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産経新聞2003年5月11日「正論」欄 
 .佐賀大学の豊島 
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佐賀大学の豊島です.産経新聞の論説記事を紹介します.
   840-8507 佐賀市本庄町1 佐賀大学理工学部物理科学科 豊島耕一
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産経新聞 「正論」欄 2003年5月11日

文科官僚の過剰介入に潜む学問の危機
 目を離せぬ国立大法人化の行方

       お茶の水女子大学教授
           藤原正彦

さらに強まる大学支配

 平成十六年度から、国立大学は国立大学法人となる予定である。橋本内閣に
始まった行政改革が、国家公務員二五%減という形に発展し、十二万五千人の
教職員を抱える文科省は仕方なく、国立大学の法人化に踏み切ったのである。
動機はともかく、法人化そのものはよい。学部学科の構成から予算の細目まで
を文科省に決められている現状に比ベ、法人化により大学の自由度ははるかに
高まるから、個性豊かな教育や研究が進展するはずだからである。
 ところが現在、国会で審議中の法案を見ると、そうなりそうもない。このま
までは文科省の支配がさらに強まるとしか思えない。
 第一は、各大学の活動の中期目標(六年間)を文科大臣が決めるという驚く
べき条項である。先進国のどこに、大臣すなわち実質的には官僚が大学の中期
目標を指図するところがあろうか。細かなことは大学に任せるが、大きなこと
は官僚が決める、という意図がはっきり見えている。大学は道路公団のような
実務機関ではない。教育と研究という特殊作業に携わる機関である。文科官僚
には、教育と研究について大学に指針を与えるだけの能力も見識もない。

学外者起用にも疑問点

 第二には、民間の経営手法を取り入れるということで導入される、役員会に
関してである。役員会は学外者を含む数名の理事と、二名の監事から成る最高
議決機関である。問題は二名の監事を文科大臣が任命することである。しかも
学長は理事を罷免できるが、監事の罷免はできないようになっている。先行し
て法人化した国立の研究機関などでは、しばしば天下り官僚が理事や監事になっ
ている。文科省が監事を送り込むことに、多くの大学人が不快を禁じ得ないの
は当然であろう。
 第三は格段の権力を持つことになる学長についてである。学長に権力を集中
させるのは賛成である。これまで、国立大学の改革が遅々として進まなかった
のは、教授会自治を中心とした「学内民主主義」のためだったからである。大
学の国際競争力が問われる時代には、とりわけ素早い意思決定が必須となるか
ら、中央集権化は避けられない。
 既得権擁護団体と化した教授会を無力化するのは、遅すぎたくらいだが、文
科大臣が学長の任命権と解任権の両方を持つことになるのはいかがなものか。
学長は文科省のあやつり人形になりうる。中央集権は適切だが、独裁に対する
リコールなど大学構成員による意志表示の場がないのも不思議である。
 さらに危ういのは、学長選考会議の半数を学外者としたことである。経営に
関してなら学外者の意見は貴重だが、教育や研究に関しては、ほとんど何も期
待できない。卒業してすぐに役立つ人材を養成しろとか、産業界や納税者に役
立つ研究をしろ、などという発想が会議にはびこり、その意を受けた者が学長
となったりしたら大変である。大学本来の目的である教養人の育成とか、実用
を超えた基礎研究などは困難になる。
 私などは数学の研究をしながら、役に立つかどうかなど、考えたこともない。
人類の幸福や福祉について思いを馳せたことさえない。数学が美しいから研究
をしていただげである。役立つか、などを考えていたら真の学問は成立しない。
歴史的に、実用などを考えない研究こそが、後になって真に役立っていること
は注目を要する。壮大な無駄の中にしか、宝物は転がっていない。大学の研究
を不況克服のエンジンにしよう、などという政財界の発想は、大局観を失った
恐るべき不見識としか言いようがない。

不思議な国大協の沈黙

 三つの危険に触れたが、それらはあくまで危険性である。四つ目は破局であ
る。それは文科省が大学を評価し、予算配分もするということである。競争原
理を働かせるための評価導入は正しい。しかし、評価は文科省から完全に独立
した機関によりなされねばならない。それに従い文科省が予算を決定すればよ
い。両方を文科省が手にすれば、各大学は完全に文科省にひれ伏すことになる。
文科省の意を酌んだ研究や教育ばかりがなされ、学問の自由は吹き飛ぶ。大学
の自治は不要だが、学問の自由は不可欠である。
 学長の集まりである国大協が、この法案に反対しないのは奇観である。巨大
権力となりつつある文科省に睨まれるのを恐れているのだろう。すっかり意気
地をなくした大学を横目に、ゆとり教育など初等中等教育で失策を続けてきた
文科省が、高等教育までを台無しにしそうである。(ふじわらまさひこ)