1章 トライデント・プラウシェアの概要

1.1 活動の目的

 トライデント・プラウシェア運動は、50年以上前に広島と長崎に初めて原爆が投下されて以来、積極的に核兵器廃絶に取り組んできた国際平和運動の流れを受け継ぐものである。

私達は地球市民として、トライデント潜水艦に配備されている英国の核兵器システムを、堂々と責任を持って、安全かつ平和的に廃絶するという目標にむかい行動する。私達の核兵器廃絶行動は広く認められている国際法の原則に基づいて、現在進行中の犯罪行為を阻止しようとするものである。私達は核兵器のない世界と、平和で協力的な国際文化を奨励するために地球市民として率先して行動するものである。

非常に多くの活動やキャンペーン(私達もそのうちの一つだが)が行われているが、それでも、近い将来全ての核兵器を廃絶するということはできないかもしれない。しかし、そうであったとしても志を失うようなことがあってはならない。私達はベストを尽くすしかないのである。核兵器廃絶運動の一つ一つが総合的に圧力をかけるのであり、数多くの平和運動のうちのどれが、最終的に核による大虐殺の瀬戸際から世界を引き戻せるのかは、誰にも分からないであろう。しかし、私達の核兵器廃絶運動が効果のあるものであり問題解決の重要な部分であることは確信できる。トライデント・プラウシェアは、地球上の生命にとって恐ろしい核の脅威を少しでもなくすための実践的な手段であり、英国の核兵器とNATOの核戦争計画に対する私達の承認を撤回する一つの方法である。

何も行動しなかった人ほど大きな過ちを犯した人はいない。なぜならば、たとえどんな小さな事でも何か出来たかもしれないからである。

エドムンド・バーク(Edmund Burke)

 

1.2 トライデント核ミサイル廃絶運動の正当な理由

 

1.3 トライデント・プラウシェアの全体的概要

 15カ国から参加している175人の活動家達は、同意に基づく一連の非暴力、安全の基本原則のもとに団結し、アフィニティ・グループと呼ばれる協力的で密接な関係にあるグループを組織して英国トライデント核兵器システムの廃絶を目指し、2001年1月まで結束して準備を進めてきた。各活動家は「核の犯罪を阻止するための誓約書」(9章9.1)に署名し、彼らの名前の公開リストは3ヶ月毎に政府に送られている。

真剣で思慮ある対話と交渉を求める私達の声は、一連の核廃絶の基準と共に繰り返し英国政府に送られている。書簡や対話の概要は3章で見ることが出来る。真剣で意義深い核廃絶の約束が実現した暁には、トライデント・プラウシェアは非武器化行動を止めるつもりである。しかし、それまでは、活動を継続する。

トライデント・プラウシェアは、1998年5月2日にエジンバラ(Edinburgh)、ゲント(Gent)、ゴーテンバーグ(Gottenburg)、広島、ロンドンで、その活動を始めた。同年8月、数百人にのぼる活動家がファスレーン(Faslane)とクールポート(Coulport)で行われた最初の公開非武器化行動である二週間の非武器化キャンプに参加し、100人が逮捕された。キャンプ終了までに、9人がスコットランド刑務所に拘留され、多くはヘレンズバラ(Helensburgh)地方裁判所で裁判を受けた。非武器化行動は封鎖やフェンスの切断から深夜、トライデント潜水艦にむかって湖を泳いで渡ることまで及んだ。このとき以来、3ヶ月毎に公開の非武器化キャンプを行い、いつも基地の警備を突破している。

2000年11月までに逮捕者の数は775人におよび、地元の裁判所はあまりの数に閉口し、初犯の大多数は裁判にまで持ち込まれていない。活動の大半は、「最小限度」の非武器化行動(例、封鎖、フェンスの切断)であるが、「最大限度」のアクションも8回におよんだ。そのうち3回は成功裡に終わった。1999年2月、レイチェル(Rachel)とロージー(Rosie)はバロー(Barrow)で英国軍艦ベンジャンス(Vengeance)のテスト装置を、1999年6月、エレン(Ellen)とウラ(Ulla)とアンジー(Angie)はゴイル湖(Loch Goil)でメイタイム(Maytime)を、2000年11月、スーザン(Susan)とマーティン(Martin)はウィタリング(Wittering)英国空軍基地で核弾頭輸送車を、それぞれ非武器化することに成功した。

トライデント・プラウシェアの活動家達は、英国政府が自らトライデントを廃絶するまで非武器化行動を継続する決意である。

現在までの詳細な活動報告に関しては4章に書かれている。

1.4 活動予定

 毎年2月、5月、8月、11月の年4回、「公開」非武器化行動を実行しているが、これはクールポート、ファスレーン、オルダーマストン(Aldermaston)のいずれかで行われる。2月と11月は通常週末に行われ、5月は一週間、8月はクールポートで二週間の非武器化キャンプが行われる。またこの他にも、各アフィニティ・グループは、自分達の好きなときにトライデント関連サイトにおいて「非公開」の非武器化行動を自ら計画、遂行できる。

非武器化行動の日時や場所の最新情報に関しては、01436 679194または01324 880744に連絡するか、事務局に手紙で問い合わせるか、私達のホームページを見ていただきたい。トライデント・プラウシェア・ニュースラインでも最新情報を提供している。(詳細は10章参照)

人とその人の持つ意見とは、はっきり区別すべきである。__意見というものは、いわば衣服のようなものであり、自分の思うままに変えることができる好みや流行の類である。意見を本質的な物事の核心であると勘違いしてはならない。 

マーク・ソムナー (Mark Somner)

 

1.5 なぜ今、非暴力直接行動、この活動なのか?

 なぜ非暴力直接行動か?

 非暴力という概念はトライデント・プラウシェア運動の行動原理として、様々な理由のもとに選択された。

 なぜ、今この運動なのか?

 核兵器反対のキャンペーンは50年以上にわたり、つまり核兵器が存在している年月と同じ期間続けられている。本章の1.7には、政府に対し核兵器廃絶を求める全国的、国際的試みについての簡単な概要が述べられている。これには世界中の何百万もの人々が関わり、非常に広範囲に及ぶ運動が含まれている。にもかかわらず、核保有国は、今なお核兵器を持ち、それらを配備し、新しい核兵器の開発、研究を続けている。もしも核保有国が核兵器を廃絶するという条約義務を無視するのであれば、非核保有国が核兵器を開発しないという協定をまもることは期待できない。1988年5月のインドとパキスタンの核実験は非常に明白な例であるし、数多くの国々がこの先例に従おうとしている。

 しかしながら私達は今、地球規模の核兵器廃絶が以前にも増して達成可能な時代にいる。超大国間における戦争を阻止するという核兵器の存在理由は、もはや成立しない。多くの核兵器と同様にトライデントは、冷戦構造を視野に入れて企画、製造されており、今日その明白な軍事的役割は存在しない。核保有国には、核兵器廃絶に向けて行動するという明確な条約義務がある。これは2000年の核不拡散条約再検討会議で、核保有国と非核保有国双方によりはっきりと再確認された。国連軍縮会議は、そのような行動を実現させるための格好のフォーラムといえる。1996年7月に出された国際司法裁判所(世界法廷)の勧告的意見は、一刻も早くこの義務を果たすよう核保有国に対して圧力を強めた。世界法廷の決定に至る全プロセスは、多くの非核保有国を勢いづかせ、より一層の圧力がかけられるようになった。キャンベラ委員会は、核兵器廃絶が可能であることを明確に証明し、核保有国が廃絶を実施する上で障害となるとして挙げた技術的、科学的問題を処理するために多くのことを行った。世界各国の62人の将軍と海軍大将は公然と、軍の兵器庫に次々と核兵器が搬入されることに反対意見を述べた。この中の一人、リー・バトラー(Lee Butler)将軍は、1994年に退職するまで米国戦略総司令部の最高司令官であり、全米空軍・海軍戦略核戦力の責任者であった。彼の声明は私達のホームページで閲覧できる。

 1998年6月にブラジル、エジプト、アイルランド、メキシコ、ニュージーランド、スロベニア、南アフリカ、スウェーデンの外相は、地球上から核兵器を廃絶させる断固たる行動を要求する共同声明を発表した。彼らは「核兵器のない世界を目指して、多国間で交渉された、法的拘束力のある、世界共通の手続きを達成する努力を惜しまないこと」を誓った。新アジェンダ連合(New Agenda Coalition)として知られるようになったこの連合は、国連総会に議案を上程することでこの宣言を実行に移した。これらの決議に対する各国の投票は、圧倒的多数による賛成、核保有国による反対、そしてNATO加盟国間での意見の相違を明らかにした。

 国内で公共事業への資金供給という現実の問題が存在しているにもかかわらず、核兵器に巨額の経費が費やされることに対し、世論は疑義を唱えている。1998年の「戦略防衛の見直し(Strategic Defence Review)」で英国政府は、トライデントミサイルシステムの警戒体制をいくらか縮小し、核兵器の威力に関する透明性をより高め、トライデント核弾頭の数を削減するという小さな一方的軍縮を行った。しかしこれは地球規模の核廃絶へむけての促進剤とは到底なりえず、またそれを目指したものでもない。英国政府は、米国とロシアが自国の核兵器を英国と同等のレベルに削減するまで、核兵器廃絶の交渉にはつかないという態度を明らかにした。

 私達は、草の根レベルから軍事、外交に至るあらゆるレベルで圧力をかけている状況にある。核保有国は自分達の立場を正当化することが著しく困難になってきていることを認めている。教育や説得、ロビー活動は至るところで絶え間なく続けられており、交渉を続行することは極めて重要である。これまでのところ、核保有国はこれら全てに抵抗している。トライデント・プラウシェアは、更なる進展を目指してこうした状況に圧力をかける運動の一つである。

 多くの抗議行動において、特に、遠大な社会的政治的変革を求めて行動する時には、不公正な現状を保護している法律に対して、しばしば異議を申し立てる必要が生じる。モハンダス・ガンジー(Mohandas Gandhi)は、インド独立闘争で何千もの人々と共に法律を犯し、刑務所に入れられた。1955年ローザ・パークス(Rosa Parks)は、白人男性にバスの座席を譲ることを拒否することで法を犯し刑務所に入れられた。この件は、マーチン・ルーサー・キング(Martin Luther King)と共に数千人が法律を犯して刑務所にいれられた1950_1960年代の米国公民権運動の起爆剤となった。南アフリカでは、アパルトヘイト支配体制の崩壊以前、何千人もの人々が国家や地方の法律を犯して刑務所に入れられた。

 活動家の中には、トライデント・プラウシェア活動が合法的なものか否か確信が持てなかったり、実際に法律にうたわれていることについて曖昧さを感じたりする人がいるかもしれないが、それは当然のことともいえる。トライデント・プラウシェアの活動家は、この核兵器廃絶運動を単に愛による行為として正当化してかまわないのである。自分が望まない限り、そうした行為を法的に正当化しなくてもかまわないのである。だが中には、法を犯しているのは核兵器国家の方であるということを示すために、法律を持ち出す手段を選ぶメンバーがいるかもしれない。私達はこの方面で実に大きな前進を果たしており、特にスコットランドの法廷ではめざましいものがあった。4章の「これまでの活動報告」、6章6.7の「英国トライデントの犯罪性」、7章7.5の「弁論の概要」を参照されたい。

 また、非暴力直接行動は多くの場合、国内の法律と相容れない高い道徳的、倫理的原則に従って着手されるという事実を示すことを望むメンバーもいるだろう。その場合は皆が公然と法的プロセスに身を委ね、このより高い道徳法に基づいて弁護を行うことが重要である。

 不公正であったり、不当な現状を保護する法律に異議を唱えることは、誰もが選択するような行動ではないが、多くのプラウシェアグループの活動の中心となるものである。法的プロセスに身を委ねる覚悟がない人々が、覚悟して行動している活動家をサポートする様々な機会がある。トライデント・プラウシェアの誓約書は、サポートを提供したい人と、法制度に立ち向かうことができる自由な立場にいる人の、両方の人々のために特別に考案されている。

 公然と責任を持って実行された法的な挑戦は、民主的な手順に不可欠の要素となり得るし、一般の人達が変革を実現できる合法的な方法である。外交上の圧力や大衆によるキャンペーン運動によって変革を促進するには、市民による抵抗運動を含む非暴力直接行動という更なるはずみが必要な場合がある。非暴力直接行動は、伝統的なキャンペーン活動に取って代わるというよりはむしろ補足的なものであり、社会の大勢となっている声にもっと耳を傾けてもらうのに有効である。

 私達は、あらゆる非暴力的手段を自由に行使するのにまたとない時代にいる。

1.6 現在までの歴史的背景とプラウシェア運動の哲学

 プラウシェア運動は北アメリカの信仰に基づいた平和運動を起源とする。1970年代、多くの司祭や修道女はベトナム戦争に反対し始めた。結果的にその動きは、非宗教的な急進的政治運動へと繋がっていった。ベトナム戦争が終結したとき、軍備拡大競争と核兵器は抵抗運動の焦点となった。深刻な緊迫感があった。単なる普通の抗議では充分ではなかった。核軍備拡大競争はエスカレートし続けたのだった。人々は、より対決姿勢の強い非暴力抵抗運動への参入に反応した。その基本的な理論的根拠とは、もし人々が自分の国の戦争で自らの命をかけることを要求されるのであれば、私達は進んで平和のために何かを危険にさらすべきである、ということである。カトリック・ワーカーズ(Catholic Workers)や、米国ボルチモアのヨナ・ハウス(Jonah House)のような共同体は、運動の基点となった。これらの共同体は、都心部の貧しい人々のための連帯活動(スープキッチンやシェルターなど)と、米国の戦争兵器に対する非暴力抵抗運動を結合させた。

 最初のプラウシェア活動は1980年に実行された。9月9日、「プラウシェア・エイト(Ploughshares Eight:プラウシェアの8人)」は、米国ペンシルベニア州のキング・オブ・プルシア(King of Prussia)にあるゼネラル・エレクトリック社の工場に侵入した。そこでは、マーク12A核弾頭の円錐形の先端部が製造されていた。8人は、イザヤ書(2章4節)とミカ書(4章3節)の「こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし」という聖書の預言を実行し核弾頭の円錐形の先端部2つをハンマーで叩き、書類に血をふりまいた。彼らは逮捕され、陪審による裁判にかけられた。そして、1年半から10年の刑を宣告された。10年に及ぶ連続上訴の後、彼らは既に服役していた数日間から23ヶ月半までの刑を再度宣告された。

 プラウシェア運動は旧約聖書から生まれた名前であるが、キリスト教徒やユダヤ教徒の運動ではない。異なる信仰や人生観を持つ人々をも含むものである。実際、多くのプラウシェアグループのメンバーは、異なる宗教を信じ人生観を持っている。ある人々は自分達の活動がイザヤ書の預言から生じており、神の王国を証明していると信じている。非宗教的な観点から活動に参加している人達は、自分達の活動は本来、ある人道主義者によって動機づけられたものであるか又は、貧しい人々との連帯と非暴力に対して良心に満ち、強い責任感を持ったものであると思っている。また、様々な宗教、道徳そして政治的な信念を持つ人々もいる。これらの人々に共通しているのは、戦争の廃止を目指し、兵器や軍事関連産業を生命を肯定する平和産業へと転換させ、紛争解決のための非暴力による方法を進展させようと努力していることである。

 「プラウシェア・エイト」の行動以来、多くの人々が核兵器廃絶運動を続けてきた。家庭用ハンマーのような簡単な道具を使い、小規模ではあるが効果的な方法で、普通の人々による核兵器廃絶運動が続けられてきた。1997年8月までにオーストラリア、ドイツ、オランダ、スウェーデン、英国、米国で140人を超える人々が60以上のプラウシェア活動に参加してきた。最小規模の活動グループは、たった一人のもので、サポーターが一人しかいない「ハーモニック・ディスアーマメント・フォー・ライフ(Harmonic Disarmament for Life:命のための調和的非武器化)」であり、最大規模の活動グループは、9人で構成された「トライデント・ナイン(Trident Nein:トライデントの9人)」だった。

 これまでに数多くの様々な核兵器システムが非武器化された。それらは、米国先制攻撃核兵器システムの構成要素となっているもので、エムエックス(the MX)、パーシングII(Pershing II)、クルーズ(Cruise)、ミニットマン大陸間弾道弾(Minuteman ICBM s)、トライデントIIミサイル、トライデント潜水艦、B-52戦闘機、P-3オリオン対潜水艦戦闘機、ナブスターシステム(NAVSTAR system)や、核兵器搭載可能戦艦などのようなものであった。軍事介入目的で使用されるヘリコプター、F-111、F-15E戦闘爆撃機やホーク戦闘機もまた、対空ミサイル発射装置、バズーカ催涙弾発射装置やAK-5自動小銃と同様に、非武器化された。見本用の武器もまた兵器見本市で非武器化された。

 プラウシェア活動において最も一般的な方法は、ハンマーを使うことである。普通の家庭用ハンマーである。活動家達は、ミサイルの円錐形の先端部や装填された機械装置、砲尾照準器、銃身、制御盤、砲架、ミサイル懸吊架、爆弾誘導アンテナなどをハンマーで叩いた。ハンマーは、非武器化への道を開くために使用される。ハンマーは、創造のためばかりか破壊のためにも使われ、それは戦争関連の製品を生活向上のための生産へと転換することへの緊急性を指摘するものである。

 他の方法で非武器化したプラウシェア活動家達もいた。ある者は米国ウィスコンシン州のクラム湖(Clam Lake)の近くにある超低周波(ELF)通信システム送信所を、手おのやのこぎりなどの道具を使って3本の超低周波用電柱を切り倒し、地上の電線を切断することによって非武器化した。これが1987年の「ハーモニック・ディスアーマメント・フォー・ライフ(Harmonic Disarmament for Life 1987:命の調波非武器化)」である。コネティカット州、グロトン(Groton)のエレクトリック・ボート造船所(Electric Boat shipyard)に停泊していたトライデント米国艦船フロリダ(The Trident USS Florida)を警備用ワゴン車で非武器化した者もいた。ピーター・デモット(Peter DeMott)は、キーが付いたままの無人のワゴン車に気づき、それに乗り込んでトライデント潜水艦に繰り返し衝突し、かじをへこませたのである。これが1980年の「プラウシェア・ナンバー2(Plowshares Number2:プラウシェア活動No.2)」である。また1986年、「サイロ・プラウシェア(Silo Plowshares:地下格納庫プラウシェア)」は、ミニットマンミサイルの地下格納庫2つを非武器化したが、その方法は、ミサイル打ち上げの際に開閉する120トンの地下格納庫の覆いを移動するためのギア付きの主要軌道を大ハンマーで叩き壊したのである。彼らは又、電気配線を切断し、石工職用のハンマーで電子感知装置にダメージを与えた。

 プラウシェア活動に関わる人達は、十分な精神面の準備と非暴力の訓練を行って共同体を作り上げてきた。そして、活動に伴う危険性にも充分に配慮している。活動のさなかにいかなる暴力も発生しないように広範囲にわたる注意が払われている。プラウシェア活動家達は、非武器化行動を行った後は全ての責任を引き受け、その行動が提起している特定の問題:核兵器、弾圧的な政権への武器輸出、軍事防衛、民主主義、連帯などについて、公判で陳述するために静かに逮捕を待つのである。私達は核兵器廃絶についての民主的解決に向けた意見の一致を目指しているのだ。

 プラウシェア活動家の経歴は非常に多岐に渡っている。子を持つ親、祖父母、退役軍人、元弁護士、教師、芸術家、音楽家、詩人、牧師、修道女、家屋塗装業者、大工、著作家、ヘルスケアワーカー、学生、庭師、ホームレスと貧民の擁護者などが、プラウシェア活動に参加してきた。

 「イージス・プラウシェア(Aegis Ploughshares:アイギス[ギリシャ神話より]プラウシェア)」と「ファースト・オーストラリア・プラウシェア・グループ(first Australian Ploughshares group:第一オーストラリア プラウシェア グループ)」を除き、全てのプラウシェア活動家は、その活動により起訴された。殆どのプラウシェア活動家が、無罪を申し立て裁判にかけられたが、数人のプラウシェア活動家と軍備廃絶運動家は、自分達に対して告発された罪に対して「有罪」か「不抗争」かのどちらかを選択した。現在まで3例を除いて全ての裁判は、有罪判決となった。1番目の例外は「シード・オブ・ホープ(Seeds of Hope:希望の種)」の四人の女性だった。彼女達は英国の「イースト・チモール・プラウシェア(East Timor Ploughshares:東チモール・プラウシェア)」のグループで、インドネシアに輸出される運命にあったホーク戦闘機を非武器化した。1996年7月にリバプール(Liverpool)の陪審は彼女達を無罪とした。2番目は、1999年10月、スコットランドのグリーノック州裁判所(Greenock Sheriff Court)で3人のトライデント・プラウシェア活動グループの女性がゴイル湖(Loch Goil)の真ん中にあるトライデント研究所を非武器化した後、無罪を宣告された。より最近では、シルビア・ボイズ(Sylvia Boyes)とリヴァー(River)が、トライデントにむかって泳いでいるとき逮捕され、器物損壊共同謀議の疑いで告発されたが、2001年1月、マンチェスター(Manchester)刑事裁判所の陪審は二人に無罪を宣告した。「エピファニー・プラウシェア(Epiphany Ploughshares)」のメンバーは、先例のない5回の無効審理と3回の裁判にかけられ、評決不能に終わった。

 裁判の間、殆どの被告は専門家の法的アドバイスを受けながら自分で弁護を行った。多くのプラウシェア活動の被告は、自分達の活動が道徳的にも法律的にも正当性のあるもので、意図するところは生命を守るためであって、罪を犯すことではないということを示そうとした。ヨーロッパにおける事情とは異なり、ほとんど全ての米国の判事は、この証言を否定し、正当とする正当化・必要性の抗弁を禁止した。「エピファニー・プラウシェア」と「パクス・クリスティ・スピリット・オブ・ライフ・プラウシェア(Pax-Cristi Spirit of Life Ploughshares :パクス・クリスティ生命の息吹プラウシェア)」の裁判を担当した判事も含め数人の米国の判事は発言禁止命令を出し、彼らの活動の真実についての発言に対し法廷侮辱罪を課した。プラウシェア活動で有罪を宣告された人達の判決は、執行猶予つきのものから禁固18年に及ぶものまであった。禁固刑の平均は一年から二年の間であった。

 米国ワシントンDCの「ドロシー・デイ・カトリック・ワーカー・ハウス(Dorothy Day Catholic Worker House)」のアート・ラフィン(Art Laffin)は、「私の考えでは、プラウシェア活動が基本的に望んでいることは、工場や基地へ侵入したその瞬間から話し合い理解し合うことであり、法廷や刑務所での証言を通じても理解し合うことである。つまり、非暴力の愛の力は暴力による軍事力に打ち勝つことができるという基本的な信念、全ての生命への畏敬の念、貧困と軍拡競争の犠牲者にもたらされるべき正義の主張、兵器を解体しそれらを有益なものに転換する責任を受け入れること、そして正義と和解の道に向けた精神的転換を望んでいるのである。このようにプラウシェア活動の参加者は、兵器の物理的解体と精神の個人的武装解除は密接に関連していると信じている。フィル・ベリガン(Phil Berrigan)が『私達は、兵器を非武器化することによって自分達自身を武装解除しようとしている』と述べているように。」

 プラウシェア活動を行っている人達は、非暴力の呼びかけに真剣に応えようとする、弱いところも持ち合わせた、普通の人々である。これらの活動は美化されたり軽軽しく受け取られるべきではない。この人々は、大きな危険を冒し、孤独を味わい、刑務所での非人間的な扱いを経験している。また多くの耐えがたい、個人的な、家族をも巻き込んだ苦難に立ち向かわなければならないのだ。活発な非暴力抵抗運動の共同体を作り上げ維持していくには運動に打ち込む必要があるし、様々な問題を抱え込むことにもなる。しかし、様々な限界や欠陥を伴いつつも、このような活動は、もし人々が紛争に対処する際の非暴力の方法を学び、文字通り私達の時代の剣を打ちかえて鋤にするという行動も含め、進んで軍備撤廃への道を歩みだそうとするのであれば、私達が戦争や兵器のない世の中に住むことが可能であることを伝える力強いメーセージとなるのである。これらの活動は通常、国家によって犯罪とみなされてはいるが、暴力の時代における希望の証しと考えられるべきである。各々のプラウシェア活動は多くの類似点を持っているが、結果的に各活動は独自性があり、一つの学習過程であり、事実一つの試みなのである。

  

 核の時代の主たる特質とは次のようなものである。人は、歴史上初めて、同じ仲間である人類を滅ぼしてしまう技術と、意図的にあるいは偶然に、たった一つの動作でそれを遂行する技術を手に入れた。この状態がもたらす事実の深刻さはいまだに十分理解されていないようである。

ジョセフ・ロートブラット教授、ノーベル平和賞受賞

  

1.7 現在に至るまでの核兵器反対運動の概略と年代記

 英国における反核運動

 他国と同様、英国におけるキャンペーン活動も嘆願書や声明、公開集会、会議、ロビー活動、示威行動、ピースキャンプ、非暴力直接行動、法的手続きといった広範囲にわたる方策を用いてきた。英国のグループは海外の国際運動と数多く行動を共にしてきており、英国における活動の盛衰は、世界の活動の反映でもある。そのような中で「反核運動(Campaign for Nuclear Disarmament[CND])」は、40年以上持続している点で際立っている。

 1945-62

 米国における状況と同じく、核廃絶の最初の組織的取り組みは科学者達から起こった。特に、1996年にノーベル平和賞を受賞することになるジョセフ・ロートブラット(Joseph Rotblat)と、キャスリーン・ロンズデイル(Kathleen Lonsdale)の二人に刺激されて1946年、「原子力科学者協会(Atomic Scientists Association)」が結成された。1950年にケンブリッジ(Cambridge)の科学者100人は、水素爆弾を開発しないよう政府に要請した(他の活動については国際項目を参照)。 1950年代は、1949年結成の「平和の誓い連合(Peace Pledge Union)」によって設立された「非暴力委員会(Non-Violent Commission)」の結成とともに、街頭抗議運動の種がまかれた。後に、そのうちの数人のメンバーは「オペレーション・ガンジー(Operation Gandhi)」を結成し、彼らは1952年に国防省の外で座り込み抗議を行い、そしてその後まもなく、オルダーマストン、ミルデンホール(Mildenhall)、ハーウェル(Harwell)や他の場所でも示威運動を行った。このグループのメンバー達は1957年に「核戦争反対直接行動委員会(Direct Action Committee Against Nuclear War)」を結成し、次々と厳しい困難な任務を果たした。核戦争反対直接行動委員会は1958年、最初にオルダーマストンのデモ行進(Aldermaston March)を組織し、軍事基地や核保管施設で占領や座り込みを続行した。この委員会は1961年にCNDと合併した。

 水素爆弾や大気圏内の核実験による死の灰、そしてますます差し迫った冷戦の緊迫感に対する懸念は、「100人委員会(Commission of 100)」を通して更に進んだ直接行動を組織化する方向へと導いた。それは1960年にバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)とマイケル・スコット牧師(Rev. Michael Scott)による「行動か消滅か(Act or Perish)」のアピール声明によって始められたものである。その主目的とは、原爆に対する大規模な市民抵抗運動を生み出すことであった。その最初の活動は、1961年の国防省での座り込み抗議であり5000人が参加した。同年トラファルガー広場(Trafalgar Square)では、12000人による座り込み抗議があり、そのうち1300人が逮捕された。そして3ヶ所の米軍基地と4市において7000人が座り込みに参加し、およそ800人が逮捕された。市民抵抗運動と同様に、1954年、100万人が署名した原水爆反対の嘆願があり、それは軍縮会議と国連の強化を要求するものであった。また「全英核実験反対運動(National Campaign Against Nuclear Weapons Testing [NCANWT])」によってデモ行進と集会が実施され、1957年の英国クリスマス島水爆実験に対し2000人の女性が抗議した。これは、CND結成に大きく寄与したNCANWTの地域グループによるものだった。

 CND(反核運動)それ自体は、1958年2月に5000人以上が出席したロンドンの集会で発足した。この集会(個人と100以上の地域グループを結びつけた)と後のオルダーマストンのデモ行進(Aldermaston March)は、国民的意義のある草の根の反核キャンペーンを創出した。1962年までにハイドパーク(Hyde Park)のデモ行進に参加した人の数は15万人に達した。

 スコットランドにおいては、米国のポラリスミサイル潜水艦の基地であるホーリー湖(Holy Loch)とクライド(Clyde)に活動が集中した。1961年に2つの座り込み抗議が行われ、1つは「直接行動委員会(Direct Action Committee)」によって、もう一つは数ヶ月後に「100人委員会(Committee of 100)」によって、トラファルガー広場での活動に呼応するべく組織された。多くの地方自治体がポラリス反対の決議案を可決した。これ以前に1958年、エジンバラで結成された「核実験廃止スコットランド会議(Scottish Council for the Abolition of Nuclear Weapons Tests)」が開催された。これは、クリスマス島の核実験に反対して1957年に発足したエジンバラのグループから発展したものである。スコットランド反核運動(CND)は、これらのグループ(や他のグループ)から徐々に発展したものであり1959年5月にグラスゴー(Glasgow)で4000人が参加したデモ行進の後、発足した。

 1963-1980

 1963年の部分的核実験禁止条約は、大惨事になりかけたキューバミサイル危機と大気圏内の核実験に対する世界的な懸念の結果、実現したものである。この条約が結ばれたことにより反核の緊張は弱まり抗議運動は減少した。にもかかわらず核攻撃後の結果を描いたピーター・ワトソン(Peter Watson)の映画「戦争ゲーム(The War Game)」は、BBCによる放映が禁止された(結局、1980年代に放映されたのだが)。60年代、70年代には核の問題を取り上げた映画や本や研究が様々あったが、これらは環境問題に対する意識が高まるにつれて反核運動に繋がり始めた。1970年にCNDが主唱者となって、40を超える平和、宗教、労働組合のグループが会議や共同活動を開始するために一堂に会した。1987年、中性子爆弾に反対する嘆願書には25万人が署名した。

 1980年から現在まで

 地上基地発射核ミサイルを西ヨーロッパと英国に配置するという1979年のNATOの決定は、新しい形の抗議運動をもたらした(次の国際項目を参照)。数千人がグリーナムコモン(Greenham Common)とモールワース(Moleworth)のミサイル計画用地でデモに参加した。1981年からグリーナムコモンでは常設のピースキャンプが置かれ、それは1982年に女性キャンプとなった。非常に大規模なCNDデモが(1981年と1982年で25万人に及んだ)ロンドンを初めとする多くの都市で行われた。ウェールズのブリジエンド(Bridgend)では、核の貯蔵庫建設をストップさせるための非暴力直接行動が成功裡に行われた。マンチェスターは1980年に自ら非核地帯(Nuclear Free Zone)を宣言した最初の都市であり、次の数年の間に140の州議会が先例に従った。こうした地方自治体との事実上の協力を得て行われた街頭行動、ビラ配り、報道機関への手紙や公開討論によって、核を推進する政府の市民防衛キャンペーン「 保護と生存(Protect and Survive)」は崩壊した。科学者達は核戦争の影響についての研究や公表を活発に行って積極的に活動に参加した。それらは「スコープ・レポート(SCOPE Report)」や「サナ・核の冬キャンペーン( SANA nuclear winter campaign)」として知られている。1980年には英国の非核防衛と外交政策の代案を調査するために、ブラッドフォード大学平和研究科(Bradford University School of Peace Studies)と他学科の支援によって「代替防衛委員会(Alternative Defence Commission)」が独立した組織として設立された。この委員会が1983年と1987年に発表した2つの報告書は大きな議論を巻き起こし、労働党、自由党や他の政党は核廃絶に向けて力強く動き出した。(後にこれは逆戻りした。)

 グリーナム(Greenham)での活動も続けられ、1982年には3万人の女性が基地を包囲した。1983年5月24日は、「軍備廃絶国際婦人デー(International Womens Day for Disarmament)」で女性のピースキャンプが米国、NATOや英国の他の場所に設置された。ファスレーンピースキャンプは、1982年にクライド基地に設置されたが、それは名目だけの僅かなレンタル料を払い、ストラスクライド(Strathclyde)の地方議会から計画への許可をとりつけたものだった。1980年代後半、彼女達は徹夜の見張りや基地の封鎖、侵入に加えて海上活動も開始した。こうした彼女達の役割は、クライド基地がトライデント潜水艦の母港になったとき、より大きなものとなった。

 雪玉キャンペーン(Snowball Campaign)は、1984年に始まった。そのねらいは、平和と核廃絶に対して大きく広がった大衆の願いを直接行動によって示すことだった。キャンペーンに参加した人達は、地元の核基地でフェンスの金網を切断し自主的に逮捕された。3000人近い人達が3年間に42ヶ所でキャンペーンに参加し、2419人が逮捕された。1980年代には「戦争に反対する国際法(International Law Against War[INLAW])」や「パクス・レガリス(Pax Legalis:法による平和)」や「法と平和のための協会(Institute for Law and Pease[INLAP])」などによるキャンペーンを通じて起こされた数多くの裁判があったが、こうしたキャンペーンのねらいは政府のメンバーを、人々を扇動して大量虐殺やジュネーブ協定の重大な違反を犯させた共謀の罪で告発することをも視野に入れたものだった。これらの「告発」は、よく地域のマスコミに取り上げられ、支持を得た。しかし(予想されるとおり)、多くの裁判官が「公益」を理由に訴訟を却下したり、キャンペーン参加者を訴訟濫用罪で告発したりしたので、それ以上の進展は得られなかった。非常に成功をおさめた法律キャンペーンは、1987年に開始された世界法廷プロジェクトだった。(次の国際項目と6章の6.7を参照)

 米国とソ連(後のロシア)との間のSTART(戦略兵器削減条約)の交渉、CTBT(包括的核実験禁止条約)、NPT(核不拡散条約)の更新、そしてとりわけ冷戦の終結に伴い、80年代よりも核の危険性が減少していると思われたことで、核の脅威に反対する大衆の意見を結集するのは一層困難になった。それにもかかわらず、CND(反核運動)は(80年代初頭よりも少ないメンバーではあるが)今なお国内においても、数百の地元グループにおいても活発である。1996年に設立された「アボリション2000(Abolition 2000)」は、全ての平和団体と反核団体を結びつけることを目指すものである。「グリーンピース」は、大西洋でのフランス核実験に反対して世間の注目を集める行動をとった。そして、「地球の友(Friends of the Earth[FOE]注:国際環境保護団体)」とともに放射性廃棄物の投棄に反対する行動を行った。近年、核エネルギーとプルトニウム経済には大きな注目が向けられた。「非核地帯を宣言している地方自治体(Nuclear Free Local Authorities)」は、今なお核の輸送、安全、廃棄物、兵器産業から平和の事業への転換の問題と取り組んでいる。「ヌーク・ワッチ(Nukewatch:核の番人)」は、英国内の道路を走っている核の輸送部隊を追跡して自分達のトラックで核の輸送隊をストップさせるというキャンペーンに数百人の地元市民を結集させた。そしてまた、頻繁に起こっている事故や深刻な核の汚染の可能性を公表した。ファスレーンピースキャンプは、議会の方針変更によって立ち退きの脅威のもとにあるが今なお闘っている。

 大きく変化した世界においてトライデントが引き続き存在していることは、英国が核による全滅への道を歩むのではなく、紛争を平和的に解決するような国に変わることを願って平和運動を力強く進める英国のキャンペーン参加者全員に対する挑戦である。

 国際的反核運動

 国際レベルでの反核キャンペーンは様々な形で行われている。例えば、科学団体による公開状、請願書、会議、ロビー活動;法律や政府との間に確立されたパイプを通じての専門家や市民による活動;そして様々な形での「街頭」抗議行動(デモ行進、封鎖、直接行動、ピースキャンプ)。これらの活動のうち1、2種類は1945年以来ほとんどずっと続けられてはいるが、核の開発や配置や危機に呼応してその動きは山あり谷ありであった。

 1945年からの数年間は、科学者達が主として反核運動を導いていた。(外交レベルでは、1949年にジュネーブ協定の議定書が制定されたが)。「原子力科学者連盟(Federation of Atomic Scientists)」は、「米国原子力委員会(US Atomic Energy Commission)」の文民統制のため徹底してロビー活動を行い、ある程度の成功をおさめた。冷戦が深まる中、ラッセル・アインシュタイン宣言(ライナス・ポーリング(Linus Pauling)とジョセフ・ロートブラット(Joseph Rotblat)も署名している)によって、最初のパグウォッシュ会議が1957年に開催されるに至った。パグウォッシュ会議とは、核兵器に反対の立場をとる著名な科学者の国際的な集まりで、それ以来ずっと会合は続いている。同時にポーリングは、核兵器と核実験に反対する請願書を作成し、それにはおよそ1万人の科学者が署名した。急速に進む軍備拡大競争や核による先制攻撃に賛成の立場をとるNATOの決定、そして大気圏内での核実験による死の灰に対する大衆の意識の高まりは、ドイツや他の国々で多くの街頭抗議行動を生み出すに至った(CND反核運動に関しては英国の項目を参照)。

 1962年のキューバ危機の影響が大きいと思われるが、50年代後半のこのような努力の数々が、米国、ソ連、英国間での大気圏内の核実験を禁止する1963年の部分的核実験禁止条約を導いたのだった。(フランスは大気圏内核実験を継続した。下記参照。)だが核反対運動は依然として続き特にヨーロッパにおいて顕著な動きを見せた。例えば「核兵器反対欧州連合(European Federation Against Nuclear Arms)」は、1962年にコペンハーゲンで12カ国による会議を開き、ドイツでは10万人が西ドイツや他の領地にある核兵器に反対してデモ行進をした。

 市民運動と並行して国連は、1961年、核兵器の使用は国連憲章の精神、定義、目的に反すると宣言する決議案を通過させた。これは同様の多くの決議の最初のものであった。1959年から1985年の間に、南極大陸、ラテンアメリカ、アフリカ、南太平洋に非核地帯を設ける数多くの条約が署名された。

 1973年、オーストラリアとニュージーランドは、太平洋の大気圏内で核実験を行ったことに対し、フランスを国際司法裁判所に提訴した。だがフランスは国際司法裁判所の権限を認めず更に2回の核実験を行った。その後フランスは、これ以上大気圏内の核実験は必要としないと発表し、裁判を棚上げの状態に持ち込んだのである。

 核保有国は1987年、1968年の核不拡散防止条約の中身を拡大解釈して、非核保有国に対して消極的安全保障協定(Negative Security Agreements)を提示した。しかしながらこの消極的安全保障協定の拘束力は不確実である。1978年にニューヨークで開かれた第1回国連軍縮特別会議(UNSSOD)は、そこでの示威運動、特に国際的な女性団体による示威運動の絶好のチャンスとなった。

 ヨーロッパに地上基地発進ミサイル、クルーズとパーシングを配備するという1974年のNATOの決定は、抗議行動の新しい波を起こした。ソ連はそれより以前にSS20を配備していたが、それに対するNATOのこの過剰な反応の結果、SS20の配備地域を東ドイツやチェコスロバキアにまで拡張した。オランダでは2万人の原告がクルーズの配備を阻止しようと政府を提訴したが配備を引き延ばすことに成功しただけであった。オランダとドイツでは反中性子爆弾抗議行動が行われ、米国では街頭抗議行動や陳情活動(ワシントンでは15万人がデモ行進した)が行われた。そして1982年の第2回国連軍縮特別会議に合わせて、ニューヨークでは非常に大規模な集会が開かれた。会議、デモ行進、直接行動、ピースキャンプ(グリーナムコモンについては英国の項を参照)等を含む多くの女性活動が世界規模で起こった。直接行動に対する裁判のうちいくつかは「必然的防衛」の原則に基づき(より重い罪を防止するための行動)、無罪を勝ち取ったがそのようなケースは決して多くはなかった。

 E.P.トンプソン(Thompson)が、「欧州核兵器廃絶運動(European Nuclear Disarmament[END])を設立したのはこの頃であり、それは東西ヨーロッパに核のない国々のグループをつくるための草の根運動となることを意図していた。科学者達の宣言(サハロフ博士及び、マウントバッテン卿やローマ法王ヨハネパウロといった科学者でない人々をも含む)を引用して、彼はこのように書いた。「あらゆる警告は無視されてきた。私達は政治権力にこれ以上理解を求めても無駄である。」

 80年代には法的に違法性を証明しようとする運動が起こった。例えば、「非核地帯を宣言している地方自治体(Nuclear Free Local Authorities)」 に所属する国際団体、「先制攻撃反対ニュルンベルグ裁判(Nuremburg Tribunal Against First Strike)」、「国際平和ビューロー(International Peace Bureau)」や他の平和団体によって召集された「核戦争裁判(Nuclear Warfare Tribunal)」、そして世界法廷プロジェクトなどである。カナダでは、「核の解体作戦(Operation Dismantle)」が実施され、日本とパラオ共和国(Belau)では、非核憲法を擁護する活動がみられた。またニュージーランドは1987年に非核を宣言する法律を通過させた。1987年1月12日、西ドイツでは22人の裁判官がパーシング・ミサイルの配備に抗議して、ムートランゲン(Mutlangen)の米軍基地を封鎖した。彼らは行動に出る前に仲間の裁判官に出した声明で、自分達には増えつづける核兵器を前にして声を上げるべき特別の責任があるのだと説明した。裁判官の一人、ウルフ・パンツァー(Ulf Panzer)は、このように述べた。「正義と平和のために仕えるのが我々の職務である。核兵器は正義と平和のために尽くしてくれはしない。それらは究極の犯罪である。核兵器は人類全てを人質としている。」

 勧告的意見が出されるのに際しては、世界法廷プロジェクトが1987年から1996年にかけて国際司法裁判所に核兵器の合法性への審理を求めるキャンペーン活動を展開し、4百万を超える「大衆の良心の宣言(declarations of public conscience)」が世界規模で集められた。そして、1985年にノーベル平和賞を受賞、同年までに34カ国、14万人の医師の支持を得た「核戦争を阻止する国際医師の会(International group of Physicians for the Prevention of Nuclear War[IPPNW])」は、問題を国際司法裁判所へ委託するよう世界健康会議(World Health Assembly)に対してロビー活動を行い成功に導いた。最終的な判定は世界法廷プロジェクトがほぼ望んでいた通りであったが、それはほんの始まりに過ぎないと世界法廷プロジェクトは見ており、核保有国にそのことを受け入れさせるために現在も活動を続けている。一方、1996年にオーストラリア政府によって提起されたキャンベラ委員会は、外交手段によって全ての核保有国に非核化計画の同意を取り付けようと試みている。

 1995-6年の太平洋におけるフランスの核実験に対する抗議の高まりは、国際活動は今なお、ある一つの特別な誘因によって起こり得るものであることを示すものであった。しかしながら、フランスは一連の核実験を完了してしまった。60人の海軍と陸軍の高官による最近の声明は、核兵器廃絶を強く支持するものだった。また多くの平和団体を結びつけた「アボリション2000」という国際的なネットワークもあった。

 ハーグ平和アピール(Hague Appeal for Peace)は、「力による支配を法による支配に置き換えるために、戦争廃止の最終段階に着手することに専心する」と訴えて、多くの平和と軍縮のための国際運動をひとつにした。トライデント・プラウシェアは国際平和運動と手を結び、1995年5月のハーグ会議とそれに続くブリュッセルのNATO本部への行進に参加した。

 冷戦の終結と限定的では有るが核の緊張緩和(包括的核実験禁止条約、核不拡散条約の更新_ないがしろにされる可能性はあるもののこれらの条約によって歯止めをかけることもある_そして進行中の戦略兵器削減条約交渉など)によって、核廃絶のチャンスが開けたと見なすことは可能である。そしてこのチャンスを逃さず核廃絶を成し遂げるためには、あらゆる手段が国や地域レベルだけでなく国際レベルでも追求されなければならないことはこの50年間の経験からも明らかである。

参考文献と謝辞 

 1.5 なぜ今、非暴力直接行動、この活動なのか?

 この項はスティーブ・ホワイティング(Steve Whiting)によって書かれたものである。

 From Nuclear Deterrence to Nuclear Abolition「核抑止から核撤廃へ」_National Press Club (ナショナルプレスクラブ)、リー・バトラー将軍(米国空軍)_退役_1996年12月4日の講演より。

 The Movement Action Plan_ a strategic framework describing the eight stages of successful social movements「アクションプラン運動_成功した社会運動の8つの戦略的枠組み」、ビル・モイヤー(Bill Moyer)1987年、春。

 Turning The Tide- a Quaker programme on nonviolent social change  「流れを変える_非暴力社会変革についてのクエーカー教徒プログラム」_概要説明書_Quaker Peace & Service (クェーカー・ピース・アンド・サービス)。

 1.6 現在までの歴史的背景とプラウシェア運動の哲学

 この全項はハンス・レンダー(Hans Leander)により、アート・ラフィン(Art Laffin)

 とアン・モンゴメリー(Anne Montgomery)著のSwords into Plowshares「剣から鋤へ」という本の中で公表されたアート・ラフィンの記事An introduction to Plowshares_ Disarmament Actions  「プラウシェア核廃絶運動の紹介」から採用された。

 1.7 現在に至るまでの核兵器反対運動の概略と年代記

 これは、ハワード・クラーク(Howard Clark)とマイケル・ランドル(Michael Randle)からの意見をもとにダヴィダ・ヒギン(Davida Higgin)とズィナ・ゼルター(Zina Zelter)によりまとめられたものである。

さらに理解を深めるために

 Civil Disobedience as Christian Obedience- Steven Mackie

 Keeping the Peace- edited by Lynne Jones, The Womens Press Ltd, London, 1983

  

 Path of Resistance-  Per Herngren, New Society Publishers

 Protest and Survive- E.P. Thompson, 1982

 Snowball - The Story of a Nonviolent Civil-disobedience Campaign in Britain-edited by Angie Zelter and Arya Bhardwaj, Gandhi in Action.

 Speaking our Peace: Exploring nonviolence and conflict resolution-  Quaker Peace Action Caravan, Quaker Peace & Service (London) 1987

  

  

2章 トライデント・プラウシェアの組織概要

2.1 概要

 トライデント・プラウシェアのメンバーは個人誓約者(核の犯罪を阻止するための誓約書‐9章9.1参照_と、非暴力と安全のための誓約書‐9章9.2参照_に署名)であると同時にTPアフィニティ・グループの一員でもある。現在の誓約者全員の名前は巻末に掲載されている。

 最大15名までの個人誓約者達がトライデント・プラウシェア運動に不可欠な管理と実務の仕事を受け持っている。これらのメンバーをコアグループ(本章2.1.1参照)と称する。各アフィニティ・グループは半年に1度の代表者会議にそれぞれ1‐2名の代表を送ることになっており、会議では合意によって決議や問題解決が行われる。そこで取り上げられる問題には、誰をコアグループに入れるべきか、あるいは入れるべきではないかということも含まれる。電子メールディスカッションというものもあり、アドレスを持っているメンバーは誰でも無料で参加できる。TP2000@gn.apc.org に電子メールを送ればよい。この方法によって、いつ、どのように、何をすべきかを議論し、なすべき決定を知らせ、問題を提示し、誰でも情報交換ができてお互いに影響を与え合うことができる。

 「誓約者の情報新聞(pledgers Information Sheet)」と呼ばれる1枚刷りの新聞がコアグループのミーティングが開催された後に定期的に発行され、誓約者全員に送付される。内容はコアグループのミーティング議事録やトライデント・プラウシェアで行われていることを広く知らせるうえで不可欠な情報などである。「スピード・ザ・プラウ(Speed the Plough:早く鋤を)」は不定期のニューズレターで、1500名以上の支援者を抱える広範囲のネットワークに配布されている。

 TPプロジェクトが進むにつれて、第1回の代表者会議で色々なアフィニティ・グループからコアグループに対して、1998年8月にクールポート(Coulport)で開催される2週間にわたる初めての軍縮キャンプを手伝って欲しいという要請があった。法律と法廷に関する総合的なサポートを含めて食料、救急用品、情報やメディア活動に対する最低限のインフラを提供して欲しいと依頼された。コアグループによるこの支援活動は継続され、現在では法的支援チームが常設され、スコットランドとイングランドの法廷に出廷する活動家を支援し、法的防衛についての助言を与えている。コーントンベール刑務所(Cornton Vale )支援グループは、コーントンベール刑務所で服役中の女性達を支援している。プレスチームは各アフィニティ・グループが地元で行っている地域的なプレス活動と協調してうまく機能している。新たに支援を申し出る人が増えるにつれてもっと多くの支援や活動が実現するだろう。

 個人あるいはアフィニティ・グループがトライデント・プラウシェア全体に対して提案や構想がある場合は、別のメンバーやアフィニティ・グループと連絡をとったり、ミーティングを召集したりして議論の口火を切り、構想に対する合意を築き上げることができる。これまでコアグループは必然的にキャンペーン全体について毎日多くの決定を下さざるを得なかった。もしTP誓約者あるいはTPアフィニティ・グループがコアグループのメンバーの仕事に不満がある場合は、コアグループに対して、あるいは半年に1度の代表者会議で、または直接個人誓約者全員と全アフィニティ・グループに対してその問題を提議することができる。私達はできる限り合意の上で活動するようにしている。提案された行動あるいは決定に対して重大な異議が唱えられた場合、合意が得られるまでは実施しないというのがコアグループのこれまでの方針である。全体の枠組みと譲ることのできない基本原則は運動がスタートした時点で既に決定されているので、主な議論はしっかりと一貫性のある運動をどのように実行し発展させていくかということである。しかしながら、もちろん活動をともにしているすべてのグループの合意が必要な重要決定事項もある。例えば、対話と交渉チームが政府とミーティングを持つようになった場合、さらに私達の要求のいくつかが通った場合、私達は非武器化行動を中止するかどうかを決定しなくてはならない。この決定は誓約者全員との協議や意見をもとに合意の上で下される。同様にいつ、どの様にTP運動そのものを中止するかという決定も必要になってくるだろう。TP運動は当初2000年1月1日を期限としていたが、その時点で誓約者達がTPを継続すべきだと決定した。この決定は毎年見直されている。

 2.1.1. コアグループ

 最初のコアグループは6名で構成されており、もともとは1997年6月に色々な平和ネットワークに向けて発信された初期概要説明(Initial ExplaNATOry Briefing)に賛同した人の中から進んで名乗りをあげた人達の集まりだった。1998年5月にキャンペーンを公に打ち出す前の初期の段階では、このコアグループは「損壊罪の共謀」あるいは「当局が介入してくる可能性のある罪」に問われる危険をいとわず公然と責任のとれるトライデント・プラウシェア活動家のみで構成されていた。

 初期のコアグループはハンドブック、ビデオ、チラシの製作と、非暴力と安全のためのワークショップの立ち上げに従事していた。彼らは合意の上で活動し、他の平和活動家達にも広く助言を仰いでいた。その後にTPに参加した人達には十分に検討された一貫性のある運動が提示された。主要なルールはすでに決定されていてそれらを変えることはできない。最初のハンドブックには全体的な枠組みが説明されている。今回の新しい版はTPの展開に伴って加筆されているが、スタート時に決定された基本ルールの範囲を超えるものではない。

 現在のコアグループは、TPキャンペーンの目的達成のために実務的な面と管理的な面の業務を共に遂行できると考える13名によって構成されている。コアグループは合意の上で決定を下す。コアグループへの参加を希望するTP誓約者は現在のコアグループに申請することができ、コアグループは申請者がどれ位働けるかに基づいて決定する。

 現在のコアグループのメンバーと電子メールアドレスは以下の通りである:

 モラグ・バルファー(Morag Balfour) mo@mbalfour.freeserve.co.uk

 シルビア・ボイズ(Sylvia Boyes) robinandsylvia@yahoo.co.uk

 マギー・チャーンレー(Maggie Charnley) mcharnley@freenet.co.uk

 アリソン・クレーン(Alison Crane) alison.crane@ntlworld.com

 ジェニー・ガイアウィン(Jenny Gaiawyn) mia_kat@yahoo.com

 カースティ・ギャザーグッド(Kirsty Gathergood) -

 アンドリュー・グレイ(Andrew Gray) andrew@andrewgray.uklinux.net

 ヘレン・ハリス(Helen Harris) coney@gn.apc.org

 デビッド・ヘラー(David Heller) d.a.heller@geo.hull.ac.uk

 サラ・レズンビー(Sarah Lasenby) sarahlasenby@breathmail.net

 デビッド・マッケンジー(David Mackenzie) davidmc@enterprise.net

 ジェーン・タレンツ(Jane Tallents) janejim@gn.apc.org

 ブライアン・クェール(Brian Quail) bb_lovenest@yahoo.co.uk

 最新の住所と電話番号は下記宛てに請求すること:

 デビッド Tel.01324 880744

 TPキャンプに参加するアフィニティ・グループは食料、キャンプ用品、あるいはメディア用の備品を自給するというのが最初の計画だった。現在はこういった業務は中央で統括する構造になっており、メンバーは核兵器廃絶活動に専任できるようになっている。しかしながらそれはそれぞれの業務に貢献している全ての人達のおかげである。

  

2.2 銀行口座

 「トライデント・プラウシェア」名義の口座が開設されており、コアグループが管理している。全員無償で働いている。コアグループで働いている人を含め各活動家は誓約者になったときに10ポンド(約1800円)寄付することになっている。寄付は大歓迎である。資金はキャンペーンの運営にまわされ、このハンドブックやビデオの製作費用、電話等の通信費に当てられる。

 大部分のアフィニティ・グループはそれぞれの財政を自分達で賄っている。各グループは旅費や通信費を捻出するために資金を集める必要がある。また「アフィニティ・グループ支援基金」が設立されているので、資金調達が困難なグループは申請すれば利用できる。「法的支援基金」と「収監者支援基金」も設立されている。事務局あるいはコアグループを通して申請できる。

  

2.3 非暴力と安全のためのガイドライン

 非常に緊張した状況下で大勢の人達と一緒に活動するので非暴力の訓練が絶対に必要である。中には400人から500人が現場にいた封鎖もあった。最大限の核非武器化活動を計画しているグループの中には、非常に有毒で放射性のある核を装備した強力武器システムの非武器化を企てているものもある。したがって安全への配慮がきわめて重要な問題なのである。

 トライデント・プラウシェアの正式なメンバーは全員2日間の非暴力と安全のためのワークショップに参加しなければならない。このワークショップにはグループ単位で申し込み、アフィニティ・グループの一員として参加するのが理想である。全員がアフィニティ・グループに属していなければならず、自分自身を積極的なサポーターと定義するにしろ、積極的な核兵器廃絶活動家と定義するにしろ「核の犯罪を阻止するための誓約書」に署名していなければならない。アフィニティ・グループの枠内で活動しているサポーターの危険は非常に少ないものの、全員が準備を怠らないことが賢明である。それはまたサポート活動の本質を認識することでもある。つまり皆が自分のできることをやり、関与している者同士がお互いに対して責任を持つ。仕事はどれも等しく重要ですべての任務がきちんと全うされなければならず、お互いがそれらの仕事を認め、尊重しなければならない。

 ワークショップは一貫性を持っている。各グループは同じ題材を扱う。都合がよければ複数のアフィニティ・グループが同時に同じワークショップに参加することもできる。今後の仕事についての助言を得、準備すべきことについての知識を獲得し、必要ならば後から再びファシリテーターの助けを要請することができる。コアグループは各アフィニティ・グループと連絡を取っている。コアグループはファシリテーターとグループとの話し合いに基づき、そのグループをトライデント・プラウシェアのアフィニティ・グループ(本章2.6)として登録するかどうかを決定する。これは国家当局、テロリストまたは暴力的な人などの潜入を防ぐために最も必要な安全対策である。

 トライデント非武器化行動によって自分自身や他の人を傷つけないようにあらゆる予防策を講じておかなければならない。同時にまた責任の重さは認識する必要はあるが、そのために行動力がそがれるようなことが決してあってはならない。軍が責任ある乗組員の管理を確実に行えるのと同様、私達にも責任を持って核兵器廃絶行動を確実に実行する組織を作り上げる力がある。実際のところ、ドラッグの使用と常に核戦争の瀬戸際に立たされているストレスで「自制心を失っている」軍の隊員に関する調査を考慮すれば、私達の方が優れた仕事ができるようにさえ思える。

 私達の活動やキャンプの中には誓約書に署名していない人が参加できるものもある。そういう機会を利用して、新しい人がアフィニティ・グループに入ったり、グループを作ったりする可能性を探り、訓練を受けることができる。このような人達は短期間の非暴力と安全に関する半日ワークショップに参加し、譲ることのできない基本原則を含む非暴力と安全のための誓約書に署名することができる。

 非暴力と安全に関する7つのガイドラインがトライデント・プラウシェアの基本原則であり、譲ることのできないものである。それらは世界中の非暴力という考えと行動に基づいている。これらのガイドラインを受け入れられない人にこの運動は向いていない。すべての活動家はそのガイドラインを十分に検討して、署名するかどうかを決めるべきである。ガイドラインを尊重し、非暴力と安全のための誓約書(9章9.2)に署名した活動家だけが参加できる。各アフィニティ・グループは独自の基本ルールを付け加えたいと考えるかもしれない。ガイドラインの特徴は、相手側を含め活動に関与しているすべての人々に対する敬意と配慮である。つまり人を傷つけ、損害を与え、品位をおとしめることを徹底的に拒否するということである。苦しみが避けられないものなら、活動家は他人に苦痛を与えるより自分自身で引き受けようと考える。相手の人間性に訴えるということと、一方の側からのみの真実など有り得ないという認識が盛り込まれている。手段は目的を達成するためのものであるから手段と目的が矛盾してはならないという考えに立っている。

 私達の基本原則に矛盾する行動をいくつか挙げてみよう。放火は決してやってはならない。例えばラグビーのタックルの様に警備員を手荒く扱ってもいけない。設備や機械類に損害を与えることは私達の行動の一部であるが、人の身を危険にさらすような方法をとってはならない。複合的トライデント核兵器システムの一部である設備だけを標的にすべきである。

 各活動家とアフィニティ・グループは、全ての人の安全を確保するために、自分達の非武器化行動の結果として起こり得ることを十分に時間をかけて検討すべきである。基地、事務所、潜水艦(どこであれ)などへの出入りに際しては緊急の場合に備えて少なくとも一本の安全なアクセスルートを確保しておくべきである。破損したガラスや切断面には印をつけて人の注意を喚起するために張り紙を貼っておかなくてはならない。突き出していたり落ちたりしたものが人をけがさせたりしないように、壊れた部分は安定した状態にしておかなければならない。

 私達の行動すべてに優先する原則は愛である。すなわち、生き物は絶対に傷つけてはいけないし常に穏やかに自制心を持って行動しなければならないということである。

 

  「平和運動についてその方法を示しながら愛情あふれるスピーチの形で語ることができるだろうか?それは平和運動に関わっている人が平和であるかどうかにかかっていると思う。平和的手段で平和を目指すのでなければ平和のためには何もできない。」

Thich Nhat Hanh

  

1. 活動家はアフィニティ・グループの一員であり誓約書に署名しており、コアグループに登録されていて非暴力と安全のためのワークショップに参加した者でなければならない。

2.私達の活動はオープンで公開されるという理念に基づいている。

 私達がその一端をにない、日々改善のために闘っている民主主義においては誰もが他人の行動に疑問を投げかけたり、批判する権利を持っている。そのため質問に答えたり、行動に対する責任をとる人間が必要である。したがって私達は自分達のアイデンティティを隠すために仮面をかぶったり、警察から逃れようとしたり、行動を完全に秘密にしたりはしない。核兵器廃絶の計画や企画は秘密にするかもしれない。しかし1度行動を起こしたら、活動家達は自分達の行動の全責任を負うために現場に留まるだろう。

 3.私達は誠実な態度で接し、遭遇する人達に敬意を払う。

    道徳をふりかざしたり、警察や防衛に従事する人など接触を持つ人達を口頭で攻撃することで不必要な分裂を生じさせたくない。適切であると判断すれば、彼らを丁重に話し合いに引き込む。すべての人間には無限の価値があり、私達と対等であるばかりでなく、核兵器廃絶プロセスにおける同盟者なのである。もし、そしていつか核兵器廃絶が実現した時には、今私達が挑戦している政策や措置を施行している当局や部署の担当者その人が正式な核兵器廃絶プロセスを現実に遂行する担当者になるかもしれないのである。彼らが実際に核弾頭を撤去し、安全な倉庫に保管し、ミサイルを米国に返還し、潜水艦を廃船にして私達が着手した核兵器廃絶プロセスを完遂する担当者になる可能性があるのだ。

 4.いかなる個人に対しても身体的暴力や言葉による陵辱を行使しない。

   暴力には身体的暴力と心理的暴力があり、「いかなる個人」という表現には私達自身も含まれる。緊迫して圧力のかかった状況ではスローガンを叫ぶことさえ脅迫的で攻撃的と見なされることもありうる。状況を判断して適切な行動をとらなければならない。私達に対して暴力を振るう人はいないと仮定しているので防衛上の装備はしていない。所有物を破壊することを暴力的であると考える人もいるが、私達は平和的で安全な破壊や本質的に暴力的な所有物を取り壊すことが暴力的行為にあたるとは考えていない。実際、それは平和的で、必要で、責任ある非暴力行為であると考える。

 5.武器は持たない。

   核兵器廃絶のために私達が携帯する道具はいかなるものも人を脅かすような方法で使用してはならない。例えば警備員が私達の方にやってきたら道具をおいて空っぽの手を広げてみせればよい。

 6.トライデント・プラウシェアキャンプや活動にアルコールやドラッグ(医療目的以外で)を持ちこまない。TPキャンプに宿泊している時や活動に参加する予定の時に上記の物を敷地外で消費することも含む。

   註:キャンプから離れたところでアルコールやドラッグの使用が認められているイベントに参加する人は、キャンプから出てこれらの物質の効果がすっかり消えるまでキャンプには戻らないことを約束して署名する。

 これはトライデント・プラウシェアのすべての集会に適用されるルールである。故に参加者全員が安心感を持てるのであり、警察がやってきたとしても彼らもまた私達を信頼できるのである。誓約書にこの項目があるのは、安全と非暴力を確実にするためだけであり、これらの物質一般について、あるいは人々のライフスタイルについて肯定的であれ否定的であれ何らかのコメントをするものではない。

 7.活動に関する色々な取り決めをすべて尊重する。

   このハンドブックにある非暴力と安全のためのガイドラインは運動全体に適用され、それらは譲ることのできない基本原則である。しかしながら活動を進めていくうちに必要となる決議や取り決めは半年に1度開催される代表者会議などで協議される。

2.4 共同責任

 非暴力抵抗運動においては、政府当局がリーダーとみなした者や手当たり次第に何名かを連行してキャンペーンの成功を阻止しようとすることがよくある。深刻な法的制裁に脅かされる者はほんの数名であり、それも実刑にはならないだろうが最終的な結論が出るまで数年を要することもある。その間、サポーター達は意気消沈したり怯えてしまって確信を持てなくなり、士気を失うという結果を招くことがある。

 こうしたキャンペーンでは情報が2‐3名の人に握られている場合が多いが、そのような場合、誰かキーパーソンが「抜けた」(例えば公判審理のために身柄を拘留されたりして)時にキャンペーンにとって必要で重要な情報が欠落してしまう危険性がある。また、2‐3名の人だけが情報を握っていると、他の人達は十分に関与あるいは参加しているとはいえず不健康な権力構造が生まれてしまう。

 こういった問題を避けるためには全員がすべての関連情報を把握しているようにしなければならない。いかなる場合にもプラウシェア活動は完全にオープンでなくてはならず、参加者全員、警察、裁判所、政府当局などと情報を共有するようにしなくてはならない。私達に隠すべきものは何もなく、国際法を支持し、人間としての倫理をふまえて行動しようとしている。このハンドブックは組織や意思決定についての情報のみならず、技術上および法律上の情報をも共有するという私達の姿勢を示す一つの例でもある。誓約者全員がトライデント・プラウシェアに参加しているすべての人の名前と住所の最新リストを持っている。TP活動家には積極的サポーターと積極的核兵器廃絶活動家が含まれる。もしコアグループが謀議の罪で拘留された場合(極めて稀ではあるが起こりうる)、他の活動家達は互いに連絡を取り合って新しいコアグループについて決定し、そのグループと共に活動を進めていく。私達にリーダーはいない。自発的にやりたいと思う人達だけで色々な仕事をコーディネートする。このハンドブックに掲載されていない情報を欲しい人はコアグループの現メンバー(本章2.1.1)に連絡して下さい。ウェブサイトでは定期的に最新情報を掲載している。

 私達は平和的な軍縮行動に従事している地球市民という仲間としてお互いに完全に共同の責任を負うという実験を試みている。個人の能力に応じて互いに責任を持ち、平和なプラウシェア活動によってもたらされる個人的および法律的結果はどんなものでも共有しようとしている。各アフィニティ・グループは共同責任のコンセプトを研究し、どのように解釈するかを決めなければ成らない。およそ半年に1度開催される各種の代表者会議で互いにチェックすることができる。会議の議事録は誓約者全員に送付される。TPの総合的な決定はこれらの会議で行われ、各グループは代表を一名送らなければならない。そうでなければコアグループだけが決定権を握ることになり、それは誰にとっても不公平である。

 政府当局は、大部分の人がすぐに疲労して粘り強くやり続けないということをよく知っている。共同抗議を続け、互いに助け合い、何度逮捕されても常に活動に復帰するような活動家には慣れていないだろう。抗議運動をする人達はたいてい1度逮捕されると止めてしまう。願わくは投獄されるまで活動を続けたいものである。私達は真剣に核兵器を廃絶することを考えている。これは1日限りのデモンストレーションではなく、核兵器システムを廃絶するためのグループとしての共同の企てなのである。私達はプラウシェア活動に献身的に参加し責任を負うという約束をし、それぞれが数年間の投獄の可能性(非常に稀ではあるが)を受け入れたのだ。つまり私達には非常に並外れた高度な責任をグループとして負う可能性があるということである。したがって当局は私達の活動にいかに対応するかという対策を練る際にはこのことに留意しなければならないだろう。当局の決定がいかなるものであっても私達は核兵器廃絶に向けておのれの本分を尽くす。英国の刑務所に数百名のプラウシェア活動家が収監される映像を見た一般民衆によって、核兵器廃絶のために最終的に必要な圧力がかけられることを願う。

 共同責任についてはよく検討する必要がある。共同責任とは道徳的責任を負うということなのか、それとも罰金や賠償金の支払いにおいても助け合うということなのか?個々のアフィニティ・グループは数百ポンド(数万円)にしかならないような最小限の損害しか出さないことを選択しているのに、数百万ポンド(数億円)にも相当する損壊の賠償金を支払う責任をすべてのグループが負うということは論理的に説明できるのか?たとえ刑務所に何人入ることになろうともそれぞれのグループの最も重要な貢献はできる限り核兵器廃絶運動を継続していくことなのだろうか?もし数名が連行され起訴されたら、残りのものは出廷して、ひっきりなしに立ちあがって、国際法を遵守したことにより私達も有罪であると言い続けて法廷を混乱させて法廷侮辱罪に問われるような行為をするべきか?法廷あるいは刑務所を封鎖すべきか、あるいはもっと核兵器廃絶運動に力を注ぐべきか?これらすべての選択肢について熟慮検討し、グループで議論できないだろうか?あなたのグループは基本原則の範囲内であれば自主的に決定ができるということを忘れない様に。

  

2.5 プラウシェア活動家/誓約者

 プラウシェア活動家は口頭で、またはちらしや「トライデント・プラウシェアに参加しませんか」(9章9.10参照)を使用して募集している。適当な場所と思えばどこでこれらを配ってもよい。新しくプラウシェア活動家になった人で自分のアフィニティ・グループを持っていない人や、地元でグループを組むことのできない人には、私達がアフィニティ・グループを探してそこに入ってもらうようにしている。私達はアフィニティ・グループごとに活動するよう強く要請する。お互いが十分に知り合える小さなグループは必要とされる緊密なサポートを提供しあえるし、警察の囮が潜入しにくく、各グループは自主的に活動し状況の突然の変化に容易に適応できる様にしておくべきだからである。

 コアグループは一定量の総合的サポート(組織全体の綿密な計画の検討、資料の作成、大規模集会の世話、国内および国際的なプレス活動、警察組織の監視、公判の傍聴、情報共有の拠点としての活動など)を提供してはいるが、それにもかかわらず、中央集権的で権威主義的な組織構造を作るための資金もリソースもなければ、作ろうという気もないのである。そのような構造は第三者によって簡単に壊されてしまうし、メンバーの能力を十分に発揮させることにもならないであろう。各アフィニティ・グループは独立していて、独自の個性を育てていくことができる。コアグループが行っていることは一般的な枠組みを提供し、プロセスを容易にしてアフィニティ・グループのメンバー全員がトライデント・システムの廃絶に向けて共に力強く行動できる様にしていくということだけである。多様性がありながらも細心の、そして熟慮された協力体制が私達の組織の強みである。各アフィニティ・グループがそれをできる限り良いものにしていくだろう。私達は皆そうする責任がある。もし組織の中心的基礎構造が崩壊したとしても、自立した自治権のあるアフィニティ・グループがその後を引き継いでいくであろう。

 コアグループはトライデント・プラウシェアに参加する個人やアフィニティ・グループを選びその決定に関して最終的責任を負う。決定に関する助言は、各個人や各アフィニティ・グループが行うし、各ワークショップ終了後にコアグループに対して推薦をする非暴力と安全のためのワークショップのファシリテーターも助言を行う。少なくとも一名のコアグループのメンバーが各アフィニティ・グループと連絡をとり、そのグループ専属の連絡役となる。これは率直に意見を交換し、隠し事のない極めて理にかなったオープン・プロセスの一つの形である。つまり囮やテロリストを排除し、そのアフィニティ・グループが不審を感じるような人を入れなくてすむように手助けする手段である。参加しようとする人達の行動力を奪うものではなく、私達の行動ができる限りの責任を負う安全なものであるということを純粋に確かめるための手段である。

 個人とグループはいつでもトライデント・プラウシェアに参加できるが、すべての人は以下の条件を満たして初めてTP活動家として承認され、登録される:

 ・非暴力と安全のためのワークショップに参加した;

 ・ファシリテーターの推薦を受けた;

 ・非暴力と安全のための誓約書に署名した;

 ・核の犯罪を阻止するための誓約書に署名した。

   

2.6 アフィニティ・グループ

 トライデント・プラウシェアの各アフィニティ・グループは3人から15人のプラウシェア活動家で構成され、彼らは核の犯罪を阻止するための誓約書と非暴力と安全のための誓約書に署名した上で核兵器廃絶運動に従事している。アフィニティ・グループは小人数なので議論、参加、サポートがよりスムーズに機能する。規模の大きいグループでは数名の人によって支配される傾向にあり、議論から取り残された人達は要求が叶えられなかったり、平等に貢献できないことがよくある。

 アフィニティ・グループはその組織の性質から多様なスタイル、信仰、信念や文化を開花させることができる。自分が参加したい、あるいは作りたいアフィニティ・グループの種類を熟慮すべきである。様々な信仰や国籍を持つ人達のグループがあり、特定の宗教や精神的側面に焦点を絞ったグループもあれば国際的なアフィニティ・グループもある。演劇や音楽を中心にしたり、曲芸の訓練を受けたアフィニティ・グループもある。古い友情の輪や単純に地理的な条件に基づいたグループもあるだろう。希望すれば、身体障害者、おばあさん、良心的兵役拒否者、退役軍人、年金生活者や科学者達のための特別なグループも作れるだろう。英国以外の国にベースを置くグループや平和や環境問題、あるいは人権運動をベースにした特別なグループもあるだろう。

 アフィニティ・グループがどんな性質を持っているかによってプラウシェア活動を行う方法やキャンペーン全体に何を提供できるかが決まってくるだろう。例えば、人を楽しませる才能のあるグループは私達全員を楽しませてくれるだろうから大部分のグループが逮捕された後でしか自分達の核兵器廃絶運動を行わないようにする。精神的、宗教的側面に焦点を絞っているグループは行動を起こす前あるいは行動の最中に信心深い雰囲気を全ての人に提供できるだろう。特殊な曲芸の技能をもっているグループは他の人が基地に進入できるよう手を貸してくれるかもしれない!

 紹介された、あるいは自ら参加したアフィニティ・グループに溶け込めない人は別のグループをさがすためにコアグループと連絡をとるべきである。これは個人の失敗でもなくグループの失敗でもない。アフィニティ・グループはとても個人的なものなので、メンバーの組み合わせが最良の結果にならないこともある。このことを認識して他のグループをさがすのが最も良い方法である。きっと誰もが気の合う仲間をみつけてそれぞれに特別の場所を確保するようになるだろう。

 グループで非暴力活動を行うには、徹底した綿密な準備が必要であり、グループの一人一人が何をもって暴力的であるとみなすかを議論することは必須である。外部のファシリテーターと一緒に準備をするのも役に立つことが多く、非暴力を研究する2日間のワークショップの手伝いを「ターニング・ザ・タイド(Turning the Tide:流れを変える)」に依頼したのもそのためである。すでに数年間活動しているグループもさらに理解を深めるために、そして非暴力についてさらに研究するためにファシリテーターを要請するよう奨めている。常によく考え、反省し、そして発展していくことが強く求められる。

 2.6.1 非暴力と安全に関するワークショップ

 各アフィニティ・グループは訓練を受けた2名のファシリテーターが指導する2日間のワークショップに出席する。これらのワークショップの目的はトライデント・システムを非武器化する際の非暴力と安全に関する問題を研究し、個人とグループがどのように関与していくかについて準備することである。TP活動家全員がワークショップで同じような体験をすることを目指している。ワークショップではロールプレイなどの色々なテクニックが紹介される。ワークショップの内容には以下のものが含まれる:

 非暴力と安全に関するワークショップはワークショップ申込書の受領後に手配される。ワークショップに申し込むためとファシリテーターの準備を助けるために9章9.3にある申込書に記入する。申込書がもっと必要なら下記にて入手できる:

 TridenTPloughshares, 42-46 Bethel St., Norwich, NR2 1NR.

        

 2.6.2 グループのプロセス

 アフィニティ・グループにおけるプロセスは完璧な人間などいないのだから注意深く見守るべきである! 定期的にミーティングを持ち、お互いによく理解しあうようにすることが賢明である。準備のためには最初は月一回の週末ミーティングまたは週一回の夜間ミーティングが必要だろう。お互いによくわかってきたらそれほど頻繁にミーティングを開くことはないが、それぞれのミーティングでは次に挙げる役割のいくつかを毎回必ず違う人が受け持つようにするのは良い考えである。それによってプロセスを観察できるし、手に余るようになる前に問題を提起する助けにもなる。交代で色々担当することで各人がグループの行動のさまざまな側面を体験し、グループを強化することができる。

 次のような役割がある:

 ングがビジネス志向であると同時にいつも楽しくあるように必ず社交タイムを入れることを忘れずに計画する。

 す。

 

  「自分達でやったんだ」という声がきけたらそのリーダーシップは最高である。

老子

  

2.6.3 コンセンサスによる

 意思決定は重要であり、各グループが合意の上で活動することが望ましい。投票による意思決定は少数派に不満と敗北感が残る:妥協案は誰の意見も通らないということなので全員に不満が残る。一方、コンセンサスによるは各自の最善の考えを組み入れてそれぞれの構想の統合を促すはずである。

 合意は受け身や支配的態度によって簡単に損なわれるので、合意の形を取るならば参加者全員が合意に向けて専心すべきである。意見を明確化してまとめ上げ、合意の範囲を探るためには、強力に、だが中立の立場でまとめていくことが必要である。コンセンサスによるは迅速なまたは効率の良い意思決定方法ではない:非常に時間がかかるし、人数が多くなればなる程非効率的になる。したがってどんな場合にも適する方法というわけではない。アフィニティ・グループは迅速に処理しなければならない決定の場合には別の方法を採用することについて同意を得ておく必要がある。

 合意による決定は全員がそれをグループとメンバーにとって正しいことであると進んで認める場合にのみ実施される。たった一人でも決定を妨げることができるが、それが最終的にはより良い決定へと導いてくれることもある。この「拒否権」は控えめに責任を持って使うように注意すべきであり、不賛成の場合は常に代替案を出すことが望ましい。グループの個々のメンバーがプラウシェア活動に関係する責任を取り、危険を冒すことになる場合にはコンセンサスによるが特に重要である。自分達を数年間刑務所に閉じ込めることになるかもしれないような議案に対して誰一人投票で負けることがあってはならない。たとえ長時間を要してもグループの全員が100%気持ちよく受け入れられる決定でなければならない。1度決定されたら全員がそれを支持しなければならない。

 「ゴー・ラウンド」と「トーキング・スティックス」(本章2.6.4)はコンセンサスによるを補助するツールである。全員が合意の内容をはっきりと理解できるように決定や提案を明確に簡単な言葉で述べることが不可欠である。複雑な決定はより単純で扱いやすい決定に分解すれば相違点や賛同できない点が分かりやすくなる。

 大規模なミーティングでは合意による決定をするために「フィッシュボウル」というテクニックを使うことがある。各アフィニティ・グループの代表は後方にグループのメンバーを従えて円形に座る。議論は代表者のみで行われるが、全員がそれを聴いている。必要ならばすべてのアフィニティ・グループがそれぞれの代表を呼び戻して議論し、決定してから代表が再び輪に戻る。代表者グループによる話し合いもアフィニティ・グループ同様合意によって進められる。かなり大きなグループの場合はいくつかのフィッシュボウルを設置することもできる。

  

 コンセンサスによるを使うべきではない場合

 グループ意識が存在しない時

 グループとしての思考プロセスはグループが十分にまとまっていて共有する姿勢と認識を生み出せる状態でなければ効率良く進まない。グループ内に深い分裂があったり、メンバーがグループとしての絆より個人の欲求に重点を置くような場合、合意を行使しようとしても失敗に終わってしまう。

 良い選択肢がない場合

 合意のプロセスはグループが問題の最良の解決策をみつける手助けとなるものであるが、最悪の選択肢から二者択一で選ぶのは有効な方法ではない。最悪の選択にメンバーが同意するはずがない。もし、グループが銃で撃たれるか、首を吊るかの選択を迫られたら、コインを投げることだ。

 グループが決定に行き詰まったらしばし立ち止まってこう問いかけてからよく考えよう:

 「耐えがたい状況にあるから立ち往生しているのか?選択というのは幻想であって現実ではないのか?この茶番劇に参加しないことが私達が最も権限を示せる行為かもしれないのではないか?」

 緊急事態

 緊急の場合、迅速で即座の行動が必要な時、一時的にリーダーを指名することが最も賢明な行動方針といえる。

 問題がとるに足らない時

 ランチの時間を40分にするか1時間にするかを合意によって決めるために30分も費やしているグループを知っている。合意は思考のプロセスであるということを念頭に置いておくこと。何も考える必要のない時にはコインを投げて決めるのが良い。

 十分な情報がない時

 丘を歩いていて道に迷って誰も帰り道がわからない時、帰り道を合意によって見つけることはできない。偵察をだして、こう問いかける:「この問題を解決するのに必要な情報を私達は持っているか?その情報を獲得できるのか?」

スターホークの真実さもなくば挑戦 より

  

  

 拒否/妨害の代替手段

 十分に議論が尽くされまとめられた提案を拒否したり、妨害したりするのは重大な行為である。つまらない好みや利己的な衝動に基づくのではなく、倫理、事実、しかるべき結果、当を得た強い感情に起因する道義的論拠に基づいてよく考えてから行うべきである。意思決定プロセスが何度も繰り返され、さまざまな意見が取り入れられ、修正が加えられても依然として提案されたことに賛同できないなら、グループのプロセスを停滞させない反対の仕方を考慮するのが良いだろう:

  

  

 コンセンサスによるプロセス

         多種多様な提案が発生する   

         (例:ブレーンストーミング)        

                             さらに提案が必要か?

           質問の明確化            組み合わせあるいは変形?

 議 論

           議論と分析

        削除できる提案はあるか?

        どの選択が好ましいか?       

               

          提案の発表

 ________  または提案の選択 ______________________

 

 明確化

        合意に向けてのチェック

  

  

 フィラデルフィア・ライフセンターの研究とリビングレボリューションのための資料マニュアル(Resource manual for a Living Revolution)(クーヴァー(Coover)、ディーコン(Deacon)、エッサー(Esser)、ムーア(Moore)共著)に基づくワークショップより。

  

 アフィニティ・グループ内で合意によって決定される議題には次のようなものがある:

 どのような核兵器廃絶活動をどのように行うのか?各自の役割は?誰がアフィニティ・グループの代表になるのか?グループの名称、グループとしてのコミットメント(本章2.6.6)は?いつ、どのようにフォローアップ・アクションをするのか?

 2.6.4 小規模グループのためのツール

 ゲーム、小休憩、おいしい食べ物などはグループ活動にとってどんな時にも役に立つツールである!

 し、それをグループに対して発表するとよい。このメンバーは最終的に要約をしてみることもできるし、グループがそのテーマに関して行うべき提案や決定を明確に述べられるよう補佐することもできる。アジェンダのそれぞれの議題を別々のメンバーが発表することは責任の分担になるので良い方法である。

 ・ゴー・ラウンド: 特定のテーマについて各自が順番に意見を述べる方法。発言したく  

  なければパスをして次の人にまわす。この方法の変形としてはフィーリング・ゴーラ 

  ウンドがあり、各自がどう感じているかを述べる。

 れを持ち、話している人がそれを持っている間は誰も中断させてはならない。話終わったら、それを中央の場所に戻し、次ぎに発言したい人がそれを持つ。

  

 2.6.5 アフィニティ・グループのアウトライン・プログラム

 何ができるかということについての私達の信念を束縛している私達自身の従順さに挑戦しているわけだから非暴力行動をとるのはかなり難しいことかもしれない。お互いを良く知る。どの様にして活動に関わるようになったのか、ここに至るまでのステップ、希望や恐怖、最良と最悪のシナリオのことなどを語り合う。グループの中で信頼と友情を築く。行動すること、逮捕されるかもしれないこと、禁止命令を受けること、メディアのスポットライトを浴びることなどの懸念や心配について議論する。さらに活動がパワフルになった時に伴う責任にどのように対処するかを話し合う。できるところから実際的な準備を始める。各自が貢献すべき時間を確定する。自分が貢献できることについては現実的に正直に申し出る。そうすればグループは必要ならさらに人を募ることができる。程度の差はあるが、行動の前、最中、そして終わってからとかなりの献身を要求されることを認識しておくこと。

 各アフィニティ・グループは独自の学習と準備プランを綿密にたてるだろうが、準備段階で以下のようなテーマを組み入れると良いだろう:

 ビデオとハンドブックを利用しての作業

 互いを良く知り、グループを確立する:

 グループの核兵器廃絶活動計画を立てる:

 実際的側面 :

 代表する

 実践 :

  

 2.6.6. アフィニティ・グループのコミットメント

 理想としては各TP誓約者が:

 しかしながら、これは大部分の人には過酷な要求であると思っているので安心してほしい!それでも自分のコミットメントを現実的に査定してコアグループに伝えてほしい。

 そうすればコアグループは現実に起こっていることを把握して助言を与えることもできるしメディアとの対応や緊急時の対策を練ることもできるだろう。

参考文献と謝辞

 スウェーデンのプラウシェア運動からの助言が有益だった。

 Turning The Tide a Quaker programme on nonviolent social change  クウェーカー教徒の非暴力による社会変革プログラム各種の報告書‐Quaker Peace & Service.

 Safe in Our Hands,  Royal Navy Ammunition Depot Coulport  Faslane Peace Camp and Scottish CND, July 1993.

 2.5 プラウシェア活動家/誓約者

 Turning The Tide-a Quaker programme on nonviolent social change  クウェーカー教徒の非暴力による社会変革プログラム各種の報告書_Quaker Peace & Service

 Hope and Resistance Handbook, May 1997, Volzendorf, Germany Stephen Hancock

 Resource Manual for a Living Revolution, Cooper, Deacon, Esser and Moore, New Society Publishers (USA), 1981.

さらに理解を深めるために

 A Resource Manual For a Living Revolution Virginia Coover, Charles Esser, Ellen

 Deacon and Christopher Moore, New Society Publishers, Philadelphia, USA, 1981.

 Co-operative and Community Group Dynamics or your meetings neednt be so appalling _Rosemary Rendell and John Southgate, Barefoot Books(London),1981.

 Defence in the Nuclear Age -Stephen King-Hall, Gollanz, London, 1958.

 Despair and Personal Power in the Nuclear Age  -Joanna Macy, New Society Publishers (USA), 1983.

 Manual for Action  -Martin Jelfs (revised by Sandy Merritt), Action Resources Group, 1982.

 The Tyranny of Structurelessness -Jo Freeman, 1984, in Untying the Knot,

 Dark Star Press and Rebel Press, London.

 War Resisters League and Organisers Manual -Ed. Hedeman, War Resisters League,

 New York, 1981.

  

 

  「身を投じるまでには、ためらいもするし、引き返そうと思うこともある。出来る訳がないという思いにも常にとらわれる。だがどんな行為の第一歩にも確実に言えることがある。決意を持って身を投ずれば神の摂理も働くのだ。それを無視すれば無数のアイデアと優れたプランを殺してしまう。出来ること、夢見ることが何であろうと始めるのだ。大胆さにはおのずから天賦の才と魔術が宿っている。さあ、今すぐに始めるのだ。」

                    ゲーテ