国立大学独法化阻止全国ネットワーク  代表 山住正己
Head: Professor M. Yamazumi (Prof. Emeritus of Tokyo Metropolitan Univ.)
Japanese Campaigning Group against the plan of putting the state-run universities under independent agencies' administration
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学長各位に訴えます.
文科省の陰に隠れるのではなく,国民と国会に対してみずから直接,意見表明をして下さい.

国立大学独法化阻止全国ネットワーク事務局長 豊島耕一 2002.11.1313 (ver.1.1)

 国大協は国立大学の学長のサークルであり,何かの権限を法律によって与えられた存在ではありません.しかし各大学のトップの集まりとして,その言動には大きな影響力があり,したがって責任が伴います. 国大協がもし大学の存立原理である学問の自由や大学の自治を損なうような政策を手助けしたり,あるいは,それを知りながら警告を発するのを止めたりすれば,歴史に汚点を残すことになるでしょう.どうか,この「大学社会にとっての一大事」と言うべき事態に際して,将来に禍根を残さない慎重な行動を取っていただくようお願いします.

1.現在の国立大学は「文部大臣の広範な指揮監督権の下に」あると言うのは本当か?

 文部大臣が2年前に「調査検討会議」の発足を表明した際,「現状では国立大学が文部大臣の広範な指揮監督権の下に置かれる」と発言し,これによって多くの人が「法人化は必要」と信じたようです.しかし,憲法学者の見解によれば,戦後の文部省は,「戦前の文部省のような指揮監督機関ではなく、あくまでも教育条件整備を主要な任務とする指導助言機関として発足した」とされ,上のような見解は誤りであることが明らかにされています(別紙参照*).すなわち,大学が独立性をなかなか発揮できない主な原因は,法制度にあるのではなく,むしろ法令に反して大学を不当に支配している文部科学省自体,そしてこれを容認している大学の姿勢自体にあるのではないでしょうか.

 このような,文部大臣が故意に持ち込んだ国立大学の地位に関する誤った見解が,「法人格の必要性」への議論につながりました.しかし最近の大学「統合」をめぐる動きは,現行の「国立大学」が相当の「人格性」を持っていることを明らかにしています.だれからの命令を受けるでもなく,隣の大学どうしで互いに「統合協定」を結び,すでに「調印」までしている大学がいくつも存在するではありませんか.

 独立行政法人化された大学は,組織の「目標」や「計画」の許認可を中央官庁に仰ぐことになりますが,一体そのような団体がこのような協定を独自に結ぶことができるのでしょうか? そもそも組織運営の根本とも言える目標(いわゆる中期目標)を大臣に決めてもらうような団体に「法人格」があるなどとどうして言えのでしょうか.

2.「私立と比べてこれほどの税金を国立大学につぎ込むことが許されない」は論理的な命題か

 国がどれだけの大学を維持し,どれだけの資金を投入するかは,国民が,すなわち国会が決めることであり,何か別の「原理」によって決まるものではありません.つまり民主主義の原則が適用される事項そのものであり,そして現に「国立学校設置法」の制定と予算の国会審議によってそれが実行されているのです.もし上のようなレトリックに引け目を感じる学長がおられるとすれば,それは国立大学の存在意義を国民に,国会に説明する自信がないということでしょうか? そして何かの術作を使わないと「潰されて」しまうとお考えなのでしょうか? 決してそのようなことはなく,自信を持っておられることと信じます.それでも国民の総意がこれを十分に認めないのであれば,それは甘んじて受けるべきでしょう.

 しかし,諸外国と比較してもわが国の国家予算における高等教育への支出の割合はむしろ少なく,これをさらに引き下げることは世界の常識にも反することになるでしょう.ましてや大学をすべて「民営化」,すなわち私学化してしまうなどということは,わが国を極めて珍しい不思議な国に変えることを意味します.大学がすべて私立である国というのはどこにあるのでしょうか.ヨーロッパでは国立または州立がほとんどであり,カナダも同様です.アメリカでも州立大学が大きな割合を占めています.そしてわが国の国立大学の学費はアメリカの州立大学よりもはるかに高額なのです.(学費比較表)

3.「ぬるま湯」論の意味

 みずからを厳しく律しなければならないということは,公的機関として当然のことで,このための批判として「ぬるま湯」という言葉が使われるのであれば,私たちは謙虚にこれを受け止めるべきでしょう.しかし国立であれば必然的に「ぬるま湯」であり,「民営」であればそうでない,というレトリックは無意味です.社会に公的部門は必要であり,そして適切に民意によってコントロールされなければならないということに過ぎません.

 しかし,国立大学において深刻な「ぬるま湯」状態があることは確かです.それは,長年に亘って国立大学の習い性となった行動様式,すなわち,文部科学省の陰に隠れ,みずからが国会に対して,あるいは国民に対して直接説明や意見表明をしようとしない態度です.これを合理化するのために「文部省防波堤論」があります.もっと恐ろしい「敵」,つまり,かつては大蔵省,そして今は経済産業省でしょうか,この要求はもっと厳しい,だから文部科学省を「応援」して多少不本意なことも受け入れなければならない,というレトリックです.しかしこれは,国家権力機関としての文部科学省を美化しただけでなく,大学が直接社会と対峙することを回避し,大学首脳部を「社会オンチ」にして来たのではないでしょうか.これこそまさに「護送船団」,「ぬるま湯」として咎められるべきでしょう.

 「アカウンタビリティー」を言うのであれば,本来の意味で,つまりお役所に対する似非 アカウンタビリティーではなく,教育基本法10条が規定するように,「国民全体に対し直接に責任を負」うような説明責任の取り方をすべきです.

4.“「国立大学法人」は独法化ではない”は詭弁

 一部には,「最終報告」に沿った法人化,すなわち「国立大学法人」は独法化ではないとの主張もあるようです.しかしこれが詭弁であることは,例えば「中期目標」に触れた「最終報告」の一節を見るだけで明らかです.さまざまな修飾語が挟まれていますが,主語は「文部科学大臣」,述語は「定める」,目的語は「中期目標」です.

文部科学省調査検討会議「最終報告」より

「中期目標については、大学の教育研究の自主性・自律性を尊重する観点から、あらかじめ各大学が文部科学大臣に原案を提出するとともに、文部科学大臣が、この原案を十分に尊重し、また、大学の教育研究等の特性に配慮して定める。(中略)

 中期計画については、各大学において、あらかじめ中期目標と中期計画の原案を一体的に検討しておいた上で、最終的に確定した中期目標に基づいて作成し、文部科学大臣が認可する。」

このように明白な「物的証拠」があるにも関わらす,独法化でないと主張するのは,白を黒と言いくるめるに等しく,学問に仕える者としては絶対に許されない詭弁です.

 独立行政法人制度の設計者とされる藤田宙靖氏のホームページにも,自身の講演を採録して次のように記されています.(「国立大学と独立行政法人制度」1999年9月6,7日,東北大学における講演)

「また、通則法では、主務大臣が、三年以上五年以下の期間において独立行政法人が達成すべき業務運営に関する目標(中期目標)を定め、(中略)文部大臣によるこのような介入は、現行の国立大学の場合には、存在しないところであって、この制度をそのままに大学に適用したとするならば、大学の自治に対する著しい制約ともなりかねない。」

「大学の自治に対する著しい制約」であるとすれば,それは「学問の自由」の制度的保証への「著しい制約」あり,したがって憲法23条に触れる違法な制度ということになります.それだけでなく,教育への官僚支配を禁止した教育基本法10条に違反することも明白です.

 このような行政当局から大学への命令制度が欧米に存在しないことは,文部科学省系の調査機関「国立学校財務センター」の報告でも明かです.

「政府による目標の指示、実行計画の認可、変更命令というような「独立行政法人」的手法を採っている例はない。」(大学の設置形態と管理・財務に関する国際比較研究,I 概説 3. 大学の自治・自主性の尊重)

欧米に存在しないだけではありません.戦前のわが国にさえこのような命令制度は見られません.では一体どこまで歴史を遡ればいいのでしょうか.

5.どのように改革すべきか

 なすべき事は教育と研究の水準を高めていく努力がもちろん中心ですが,それを妨げているのがまさに「改革」と称する書類と会議の量産体制ではないでしょうか.これは文部科学省というお役所の「生き残り」のための「公共事業」への協力以外の何ものでもありません.実質的な改善を得るためには,このような文部科学省による,多くのケースで教育基本法10条に触れる恐れのある「行政指導」追従体制を改め,学生とふつうの市民の声に耳を傾けることからはじめるべきでしょう.

 また,ユネスコの98年の「高等教育世界宣言」が求めるように,大学が社会の独立したセクタとして「批判的で進歩的な機能」を充分に果たせるような改革が重要だと思われます.このような機能を十分に果たしていれば,薬害エイズももっと早く告発されたでしょうし,有明海のカタストロフィーも防ぐことができたかも知れません.その障害となっているのは「国立大学」という制度ではなく,繰り返しになりますが,その運用の仕方にあります.

 産業社会への貢献も重要でしょうが,対社会という面では市民の直接的な利益への貢献をこそ重視すべきでしょう.経営者側とだけ結びついた「産学協同」は,「過労死」を防ぐことに役立つでしょうか.

 国際的には,何よりも平和への貢献が重要です.教育・研究の国際交流も確かに平和に貢献しますが,もっと直接的な貢献も必要です.アフガニスタンでの,結婚式に集まった人々に加えられた「空爆」と称する空からのテロを,「誤爆」の言葉でかたずけるような無法には大学も沈黙すべきではありません.

 批判的機能が働くべき対象には政府も含まれます.政府から「目標」を下付され,評価される組織にそれはできないでしょう.

6.学校教育法改正問題

 独法化問題では私学から国立大学に連帯する目立った動きは見られませんでしたが,しかし「学問の自由」という価値を共有する両者は,大学社会の重要問題では互いに連携・協力すべきです.いま国会では「認証評価制度の創設」などを柱とする学校教育法改正案が審議されていますが,これには文科相が認証した評価機関の評価を全大学に義務付けるなど,私学にまで政府の管理統制を及ぼすものです.このような制度に対して国立学校財務センター教授の天野郁夫氏(1)や私学高等教育研究所主幹の喜多村和之氏(2)も批判的見解を発表しておられます.国大協としても,国会審議に間に合うよう,是非ともこの総会で議論され,批判的意見を表明していただきたいと思います.

7.結論

 独法化の枠組みに縛られた「最終報告」をきっぱりと否定し,制度改変に関しては白紙に戻すべきです.ましてや,これを前提にした法案の提起などもってのほかです.なによりも憲法や教育基本法に触れる違法な制度の導入を容認するようなことは決してあってはなりません.

 10月25日の参議院予算委員会で遠山文部科学大臣は,国立大学法人は「独立行政法人ではない」と述べています.もしこれが真実ならば,わざわざ「中期目標」などという制度を取り入れる理由もなくなったはずです.いや,むしろそれどころではなく,調査検討会議の存立根拠と「最終報告」の基盤が壊されたこと**をも意味します.

 国立大学協会は,政府によって演出された国立大学どうしの,あるいは国立大学と私学との間の「競争的環境」を,同協会の本来の目的である「緊密な連絡と協力」(会則第4条)の環境に戻し,一致して大学存立の根本的価値の擁護とその次世代への確実な継承のために活動していただきたいと思います.

 私どもで集めました独法化反対署名5024筆(既提出分を含む)を提出いたします.この署名に込められた人々の意志をしっかり受け止めていただくようお願いします.



*「現状では国立大学が文部大臣の広範な指揮監督権の下に置かれる」は本当か?
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/narushima+ibuka.html

(1) 天野郁夫,「大学評価の新時代」 IDE-現代の高等教育 No 442,2002.9

(2) 喜多村和之,「評価関連法案の問題点--- 学校教育法一部改正について---」,教育学術新聞2002.10.23 アルカディア学報 95

** なぜなら,調査検討会議は,その発足に当たっての当時の文部大臣の発言によれば,「独立行政法人制度の下で、(中略)国立大学を独立行政法人化する方向で、法令面での措置や運用面での対応など制度の内容についての具体的な検討」をするために設けられたのです.

茶色の部分はバージョン1.1での追加です.)