佐賀大学の豊島です.NHKへの意見のページに次の書き込みをしました.(04年4月14日)

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NHKニュースでの犯罪予告に対する容認ないし中立的表現

貴局では,昨日19時,今日21時のテレビニュースで,次のような原稿が読まれました.

“イラク駐留米軍のサンチェス司令官は12日、「我々の使命はサドル師を拘束するか、殺害することだ」と述べた”

“アメリカ軍はサドル師の殺害または拘束を目指している”

正当防衛あるいは戦闘行為,ないし司法手続によらなければ,何人も,どんな組織・機関も人を「殺害」することは犯罪です.ですから上の引用部分は犯罪の予告発言であり,後者も同様です.

このような犯罪予告の発言を,またはその意図を示す表現を含む原稿を,何の否定的コメントもなくそのまま平然と読み上げるというのは,果たして貴局が自ら定めた「国内番組基準」第10項に合致するのでしょうか.事実で,かつ重大な事実なので報道されるのは当然ですが,このような文章が「客観的・中立的」に読まれていいのでしょうか.

たとえば,次のような放送原稿が,何の否定的コメントもなく読まれることがありうるかどうか考えて下さい.

“暴力団海山組のx組長は,「我々の使命は川山組のyを拘束するか、殺害することだ」と述べました”

それとも,暴力団の組長ではなく米軍であれば,犯罪行為も犯罪ではなくなるのでしょうか? あるいは「同盟国」ならば,犯罪行為であっても「客観的」に伝えるべきなのでしょうか?

このような発言や「事実」を,何の否定的コメントもなくそのまま放送すると言うことは,少なくとも番組基準にある「法律を尊重」することではあり得ず,間接的とはいえ「犯罪行為を是認するような取り扱い」と思われます.

どのような表現をするべきかは,暴力団の譬えで明かです.このような場合,中立的,客観的な表現ではなく,たとえば「殺害を口にした」というような,暗黙に非難を込めた言い方がされるはずです.もちろん「使命」などという高邁な言葉が,仮に本人が使ったとしても,「殺害」と組み合わせて使われることはあり得ないでしょう.

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書き込みは以上です.

文章中にあるNHK国内番組基準の第10項とは「犯罪」についての項目で,つぎのようになっています.

1  犯罪については、法律を尊重し、犯人を魅力的に表現したり、犯罪行為を是認するような取り扱いはしない。

NHKなどのメディアが,「殺害または拘束」というまさに犯罪行為を中立的に伝えるというのは,今回のイラク戦争で,例えばフセイン元大統領に対して,すでに何度か行れており,すでに視聴者は慣らされてしまっています.しかし決して放置してはいけません.このような言説の大量の流布は,生命軽視,犯罪容認の風潮を着実に人々に植え付け,そして恐らくファシズムの栄養となるでしょう.

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メディアの問題に関しての別件です.

「しんぶん赤旗」が依然として「水戸黄門」を持ち上げるのは残念です.12日の「試写室」は「千一回目」の放送としてこの番組を紹介しています.しかし表題にある「勧善懲悪」や「庶民の偶像」などという見方はあまりにも皮相で,このドラマの持つ強烈なイデオロギー性に盲目すぎます.「教育基本法全国ネットワーク」ニュースNO.7寄稿*しましたように,このドラマが視聴者の意識下に送り込むメッセージは「最高権力は究極的には善である」「中央権力には決して逆らってはならない」というものです.この「テレビの中高年への悪影響」は計り知れないものがあると思います.長年にわたって,国民の権力への従順さを培うことにおいてどれほどの力を発揮したか分かりません.どのような分野が該当するのか分かりませんが,是非専門の研究者による実証的な研究をお願いしたいと思います.

この番組を同紙が持ち上げるのは残念ながら一貫しており,手元のスクラップには2000年9月1日の,「佐野浅夫から石坂浩二へ」と題した,かなりの紙面を割いた記事があります.

この種のドラマでの荒唐無稽さは大いに結構ですが,何らかの心の糧となりうるドラマであるためには,最高権力の礼賛(このドラマの悪玉は「中間管理職」)などであってはならず,そこに某かの反権力なり反骨の精神が込められていなければなりません.「水戸黄門」はその正反対です.最高権力の権威(つまり印籠)に依存した「道徳」と「懲悪」はあまりにも安易です.「ソフィーの世界」の著者ヨースタイン・ゴルデルは,カルトの教義の安易さを「哲学ポルノ」という言葉で表現しましたが,これに倣えば「道徳ポルノ」というのが妥当な評価だと思われます.

超越的な存在によって庶民が救われるという物語形式は世界各所にあると思いますが,それが支配権力の別働隊であるというのはあまり聞きません.

黄門が悪玉となるドラマの制作が望まれます.

* <投稿>欄参照
http://www.h4.dion.ne.jp/~kyokihou/news7.htm
またはこのサイトのコピー 

(05年6月3日追記)
このドラマの「イデオロギー性」は,たとえば時代劇の名作「七人の侍」と比べるとよく分かるでしょう.この黒澤の作品では,農民たちは自分たちの力で,侍を「利用して」,自分たちの村を守ります.つまり自立,自治の精神が読みとれますが,これに対して「水戸黄門」は,「最後にはお上が助けてくれる」という権力への依存心を刷り込むだけのものと言えないでしょうか.

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