以下は岩波書店「世界」の2005年11月号に掲載された千葉大学の小林正弥氏の論文です.著者から送られたファイルにより転載します.(転載者 豊島耕一)
小選挙区制下、いかに第三極を形成するか
「オリーブの木」方式の平和連合を提唱する
小林正弥
1.改憲の危険と民主党の責任
筆者は、小選挙区制の導入に反対し、「小選挙区―2大政党制―政権交代」という「政治改革」の議論は、英米中心主義に囚われた謬見であると考えている(1)。今回の総選挙では、この選挙制度の弊害が如実に現れた。自民党の地滑り的な大勝利は、特に小選挙区の結果を反映している。小選挙区では、もともと恩顧主義的な利益誘導の効果が大きいので、自民党が有利である。だから、比例区ですら民主党が敗北すれば、小選挙区では大敗することになる。
しかし、現在の「2大政党」はこの制度の受益者であるから、「2大政党」がこの制度を改正することは近い将来には考えられない。そこで、本稿では、この選挙制度を前提としつつ、その改革への展望を切り開くような、新しい政党政治の構想を提案してみたい。
自民党大勝、民主党大敗の原因は、郵政問題に絞って「刺客」を送り込んだ「小泉劇場」の効果にある。このような選挙戦術に惑わされた投票の多さを見ると、衆愚政と言いたくなるほどであり、大衆民主政の弱点が露骨に現れていると言わざるを得ない。この結果、与党が3分の2を占めることになり、憲法改定の危険が大幅に高まってしまった。
この責任は民主党にもあることを強調したい。民主党は、「郵政問題だけが争点ではない」と言いながら、年金や子育てしか本格的に主張せず、イラク派兵などの平和問題・憲法問題を問わずに、鋭い政権批判を行わなかった。その結果、国民から見て、自民党との相違が余りわからなかったのである。「改革」のシンボルを自民党に取られ、鋭い与党批判をしないような政党に、どうして勝機があるだろうか?
ただ、これは選挙戦術だけの問題ではない。そもそも民主党には、実際には憲法改定に賛成し、民営化(私営化)などの政策に賛成している議員が多く、平和問題・憲法問題などに対して意見の統一ができないから、年金と子育てしか訴えられないのである。
しかも、敗北後の民主党は菅直人氏ではなく、前原氏を代表として選んだので、自民党との政策対立は極小化した。前原氏は、改憲、しかも「憲法9条2項削除、自衛権明記、集団自衛権容認」という主張をしており、民主党内の若手タカ派の代表格である。彼が自説を反映させることができれば、民主党改憲案は現在の自民党改憲案よりも徹底した9条改定案、平和主義の放棄案になるかもしれない。また、民主党と自民党が9条改定で合意することは、前原代表の場合、極めて容易だろう。
2.憲政の危機:革新右派1ヶ1/2政党制
これは平和憲法の危機であると同時に、憲政の危機でもある。「憲政」は、戦前によく使われた概念であり、憲法に基づく政治、特に健全な議会政治のことを指す。そもそも、今回の七条解散は、参議院における法案否決に対する衆議院解散という点で、憲法に叶うかどうかが疑問である。
筆者は、日本で小選挙区制を導入すると、戦前の失敗と同じように立派な2大政党制は実現せず、自民党優勢が崩れずに1ヶ1/2政党制となるか、政権交代後に政策的に大差がない2大政党になって、「憲政」全体の危機が訪れるという危険性を指摘してきた。解散直後には、それでも政権交代を期待したが、その後の「小泉劇場」効果によって、むしろ前者のシナリオになってしまった。民主党の議席数113は自民党の議席数の半分の148を下回っているから、これは正に55年体制同様の1ヶ1/2政党制になっている。
もしかすると、民主党は、かつての社会党のように、1ヶ2分の1政党制における万年野党になってしまう危険性もないではないだろう。かつて社会党は理想主義的な万年野党・永久抵抗政党などと揶揄されたが、このままでは民主党もいわば「現実主義的万年野党」にとどまる可能性も考えられるだろう。
また、もし仮に前原民主党が政権交代を実現しても、政策的に自民党と殆ど変わらないのだから、これでは国民にとってはあまり意味がない。小選挙区制度を導入した際に批判がなされたように、2大政党間の政策距離が極めて少なく、政治的空間が極度に縮小してしまっている。
実際には、小泉自民党は「改革」をシンボルにしているから、もはや「保守党」という表現は必ずしも適切ではないだろう。郵政改革に反対して結成された国民新党こそが正に「保守党」である。小泉自民党はイラク派兵や靖国問題に象徴されるように右傾化を強めているから、むしろ戦前の革新ファシズムのように、「革新」を謳う「革新右翼政党」と言うべきだろう。これは、安全保障政策においてはタカ派、国内の政治経済政策においては、(市場を絶対視して民営化・構造改革などを主張する)ネオ・リベラルの路線である。
他方、民主党は、党内に社会民主主義・平和主義に相対的に近い人々を抱えているから、元自民党の人々と均衡を取って、これまでは中道政党という色彩が濃かった。ところが、新執行部の顔ぶれを見ると、党内左派は基本的には執行部から斥けられているから、これも中道政党というよりも「革新右派政党」あるいは「革新中道右派政党」と言うべきであろう。前原新代表は、小泉首相に劣らない「革新性」を売り物にして、代表に選出された。安全保障政策におけるタカ派、国内の政治経済政策におけるネオ・リベラル路線という点において、小泉自民党と全く変わりがない。それどころか、どちらがより右か不明確なほどである。
従って、今の日本の政治地図は、何と、左翼はおろか、中道政党すら影が薄くなって、「革新右派」の2大政党(ないし1ヶ1/2政党)が政権を争っていることになる。いわば、「革新右派2政党制(あるいは1ヶ1/2政党制)」とでも言うことができよう。双方とも、革新右派政党だから、改憲の可能性が高まるのは理の当然である。
このように政策対立が極小化した政党制では、有権者にとって根本的な政治選択を選挙によって行うことができなくなるから、民主政治への信頼が低下し、改憲のみならず、左右両翼のテロなどすら生じかねない。
実は、戦前にも、「立憲政友会/憲政会―立憲民政党」というような2大政党が存在したが、いずれも類似した体質を持っており、やはり時によってどちらが右かわからなくなるほどであった。1925年からの政党内閣期においては、当初は「政友会―タカ派・非民主的/民政党―ハト派・民主的」という政策左右対立が存在したが、民政党・浜口首相の暗殺、さらには5・15.2・26というテロ事件を経て、双方とも革新右翼に接近していった。これが、政党政治の自滅を意味し、革新ファシズムに支配される軍国主義への道と表裏の関係にあったことは言うまでもない。
筆者は、小選挙区導入による2大政党制への今日の試みが、戦前の2大政党制と同様に失敗する危険性を指摘してきた。1925年に普通選挙法が成立すると同時に治安維持法が成立したように、選挙制度改定後に有事法制やアフガニスタン・イラク派兵などが行われている。1920年代にはそれでも浜口民政党内閣などでは2大政党制や政権交代が有意義に機能したが、もしかすると今日では政権交代すら果たされずに民主政治が衰退する危険性すらなしとはしない。戦前と形態は違うにしても、現在のような革新右派2大政党制を続けていたら、やはり日本の多くの人々が酷い政治の犠牲になることは避けられないだろう。
3.新しい第三極形成の必要性とその理念
このような道を避けて日本政治を真に刷新するためには、政治理念の対立を軸にした政党政治を再生させることが必要であろう。
与党とは理念が明確に違う政党としては、今回の選挙では社民党は2議席の微増(1議席は本来は自民党の分)、共産は現状維持である。それぞれの政党は安堵しているかもしれないが、以上のような全体状況を打開するためには全く頼りにならない結果である。双方とも、第3極形成を目的として謳っているが、それは不可能と言わざるを得ない。この大きな原因は、これらの政党には、新鮮さが感じられないからであろう。実態は措くとして、イメージにおいて、これらは「保守的(ないし守旧的)左派政党」に見えてしまうのである。
そこで、もっとも重要なのは、革新右派の2政党に対する第3極として、保守的左派とは異なる、新しい中道ないし中道左翼的な政治勢力を形成することだろう。外交政策においては戦後日本の平和主義を継承しつつ新しい形で再生させ継承し、平和憲法を維持すると共に活性化することが重要である。もはやかつての社会党のように自衛隊を違憲とする非武装平和主義だけで主張を統一することは不可能であり、むしろ自衛力の存在は認めつつも海外派兵を禁止するような平和主義(筆者の用語では墨守・非攻平和主義)も提示して、自衛隊を認めるだけのためなら憲法改定の必要はないことを訴える必要があろう(2)。平和省構想などを盛り込んで積極的な平和主義を打ち出し、「護憲」という「保守的」シンボルに変えて「活憲」を旗印にするべきである。
そして、内政においては市場原理主義を批判して、社会における公正・公平・環境保全などの公共善の実現を求めることが重要だろう。これは、従来の社会民主主義と共通性が高いが、かつてのような福祉国家は財政的に不可能である。そこで、政府・官の「公」と市場原理主義の「私」の双方を批判しつつ、「民」たる人々の参加や自治により「新しい公共性」の実現を目指すものである。このような第3極を「公共主義的中道(左派)」と呼ぶことも可能であろう。思想的には、マルクス主義などの従来の左翼的思想とは明確に距離を置いて、このように「個を活性化して公共性を実現する」(活個開公)ことを目指すような新しい公共哲学を基軸にすることが望ましいと思われる(3)。
このように政治理念や思想は容易に大要を描くことができるが、難しいのは、これを現実的な政治グループとして登場させることである。小選挙区のため、新党は選挙において有意義な政治勢力として登場することが難しいからである。 逆に言えば、思想的にごった煮の民主党が割れないでいるのは、脱党すると小選挙区制の下では当選の見込みが立たないからである。
そこで、第3極を出現させるためには、当選の可能性が現れる枠組みを形成する必要があるであろう。たとえそれを目指した新党が作られても、社民党や共産党と分裂して選挙を行うことになると、それぞれが競合していずれも小選挙区では殆ど当選できず、全体としては新党ができる前よりも悪い結果が生じかねない。そこで、筆者は、小選挙区の下でも第3極の形成を可能にするために、イタリアにおける中道左派連合の「オリーブの木」方式を提案したい。以下では衆議院選挙を例にとって説明するが、参議院選挙においても同様のことが考えられる。
4.第三極としての日本版「オリーブの木」:平和連合へ
イタリアでも、日本同様に戦後の政党政治の腐敗が浮上して、1993年に、それまでの比例代表制に対して小選挙区制が導入されて並立制となった。この選挙制度に則して、小選挙区で勝利することを容易にするために、1995年に左翼民主党(旧共産党)を中心とする中道左派が「オリーブの木」連合を形成した、1996年の総選挙で勝利した。「オリーブの木」連合は、選挙制度改革が目指した理念である市民による政権選択権の保障を追求し、首相候補(プローディ氏)と政権政策(88テーゼ)を提示し、小選挙区ごとに統一候補者を擁立した。それまで対立していた政党候補者間で「休戦協定」を結ばせたのである。オリーブの木という名称は、「平和の象徴で、丈夫で実がなる」という意味から命名された(4)。その後、右翼連合に敗れたものの、この方式は、類似した選挙制度を導入した日本にも参考になるだろう。
これまでにも、例えば1997-1998年頃に日本でも「オリーブの木」戦略研究会が作られて、民主党(菅直人代表)を中心とした左翼連合形成の可能性が提起され、社民党などとの間で検討されたことがある(5)。けれども、現在では民主党が革新右派政党となってしまっており状況が異なるので、この方式を、民主党中心の連合ではなく、第3極形成のために用いることを提案したい。これは、第3極のための構想であるという点て、イタリアとは異なった日本版「オリーブの木」構想であり、憲法改定という最大の争点を意識して、ここではとりあえず「平和の木」とか「平和連合」と呼んでおこう。
この方式の利点は、実際には参加する政党は存続していても、特に選挙区での選挙で統一候補を立てることにより、小選挙区下では殆ど議席が獲得できない政党も、相当の議席を獲得できることである。イタリアの場合は小選挙区における統一候補擁立に主眼があるが、日本の場合には重複立候補が可能なので、比例区においても統一リストを形成することが有効であろう。
具体的には、民主党内の社会民主主義的・平和主義的な勢力と、社民党・共産党・みどりのテーブル・生活者ネットワーク・新社会党(さらには新党日本や大地)などのグループが、政策協定を結び首相候補を提示して、比例区において統一リストを形成し、選挙区では統一候補を擁立することが考えられよう。イタリアの「オリーブの木」では旧共産党(左翼民主党)が中心的な役割を果たしたが、日本ではもし共産党をこの統一リストに加えることが難しければ、共産党とこの連合との間で別個に選挙協定を結ぶこともあり得よう。
これは、政策協定により作られる連合だから、勿論、その下の各政党は政党独自の理念や政策を保持することができる。例えば、共産党のような純然たる左翼政党や、大地や新党日本のような保守的色彩のある政党も、政策協定と首相候補者に合意すれば、統一リストに加わることができる。そのような政策協定としては、憲法の活性化(活憲)や小選挙区制度の縮小・廃止を軸にした中道左派的なものが考えられよう。例えば、「@、教育基本法の擁護・尊重、Aイラクからの早期撤兵などアメリカからの外交的自立、B中国、韓国などアジア諸国や世界との信頼回復、C年金、社会保障の抜本的な改革、D弱者救済、E抜本的行財政改革、F選挙法改正」などである。選挙区における統一候補者の合意は非常に困難であろうが、各党間で粘り強く調整を進めることが必要である。
この構想は、小選挙区における当選を可能にすると同時に、左派から「保守的・守旧的」というイメージを拭い去り、真の「改革」を可能にする「革新的」左派という新鮮なイメージの形成に役立つだろう。小泉自民党が「改革」シンボルを独占していて社・共も旧勢力と見られているので、新しい動きを作り出して本当の「改革」をアピールする必要は大きい。もしこのような構想が実現すれば、連合などの労働組合もこれを支援することが期待できる。前原民主党は労働組合の要求を無視する露骨に姿勢を示しているから、労働組合は革新右派の民主党よりも、このような中道左派政党リストを支援するのがむしろ筋であろう。
もし、「自民(革新右翼)/ネオ・リベラル民主(革新中道右翼)/平和連合(中道左派)」という3極が成立すれば、自民との間で政策的相違が少ない「ネオ・リベラル民主」は埋没してゆく可能性が大きいのではないだろうか。他方、この第3極が「穏健平和主義+社会民主主義」的な新しい公共哲学を理念として明確に提示するようになれば、これこそが本来の「改革」勢力と考えられてゆくと期待できる。
勿論、民主党の一部が加わらなくとも、この統一リストに社・共など左派的な平和志向政党・政治家が結集することができれば、今よりは期待を集めることができるだろう。民主党が思想的にごった煮状態のままであれば、それに代わって躍進する可能性もあるかもしれない。
小泉自民党が大胆なモデルチェンジを図って成功したのだから、本当に憲法改定などの危機を避けようとするならば、左派的な平和志向政党・政治家も同様の試みを行うべきである。戦前に統一戦線の試みが失敗してファシズムの勝利を許したように、このような「平和への結集」に失敗すれば、平和憲法は命運を断たれるであろう。平和憲法の存続よりも、個々の政党の利害を重視するならば、それは左派政党の「政党エゴイズム」としか言いようがない。
ここで問われるのは、平和志向の政党や政治家が、政党という組織の保全や旧来の対立・恩讐などを超えて結集し、本当に平和主義や国民の生活を守るために行動する勇気を持つかどうかである。このような結集の実現は困難だが、それを避けることは座して死を待つようなものであろう。革新右翼の自民党が、郵政改革などを掲げて党内の保守派を追い出し、いわば身内を切って大勝を収めた以上、平和憲法を守るためには、左派政党も犠牲を覚悟して従来の方針を大転換することが必要である。
これを実現するためには、市民の側からも、平和主義を掲げる政党に、政党の私的利害を捨てて平和主義を守るために本当に行動するように要求することが必要だろう。イタリアでは、全国に「ブロディ首相実現の委員会」という自発的市民団体が4000以上結成され、政党連合と連動して活動した。「政党が政策を国民に押し付けるのではなく、国民が自分たちの要求を政党に実現させる」という立場で、市民団体が政党への「FAX攻勢」をかけて、政党を監視したという(6)。日本でも、保守的左派政党に対してはこのような「攻勢」を市民の側からかけることが必要であろう。
平和憲法は風前の灯火である。もはや猶予はない。民主党に政権交代すら期待することが難しくなった今、平和憲法を尊重する人々や政党は、叡智を結集し、次の選挙までに第3極形成に向けて努力すべきではないだろうか?
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註(1) 拙論「恩顧主義的政党と選挙制度改革――日本政治『成功』の要件――」『千葉大学法学論集』第18巻第1号(2003年)。
(2) 拙著『非戦の哲学』(ちくま新書、2003年)など。
(3) 山脇直司『公共哲学とは何か』(ちくま新書、2004年)など。
(4) 2000年には「イタリアのためのオリーブの木連合」と改名して選挙を戦ったが、今度は中道右派連合に敗北した。
Pol―Words NET(現代政治用語辞典) http://pol.cside4.jp/party/10.html
(5) 後房雄『「オリーブの木」政権戦略――イタリア中道左派連合から日本政治へのメッセージ』(大村書店、1997年)。
(6) 佐野秀夫「『オリーブの木』戦略を考える」『アサート』245号、1998年4月24日。
http://assert.jp/data/1998/24502.htm