「代償措置」では組合の存亡に関わる

佐賀大学・理工 豊島耕一

メールリスト「高等教育フォーラム」への2010年11月2日の投稿を,わずかな字句修正をして転載します.

「人勧準拠」による賃下げがなされようとしているときに,これを阻止する有効な戦術について全国的な議論が無いのは不思議なことだと思います.それぞれの国立大学が「独立」法人であると言いながら,実際には文部科学省による一元的な支配が強く,全国の組合が協力・共同することがとても重要だからです.もっぱら新聞記事の転載の場に化した感のあるこのMLですが,このような組合にとっての重大局面では本来の「フォーラム」の機能を復活させてはいかがでしょうか.それもねらって,この賃金問題への組合の取り組み方について,私見を述べます.ディスプレイの画面にはちょっと収まらないので,目次を付けます.

目次
1.問題の背景と我々の取るべき基本的姿勢
2.組合の存否に関わる問題
3.目標に価する目標を掲げなければエネルギーは生じない
4.説得力は行動を伴ってこそ生じる
5.組合の本気の行動は,各大学当局に独立自尊のパワーを付与する
6.「原則論」ではなく現実論

1.問題の背景と我々の取るべき基本的姿勢

独法化され「非公務員」とされたいま,われわれの賃金が人勧に従わなければならない法的根拠は全くなく,国立大学がこれに追従するのはもっぱら,悪名高い「法的根拠の無い行政指導」以外には理由が見つかりません.そのような不透明かつ無法な官僚支配と,これへの大学の追従姿勢に対して,学者・研究者がその多くを占める国立大学の組合が「本気で」異議を唱えないというのでは,知識人としての社会的責務に背いているとさえ言うべきでしょう.

「代償措置」などではなく,またタテマエとしてではなく本気で,賃下げそのものを阻止することを目標にすべきで,そのための戦略・戦術を検討すべきです.戦術には当然ストライキも含まれます.

なぜそのような姿勢を各大学の組合が取ろうとしないのか,二の足を踏むかという最大の理由は,「世間のバッシングが恐い」ということではないでしょうか.

現在の日本社会の雰囲気は,ほとんど「下並び主義」とも言えるほど,自分よりも少しでも条件のよい人に対して「足引っ張り合い」をするようなものになっています(これが世界中で日本だけが不況に取り残される原因かも知れません).とりわけ公務員はまるで昔のヨーロッパにおける「ユダヤ人狩り」の対象のようなターゲットにされています.国立大学教職員の賃金もその大半が税金によることから,賃金問題では公務員と同一視されるでしょう.

しかしこのような社会のメンタリティーに対しては,これに正面から挑む,チャレンジすることでしか活路は開けないと思います.それは次のような理由からです.

2.組合の存否に関わる問題

何よりも,この問題でどう成果を出せるか,つまり賃下げを阻止できるかどうかは,組合の存否に関わる問題だということです.公務員に「横並びする」という,理由にならない理由での賃下げも阻止できないようでは,組合の存在意義はほぼ無くなるからです.じっさい,組合員拡大の働きかけをした際に,まさにそのような理由を言われて「入る意味がない」と断られたという話も聞きます.このような「結果を出せない」状態が続けば,組合はジリ貧になっていくことは必然です.

3.目標に価する目標を掲げなければエネルギーは生じない

組合活動の燃料,エネルギー源は,目標実現への組合員の集団意志です.個々の組合員をエンパワーしてこのエネルギーを生成・増殖するような目標を掲げなければ,運動は進展しません.そのような非線形のプロセスを起動できるかどうかに成否がかかっています.はじめから「ホンネは代償措置」ということでは,組合員は自ら参加しようという気は起こらず,「執行部でやってくれ」ということにしかならないでしょう.これでは代償措置さえも貧弱なものに終わるでしょう.

4.説得力は行動を伴ってこそ生じる

「ストをやるにしてもまずその前に世論に訴え,下地を作ってから」という言い方もあるようですが,これは決して現実的な対応とは言えません.ストを含む「覚悟ある行動」を伴って初めて「世論に訴え」ることが出来ます.われわれがメディアを掌握しているわけではありません.集会や署名だけでは十分に国民に声を届けるのは無理です.それだけで効果を持つ「訴え」になりうると考えるのは非現実的です.こと賃金問題に関するかぎり,「行動による説得」だけが政治的に有効なものだと思います.

その行動=説得が有効性を持てば持つほど,これに対する反動も大きいでしょう.つまり「バッシング」は十分に覚悟しなければなりません.その時,弁解じみた態度を見せてはならず,堂々と受けて立つことが重要です.

5.組合の本気の行動は,各大学当局に独立自尊のパワーを付与する

どの大学の執行部も,「独立」法人になったにも関わらず,「うちだけではどうしようもない」という態度を取るようです.しかし各大学の内部で「騒動」が起きれば,文科省に従順に従えないという理由(口実?)を大学当局に提供することができます.組合はそのようにして当局を「応援」すべきです.大学当局も,これほど強く批判されながらも綿々と続く「官主導」のシステムに従順であることが,いかにわが国の高等教育を台無しにしているかに気付く機会と受け取るべきです.

6.「原則論」ではなく現実論

このような言説に対しては必ず「それは原則論だ.現実的でない」という「反論」が返ってくると思います.しかし本当にそうでしょうか.今や名目的にも合法な実力行使=ストを視野に入れることに,一体どんなリスクがあるのでしょうか?もちろん闘いのプロセスの中で撤退や方向転換を迫られることはあるでしょう.その時はその時で柔軟に対応すればいいのです.現在の大学の組合の状況は,枯れ尾花に怯えるような,ウルトラ弱腰と言えるようなものではないでしょうか.そのような組合には,繰り返しますが「ジリ貧=消滅」という現実しか待っていないと思います.項目2で述べたような観点からすれば,現在の事態というのはむしろ「組合攻撃」であると見なすべきではないでしょうか.このような理不尽な不利益変更に大した抵抗も出来ないだろうと見くびられた上での攻撃です.

民衆の怯懦こそが最大の罪であるという,映画「Vフォー・ヴェンデッタ」の台詞を最後に書きとどめておきたいと思います.
「罪ある者を探すなら,鏡を見よ」