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低気温のエクスタシーbyはなゆー
2004 年 03 月 23 日(Tue)

長く上智大学で教鞭をとり、つい先月マドリードに帰ったマシア神父からのメッセージとのことです.以下の文は転載・転送可.

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J.マシア、S.J.(スペイン・コミリャス大学生命倫理研究所長)

「テロに打ち勝つ平和運動」

3/11にスペイン人および多国籍社会のマドリードで生活している人々の心の中には二つの実感がまざっていた。つまり、悲しい事件のつらさとすばらしい出来事の刺激であった。悲しい事件というのは三台の列車同時多発テロであった。すばらしい出来事というのは平和を求める動きの盛り上がりであった。

一週間以上経った今日は、アトチャ駅に何千本もの蝋燭が燃え続けている。その前に一日中祈る人が集っている。壁や柱にも、蝋燭の合間の床にも手書きの札が一杯。それを読むと胸が高鳴る。「われわれはみん兄弟」、「あなたがたを忘れない」、「国籍の壁をやぶろう」、「戦争は解決ではない」、「あの列車の中に我々は皆のっていた」等など...

そして、3/14の選挙の結果引き起こされた政権交代によって戦争反対と平和支持の運動への明るい展望が開かれたスペインのこのごろである。

では、その出来事の実感が覚めないうちに以下の箇条書きをまとめることにした。

平和と和解の世の中を作っていくために日本の読者にとって参考になれば幸いである。

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1. 国籍社会の被害者。犠牲者の大部分は移民労働者と学生だった。モロコ人もふくむ11国籍の人々であった。在留許可を持たない人もいると推測されたが、政府は被害者とその家族に在留許可を与え、国籍がほしければそれも与えると発表して、かれらを安心させた。「たとえ不法入国者だとしても、安心して病院にいらしてください」と述べた法務大臣の対応の仕方が、注目された。マドリッド市長の言葉も印象的だった。「この事件をきっかけにけっして移民やイスラム系の人々一般に対して差別してはいけません。彼等はわれわれであって、われわれは彼等である」。と

2. 教会はあくまでも平和を訴え、戦争に反対する。爆発が起こった駅のそばにあるイエズス会の教会で、マドリードの枢機卿がミサを行い、和解と平和を訴えた。多くの教会でも死者の冥福を祈り、平和を求める集いが行われた。説教の中で次の訴えはよく聞こえた。「テロに打ち勝つのは爆弾や戦争でもなければ、嘘や暴力でもない」。テロリストにも、犠牲者の中にも、モロッコ人がいたが、モロッコで行われた犠牲者の葬儀では、カトリックの司教とイスラムのイマム(導師)とユダヤ教のラビ(聖職者)が共に祈り、平和を訴えた。

3. 諸宗教の反省。スペインのいくつかのイスラム教のモスクの責任者たちはテロ事件を断罪し、被害者の冥福を祈った。「イスラムのテロ」という言い方をやめて、われわれは「アルカイダのテロ」というべきであろう。イスラムの中でも自分達の伝統について反省をおこなっている宗教者もいれば、原理主義的にコランを解釈するものもいる。キリスト教の中でも、福音的な平和をもとめる者もいれば、原理主義的に戦争を宗教で正当化しようとする者もいる。どの宗教でも自己反省が必要である。キリスト教は十字軍や宗教裁判に対して反省と謝罪をしたように、諸宗教におけるその歴史にみられたそれなりの暗いところを乗り越える必要がある。

4. 戦争は解決ではない。イラクへの先制攻撃はテロにうちかつどころかそれを増やしたことがあまりにも明確になった。チェチェニアに対するロシアの態度もパレスチナにたいするイスラエルの攻撃もますます暴力の連鎖を招いている。ブッシュ大統領の側近で力を握っている「軍人」と「企業」と「原理主義的なイデオロギ」に反対することは世界的に現在の最も緊急な課題である。

5. 「テロとの戦い」という言葉を避けて、「テロから市民を守り、暴力から解放する」と言う方が適切である。テロリストたちのことを「敵軍」とみなすよりも「犯罪人」とみなすべきである。そうした犯罪に対する国際的な対策は必要であることが認められる。しかし、その対策はミサイル、戦争、爆撃などではなく、別な方法を取るべきである。例えば、テロリストの金銭的源泉を制御したり、テロリストが育つ国の協力を得たり、警察の国際的な協力を強めたりすることがあげられる。しかし、イラク戦争での過ちを繰り返すべきではない。その過ちというのは、国際法を無視したこと、倫理的に認められない先制攻撃を正当化しようとしたこと、グアンタナモ基地で捕虜された人々の人権をまもらず法治国家のルールをやぶったこと、全世界でテロを引き起こす原因を増やしたこと。

(9/11やバリ島やカサブランカやマドリッド等でテロによって死んだ人の数よりもアフガンやイラクで死んだ一般市民の数が多い)

6. 一般市民こそ主人公。3月13日の平和行進には、雨の中、205万人が参加した。若者、お年寄り、乳母車に赤ちゃんを乗せた若い夫婦。プラカードには「平和」の言葉が目立った。テロ反対の行進は、戦争反対と平和を求めるものでもあった。やはり、9.11の時とはさまざまな面で違いが見られる。主体は政治家ではなく一般市民であった。

7. 政治家の操作と軍事の力よりも世論の声が強い。当初から国際テロではないかという推測があったが、それを隠して、スペイン内部の問題だと見せかけようとした政府の対応は市民の反感をかった。一年前に戦争を支持した現政権への批判が高まった。選挙の結果は、政権交代が実現した。

8. 恐怖の投票よりも勇気の投票だった。テロの恐怖の中で選挙が行われれば、 与党・保守党が勝ち、テロへの対応が米国追従になるかもしれないと予測した人々もいたが、結果は一般市民による平和への叫びが勝った。決してテロリストに譲ったからではなく、テロと暴力と戦争などに打ち勝ちたいからこそわれわれは政権交代をもとめたのである。

9. われわれは皆被害者。10歳のこどもが記者から聞かれていた。「あの電車の中に学校の友だちがいましたか」。答えは、「殺された200人は僕の兄弟です」。なるほど、彼は被害者とともに痛みを感じ、自分も被害者だと感じていた。

10. われわれは皆加害者。霊安室で遺体を運んでいた職員は、心の痛みでたまらなくなって、「殺人者を殺せ」と叫び出した。彼を慰めたのは被害者遺族であった。一部分しか残らなかった殺された子どもの遺体を前に、立っていたお父さんは、その職員を抱きながら言った。「おちついて下さい。私たちは復讐を求めない。戦争と憎しみはもうたくさんだ。平和、平和を…殺された息子の死が無駄にならないよう … 私も怒っているけれど、暴力を止めましょう。黙って祈ったほうがよい…」。放送されたこの言葉には、録音していた放送局員の泣き声が混じっていた。

11. 許し合うこころこそ暴力に打ち勝つ。犠牲者遺族から、次のような手紙が届いた。「私は3.11で息子を殺されました。痛みで胸が一杯ですが、私たちと共に泣いてくれた人々を通して、神の慈しみを感じさせられました。みなさんにもお祈りをお願いしますが、それは息子のためではなく(なぜなら、息子は天国にいるからです)、テロを実行した人々と、それを計画した人々のために祈ってください。彼等がもたらした傷をいやすため、また、彼等を支配している悪を、彼等自身がそれを乗り越えるために必要な愛を見出すことができるように、祈ってください。私たちは息子の遺体を前にして、暴力が世の中からなくなるよう全力を尽くすことを誓いました。世界に暴力より愛を選ぶ人々が増えれば、いくらテロが起きても、愛が打ち勝つと確信しています」

(マドリッドにて、2004年、3月、20)。


項目4と5についての転載者,豊島のコメント:イラク戦争はそもそも「テロとの戦い」ですらなかった.