとんど完全に米国の技術と支援に頼っている。英国政府のトライデント関連概算費用の約30%は米国内で使われている。

 英国のトライデント・ミサイルは米国の中央ミサイル貯蔵庫からリースされていて、ミサイルの点検や補修は米国で実施される。

 米国は以下のものも提供している。

 潜水艦の加圧水型原子炉は点検なしで7年間運転できるように設計されている。この原子炉の原型炉は英国軍艦バルカン(HMS Vulcan)に装備されており、ドーンリー(Dounreay)のすぐ近くに配備されている。

 トライデントは英国の核戦争能力を飛躍的に向上させた。以前のポラリス/シェバライン(Polaris/Chevaline)システムは、ミサイルに核弾頭をいくつ搭載していようと1つのミサイルで1標的しか攻撃できなかった。それに対してトライデントの核弾頭は独立した標的機能を持っている。

ファスレーンとクールポートの地図
全体図 ファスレーン詳細 クールポート詳細

 英国のトライデント潜水艦の仕様

 全長 491フィート(149.7m)

 船体直径  43.3フィート(13.2m)

 高さ 4階建

 排水量   16000トン(水中)

 速度 25ノット(水中)

 動力炉 PWR2 加圧水型原子炉1基

 ギヤード蒸気タービン/1軸

 乗員 132人

 装備 スピアフィッシュ(Spearfish)魚雷発射管4門、トライデントII D-5 潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)16基、最大で48(Mk-4/100キロトン[kt])の個別誘導複数目標弾頭(MIRV)を搭載

  

  

 トライデントII D5ミサイルの仕様

 全長 44.6フィート(13.6m)

 直径 83インチ(2.11m)

 発射重量 130000ポンド(48490kg)

 重量    130000ポンド以上

 段数    3段式+

 ポストブースト

 制御システム

 射程   4000海里(7408km)以上

 誘導装置  発射前に潜水艦の位置を更新するナブスター全地球位置把握システム(NAVSTAR GPS)付恒星照準参照誘導

 精度 円形公算誤差(CEP)400-500フィート(121.9-152.4m)

 最大弾頭装荷 8 Mark-5/W-88,475kt, MIRV

 12 Mark-4/W-76, 100kt,

 MIRV

 ポラリス潜水艦とトライデント潜水艦の比較

 潜水艦数 核弾頭  潜水艦 3隻の潜水艦 潜水艦  射程  精度

             当りの  当りの の合計の最大 当りの   (km)  (m)

 威力   核弾頭 核弾頭数   最大標的

             (kt) 数          数

 ポラリス 4 200 32 96 16 4700 900

 トライデント 4 100 48 144 48 7400 120

  

 トライデントに搭載されたすべての核弾頭は別々の標的を破壊できる。また、トライデントはより長い射程をもち、より正確で、標的をより短い時間で破壊できる。

 英国の4隻のトライデント潜水艦はバンガード(HMS Vanguard)(最初のパトロール:1994年12月13日)、ヴィクトリアス(HMS Victorious)(最初のパトロール:1996年1月7日)、ヴィジラント(HMS Vigilant)(最初のパトロール:1997年)、ベンジャンス(HMS Vengeance)(最初のパトロール:2001年の初期に予定)である。

 英国のトライデント潜水艦は、スコットランドのファスレーンにあるクライド(Clyde)潜水艦基地を母港にしている。ここで、パトロールが終わる度に定期的な整備を実施する。英国海軍武器本部 クールポート(RNAD Coulport)は核弾頭を管理している。通常144個の核弾頭が潜水艦に搭載されているが、それ以外に30_50の核弾頭がRNADクールポートに保管されている。クールポートでは、核弾頭を検査し基本的な整備作業を実施する。少数の核弾頭がそれぞれの潜水艦から取り出されクールポートのものと入れ替えられることが時々あり、その作業はクールポートで実施される。トライデント・ミサイルも取り外されることがあり、最大で16基のミサイルを貯蔵するための貯蔵庫が地上にある。しかし、通常、ミサイルはいつも潜水艦上にある。ミサイルは、米国ジョージア州のキングスベイにある米海軍基地で装填され、取り外される。クールポートは魚雷の貯蔵、装荷、取り出し港でもある。

 英国のトライデント・ミサイルはキングスベイで保守点検される。英国のミサイルは米国のミサイルと一緒に番号付けられ、貯蔵され、英国の潜水艦に配備されるまで英国に割り当てられない。通常7年間ミサイルは潜水艦上にある。しかし、RNADクールポートにも緊急時のミサイル取り外し能力はある。ゴスポート(Gosport)にある海軍潜水艦博物館は訪問する価値がある場所である。トライデント潜水艦はないが、古い潜水艦が展示されていて、潜水艦がどんなものかがわかる。それらは、電気系統や搭載兵器等に小規模の変更があるが、基本的な構造はすべて同じである。住所は、The Royal Sub Museum, Haslar Jetty Rd, Gosport, Hampshire, PO122AS Tel:01705-529217

5.2 トライデント潜水艦を安全に非武器化する方法

 一般常識を働かせ、よく考え、議論し、ロールプレイを行うことである。非武器化を行うために潜水艦や道路や鉄塔に特定の時間に集合することよりも、平和的で愛に満ちた責任ある行動をとることのほうが大事であるということを忘れてはならない。大事なのは意思と献身である。つまり、平和的に非武器化する意思と私達の活動に参加し続ける献身が大事である。この完全な献身のために、警察当局は私達を手荒く扱えない。当局が出来ることは、私達をただ逮捕することだけだ。しかし逮捕されても非武器化行動を繰り返す私達を止めさせるには刑務所に入れるしかない。平和的で責任ある行動であればあるほど、人々に参加してみたいという気持ちを起こさせる。そして何百、何千もの人が参加すれば、廃絶への可能性が大きくなるのである。

 当局がトライデント・プラウシュア運動の広がりを止めるための最も簡単な方法は、私達が暴力的でテロ活動を行うと世間に印象付けることである。だから、私達の行動がその様に解釈されないように注意を払う必要がある。もちろん、私達は不誠実な中傷とは戦わなければならないが、私達の活動が誠実でオープンであればこの手の中傷は長くは続かないだろう。

5.2.1 一般的注意事項

 緊急車両 

 基地内における救急車や消防車の通行妨害にならないように、障害物がすぐに取り除け、道路に掘った溝に橋を渡せるようにしておくこと。

 レーザーワイヤー(蛇腹形鉄条網) 

 これはとても鋭く、思わぬ怪我をする。切断すると跳ね返ってくることがあるので、跳ね返りを考慮にいれ、空間的余裕を十分もって切断する必要がある。つないである所まで行って、そこに繋がっているすべてのレーザーワイヤーを切断するのが賢明である。ふつうは3メートルの鉄格子のうえにレーザーワイヤーのコイルがある。さらに鉄格子の内側には3つのコイル(3つ以上の場合もある)が積み上げられている。コイルを切断せずに丈夫なカーペットをコイルの上に敷いて乗り越えてもよい。その場合は最もコイルの密度が高く、硬い箇所を選ぶとよい。怪我に備えて救急箱を持っていくこと。夜間の切断には懐中電灯が必要である。フェンスが何重にもあるので、ひとつのエリアをどうにか乗り切っても別のエリアで同様の作業が必要となる。

 犬 

 犬の近くには大抵調教師がおり犬は十分に訓練されている。犬が休めの命令を受けるまでじっとしていること。通常犬が放たれる前には警告がある。犬は逃げる人を追う。犬は隠れている人を見つけるのにも用いられるし、起伏が多くて見通しの悪いところを探すのにも使われる。犬が放たれている可能性のあるときは落ち着いて、動かずに静かにしていることである。

 銃 

 私達が知る限りでは、国防省警察で銃を携帯しているのはゲートにいる警官だけである。しかし、武装した海軍警備隊がすべての厳戒警備エリア(核弾頭貯蔵庫、潜水艦停泊地)を見張っている。彼らに呼び止められた場合は、身元を明らかにし抗議行動を行っているが武器は持っていないことを説明する。泳いで潜水艦上に到達したファスレーン・ピース・キャンパーが海兵隊員の肩をたたき、「こんちは、ピースキャンプのものだけど」と言った時その海兵隊員はショックで気を失いかけた。海兵隊員は、あなたが彼に会って感じたのと同じくらいの興奮状態に陥ってもおかしくない。厳戒警備エリアでは不審者は撃ち殺すという方針をとっていると考えておいたほうがよい。私達は、彼らがどんな命令下で行動しているかは知らないが、もし見つかったらじっとして、手を広げて武器を持っていないことを示し、危害を加えるつもりのないことを見せなくてはならない。冷静に落ち着いて話をし、危害を加えないと説明する。実際にはもう何年も、武装していない平和活動家が厳戒警備エリアという非常に厳しい状況下で武装警備隊に発見されても撃たれてはいない。これは、非合法で非人道的な大量殺戮兵器に反対している武装していない平和活動家が撃たれると政治的に非常に困った事態に陥ることになるからだ。覚えておいて欲しいのは、警備隊はとても緊張している可能性があり、いつ何時拳銃を使うかもしれないということだ。だからこそ、あなたが危害を加えないということを彼らにはっきり分からせなくてはならないのである。置かれている状況を敏感に感じとらなくてはならない。活動家が撃たれて欲しくないし、警備隊にも活動家を撃ったという良心のとがめを味わわせたくはないのである。

 崖 

 クールポートはとても大きな基地でその大部分は明かりの無い険しい斜面の中腹にある。急峻な崖と峡谷があるので、自分がどこに向かっているか分からなければ走ってはいけない。

 水 

 クライドの海水は一年中冷たいのでそれに適した服装が必要だ。波も高く潮の流れも在る。天候が急速に変化することも忘れてはならない。その地域のことをよく知っている人に話を聞くことである(ピースキャンプ又はスコットランドCNDオフィスに連絡するとよい)。ボートで海に繰り出す前に潮汐表や地図を勉強しておくこと。警官や海兵隊が様々な大型高速ボートで警備をしており、ボートやカヌーで侵入した場合、彼らは躊躇することなくそれらを転覆させて阻止するが、その後で救助もしてくれる。泳いで侵入した場合は阻止され引き上げられる。あっという間に警官は数十隻のボートを出動させることが出来る。トライデントの周りには8隻の特別な警備船と武装警備兵がいる。ファスレーンとクールポートには13のミサイル発射台とたくさんのゴムボートがある。私達が彼らに警告を与えると、かれらは簡単に援護を呼べる。夜間、警備船は無灯火ですばやく走り回っている。タグボートや他の船も走っている。武装した海兵隊は潜水艦のドックやその周辺をパトロールしている。

 トライデント潜水艦の典型的な警備は、2隻の大きなタグボート、2、3隻の警察のランチ(そのうちの1隻が一団を青色の点滅灯で先行している)、6隻のゴムボート(武装兵が乗船していて、潜水艦の片側に3隻ずつ、ピッタリくっついて走っている)で構成されている。たくさんの潜水夫が乗っていて、平和活動家を近づけないようにしているが、クールポートでの海上行動も含めた最近の英国海軍の防衛セキュリティ訓練では、セキュリティが完全に破られた。攻撃側が8隻の高速艇を使って、ポラリス桟橋やトライデント爆発物取り扱い桟橋に人を侵入させた。グリーンピース(Greenpeace)も4隻のボートを用いて、英国軍艦リベンジ(HMS Revenge)に侵入した。基地の海岸付近の立ち入り制限区域を示す地図が欲しい人はコアグループかファスレーンピースキャンプ(Faslane Peace Camp)に連絡するとよい。

 水を吸引するためのポンプジェット(インターナルプロペラー)が潜水艦の横にある。水を吸引しているこのエリアには近づかないこと。また、動いている艦船の周りは小さな物を吸い込むので気を付けなければならない。国防省の警官が、夜間にトライデント潜水艦の前で高速でボートを操作していて命を落とした。

 クライドの海上行動(Clyde Sea Action)はゲール湖(Gare loch)の入り口を拡大した1986年に始まった。そのときの海軍の海上行動に対する反応はいささか大変なものだった。船を衝突させたり転覆させたりすることがあった。しかし、関係は改善してきており、このようなことは少なくなってきている。「国防省の反応のレベルは引き起こされた厄介さに比例する」といえるだろう。もしあなたが多くのトレーニングを積んだ潜水夫の裏を書くならば、彼らの反応は手荒いものになるだろう。

 ウェットスーツを着ると活動家であることが外からは見分けにくくなる。時々基地では強力な花火が水中に投げ込まれて訓練が始まることがある。それは泳いでいる活動家を失神させるほど強力だが、数人の活動家は何とか泳ぎきり潜水艦への侵入に成功している。防護的なウェットスーツを着ることは寒さからあなたを守るだけではなく、クラゲの針からもあなたを守ることにもなる。1998、1999、2000年の8月の非武器化キャンプにおいて、活動家は夜間に湖を泳いで横切り、浮きブームを潜り抜けてトライデントが止まっている数ヤード近くまで接近した。

 基地内への侵入の仕方はいくつもある。金網をすり抜けるだけでなく、乗り越えたり、穴を掘ってくぐり抜けたり、迂回したりも出来る。海や地上や空からも侵入できる。気球、パラシュート、ハングライダー、カヌー、いかだ、ダイビング、自転車、竹馬、変装、古い車など色々な道具を利用して侵入できる。

 原子炉と核弾頭 

 トライデント潜水艦は水上の原子炉である。訳の分からぬまま装置を破壊すると原子炉の安全な運転に影響を与える。中央制御室のいくつかの装置は原子炉の運転に関係している。原子炉が設置されている場所、核弾頭がある場所、ミサイルがある場所、ミサイルを制御するコンピューターのある場所、核弾頭が貯蔵されている場所には侵入してはならない。潜水艦上では、それらの場所は展望塔後部の潜水艦の長い部分にある。しかし、前部には魚雷があり、そこも問題の場所だ。潜水艦内全体にわたって原子炉の安全にかかわる装置がある。トライデント潜水艦での火災は大きな災害に繋がる一大事なので、電気系統に手を触れてはならない。ドック側から潜水艦に繋がっているパイプやケーブルには手を触れてはならない。それは原子炉の緊急バックアップシステムと関係しているかもしれない。ちょっと写真を見ただけでも、どんなにたくさんのケーブルやワイヤーが在るかがわかる。トライデント・ミサイルはそれぞれ核弾頭に加えて、50トンの高性能爆薬とロケット燃料を積んでいる。第三段目ロケット付近には核弾頭がある。そこはロケット燃料を積んでいて誤爆しやすい。

 スピアフィッシュ(Spearfish)魚雷はオットー(Otto)燃料を推進源としていて、その燃料は有害で爆発する危険がある。この魚雷の初期の試験では少なくとも1回の致命的な事故があった。誤爆は以前使われていた他の古いタイプの魚雷よりもスピアフィッシュで起こり易い。

 潜水艦の外郭は水中の高圧に耐えられるように設計されているので、ハンマーで叩いても安全である。けれども、ミサイル発射管や原子炉があるあたりのところは叩いてはいけない。しかし粘着性のある物質やペンキを表面に塗るのは安全である。

 絶対に安全でなければならないし、自分が何をしようとしているのか分かっていなくてはならない。もし分からなければ行動を起こしてはいけない。

何のために用いられるのか分からない装置があったら、手を触れてはならない。潜水艦の前部、つまり展望塔の前の短い部分は原子炉や核ミサイルから離れているので、叩いたり、穴をあけたり切断したりするのに最も安全な箇所だ。「非公開の」または「予告なしの」行動であってもきちんと説明責任は果たさなければならない。私達が行っているのは妨害行為ではなく、よく考えられた非武器化行動なのである。私達は行動の結果についてよろこんで説明するし、行動の理由についても説明する。「非公開」行動の場合は、私達の出現を警備隊員が予期していないので、警備隊員からの暴力を受ける危険がある。だから、あなたの突然の出現が誰にも恐怖を与えないような平和的なものであるように心がけること。

5.2.2 非武器化へのアイデア

 非暴力と安全という基本原則さえ守れば、何をどう非武器化するかはそれぞれのアフィニティ・グループに任される。あなたのグループ全体が安全であると感じることやできることをすること。

 トライデント潜水艦の中

 一般的なアイデアは、ミサイル発射コードが保管されている金庫の錠を強力瞬間接着剤で糊付けすることだ。または、制御室、寝台室、トイレ、台所、その他(英国軍艦ヴィクトリアスの図中で示された)行くべきではないエリアをのぞいた場所で潜水艦の中に篭城することだ。活動家を乗せたままでは潜水艦は航海には出られない。水漏れを起こさせるために内側から外側への穴をあける。潜望鏡や通信制御機器を見つけてそれらが機能しないようにする。ドアがしっかり閉まらないようにする。


[左部分の拡大] [右部分の拡大]


[左部分の拡大] [右部分の拡大]

 トライデント潜水艦ヴィクトリアス(HMS Victorious)のエリアごとに番号のついた図を参照のこと。

 次のエリアには近づかないように。

 エリア11 _原子炉

 エリア16 _トライデント・ミサイル発射管

 エリア20 _ディーゼル発電機(これは原子炉の安全のため絶対必要)

 エリア27 _魚雷保管場所

 エリア18 (ミサイル制御センター)でも注意しなければならない。潜水艦内のミサイルの安全性を制御するための装置がここにはある。この部屋の装置の破損はミサイルに影響を与える。しかし、シロップ、絵の具、ジャム、のりをぶちまけることは安全で効果的だ。また、エリア33には魚雷があるかもしれないので気を付けなければならない。エリア10でもエンジンの制御をおこなっており、原子炉の制御に関係があるかもしれないので気を付けること。

 あらゆる非暴力的な方法でトライデントを非武器化させることが出来る重要なエリアは以下である。

 エリア3と4

 舵取り装置とクラッチ。他の乗り物と同じように、操縦系やギアにダメージを与えれば、遠くまでいけなくなる。

 エリア13

 蒸発気と蒸留器

 ここでは新鮮な水、新鮮な空気が作られる。これを使い物にならなくすれば、潜水艦は何処にもいけない。

 エリア17

 航行センター

 このエリアは説明する必要も無い。同様なことがエリア21とエリア29にも当てはまる。

 エリア21

 主制御室

 この部屋は潜水艦の中枢ですべての装置をここで動かしている。コンピューターの上に物質をこぼすと電子制御系統に支障をきたし一大事になるので非常に効果的である。しかし原子炉の制御系には手を触れてはならない。

 エリア28

 ハイドロプレーン(水平舵)

 このエリアは潜水艦が上昇するか下降するかを制御している。この部屋での非武器化行動はトライデント搭載潜水艦を航行不可能にする。

 エリア29

 操縦室

 主制御室と同様に、ここも潜水艦にとって重要な場所だ。ここで潜水艦への攻撃の程度が割り出され、対処される。ここにも潜水艦を航行不可能にする電気系統はたくさんあるが、原子炉制御系には手を出してはならない。

 トライデント潜水艦の外側

 入り口やフラップをハンマーで叩く。前方にあるソナー群をハンマーで叩く。潜水艦の後ろについている曳航ソナー(牽引用アレイ)を壊す。曳航ソナーは停泊している潜水艦の近くにあり、僅かに水没している。潜水艦の上に出ていることもよくある。写真では、潜水艦上に大きな糸巻きのような物体があるが、これが牽引用アレイの一部で、そこに繋がっているケーブルを切ると非常に効果的である。

 潜水艦の表面は音を吸収する遮音タイルで覆われている。このタイルのおかげで潜水艦は発見されにくいのである。これらのタイルを傷つけると音を吸収しなくなる。タイルを剥がしたり、色を塗ったり、他の物質をつけたりすると、潜水艦が敵から発見され易くなり、潜水艦は使い物にならなくなる。実際には、潜水艦はタイルが何枚か剥がれた状態で港に戻ってくるので、効果をあげるには相当な数のタイルを剥がさなくてはならない。

 展望塔の頂上には幾つかの穴や凹みがあり、必要な時にそこから電波アンテナやレーダーアンテナ、潜望鏡が上がってくる。これらの装置は通常船体内部に納めてある。これらは、メタルパンチ、ドライバー、長い金属棒などを穴や凹みに挿入し、瞬間接着剤でくっつけてしまえば損害を与えることができる。展望塔にある連絡用装置(潜望鏡やアンテナ)を切断したり、叩いたり、折り曲げたりも出来る。こうした行為はとても敏感な潜水艦の装置にダメージを与え、潜水艦の視覚を奪い、修理が完了するまで航海には出られなくなる。

 べとべとのジャム、シロップ、糖蜜、のりや他の粘着性のある物質はとても効果的だ。レーダーアンテナや潜望鏡の穴に栓をするのに使えるので、穴の中に注ぐとよい。シロップや糖蜜に砂と塩と水を加えるとジャム単品よりもっと効果的だ。コンクリートやアーク溶接は潜水艦の前方にある潜水翼で使用可能である。

 ハンターキラー潜水艦

 トライデント潜水艦に同行しているハンターキラー潜水艦は、システムの一部で、トライデント潜水艦と同様のやり方で非武器化できる。現在(2001年1月)、12のトラファルガー級とスイフトシュア級潜水艦の内6つの戦艦が英国軍艦タイヤレス(HMS Tireless)と同様の冷却機関の問題や、システム破損の問題で危機的状況にある。タイヤレスは、ほとんど原子炉の炉心溶解に近い事故を起こした後、ジブラルタル(Gibraltar)の緊急(Z)停泊所で修理が行われている。

 トライデント潜水艦を港に引き入れるタグボートや警察の警備船も非武器化の必要があるかもしれない。

 1998年3月、4人のトライデント・プラウシュアの女性が8月に行う非武器化キャンペーンのための事前調査でクールポートを訪れた際に、ドックでキーが差し込まれたままの警察のボートを見つけた。彼女達は戦争犯罪捜査という理由でそれを借用した。クールポートの爆発物取り扱い桟橋を調べたあと、14マイル(22.5キロ)離れたファスレーンまでそれに乗って行き、逮捕される前に一人を浮きブームの上に上陸させることに成功した。この事例は、チャンスさえあれば軍の道具は非武器化にとても便利であることを示しているが、危険でもある。その理由は、それが計画された行動ではいないからだ。すばやく判断をする訓練をあなたのアフィニティ・グループで行う必要がある。

 ファスレーンでの船体の引き上げ

 船を水中から引き上げるための建物があり、そこでは長さ150メートルのトライデント潜水艦をメンテナンスの為に引き上げることができる。メンテナンスはトライデント潜水艦を運転可能にするのに不可欠である。しかし、平和活動家が近くにいる場合にはメンテナンスを中断しなければならない。活動家は24メートルの高さの潜水艦に3つのレベルから近づける。のこぎりや幾つかの有効な道具を用いて、色々なクレーン、構台や他の装置に被害を与えることができる。クレーンに被害を与えれば修理作業はストップするし、物資の運び込みも止まる。ねじやボルトを外すこともできるし、傷つけ易い箇所に穴をあけることも出来る。

 アクセスルート

 ルー・ナローズ(Rhu Narrows)はファスレーンに出入りするトライデント潜水艦の狭い通路である。ルー・ナローズや他の場所を封鎖することは可能である。鉄製のケーブルで繋がれたブイと錨を水面に浮かべることが出来るし、魚用の網を張ったり、ボートをひっくり返して通行の邪魔をすることもできる。全てのボートや船の持ち主にルー・ナローズを封鎖するように呼びかけてみるのはどうだろうか。その海域には12ノットの速度制限がある。「海を埋め立てよう」と名づけた妨害行動はどうだろうか。ルー・ナローズには占拠可能な照明塔とレーダー塔もある。そうなったらトライデント潜水艦は別の誘導システムを使うだろうが。

 潜水艦の座礁は核事故に繋がる可能性があるという事実を考慮に入れて行動を起こさなければならない。原子炉冷却システムのための吸水口が潜水艦下部にあるので、原子炉の安全性を維持するために潜水艦と地面の間に間隔をあけなければならない。地面との接触も原子炉制御に影響を与える。だから、妨害物があるという警告を掲げるとともに、基地と連絡を取らなくてはならない。

 ブームの上に居座ると、潜水艦の出入りが出来なくなる。前のページにあるブームの接続を示した写真を参考にして身体を固定するとよい。海上から近づくカヌーや船を検知する赤外線装置はあるが、完全なセキュリティーシステムなど存在しない。トライデント周辺の幾つかのブームは門みたいなもので、トライデントが出入りする際に開閉する。あなたはその上に立つことも可能だし、色々な部分に居座ることも可能だし、それを通り抜けることも可能だ。大きさを調べるとよい。私達は、ブーム内の厳戒区域に3年間で20回侵入した。計画を実行する前に一度ファスレーンを訪問して計画の実行可能性をチェックしてみるとよい。

 基地の中や外で、つるはし、または前方にショベル、後方に掘削機のついた建築機器で連絡道路に穴を掘ったり、古い車でバリケードを作りその上に居座ることも効果的である。核弾頭貯蔵庫から基地に繋がる道路は生命線である。穴を掘るときには緊急車両の通行を思い出すこと。クールポートには爆薬取り扱い桟橋(Explosive Handling Jetty)に繋がる道路が2本ある。そのうちの1つは核弾頭の運搬には勾配が急すぎるが、緊急車両が通行する可能性はある。潜水艦内にはたくさんの原子炉または核弾頭があるので、核事故はいつでも起こり得る。よって、すべての緊急車両のアクセスが必要である。道路に穴を掘ったり、障害物をおくなら、緊急車両が通行する場合に備えて、すばやく安全に穴をふさいだり障害物を取り除いたりできるようきちんと計画し準備しておかなくてはならない。あなたは頻繁に行われる核弾頭の輸送や基地への物資の輸送を止めようとしているのであり、救急車や消防車のアクセスを邪魔しようとしているのではない。とてもたくさんの小規模事故があり、緊急車両は頻繁に行き交う。

5.3 オルダーマストン(Aldermaston)とバーグフィールド(Burghfield)についての背景説明

 5.3.1 AWE オルダーマストンとAWE バーグフィールドって何?

 核兵器製造保管施設(AWE: The Atomic Weapons Establishment)オルダーマストンは英国における核兵器製造の中心である。1950年代及び60年代のデモ行進から現在にいたるまで、AWEは事あるごとに反核派、環境推進派、反軍国主義派の非難の対象となってきた。特にオルダーマストンにあるAWE plc(公社)は、英国のトライデント核弾頭の製造、保守、最終的な廃棄処分までを行っている。そこは原子科学の他の分野(レーザー技術、材料試験)の発展にも寄与している。英国政府が将来トライデントの改良や交替を決定した場合に備えて、AWEは次世代の核兵器を開発(既に進行中であるとも言われている)するためのシステムをも持っている。

 オルダーマストンは英国政府の国防省に属している。しかし、1990年代初頭以来、AWEはGOCOステータス(政府が所有し契約業者が運営するステータス)を持っている。このことは、政府がその場所を所有しているが、民間会社が日々の運営を行い、利益をあげていることを意味する。このステータスは、AWE バーグフィールドにも適用されている。バーグフィールドはオルダーマストンの兄弟サイトで、7マイル(11.3キロ)離れたところに位置する。バーグフィールドでは、高性能爆薬(起爆に必要)が核弾頭に装填される(また、点検や解体のために取り外される)。バーグフィールドは核弾頭輸送車両(グリーン:greens)がときどき立ち寄るところでもある(核弾頭を配備する為に、収集または配送するときに突然立ち寄る)。「グリーン」がオルダーマストンに直接来ることはないが、オルダーマストンは特別核物質輸送車両(ブルー:Blues)の基地という特別な立場を与えられている。これらの小さいトラック(ブルー)は、核物質を集配して、英国の国防省の「特別護衛団」と共に、英国内を転々としている。よく立ち寄る場所は、セラフィールド(Sellafield)(英国核燃料会社[BNFL] Cumbria)、チャペルクロス(Chapelcross)(国防省原子炉、 スコットランド境界)、ハーウェル(Harwell)(原子力公社[AEA Tech]、オックスフォード郡)、ロールスロイス・ニュークリア(Rolls Royce Nuclear)(原潜用原子炉製造業者、ダービー[Derby])などである。

 2000年までの7年間、AWEはHunting-BRAE企業連合(Hunting Plc、 Brown&Root、 AEATech)によって運営されていた。しかし、その契約が2000年3月31日に切れたので、2000年4月1日から、別の企業連合が運営している。この新しい企業連合は、英国核燃料公社(BNFL)、ロッキード・マーティン(Lockheed Martin)、セルコ(Serco)で構成されている。たいていの英国の活動家は英国核燃料公社については知っているであろうが、ロッキード・マーティンやセルコのことは知らないかもしれない。ロッキードは世界最大の武器製造会社の一つである。(トライデント・ミサイルのボディーやステルス爆撃機の製造、テネシー州にあるオークリッジ[Oak Ridge]を始め多くの原子力機関を米国で運営している)。セルコは「施設の運営管理」を行う会社で、多くの英国の契約(特に刑務所、鉄道、病院の分野)で利益を得ている。これらの会社はホームページをもっているので、そこを見れば巧妙な彼らの経営手腕について多くの情報が手に入る。 

 廃棄物に関しては、AWEオルダーマストンはあらゆるレベルの放射性廃棄物を燃やしたり、埋めたり、流したり、貯蔵したりしている。英国核燃料公社のドリッグ(Drigg)用地とサザンプトンシャンク(Southamptonユs Shanks)の焼却炉はAWEと契約を結び、AWEからの廃棄物を埋めたり焼却したりしている。ほかの廃棄物は小さな小川に棄てられるか、テームズ川に繋がる、今では悪名高いパングバーン・パイプライン(Pangbourne Pipeline)が使われる。 オルダーマストンには、「危険な場所」(歴史的な投棄や事故が原因)、化学物質に汚染されたサイトやその周辺、大量の放射性廃棄物の貯蔵庫がある。オルダーマストンもバーグフィールドも危険区域をもっている。その区域には、表示があるかもしれないがないかもしれない。だから、行動をおこすならば、予め健康や安全を脅かす事項について出来るだけ多くの情報を集めること。

 以上のことから、トライデントに対する抗議行動の一部として、反核、環境推進及び反戦活動家の人々がオルダーマストン(そしてバーグフィールド)に圧力をかけ続けることがいかに重要かを理解してもらえたと思う。

5.3.2 それは何処にあるのか?

 AWEオルダーマストンの位置

 車で来た場合、M4通りのジャンクション(Junction)11かジャンクション12、または M3通りのジャンクション6から入る。

 5.3.3 行動するにあたって

 一般的なこと

 AWE オルダーマストンに適切な道具なしで侵入するのはまず無理である。手法を注意深く選択して後は幸運を祈るしかない。しかし完全に防衛されている場所などない。幾つかの弱点があるのが当たり前。結局のところ、警官が幾つかの侵入にかかりきりか、または予想外の展開(TPの非武器化キャンプでは決して起こらないような行動)があれば、幾つかのグループは紛れ込むチャンスがある。ファスレーンやクールポートとは違って、オルダーマストンは海から40マイル(64.4キロ)ほど離れているし、隠れるのに良さそうな草や木もあれば、いくつか明かりの無いところもある。基地の周囲は6マイル(9.7キロ)あるので、警官を増やさない限り一度に全部は監視できない。しかし、たくさんの監視カメラが設置されている。

 安全性

 ファスレーンやクールポートのように、オルダーマストンとバーグフィールドの二つのAWEは国防省警察(MDP)によって警備されている。彼らは拳銃と機関銃を持っている。また、犬、手錠、他のあまり強力でない武器も持っていると思われる(ピースキャンプの女性はそうしたあまり強力でない武器を所持した警備隊を実際に見たことはないが)。軽い怪我をした女性や犬を放たれた女性 (中には噛まれた人も!) は何人かいるが、重症者が出たことは一度も無い。

 オルダーマストン のA90エリア(dark side)には三つのフェンスがある(侵入しようとする方向にもよるが)。また、タクティカス(Tacticas)と呼ばれる武装車両が警戒にあたっている。

 バーグフィールド では、コマンドのような国防省警察「対応部隊」が厳戒区域を警備しているので十分に注意すること。

 放射能 :オルダーマストンには、敷地内やその周辺に汚染されたところが幾つかある。原因は、放射性のゴミや、化学性のゴミによる。これらは、北東と南東の基地外のコーナーと、基地内では古い原子炉(p84参照)があるあたりだ。あらゆるAで始まる場所は、低レベルの放射能で汚染されていると仮定したほうがよい。貯蔵区域も同様である(大量の放射性廃棄物がそこには貯蔵されている)。北池区域(North Pond Area)は、放射能汚染区域として昔から知られており、トリチウムを含んだ水の貯蔵にも使われている。その水はやがてオルダーマストンの小川に放出される。そこには落ちないように!

 セキュリティ

 オルダーマストン は、少なくとも2つのフェンスで囲まれている。はじめのフェンスは通常の波形巻線鉄網で、その上には有刺鉄線がある。二つ目は、頑丈なフェンスで2.5mもの高さがある。その上にはレーザーワイヤー(蛇腹形鉄条網)がある。フェンスの外側、60センチのところに5つの細い検知用ワイヤーが張られていて、それは地上30センチからフェンスの一番上まで続いている。

 固定カメラと操作可能な赤外線カメラで基地全体が監視されている。Aエリアはさらにもう一つの金網で囲まれている。侵入する方向によってはもっとあるかも知れない。

 バーグフィールド の周囲は金網で囲まれていて、その内側には5つの検知用ワイヤーが設置されている。しかし、フェンスを切り、検知器の間を注意深くすり抜けて侵入することも可能だ(運に恵まれるか、痩せているか、十分に時間をかけてやるか、など)。

 何を非武器化すればよいか

 ・オルダーマストンでは

 輸送用車両(blueとgreen)

 これらの車両に関する技術的な情報は、「ニュークウォッチ(Nukewatch:核の番人))かスコットランドCNDにきくこと。(連絡先は10章10.1に記載)

 菅理棟/最高責任者の司令室

 これらの場所には、たくさんの書類やコンピューターがある。それらを失いたくないのは明白である。占拠後、電気と電話線等を使って実況放送することも可能だ。

 A90/A団地

 この建物は、トライデントの製造には重要だ。それ故、その操業を妨害するのはとても危険である。もし、本当にA90や他のAで始まるエリアで行動を起こしたいならば、最初に多くの助言を求めること。空気循環システムを妨害しただけでも重大な結果を引き起こす。行動した後の結果が安全であると確信できるまでは、どんな行動も起こしてはならない。

 特別護衛団

 これらの人員と車両は輸送用車両が移動するときに必要だ。特別護衛団の本部と車庫は、タッドリーゲート(TadleyGate)の左前方にある(p84の地図参照)。

 ・バーグフィールドでは

 輸送用車両/厳戒区域(HSA)

 ここに近づくためには、南側から近づかなければならない。その際には、溝、壁、カメラ、警備隊(緊急対応部隊)に気を付けること。南側から近づくことは可能だが(実際に成功した人がいる)運と技術が必要である。別の方法は東側からの侵入である。時間を十分かけること(侵入自体は南側からよりも見つかりにくいが途中で捕まる可能性大)。輸送用車両を護衛する車両はHSAの外側にいて、近づくのは容易である(P85の地図を参照)。輸送用車両はこれらの車両なしでは動けない。

 障害物による封鎖

 バーグフィールドには2つの門しかない。だから、女性2人で十分に封鎖することが可能だし、実際に封鎖したこともある。規模が大きくて、多くのメンバーがいるグループは長時間基地を封鎖できる。核弾頭輸送用車両がスコットランドまでトライデントを運ぼうとしている時であれば、封鎖行動によって政治的論議を引き起こす絶好の機会となるだろう。

5.4 その他のトライデント関連サイト

 トライデント・システムにとって重要なサイト(ファスレーン、クールポート、オルダーマストン、バーグフィールド以外)を非武器化したいアフィニティ・グループもあるだろう。

 トライデント潜水艦はバロー(Barrow)にあるVickers Shipbuilding and Engineering Ltd.(VSEL) で建造される。現在はBAe systemと呼ばれている。セラフィールドで用いる核物質はバローで受け取る。

 トライデント潜水艦の母港はファスレーンで、搭載される核弾頭はクールポートで貯蔵されている。ミサイル(潜水艦が米国からもってきたミサイル)は潜水艦上にある。それらは、検査、補修のために米国に戻される。私達の知る限りクールポートは、ロケット燃料、高性能爆薬、プルトニウムの三つが近接して保存されている英国唯一の場所である。

 トライデント核弾頭の大抵の部品はAWE オルダーマストンで製造される。このサイトは英国のあらゆる核兵器に対して重大な責任がある。しかしここには、放射能で汚染されたエリアやたくさんの爆薬が貯蔵されている場所があるので、侵入の際には十分に気を付けなくてはならない。

 英国の核兵器のあらゆる部品はAWEバーグフィールドに輸送され、そこで核兵器に組み立てられる。完成した核兵器は夜間ウィッタリングアルバーメールロングタウン(Wittering、Albermarle、Longtown)を経由して、クールポートまで陸上輸送される。また少数の核弾頭が詳細な検査の為に、輸送用車両によって定期的にバーグフィールドに持ち込まれる。これらは修理されるか新しいものに置き換えられる。

 トライデント潜水艦の動力源である原子炉は、ダービー(Derby)にあるロールスロイス(Rolls Royce)で建造され、鉄道でバローに運ばれて据え付けられる。原子炉の燃料もここで製造される。ここについてはあまり知られていないが、トライデントプログラムの主要な役割を担っている。燃料棒はスプリングフィールド(Springfields)で製造される。トライデント潜水艦で使用されている原子炉の原型炉は英国軍艦バルカンにあり、ドーンリー(Dounreay)のロールスロイスアソシエイツによって運転されている。その原子炉は1998年に燃料交換され、炉心は15年間動くように設計されている。

 核弾頭の主要な構成要素はプルトニウム、トリチウム、高濃縮ウラン(HEU)である。プルトニウムは常にセラフィールド(Sellafield)で生産され貯蔵される。プルトニウムはカルダーホール(Calderhall)とチャペルクロス(Chapelcross)にある原子炉の使用済核燃料を再処理することで得られる。現在、核兵器に使われているプルトニウムはここでは製造されていない。しかし、大量の軍事用プルトニウムはここに貯蔵されている。

 数年前までは、ウラン濃縮はカペンハースト(Capenhurst)で行われていた。今ではたくさんの高濃縮ウランの蓄えが英国にあるので、そこでの濃縮は現在行われていない。

 トリチウムの製造はチャペルクロスで続いている。爆弾用プルトニウムを製造するのに使われた原子炉がトリチウムを製造するのに役立っている。トリチウムは現代の核兵器の主要な構成要素である。新鮮なトリチウムの供給がないと、トライデントの核弾頭は使い物にならなくなる。

 パトロールの時には、トライデント潜水艦は、原子力を動力としているハンターキラー潜水艦に護衛されている。これらもバローで建造され、ファスレーンかデボンポート(Devonport)を基地とする。

 トライデント潜水艦を援護するための対潜ヘリコプターはコーンウォール(Cornwall)の英国空軍 クルドローズ(RAF Culdrose)を基地にし、プレストウィック(Prestwick)からも離着陸する。トライデントを援護するニムロッド(Nimrod)機の基地はキンロス(Kinloss)にある。

 トライデント潜水艦はすべてデボンポートで再装備されるようになる。これらの再装備に必要な新しい設備は今後数年間で完成する。建設の遅れや予算オーバーはトライデント潜水艦の運用実現性のマイナスになる。

 ハンターキラー潜水艦のいくつかは、現在ロシス(Rosyth)で再装備されているが、これもすべてデボンポートで行われるようになるだろう。

 ロシスとデボンポートは古くて退役した原潜の墓場である。これらのサイトは原潜を再装備したり廃船にしたりする際に核燃料(原子炉炉心)を抜き取ってきた。炉心はセラフィールドに送られ、それらは再処理の方法や廃棄方法が見つかるまで保管される。ロシスとデボンポートは低レベル及び中レベル廃棄物を保管している。

 指揮統制システムの起点はロンドンのホワイトホール(Whitehall)の国防省である。実際の運用上の指示は英国空軍 ノースウッド(Northwood)から送信される。しかし、トライデントは米国の指揮統制システムやNATOのさまざまなシステムとも密接に連結している。

 トライデント潜水艦の指揮統制システムの主要なサイトはクリギオンラグビーアンソーンインスキップ(Criggion、Rugby、Anthorn、Inskip)にある。これらのサイトには無線アンテナなどがある。無線アンテナはボルトを外したり、それを支えているワイヤーを外したりすることで簡単に取り外すことができるが、どこにどのように倒れるか気を付けて作業をすること。それらの幾つかのサイトは民間用のアンテナを併設しているので注意が必要である。何かことを起こす際には、先ず情報を収集してアンテナを的確に識別すること。

 ピトレアヴィ (Pitreavie:スコットランドと北アイルランドの英国海軍 艦隊司令本部)、ブリストル(Bristol:国防省物資調達本部)、バース(Bath:英国海軍物資調達本部)は主要な指令本部である。

 セントキルダ (St Kilda)やウイスト(Uists)ではトライデント以外のミサイルのテストを監視している。

 ヨークシャー(Yorkshire)のメンウィズヒル(Menwith Hill)の米国巨大諜報機関はラグビーの近くにある電波通信所とリンクしている。現在は国防省のかわりにブリティッシュテレコム(BT)が、その電波通信所を運営している。メンウィズヒルは米国の諜報機関にとって重要な場所であり、トライデント・ミサイルの指揮統制システムに関係がある。

 トライデント潜水艦を含めたすべての新しい英国の潜水艦はスキエ(Skye)東部でソナー(水中音波探知機)と魚雷のテストをおこなう。これらのテストはBUTEC(英国水中試験評価センター:British Underwater Test and Evaluation Center)によって監視されている。BUTECの管理基地はアルシュ湖(Lochalsh)のカイル(Kyle)にあり、射程操作試験場(Range Operation control site)はロナ(Rona)とアップルクロス(Applecross)にある。

 クールポート 、ゴイル湖(Loch Goil)、エウェ湖(Loch Ewe)、ロゼセ(Rothesay)、スキエ(Skye)の他にも、潜水艦の緊急時の停泊所(Z)はスコットランドの西海岸に点在している。イングラントにはプリモスサウンド(Plymouth Sound)、スピットヘッド(Spithead)、サザンプトン(Southampton)、カーディフ(Cardiff)、リバプール(Liverpool)にZ停泊所がある。

 プリモス のデボンポートロイヤルドックヤード(Devonport Royal Dockyard)は現在350万ポンド(約6億2650万円)をかけて拡大工事を行っている。これは、HMS バンガードを2002年早々に修理するためのものである。その他の潜水艦もその後に修理を行う。

 ゴイル湖 はノイズの実験場で、様々な船舶から発生するノイズを検査するために使われている。トライデント潜水艦やその他の潜水艦によって日常的に使用されている。

 コーブ (Cove)_コーブから少し離れた場所に電気系統の実験場がある。ここはトライデント潜水艦やその他の潜水艦によって日常的に使用されている。

 ロング湖 (Loch Long)はクールポートの南に位置していて、潜水艦の試運転に日常的に使用されている。

 アラン (Arran)とビューテ(Bute)の間の海域は潜水艦の潜水試験に利用される。それは週末に実施される。

英国のトライデント基地マップ


参考文献と謝辞

 アドバイスや助力してくれたファスレーンピースキャンプやCNDメンバーに感謝します。また、実際の経験をつませてくれたファスレーンやクールポートの軍警察にも感謝します!この章はライオネル・トリペット(Lionel Trippett)、ジョン・アインスリー(John Ainslie)、クライブ・ファッジ(Clive Fudge)、ジョー・ブットン(Joe Button)の助力で更新されました。

5.1 トライデント潜水艦、ファスレーン(Faslane)、クールポート(Coulport)についての背景説明

 Trident Resisterユs Handbook -Bob Aldridge

 Trident-30years of the Polaris Sales Agreement - Ministry of Defence 1993

5.2トライデント潜水艦を安全に非武器化する方法

 The Safety of Trident ム an assessment of the radiation risks associated with the UK TridenTProgramme ム John Ainslie, Scottish CND, February 1994

 Safe in our Hands? RAND Coulport ム Faslane Peace Camp and Scottish CND, 15th July 1993

 We all live in a Nuclear Submarine ム Article and diagram in Radio Times, 10-16th August 1996

5.3 オルダーマストンとバーグフィールドについての背景説明

 この項は、Ippyの執筆による。

5.4 その他のトライデント関連サイト

 Nuclear Scotland in the 1990s- Scottish CND

 Main Trident Sites in the UK- CND


 P75図

英国軍艦 ヴィクトリアス 

 この図はすべて正確と言うわけではないが

 入手できる図の中では最良のものと思われる

 ダブルデッカーバス

 「比較のために表示」

 このエリアには入るな

 1、プロペラー

 2、ラダー(かじ)

 3、ラダーマシン

 4、クラッチ

 5、空気圧縮機

 6、主タービン

 7、バラストタンク

 8、ターボジェネレータ

 9、工作室

 10、エンジンルーム制御

 11、原子炉スペース

 12、空調機

 13、蒸発/蒸留

 14、貯蔵庫

 15、乗組員居住区

 16、核ミサイル管

 17、航行センター

 18、ミサイル制御センター

 19、食堂

 20、ディーゼル発電機

 21、指令センター

 22、上官の部屋

 23、補助機械室

 24、潜望鏡

 25、レーダー

 26、ブリッジ

 27、魚雷貯蔵庫

 28、ハイドロプレーン/機械

 29、操縦室

 30、ハイドロプレーン(水平舵)

 31、魚雷挿入管

 32、オイル燃料

 33、魚雷管

 34、機械/ウインチ部屋

 35、バラスト

 P81地図

英国内の主要なトライデントサイト 

 印

 潜水艦基地または停泊所

 通信と諜報に関する施設

 潜水艦建造所

 核弾頭組み立て工場

 核物質製造に関する施設

 核弾頭輸送用車両停止場所

 対潜ヘリコプター基地

 指揮統制に関する施設

 核弾頭貯蔵庫

 核弾頭輸送用車両ルート

 トライデントをサポートする

 ニムロッド(Nimrod)機の基地

ドーンリー(Dounreay) 

 エウィ湖(Loch Ewe)

 ロナ(Rona)

 スキエ(Skye)

 英国空軍 キンロス

 (RAF Kinloss)

 ロシス(Rosyth)

 クールポート(Coulport)

 ファスレーン(Faslane)

 プレストウィック(Prestwick)

 CAD ロングタウン

 (CAD Longtown)

 アルバーメール(Albermarle)

 チャペルクロス(Chapelcross)

 アンソーン(Anthorn)

 セラフィールド(Sellafield)

 バロー(Barrow)

 インスキップ(Inskip)

 スプリングフィールド(Springfield)

 リバプール(Liverpool)

 カペンハースト(Capenhurst)

 ダービー(Derby)

 クリギオン(Criggion)

 ラグビー(Rugby)

 フォレストムーアー(Forrest Moor)

 メンウィズヒル(Menwith Hill)

 ウィッタリング(Wittering)

 カーディフ(Cardiff)

 英国空軍 クルドローズ

 (RAF Culdrose)

 デボンポート(Devonport)

 バーグフィールド(Burghfield)

 オルダーマストン(Aldermaston)

 ノースウッド(Northwood)

 ホワイトホール(Whitehall)

 スピットヘッド(Spithead)

 サザンプトン(Southampton)

  

 p82地図

核兵器製造保管施設 オルダーマストン

グリーン 

 輸送用車両

 駐車場予定地

 ブルー

 輸送用車両

 基地

 タッドリー門

 (Tadley Gate)

 大きな管理棟

 最高責任者の司令室が

 最上階にある

 ホームオフィス

 ホームオフィス門

 (Home Office Gate)

 SEG本部

 ファルコン門

 (Falcon Gate)

 R区域

 ヘラルド(Herald)原子炉跡地

 コンストラクション門

 (Construction Gate)

 A区域

 核弾頭製作、

 核分裂性物質の

 取り扱い場所

 B区域

 爆発物の研究と貯蔵

 C区域

 化学技術

 エンジニアリング

 センター

 D区域

 エレクトロニクスに関する研究施設

 測光法と写真術に関する施設

 英国軍の連絡施設

 エレクトロニクスに関する研究施設測光法と写真術に関する施設英国軍の連絡施設

 E区域

 コンピューターサービス

 H区域

 訓練施設

 正門

 ファルコン門

 ボイラーハウス門

 (Boilerhouse Gate)

 北門(North Gate)

 北池区域

 中心区域

 A90,A91,その他の

 A区域ビルの

 建設場所

 SB区域

 理論科学と実験施設

 A区域拡大図

 汚染された廃棄物の貯蔵ビル

 臨界制御

 トリチウムに関する

 作業が実施されている

 健康物理学

 制御区域

 メインプルトニウム処理ビル

 A区域

 管理棟

 ウラン処理施設

 核弾頭材料組み立て工場

 放射性廃棄物取扱所

 プルトニウム貯蔵所

 化学技術実験施設

 ベリリウム研究と処理工場

  

  

 p83地図

核兵器製造保管施設 バーグフィールド

ザ・メアリングス(The Mearings)

 _正門につながる私道

 正門

 裏門

 厳戒警備エリア

 _輸送用車両が常に出入りしている

 大きな壁

 _内部を隠している

 大きな木

 _基地内部を見るのに利用可

 基地内の拘留所

 (助言:ティーバックを持ってゆくこと)

 オルダーマストン:地元の施設(利用可能時間も記載)

 トイレ マルフォーズヒル(タッドリー)(Mulfords Hill(Tadley))男性用女性用共に24時間

 郵便局 マルフォーズヒル、パンパーヒースロード(Mulfords Hill、Pamper Heath Rd)9時_5時

 コピー マルフォーズヒル郵便局(PM5時まで)、タッドリー図書館(PM10時まで)、

 パンパーヒースロード郵便局又はパンパーヒースロードの商店街(日曜日も営業)

 ファックス マルフォードヒル-レッドウッドエステートエージェント(Redwood Estate Agents)

 公衆電話 オルダーマストンロード(01265 314700)、バーンハムロード(Burnham Rd)

 病院/事故や救急治療 ロイヤルバークス、ロンドンロード、レディング

 薬屋 バジェンズスーパー(Budgens Supermarket)の隣(9時_7時)

 日曜大工用品 ビショップスウッドロード 56、タッドリー アンド マルフォーズヒル

 (56 Bishopswood Rd , Tadly & Mulfords Hill)

 現金自動支払機 Link とRBS(オールドフォージ-ヒースエンドロード(Old Forge-Heath End Rd))

 TSB (マルフォーズヒル)

 バークレイズ(Barclays)-マルフォーズヒル

 旅行情報

 レディングバス(Reading Bus)(143)  01189 594000

 ハンプシャーバス(Hampshire Bus) 01256 464501

 ザ ビー ライン(The Bee Line)(Bus) 01344 424938

 近隣の停留所

 レディング駅から  フランクリンロード(Franklin Rd) 143番のバス

 ベイジングストーク(Basingstoke)駅から ファルコン イン(Falcon Inn) 50又は51(A)番のバス

 近隣の駅

 モルティマー(Mortimer) (10 分) 接続良

 オルダーマストン (10 分)

 レディング (25分)タッドレーへのバス(143番)

 ベイジングストーク (25-30分) タッドレーへのバス(50/51番)

  

  

  

 p84地図

クライド 

 英国海軍

 潜水艦基地

 (Clyde RN Submarine Base)

 北門

 船体持ち上げ所

 トライデント停泊所

 ファスレーン港

 水上バリア

 警察のボート

 ハンターキラー

 潜水艦と

 軍艦の停泊所

 南門

 ファスレーン

 ピース

 キャンプ

  

 p85地図

英国海軍武器本部 クールポート 

 (ポラリス区域とトライデント区域を示す)

 爆発物取り扱い桟橋と

 トライデント潜水艦停泊所

 ロング湖

 ポラリス

 ミサイル

 貯蔵庫

 ポラリス

 ミサイル

 特別区域

 管理棟

 作業所

 緊急サービス

 正門

 周囲フェンス

トライデント 

 ミサイル核弾頭

 貯蔵庫

 輸送用車両

 駐車場

 受け入れ処理施設

 貯水池

 金網に囲まれた

 契約業者利用区域

 再突入体

 (リエントリーボディ)

 貯蔵庫

 再突入体

 (リエントリーボディ)

 処理棟

 石切場

 トライデント

 ミサイル

 特別区域

 正門

  

  

  

  

  

 p86地図

ファスレーンとクールポート 

 印

 警察詰め所

 潜水艦停泊所が見渡せる場所

ロング湖 

 (Loch Long)

 アーミーキャンプ

 (Army Camp)

 船体持ち上げ場所

 (Shiplift)

 フィンガー桟橋

 (Finger Jetty)

 水上バリア

 南門

 ファスレーン

 ピース

 キャンプ

 ルー(Rhu)

 ゲール湖

 (Gareloch)

 クライド

 英国海軍

 潜水艦基地

  

 グレンフルインロード

 (Glen Fruin Road)

 英国海軍武器本部

 クールポート

 コーブ(Cove)

 へレンズバーグ

 (Helensburgh)