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独行法反対首都圏ネットワーク

☆国立大法人化 大学を「ソビエト化」させるな
  『朝日新聞』2003年5月27日付 私の視点 京都大学教授(経済学) 佐和 隆光
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『朝日新聞』2003年5月27日付

私の視点 京都大学教授(経済学) 佐和 隆光

◆国立大法人化 大学を「ソビエト化」させるな


 国立大学法人法案が衆議院を通過し、現在、参議院で審議中である。数年前、
某東大教授が「日本の国立大学はどこをどう変えても今より悪くなることはな
い」との名言を吐いたが、国立大学が研究・教育両面で数多の問題を抱えるこ
とには、何の紛れもない。

 実際、国立大学の「改革」の必要性を頭から否定する向きは、一人としてい
まい。しかし、「どこをどう変えるべきか」についての意見の隔たりは大きい。

 80年代半ばの国鉄・電電公社の民営化は、ほぼ予想通りの成果を収めた。だ
からといって、科学・学術研究もまた民営化に近づければ、より大きな成果が
得られるわけではない。科学・学術研究は多様であり、民営化にかなう分野も
あれば、かなわない分野もある。割り切っていえば、工学や薬学など、その研
究成果が民間企業の製品開発に結びつくような分野の研究は、民営化しても十
分やっていける。しかし、基礎科学や人文社会科学は狭義の「有用性」に乏し
く、ゆえに民営化になじまない。すべてを一まとめにして民営化というのでは、
無用の学は衰退を余儀なくされる。

 国立大学法人化のねらいは、自由で競争的な研究環境を作ることだったはず
である。ところが、法人法案は、当初の意図に反して、科学・学術研究の中央
集権的な「計画」と「統制」をその骨子としている。言い換えれば、法人法案
は国立大学の「ソビエト化」を目指している。意図してのことかどうかは問わ
ないまでも、結果として、そうなることは請け合いだ。

 ソ連の計画経済の失敗がだれの目にも明らかになったのは、70年代後半に入っ
てのことである。経済を「計画」することは案に相違して難しかった。インプッ
トを操作してアウトプットを望ましい水準に持ってゆけるほど、経済は単純で
なかった。同じく科学・学術研究もまた、政府が「計画」して費用対効果を高
められるほど単純ではない。研究の成果を事前に予測することは、だれにとっ
ても不可能な仕業なのだから。費用対効果に勝る研究を計画的に推進するなど
望むべくもないことは、研究をやったことのある人間なら、だれにだってわか
るはずである。中期目標・中期計画を文部科学大臣が認可し、6年後に評価委
員会が達成度を評価し、その結果を予算配分などに反映させる。まるで評価委
員会は旧ソ連の国家計画委員会、大学は工場もどきなのだ。

 冒頭にも書いたように「国立大学のどこをどう変えても今より悪くなること
はない」のだが、法人法案の目指す改革は「今より悪く」する、稀にしかない
例外の一つに数えられる。「経済を計画できる」という妄想ゆえに、社会主義
体制は崩壊の憂き目を見た。同じく「科学・学術研究は計画できる」との妄想
に基づく大学改革が、科学・学術研究を阻害することは火を見るよりも明らか
だ。

 個々の研究者が自らの創意工夫に基づき、自由闊達な研究を推し進める環境
を整備すること。そして個々の研究者が、良い意味で学界の厳しい評価にさら
されること。学界の評価において勝る研究者に、競争的資金を優先的に配分す
る仕組みを作ること。そして、ポスト工業社会にふさわしい人材養成に資する
よう、目先の有用性に惑わされることなく、無用の科学・学術研究をも等しく
振興すること。こんな「改革」でなければならない。