討論テーマ 大学改革
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Other Opinions 「大学改革」私はこう思う
黒木氏写真  黒木 比呂史さん
 (教育ジャーナリスト)
 
 
大学改革とは、内発的なものでなければならない
 本来、大学改革とは、国からの押しつけなど外圧的なものでなく、大学内部からわき上がる内発的なものでなければならないのではないだろうか。そうでなければ、本当の意味で各大学が個性を輝かすことにはならない。行政に手を出すなとまでは言わないが、国の施策は、各大学の内発的な改革を促すためのものでなければならない。

 にもかかわらず、昨今打ち出されている施策は大学に冷水を浴びせているというか、むしろやる気をそぐようなところが多々あるように感じられてならない。たとえば、国立大学の独立行政法人化は、行政改革(つまりは見た目の国家公務員削減)の道具にされている感が否めない。なぜ、国立大学のままでの改革ではいけないのか。その論理が私にはどうしても分からない。国は否定しているが、結局のところ、将来的に高等教育に対する予算を削減していこうと考えているのではないかとすら疑ってしまう。

 また、トップ30については、完全に大学の格付けにつながる。それも、教育・研究レベルの高い大学に予算を重点配分するとしているが、おそらく偏差値の高い上位30大学に集中することになると予想する。たとえトップ30の選定を第三者機関にゆだねたとしても、潜在的な意識として大学を評価する物差しは、偏差値、ブランドであろう。規模の小さい大学、地方の大学などで優れた研究が行われていたとしても、有名大学の研究よりも上だと判断できるほど、強烈な自信をもてる第三者機関などありえないと思われるからだ。日本の強みは、建前かもしれないが、大学に序列をつけず、大学卒は皆平等に扱ってきたところにあると思う。それによって、全体的な知的レベルは着実に上昇してきた。それがトップ30の導入によって、選ばれなかった大学がないがしろにされるようなことがあれば、活力を失い、長い眼で見ると社会全体にとっても決して好ましい状況とは言えないと思う。

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橋爪氏写真  橋爪 大三郎さん
 (東京工業大学教授 社会学)
 
 
学問の自由と研究の活性化には競争が欠かせない。
「トップ30」は研究評価を第三者機関が行うというが、誰かが一元的な尺度で評価してしまうのは学問にとって有害である。色々な考え方にもとづき、色々な基準で研究費は分配すべきである。

 たとえば、基礎研究と応用研究は、別々に研究費の予算枠を決める。これを、一元的にばらまくのでなく、いったん複数の財団に配ってから、その財団のプリンシプルでさらに研究者に配分する。財団の研究費がどのように配分されているのか、国民によくわかるように、財団の活動そのものを別の外部評価機関が評価する。効率よく適正に研究費を配分した財団には、翌年の研究費が多めになるようにする。要するに、財団の間にも競争が働くようにする。こうすれば、すぐれた研究や特色ある研究に研究費が集まるようになり、競争的な環境のもと研究が活発になる。

 国立大学の法人化は、人材の流動性という点でも問題である。今までは同じ国立大学同士で、異動は単に昇任や配置換えだったものが、別な独立法人となると、敷居が高くなってしまうかもしれない。流動性が乏しくなると、若い研究者は組織のボスに気を使って、自分の意見を発言しにくくなり、ポスト選択の幅も狭まる。むしろ、アメリカのポスドク(ポスト・ドクター)の仕組みを普及させるべき。ポスドクとは、若い研究者が自分で優れた研究室をさがして、インターンのような身分で雇用される形態で、数年間のうちに何本も論文を書き、助教授のポストをめざして頑張る。優れた研究室には優れた研究者が世界中から集まり、評判の良くない研究室には集まらない。ポスドクを通して研究室の間にも競争原理が働き、研究がますます活性化されるのである。

 学問の発展をささえるのは「自由」であるが、自由は競争と表裏の関係にある。競争がないところには、支配や管理があるだけ。どちらが「学問の自由」に役立つかと言えば、それは競争に決まっている。

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木村氏写真  木村 孟さん
 (大学評価・学位授与機構長、元東京工業大学学長)
 
 
日本の未来は「大学の第三者評価システム」導入にかかっている
 グローバル化によって研究面、教育面での国際的競争がさらに活発になっている中、日本の大学はもっと国際的な通用性を増して、個性輝く大学を作っていかなければならない。また、世界的現象である高等教育の大衆化に応じて、税金がどのように使われているのか、大学はどのようなことをやっているのかを詳細に調べて国民すなわち納税者に知ってもらわなければならない。これらを実行するためには第三者評価システムを導入して競争的環境を作っていく必要がある。

 日本の大学を国際的レベルに引き上げるには、まず、研究教育環境の整備をしなければならない。それから、日本の大学にはサポーティングスタッフが決定的に不足している。例を言うと、東京工業大学は約1000人の研究者に対して、サポーティングスタッフが600人くらいしかいない。オクスフォード大学では1500人の研究者に対して約6000人いるのである。然るべき大学にはサポートを供給する必要がある。そして、人材の流動性を高めることである。外国人を含めて色々な人を登用することができるシステムを備えていかなければならない。

 我が国の社会はこれまで、何事にせよ評価することを避けてきた。評価のない社会はある意味で快適だが、我が国は世界経済の20%をも支配している超大国であり、多くの分野で世界のリーダーとしての責任を果たさなければならない。そのためには、まずそれぞれの大学が鮮烈な個性を持つ必要がある。その個性を育てるのが客観的評価ではないだろうか。個性輝く大学を作り、そこからさまざまな個性を持った人材が巣立つか否かは、我が国の将来がかかっていると言っても過言ではない。

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野田氏写真  野田 一夫さん
 (多摩大学名誉学長、(財)日本総合研究所会長)
 
 
大学は、今こそ「高等教育機関」として目覚め、その役割を果たすべきである。
 戦後の新制大学の誕生を契機として大学・大学生・大学教員の数が一貫して増加しつづけ、大学教育はいつしか完全に大衆化して久しいのに、世間も大学教員もそして文部省もなぜか未だに妙な「学術研究」コンプレックスにとらわれている。いや、大学教員に限っては、大部分がそんなコンプレックスなどはじめから持ち合わせていないにもかかわらず、学術研究を前面に打ち出すことで、既存の社会的ステータスと幾つかの特権を守りつづけようとしている。特権の最たるものは「教育の軽視」である。小・中・高等学校教員に比べると大学教員には一般的にはじめから「教師としての自覚」が乏しい上に、教員になるにあたって「教師としての教育」を全く受けていない。結果として、大学生、とくに大学教育に大きな期待を抱いて入学した学生の多くは、せっかくの向学心を喪失させられることになる。日本の大学に「レジャーランド」などという屈辱的呼び名が冠せられるようになった原因は主としてそこにある。「大学改革」はまずそこから始めねばならない。

 一方、学術研究が国家として努力を傾倒しつづけるべき重要な分野であることは言うまでもない。今日のような日本では、学術研究は大学の独占分野ではなくなったが、この分野で大学の果たす役割は未だに大きいはずだ。にもかかわらず、米国などに比べ日本の大学がこの役割を十分に果たしきれない原因をよく考えてみよう。主たる原因は、「高等教育機関」としても「学術研究機関」としてもその名に値しない大学が増えすぎたからにほかならない。「大学改革」の今一つの糸口がこの事実認識から浮かび上がる。

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豊島氏写真  豊島 耕一さん
 (佐賀大学理工学部教授)
 
 
「学生参加」こそ、大学改革の中心に
 「アカウンタビリティー」という言葉が間違って使われていないだろうか。日本は民主主義国だから国民の意思は政府が代表しており、国費を使うのなら政府の命令を受けるのは当然というように。もっともらしい理屈に見えるが、しかしどこまで命令できて、どのような問題には口出ししてはいけないかというけじめをはっきりさせないと旧ソ連型の「社会主義」を博物館から甦らせることになる。

 ところが国立大学を「独立」行政法人化するというのはまさにこの類のことなのである。いつから日本は旧ソ連のまねをすることに決めたのだろうか。文科相がすべての国立大学に目標を指示し、実行結果を政府が評価するなどという異常な制度をとっている国が欧米に存在しないことは文科省系の研究機関が出した報告書も認めている。教育基本法10条が示すような、官僚支配を避けて「国民に直接責任を負う」ようなやり方を見つける努力こそ必要なのだ。

 このための指針は、教育界のグローバルスタンダードとも言うべき98年の「ユネスコ高等教育世界宣言」に求められる。そこには「大学運営への学生の関与」が述べられている。辞書に「権利」という言葉も持たないような文部科学省の大学審議会や「調査検討会議」を過大評価すると未来を誤る。


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