岩波書店「世界」,99年11月号,120〜128ページ.同誌と著者の承諾のもとに転載します.(最終校正:06年1月22日9時)


地球市民の責任

東チモールとプラウシェアの平和運動

インドネシアに輸出され東チモール弾圧に便用されたイギリス製の兵器。兵器工場に侵入し、これらを破壊した女性たちがいた。彼女たちはなぜ直接行動に訴え、陪審員はなぜ彼女たちを無罪にしたのか。

アンジー・ゼルター
訳・大庭里美

「無罪。完全無罪!」−− 一九九六年七月三〇日、非暴力直接行動によって兵器を破損し、使用不能にした四人の女性たちの釈放が決まった時、リバプール刑事裁判所にいたほとんどの人たちが涙を流していました。彼女たちはインドネシアに輸出される予定だった地上攻撃用戦闘機ホークへの破壊行為によって、禁固一〇年の刑を言い渡されるところだったのです。支持者のひとりは、感想を次のように語りました。「私たちは裁判の間も、そして私たちの友人が大量殺戮を防ぐための行動を理由に半年間拘留されている間も、無罪を固く信じていました。正義と東チモールにとって、今日はなんてすばらしい日なのでしょう!私が法廷から飛び出して行くと、広場には歓声と笑いと涙があふれていました。私たちは勝利を祝いながら、東チモールの人々を含めて世界中の人々が一緒に、私たちとともに祝っていると感じていました。この行動はまさしく生命と正義を守るための軍備廃絶行動だったのです。誰もが自分がこの歴史的瞬間に立ち会っていること、新しい希望の輪の一部になっていることをかみしめ、抱き合っていました。」

 私は、その四人の中の一人でした。私は他の三人の女性たちとともに、イギリス政府が怠った義務を実行する行動に加わろうと決心しました。それは大量殺人の独裁者スハルトへの武器供与を阻止すること、世界史上に残る最悪の人権侵害をしているインドネシア体制に戦闘機が引き渡されるのを、最低一機は阻止することでした。

●剣を鋤につくりかえよ

 一九九三年六月、ブリティッシュ・エアロスペース(英国航空宇宙)は二四基の地上攻撃用ホーク戦闘機のインドネシアへの輪出契約にサインしました。インドネシアは、すでに一九七八年にホーク機を購入しており、これらのホーク機が東チモールの村を攻撃するのに使用されたことを、実際に目撃した人たちが報告しています。イギリスでは、何千人もの人々がホーク機の輪出を止めようとしていました。その取引に反対するために、人権・平和団体や武器貿易に反対する団体の大きな連合体が形成され、手紙、陳情や請願活動、署名運動、座り込み、ピースキャンプの呼びかけ、デモ、そしてダイ・イン、封鎖、政府やブリティッシュ・エアロスペースの建物への侵入など広範な抗議活動が組織されました。その中の数人は、ホーク機の最初の一群がインドネシアに向けて送り出される予定日まてにこれらの活動がどれも効果をもたらさなければ、自分たち自身で、考えられる限りの平和的手段で戦闘機を使用不能にし、引き渡しを防ごうと決めました。私たちは小グループに分かれ、すべての試みが失敗した場合の最後の手段としての非暴力直接行動、「プラウシェア行動」を一年以上かけて計画したのてす。

 プラウシェア(鋤)という運動はアメリカで始まりました。最初のプラウシェア行動は、一九八〇年、「八人のプラウシェア」によって実行されました。かれらは核弾頭の先端部を製造しているアメリカ、ペンシルバニア州のジェネラル・エレクトリック社工場に侵入したのです。聖書のイザヤ書とミカ書にある「剣を鋳直して、(耕作用の)鋤につくりかえよ」という言葉を実行に移し、彼らは二つの核弾頭先端部をハンマーで壊したのです。彼らはふつうの家庭用ハンマーを使って兵器を使用不能にしました。それ以来、オーストラリア、ドイツ、オランダ、スウエーデン、イギリスおよびアメリカで、六〇回以上プラウシェア行動が行われました。

 さまざまな種類の兵器システムがそれらの行動によって非武器化されました。その中には核兵器、戦闘機、対空ミサイル発射台、バズーカ擲弾筒、およびAK−5自動ライフルの部品などが含まれていました。プラウシェア行動は常に平和的で、わかりやすく、非暴力と市民的不服従の伝統をひいています。プラウシェアはキリスト教を起源としていますが、現在ではより普遍的なものとなり、さまざまな宗教や伝統から精神的な支持を得ています。私たちの行動は世界中で普通の人々によって行われている、そのようなプラウシェア行動の五六番目のものであり、私たちはこれを「希望の種子−−東チモール・プラウシェア−−命と正義のための軍縮を実行する女たち」と名づけました。女性だけによるプラウシェア行動としては初めてのものであり、また裁判で全面勝利し、兵器システムが大きな痛手を被った最初の例でした。

●東チモールを弾圧するイギリス兵器

一九六五年にスハルトが権力を掌握して以来、インドネシアの軍隊は武力で国内の人権を抑圧してきました。スハルトは権力基盤を確立するために、推定一〇〇万人の自国民を殺し、その後もインドネシアのいたる所で民衆を抑圧しつづけました。アムネスティ・インターナショナルはその状況を次のようにまとめています。「数十万人の民間人が殺され、バラバラにされた遺体が公の場に腐るがままに放置されることもあった。囚人は毎日拷間され、虐待された。中には、あまりに酷い扱いのために不治の傷を負った者もあった。何千人もの人々が、政治上および宗教上の平和的な意見を理由として、見せしめの裁判の後に投獄された。多くの囚人が銃殺執行隊によって射殺された。」

 武装したインドネシア軍は一九七五年、東チモールに侵攻して自決権を侵害し、国連安保理と国連総会の決議に反して東チモールの占領を続けています。この違法な占領が、資源搾取、土地奪取、拷問、爆撃や射殺などインドネシア軍が行っているすべての犯罪的行為のもとになっています。東チモールの住民の三分の一が殺されました。東チモールから亡命したノーベル平和賞受賞者のホセ・ラモス・ホルタ氏は「すべての村が消し去られ、すべての先住民部族が抹殺されました。これこそジェノサイドです。」と述べました。

 一九七八年以来、イギリスはインドネシアにとって軍の装備、軍用機、艦船などの主要供給国となっています。イギリスはインドネシアと特別な関係を持っていますが、それは人権保護の公約を形骸化するような貿易を基盤にしています。またイギリスは、警察と治安部隊のための装備を供給し、軍隊と警察を含む予備軍の訓練を行い、その中には第一線に立って拷間と人権抑圧を行ってきた部隊もありました。最初に売却されたミサイルで装備したホーク機のうち二機は、一九八三年には半年近くにわたって毎日使用され、東チモールの三つの地域で数百人の民間人とゲリラを殺すのに使われました。一九九四年九月には一機のホーク機が東チモールの村をせん滅するのが、また一九九五年二一月にはホーク機がディリ上空を飛んでいるのが目撃されました。

 どのような客観的基準に照らしても、インドネシアは一貫して国際法を侵犯しています。それでも、インドネシアに武器を供給しているイギリス政府は人権問題に関心を持ち、国際法を尊重していると言っています。政府当局の話によれば、すべての武器輸出をイギリス国内の指針と国際的指針に照らしてチェックしていると言います。その指針では輸入国の人権記録と国際法の尊重、国内の状態、地域的平和維持、および武器取引抑制の必要性が強調されているのです。しかしながら、兵器がインドネシアに送られ続けているのなら、こういった基準はまったく無意味です。それどころか真っ赤な嘘であり、さらに悪質です。武器制限協定は基準を並べ立てているため、武器の取引がいくらかでも制限されているような印象を与えますが、実際のところイギリスは人道的配慮などまったく省みずに、利益と戦略的達成を求めて武器を売っているのです。

 当時プリテノッシュ・エアロスペース代表幹部であったディック・エバンズは、私あての書簡でこのように述べています。「輸出を制限せょというあなたのご意見に関してお答えします。一九九四年、イギリス防衛産業の八二%が輸出市場にのぼり、財政業務調査で、ブリティッシュ・エアロスペースはイギリス工業製品の最高輸出者にランクされました。防衛関係製品をめぐってブリティッシュ・エアロスペースと世界市場の競合はきわめて激烈であり、輸出の機会をみずから制限したり、没落の危険を冒してまでイギリス国内市場に依存する余裕はありません。」

 イギリス通産省の図書館にあった「インドネンアの国情」には、次のように書かれています。「外交目標達成の追求にあたっては、二つの問題によって政府には外圧による妨害が続くであろう。つまり、旧ボルトガル植民地であった東チモールのインドネシアによる併合問題と、その人権労働状態である。しかし、この圧力はインドネシアのもっとも有力な貿易相手国の多くが、インドネシアの東チモールに対する役割を暗黙のうちに認めており、人権と引きかえにインドネシアとの潜在的に有利な貿易関係を犠牲にしようとする外国政府はほとんビないという事実を見ればなんとか処理できるであろう。」

 殺人とジェノサイドは、イギリス人に雇用を与えるという理由であっても、道徳的にも、法的にも許されるものではありません。しかし、実際にはこのことがスハルト体制への武器供給の土台となっているのです。今回はイギリスの政府と産業がインドネシア国家による恐るべき殺戮と抑圧に普通の労働者を加担させるのを阻止するために、イギリスの国内法であるジェノサイド禁止法が使われました。イギリス人は雇用を望んではいますが、それはその仕事が社会的にも倫理的にも正当とされる場合に限ります。

 雇用の間題は、たしかにひじょうに魅力的です。雇用は倫理に反した事業を進める際にもっとも共通して使われる弁解であり、兵器産業以外でも他の問題のある産業を擁護するのにしぱしば使われています。私たちの社会は、道徳的配慮その他の価値を経済的配慮に比べてどの程度重祝するべぎかを考えるべきです。他国民を犠牲にして、生活費を得ることが正当といえるでしょうか。これらは倫理的問題として問われるべきです。私はどの国であれ、他国民に苦痛を与えるような経済構造を許すべぎではないという意見に立ちます。

●ついに兵器工場へ侵入する

私たちのプラウシェア・グループのメンバーはすべて女性です。それは家父長制に基づく不公干な今の社会に挑戦するために、意図的にそうしたのです。兵器産業、戦争、そして人権抑圧は、男性によって管理され、女性と子どもを犠牲者にしてきました。過去一〇年間に二〇〇万人の子どもが戦争で殺されました。その数は、兵士の総数をはるかに上回ります。女性だけのチームでこれと対決するのは、ふさわしいと感じられました。私たちは五〇ぺ−ジのレボートを作成しました。それにはインドネシアによる東チモールへの非合法かつ残虐な侵略と二〇年間の大量虐殺による占領の経過、関連する国際法と決議、イギリスの対インドネシア兵器貿易に関する情報、そして私たちひとりひとりの声明が含まれていました。私たちはまた、二〇分のプロモーション・ビデオを作成し、その中には私たち四人が全員非常に強く影響されたジョン・ピルガーのビデオ「民族の死」からいくつかの場面を挿入しました。そのビデオには、ホーク機が彼らの村を攻撃し住民を殺したのを見たという東チモール住民の証言も含まれています。またインドネシア政府はイギリスから購入した武器を自国民の殺戮に使用することはないと確認していますが、それが一片の紙切れに過ぎなかったということを認めたイギリス閤僚の声明も暴露されています。それ以外に私たち四人もこのビデオの中でインタビューに答えて、なぜ自らハンマーでホーク機を壊そうとしているのかを説明しています。

 一九九六年一月中旬、すべての準備を一緒にすませてから、おしまいに私たちは互いにそれぞれの行動に責任を持って協力しあうことにして、二つのグループに別れました。一月二九日早朝、ロッタ、アンドレア、そしてジョアンナは、ランカシャー州ウォルトンのブリティッシュ・エアロスペース兵器工場のフェンスに穴を開け、かなてこで飛行機格納庫のドアを開けて中に入り、ホーク戦闘機操縦席の制御盤、レーダーおよび翼、機首と胴体をハンマーで破壊しました。与えた損害は約一五〇万ポンド(約三億円)になり、飛行機は使いものにならなくなりました。一九九一年ディリ(東チモールの首都)でインドネシア軍が平和的なデモに発砲し五二八人を殺害したサンタ・クルズの虐殺で、撃ち殺された女性と子どもたちの写真を、この数ケ月私たちが心をこめて縫った旗とともに機体に吊るしました。操縦席にはビデオとレポートを残し、平和の種子(野菜と花の種)を機体の周辺にばら撒きました。

 一週間後の二月六日、私は拘置所で彼女たちと再会しました。そうなることが時間の間題だということはわかっていました。なぜなら残してきたビデオとレポートに四人の名前と住所を明記しており、この行動について責任をとるつもりだということを明らかにしていたからです。私たちは誰がこの行動を計画したのかということについて、混乱させたいとは思いませんでしたし、少しでも隠れようとしているとは受け取られたくなかったのです。私の役割は他の三人が飛行機格納庫に侵入する前に捕まった場合、第二の秘密の行動を試みることでした。また彼女たちの行動がうまくいった場合は、報道関係に知らせて彼女たちの非武器化行動を確実に報道させ、残ったホーク機の輸出を止める行動に他の人たちを巻き込むことでした。

 私はウオルトンの近くでの集会で逮捕されました。警察は私がそこで発言することになっていたのを知っていたのです。しかし私は覚悟していましたし、すでにいくつかのマスコミからのインタビューを済ませ、通産大臣に対してホーク機輸出許可にサインしたことによるジェノサイド幇助および教唆の共謀についての逮捕状を裁判所に出させるように企図し、好意的な国会議員に会って、議会での緊急討論を開いてもらおうとしていました。

 公判までに拘置所で過ごした六ケ月間、私たち四人は何千通という支持者からの手紙を受け取りました。大きなマスコミは私たちの非武器化行動や逮捕についてほとんど報道せず、ただの犯罪的行為、蛮行、そして無責任な妨害活動などと簡単に触れただけてしたが、別の報道では詳しく伝えられ、すぐにインターネットに乗って流れました。世論の支持はひじょうに高まり、私の公判の時は法廷が混雑して、人々は交代で傍聴しなけれぱなりませんでした。また公判のある日はいつも数百人がリバプールから裁判所まで行進し、裁判所の外の広場で祈ったりデモをしたりしていました。支持者たちはみな、私たちの行動の道徳的正当性を認め、愛と祈りと支持を送ってくれました。

 私たちにとって最もうれしかったことは、インドネシアの刑務所からこっそり持ち出された手紙が届いたことでした。東チモールの囚人たちはラジオと、彼らの非公然のネットワークを通じて私たちの行動を知り、東チモールの悲劇に関する私たちの愛と連帯の行動を喜んでくれたのでした。私たちは、シャナナ・グスマンその人からの手紙をとても大切にしています。これらの手紙の中で最も重要だったのは、私たちが地球市民として国際正義と私たち自身の人間性を擁護し、人権や平等、そして世界の安全保障のために彼らとともに行動しているという認識でした。

●市民は無罪と認めた

 私たちの公判には六日間かかりました。リバプールから無作為に選ばれた一二人の陪審員が代表する形で、普通のイギリス人がブリティッシュ・ェアロスぺース、イギリス政府およびインドネシア政府への反論を聴く機会を初めて与えられたのでした。イギリスでは、重大な刑事事件は必ず資格を持った裁判官によって法に則って裁かれますが、有罪か無罪かについては一二人の一般市氏が提出された事実を判断して決定します。この公判は表向きには私たち四人の女性に対する審判でした。私たちは損壊罪、および損壊共謀罪というひじょうに深刻な容疑に直面し、拘置所でも警備上ひじょうに危険な囚人として扱われていました。私たちへの告発は、明らかに正当性のない非合法な私有財産の破壊行為となっていて、有罪となれぱ一〇年の拘禁が待っているのでした。私たちは長期刑を覚悟しており、あえて無罪釈放を強く望んではいませんでした。

 しかしながら私たちには、真の犯罪者は武器貿易によって現在進行中の弾圧に支持と手段を与えているインドネシア軍、保安・警察隊、イギリスおよびその他の西側諸国と、実際に武器を生産売却している有力な企業であることがわかっていました。私たちは、これら真の犯罪者を審判に付すよう、弁論の間あらゆる機会を利用しました。「企業や政府や有力者たちは、常に彼らが法より上位にあるかのように扱われています。彼らの犯罪はしぱしば無視され、あるいはまったく知られていません。」これは彼らの犯罪を知らせる格好のチャンスでした。私たちはみな自分で弁護したかったのですが、二人の聡明な女性弁護士に依頼することにしました。その二人は公式にはジョーの弁護人で、それ以外の三人は自分で抗弁を行いましたが、彼女たちは私たち全員を裁判制度範囲内での乱用から保護し、公正な裁判が受けられるようにしてくれました。

 警察や検察が何と言おうと、私たちには法律上の抗弁があることを知っていました。私たちは刑法典第三条 −−「何人も犯罪を予防する上で状況の中で合理的な有形力を行使しうるものとする」を有効に利用しました。公判後私たちの弁護人ヴェラ・ベイヤードは、私たちの無罪は「不当な評決」ではないと説明してくれました。この言葉は、私たちが無罪を勝ちとるのが難しいと見ていた報道関係者によってしばしば使われていたのです。ヴェラの説明によると「不当な評決ではありませんでした。法律的に間違いでもなく、証拠の示すところに反してもいませんでした。兵器として使用不能にされたホーク機は一月に引き渡されることになっていた四機のうち最初の一機でした。無事だった三機はインドネシア空軍のバンドン戦隊に送られました。公判での証拠によれば、これは反乱鎮圧作戦にもっとも貢献した戦隊でした。この作戦は武装、非武装に関係なく東チモールの民衆を抹殺するものであり、この戦隊はその作戦の中心にいたのです。要するに新しいブリティッシュ・エアロスペ−ス製のホーク機は、東チモールを空から攻撃する先鋒部隊に送られていたのでした。彼女たちは、目前に迫ったこの飛行機の引き渡しを阻止する手段は、物理的妨害より他になかったということを示すことができました。本件の証拠によれば、イギリス法および国際法のもとでの犯罪は差し迫ったものであり、そして犯罪は阻止されたことが示されました。」

 私たちは、私たちの行為がひとえに人間性と愛に基づくものであるという十分な抗弁を有しており、たとえ法がどうであろうと、その飛行横が無辜の人々を殺す目的で輸出されるのを防ぐために行動しただろうということを隠そうとはしませんでした。しかしながら私は意識的に国際法を抗弁に用いました。これは私が自らを地球市民と考えているからであり、イギリス市民としてどのような方法があろうと、それには関係なく国際的に通用する抗弁を用いたかったのです。私の抗弁はだいたい次のような根拠に基づいていました。

「国際法にはあらゆる個人、あらゆる国家、そして今この裁判が行われている法廷も従う義務があります。インドネシアは組織的に一貫して国際法を侵害してきました。わがイギリス政府とブリティッシュ・エアロスペースはこれらの犯罪および主要な国際法の侵害の共犯者です。なぜならこれらのホーク機の輸出はイギリス政府が公式に認可したものですが、それは実際には国際法違反にあたるのです。国際法の遵守に努め、そのような恐るべき犯罪が行われるのを防止しようとすることは、すべての市民の権利であり義務です。ですから国際法に従って積極的行動をするのはわたしたちの義務であり、その合理的な実践としてプラウシェア行動は合法化されるものです。」

 企業犯罪に関して私が用いた判例で、リバプール裁判所の関心をもっとも引いたのは、サイクロンBの事例でした。それが殺人目的に使われると信ずるに足る十分な根拠があるとき、二人のドイツ人事業家がナチス親衛隊にサイクロンBという毒ガスを売ることが正当かどうかということが問われました。戦後、毒ガスを売った会社の所有者と社長はニュルンベルクで審判に付されました。彼らはサイクロンBは合法的な目的だけに使用される商品であるから、市場に出回っている他の商品と同じように売ることが可能だったと主張しました。この態度は、ホーク機に関する検祭官とブリティッシュ・エアロスペースの主張とよく似ています。しかしながらニュルンベルク裁判は、サイクロンBを売却したことは国際法のもとで戦争犯罪であるとし、その二人は有罪と審判されました。法廷における最後の弁論で、私は次のように説明しました。「私たちの行動によって生じる物理的、個人的影響や、私たちの決定が及ぼす他の人間への影響から遠ざかれば遠ざかるほど、道義的責任感は失われていくことを自覚する必要があります。事象と事象をつないでいる鎖が長く、より複雑になればなるほど、道義的責任感は散漫になり衰えていくのです。重要なことは、人間性に反したぞっとするょうな犯罪に関して、体制には罪があると感じても、個々人は誰も自分の行為がその結果につながっていると思わないし責任を感じないということなのです。インドネシア政権も、ブリティッシュ・エアロスペースもイギリス政府も自分たちの責任を否定しています。私たちはこれらのホーク機が一機でもインドネシアに到着すれば、それらによって必ず犯罪が行われるということを知りました。インドネシア人が当地で飛行機を破損し使用不能にしようとすれば、拷問されるか射殺されるでしょう。ですから私たちは他のあらゆる可能な手段を試した後に、このイギリスで責任を果たしたのです。」

 事件の基本的事実については一切、論争になりませんでした。私たちは全員、自分たちが損害を与えたことを認めました。法廷での唯一の論点は、私たちの行為がその状況のもとで正当とみなされるものであったかどうかということでした。検察当局は、私たちの行動が純粋に政治的で宣伝目的のためのものだったと主張し、行為の正当性にはまったく言及しませんでした。しかしながら私たちはその飛行機が輪出されて、他ならぬその飛行機が恐ろしい「人間に対する犯罪」に使用されるのを防いだのだということを、指摘しました。すなわち私たちは犯罪を防いだのであり、それゆえに私たちの行動は正当とみなされるということです。私たちは、ジョン・ピルガーとホセ・ラモス・ホルタら四人の専門家を証人として採用し、東チモールの状況と大量虐殺について説明してもらいました。ホーク機を含む、西側から輸入された武器によって住民の三分の一が殺されたのです。

 陪審員がこちら側の意見を支持し私たちを無罪と判断したことは、私たちにとって嬉しいことでした。裁判長、検察官、ブリティッシュ・エアロスペース、および多くの官僚たちは衝撃を受け憤慨しましたが、どうすることもでぎませんでした。予期もしなかった判決はひじょうに強い衝撃を与えました。なぜなら、普通のイギリス市民である陪審員は、人権を抑圧している政権への武器売却を犯罪だとし、それゆえに市民がそういった行為を行っている民間企業の所有物を破壊することは正当だと感じていることを明確に示したからです。それはまた、政治家たちがより倫理にかなった防衛と経済政策について議論するという直接の効果ももたらしたのでした。

※訳出、とりわけ法廷用語の訳出にあたっては、真鍋毅佐賀大学名誉教授の訳(ケン・プース編『安全保障・共同体・解放』のためのエッセイより)を参考にさせていただきました。


(訳者による付記)

 アンジー・ゼルターらはこの運動をさらに発展させ、一九九八年八月スコットランドでトライデント・プラウシェア二〇〇〇(TP二〇〇〇)という国際的レベルでの核廃絶非暴力直接行動を開始した。

 プラウシェア(鋤)という言葉は旧約聖書に由来するが、TP二〇〇〇は宗教とは無関係で、ガンジーやキング牧師の非暴力主義、「核兵器は国際人道法に違反する」という国際司法裁判所の勧告(一九九六年)、そして国境を越えた市民の自覚に基づく。あらかじめ政府と交渉を積み重ね、政府が具体的行動を起こさない場合にのみ直接行動に移るのがこの運動の特徴であり、兵器は破壊するが人間に対しては直接的暴力はもちろん、アジテーションや罵倒など言葉による暴力をも否定する。

 一九九八年夏、二一〇名余の活動家がスコットランドのトライデント潜水濫基地にフェンスを越えて侵入するなどして逮捕された。またアンジー他二名の女性は今年六月、核施設の研究およびソナー設備を破壊し、一〇万ボンドの被害を与えたとして現在裁判が行われている。

トライデント・プラウシェア二〇〇〇のホームページ*:http://www.tridentploughshares.org/

大庭里美(プルトニウム・アクション・ヒロシマ代表)


* 雑誌に掲載されたurlは旧く、変更されているので、現在のものと置き換えました。(転載者記)
翻訳者の大庭さんは2005年2月に亡くなりました.