辺野古でたたかう学生たち

(東北大学有朋寮の織田さんから転送されたメールです.)
--ホーム--

目次

カヌー海上座り込み部隊,ギラギラの太陽の下で何時間も漂う(9月20日)

普天間高校,小禄高校の放送部が取材(9月21日)

カヌー隊が調査を阻止(9月21日)

9時間の海上戦(10月1日)

「抗議船との衝突を避けることは配慮せざるを得ない。多少の遅滞はやむを得ない」(10月1日)

 → 関連情報赤旗日曜版10月3日号が辺野古の闘いを特集

カヌー海上座り込み部隊,ギラギラの太陽の下で何時間も漂う

(9月20日のメール)

Date: Mon, 20 Sep 2004 20:33:21 +0900

みなさんお疲れ様です。いろいろとお返事ありがとうございます。なかなか返せずにいて申し訳ないのですが、辺野古の闘いの近況を報告します。

前にも少しお伝えしたのですが、ボーリング調査を始めた9日以来、防衛施設局は、座り込み現場に襲いかかることも未完成の作業ヤードに手を着けることもできていません。そして、海上でも海上阻止行動によってほとんど調査らしい調査ができずにいます。

今のところ、海上阻止行動は、最大5隻の小型船と8艇のカヌーで行っています。うちリーフ沖で"海戦"を繰り広げているのは、宮城保さん(命を守る会事務局長)のさくら丸と島田善次さん(普天間爆音訴訟原告団長)の小型船2隻です。辺野古の海には巨大なリーフが広がっています。リーフ内は遠浅で波も穏やかなのですが、リーフ沖に出ると一気に深海になり、波も高くなります。建設予定海域はリーフ内外にまたがっていて、それぞれ動ける船も異なってきます。とりわけ、こちらの船でリーフ沖で漁船とわたりあえる船は限られています。ですので、こちらの戦術としても、まずカヌーと船がリーフ内の作業ポイントを死守し、その上でさくら丸と善次丸(仮)がリーフ沖のポイントにやって来る作業船を追い払うというかたちで展開しています。こうした海上阻止行動が、防衛施設局に「6,7時間かけてブイを数個落とすだけ。潜水調査はほとんどできない」という敗北を毎日強制しています。もちろん9日以来の闘いは、体力的にも気力的にも非常に大変な闘いです。ぼくは、カヌー隊として闘っています。カヌー隊は、いわば命がけの海上座り込み部隊です。施設局側の動力船が無防備のカヌーにぶつかってくることは法的にも人命の観点からもむずかしい。そのことを逆手にとって、リーフ内に数百メートル間隔で落とされたブイ周辺に何時間でも陣取り、調査船を近付けさせないようにしているのがカヌー隊です。施設局側の船に声は上げても追いかけることは少なく、リーフ沖のように派手ではないのですが、ギラギラの太陽の下で何時間も漂うこと自体が疲れる闘いです。しかし、近付けさせない効果は覿面ですし、なによりこちら側の覚悟を示す上で、ある意味、海上の支柱的闘いだと思います。

リーフ内は、このカヌー隊と連携し、夏芽さん(平和市民連絡会)のフィリエ号、大西さん(反対協)の船、東恩納琢磨さん(ジュゴン訴訟)の船が連携して、作業ポイントをゾーンディフェンスしています。船は、シュワブの浜から出港しようとする調査船や警戒船に近付き、足止めしたり(2時間足止めしたこともありました)、出港しても横に張りついて延々と調査を中止するよう訴え続けたりして、潜水調査を阻んでいます。

リーフ沖は、もっと大変です。大型作業船"みらい"や"ゆいまーる"やそれぞれに4隻ぐらいついている警戒船にたった1隻2隻で立ち向かい、作業船に数センチまで接近して訴えています。施設局が本気で振りきろうとすれば、それこそ命がけのボートチェイスになります。16日にさくら丸を操縦していた富田晋君の話によれば、作業の遅れにしびれをきらした施設局は、警戒船を操縦する漁民に「前へ!前へ!」とまくしたてているそうです。さらに、施設局直属の船"きく丸"を使って、みらいとさくら丸の5メートルの隙間に強引に割り込ませてきたとのこと。「一瞬こちらのブレーキが遅かったらエンジンにあたっていた」(!)というぐらいギリギリの回避だったそうです。一瞬のミスも許されない極度の緊張状態の下で、本当に大変な闘いをやって、リーフ沖でも毎日調査を阻んでいます。

しかし、"あと何日もつだろうか"という極度の疲れにもかかわらず、みんなの顔は自信に満ちた勝利感であふれています。それはひとつは、やはり、命を守る会の8年間の闘い、150日間の座り込みが培ってきた自信であり、決戦に対する腹の座り方だと思います。「過酷な闘いはまだ続くだろうが、今へこたれたら沖縄に後はない。厳しい現状は最大のチャンスでもある」(金城祐治さん・命を守る会代表)「防衛施設局がやっていることは人殺しの手伝いでしかない。辺野古のおばぁは8年間座り続けてきた。給料もらって海をつぶしに来るあなたたちとは器が違う」(夏芽さん)ということです。

一方で、100キロ先の馬天港から船を持ってくるとかダミー船を使うとかいうような防衛施設局の大々的な"揺動作戦"の地金が見えてきたということです。どんなに遠くから船を持ってこようが、ウソの情報をリークしようが、ダミー船を使おうが、結局戦場は辺野古なのです。陸には手をつけられないから回避して海にブイを落とす。そしたらそのポイントが戦場になる。カヌーが来る。回避する。そうやって、どんどん追い詰められ、打つ手を狭めているのが今の防衛施設局の姿です。施設局員は、辺野古漁港から出た船をわざわざシュワブの浜近くにいったん立ち寄らせて乗り込むという"裏技"を使っていますが、こんなやり方はいつまでも続くものではありません。

また、目の前の作業ヤードも使えず、数センチ幅の海上阻止行動を許しておいて基地建設などということは、それこそ絵に描いた餅です。辺野古の闘いをつぶせずして基地建設などあり得ない。「何本ブイを落とされた」という話ではない、こういう大きな関係が、だんだん目に見えてきたということがみんなの勝利感になっているのだと思います。

そして、なによりも12日の宜野湾市民大会の大成功です。ヘリ墜落後、火柱となった沖縄のマグマ。沖縄を再び戦争の捨て石にし、永久に基地監獄に置こうとしたSACOを完全に吹き飛ばした3万人の大集会が辺野古の闘いを大きく突き上げています。集会で採択された「SACO、辺野古移設の再考」決議。それ以上に事態を露骨に示した「辺野古反対」発言への圧倒的拍手の集中。吸い込まれるようになくなった4000枚のビラ。阻止船のチャーターを訴え、大会参加者から次々に寄せられた計63万円のカンパ。辺野古の闘いが宜野湾市民の闘いと結合し、沖縄全体の闘いとなったことが、辺野古の闘いを限りなく勇気づけています。

それから、これは勝利というか現在進行形の課題でもありますが、基地に反対して漁民が立ち上がり始めたということです。実は防衛施設局は、"調査船""警戒船""監視船"というかたちで辺野古や他の漁港の漁船(・漁民)をチャーターしています。海人を基地建設に動員しているのです。漁民を阻止船の"警戒"にあたらせることで、地元の共同体的つながりを破壊し、運動を破壊する、本当に許せないやり方です。辺野古漁協は、名護市の基地受け入れという物質力の中で、今のところ、わずかな"見返り金"や"チャーター代"と引き替えに基地容認の立場をとっています。以前はテントにサザエを売りに来た若い海人が、今日は警戒船を操縦し、こちらとすれちがっても目も合わせないというお互い苦しい日々が続いています。阻止船は、漁民の獲得ということを胸に、海上でも施設局に対する弾劾とは区別して、「いっしょに海を守りましょう」というよびかけを行っています。漁協や船長さんに対する要請行動も続けています。そうした中で、まず、辺野古以外の漁民から阻止行動に連帯する声が上がり始めました。

15日、北部・辺土名の漁民が辺野古のテントに来ました。そして、「この海は私の体の一部です。この海が汚されれば私の体も汚れる。操縦する人がいなければ自分が手伝いたい」と協力を申し出ました。また、宜野座の漁民が、自分の船で辺野古沖に駆けつけ、阻止行動を闘っている船やカヌーの激励に来るということもありました。こうして始まった新たな闘いは、必ず辺野古の漁民の決起をよび寄せるものとなるでしょう。

以上、長くなりましたが、辺野古からの報告です。以下参考↓

http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/i.cgi?y=2004&m=9&d=2 (晋君日誌)
http://dugong2003.fc2web.com/(ジュゴンの家)
(T.M.)

__________________

普天間高校,小禄高校の放送部が取材

(9月21日のメール)

ほんの少しですが報告します。

 この3連休、施設局は辺野古沖に姿を現しませんでした。事前調査がどんなに遅れようが、休暇はしっかりととるようです。カヌー隊も、新人さんの訓練以外はお休みです。

 特徴的なこととしては、テントに県内からの初参加者の方がたくさん来ているということ。とりわけ、宜野湾市民大会後の初めての休日ということで、宜野湾市からの参加が多かったです。

 今日は、普天間高校放送部、小禄高校放送部の高校生が座り込み兼取材に来ました。普天間の高校生は来週も来ます。小禄高校の高校生は、10月2日の文化祭で辺野古の闘いをとりあげるそうです。ほかにも、家族連れ、娘に連れて来られた父、「アメリカーは出てってくれと言いに行く」と家族を振りきってきたおばーなど、さまざまな人が来ていました。休日は労組動員がなく、全体数的には平日より見劣りしたのですが、やはり、9・9着手−9・12大会以降、辺野古が焦点となり、新たな闘いが始まったと感じます。

 ぜひ辺野古に来てください! 25日の県民集会に来てください! なにより、自分のキャンパス、職場、地域(街頭)に辺野古の闘いをどんどん持ち込んでください! (T.M.)

カヌー隊が調査を阻止

今日も一日カヌー隊出動。ブイ付近に居座った。午前、潜水調査をしている調査船が近くを通るときに、その船に接近し、抗議した。船とカヌーがぶつかりそうになるほどの、超接近戦を展開。施設局は、いつもは15時ほどに調査を終了するのに、今日は遅くまでやり、16時半ころ、ようやく退散した。

施設局は、かなり調査が遅れていて、焦っているのだろう。スキあらばリーフ内のブイ付近に来て調査をしようとしている。しかし、そこを、われわれカヌー隊が阻止線を張ってたたかっている。カヌー隊が実際に調査を阻止していると、改めて実感できる一日だった。

近くの漁港から助っ人がでかい船に乗って、さっそうとやってきた。これまでリーフ沖は「さくら丸」一隻ではしり回っていたが、これで二隻に。戦力数倍化、近くの漁民と連帯、これはでかい。(H.F.)

(10月1日のメール)

Date: Fri, 01 Oct 2004 21:51:26 +0900

東北大学有朋寮の織田です。明日は台風により一週間延期となり、待ちに待った沖縄県民大会です。一昨日とと昨日の分の辺野古でたたかう有朋寮生の報告を送りたいと思います。転送大歓迎です。

///////////////////以下報告/////////////////////////

「抗議船との衝突を避けることは配慮せざるを得ない。多少の遅滞はやむを得ない」

今日も波が強かった。辺野古から約100kmくらい南の馬天港から、作業船「未来」と「ゆいまーる」が出港したとの情報が入ったが、今日は調査は行われなかった。

以下、朝刊より。

昨日、那覇防衛施設局が定例記者懇談会を開いた。「どうしても、抗議船との衝突を避けることは配慮せざるを得ない。多少の遅滞はやむを得ない」と反対活動による作業の遅れを自ら認めた。また、調査スケジュールも大幅に変えたことを発表した。地上、海上での行動により、施設局の思惑を完全に破綻させている。テント村は、みな勝利感に満ち満ちている。明日から再び海上阻止行動がたたかわれるだろう。エンジンもないたかがカヌー、されど、カヌー一隻あれば一つの箇所は調査を阻止できるほどの大きな力を持つ。カヌー隊は、明日もがんばります。(H.F.)

9時間の海上戦

165日目、海上攻防第二ラウンド突入。

本日は、台風後、初の調査。施設局は、一昨日の「敗北宣言」から、やり方を大きく変えてきた。

朝、7時15分頃に調査船が辺野古漁港から出港、いつもより1時間も早い。ここからも、私たちのたたかいや台風によって作業が大幅に遅れ、施設局がかなり焦っていることが分かる。カヌー隊も慌てて出動。今日はいつもより多い、11隻、カヌーに乗れるからと支援に来た人も。

今は、台風対策のためブイは回収されているため、カヌーでいつもの所へ勘で向かう。そこに、キャンプ・シュワブの方から施設局員と業者(サンコーコンサルタント)を乗せた4隻の船団が現れる。いつものように、カヌーでポイントに居座れば調査はできないだろうと思っていたら…

遠く東の方で何やら船団が止まっている。仲間が大きな声を出した。「潜水調査をやってるぞ!」。カヌーもボートもいないすきをつかれた。遅れてボートがそこへ向かう。カヌー隊もそのボートに引っ張られ、現場に到着。船二隻が平行に並び、お互いに前と後ろをそれぞれロープで繋げている。「注意 潜水調査中」と看板が付けられている。調査する場所を作っていたのだ。

船とロープで四角に囲まれた所にカヌーで突入。約6m四方に囲まれたところへ、8隻のカヌーが入り込み、施設局、業者、ダイバーを厳しく追及(罵倒ではない)、抗議した。「作業をやめさせて早く帰りなさい」「ここに基地を造って、あなたは責任取れますか」。必死に訴えても、施設局の言うセリフは「船から離れてください」のみ。ダイバーは申し訳なさそうに海に飛び込む。漁船を操縦する海人(ウミンチュ、漁民のこと)は、何だか暗い顔で何も言わない。緊張した現場においても、私たちの安全を考えて操縦している。業者の現場責任者らしき人も、しばらくしたら私たちの追及に答えることをやめ、座り込んで渋い顔をしてしまった。きっと本当は、業者も海人もダイバーも、基地建設には反対なのだろう。しかし、生活がかかっている、施設局が大量の税金をばらまいて彼らの心を買い取ってしまっているのだ。彼らと私たちとを、カネという汚いやり方で分断しようとする施設局に、心底怒りを感じた。ダイバーが潜ること約2時間、ようやくその場の潜水調査が終わった。

ここで、調査船らも、抗議船やカヌー隊も、海上で昼食、休憩。仲間の船が弁当を届けてくれた。海上出前だ。

午後、再び調査船が動き出した。再び潜水調査をする気だ。カヌーで調査ポイントまで先回り。調査船は近付けず、調査を阻止した!

阻止された調査船は、今度は西の端に移動。カヌーで追いかける、追いかける。調査船が止まったかと思ったら、ブイを投げ入れてただちに潜水調査に入っていた。カヌー全11隻が総結集し、飴に群がるアリのように抗議船にまとわりつく。午前とは打って変わり、30分程度でダイバーが上がってきた。うじゃうじゃ動き回るカヌーのせいで、まともに調査できなかったのか?

また、調査船が東の端まで移動する。カヌーもボートに引っ張られながら追いかける。調査船が調査区域外でしばらく止まった。もう今日の作業は終わりだろうと、深追いはせず。しばらくしてキャンプ・シュワブに戻っていくのを確認、こちらも帰った。

出発は7時半、帰ったのが16時半ころ、約9時間の海上戦だった。カヌーで実際に潜水調査を阻止することができた。船と船の間に割り込むこともでき、カヌーの実力を再確認できた。

施設局は全ヵ所にブイを設置してから調査を開始するやり方から、ブイを一個入れたらすぐそこで調査を開始するやり方に変えてきたのだ。今までのやり方ではカヌー隊、抗議船に調査を阻まれる、施設局の焦りがここにも表れている。

調査の進め方を変えても、以前と同じように調査を阻止されている。かなり追い詰めているのだ。潜水調査をやられたのはたった2ヵ所。今日も勝利的に総括できると思う。自分は、カヌー隊として動くのは10月1日が最後。しっかりと施設局を追い詰めて、カヌー隊としての任務を終えようと思う。(H.F.)