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毎日新聞2003.7.1 第四次意見広告

「国立大学法人法案」の廃案を訴えます!

私たち大学人と市民は、現在国会で審議中の 「国立大学法人法案」の内容に危惧を表明し、 これを廃案とすることを訴えます。

意見広告の会

houjinka@magellan.c.u-tokyo.ac.jp
カンパ:郵便振替口座『「法人法案」事務局』00190-9-702697
小泉さん、これが「改革」なのでしょうか? 法案にはこれだけ問題があります
発言: 赤川次郎櫻井よしこチョムスキー森 重文森村誠一山口二郎

会に寄せられた支援者からの意見

小泉さん、これが
「改革」なのでしょうか?

理事・監事があらたに580人、
給与平均 1670万×580=97億円

●これが、大学法人への運営費交付金(もともとは税金)ないし学生授業料から 支払われます。

●役員の多くは、中央省庁からの「天下り」です。 しかも役員の人事権は、文科省と「世襲的独裁権」をもった学長とが握っていま す。

●この法案は、官僚の、官僚による、官僚のための法案です。 昨年度独立行政法人化した57法人では、常勤理事の97%140名が官僚出身者でし た。国立大学法人も大部分の大学で、元官僚を役員に選任することが既に決定し ています。

国立大学の改革については、
国民に公開された
正々堂々の議論を行うべきです。

●みなさんは「国立大学法人法案」についてご存じでしたか。 現在国会で審議中の「法案」については、マスコミ報道がほとんどありません。

これでは、「改革」も国民の目の届かない「闇の中」で行われてしまいます。

●国立大学協会幹部は、法案についての議論は行わないことを決めてしまいまし た。
文科省は、国会で陳謝せざるを得なくなった法案成立前の「事前関与」にも明ら かなように、秘密のうちに「改革」を進めようとしています。

● 「官僚統制」一点張りの「法案」が、白日の下にさらされるのを恐れている からです。


法案にはこれだけの問題があります

1.大学が官僚=国の統制下におかれ、学問の自由がそこなわれます。「法案」 は国立大学の「独立」「民営化」とは、全く関係がありません。

国会で審議中の「国立大学法人法案」では、各大学の教育・研究をはじめと した一切の目標(「中期目標」と呼ばれています)が、「文部科学大臣が定め る」ものとされています。各大学の自主性・独立性は全く認められていません。 こんなことは、戦前にもなかったことでした。また「法案」では、その目標を 達成するための措置・予算などのプラン(中期計画)も、文部科学省の「認可」 事項となっています。「国立大学法人法案」は、中央省庁の「許認可権」をで きるだけ縮小しようとする行財政改革の本来の理念に、全く逆行する法案です。

2.大学が高級官僚の天下り先となり、構造的腐敗の温床になりかねません。

「法案」によれば、国立大学などに全国で500名を越す「理事・監事」など の「役員」が、新たに生まれます。この人達の給与に教育・研究・運営に必要 な費用が回されて、結局国民の税金(「法人」への「交付金」)や学生納付金 (授業料など)が使われます。しかも、決定権や認可権を中央省庁に握られた 各大学は、いわゆる「中央との太いパイプ」を求めて、あたかも多くの特殊法 人のように、学長を含めた理事などに天下り高級官僚を迎え始めるに違いあり ません。こんな高級官僚の人生設計のための仕組みが、どうして国立大学の改 革になるのでしょうか。

3.学長の独裁をチェックする仕組みがありません。

法案では、大学の学長の権限が強大です。学長は、各国立大学法人の内部の 「学長選考会議」が選考します。ところが、この「学長選考会議」の委員の過 半を、学長が決定することが可能です。つまり学長は、自分を含めた次の学長 を決定することができるのです。これは独裁国家の仕組みと同じです。仮に学 長が問題を引き起こしたとしても、大学の構成員や市民がそれをチェックする ことはできません。

4.大学の財政基盤が不安定となり、授業料の大幅な値上げがもたらされます。

財政基盤が不安定なまま、授業料などが各大学でまちまちになってしまいま す。特に理科系の学部・学科を中心に、学生納付金(授業料・施設費など)の 大幅な値上げが予想されます。地方の中小大学のように財政基盤の弱い大学で は、特にそのことが顕著に現れます。今の国立大学の比較的低廉な学費が高騰 したら、「教育の機会均等」の理念は一体どこへ行ってしまうでしょう。

5.お金儲け目当ての研究が優先され、基礎的科学・人文社会科学の研究や学生 の教育が切り捨てられてしまいます。

学問・研究の成果は、長い目で見てゆくしか判断のできない性格を持ってい ます。「法案」が定める「経営協議会」や「役員会」がトップダウン(上から の命令)で目前の成果をあおっても、真の成果は期待できないのです。また、 現在の日本の学問・研究の水準は悪条件の下(高等教育・研究の関連予算は欧 米諸国のGDP比の半分程度で、OECD加盟国中最低)にあっても、決して諸外国 に見劣りするものではありません。おまけに大学評価に直結しにくい学生の教 育面は、「法案」の成果主義では軽視されてしまいます。一部のプロジェクト 研究にばかり予算をそそぎ込もうとする「法案」の考え方は、日本の学問・文 化に百年の禍根を残します。

6.この「法案」は、「違法・脱法」行為を行わない限り、実施することが不可 能な「欠陥法案」です。

国立大学協会は、5月7日、「国立大学法人化特別委員会委員長」の名で、会 員校に検討要請の文書を送付しました。驚いたことにその内容は、「労働基準 法」「労働安全衛生法」などの届け出義務や罰則規定の適用について、「運用 上の配慮」を関係行政庁にお願いしようというものです。「労働基準法」や 「労働安全衛生法」は、会社・法人など、どのような事業所でも必ず守らなけ ればならず、違反すれば使用者が刑事罰に処せられる刑罰法規です。立場の弱 い「定員外職員」の人たちの失業問題も懸念されます。 「法案」は、種々の 違法・脱法行為が認められなければ、実施することができない「欠陥法案」な のです。

赤川次郎(作家)

 経済的な事情から、大学へ進学せずに就職した私は、「大学生活」というもの に、長いこと憧れを持っていた。

「大学」とは、何よりもまず「自由な空間」であり、その中で若者たちが存分 に想像力や情熱を発揮できる場所だった。ところが、今日本の教育からはどんど ん「自由」という酸素が失われつつある。

 小学生に配られた「こころのノート」から「国立大学法人化」まで、これは一 つにつながった「自由を奪う政策」である。酸素の薄くなった空間では、人は独 創的な発想などできるはずがない。

 すぐれた学問研究の成果は、国や時代を超えて人を幸福にする。たかが数年し か在任しない首相や大臣よりも、それは遙かに高い存在なのだ。大学人はプライ ドを持って、この「法人化法案」に抵抗してほしい。

櫻井よしこ(ジャーナリスト)

 国立大学法人化で、大学の教育・研究目標を六年単位で区切って中期目標と し、それを文部科学大臣が決めるようになるのだそうだ。

 全国でいずれ八七になる国立大学の教育・研究の中期的概要を決定する能力 が、一体、文科大臣や文科官僚にあるのか。問うのさえ赤面の至りで、答えは 明白だ。

 にも拘わらず、日本の大学教育・研究は、いまや彼らの狭量な支配の下に置 かれようとしている。国費を投入するからには、国として責任をもたなければ ならないからだと遠山大臣は力説する。しかし、これまでも、今も、国立大学 に国費は投入されてきた。それでも教育・研究目標を、政治や行政が決めるな どという愚かなことはかつてなかった。政治家も官僚も犯してはならない知の 領域の重要性を辛うじて認識していたからである。

 それが今回の法人化議論でたがが外れ、世界に類例のない、政治と行政によ る学問の支配が法制化されようとしている。

 学問への支配は、大学の人事の支配によって更に息苦しいまでに強化される。 法人化された大学では学長の任命権も解任権も文科大臣が握ることになる。生 殺与奪の力を文科大臣に握られてしまえば、学長は文科省の意向に従わざるを 得なくなり、大学の自立の精神は土台から揺らぐ。理事の数まで、大学毎にこ と細かに法律によって決められてしまう制度のなかで、大学の自由裁量は絶望 的に損なわれていく。文科省の顔色を忖度しながら行われている現在の大学運 営は、法人化以降は更に蝕まれ、文科省の指導に決定的に隷属する形で行われ るようになるだろう。

 大学の自主自立と独創性を高め、学問を深めると説明された国立大学法人化 は、その建前とは裏腹に、自主自立と独創性を大学から奪い取り、大学教育と 学問を殺してしまうだろう。

 経済政策で間違っても、産業政策で間違っても、やり直しは可能だ。しかし 教育政策における間違いは決してやり直しがきかない。日本の未来の可能性を 喰い潰してしまうこの大学法人化に、心から反対する所以である。

ノーム・チョムスキー(マサチューセッツ工科大学教授 生成文法の創始者)

 現在審議中の国立大学法人法案に関して送っていただいた資料を読んで、私は 憂慮を感じました。この問題と提案されている法案に関する詳細な知識がないの で、私には細部にわたる意見を述べることはできません。しかしこうした不十分 な情報しかもたない私の立場からも、この法案は大学とその教官の独立性を損な い、それらを官僚的決定に従属させるのではないかと思われます。そしてこうし た従属は単に日本の高等教育と知的文化にとってのみならず、世界における日本 の役割の重要性を考えるなら、世界全体にとっても極めて有害なものです。私は こうした重大な問題が十分慎重に考慮されること、そしていかなる大学改革も独 立性と創造性を抑圧し制限するためでなく、それらを活気づけるために設計され ることを希望します。そして事がそのように運ばれるであろうと信じています。

森 重文(京都大学数理解析研究所教授)

フィールズ賞1990年受賞

研究について述べたい。

 研究者は研究費の申請のために研究計画を作るが、計画と実際の研究の進み方 にいかに大きな食い違いがありうるか、理解されているのだろうか。大きな発見 や発展は、方針転換したときや、極端な場合としては、間違いや失敗がきっかけ になって、起こったりする。何人かの高名な科学者が、何かの失敗が大発見のき っかけだった、と発言するのを最近も耳にしたが、自分でも実際に同種の経験を した。自分には、むしろその思いがけない瞬間に巡り会いたくて、地道な研究を 続けているという思いすらする。

 また、方向が決まった後でも、結果を出せずに数年以上の時間がかかった後、 何かをきっかけにして急に解決するということも、経験した。

 このように大きな食い違いが生ずることがあるが、それでも、研究者は研究計 画は立てるのである。ただ、食い違いが生ずるものだということをわかった上で 運営に余裕をもたせてほしいのだ。大学が法人化されれば、研究者個人が研究費 を申請するのとは別に、各研究機関も中期計画を立てて審査を受けるようにな る。

 一つの研究機関全体が中期計画を立て、数年後に計画の成果を評価される状況 になったら、研究者はそれでも野心的な試みを続けられるのだろうか。

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フィールズ賞
 数学界のノーベル賞ともいわれる。日本人では、小平邦彦、広中平祐、森重文 が受賞。

森村誠一(作家)

人格統制法案反対
 教育の統制は人格形成の統制、つまり人格の統制である。学問・教育の自由は 基本的人権の核であり、思想、良心、また信教の自由も学問と教育を踏まえてい る。これを国家権力の統制下に置くという発想は、まさに人間のすべての基本的 自由を圧殺することである。教育、特に高等教育と研究が官僚の鋳型に閉じ込め られたらどうなるか。

 そもそも官僚とは国政に影響力をもつ上級公務員であり、官僚主義とは権力組 織に特有の気風や態度・行動様式、規則と前例に対する執着、権限の墨守、新奇 なものに対する抵抗、創意の欠如、傲慢、秘密主義、権威主義などの代名詞、あ るいは形容詞に用いられている。いかにも官僚が考え出しそうな発想であり、法 案であるが、こんなものの支配下に大学が置かれたらとおもうだけでぞっとす る。法案の提出に際して、官僚的なもっともらしい説明がなされているが、要す るに、官僚による人格統制法案である。

 かつて軍国主義時代、陸士、海兵、その他の軍学校に全国の若い優秀な頭脳を 吸い集め、中等学校以上に配属将校をばらまいて、軍事教育一色に染め上げよう とした時世においてすら、リベラルな大学は生きていた。

 大学が政府の統制下に置かれたとき、民主主義は崩壊すると言われる。民主主 義以前に人格が破壊される。辞書の解釈を見るまでもなく、学問と教育の天敵は 官僚であり、官僚制度である。危険な法案が次々に現われる中、最も危険な法案 が国会をまかり通ろうとしている。いま、日本の学問の府は未曾有の学難ともい うべき危機にさらされている。官僚の首はすげ替えられるが、学問と教育は永遠 である。一過性の官僚のおもいつきによって、永遠の学問と大学教育を歪めては ならない。私はこの法案に絶対反対である。

山口二郎(北海道大学法学研究科教授)

 この十年、いろいろな改革がありましたが、選挙制度改革、中央省庁再編な ど、それらはほとんど外形だけの改革でした。政治の腐敗や官僚の天下りが相変 わらず続いていることに示されるように、これらの改革は本来の課題に答えるも のではありませんでした。いま議論されている大学改革も、こうした形だけの改 革と同じものです。

 いや、日本の学問を破壊し、国民の高等教育を受ける機会を狭めることによっ て、むしろ現状をさらに悪化させるものになるとさえいうことができます。

 仮に独立法人化法案が成立すれば、国立大学は「独立」法人ではなく、「従 属」法人になるに違いありません。その理由はいくつもあります。たとえば、大 学は中期計画を作り、文部科学大臣の認可を得なければなりません。そうする と、いままでと違い、研究や教育の中身にまで、大臣(実質的には文科省の官 僚)の統制が及ぶのです。また、すぐに金儲けにつながる研究が優遇されること も確実です。学者が、官僚の権威におびえ、営利に走らされるようになっては、 研究、教育などできるはずはありません。日本における「知」の世界は貧弱なも のになるでしょう。

 本来の大学改革の課題には逆行する独立法人化を、世論の力で廃案に追い込む べきです。

会に寄せられた支援者からの意見(茨城県・主婦)

 読売新聞(6/10付)の意見広告を見て、大変驚きました。法案には絶対反対 です。

 私は一主婦として現在小学4年と1年の子供を育てています。進学塾も私立の中 学もない田舎の子供たちにとって、これ以上教育を受ける権利を奪わないで下さ い。 現在でさえゆとり教育の名のもと、教育内容の3割削減を強行している文 部科学省の考えにはついて行けません。

 もっと子供たちの声を聞いてください。実際の子供たちはもっと学びたがって います。大人の勝手な解釈で子供たちの学びの場を奪わないで下さい。先日、我 が家の小1の娘が「ねえ、お母さん、このまま小学校で勉強してて、大学に行け るの?」と、聞いてきました。どうしてと聞くと、「だって簡単すぎるんだけ ど、お医者さんになれる?」「塾に行ってないと無理だよね」と…。自分の夢が 学校の勉強だけでかなうのかと、小1にして、子供心にも思ったようです。小4の 息子は往復3時間もかけて首都圏提携塾に通っています。やはり彼にも夢があり 夢の実現のためには小学校の勉強だけでは無理と考えているようです。塾に通い 始めた頃、自分の学校では教えてくれない内容が塾ではおしえてくれるから楽し いし、おもしろいと。また、どうして自分の学校では教えてくれない内容がこん なにも多いのかと。いつも不思議そうに言っていました。自分の学びたい学問を 教えてくれる大学に入ること。それは産業として国益にはつながらないかもしれ ませんが国立大学で自分の興味のある分野を突き詰めること。そんな子供たちの 夢をつぶさないで下さい。他の子供たちの中にも、同じようなことを言っている 子が大勢います。公立の小・中・高から学ぶべきことを奪って今度は国立大学か らも奪おうとしているのではないでしょうか?

 もし、大学が国によって法人化されたならば、国益を最優先する学問のみにお 金が使われ、中期・長期計画というような枠の中では、国益になるかどうかわか らない学問に興味を持った子供たちはきりすてられてしまうのでしょうか?企業 のように利益を追求する団体の中においては、最優先事項だと思いますが、学問 において、この論理をあてはめるのは、絶対危険です。もし、学びたい学問によ って、学ぶ為にかかる学費が高額になれば、学ぶこと自体をあきらめなければな りません。子供たちの未来にとって、こんな残酷なことはありません。日本の未 来にとってもマイナスであると思われます。また、私たちが納めている税金をな ぜ、天下り文部官僚の理事・監事職の給与にあてなければならないのか。現在そ の職種がなくても国立大学の運営にはなんら支障がないのですから、その分の予 算を研究費・開発費に回してあげたほうがよほど子供たちのためになると考えま す。

 私たちのような地方に住んでいる小市民が国に対して意見を言えることなんて ないと思っていました。声にならない声がたくさんあることと思います。今回の 見広告を見るまでは国会でこんなことが審議されているなんて知る由もなく …。知らなかったというのは、おそろしいことです。意見広告を出していただき 有難う御座いました。陰ながら支援致します。どうぞ、法案反対にご尽力下さい ますようお願い致します。