このページに関してOさんからいくつもメールを頂きましたが,突然電子メールが届かなくなってしまいました.そこでこの場所を使ってお返事を差し上げます.

南京事件について

O様
 個人情報どうもありがとうございます.すこしOさんのイメージが描けます. さて,前のメールでの積み残しですが,まず「ラーベの日記」については,私も原書は読めません.ただ,ドイツで出版されたものの全訳ではないということらしいです.

 いきなり残酷な写真を掲載することで本当に議論が深まるものだろうかとのことですが,もちろん映像だけではだめです.しかし映像はとても大事なものだと思います.苦しいだろうとか気の毒だというような「情緒的な反応」こそが人間が何かをすることの出発点ではないでしょうか.「隣人を愛せよ」という言葉がありますが,映像の最大の力は,時間と空間をこえて人々を「隣人」にしてしまうことでしょう.つらい状態に置かれている人々の映像がテレビで放送されると,それを見た人は「何とかしてやりたい」と思うわけです.ただし,そのような状態に置かれたたくさんの人のうちだれをテレビの視聴者の「隣人」にするかの決定権はCNNが握っているのですけれども.
 私のサーバーにはこの件に関しては映像しかありませんが,映像だけ載せてはいけないということもないでしょう.その気になれば図書館や本屋で文献資料をいくらでも見つけることが出来ますから.見た人ににとってそのきっかけになればいいと思うのです.

 次に,私が、南京大虐殺が確かにあったと確信する根拠は何なのかという質問についてです.
 もちろん直接見たわけではありませんし,歴史の研究者でもない私が触れることの出来るものはすべて間接的な情報です.したがってそれらからなぜ「確からしい」という判断を引き出すのか,という問題になります.それは,まずこの事件に関わった日本兵のいくつもの記録があるらしいということです.「あるらしい」というのは,それらを間接の引用としてしか知らないからです.写真も同様です.そしてそれらが「偽情報」であるという有力な反論もないと思っています.そしてこれは被害者側の情報よりははるかに説得力があるわけです.次に,軍が「補給」を無視し,また「捕虜を作らない」方針であったとすれば,このような事件がおきるのは必然だということがあります.そのような条件にもかかわらず,しかもそれまでの戦闘で仲間を中国兵に殺されてきた兵士の集団が,占領地で冷静に振る舞えるというのはたいへんありそうにないことです.中国軍も含めて多くの国の軍隊が虐殺者になるのをテレビで見たり歴史で学んだりして来ましたが,日本人だけがそのような過ちを犯さないと考えるのは不自然です.
 「ラーベの日記」がでっちあげだとか,嘘が多いとは思えないのです.もちろん「ラーベの日記」に対するそのような反論があれば是非吟味してみたいと思います.あらゆる事は疑えますし,常にそのような懐疑の精神は大切です.しかし人間とはいつでも限られた情報環境の中で何かの態度決定を求められるものなのです.そうでなければ人は自分が直接経験できるごく身の回りのことだけにしか言及できないことになってしまいます.

「謝罪」は、政治的なパフォーマンスか,という件ですが,これについては薬害エイズの患者に対する菅直人氏の「謝罪」がよいアナロジーではないかと思います.薬害エイズ問題で菅氏が悪いことをしたわけではないので,彼が人間として「悪かった」などと思うはずもなく,これは「政治的なパフォーマンス」に違いありません.本当は直接責任のある官僚や医者が謝らなければいけなかったのですが,しかし菅直人氏の「パフォーマンス」にも大いに意味はあります.南京事件についても同様で,まず直接の当事者が謝罪すべきなのです.そして「日本政府」としての「責任の継承性」から,政府も謝罪しなければならないのです.われわれ国民については,「サポーター」という言葉が悪かったら,「後見人」でしょうか.やはり間接的ながら責任がかかってきます.政府と国民の関係についてOさんが言っておられることはまったくそのとおりです.私は少し変わった言い方をしてみたかったのですが失敗でしたか...

 鎌倉時代の蒙古来襲では,中国に対して謝罪させるべきではとの疑問ですが,南京事件では加害者も被害者もまだ何人も生きているわけですし,亡くなった人に関してもその記憶がその家族に生々しくあるわけです.「歴史」といっても現在がその一部であるようなそれです.
 本当に遠い過去の事件に対しても,たとえばオーストラリアの白人がアボリジニに対して「謝罪」したような(たしかそんなことが数年前にあったように思いますが)ことも不可能ではないと思います.しかしもちろん議論は分かれるでしょう.このような「謝罪」はいわば「歴史認識のパフォーマンス」ですね.

「他国に、戦争を仕掛けるのが”悪”だというなら、チベットに侵略戦争を仕掛けている中国は”悪の国”というわけですね?」についてコメントしましょう.
 チベット支配も含めて中国政府は抑圧的,軍事的な性格が強いと思いますし,「天安門事件」もまだ記憶に新しいですが,いかなる国に対しても”悪の国”というようなレッテルを付けるべきではないと思います.そのようなレッテルを付けるということは,即,「悪を懲らしめるための戦争」というレトリックにつながっていくのです.というよりむしろ,”悪の国”というレトリックの使用そのものが,戦争の準備作業の最初のステップなのです.(K.T.)