第156回国会 文教科学委員会 第17号
平成十五年六月三日(火曜日)
午前十時開会
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委員の異動
五月二十九日
辞任 補欠選任
齋藤 勁君 岩本 司君
鈴木 寛君 江本 孟紀君
五月三十日
辞任 補欠選任
有村 治子君 鴻池 祥肇君
大仁田 厚君 佐々木知子君
富樫 練三君 畑野 君枝君
六月二日
辞任 補欠選任
鴻池 祥肇君 有村 治子君
佐々木知子君 大仁田 厚君
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出席者は左のとおり。
委員長 大野つや子君
理 事
仲道 俊哉君
橋本 聖子君
佐藤 泰介君
山本 香苗君
林 紀子君
委 員
有馬 朗人君
有村 治子君
大仁田 厚君
北岡 秀二君
後藤 博子君
中曽根弘文君
岩本 司君
江本 孟紀君
神本美恵子君
山根 隆治君
草川 昭三君
畑野 君枝君
西岡 武夫君
山本 正和君
事務局側
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
参考人
東京大学総長 佐々木 毅君
大阪大学社会経
済研究所教授 小野 善康君
お茶の水女子大
学長 本田 和子君
東京大学社会科
学研究所教授 田端 博邦君
名古屋大学総長 松尾 稔君
元大阪大学事務
局長
住友生命保険相
互会社顧問 糟谷 正彦君
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本日の会議に付した案件
○国立大学法人法案(内閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人国立高等専門学校機構法案(内閣
提出、衆議院送付)
○独立行政法人大学評価・学位授与機構法案(内
閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人国立大学財務・経営センター法案
(内閣提出、衆議院送付)
○独立行政法人メディア教育開発センター法案(
内閣提出、衆議院送付)
○国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備
等に関する法律案(内閣提出、衆議院送付)
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○委員長(大野つや子君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
去る五月二十九日、齋藤勁君及び鈴木寛君が委員を辞任され、その補欠として岩本司君及び江本孟紀君が選任されました。
また、去る五月三十日、富樫練三君が委員を辞任され、その補欠として畑野君枝君が選任されました。
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○委員長(大野つや子君) 国立大学法人法案、独立行政法人国立高等専門学校機構法案、独立行政法人大学評価・学位授与機構法案、独立行政法人国立大学財務・経営センター法案、独立行政法人メディア教育開発センター法案及び国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案の六案を一括して議題といたします。
本日は、六案の審査のため、参考人から意見を聴取した後、質疑を行います。
まず、午前は、参考人として東京大学総長佐々木毅君、大阪大学社会経済研究所教授小野善康君及びお茶の水女子大学長本田和子君の三名の方に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、六案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
次に、議事の進め方でございますが、まず佐々木参考人、小野参考人、本田参考人の順でそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
それでは、まず佐々木参考人から御意見をお述べいただきます。佐々木参考人。
○参考人(佐々木毅君) 佐々木でございます。よろしくお願いいたします。
では、十五分という時間をいただきましたので、その範囲内で私の考えを申し述べさせていただきたいと思います。
私の基本的な立場は、この国立大学法人法というものを基本的に支持するという立場に立つ意見でございます。
どういう趣旨でそれを考えているかということを申しますと、言うまでもないことでありますが、二十一世紀、二十世紀ももちろんそうでしたが、二十一世紀において大学の果たす役割というものはますます大きなものになることが当然予想されております。本来であればこの種の議論はもっと早く出されてしかるべきではなかったかと私個人は思っておりまして、私の大学におきましても、私よりも二代前の総長のころに既にこのような議論は行われつつあったというふうに仄聞をいたしているところでございます。
つまり、日本の国立大学の一つの大きな課題は、公的、国という部門の中にその一部として組み込まれているわけでありますが、一体それらの大学が個々的にどのようなことを実行しようとし、どのようなメッセージを社会に対して発しようとしているかということにつきまして、従来は専らその内部だけでその作業が行われてきたという点が否めない点でございます。
私は、この法人法を支持する一番の理由は、大学と社会との関係の大きな組替えというところに重要なポイントがあると考えます。大学が、それぞれの国立大学が、あるいは国立大学法人が社会と今までよりもより直接的に向かい合い、どのような目標をどのような形で実現するかということを発し、そしてそれの様々な段階での計画を着実に実行していくということ、これは大学の在り方にとって非常に大事なポイントであると私は考えております。最近のよく言われるところの説明責任なるものを果たしていくということはどのような組織においても求められておりますが、大学という組織においてもそれは不可避的な課題であると、このように考えているわけであります。
その中で、またどういう形でその法人をデザインするかということにつきましては、国会でもいろいろ御議論をいただいておりますし、国立大学協会及び国立大学それぞれの内部においてもこれまで議論を重ねてまいりました。それらの点については、また御質問があれば私なりの考えを申し上げさせていただきたいと思います。
で、ただいま私が申しました大学と社会との関係の見直しという問題は、どのような結果を招くかといいますと、一つには、これまでの経験にかんがみまして、教育という問題が大学において従来にも増して重要なテーマになるということを予想させるところであります。
言うまでもないことながら、人材養成と、特に高度な専門的な能力を持つ人材の育成は、これからますます大事な課題になってきております。その意味で、国立大学はこれまでとかく研究に非常に注力してまいりましたし、その成果は私は非常に見るべきものがあると思うのでありますけれども、教育という面でなお多くの努力が求められているということ自体明白な事実であります。その意味で、教育活動という社会的により分かりやすい活動というものに、これによって大きく国立大学は軸足を動かしていくことになるのではないだろうか、そのことは十分期待できるというふうに思っております。
それから、従来、国立大学は様々な学部あるいは研究所あるいは研究科というものから成り立っており、今後とも基本的にそれらによって成り立つわけでありますが、法人化いたしますと、まず法人があって、その中に様々な組織があるという関係になります。今までは、様々な組織の連合体の上に学長や総長が言わば乗っているというような形のものでありました。これからは、法人全体というものがあって、その中に様々な組織があるという形になりますので、それらの組織全体の持っている非常にすばらしい研究資源や知的な資源というものを様々な形で有効活用し、かつそれを社会に対して発信するということが可能になります。
俗に申します縦割りというものが大学の中でも極めて牢固として存在してきたわけでありますが、そういったものを今までのような形で新しい縦割りを作っていって組織を増やしていくということが恐らく社会的、経済的に不可能な現在においては、それらの壁を低くし、そして様々違った専門の方々を言わば結び付けるように、寄り合わせるような形で次のステップを踏んでいく、次の新しい段階を展望していくということが非常に私は重要であると思っております。
それはある意味でこれまでの量的拡大というだけとは違った選択肢もこれからは考えていかなければいけないということでありまして、私の大学の様々な有名な先生方と議論した感触から申しまして、実にすばらしい知的資源があるのですけれども、なかなかこれがそれぞれのところに分散するような形で、ある程度散在しているというようなことがございます。その意味で、研究体制におきましても、一つの法人の中で自由に人間が動くような仕組みを作ることによって研究の状況も大きく変わりますし、また、そのことは教育活動に必要な人材というものをより広範に求めることにもつながるのではないかというふうに私は考えております。
したがって、どのような事態が出てくるかは、これはそれぞれの法人のデザインによって違ってくると思いますけれども、これまでいろんな意味での拘束というものによって縛られてきました制約から自由になることによって、教育、研究の面で新しい次元を開く展望が出てくるということを私としては申し上げたいと思います。
それから、そのことが結局、私は、大学というのは社会、広い意味での社会というものの中の非常に重要なアクターであるというふうに思います。これがずっと官の中の一部であるという姿はかなり異常な感じをむしろ受けるわけでありまして、かえって大学の社会的な基盤というものを弱める要素にもなり得るわけでありまして、その意味で、むしろ大学が社会の中にきちっと幅広く定着するという方向を実現するためには、むしろ法人としての自律性を備えるということが重要な要素ではないかと、このように考えております。
ただ、言うまでもございませんけれども、今度の国立大学法人法は、今後とも国からの財政的な支援というものを前提として組み立てられるわけでありますから、それに必要な手続というものを当然予定していることは法案にも書いてあるとおりでございまして、様々な中期目標、中期計画の問題、それから評価の問題等々については、既に私が知る限り衆議院等におきましても様々な議論がなされたというふうに承知しているところでございます。
その中期目標、中期計画につきましてはいろいろ御議論があったようですけれども、評価につきましては、まだ私個人としても必ずしも全体が見えてこないというふうに申し上げざるを得ないところでありまして、今後なお検討を要する課題があるのではないかというふうに思っております。
ただ、基本は、その言わば中期目標、中期計画というのは、あれは個々の大学と、個々の法人と文部科学大臣との間の一種のこれは契約的なものと想定するならば、それがどのような形でその後段階的に実現していったのかということをチェックするという意味で評価が必要なことは言うまでもありません。
ただ、大学の活動というのは極めて膨大でありまして、何をどう評価するかということについては十分事前に慎重な考慮が求められるのでありまして、評価のための評価、あるいは評価のために大学自体が、大学人が評価のためにたくさん参加し、その結果として大学自体が疲弊してしまうというようなことは、これはやはり非常におかしな事態であることは言うまでもございません。
それから、まだ必ずしも十分展開されていないテーマでございますが、会計制度その他における規制緩和を是非お願いしたいというふうに思っているわけであります。
我々大学がパブリックセクターにおける非常にコスト高の一端を担ってきたのではないかという意見が学内に広範に存在いたします。このあるものは規制によって生じた面もあろうかと思います。したがって、こういう面で言わば努力をすればコストを下げられ、かつ、それをほかの研究その他に回すことができるというような仕組みを作っていただきませんとこのシステムは回らないということになるのでありまして、その意味での規制緩和の件につきましても是非とも皆様方に御検討いただきたいと思います。
しかし、もう一つ論点として出させていただきたいのは、これは本当に大きな仕事である、これは大改革であるということでございます。
したがって、文部科学省はもちろんのことでありますけれども、政府の各省におかれましても十分な支援体制を取っていただきたい。特に、最初から数年の移行期というのは非常に大変でございます。法律案が通ればそれでおしまいということでは全くございません。様々な問題がそこから出てまいりますので、そこにつきまして可能な限り十分な体制を取っていただく。その上で、ようやく動き出したときに、またいろいろ次の段階でまた対応が違ってくるものだと思います。その意味で、政府、特に文部科学省の大学に対するかかわり方は決して一律ではなく、段階を踏んで変わっていくべきものであるというふうに私は考えているわけであります。そういう点を私としては今日特に申し上げたいというふうに思いました。
いずれにせよ、各大学の状況、多様でございますが、学長たちの意見を聞きますと、本当に目の前のことで大変悩んでいるというのが実情でございます。会計規則が変わるということでありますが、一体その会計規則に必要な費用をどうして捻出するかということでもって頭を悩ましている学長も少なからず存在するというのが現実でございます。その意味で、移行に伴う様々なコストあるいは必要な措置というものにつきましては可能な限り対応をお願いしたいというふうに考える次第でございます。
ちょっと早いかもしれませんけれども、私の陳述をこれで終わらせていただきます。
○委員長(大野つや子君) ありがとうございました。
次に、小野参考人にお願いいたします。小野参考人。
○参考人(小野善康君) 今回の国立大学法人化の理念というものは、文科省及び学長のリーダーシップによってトップダウン方式で時代に合った研究を迅速に進めようと、こういうことだと思います。
時代に合った研究というのは、どの研究が優れているか、どの研究はもう時代後れであるかということを判断しなければいけない。その意味で評価というのが決定的に重要になってくる。これ、評価を間違えると大変なことになります。この評価の問題点については、今、ただいまの佐々木参考人のお話の中にも指摘されておりましたが、私はこれが決定的に問題になるのではないかと思います。もう少し言えば、評価能力というのは非常に疑わしい、さらにちゃんとした評価をしようとすれば膨大な負担が掛かる、さらに誤った評価をすると大変な弊害が生まれると、こういうことであります。
その弊害の中身は、例えば官僚機構の肥大化とか、大学全部があたかも文部省の中の要するに事務的な仕事だけをするようなものになってしまうと、そういう危険性が感じられる。ここまで申し上げますと、そんなこと、それは危険はあるだろうけれどもとおっしゃるかもしれない。私は、それをこの数か月前に、別の研究所再定義問題というところで経験しました。その経験をお話しすることによって将来像が見えるんではないかというふうに思います。
さて、その前に、評価というのは一体できるかということについて申し上げると、私は絶対にできないと思います。その理由は、専門家というのは、ちゃんと研究をやっていらっしゃる方というのはそういうふうに合意してくださると思いますが、非常に狭い自分の範囲の中で深く研究して、それで優れた研究を上げるというものでありまして、広い範囲をよく知っているという専門家は、私は乱暴に言えばインチキだというふうに思います。
それで、私のような者だったらそうだろうかということをおっしゃるかもしれませんが、じゃ、例えば評価委員の中で、それこそノーベル賞を取るような方をお連れしたと。その方は、その分野については卓越した研究能力を持っているけれども、ほかの分野は全くの素人です。そのとき、そういう集団で、じゃ全部の評価ができるようなそういう集団を作るにはどうしたらいいかといったら、世の中にある何千という分野全部の専門家を連れてこなきゃいけない。それは不可能ですから、そうすると選ばれた人しか来ないと。それは、はっきり言えば素人集団なわけです。その素人集団はどういう決断を下すかといえば、単なるはやりと話題性を追求すると。それは、その方が安全だからです。
例えば、そんなことは絶対ないと思いますが、私がその委員に推薦されたということになったとすると、私なら今何をやるかと言われたら、ナノテクとゲノムがいいと多分言うと思います。理由は簡単で、新聞で読んだからだと。これだけのことで、もちろんそうは言いませんが、そういうふうに言うと思います。
同じことは経済学でも起こっていると。数年前に複雑系金融工学、こういうものがはやったんですが、今、金融工学というのはほとんど見ない。もちろん、金融工学はちゃんと地道に長い間研究の積み重ねでやっています。ですが、あの当時、我々の研究所を含めていろいろな大学で金融工学のセンターができた。文科省は我々のところにも来て、そういうのを作ったらどうだと言われましたけれども、我々は、それはそんなに作ってもしようがないといって申し上げた。あのとき作ったら良かったでしょうかということです。
さて、こういう不完全な評価、もう明らかに不完全な評価だと思いますけれども、それで、強権、今回のようなトップダウンというのが完全に確立したのとが相まつとどういうことが起こるかというと、本来、その評価する方を信じていれば、皆さんは自分が面白いと信ずる最先端の研究を分かりやすく説明して、是非自分はいいんだということで競争しようと、こういうことになると思いますが、そうじゃないので、金が取りやすくて素人受けする研究というのを一生懸命出そうとすると。これは経営者としての学長のインセンティブからいってもぴったり合う。金を取れて、大きくその大学の予算規模が増える。そうなると、工学や医学の大規模プロジェクトが花盛りになるだろうというふうに思います。
同時に、同じ人間を使うならば、ほとんど小さな範囲しかやらないような、例えば経済学みたいなものは、じゃこれは減らして、より産業とかそういう方向に行くべきだというふうになってくる。さらに、文科省の意向がそのような素人集団に対して色濃く反映するでしょうから、文科省に気に入る書き方を伝授するような人が欲しくなる。それから、文科省の意向はどうであるか、文科省とどういうふうに交渉したらいいかということが是非欲しくなる。これは、私が学長にもしなったら、なるわけないですが、もしなりましたら是非文科省のOBを雇いたいということであります。
さらに、中期計画、中期目標ということであれば、私たちは実現しやすい目標を立てる。もしチャレンジングで面白いという本気の計画を立てたらどういうことになるか。それが実現できない可能性があるわけです。できなかったら、後でひどい評価を得て、その組織はつぶされると、こういうことであります。そういう書類作りに膨大な時間が掛かる、こういうことであります。
さて、そういうことを申し上げると、そういう危険はあるだろうと。確かに、今、佐々木参考人もそういう危険についてはある程度おっしゃっていた。それは危険はあるけれども、でも改革は必要である、こうおっしゃるかもしれないんですが、私は、この危険はまず間違いなく起こる、そのぐらい断言できる。
なぜそんな断言ができるのかというと、最初に申し上げましたが、研究所再定義問題というので、つい数か月前にほとんどこれと同じ構造で前哨戦があって、我々はとんでもない目に遭ったということをこれからお話ししようと思います。
これは、国立大学法人化に伴って、その前に、それまではもちろん附置研究所は地位はちゃんと安定しているんですが、法人化に伴って中を自由に変えることができるので、是非とも今のうちに研究所の活動のレベルの低いところは整理しておこうと、こういうところからスタートした。私は、それを聞いて、ああ、それはいいことだと、研究レベルの低い研究所はやめにしようという、これはいいことだと実は思っていたんです。ふたを開けてみたら、我々の研究所がその対象になっていると。しかも、結局のところ二つ研究所がつぶれたんですが、なぜ我々が選ばれたかといったら、二番目に小さいからであると。小さいことと研究レベルは全く関係ないわけです。
しかも、そこの委員会ですね、これは文部省が決めたんですが、その委員会のメンバーというのを見ると驚くんですが、この皆さんにお配りした一番最後のページを見ていただきたいんですけれども、これは我々の研究所が論文数、エコンリットという国際的なジャーナルにどのぐらい載せているかという表ですけれども、これは我々は日本の研究所の中で一番、それからサイテーションは二番という、こういうレベルです。呼ばれたのは、実は京大と争っているわけですが、京大と阪大が呼ばれた。審査委員は実はこの一番右端の研究所長であると、こういうことであります。
それで、びっくりしまして、何でこんなことが起こるんだということで、学内からも大変な突き上げを受けた。つまり、あなたたちはもうこういう研究レベルが低いのだから整理した方がいい、理系の研究所に入れと、それから、文科省がこういうことを出しているんだから、その意向に従えとさんざん言われました。
我々は、どう考えても納得いかないので、それについていろいろ情報を集めたり会議をやったりした。その文書作成及び会議で私個人は五か月間全く研究ができなかった。私個人だけじゃなく、私の研究所のメンバーも全員ですね、ほぼ全員全く研究ができなかったわけです。これは、タックスペイヤーに対する義務を果たしているという意味でいったら全く果たしていないと私は思いますけれども、そういうことが必要になった。
さて、そういう努力の結果かどうか知りませんが、何とか残った。しかし、評価報告が出た。その報告は、規模が小さいからいけない、長期間組織の見直しがないからいけない、活動が見えないからいけない、金を取ってこないからいけない、こう言われたわけです。
考えてみれば、規模が小さいのにこれだけの業績を上げるというのは最高じゃないかと。構造改革の精神に正に合っていると我々は思うんですが、そうじゃない、規模が小さいからいけないと言われるわけです。それから、組織の見直しがないからいけない。生産性が低いから組織を見直せというならよく分かりますが、生産性は高いけれども、見直しは行われていない。これは見直しのための見直しを行えというふうに聞こえる。活動が見えないと言われましたが、経済系の研究所において活動というのは、論文を発表し、本を出し、一般書を出し、それから皆様、例えば私は議員の方何人かの方に私の政策に関する知見を述べさせていただきましたけれども、そういうこと、それから一般書、それから新聞記事、雑誌、そういう活動です。その活動についてもし調べていただいたら、我々の研究所はトップか二位か、その辺を争っています。
その評価する方は全然そうじゃないわけです。理由を考えてみると、大きいから残っている。文科省に聞くと、そういう個々のそういうデータを示すと、そういうことはあるだろうけれども、皆さん自分のところはすばらしいとおっしゃるからと言われて、全然相手にされない。それで結局、私は、小さくて抵抗の少ないところを減らすということで実績を作るとしか思えないわけです。現実にそういうところはつぶされているわけです。
金を取れ、これもよく分からない。金を取らないで一杯研究を出せ、これはよく分かります。そうじゃない。研究のことは横に置いておいて、金を取れというわけです。これは、各省庁の予算獲得競争をそのままやれ、分捕り合戦をおまえらもやれと、こういうふうにしか聞こえない。
これまで、もうこれだけ申し上げて、我々は、しかしそうはいってもそんなこと言っていられない、だから方針転換します。現実に、これはうそではなく、研究はほどほどにしていいから何しろ金を取るプロジェクトを考えろ、それから文科省対策をちゃんと考えるためにいろいろ情報を集めろ、それから規模拡大に走らなきゃいけないと。いかに規模を拡大するかということについて一生懸命文書を作成しよう。これは冗談でなく本当にやっているわけです。こういうことが起こる。
今申し上げたことは、再定義問題ということでお話ししましたけれども、今回のこの文科省のこの改革も、結局文科省の設置した評価委員会、我々の場合には特別委員会ということですが、それが文科省の方針、結局それは素人集団になってしまう。個々では、もちろん私はその人たちが偉くないと言っているわけじゃないですよ、個々ではちゃんとした研究者だということは認めた上で、しかしそれは素人集団になってしまう。そうすると、文科省の意向に合った評価が出てくると。それで、それが組織の存亡すら決められてしまう。その結果、そこの組織は研究とはほど遠い今申し上げたような努力をしなければいけなくなる。これは説明責任だと言われる、社会に説明できていないと言われる。社会って一体何だというのは、私は分からなくなるわけです。すなわち、政策提言とか何かさんざん我々はやっていて、もし調べていただければ、ほかと比べていただいたら全く遜色ないどころか、我々は最も優れているうちの一つだろうと確信しておりますが、そういうことは調べてもらえない。そうなると、先ほどのような努力をするしかなくなるわけです。
私は、今回のような改革が起こった場合に、我々に起こったことが現に今も起こっている。現に今も、文科省はこのような方針なんだから、これから六年また見直しがあるから、何とかおまえらはそれに合うような改革をしろと、もう学内でさんざん迫られているわけです。その改革というのは今のような内容になっているわけです。
こんなことが起こっていいのかと実は思うんですが、しかし我々も生き残らなければ研究ができないわけです。ですから、そういう方向で一生懸命これから努力しようと。そのために文書書きに追われて、これから先もずっとそういう会議もさんざんあります。昨日もありました。そういうことが起こる。これは、大学全部が役所化するということです。文書書きですね。
これは、さらに現在の政治の流れである中央集権から分権化ということでいうと正反対である。これは中期計画、中期目標を文科省に出させて、そこが認可すると言っているわけです。もちろん、文科省はそんなすごいことを、おまえらこうしろ、こうしろなんていうことは絶対言わないわけですけれども、そういう制度であると我々がそれを斟酌始めるわけです。怖くてしようがないです。現に、今回のように二つの小さな研究所がちゃんとつぶされているわけです。一つは社情研という、御存じでありましょうけれども、非常に伝統のある新聞研と昔から言われたその研究所がつぶされているわけです。そういうことになっている。
私は、結論的に申し上げると、納税者への国立大学の教官の責任というのは、研究をやって論文を発表し、著書を書き、それを教育し、かつ一般に広め、それから例えば政策提言をしたり、そういうことだと思います。決して文科省への対策に使うとか、それで私たちのように半年間全く研究ができなくなる状態になるとか、それじゃないと思います。それがもう必ず起こると、本当に危惧しております。
さて、もしそういう場合に改善案はあるのかというと、私は今回の考え方とは正反対で、組織の長、すなわち文科省や学長、その主導による中期計画、中期目標の認可というのはやっぱりやめるべきだろうと。これは、大学間競争、言わば受験戦争の偏差値のいい大学、この大学はすごく強い、弱いという競争をしているようなものだと。研究というのは極めて個人的でありますから、個人かある研究プロジェクトか小規模なグループをちゃんと評価する、どういう実績ができたかをそのフィールドの最先端の専門家がちゃんと評価する。それによっていい研究が出ないところは予算をカットしていけばいい、だんだんだんだんカットしていけばいい、出ているところはどんどん上げていけばいいと。そういうやり方で十分に研究は確保できるというか、それしかないと思います。これはジャーナル、いわゆる国際専門誌でジャーナルでやるレフェリー制度とほとんど同じです。更に言えば、これはアメリカにあるナショナル・サイエンス・ファウンデーションのシステムであり、こういう中央で全部決めるというようなシステムが出てくるというのは私としては大変驚きです。
時間になりましたので、以上です。終わります。
○委員長(大野つや子君) ありがとうございました。
次に、本田参考人にお願いいたします。本田参考人。
○参考人(本田和子君) 本田でございます。
先ほど小学校以来何十年ぶりかに本田和子君と呼んでいただきまして、何かちょっと不思議な感慨にとらえられております。
私は、ただいま佐々木先生、それから小野先生お二人からこの法案の現代における意義、それから位置付けについて、あるいはこの法案のはらむ危険性、問題点についてそれぞれ大変明確な御意見の御陳述がございましたので、それらとの重複を避けながら私なりの見解を述べさせていただきたいと存じますが、やはりある部分では重なってしまいまして同じようなことを申し上げざるを得ないかとも思います。
この法案そのものに関しましては、私は国立大学協会に属しておりますメンバーとしてその中の動きを共有しておりましたし、それから、その中に特設されました特設委員会の検討結果などの報告を受けて、それを了承しながらまいりました立場として、一応この結論は了承せざるを得ないかと考えております。ただし、ただいま小さな附置研究所の問題をるるお述べになりましたけれども、私どもの大学は国立大学の中で下から数えた方がよいような本当に小規模な大学でございますから、小規模大学の抱えております悩みもたくさんございます。それらも多少絡めながら意見を述べさせていただきたいと存じますが、取りあえず三つに整理して申し上げます。
一つは、この法人化によって要請された意識改革、つまり私どもがどのような意識の改革を求められたかということについてでございます。それから、法人化によって大学のどこが変わるのかということを申し上げます。それから最後に、と申しますか、これはかなり大きな問題でございますけれども、予測される懸念、これから多分法人化後の大学の前に立ちふさがるであろう様々な障害、それに対してどのようにクリアしていったらいいかというようなことに関して、今考えております不安やら懸念やらを交えながら申し上げさせていただきます。
まず、最初に申し上げました法人化が私どもにどのような意識改革を要請したかということでございますけれども、これは、法人化の動きと同時に国立大学の大幅削減というようなあの動きが絡みましたこともございまして、それぞれの大学がかなり自学の、自分の大学の存在意義を見詰め直すという機会を持たされたのではないかと思います。
極めて小規模大学でございまして、ともすれば消されてしまいかねない危機に直面いたしました私どものような大学は、とりわけこの意識を強く持ちまして、現在の日本の社会の中で私どもの大学はどのような意義において存在し得るのだろうか、果たして本当に存在意義があるのかどうか、あるとすればどのようなミッションを果たすべき存在として位置付くのかというようなことをかなり真剣に検討させられました。これは一つの大きな意識的な変革であったかと思っております。そして、私どもなりに現在存在意義はこのようなところにあるということを確認いたしまして、そこからスタートしようという考え方に学内の合意を形成したわけでございます。これは社会に対するアカウンタビリティーということが求められておりますけれども、それにつながる問題であろうかと思います。
つまり、自学のミッションを明確に意識することによって、そのミッション、使命を果たすことが社会に対する説明責任であるという考え方、そして、そのことに向けて合意を形成することが学内の協力体制を作り上げるということになったと考えますので、法人化の要請された意識改革というのは取りあえず大学にとってマイナスの事柄ではなかったというふうに私は考えております。
続きまして、法人化によって大学のどこが変わるかという問題でございますけれども、これは先ほど佐々木先生もおっしゃいましたけれども、学生に対する教育のサービス、これが非常に大きく変わらざるを得ないであろうかと思います。これは、法人の業務の中にも学生に対するサービスということが明確にうたわれておりますし、当然、大学というのは人材育成、教育の場でございますから教育を重視しなければならなかったのでございますけれども、どちらかといえば大学人の意識というのが研究に傾いておりましたこともございまして、研究室中心に事柄が動いてきた。私どもの大学などは本当に小さな大学でございますけれども、それでも個々の研究者が懸命に自分の研究業績を上げ、研究面において力を付けることを一つの当然の在り方と考えて動いてまいりまして、それに人員不足、予算不足、施設設備の不備、すべてが伴いまして、どちらかといえば学生は研究室を支える側に回らされていたと申しましょうか、例えば卒業論文や修士論文を書きますときも、それは研究者の補助的役割を、悪意なしにでございますけれども、必然の結果として取らされるようなこともなくはなかった。そのような在り方に対して大きな反省が起こったことは事実でございます。
これからは学生を育てるということに少しウエートを置かなければならないのではないか、研究室環境の整備にも増して学生のための教育環境の整備にもっと力を注ぐべきではないか、そのような意識改革が起こりましたこと、それから、学生の教育指導面の支援だけではなくて、学生の生活支援、学生が人として成長していくために何が必要であり、あるいは現代社会に送り出すために何が必要であるかということをきちっとした理念を踏まえて、例えば短絡的に資格を取得させるとかそういう意味ではございませんけれども、きちんとした理念を踏まえて、これからの社会にどのような人間が必要であり、どのような人材を育成すべきかという理念を踏まえて、目標を立てて育てていくということに関してかなりの合意が形成されたということは、これは一つのメリットであったろうかと考えております。
それから、これは私どもの大学の特殊な性格でございますけれども、女子大学でございますから女性を育成しようとしている、それに伴います様々な支援の仕方を従来に増してかなり真剣に工夫せざるを得ないというような状況が生じまして、冗談のように百二十八年たってやっと私どもの大学は女子大学になったなどという言葉が今キャンパスの中でささやかれております。
それから、学生サービスのことを今申し上げましたけれども、法人化されますと組織の見直し、人事の見直しというのが比較的従来よりは容易になるのではないかと考えられます。
従来の国立大学というのは、組織というのが一たびでき上がりますとそれが固定化される傾向がございましたし、人事も一度採用されますとそれが定年までその方が続いてしまうというようなことがございまして、人員の配置換えとか異動とか、学内の異動ですら非常に難しかった。学部と学部の壁を超えてある人をこちらに異動させるというようなことが考えられないというような状態がございましたけれども、これからはそれが比較的容易になるのではないか。むしろ、学部の壁というのが限りなく薄くなっていって、必要に応じて組替えが容易になる、これは私どものような小さな大学にとりましては領域横断的に新しいクラスター、塊を作っていくということが極めて重要なことでございますから、それがやりよくなるのではないかということが予測されまして、これは一つの希望だと考えております。
それから、目標と計画、中期目標、中期計画に関しましては様々な議論がございまして、その議論の出どころ、あるいはその在り方に関して私も肯定する部分もたくさんございますけれども、ただ、教育活動というのはやはり目標と計画の関係の中でしか展開し得ないものである。ただ、不思議なことに大学ではそれが余り考えられなかった。例えば、小中学校の教育でございましたら教育カリキュラムというのがございまして、目標と活動の関係というのが厳密に対応させられるわけでございますが、高等教育は別であるというような認識がございましたせいもあって、目標と計画の関係というのが余りに厳密に意識化されることがなかった。これも今回意識化する機会となったということでは意味があろうかと思っております。
ただ、一律に六年というタイムスパンが設定されたこととか、その他いろいろ懸念されることはございますけれども、目標、計画などは教育を重視する大学の在り方としては当然の事柄であろうかと思います。
以上申し上げまして、次に、これから立ち向かわなければならない障害と申しますか、将来に対する様々な懸念について申し上げさせていただきます。
これは、先ほどお二方もお述べになりました評価の問題、これは非常に大きな問題であろうかと思います。
大学の個性化あるいは独自性の発揮というようなことが言われておりますし、先ほど自学のミッションを特定したと申し上げましたけれども、例えば、自分の大学はこのような使命において存在しているのだということが確認されるとすれば、そのような目的に向けての大学の在り方というのが評価されなければならない。しかし、そのような評価が可能だろうか、現在の状態でそれが可能だろうかという懸念がございます。多様な評価とかたくさんの評価軸を使ってとか、いろいろ言われておりますけれども、それがまだ必ずしも十分ではないのではないか。そして、評価の客観性というのが主張される余りに、一つの基準あるいは一つの水準で物事が測られるとすれば、多様性を標榜し個性と独自性の発現を要請されている大学としてはかなり違ったことになってしまうのではないかと考えます。
それから、規模の大小などというのもございまして、私どもの大学は本当に小さな大学なものですから、例えば研究論文の数とかサイテーションの数とかというものを出しますときにも、それがトータルとして出ますともうしっぽのしっぽのしっぽの方になってしまいます。ランキングが例えば一位から五十位まで出るとすると、なかなかそういうところには浮かび上がってこない。これを一人当たりにしますとまあそこそこに行ったりするんですけれども、すべてのことがそのように、一人当たりとか、小規模のゆえにとか、予算が幾らだからという形で評価していただけるわけではないらしゅうございますので、評価に関してはかなりの懸念を持っております。
極端な言い方をする人たちは、この評価はいずれ小規模大学を消していく評価でしょうなどということを言われて、まさか私はそこまで日本の文科省もたちが悪いとは思っていないのですが、そのような懸念も抱かざるを得ないという状態にございますので、評価の問題は十分に時間を掛けて慎重に検討しながら、そしてテスト的な段階であるということを十分に確認しながら進めていかなければならないかと考えております。
評価の結果が資源配分に反映されるというような話を聞きますと、もう来年は運営交付金がこのくらい少なくなるのではないかというような不安が起こってきたりいたします。そのような不安が学内に起こるということ自体極めてよろしくないことでございますから、そのような不安を払底するような方向を明示していただけたらというふうに考えます。
それから、今資源配分に関して申し上げましたけれども、予算に対する不安感というのも、これは正直に申しましてございます。運営交付金の削減とか、そのようなことがささやかれながら明示されていないということがございまして、私どものような小規模でしかも外部資金の導入などが余りできないような構成の大学といたしましては、かなり将来に対して不安がございます。
せんだっても、産学官連携の在り方などというのを評価されまして、そのような評価をされますと私どもの大学などは最下位に来てしまうのですが、工学部系の学長さんが集まっていらっしゃるところで、お気の毒さまというようなことを言われましたので、私も、いえ、仕方がございません、うちは産業界などからお金は入れません、清く正しく美しくでまいりますというようなことを申しましたら、皆さんが笑って、清く貧しく美しくでしょうと言われました。確かに清く貧しく美しい大学として生き残りを考える場合に、予算、運営交付金の配分などというのは非常に関心がございますけれども、これに関してどうも将来が明示されていないということは将来を設計いたします場合の一つのネックになっていようかと思います。
それから、このような問題が様々ございますから、このような問題に対して主務官庁が望ましく、ふさわしく対応してくださることを切に希望しております。
最後に一つだけ付け加えさせていただきますけれども、今、国際競争裏に大学が参入しなければならない、あるいは国際競争に勝てる人材を育成しなければならないと言われております。また、競争資金の獲得などということが言われたり、評価に伴う資源配分などということが強調されたりいたしまして、競争原理がキャンパスの中を吹き荒れているような感じがございます。ただ、私は、教育の場、大学というのはやはり人材育成の場でございますから、教育の場としては競争原理だけですべてがコントロールできるものではないと考えますし、むしろ国際協力その他を考えますと、共生の原理というのを私どものような大学は優先させていかなければならない。そういう主流からちょっと外れた異端的な原理に基づいて、異端的な理念に基づいて大学を運営していくような小さな大学の在り方が無視されないような、そのような法人化後の動きを切望しております。
ちょうだいいたしました時間がちょうどでございますので、ここで終わらせていただきます。失礼いたしました。
○委員長(大野つや子君) ありがとうございました。
以上で参考人の方々からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、各参考人にお願い申し上げます。
御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
また、時間が限られておりますので、できるだけ簡潔におまとめください。
質疑のある方は順次御発言願います。
○大仁田厚君 おはようございます。自由民主党の大仁田厚です。
まず、参考人の三人の先生方に、本日は朝早くから貴重なお時間をいただいて誠にありがとうございます。
○委員長(大野つや子君) 大仁田君、着席のままで結構です。
○大仁田厚君 そうですか。ありがとうございます。
三人の先生方、限られた時間なものですから、申し訳ありませんが、質問をして手短にお答え願いたいと思います。たくさんの質問をしたいと思っております。
残念ながら、今回の国立大学法人法案についてなんですが、残念ながら有事関連法案や個人情報保護法案の陰に隠れて、今回の法人法案の国民全体の意識が何かちょっと薄いような気もします。そしてまた、教育に関する問題についても、教育基本法の改正議論にばかりマスコミの注目が集まり、国立大学法人法案の国民的議論に何か至らなかったような、そういうふうな何か感じが受けるんですけれども、遠山大臣が国立大、国立大学の法人化を百年に一度の大改革と位置付けられているとおり、日本の教育制度において本法案の議論は極めて重要なものだということは言うまでもありません。
僕は明治大学の、明治大学に通う現役大学生ですが、同じ学生の立場としてどうしても聞きたいことがあります。
それは、この国立大学法人化の議論の過程では、大学運営者や教授、一般職員に関する事項は数多く出てきましたが、肝心な学生への影響に関することが余り出てこなかったような気がいたします。日本の将来を担う若手世代に行き届いた教育を施していくことが大切だということは、ここにいるすべての皆さんが思っていることだと思います。今回の法人化が学生たちに与える影響こそ最も議論されなければならないことだと僕は思っているのですが、そこで三人の参考人の先生方にお伺いいたします。
先生方の目から見て、今回の国立大学法人化の動きに対する現役学生たちの反応はどのようなものですか。また、この法人化で学生たちに生じるメリットを具体的にお聞かせください。そしてまた、逆にデメリットがあるとしたら御指摘いただければと思います。
それではよろしくお願いします。
○参考人(佐々木毅君) 現役の学生たちは余り関心を示さないという認識を持っております。先ほど申しましたように、教育という活動が大学にとりまして、あるいは特に大学のいろいろな場面において、これから従来以上に大きな課題として取り組まれることについては私の大学も同断でございますので、あるいは学生の方も今まで以上に勉強してもらわなければいけないという時代が来るようにすべきであると思っておりまして、そういうことにつきましては、学生のまた大学に対する態度もこれまでと違ったものになる、そういう可能性を持っているというふうに私は思っております。
以上でございます。
○参考人(小野善康君) 私も、学生の関心という意味で一般的に言えば低いと思います。ただ、私の場合、研究所の教授ですので、大学院生を対象にしている。大学院生の反応という意味で言えば、私の研究所の大学院生は物すごく反応した。なぜかと言えば、何でここがつぶされるんですかというのを何人も来ました。びっくりしたと言って飛んできましたけれども、そういう反応ありました。
私は、今回のこういう改革がメリットがあるとは決して思えない。デメリットというのは何かと言うと、これはお話ししたことそのままなんですけれども、要するに、学生の教育についてもちゃんとした評価基準があって、それを神様のような人が評価するならいいと。だけれども、そうでないとすると、例えば外国人を多く入れようというと、一生懸命外国人を採ってくるわけです。それから、女子学生が少ない、今度は女子学生を一生懸命採ってくる。そういうようなやり方で、激しく何というかディストートされると。そういうことであって、一見こういう目標だと言われるんですが、それは大きなゆがみを生み出すんじゃないかと私は思います。
以上です。
○参考人(本田和子君) 現役の学生の現在の意識というふうに申しますと、余り関心はないようでございます。ただ、統合・再編の声がしきりでございましたときは、学生たちの中に動揺が走りまして、お茶の水女子大学はどうなるのか、このまま存続し得るのかというような問いをキャンパスの中でしばしば掛けられたことがございました。
そのようなときに一番困りますのは、絶対に存続させますと断言することもできない。ちょっと風任せという言い方はおかしゅうございますけれども、文科省任せみたいなところもあったりいたしまして、明確な答えが返してやれなかったということは大変学生に対して済まないことであったと思っております。
それから、今後のことに関しましては、学生サービスを向上させる、それから教育機能を充実させるということで、学生に対してはマイナスの改革ではないと私は認識しております。
以上でございます。
○大仁田厚君 ありがとうございます。
少し観点を変えてちょっと質問をしたいんですけれども、経済産業省は平沼プランにおいて、二〇〇四年度までに大学発ベンチャーを一千社創出することを目標に掲げていますが、支援策を講じているのは御承知のとおりだと思います。TLOの設置などにより産学連携を積極的に進めている国立大学が大学別の企業数の上位を占めております。国立大学が法人化されることにより特許権が大学自体に与えられるようになるなど様々な影響が出てくることが想像されますが、現場の意識はどのようなものであるか、とても興味深いものがあります。
それでは、参考人の方々にお伺いいたします。国立大学が法人化された場合の大学発ベンチャーへの影響について、どのようにお考えですか。それぞれの大学の知的財産戦略も含めてお答えください。よろしくお願いします。
○参考人(佐々木毅君) 法人化する前後から意識がいろんな意味で変わってきているというふうに認識をしております。したがって、法人化によって急に変わるかどうかは分かりません。しかし、この数年の様々な社会的な議論の中で、五年ぐらい前と比べますと随分このような取組に対する意識が変わり、ある意味で平常心で考えるようになりつつあるというふうに言えるかと思います。
大学の知的戦略についてお問い合わせがございましたけれども、ちょっと私はまだそこまで準備ができておりません。実を申しますと、一番困っていますのは、その特許権を大学でキープするための金が大学にないということが大問題でありまして、戦略の前にまずないということを何とかしなければいけないというのが一番の戦略問題でございます。
○参考人(小野善康君) 私は、今のようなシグナリングがどういう影響を与えるかというと、現実にうちの大学は一生懸命ベンチャー、大学発ベンチャーを出そうとして、そういうところをやっている理系の研究所が物すごい勢いで伸びている。そのこと自身はいいんですが、だからうちはいいんだと、そういうところをやらないところはそういう方に回すべきであるという圧力が掛かる。
現実問題として、我々は社会経済研究所というところで、例えばこの不況の問題とか経済問題についてやっているんですが、そんなのはいいから産業予測をやれという圧力が掛かってくると。これは正に、大学発ベンチャーが重要だというシグナルを出すと、そのシグナルを出した人は、全部が含めて、例えばお茶の水女子大を含めて大学発ベンチャーをやるというようなことを言っていないにもかかわらず、そのシグナルを、これは大変だ、そういうのを出さなきゃいけないと受け取ってみんなが動き出す。そういう大きな影響があるわけです。そこが正に私の懸念したことのいい例だと思います。
○参考人(本田和子君) 私どものところは、ただいま例に出されましたように、大学発ベンチャーとかTLOとかには余り関係を持てない大学でございます。細々といろいろ特許を取ったりされる方がございますので、それらをどう保護するか、どうキープしていくかということはこれからの課題ではございますけれども、TLOを立ち上げるほどの資金もございませんし、それの必要もないのではないかと考えております。それから、もし立ち上げる必要が生じましたら、国公私立を問わず、女子大同士が手を組んでレディースTLOというのを立ち上げましょうなどという冗談を今言っているくらいでございます。
ただ、知的資源というのはそのようなものだけではないと私は考えておりますし、例えば、私どもが今やっております知的資源を教育的レベルに還元して、それをもって例えば途上国を支援する、アフガニスタンの女子教育支援などというところに使うということも、これは知的財産戦略の一つとして考えることができようか。世の中でおっしゃることとは全く違うのですけれども、そのような方向を選択して私どもは一つの独自性を主張しようと考えております。
○大仁田厚君 ありがとうございます。
僕も本田参考人の意見は物すごくあれで、僕もアフガニスタンに三度行きまして、いろんな現状を見てきて、逆に、アフガニスタンなどの教育を見てみると、逆に日本の教育が見えてきたりするものですから、是非推進していただきたいなと思っております。
ちょっと、またまた観点をちょっと変えるんですけれども、時間が短いもので。
この今の社会情勢なども見て、懸念される問題として授業料の問題があるんですけれども、この法人化によってそれぞれの大学が自立した形で授業料を設定し、現状を大きく上回るような授業料が発生してしまう懸念は否定できないと思うんですけれども。それによって、なぜ国立大学を選ぶか、単純に言うと、勉強をしていい成績を取れば国立大学は安いという単純な考え方なんですけれども、国立大学が法人化された場合の授業料の設定について、それぞれで大学はどのような点に留意しなければならないとお考えですか。また、この件に関して御要望や御意見がございましたらお聞かせください。よろしくお願いします。
○委員長(大野つや子君) 大仁田君、どの参考人、どちらに。
○大仁田厚君 三人の先生方に。済みません、申し訳ありません。
○委員長(大野つや子君) そうですか。はい、分かりました。
それでは、佐々木参考人。
○参考人(佐々木毅君) これにつきましては、法案が通りますといろいろ具体論が始まると思いますが、今のところこれまでの現状と大きく変わらないのではないだろうかと、そういう見通しで考えております。
○参考人(小野善康君) 私は、お二方のような学長という立場とはおよそほど遠い立場にありまして、授業料をどういうふうに決めるかということについては、お答えを差し控えさせていただきます。
○参考人(本田和子君) 恐らく上げないでいくだろうというふうに考えております。ただし、非常に苦しいだろうとは思いながら、大幅な値上げというのは避けたいと考えております。
○大仁田厚君 各大学の事情、台所事情とかいろいろありますが、やっぱり、僕は思うんですけれども、やっぱりお金だけのものではなく、やっぱり僕は質の問題だと思うんです。やっぱり、そこで何を学び、そこで何を習得するかということだと思うんですけれども。
僕はもう、この法案に関して、やっぱり大学が今転換しなきゃいけない時期に来ているのかなって、カリキュラムについてもそうですけれども、いろんな部分で転換期に来ているような気がするんですけれども。是非、皆様が、皆さんが是非大学をスムーズに運営し、あらゆる人材が輩出されるような、そういうシステムを取るのが僕は一番だと思うんですけれども。
この法人化が政府による大学への統制の強化などでは断じて僕はあってはならないと思います。そしてまた、公立化されることにより、これまで以上に地域社会におけるその存在意義が高まっていくことを僕は望みます。また、そして何より日本の将来を背負って立つ学生たちが環境整備向上の役割を果たしていかなければならないということは重要なことだと思っています。
また、大学というのは、僕は基本的に考えるんですけれども、ただ学歴を取るだけのものではなく、人間として、社会に出て、どういうふうな役割を、この二十一世紀に人材を輩出していくか、今後、この法案が可決されることによって、本当に大学の質の向上がどんどんどんどん高まっていくことを私は望むものであります。
本当に今日はお忙しい中、先生方、ありがとうございました。これで質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
○江本孟紀君 民主党の江本と申します。
今日は、三人の先生方、どうもありがとうございます。
私は、まず佐々木先生に、参考人に、東大の野球部はなぜ弱いかと聞こうかなと思ったんですけれども、今日はテーマが違うものですから、でも、お話しできるだけでも、いい機会を与えていただきました。有馬大先生もいらっしゃいますけれども、現役の総長とお話ができるというのは大変光栄でございます。
いろんな方に今回の問題をお聞きして、今日質問ということで、いろんなテーマをいろんな方にもうお聞きしたんですけれども、時間もそんなにありませんので絞ってお聞きをしたいと思いますけれども、三人の先生方に最終的にお尋ねをしたいと思いますけれども。
問題点というのは割と広がってはいるんですけれども、非常に大事な問題点というのはあると思うんですね。そういう悩みを、実は実際、独立行政法人化した場合とかに非常に各方面の現場の方がいろんな悩みを持たれているということで、私もある大学病院に勤めている先生にちょっとたまたま機会があってお話を聞いたところ、大学病院でも大変な問題になっていると。ある先生が悩みを書いたものがありまして、それを実は今日ちょっと拝借しまして、原文のままちょっと読ませていただいて、それについて御感想をいただきたいと思います。
私も言葉の中にちょっと理解できないところも一杯あるんですけれども、よろしくお願いしたいと思います。ある国立大学に勤務される先生のお話なんですけれども、ちょっとお聞きいただきたいと思います。
大学病院に長年働いてきた私は、その将来に対して大きな危惧の念を抱いています。大学病院の使命としては、一、地域の中核病院としての専門性を有した質の高い医療の提供、二、将来の医療を担う医療従事者の育成、三、臨床医学発展の推進と医療技術水準の向上への貢献の三つが期待をされている。
しかし、これを本当に実現するためには、マンパワー、資金などの点で大きなハードルが存在している。また、平成十五年四月からは医療費の包括評価、平成十六年からは卒後研修必修化、さらに国立大学には独立行政法人化という大きな課題が待ち受けている。
まず、この一点目ですけれども、これは本当に関係あるかどうか分かりませんけれども。
まず、医療費の包括評価であるが、これは一口で言えば、ある病名が決まれば、どのような診療をしようとも、また何日入院しようとも病院側に対する支払は一定となるという仕組みである。主病名ごとに平均入院期間が決まっており、この二五パーセンタイルより短ければ医療機関に支払われる医療費は一五%増しとなり、逆に二五パーセンタイルより長ければ一五%減となる。これは、従来の出来高払の仕組みでは医療費の高騰を抑制することができないことから取られた施策である。
今回対象となっているのは特定機能病院、すなわち大学病院の本院と国立がんセンター、国立循環器センターなどの全国八十二病院である。しかし、実際にはいまだ細目に関する検討は不十分のままに見切り発車したというのが正直なところであり、現場では少なからず混乱が生じている。
この制度は、クリニカルパスのでき上がっている疾患に対しては余り問題が起こらない。しかし、関節リューマチや全身性エリテマトーデスのようないわゆる難病は多臓器にわたる合併症を有しやすいこと、免疫抑制療法によって日和見感染症などの有害事象が起こりやすいことなどの理由から臨床経過を予測することは難しく、クリニカルパスを適用することは困難である。さらに、昨今、大学病院に紹介される症例は様々なリスクファクターを有する難治例が増えており、膠原病や血液疾患を扱う診療科の在院日数の短縮はますます困難となっている。包括評価がいずれ一般病院に及べば、医療費が掛かり在院日数も長くなることが予測される難治性症例はますます大学病院へと紹介されることになり、大学病院の財政基盤は更に脆弱なものとなる。
次、二番目ですが、次は卒後研修必修化である。このシステムでは入院患者百名に対して一名の研修医を採ることができるとされているが、これでは大学病院の研修医は足りなくなってしまう。となると、人手不足を補うために三年目以降の医師も終日病棟勤務となり、大学院のための質の高い研究を行うことは難しくなる。今まではある程度分業で行われていたものが、一人で診療、教育、研究を、それぞれグローバルスタンダードにかなうレベルで行うことが求められる。しかし、人手不足の中で実際にはそんなことが可能であろうか。
また、今度のシステムでは、内科をローテートする医師は必ずしも内科医になるとは限らず、最終的に眼科医や耳鼻科医になる者も内科を必ずローテートする。しかし、これでは必ずしもモチベーションの点で満足すべき研修医ばかりが来るわけではなく、従来の研修医の質は保証されない。さらに、スーパーローテートというと聞こえは良いが、小児科や麻酔科をたった二か月程度ローテートしたところでお客さん扱いをされるのが関の山であり、実のある研修ができるとは思えない。もっと卒前教育を充実すれば卒後にスーパーローテートなどをする必要はなくなるはずであり、より効率的な卒後研修を行うことができると思われる。
そこで、三番目なんですが、三番目は独立行政法人化、俗にいう独法化である。国立大学は平成十六年から国立大学法人として独立するが、これに当たって向こう六年間の中期目標、中期計画を立てることが求められている。
その精神は、国立大学の再編・統合を大胆に進める、国立大学に民間的発想の経営手法を導入する、大学に第三者評価による競争原理を導入するということであり、至極もっともなことであり、これは古ぼけた制度が満ち満ちた大学と大赤字に悩む大学病院を改革する好機であるはずである。
しかし、壮大な計画を立てた場合に、もしそれが実現しなかったときのペナルティーを恐れる余り、当初の改革案の内容をできるだけ不明瞭にして、しかも玉虫色にしようとする傾向があちこちの大学で出始めている。まるでどこかの道路公団改善計画のようなものである。これではせっかくの改革の好機を逃してしまうことになる。
いずれにせよ、大学病院、特に国立大学病院には、三重苦に苦しむことになり、その将来は決して明るいとは言えない。正直なところ、眼前の事態に対処するだけで精一杯というのが大学病院に勤務する私を含めた者の実感であろう。どうすればこの事態から脱却できるのか、頭を悩ませている昨今であるという手紙があったんですが、これについて、特に三番目のこの独立行政法人の一番問題になっている部分も含めて、御感想を三人の参考人の方からお聞きをしたいと思います。
○参考人(佐々木毅君) 今、江本議員がおっしゃられた実感というのは、かなり共有、幅広く共有されているものではないかと、私も細かいことは存じませんけれども、そのような印象を持ちました。
今度、法人化するという際には、我々は膨大な有利子負債をしょって法人化すると。特に、病院関係の建設に充てられた費用は大学側が今度はそれを引き受けるということになるわけでございまして、ちょっと見ただけでも余り気持ちのいいものではないということで、そういうこともございます。
ですから、現下の問題のみならず、過去の問題がいろいろございますもので、その中期目標、中期計画の書き方等についてはややその種の議論があるということは私も仄聞しているところでございます。
我々の大学はこれから作成するものですから、また今日の御議論を聞いた上でいろいろ考えさせていただきたいと思います。
○参考人(小野善康君) 先ほど私申し上げましたように、要するにその分野では私は全くの素人なので、素人としての発言だということをまず言わせていただきます。
似ているなという感想を持ったのは、要するに、先ほど申し上げたように、中期目標、中期計画というのを設定して、それを実現するというふうになった途端に、いかにそれを実質のないものにするかという努力をするわけです。それは別にその人が悪いわけじゃないわけで、そういうインセンティブメカニズムを設計されているということなので、是非これはやめてほしいということなのであります。
それからもう一つは、収益ということ。特に学外の経営なんかに携わるような方が理事で入ってくるということでしょうから、そうなると、しかも数字で、例えばこの大学はこれだけの赤字を抱えているというようなことを言われると。そうすると、収益性が低いところは切捨てということになると。それも先ほど指摘したこととつながると思います。
○参考人(本田和子君) 私も、医療費の問題とか医師の、医学生の研修の問題に関しては余りにもアマチュアでございますから、むしろ発言を控えさせていただきますが、法人化に伴います中期目標、中期計画の表記の仕方に関しましては、かなり同じような共感を致すところはございます。
それと同時に、お恥ずかしいことながら、そのような作文を一度書いてみたことがございまして、なるべく抽象的な方がいいかもしれないというところで書いてみまして、これをちょっと若い人などを交えて検討いたしまして、これでは一体何をやりたいのかさっぱり分からないではないかということで、評価の際に危険性があるかもしれない、リスクがあるかもしれないけれども、もう少し具体的に明確にやりたいこと、やるべきこと、やらねばならないと考えていることと、それとの計画の関連を明確にしながら書いていくべきではないか、そしてそれを大学の姿勢として共有すべきではないかというところに今立っているところでございます。
○江本孟紀君 これはまずやっぱり現場の、例えば大学病院の先生の悩みの一つということで、その中に医療制度の問題もありますけれども、独立行政法人化にかかわるやはりお医者さんの悩みということだと思います。
そこで、ちょっと話はあれですけれども、私は、単刀直入にお聞きしますけれども、国立大学という存在そのものについて、これが独立行政法人化していく将来的に見ると、国立大学はなくてもいいんじゃないかというふうに個人的には思うんですけれども、そういう将来像を見据えた部分なのか、国立大学そのものが要するに必要なのかどうかということについて、三人の先生方からお聞きしたいと思いますけれども。
○参考人(佐々木毅君) 設置形態の問題というのはなかなかまた複雑な問題がありますけれども、確かなことは、特に自然科学を中心とした研究体制を確固たるものにしていくためには、相当な公費の投入を各国ともやっているところでありまして、それなしには二十一世紀のいろんな問題は語れないという事実があることは否定できないだろうというふうに思っております。
同時に、この国立大学法人という仕組みは大変マネージをしていくのが大事な、マネージの仕方が大変難しい要素を含んでいるということもあろうかと思います。先ほど授業料の件についても御質問がございました。ですから、このマネジメントをきちっとやっていくということについてやはり十分な留意が必要でありまして、注意深くきちっとマネジメントをしていくということが私は大事でありまして、これが恐らく政府の非常に大事な役割であろうと。さもなければ、何かよく分からなくなってくるというようなことでは非常に我々は困るというふうに率直に思っております。
以上でございます。
○参考人(小野善康君) 教育研究というのは物すごく高いリスクのあるものである。つまり、先の見えないもの、特に研究はそうですね。そうすると、そういうものについて完全にプライベートにやったら大変なことで、不可能でしょう。そうなると、確実なもの、あるいは先ほど来申し上げたように、はやりのものということになると、それでいいのかということであります。
もちろん、国立大学という名前でなくても全然いいわけですが、例えばイギリスのケンブリッジ、オックスフォードなどは自分ですごいファンドを持っているわけですね、資産。そういうような状態でどんどん研究やるというのなら分かる。そうでなく、もう単に競争だという、今回のような延長線上の国立大学は要らない論であると、これはもう国としてそういうことはやらないというのであればそれはいいですが、私はそれこそが国の力なんじゃないかというふうに思います。
○参考人(本田和子君) ただいまの御質問は私にとっては一番しんどい、お答えするのがつらい御質問なんです。と申しますのは、先ほど存在意義の確認ということを申しましたけれども、そのときも、国立大学そのものは必要かという問いと、それから私どものような国立大学が必要かという問い、二種類の問いを自分に課しました。そして、国立大学については、必要な部分、例えば国費を投入しなければ維持が不可能であり、発展が不可能な分野があるということは確実であろうと考えますし、そのような分野をお抱えの大学、しかも日本の指導者を輩出しておいでになる大学というのは、やはり国費で維持されてしかるべきであろうと考えました。
私どもの大学がそれに相当するかどうかというところで大変深刻な問いを自分に課したわけでございますけれども、現状ではやはり必要であろう、つまり女子教育あるいは途上国の女性支援などに関する一つのモデルを策定していく意味でも必要であろうという確認をいたしまして、取りあえず法人化に向けて動き出しているところでございます。
というところで、一応お答えにさせていただきます。
○江本孟紀君 どうもありがとうございました。
○山本香苗君 三人の先生方、大変貴重な御意見、どうもありがとうございました。
早速質問の方に入らせていただきます。
意見陳述の中にもございましたけれども、今、法人化がなされることによって国立大学と社会との関係の在り方、これがまた問われているのではないかと思います。そうした中で、産学連携、そうしたことも注目されるわけですけれども、単に産学連携だけが社会とのつながりの在り方ではないと私は思うんですが、この大学と社会との在り方、それはどういうふうな形でお考えになっていらっしゃるか、どういう形で確保していかなくちゃいけないとお考えになっていらっしゃるのか、三人の先生方にお伺いいたします。
○参考人(佐々木毅君) ただいま御質問にもございましたように、社会の中に大学がしっかりと根を下ろすということと産学連携というのは、これは無関係ではないんですけれども、産学連携はその一部でありますし、ある意味でいえば、特に現在の日本においてそういうことが話題になっているという位置付けになろうかと私は思っております。
もう一番端的に言えば、人材の育成から始まりまして、社会と大学との関係は実に深いものがあろうと思いますが、今まで必ずしもそういうことについて大学の方も、本田先生の先ほどのお話を伺いますと、随分いろいろお考えになっているということを改めて勉強させていただきましたけれども、必ずしも十分考えてこなかった経緯があって、何となく自然にやっていればおのずから、おのずからというような形でこれまでやってきたところがたくさんあったと思います。
その意味では、人材の育成から始まりまして、いろいろな形での社会のこれからの変化に対する、あるいは社会の抱えている様々な問題に対するアイデアの提供、具体的な解決策の提供等も含めて、私個人としては政策的なものも含めて、どんどん発信していくのが大学ではないか。今までは、ただ受けてどうこうしようということをやっているというのは余り社会的にはみっとも良くないものであったわけでありまして、これからはひとつアグレッシブにやらせていただこうかということで社会との連携を私は考えるべきだと思っております。
○参考人(小野善康君) 産学連携というのは一つの在り方で、それ自身、私は決して否定しませんが、少なくともうちの大学にいて感じるのは、産学連携でないからいけないというイメージが走っていると。いろいろな専門分野あるいは同じ分野の中でも社会とのかかわり方はいろいろあると。例えば我々の場合には、政治家の方に私の政策の知見を述べてみたり、それから役所に述べてみたり、雑誌で書いたり、そういう形で出てくるわけです。例えば、文学部が産学連携というのはあり得ないわけで、そういう意味で産学連携が一つ文科省から出されると、それがどんどん走って、そっちの方向では何でもというのが怖いということです。
それからもう一つだけ加えさせていただくと、大学と社会とのつながりということを考えて今回の改革ということのようにちょっと聞こえましたけれども、そうでないとしたら済みません。そうしたら、そのことですが、私は今回の改革は、大学と社会ではなくて、大学と文科省との関係をどうするかということばかりに集中する改革だと思います。それは先ほど申し上げたとおりです。
○参考人(本田和子君) 社会との連携ということと申しますか、社会の中で大学がどのような位置取りをすべきかというふうに考えますと、やはり大学というのは社会に対して有為な人材を送り出すところであろうというふうに一般的なお答えを申し上げることになろうかと思います。
ただ、私どもの今大学に特化して申しますと、今男女共同参画基本法などというのが制定されましたけれども、その実現にはなかなかほど遠いという現状がございまして、それらに対して積極的に中堅的あるいは指導的立場で活動し得る女性を送り出すことで基本法を実現していく、そういう一つのアファーマティブアクションの場所になればよろしいかと考えております。
それから、先ほど来、しばしば途上国の問題を口にいたしましたけれども、国立大学というのはどちらかといえばエリートの指導者を送り出すというスタンスを取っておりましたせいか、奉仕的に活動し得る人材というのは余り送り出してこなかったのではないか。特に、これは私どもの身近な大学と比較いたしますと、私立でキリスト教系の女子大学などは非常にそれをよくおやりになっていたけれども、国立大学というのはどちらかといえば内に閉じていて、よく勉強して、比較的成績が良くて、それから研究者などになって国立大学に勤めるというような、そういう人をつくることに熱心であった。しかし、これから学生の資質あるいは個性に応じまして様々な分野に送り出す。その中の一つに、奉仕的な活動をいとわない、そしてそのようないろいろな状況の中に身を挺して入っていくような、そういう女性を積極的につくってみたいというような形で社会に対する貢献というのを考えているということが一つございます。
それから、もう一つ申し上げますと、特に女性に限定いたしますと、学びたい女性というのは社会にたくさんおられます。例えば、子育てが終わって一息ついたけれども、自分が大学で学んだことよりもすべて学問、研究の分野が進んでしまった、そのような人たちのためにリカレント教育の場所を用意して、そしてそのような人たちが仮に大学院などに進んでディグリーを取りたいと希望された場合には、それを支援するようなシステムを用意するということなども一つの使命であろうかと考えております。
○山本香苗君 ありがとうございます。
それで、続きまして、先ほど佐々木先生の方からお話ありましたが、今回大きな大改革だと。それに伴っていろんなことを準備したりしなくちゃいけない、膨大なエネルギーを要しなくちゃいけないと。具体的に、その移行期におきまして、どういった点、こういった点を配慮していただきたいとか、もうちょっと具体的にイメージができるような形で御答弁いただけますでしょうか。
○参考人(佐々木毅君) 何から話していいのか、なんですが、もちろん非常に硬い制度的な問題もございます。例えば、適用される法律が変わりますと、それに伴っていろいろな準備をしなければいけない。それから、システムの変更に伴う、どうしてもやらなければいけない、先ほども申した経理のシステムからみんな、そういったようなものを一定の間に仕上げなければいけない。それから、何よりも変わりますのは、非公務員型ということでございますので、いわゆる雇用関係が全部言わば根底から変えなければいけないということになるわけでございます。そして同時に、一体どういう形での労働協約を結ぶのかを考えて話を詰めていくのかという課題がこれから一気に押し寄せてまいります。
実は、一つの逆説でございますけれども、そういった問題を取り扱う人が出てくるのは、法人化すれば出てくるわけです、そういう人は。ところが、それを法人化する前にやらなきゃいけないという、何か馬車の前に馬を付けたような感じがややありまして、その意味で順番が逆になっている問題がたくさん実は出てきております。ですから、それをどういう形で着実に対応していけるかということは、正直申し上げて、やってみないと分からないところがございます。その結果として、過渡期における様々な問題からして、大学そのものの在り方が大きなダメージを受けるということがないかというのが実は学長たちが頭の中で一番心配していることだと思うんですね。
ですから、これ何が、この点がサポートされればすべていくというような、なかなかそこまで還元できないほど実は全部問題に取り囲まれているという状況でございまして、初めての体験でございますので、とにかくここをこうやってくれれば橋を渡れるでしょうというふうにお答えしたいところなんですけれども、法案が通りますとまた状況が変わるかもしれませんので、それからまた勉強し直しも含めて、随時継続的に実はいろいろ意見交換をしながらやっていかないといけないという時期が、来年の春でどこまで終わるのかというのが、実はその見極めというのにもうちょっと我々としては時間が欲しいし、その意味で、広く取りますと、全体的にいうと、私、過渡期というのは、これはもう年の単位になる可能性を含んでいるのではないだろうか、このように思って、話すたびに次々と問題が出てくるという状況が毎日でございます。率直な感想です。
○山本香苗君 東京大学でそういう状況だと。
お茶の水大学は、先ほど小規模大学だという、独自のいろんな存在意義も見詰め直されて、これから新しい出発という形になるわけでございますけれども、この移行期におきまして、特にやはりこういうお茶の水大学だからと、小規模な大学だからこういった点を配慮していただきたい、そういう点がございましたら本田先生の方からお伺いしたいと思います。
○参考人(本田和子君) ありがとうございます。
このことに関しましてはもうめちゃくちゃに大変でございまして、何をどうしていいか分からないというのが正直なところでございます。
それこそ、私どもの大学は、東京大学と異なりまして、法学部もございませんし経済学部もございませんから、労働法なんというものも一から見てみないと何をしたらいいのか分からないとか、すべてそういうことなんでございますけれども、とにかく何かクリアしなければならない。そこで、よそ様のモデルを少しずつ盗ませていただきながら、似たようなものを小規模にしてやってみたりしているというのが現状でございますが、小規模大学なるがゆえの悩みというのはまた別にございます。
例えば、本当に些少なことでかわいらしいことでございますけれども、理事の数というのが指定されまして、これは上限だから全部理事を満たさなくてもいいと言われておりますけれども、とりあえず四人の理事を置きなさいというようなことを言われます。ところが、その理事のためのポストというのは付いてこないわけでございますから、既存の定員の中からそれを振り向けなければならない。これは何千人という教官定員をお抱えの大学には想像も付かない問題でいらっしゃるかと思いますけれども、私どものように二百何十人という規模の大学でございますと、どこの学部のどの空きポスト、空きポストというのがそもそもございませんから、どの方が定年で退官されたらそのポストを理事の方に回そうかというような考え方をしなければならないわけで、理事の数だけ退官者がない場合にはどうしようかなどというせっぱ詰まった問題も起こってきたりいたします。
その場合、理事を非常勤にしようかとか、理事を兼任にしようかとか、いろんな工夫を今しようとしておりまして、そしてこれはもう文科省の方にもお願いしたいことなのですが、こういう小規模大学もあるのですということを十分にやっぱり意識して御対応いただきたいということは切望しております。
○山本香苗君 どうもありがとうございます。
小規模大学ということで、いろいろなまた違った面があるということを学ばせていただいたわけでございますが、学長というお立場ではございませんけれども、小野先生の方から、大阪大学、東京大学と違って、大阪も大きなところですけれども、地方の大学においてこの法人化、特にどういった点で配慮が必要だと思っていらっしゃいますでしょうか。
○参考人(小野善康君) もう配慮は山のようにあるわけで、経営的なこと以外のことは先ほど申し上げたとおりで、基本的に研究が大変阻害されるだろうと思っていますけれども、同時に、私はその中に入っていない一教授として見ていると、現在、研究者が最も不向きな仕事を総動員でやらされている。もう研究は、その意味ではっきり言って相当滞っていると思います。これは不可能だと思いますから、この両方は。
しかし、そういう、それだけをやる価値があるんだということでやるならばもちろんいいわけですけれども、結局のところ、その先に文科省の評価が控えているんだということが大変なディストーションを生むんだろうと思います。これが社会の評価だと、実際どのぐらい役立ったんだというのはもう非常に多様で、いろんな社会の評価の仕方はあるんだと。そういう、それこそいろいろなところに聞いていただいて、あそこの大学のこういう人はこういう研究をやっているというのは分かっているというような形で本当に広く情報を集めていただけるんならいいんですけれども、多分そういうことはなく、分かりやすく透明なというんで、先ほど来申し上げたように、人数だけとか、そういう極端なことになってしまうんじゃないかと。
それを、しかも今一生懸命制度を作っている段階で、先行きこうなるんじゃないか、ああなるんじゃないかという心配をやっていて、しかもそれがどう評価されるか、そんなことばかりやっている。そういう意味で、皆さん大変苦労されるのではないかなというふうに思っています。
○山本香苗君 今日は、本当にどうもありがとうございます。今日のいただきました御意見また踏まえまして、しっかりと審議してまいりたいと思いますので。
どうもありがとうございました。
○林紀子君 日本共産党の林紀子でございます。
今日は、三人の先生から貴重なお話、本当にありがとうございました。
私は、まず佐々木参考人にお話を伺いたいと思いますけれども、先ほどのお話の中で、中期目標、中期計画というのは文部科学大臣との一種の契約だというようなふうに表現をなさったと思いますが、この中期目標、中期計画につきましては衆議院の場でも大変論議がなされました。参議院の場ではまだ一回審議をしただけですので、これからということもあると思いますが、そこで、大学内部のお話ですが、学生の反応というのは先ほどお話を聞かせていただきました。
しかし、教官の皆さんもいろいろ意見もお持ちで、意見を出していらっしゃるのではないかと思います。東京大学の理学部や大学院総合文化研究科長、教養学部教授会、工学部、こういうところから発言をなさっているものを私も拝見をさせていただきましたけれども、大変強い懸念の声が寄せられているのではないかと思います。
特に、教育研究にかかわる中期目標の最終決定権が文部科学大臣にあり、教育研究についての知的資源を保持している大学自身が中期目標を自主的に決定できる形になっていないという点。それから、経営面が重視されることによって、利益や応用に直結しない基礎研究が軽視される懸念ということを挙げていらっしゃるわけですけれども、総長として、そうした学内の懸念の声をどういうふうに受け止めていらっしゃるのかをまずお聞きしたいと思います。
○参考人(佐々木毅君) まず、後の方でございますが、特に基礎研究は、特に理系の基礎研究のことをおっしゃっているのかと思うんですけれども、恐らくこの領域は、法人化するかしないかということによっても影響を受けるかもしれませんけれども、私は、国の政策によってむしろ大きな影響を受けるんじゃないかというふうに思います。膨大な、我々の持っている装置を一つ考えましても膨大なコストが掛かるわけでして、これは一大学が法人化したからしないからというようなそのレベルの話では私はないと、基本的にはないということが非常に大事な点だと思います。
ですから、国が基礎研究をきちっと充実させてやっていくという立場をお取りになることがまずあって、にもかかわらずその大学がそういう判断をしなかったというなら、これは大変大きな問題でございます。
ですから、国の政策がまず基礎研究を充実させるような方向にきちっと固まっていくということがあれば、大学がそれを軽視したり、それからそれを無視したりするということは私の認識ではほとんど考えられないというふうに思います。ですから、ちょっと大学の問題であるという前提での御議論というのは、ややちょっと私は事実と違う面があるんじゃないかというふうに思うわけでございます。
それから、中期目標、中期計画の件につきましては、確かにいろんな議論がございまして、これについては国大協の中でもずっと議論があったテーマであります。
私が先ほどちょっと申し上げましたのは、これはあくまでも実質的な意味において申し上げたわけでありまして、恐らく法案の中でもいろいろ大学の特性に配慮した形での手続というものが法文上も組み込まれているということは皆さん御案内のとおりでありまして、したがって、恐らく行ったり来たりするということもありますし、仮に文科省が何かを最終的に認可するというようなことになりましても、それは極めて形式的な内容のものでしかないと私は思っております。何か特定の研究をどうこうするとかいうようなことは恐らくあり得ないことではないかというふうに思っております。
法律の作り方からして、これは元々、国立大学法人法でありますけれども、元々独立行政法人法というものの根っこが残っているという部分等々がございまして、幾つか議論がそこから巻き起こっているということは確かな点でありまして、それは私はもっとほかの点について、むしろ、ほかの点についてもそのことの議論はほかでもいろいろなされているというふうに承知をしております。
以上でございます。
○林紀子君 ありがとうございました。
今のことと関連いたしまして、論議の、国会の審議の中では、文部科学省がお金を出すから最低限の関与が必要だから、この中期目標や中期計画というのは大臣が決定をしたり認可をしなくちゃいけないんだということを再三大臣からは御答弁があるわけですけれども、そのことについては、今までも国立大学だったわけで、国の方はきちんとお金を出していたわけですね。だけれども、今まではそういう大学から目標を出せと、決定をする、認可をするというかかわり方はなかったんだと思うわけですね。
ですから、その辺についてはどのようにお考えになりますでしょうか。済みません、佐々木参考人にお伺いします。
○参考人(佐々木毅君) 確かに形式は違うことになる、形式というのは、形は違うことになると思いますけれども、実質は今までもそれと違わなかったんじゃないでしょうか。ですから、実質が大きく変わるという認識は私自身は必ずしも、何かそこが非常に大きく変わって大変なあれだというような認識は私は必ずしも持っておりません。
○林紀子君 私は、今度は自律的に自主的になるんだなるんだという話がありますから、今までもかかわってはいたんだとは思うんですけれども、そういうことでは一番大きなところにかかわってしまうのかなという気を持っておりました。
そこで、同じような質問ですけれども、小野参考人にお伺いしたいと思いますが、先ほどのお話の中で、やはり組織の長、文部科学省や学長ではなくて、現場に決定権があることが非常に重要なのだというお話がありました。今回のですから中期目標・計画というのは、正に現場ではなく上の方が決定をするということになってしまうわけですが、その辺についてどうお考えになりますでしょうか。
○参考人(小野善康君) 今、佐々木参考人がおっしゃったことと私は相当違う視点を持っていまして、その理由は、形式的なものだと文科省もおっしゃるし、はっきりいつもおっしゃらない。今回の我々の経験でも、はっきりどうだということは決して御自身ではおっしゃらない。しかし、もしそれが本当に形式的なら、そもそも入れなければいいわけです。そもそも、口を出す気はないというのであれば態度で示せばいいわけで、そのときは、じゃ、口出しはしないという法律を作ればいいわけです。
次に、実際出さなくてもそれができるということが大変な影響を生むということを先ほど一生懸命申し上げたわけです。ですから、こういうことを考えるんじゃないか、ああいうことを考えるんじゃないかということばかり今我々は実際に考えています。もちろん、文科省の方にそういうことをおっしゃるかと言ったら、そんなことを私は言っていないと必ずおっしゃるでしょうけれども、そういうことではなくて、その可能性があるということが今回のような大きな混乱を生んでいる、これは間違いない事実だと思います。
それからもう一つ、そういう意味で国の方針というのが、先ほどいろんな大方針についても、国がちゃんとした方針を出せばこういう法人化でもいいんじゃないかということの関連で申し上げると、その方針が信頼するに足るかと。国が、つまり出す方針が、じゃ、この基礎研究はいいんだと言ったらもちろんそれでいいんですけれども、それによってほかがつぶされたとしたら、その後何年かしてほかはどうかと、こういうことまで考えてやってくれるかといったら、そういうことはない。だから、方針を出されるのは結構だけれども、ほかも一緒にやりながら方針を出されるというなら私はそれはそれで構わないと思いますけれども、そういうふうにはとてもじゃないけれども思えないということであります。
○林紀子君 もう一つ小野参考人にお伺いしたいのですが、今、実地経験ということでいろいろお話しいただきましたが、これを見ていると、正に今回設計をされましたこの国立大学法人法案というのが将来こうなるんじゃないかという、その何というんですか、小さなモデルを示されたような気もしてお伺いしていたわけですけれども。
そういうことでは、中期目標それから中期計画、それが評価をされて見直しをされる、六年ごとに。中期計画は一年ごとということだと思いますが。そして、最終的には大臣が改廃まで、その組織の改廃まで勧告できるという設計になっているわけですね。
ですから、そういう意味ではその評価というのが随分大きな役割を果たすということがあると思いますが、その改廃にいかなくても、評価をして、それがお金が連動する、予算が連動するということもまた重大だと思いますが、そこについてはどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(小野善康君) 全くそのとおりだと思います。
それで、さらに、それ以上に大きな問題は、学内においてそういうサジェスチョンが出ただけで、やはり学長の経営者としての言わば立場から、私がもし学長でもやると思いますけれども、こういうことだから何とかしろというふうに必ず出てくる。だから、お金がカットされたら、そうしたら例えば科研費とかほかを取ってくればいいと、こう思うわけですが、それどころじゃない。中で大変な圧力が出てくると。
そういう意味で、学問の自主性というのはほとんど維持できないんじゃないかというのを、私は半年前にもし呼ばれたら決してこんなことは言わなかったと思うんです。私はほとんど佐々木参考人と同じことを申し上げたと思うんですが、今回骨身にしみて感じたので是非発言させていただきたかったということであります。
○林紀子君 最後に、本田参考人にお伺いしたいと思います。
先ほど、最後におっしゃったこと、競争原理ばかりではなく共生原理が重要なのではないかというお話でしたが、「そ」と「せ」のほんの一文字の違いでも中身というのは大変な違いであるなというのをつくづく感じたわけですが。
実は、参議院では共生社会調査会という調査会がございます。これは衆議院にはない組織なんですけれども、機構なんですけれども。そこで、これは私の経験ですが、二年前に超党派でドメスティック・バイオレンス法を作りました。で、この調査会に最初に参考人として来ていただいた先生というのがお茶の水大学の先生だったわけですね。私事になりますが、そのとき初めて家庭内暴力、ドメスティック・バイオレンスという話を聞きまして、こんな問題が世の中にはあるのかということを初めて理解をすることができました。共生社会調査会に参加をしている全部の党派の男性の議員も含めまして、そんなことがあるのかということになりまして、それではやっぱりそれを救っていくような法律を作らなくちゃいけないんじゃないかと、本当に一致したわけですね。
ですから、最初の一撃がお茶の水大学から来ていただきました参考人の先生のお話であったと私は今感じているわけですね。ですから、これがなければこうした法制定にも、行く行くはなるかもしれませんが、二年前にそれができるという状況にはならなかっただろうと思うわけです。
しかし、今回のこの国立大学の法人法といいますのは、小規模な独自のミッションということでいろいろお話ありましたけれども、こういう理念を持っている学校や地方の大学というのを切り捨てていってしまうものではないかという懸念というのを随分お聞きをいたしましたけれども、この法案の中でどこが一番そういうものにしていく大きな点なのかというのをお聞かせいただけたらと思います。
○参考人(本田和子君) ありがとうございます。
法案そのものの中に小規模大学は生きにくいぞということが書かれているわけではございませんから、そのようなことではございません。
ただ、先ほどから申しておりますように、評価が非常に正当であって、小規模大学の独自性をきちっと評価してもらえるような仕組みに今なっているかとか、その評価の結果が資源配分に直結するのかどうかとか、そのような辺りが不透明でございますから懸念があるということと、それから、これは私どもがそのようなことを言うのはおかしいのでございますけれども、国立大学の、九十九ございました国立大学が少し多いのではないか、適当な数に削減する必要があるのではないかというような意見が文部科学省から提出されましたときに、世論の反対が余りなかったというようなことから、私たちは大変危機感を感じまして、自分自身に対しても、本当に我が大学は存在してよいのだろうか、存在の意義があるのだろうか、現代の日本の社会でこの小さな女子大学が一つあることで何ができるのだろうかという問いを、大きな大学ではお考えにもならないような問いを自らに課さねばならなかったというような次第でございますから、法人法案そのものが小規模大学をつぶすとか、そういうことではない。
ただ、そのような動きの中に小規模大学が生きにくくなるような方向がはらまれているのかなと。もしそうであるとすれば、自らを正して、それこそ小規模大学なりにきちっとミッションを果たしていくような努力をする以外にないだろうというようなスタンスに今立っております。
先ほど、戒能民江さんというDVの専門家でございますけれども、あのような人を抱えて大切に育てていくことができるのも、これは正直言ってやはり国立の女子大学だからであろうと思いまして、先ほど、まだ本学に存在の意義を見いだしたというのは、そのようなことも含めてでございます。
ちょっとお答えになっているのかどうか、ずれているような気もいたしますが。
○林紀子君 どうもありがとうございました。
○山本正和君 どうも御苦労さまでございます。
私は、実は六三三四制以前の旧学制で出たものですから、この大学問題、ちょっとピント外れなところがあるかもしれませんけれども。
私は実は旧制中学で、私どもの先輩、向坊隆先生が出ておられまして、同窓会なんかでお目に掛かりますと、もう雲の上の存在で、大変な方なんですけれども。私どもが感じるのは、大学というのは、これは学問の府、本当に象牙の塔と言ってもいいぐらいの存在がというのが旧制度の我々の大学像であるわけですね。現在、変わっているわけですけれども。
だけれども、大学が、これは戦後五十年たって、中でいろんな議論があることもお聞きしておりますし、大学改革も随分議論されていると。しかし、その大学改革の中で国立大学法人なんという名前が出たことは、私は今まで不幸にして聞いたことがない、幸か不幸か分かりませんけれども、聞いたことがないんですね。何か知らぬけれども、突然数年ぐらい前から合理化、合理化という話になってきて、構造改革という名前の中で、大学改革もその中に巻き込まれて生まれたのがこの制度ではないかという気がしてならないんですね。
本当に、私は三重県ですけれども、田舎の、三重大学があります。だけれども、四十七都道府県ある国立大学の中で、学生数が応募者に足りないというところはまずないんですね。それから、それぞれみんな地域に根差して、ちゃんと立派に生きている。
もしこれが、仮に学校法人にしてしまったらどうなるかといったら、例えば今日お見えになった東京、大阪、お茶の水とも、これは学校法人東京大学になったら、これはもう大変な応援、後援会もできて、卒業生もやっさやっさやってくる。大阪でもそうですし、お茶の水でもそうです。お茶の水なんというのは、昔は女子教育の最高学府ですね。随分多くの先輩もおられるんですね。卒業した優等生は皇后陛下に御進講するというぐらいの大学ですね。
そういうことを思ったら、大学人が大学改革を考える、あるいは学生も含めて大学改革を考えるという中で生まれているのなら私は何にも不思議じゃないんですけれども、なぜ突然こんな、どうも日本語としてもなじまないような国立大学法人なんという、どうも法人というのはちょっと国立という言葉にはなじまぬ気がするんですが、そんな言葉が出てきたのが非常に分からないんですね。
そういう意味で、これは特に佐々木先生にお伺いしたいんですけれども、東京大学というのは私は世界に誇る大学だと思うんです。しかし、足りないものがあるとすれば、予算ですね。それから校舎のあの汚さ。東大の医学部へ行ったらもうみんなびっくりするんですよね。工学部も昨日は出ましたけれども。
そういう国が教育に対して重点を掛けずにきたところから来る矛盾は一切知らぬ顔をしておいて、そして何か知らないけれども、こういう国立大学法人という名前でもって大学改革を進めようとしていると。要するに、本当の意味の大学改革の議論から生まれたのではないような気が私はしてならないんですけれども、それについてのひとつ御感想をお伺いしたいと思いますが。
○参考人(佐々木毅君) いろいろお話しいただきましてありがとうございました。最近は我々の病院も大変きれいになりましたので、是非一度おいでいただきたいと思うんですが。
確かに、今、議員がおっしゃられましたように、日本の経済の調子が一番良かったときは大学にとっては最も悪い時期だったんですね、国立大学にとって。ということで、有馬元総長は大学貧乏物語ということでいろんな働き掛けをされまして、その効果がようやく今出てきて、まだまだ問題はございますけれども、事態は改善しつつあるということなんですね。
どうも私が見ておりますと、やはり今の大学改革問題の根っこにあるのは、正に十年前、二十年前にこれでいいと思っていた日本のシステムがおかしくなって、そして逆にそういう中で大学というものの役割なり位置付けなりが変わってきて、大学というものをもう少し社会的にきちっと位置付けて、これを育てていくなりあるいは活用していくなりしなければいけないと、こういうところでこの話は出てきたんじゃないかというふうに思います。
ですから、非常に、ここに経済の先生がいますから異論があるかもしれないですけれども、日本経済華やかなりしころは、大学はもう本当に隅っこのセクターで、議員おっしゃられたように、一番劣悪な状態を放置されていたわけでございます。ところが、それがどうもいろんな経緯がありまして、そして何かここのところ新聞に非常に大学大学というのが毎日登場するようになりまして、一番戸惑っているのは我々関係者なんですね。
そういうことで、実は大学というのが日本社会の中における位置付けが今変わり始めているときにこの問題が私は出てきていると思いましたものですから、大学と社会の位置付けというのは、何も世界一般に変わっているだけじゃなくて、日本社会の中における大学の位置付けそのものが今転換期を迎えているというそういう位置付けで、広い意味では、その中で、それと論理的にこの法案がどうつながるかと言われるとちょっと困るんですけれども、そういう背景で私は理解をするべきではないだろうかと、このような認識を持っております。ちょっと長くなりましたが。
○山本正和君 小野先生、いかがでしょうか。
○参考人(小野善康君) 同じ点ですね。
私はもう少し皮肉に見ていまして、数年前、公務員の数が多過ぎるから減らせという社会的な動きがあった。これはかなり私は財務省の何というか戦略だと思うんですけれども、御存じでしょうけれども、公務員の数は、人口比当たり公務員の数はOECD諸国で日本は最低レベルにある。最も少ないわけです。ところが、公務員は多過ぎると一度言われると、みんな多過ぎる、多過ぎるとなっちゃうと。何しろ評価を信じないというのは山のように私は例を出せると思うんですが、例えばそれだと。その後、私は国土交通省のかなり幹部の方と公共政策についてお話ししたときに、タクシーの中で言われたのは、いや、国立大学が法人化してくれると我々助かるんだけれどもな、人数が合うからなというふうにおっしゃるわけです。全くそのような形で動いていたと思います。
大学がどういうふうに変えたらいいかとか、生産性がどうかとかいうそういうたぐいの話は当然あるわけで、私はそれを全然否定しないんですけれども、それと今回のとはかなり懸け離れているというのは、表立ってはそういうふうには言いませんけれども、本当は大半の方はそう思っているんじゃないかと、それが私の印象です。
以上で一応お答え終わりにさせていただきます。
○山本正和君 本田先生もひとつ。
○参考人(本田和子君) ただいまのことでございますか。法案がどこからどうして出てきたかというようなことに関しましては、私、正直なところ余り正確な情報も持っておりませんし、判断力もございません。ただ、お二人の先生方のおっしゃることを伺いながら、そのいずれも当たっているのかもしれないという程度に認識しているのが私どもレベルの、一般的大学人の受け止め方でございます。
ただ、こうして法案が動いていく過程で、大学関係者の意向もとにかく反映されてまとまってきたというプロセスを踏まえますと、これに沿って制度設計をしていくという立場を取らざるを得ないというふうに考えているというところでございます。
○山本正和君 本当に今大変な時代の中での大学人として御苦労をいただいているわけでございますが、それでもこの法案、衆議院の状況からいきましてもどうも多数決で通っていきそうな状況です。ただしかし、そうはいっても、これから今後改めるべきは改めなきゃいけないし、どうしてもちゃんとしていかなきゃいけない部分がたくさんあると思うんですね。
私は特に気になるのは、要するに、今、各新聞の投稿だとかあるいは論説だとか、いろんなところにも出ております懸念の部分ですね。要するに、文部省の介入が今までよりも強くなるんじゃないかと、こういう懸念がありまして、実は本委員会でも有馬先生から、元東大の学長という立場も含められて、学問の自由というか大学の自治というか、そういうことに対してはきちんとやれよと、こういう趣旨の御質問等もございました。
私は、そこで、やっぱり法案の中でどうしても懸念する部分があるのは、目標と計画について文部省が深くかかわっているということなんですけれども、これに対してはやっぱり一定の歯止めというか、そういうものは当然あるべきだというふうに私は思うんですけれども、法案が仮に通ったとしても、止めなきゃいけない部分がたくさんありますし、できたら私はこれは修正すべきだというふうに思っていますけれども、その辺のことにつきまして、ひとつ、もう時間がございませんので、どうでしょう、学長のお立場ではちょっと御発言しにくいだろうので、小野先生、ひとつその辺、御発言願いたいと思いますが。
○参考人(小野善康君) もし修正が可能ならば、もう山のように修正していただきたいことあるんですが、一つだけだと、望みがかなうならばというのであれば、私は中期計画、中期目標の認可というのは絶対にやめてほしい。これは、実際何もしないんだよと言いながらできるということで、我々は物すごくディストートされるんだということを先ほど来盛んに強調しましたけれども、そのことです。
それからもう一つ、じゃそれができないと、是非ともやっていただきたいんですが、できないということであれば、評価委員会のすべての議事は必ず公表する。これは我々立場を超えて、与野党の立場を超えて、要するに社会のためにちゃんとした評価をしていいものにしようと、こういうことでありますから、それならその議事の内容を当然公表していいわけで、どこが悪いというのははっきり言っていただければいいと。そうなって悪いと言われたところははっきり分かった上でそれに対応できるわけです。あるいは反論もできる。今回のようによく分からないというようなことはない。もう本当に小さな最後のとりでというのは、それはすぐに見せてくれると、そういうふうにしていただきたいと、これであります。
○山本正和君 ありがとうございました。
○委員長(大野つや子君) 以上で午前の参考人に対する質疑は終了いたしました。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしましてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
午後一時まで休憩いたします。
午前十一時五十九分休憩
─────・─────
午後一時開会
○委員長(大野つや子君) ただいまから文教科学委員会を再開いたします。
休憩前に引き続き、国立大学法人法案外五案を議題といたします。
国立大学法人法案外五案の審査のため、参考人から意見を聴取した後、質疑を行います。
午後は、参考人として東京大学社会科学研究所教授田端博邦君、名古屋大学総長松尾稔君及び元大阪大学事務局長・住友生命保険相互会社顧問糟谷正彦君の三名の方に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、六案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
次に、議事の進め方でございますが、まず田端参考人、松尾参考人、糟谷参考人の順でそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
それでは、まず田端参考人から御意見をお述べいただきます。田端参考人。
○参考人(田端博邦君) 東京大学の田端博邦でございます。
国立大学法人法案、私は若干危惧の念を持ってこの間観察してまいりましたけれども、一研究者としての立場で意見を述べさせていただきます。主として、国立大学法人法案の客観的な性質について意見を述べさせていただきたいと存じます。
まず、国立大学の法人化問題の経緯について触れた上で、この法案の基本的な仕組みを分析し、最後に移行等にかかわる問題に触れることにいたします。
まず、法案の経緯について述べます。これは、なぜ法人化なのか、国立大学法人と独立行政法人はどのような関係に立つのかといった問題に関連いたします。
この法案の出発点は、一九九九年、平成十一年四月の閣議決定、国の行政組織等の減量、効率化等に関する基本計画であると言ってよいと思います。これまでの審議の中でも再三触れられているとおりであります。この閣議決定によりますと、国立大学の独立行政法人化は、大学の自主性を尊重しつつ、大学改革の一環として検討し、平成十五年までに結論を得るとされています。
この閣議決定が、行政の減量、効率化の施策として国立大学の独立行政法人化を検討するという点は明瞭であります。問題は、大学改革の一環として検討するということの意味であります。この点は余り明瞭ではありませんが、少なくとも大学改革の議論の結果として独立行政法人化が提起されているのではないということは明らかであります。したがいまして、大学改革の議論の中から自由に将来の国立大学の形態を考えるという道は閉ざされておりまして、独立行政法人化という枠がはめられていたわけであります。法案で用いられております国立大学法人という概念もここには存在いたしません。
しかし、独立行政法人の制度は、今日まで様々に議論されておりますように、必ずしも大学という教育研究組織には適合的ではありません。大学改革と独立行政法人化は整合的な関係にはないと私は考えております。
そこで、この点を理解するために少し前にさかのぼってみますと、国立大学の独立行政法人化が最初に議論になりましたのは行政改革会議においてであります。若干の経緯がありますが、九七年の行政改革会議の最終報告では、国立大学の独立行政法人化を一つの選択肢になり得る可能性があるとしつつ、長期的な視野に立った検討を行うとなっております。つまり、当面は独立行政法人化を行わないということであります。また、九七年十月の当時の町村文部大臣の所信におきましては、国立大学を独立行政法人化することについては反対であると明言されております。さらに、こうした流れを受けて、九八年六月の中央省庁等改革基本法では、国立大学は独立行政法人化の対象から明確に除外されているのであります。つまり、この時期には、国立大学の独立行政法人化はしない、その理由は、大学の教育研究の特性になじまないという考え方が固まっていたと言ってよいと思います。
問題は、九八年六月の基本法までそうした方針であったものが九九年四月になぜ百八十度変わってしまったのかということであります。当時の行政改革会議のメンバーであった東北大学教授の藤田宙靖教授は、ジュリストの論文で資料に掲げましたように述べております。九八年の小渕首相の施政方針演説における国家公務員の二〇%削減方針が国立大学の独立行政法人化の議論を不可避にしたというわけであります。つまり、公務員削減の方針を実行するためには国立大学の独立行政法人化は避けられないという状況になったわけであります。
したがって、事の順序が重要であると思います。つまり、大学改革の議論から独法化が必要だとされたのではなく、行政改革の議論から独法化が必要だとされたのであります。
大臣答弁等におきまして、大学改革の一環としてという文言が大変高い頻度で用いられておりますが、歴史的な事実として見ますと、この法案の出発点が行政改革であったということは明らかであると言えます。出発点が行政改革ではなく大学改革であったら、今日までの展開は相当に異なったものになったのではないかと思われます。資料に掲げました町村文部大臣の所信の内容から見ますと、大学改革という視点からは独立行政法人化がよいという結論を導くのは極めて困難であるからであります。
今日提案されております法案は国立大学法人法案という名称のものになっていますが、その骨格は独立行政法人通則法とほぼ同一であります。九九年七月に独立行政法人通則法が成立しまして、二〇〇〇年七月に文部省に調査検討会議が作られますが、この会議の名称も国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議となっております。調査検討会議の検討も、独立行政法人制度をどのように大学に適用するかという点に焦点が当てられることになりました。
一般に、定型的な業務を行うことを予定しております独立行政法人は、業務遂行に関する技術的な面においてはかなりの自由度を持っておりますが、業務の基本的な方針に関しては主務大臣の命令に従うという構造になっております。基本的な点における独立性を持っておりません。したがいまして、このような独立行政法人通則法を基礎としているために、法案には様々な議論を呼ぶ規定が入っているということになります。
国立大学法人法案の基本的な構造を一言で申しますと、通則法プラスアルファというものであります。このプラスアルファは何かといいますと、二つのグループがあります。
提出資料の図に単純化して示しましたが、一つは通則法の規定を修正するというものでありまして、中期目標に関する大学の意見への配慮義務、法人の長の任免に関する大学の申出などの規定がこれに当たります。もう一つのグループは、国立大学法人の内部組織に関する規定であります。独立行政法人通則法の内部組織に関する規定は非常に簡単ですので、役員会の構成、経営協議会、教育研究評議会、学長選考会議などに関する規定は、全く国立大学法人法案独自のものであります。大学法案における自治という点から見ますと、内部的な運営組織を詳細に規定しているという点に法案の特徴があると言ってよいと思います。これをどう考えるかというのも法案の重要な論点であります。
この二つのグループの修正、追加の規定を除きますと、法案の規定は独立行政法人通則法と完全に一致すると言ってよいと思われます。修正点に関しましても、基本的な規定は独立行政法人通則法から来ておりまして、中期目標、中期計画という用語と仕組みは全く独立行政法人通則法のものであります。
つまり、多くの議論を呼んでおります中期目標、中期計画の仕組みがなぜ国立大学法人法案で規定されたのかという疑問は、通則法の枠組みによって決定されているからだと理解するほかありません。国費投入があるので最小限の関与が必要であるという面から申しますと、関与の在り方には様々なものがあり得るわけですので、それだけではこうした方式が取られた理由を説明することはできません。
また、中期目標、中期計画に教育研究の質の向上に関する事項が規定されていることが大きな議論を呼んでいます。この規定も通則法に倣った規定であります。資料に記しましたように、この法案の規定は通則法二十九条二項三号の規定と全くパラレルになっていると言うことができます。つまり、通則法の枠組みから自由でないということであります。
運営組織等論ずべき点がなお多々ありますが、時間がありませんので、法案を審議される際には、是非通則法の準用規定も併せて御検討いただきたいという希望を述べさせていただきます。年度計画、年度評価、中期目標期間終了時の検討、これには事業の改廃も含みます、さらに財務など準用規定を含めて見ませんと、法案の全体構造は理解することができないからであります。
以上、要約しますと、公務員削減という行政改革の施策として国立大学の独立行政法人化が決定されましたために、必ずしも国立大学の教育研究活動の実態とはなじまない独立行政法人通則法的な枠組みの法案が作られることになったということであります。
最後に、移行に関する問題などに簡単に触れさせていただきます。
労働安全衛生問題などが大きく取り上げられていますが、五月七日付けの国立大学協会の文書を資料としてお配りしました。この文書は、法案が成立したとしてもこういった点については運用上の配慮をお願いしたいという趣旨の文書を作る途中の作業ペーパーでありますけれども、お読みいただければ簡単に御理解いただけると思いますが、ここに書かれていることを裏返してみますと、明年四月の法人移行には様々な困難が伴う、追加的財政支出も必要である、学問の自由、大学の自治に関する不安もあるというものでございます。
文部科学大臣は、この法案のねらいは、国立大学の自主性、自律性を増し、大学の教育研究を活性化することにあると説明されております。国立大学を良くする法案であるということですが、国立大学の関係者は必ずしもこれを喜んで受け入れてはいないというのが実情であります。私の勤務いたします東京大学について申しますと、理学部、工学部、教養学部という大世帯の部局が最近相次いで法案に批判的な見解又はコメントを発表いたしました。法案が公表されてから、国立大学の内部におきましては非常に大きな不安が広がっていると言うことができます。
以上で参考人としての意見陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
○委員長(大野つや子君) ありがとうございました。
次に、松尾参考人にお願いいたします。松尾参考人。
○参考人(松尾稔君) 松尾でございます。
初めてで要領が分かりませんので、よろしくお願いを申し上げます。
資料を四十五部用意ということでございましたので、メモをお配りしてございます。そのメモに従いまして話を、意見を表明してまいります。
(1)の自己紹介は、ただいまもありましたが、名古屋大学の学長で、かつ国大協の副会長をいたしております。
結論的には賛成の立場から意見を申し上げたいと存じます。
大きい(2)のところに、結論を先に持ってきております、と主たる理由ということでありますが、その結論は、設置形態の変更、つまり国費で維持される法人格を持った大学、これに賛成であるということでございます。
理由は幾つかありますが、まず一番目に、国内外を問わず競争力、これは教育研究開発等の競争力の強化というものが今後あるいは現在の日本にとって最も重要であると、このように考えるからであります。学問の自由を守るということはもう当然のことであります。
理由の二に、真の個性化、多様化、弾力化ということを書いておりますが、御承知のように、昭和五十九年の臨教審で個性化、多様化、弾力化というこの三つのキーワードが出てまいりまして、それから二十何年、どこでもこれが出てくるわけでありますが、現実には画一化、均一化の方向が取られておりまして、スモール東大、ミニ京大というような方向がどうしても進んでまいりまして、ここにおいて真の個性化、多様化が是非とも必要であると、こういうように考えるからであります。
それから三番目の理由には、組織とか制度疲労に対する改革というのを書いておきました。どのような組織であっても企業であっても、三十年、四十年たてば必ず制度疲労を起こしてくるものでございます。国立大学も何度も変革を、変化を、改革をしてきましたけれども、思い切った改革が必要であると私は思っております。そういう意味では、是非とも、この官界も、ここにいらっしゃる先生方の政界も是非とも改革をお願い申し上げたい。ちょっと申し上げ過ぎでございます。
その次に挙げておりますのは、そういう改革をするためには、必ずこれは大学構成員の意識改革が必要であるということであります。さらに、この理由の大きなものといたしまして、国費の確保、それが法人格を持った大学ということであります。それから、大学の裁量権の増大こそが改革意欲を増大させると私は信じております。そういう理由で賛成を申し述べているわけであります。
三番目の大きいところには、大きい(3)には、こういうこの(2)に至りました経緯の概要を書いております。
この一番目に、大学の変遷を述べておりますが、御承知のように、明治の学制施行でエリートの養成から敗戦後の大学の大衆化、さらにはここ三、四年度の大学ユニバーサル時代と、こういうように言われております、万人が、すべての方が大学へおいでになる、あるいは生涯を通して活用される、さらには産業界あるいは財界、社会の方々が大学を利用される、そういう時代の変化というのがございます。
ところで、敗戦後に、そこに書いておきましたように、一県に医科、医学ですね、医科を含んで国立大学を一つ以上作っていくと。だから九十九できたわけでありますが、このポリシーは私は決して間違っていなかったと思っております。地方の国立大学、これは、もう地元はもちろんでございますけれども、全国の産業とか文化等々に地方の大学が果たした役割は非常に大きいし、貢献度は高かったと。これは一つも間違っていなかったと思いますが、次第に豊かになりまして、少子高齢化が進むとともに情勢が変わってまいりました。
私が子供のころは、京都府の山村でしたけれども、隣の大阪へ行くというのも大変でありまして、東京というようなものはもうはるか外国のような状況でございましたので、そういう状況から、現在は、名古屋大学と東京の有名私立大学を受かりますとどちらへ行こうかということを思案する人がいるような状況に変わってきているという時代の変化というのもございます。
それから、私が感じますのに、次の経緯として、学生の持つそういう志とか学習への意欲といったようなものが、これは平均的にではありますが、落ちてきているというように感じざるを得ない、競争への無気力感というようなものを感じざるを得ない、こういうように思っております。
それと、先ほど述べました制度疲労でございますね。非常に硬直化してきておる。それもあって、大学の構成員の無難志向、リスクを冒してまで何かに挑んでいこうという、そういうものが残念ながら減ってきているように思っております。
要するに、そこに書きましたように、社会情勢その他の状況が非常に変化を遂げているのに、国立大学がそれに十分対応できてきたかといえば、若干首をひねらざるを得ないというのが私の気持ちです。
ユーザーの視点というのを書かせていただきました。これは、本学、どこの大学にも運営諮問会議という外部の有識者十名による会議がございまして、本学の場合、第一回目にどかんと出てきましたのが、大学、殊に国立大学、旧設大学にはユーザーの視点が全くないという点でありました。このユーザーという用語は大学人にとっては耳にざわざわしまして、どうもなじみが悪いんですが、しかしながら、現在、本学では、例えばユーザーの視点というのは一つのキャッチフレーズになっております。
それから、平等な競争が行われなければならぬ。競争といいますと、すぐに基礎研究とか今、はやっていないところはどこだという話が出てきますが、今はちょっと述べませんけれども、学術経営の中でそういうことは十分配慮していくべきだと私は考えております。
それから、そういうことで、設置形態の変更は千載一遇のチャンスであると。オオカミが来たというふうには取っておりません。
それから、裏側に参りますと、私は個人的にはこの法人化の問題に関しては、七、八年前から問題意識は持っておりました。
そういうところに、数年前、五年ほど前、当時の国大協の会長の要請によりまして、松尾レポートという、自分の名前が付いているのはこれは嫌ですが、そう呼ばれておりますので仕方がございません、平成十一年六月八日、それから、それを基にした国大協の第一常置の報告書、九月の七日、これも私が委員長でございましたが、そこで、万一この法人化の問題が、いずれ私は来ると思っておりましたけれども、そういうものが来た場合に先んじて問題点を整理して各種の提言をしておく必要があるということで、その中でやっております。
例えば、大学の特性としては、独立行政法人通則法のように中期から始まるのではなく、長期展望が必要でありますし、企画立案機能と実施機能を切り離すというようなことは教育研究の現場では不適切であるというようなこと、あるいはいろんなことがあります、社会貢献、国際的視点、あるいは法制の中で、法人の名称もこのとき既に国立大学法人法というものを提案をいたしております。
そこで、その次の米印にありますように、国立大学長会議、これは全大学長に対して文部省の施策を御説明になる会でありますが、そこで、「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」、俗称検討の方向と、有名でございますね、これはそこにいらっしゃる有馬先生が大臣のときに発表をされました。これが九月二十日でございます。
私がここで何を言いたいかといいますと、大学はいつも文科省、政府に先に言われて、言ったとおりしているじゃないかと、そういうことではなくて、先んじて、そういうことがあり得るかもしれない、万一の場合に備えて先に先にやっているということを申し上げたいんです。初めに政府関係から出てきますと、その一言一句を直していただくのに猛烈なエネルギーが要るということをよく知っているからでございます。
それから、その次に国大協理事会の報告書が平成十三年に出ておりまして、内容的には、もうこのとき既に運営協議会方式とか学外者を加えた評議会方式等々を提案しておりますし、一方、その次に、文部科学省の、これも長ったらしい名前ですが、国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議、我々は、俗称調査検討会議です。これの「新しい「国立大学法人像」について」、これも長ったらしいですので最終報告というのが俗称ですが、これがその後に出ましたが、この国大協の報告書等の内容はかなり取り入れていただいておりますし、申し遅れましたが、九月二十日の有馬先生の検討の方向の中には、それまでの国大協の検討は非常に大幅に取り入れていただいていると、このように感じております。
それで、もう時間も五分ほどになりましたが、四番目に、重要な留意事項ということを書いておきましたが、国のグランドデザインが必要であると思います。日本というこの国をいかなる国にするのかということ、それから、そのためには、必要な分野、人材、高等研究教育機関は幾つほど、どこに必要なのか、そのために国費はどれほど投入すべきかというグランドデザインが私は必要であると何度もこれは申し上げてきましたので、今後是非ともこれをやっていただきたいと思っております。
しかし、これが明確なものが出てくる前は、各大学が理念、長期目標を作って、中・短期計画等を作らなければなりません。今日も何か出てくるかと思いまして、ペーパーの裏に名大のこれまでの対応を念のために付けておきましたが、今は説明は省きます。
それから、アカウンタビリティーとか国民的な合意が必要であるということは当然のことでありますし、大事なことは大学の裁量権の確保、これを必ずやっていかなければならない、こういうように思っております。
また、お願いで口幅ったいことでございますが、政府や本省の方の意識や組織改革等も是非必要だと私は思っておりますし、非公務員型になりましたので、人事交流等のうまい考え方は是非互いに考えていって、それぞれの人が、職員がその高い意識を落としてしまったりしないようにしなければならない、このように思っております。
五番目に、国立大学の反省と書きましたが、国立大学からしかられるかと思いまして、名古屋大学の反省という具合にしておきました。これはやはり、ユーザーの視点というものがやはり足らなかったと。それから、大学人の意識改革というものをやはり十分に進めていかなければならぬし、今まではこれはもう伝統的に部局の自治でございますが、これからは大学の自治という観点からやっていかなければなりません。その場合に、学問の自由とか大学の自治というものは、これは申すまでもない当然のことでありますので、あえてここでは申しておりません。産学官連携もさることながら、大学の中は、ここは宝の山でございますので、学学連携とか学内の連携が必要だと思っております。
最後に、現在の心境でございますが、私としてはこの五、六年、やるべきこと、できることはすべてやってまいりましたので、静かにこの結果を見守って待っているところでございます。
どうもありがとうございました。
○委員長(大野つや子君) ありがとうございました。
次に、糟谷参考人にお願いいたします。糟谷参考人。
○参考人(糟谷正彦君) 糟谷と申します。
私は、平成二年七月から平成六年七月末まで満四年一か月間、大阪大学事務局長として勤務しておりました。その間、二人の総長にお仕えをいたしました。その経験を踏まえまして、事務の側面ですね、教育、学術研究をサポートする事務局、そういうふうな観点から、お手元にお配りしております資料に沿いまして意見を申し上げたいと思います。
まず最初に申し上げておきたいのは、国立大学に対するイメージでございます。
予算をただ執行しているだけで何もしない旧態依然とした大学という誤ったイメージが一部にございます。これを正確に正していかなきゃいけない、そういうように思っております。そういう意味で私は国立大学擁護論者である、そういうことをまず明らかにしておきます。それは資料のAをごらんいただければお分かりいただけると思います。
私は、大学を卒業いたしまして文部省に入りまして、四十年間生活をしておるわけで、いろんな職場を経験してまいりました。文部省、それから県の教育委員会に二度、違った県ですが、出向いたしております。それから大阪大学、それから特殊法人、それから現在、民間企業に勤めておるわけでございますけれども、この四十年間の中で大阪大学という職場ほど人材がそろっていた、人材の宝庫、そういうところは今までなかったと思っております。
私は、熊谷総長、それから金森総長のお二人にお仕えいたしました。いずれも理系の一流の科学者でございますけれども、語学力もおありだし、バランス感覚もある、経営マインドも持っていらっしゃいますし、確固としたリーダーシップもある方々で、選ばれるべくして選ばれている、やっぱりそういう総長だと思いました。やわな民間の経営者など足下にも及ばない、そういう方々であったと思います。現在の岸本総長も立派な方であると、そういうように伺っております。
その他、評議会のメンバー、副学長、その他先生方といろいろ四年間お付き合いさせていただきました。すべて学識、これは学識はもう大学の先生ですからもちろんでございますが、人物もすばらしい、バランス感覚もある先生方ばかりでございまして、数人の方々とは現在も御交誼をいただいております。これはどこの国立大学でもほぼ同じであると、そういうふうに思います。
このように人材が豊富で非常にバラエティーに富んだ方がいらっしゃる中へなぜ民間の役員とか民間の経営協議会の委員を入れてひっかき回す必要があるのか、これが私の疑問点でございます。角を矯めて牛を殺すという言葉がございます。そのような愚、愚挙だけは避けてほしい。
もう少しイメージを持っていただくために、具体的に二、三の例を挙げて御説明申し上げます。
大阪大学は、地域に生き世界に伸びるというのをモットーに先見性のある改革を進めてきております。
昭和三十六年四月に、理学部と工学部を融合する基礎工学部ができております。昭和五十一年四月には、人間とは何かというわけで人間科学部ができております。これはその後、いろんな私立大学とかほかのところが追随をして四文字学部というのはたくさん出てきておりますけれども、それのはしりでございます。
それから、平成六年の四月、これは私の在任中でございますが、医療技術短期大学部、医療技術短期大学部というのがあるんですが、それを四年制の医学部の保健学科に変えておりますけれども、これは全国の医療技術短期大学部のトップを切ってやっております。それで、ずっと計画的にやって、今年ですべての国立大学の医療技術短期大学部の変換が終わったと思いますけれども。それから、同じく平成六年四月には、国際公共政策研究科という大学院を仕立てております。こういうようなところは、それぞれ後、県立の看護大学がたくさん出てくるとか、すべて先見性のあるわけで、一歩先を進んでやっておりまして、後、ほかの大学がまねをしていると、そういうところでございます。
それからまた、最近、大学発ベンチャーというようなことが事新しく言い始めておられますけれども、それで阪大でももちろん若い先生がナノテクとかバイオの分野で新しい試みをやり始めつつありますけれども、もう阪大の場合は既に戦前、昭和九年でございますが、昭和六年に大阪帝国大学ができておりますけれども、昭和九年に微生物病研究所という附置研ができまして、そこに財団法人の阪大の微生物病研究会ですね、財団法人阪大微生物病研究会というのが昭和九年にできましてワクチンの製造を始めておりまして、今もやっております。それで、現に四国の観音寺に工場を持っておりますけれども、BIKENというワクチンのかなり有名なブランドを持っておるわけでございますが、ここも研究費を大学に入れてくれております。
ただ、申し上げておきたいのは、法人化して外部資金を集めるとか、あるいはベンチャーで金もうけをすればいいんだというような意見が軽々しく言われるわけでございますけれども、例えばこの阪大微研、大体七十億から八十億の収支でやっておりますけれども、毎年大阪大学に研究費を入れていただきますのはやはり一億円程度でございます。それは費用が掛かるからやむを得ないわけなんでございまして、そう企業やったからってたくさん外部からお金が入ってくるというわけではないということを申し上げたいと思いますし、それから、感染症というようなのは、ずっと人気がなくなっているときは忘れられているんですけれども、病原性大腸菌O157のときにも急に阪大微研の名前が出てきましたし、今度のSARSのようなのが出てきますと、また出てくる。要するに、忘れられたころに、ずっとその間もしっかりと研究をして応用的なことをやっておりますからそれにすぐ対処できる、そういう面があるということをお考えいただきたいと思います。
それからまた、地域との関係でございますけれども、平成六年四月、これも私の在任中でございますけれども、アサヒビール株式会社から三億円をいただきまして、大阪大学の出版会を立ち上げております。これは熊谷総長がアサヒビールからもらってきていただいたんですけれども、出版会というのはもちろん東大が一番初めにできてちゃんとやっておりますし、後れて名古屋大学ができておりますけれども、名古屋大学は物すごく出版会は発展しておりましていい書物を出していらっしゃいますけれども、阪大は後れておりますけれども、いい書物を出しながら現在も続いております。
このように、国立大学というのは、その地域社会、地元産業界とも連携を取ってちゃんとした大学運営をやってきております。それで、今後もやれると、そういうふうに確信をしております。
したがいまして、下手にいじり回す必要はない、大学をもっと信頼すべきである、そういう観点から、今回の法案に対して具体的な疑問点を六点ほど申し上げます。
お手元の資料にございます。まず第一点、屋上屋を架す会議。役員会、それから経営協議会、教育研究評議会、この三つが重複をいたしておりまして、これでは機動力は欠けるわけでございます。
イギリスの大学とかフランスの大学を見ましても、イギリスもカウンシルとセネトとコートというような、似たようなのが三つありますけれども、コートなどというのは株主総会と同じように一回しか開かれない、そういうなのが三つ並んでいるわけです。今度は、国立大学法人法案は、これを対等に月に三回ずつやらせるつもりなのかどうか、非常に機動性が欠けることになると思います。
第二点、教授会自治の消滅でございます。
非公務員型にしましたために、国立学校設置法、それから教育公務員特例法中から、もう一切教授会に関する権限の規定が消えました。ただ、学校教育法五十九条には教授会の規定がございますので、私立大学と同じように内部規定で決めると、そういうことになるんだと思いますけれども、ここには重大な国立大学教授の身分保障に関する問題が潜んでおります。
私立大学でも大学の自治ということを言われておるわけでございますが、仮に憲法の規定というのは私人対私人の関係には適用がないんだという最高裁の判例に従って、そこは私的自治に任されているという説を取ったといたしましても、今回でき上がります国立大学法人というのは、改正後の学校教育法第二条及び第四条の規定によりますと、設置認可というのは必要としない従来の国立大学と同様でございまして、それから、国立大学法人法第三十七条をごらんいただきますと、教育基本法などの法令については国立大学法人を国とみなしてこれらの法令を準用すると。国なんです、国立大学法人は。
したがいまして、単に私人間相互の私的契約関係と同視するわけにはまいりませんので、教授会の規定を置いていないということは大学の自治、憲法二十三条違反という問題さえ出てくると思います。
で、これに対しましては、教授会自治なんていうのは大体古典的な大学の残滓であると、ユニバーサル段階を迎えた高等教育ではもう通用しないんだ、大学運営の硬直化をもたらすだけと、そういう議論が有力で、大体そういう議論に裏打ちされてこの法案もできておると思うんでございますが、ここがおかしい。
私も大阪大学に四年間在職しておりましたけれども、大阪大学は教授会自治がうまく機能していたと考えております。
具体的に申し上げますと、例えば、定年退職する教授の後任人事につきましては、当該教授の影響力を排しまして、あるいはその退任しました教授がいなくなってからちょっと期間を空けて後任者を選定をいたしまして、講座名は変らなくても新しい学問分野をこちらへ引っ張っていこうと思うと、それにふさわしい人を連れてまいりまして、講座名は同じでも学問分野は結局新しい方向へ、新しい方向へ移るようにちゃんとした配慮がなされております。
したがいまして、大阪大学のインブリーディング率ですね、要するに自校、自分の大学を出た人の数というのは非常に少ない。特に理学部につきましては、少なくとも教授は他大学出身の教授の方が多いんです。これは現在も変わっておらないと思います。
こういうふうにうまく自治が働かないと判断できない。最先端の学問分野というのは、その仲間内でしか判断できないんです。幾ら民間の経営者が入ってきても、最先端の学問分野というのは判断できない。
それで、ユニバーサル段階になったからとか、エリートからマスの段階になったからとか、すべて高等教育は変われ、管理形態まで変われという説をなす人はございますけれども、やはりエリート型あるいはマス型の高等教育機関というのは残らなきゃいけない。そこには理念型の教授会自治、そういうものがなければ大学というのは成り立ってまいりません。
それから、第三番目、会計監査の重複でございます。
新法人には監事二名が置かれて、企業会計原則を適用して公認会計士、監査法人の監査を受ける。しかも国費が入っておりますから、今までどおり会計検査院が検査する。今までの三倍の手間と書類が必要でございます。
それで何かいいことが分かる、良くなるというんならいいんですけれども、国立大学というのは消費経済でございまして、企業会計原則を入れて良くなる部分はありません。企業会計原則というのは投資する人、株主のためにその資産状況を明確にする、そのための原則でございまして、しかも、その中の時価会計というのは、今、時価会計が問題になっておりますけれども、単なる会計の問題ですけれども、これは実体経済に影響を与える、そういう大きな問題を抱えておるわけですが、それを単純に導入させる。
それから、第四点、不明確な評価基準。
評価が国立大学法人評価委員会と独立行政法人大学評価・学位授与機構、二重の評価をやります。理屈の上では分かれておりましても、具体的なことを判断するのは結局両方の評価をしなきゃいけない。さらに、法科大学院だともう一つまた、日弁連法務研究財団なんかの評価を受けなきゃいけない。
それで、評価の問題につきましては、もちろん研究業績につきましては評価をしなきゃいけない、できる、現に厳正にやっておると思います。だけれども、組織を評価する、組織の業務をどうやって評価するのか、そんなことはできるはずがないんでございまして、それは資料のBと資料Cを参照していただきたいんですけれども、高等教育機関の目的による、要するに組織を評価するわけでございますから、組織の種別化があいまいなまま評価しても評価のしようがないんです。例えて言いますと、平泳ぎとバタフライと背泳ぎを同時に泳がせてタイムを競わせる、そういう無意味な評価になるわけでございます。
それで、膨大な書類が必要とします。それで、これは単に事務職員だけがやれるんではございませんで、先生方に頼まないと出てこない。先生の教育研究のための時間やエネルギーが非常に浪費されます。
もしもこの評価をちゃんとやるというんであれば、高等教育のマスタープランあるいはグランドデザインというのをはっきりさせていただかなきゃいけない。それはこの最終報告「新しい「国立大学法人」像について」の中にも、ちゃんと文部省の文書にも明記しているんです、四十四ページに。国がそういうグランドデザインを明らかにするのは責務であると自分で言っているんです。だけれども、それをやらないでこんなものが出てきたって、それは無理でございます。
それから、第五は、非常に細かなこと……
○委員長(大野つや子君) 糟谷参考人、申し訳ございません。糟谷参考人、お時間もございますので、御意見をおまとめ願えればと思います。よろしくお願いいたします。
○参考人(糟谷正彦君) はい、まとめて言います。
それで、人事、事務、会計の煩雑さがございます。非常に煩雑になります。
すべて文部大臣に報告して、変更までもう全部報告する。基準と法律では書いてございますけれども、俸給表だけが基準じゃないんですからね。昇格昇給の基準とか運用まで全部入って初めて基準なんです。それで国立大学法人が良くなると、そうは言うのはおかしいんでございます。
それからその次に、認可事項、協議事項の多さ。
これ、そこにも書いておきましたように、一杯ございます。これでは足かせをはめられて身動きができない、書類ばかり増える、そういうことを申し上げたいと思います。
最後に、時間がありませんので言いますけれども、田端先生の御意見の中にも出てきましたように、一九九九年の藤田宙靖東北大学教授のジュリストの論文、これを是非皆様にお読みいただきたいと思います。私も下っ端の役人でございますので、変な、むちゃくちゃなことは申し上げたくはないんで、私も法令担当をやっておりまして、非常に法令を作るというのは、法案を作成するというのは大変だというのは分かっておるわけでございますが。
一番初め、この国立大学法人化に踏み出すということで、有馬文部大臣と佐藤事務次官の時代に決断をされましたときには、この藤田宙靖教授の論文の線、これは非常にかみ砕いて易しく懇切丁寧に問題点を全部挙げていらっしゃいますけれども、この線でやるんだ、この線というのは何かというと、独立行政法人の土台はかりるけれども、その上は大学の教育研究の特性に合った特例措置を決めるんです、そうしないと駄目なんですよと、そういう線でスタートしますということだったはずです。それがこの法案になりましたら、全部、丸々ほとんど独立行政法人通則法のままになっている。これはなぜなのか。これがおかしい、だからその線に戻ってスタートすべきであると、そういうふうに考えております。
今回のこの法案によりまして大学が無駄な書類を山ほど作らされる、そういうことだけは避けるようにしていただきたい。それを申し上げまして、私の意見陳述とさせていただきます。
○委員長(大野つや子君) ありがとうございました。
以上で参考人の方々からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、各参考人にお願い申し上げます。
御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
また、時間が限られておりますので、できるだけ簡潔におまとめください。
質疑のある方は順次御発言願います。
○大仁田厚君 済みません。どうもお疲れさまです。座らせて発言させていただきます。ちょっと先ほどから。
午前の部で、ちょっと悲観的な意見ではないんですけれども、学生の方々にこういった意見の論議とかが余りなされていないという意見を聞きまして非常にがっくりしたんですけれども、正直言って僕はそれが正直な意見だと思っております。なぜかと申しますと、僕自身学生のころから、国立大学といえばもう夢のまた夢ですから、自分で国立大学に行こうとか国立大学に入ろうとか全く思っていなかったものですから全然意識の中になかったんですけれども、今回僕が国立大学法人化の問題についてこうやって審議しているというのが物すごくこっけいで、自分の中で、うわあ不思議だな、時代は変わるんだなと思っております。
ちょっと済みませんが、参考人の方々、僕はちょっと話が長くなるんですけれども、質問はちゃんと取りそろえておりますので。
今まで国立大学といえば、何か内情とか全く僕らの中に意識がなくて、簡単に言うと、簡単に言わせていただきますと、やっぱり優れた人材をこの世の中のために送り出す機関であるという僕は認識なんですよ。今でもそう思っています。皆さん、僕、国民の皆さん全員そうだと思います。国民の皆様が全員税金を出して国立大学を支えているということは、自分たちの中で、この国に対して国益、そしてまたこの国のために、繁栄するために優れた人材が必要であるということで僕は税金を使っても許してくれていると思うんです、僕は。そういった上で、国民の税金で賄われている以上、最小限度の関与というのは僕は必要だと思うんですが、あくまで教育の現場であり、自由に学問を学ぶ現場だと思うんです、僕自身として。
そこで、非常に問題視されるのが、僕のところにも様々な方面から見直しの訴えや要望書が届いているんですけれども、皆さんからたくさん挙げられたのは大学の中期目標を文部科学大臣が決めるという点です。これは大学の自由な競争を強めていくどころか、官僚の人たちが細かいところまで口を出してきて大学の自主性を失わせてしまうというところに行き着くかもしれません。そういった声に対して遠山さん、遠山文部大臣が言われたのが、税金投入の責任を負う国として一定の関与が必要であるが、大学の意見に配慮するなど学問の自由を十分に尊重すると答えられました。一定の関与がどのようなものなのか、どの程度大学の意見に配慮するという点が争点になってくると思いますが、ただ僕は、国民の税金である以上、ある程度の関与が必要だと思いますが、ここで田端参考人と糟谷参考人のお二人に御質問いたします。
遠山大臣が言われる一定の関与についてですが、どのような関与が予想されますか。特に、このような関与をされては絶対に困るといった具体的な例をお聞かせください。また、大臣の言われる大学の意見への配慮についてどのような配慮を求められますか、御意見をお伺いしたいと思います。手短によろしくお願いします。
○参考人(田端博邦君) 大臣の関与の問題に関する御質問でございますけれども、私の考えでは、国費を投入しているから一定の最小限の関与が必要だという問題につきましては、先ほどの意見陳述で申し上げましたんですけれども、必ずしも中期目標を文部大臣が定めるということにはならない。
具体的に言いますと、国費を投入してそれについて適正な支出がされているかどうか、これはやはりきちっと監査をする必要があります。しかし、どういう研究や教育についてお金が使われているか、それによって教育研究の在り方についても口を出すというような関与は私は正しくないと。大仁田委員が今言われましたように、研究教育そのものは自由な環境で行われなければならないというのが原則でございますので、そのようであってはならないと考えております。
それで、したがいまして、中期目標の問題について言いますと、やはり教育研究の質の向上に関する事項というものが現在の法案には中期目標に書くべき事項として規定されているわけですけれども、この内容がいまだそれほど明らかではないんですが、運用の仕方によっては研究教育の自由を制約するということになる可能性があると考えております。したがいまして、その点は非常に問題であるというふうに思います。
○参考人(糟谷正彦君) 国の費用が出るわけでございますから、一定の関与が必要なのは申すまでもございません。しかしながら、この法案に書いてございますような関与は行き過ぎであるということです。
一つ具体的な例を挙げると説明が分かりやすいと思いますので申し上げますと、放送大学学園、前の放送大学学園法でございますけれども、あれは法人化しておりまして、もちろん非公務員でございますけれども、あれ、特殊法人のときには業務方法書というのはございません。ほかの特殊法人は全部業務方法書というのがあるんです。それは、やはり前の放送大学学園法を作ったときに、大学の自由、要するにどういうことをやるかというのはもちろん放送大学学園法で三号ほど書いてありますよ、こういうことをやる、こういう方針でこういうことをやるんですよということは書いてありますけれども、それ以上のことは書けないし、書いちゃよくないということでああいう例になっておるのでございまして、一定の関与はもちろん必要です。必要だけれども、今度のはやり過ぎである、そういうことを申し上げます。
○大仁田厚君 ありがとうございました。
ただいまの御意見に対して、松尾参考人の御所見をお聞かせください。
○参考人(松尾稔君) それでは、申し上げます。
申し上げたいことはたくさんありますが、簡単に、中期計画、目標の辺りに絞って言いますと、大仁田議員がおっしゃいましたように、大学というのは、これは自由で個性的な学術とか人材育成を通して社会に貢献することですね。当然そうです。
しかし、国立大学が、先ほど来おっしゃっていることは、非常に分かりにくいじゃないかということをおっしゃっているんだと思うんです。ですから、もっと透明性を高めて、それでアカウンタビリティーとこのごろ言いますけれども、透明性を高めて国民の理解を得るということが必要ですね。それと同時に、やはり計画なしに、学者というのはもう自分の専門のところをどんとやりますから、全体の計画が要りますね。
せっかく持ってきましたから、これ、私のペーパーの二枚目ごらんください。これ、右の方に白抜きで書いてある図は、五年ほど前に作った一つの組織の計画です。若干変わっておりますが、左の彩色してありますのが現在の姿です。後で見ていただいたら結構ですが、スケルトンは全然変わっておりません。立てたものを五年掛かって一つずつ実現していくわけですね。
その場合に、やはり国の関与、やり過ぎということもありますけれども、国民の税金を使うわけですから、こういう計画でこういうように実行する、しかも実行する能力があるということをお見せするということは当然であって、しかも何か、関与といいますか、関与という言葉じゃなくて、私は国が責任を取るべきだと思うんですよ、日本という将来の人材のために。そうすると、国がどこかで責任を持っているというところを示すべきだと思いますね。それが中期計画とか中期目標に対して国が関与という言葉で使われていることだと解釈しております。
○大仁田厚君 どうもありがとうございました。
幾つも質問をいろいろ考えてきたんですけれども、本当に時間が少ないものですから、参考人の方々にいろんな御意見をたくさんお伺いしようと思って、午前と違って午後はびっちりそろえてきたんですが、なかなか時間がなくて、もう最後の質問になってしまいまして。ちょっと省略させていただきます、この辺の分は。
いろんな意見は僕はあると思います。意見を闘わせるからこそ僕は進歩があると思うんですけれども、最近の現状を申しますと、僕は明治大学の学生なんですけれども、先生方、余り語ろうとしないんですね。僕が夢とかロマンを語ろうとしてもなかなか寄ってこない。何でこんなに学生が意見を闘わせないのかと僕は思っているんですけれども、僕が語り出すと黙って聞いているんですけれども。
僕は、僕はですね、この意見に対しては、基本的に僕は賛成なんです。なぜかというと、やっぱりこの時代背景というのはどういうものであるか。やっぱり二十一世紀にどういう人材を輩出しなければならないかということを考えたときに、今までのような僕は旧体制では駄目だと思うんです。ただ、ただ一つだけ忘れてはいけないのは、あくまで学校というのは、大学というのはあくまで教育の現場であり、自由に学問を学ぶ場なんであるということを踏まえながら考えていかなきゃいけないのは、確かに僕は原則としてあると思います。ただ、大きな変革を遂げるために、今が大きな僕はチャンスであると思うんです。
参考人の方々に最後に御質問いたしますが、参考人の方々に最後に質問ですが、大きなこれはチャンスだと考えるんですが、参考人の方々の、手短に一言一言、この時期になぜこの改革をしなければならないのか。そして、僕は、僕としては大きなチャンスであると考える。否定的な御意見でも結構ですので、僕は、今、これがチャンスだと思っております。それに対して、賛成であれば賛成という意見を述べてもらいたいし、反対であれば反対という御意見を述べていただきたいと思っております。
今日はありがとうございました。よろしくお願いします。
○参考人(松尾稔君) 私は、先ほどから申し上げましたように、どんな組織も制度疲労というものを起こしてきますので、これは私は、オオカミが来たとか黒船が来たというようには思っておりません。千載一遇のチャンスだ、これを生かさないとまた次の改革はないと思っております。
これが内発的に出てこずにですよ、外発的であるじゃないかという批判はよく出てきますが、これは日本のカルチャーですよ。経済の分野であろうがどの分野であろうが、内発的に物すごい改革をしたという例があったら見せていただきたいと思います。外発的でいいじゃないですか。千載一遇のチャンスだと思っております。
以上です。
○参考人(田端博邦君) 改革がいいかどうかということですね、問題でありまして、改革の内容が問題だというふうに思います。
それで、現在の法案の中身に盛り込まれております改革は、国立大学の教育研究の現場から見ますと非常に問題が多いというふうに考えております。現状がこれでいいんだというふうには必ずしも考えておりませんけれども、あるべき改革というものは別の方向で考えるべきではないか。
例えば、具体的に言いますと、私は、高等教育に関しましては、基本的には公共的な仕事として公財政によって賄われるべきだと考えております、私立大学を含めてですね。国際比較で言いましても公財政支出の割合が低い現状でありますので、そういうような方向での改革というものも含めて、多様な方向での改革は考えるべきだともちろん考えておりますが、現在の法案に含まれている改革については内容上問題があるというのが私の意見でございます。
○参考人(糟谷正彦君) 平成十一年四月の定員削減という閣議決定がある。閣議決定の重さというのは、私も役人をしておりましたからよく知っております。したがいまして、その枠内でやらなきゃいけない、これはもう至上命令だと思います。ただ、やり方がおかしい。もっとやりようが、いろんなやり方があるんです、研究すれば。
何でこんな、一番民営化と官営の悪いところだけ取ったような案になっているんですね。独立行政法人というのは民営化と官営の一番いいところだけ取るという制度なんですよ。だけれども、それをそのまま大学に持ってくると悪いところだけ取った制度になっているので、ほかのやり方をやるべきだと、同じ法人化するにしてもですよ。それは技術的に可能なんです。それが私の意見でございます。
○大仁田厚君 最後ですけれども、もう時間がなくなったもので、是非ですね、是非、僕は大学の在り方って、学校の在り方全体ですけれども、本当にこの二十一世紀に、また二十二世紀、二十三世紀にどういった人材をこの日本の国が輩出していくか、もうそれに尽きると思います。御意見はいろんな意見があると思いますが、その中から最も正しい意見を抜粋しながら議論を続けていきたいと思います。
今日は、参考人の方々、どうもありがとうございました。
終わらせていただきます。
○岩本司君 先生方、本日は誠にありがとうございます。民主党・新緑風会の岩本と申します。
様々な角度から、もちろん国民の皆さんの代弁も含めて質問をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
まず、松尾参考人にお伺いしたいんですが、中期目標の決定、また中期計画の認可、これ文部科学大臣が行うと。これは、国のといいますか文部科学省の権限が強くなるんではないかというふうに心配される国民の皆さんも多いわけであります。先ほど思い切った改革が必要だと先生おっしゃって、私もそう思うんです。
松尾先生にお伺いしたいのが、本当に先生先ほどおっしゃったのが思い切った改革なのかなというふうに思うんですね。これは国がもっと大学を自由に、こういう目標なんかは大学が僕は作って、大学独自でやっていくべきだと思うんですけれども、いかがでございましょうか。
○参考人(松尾稔君) 簡単に申し上げます。
私は国の権限が物すごく強まるというふうには考えておりません。といいますのは、目標といっても、相手の大学は九十もあるわけですね。それを文部大臣が、しかも個性化と多様化こそがこれから二十一世紀に必要だと思います。各大学が個性化、多様化ということを目指す場合に、大学の意見を聴取したり意向を十分くみ上げたりせずに勝手に示して与えるということは私は不可能だと思っておりますし、法律にも若干そういうことは書いてあると思っておりますので、その点は十分やっていけると思っております。
それぐらいでよろしいでしょうか。
○岩本司君 もう一度松尾先生にお伺いしたいんですが、それぞれの大学で資産も、また借入金、借金ももう様々なんですよね。それで、そういう点についてはいかがお考えでございましょうか。
○参考人(松尾稔君) 今のところ私どもが伺っておりますのは、現在の資産といいますか、このものはそのまま法人に移して、債務の方はシステムというところへ移して順次返していくというふうに聞いております。
私はこの辺の専門家ではございませんのでよく分かりませんのですけれども、この教育システム、研究システムというものは内部的にはあるいは非常にドラスチックに変えていくべきだと思うんですが、しかし財務の面でひっくり返るようなことは非常に難しいのではないかと、このように私は思っております。
ただ、どうすれば一番いいのかということは、よく自分としても分かりません。
○岩本司君 ありがとうございます。
三人の先生方にお伺いしたいんですが、中期目標や中期計画なんですが、これを届出制にしたらよいのではないかという御意見もあるんですけれども、その点について、よろしくお願いいたします。
○参考人(田端博邦君) 中期目標の届出ということですね。大臣が定めるという方式よりも私は望ましいと考えています。ただ、届出の受理が自動的に受理されるというような形に制度を作る必要はあると思いますけれども。
○参考人(糟谷正彦君) 私は、長期目標とか長期計画あるいは業務方法書、そういうものは要らないと思っております。法律に簡潔に書けば、どういうことをやるかというのは分かっておるわけでございます。
あとはそれぞれの大学の白書で、どこの大学もそうでございますけれども、うちの大学はどういうことを目指すんだということはちゃんと書いてあるわけでございます。それを見ればもうはっきりしているんです。大阪大学だと、地域に生き世界に伸びる、それを敷衍したのが書いてございます。それで十分でございます。
○参考人(松尾稔君) これは、やはり国民の税金を使っていくわけですね。したがいまして、何か、例えば計画の中に書き込むということ、それを認可するということは、必ず、それは計画ですから、それをお金で保障することでないと実効性を持った計画とは言えませんね。
ですから、必ず何らかの審査的なものが入ってくる、評価的なものが入ってくると思います。例えば、部局等も勝手に書くということになりますけれども、私は大学設置審査の委員をしておりますけれども、書いたら何でもお金を付けて、そこへどんどんどんどん勝手にお作りなさいということで果たして国民が納得されるだろうかと思いますね。
したがいまして、届出制は非常に良いように思えるんですが、しかし、そこに一定の評価とか審査とか、そういった類のものが入って認可するという形を取らないと無制限になってしまうと、このように思っております。
○岩本司君 ありがとうございます。
また一歩踏み込みまして、目標と計画の策定過程を一部一般にもっともっと公開することで、国立大学の運営に対する幅広い御意見等をいただきながら運営していくと。もちろん、大学のパンフレット等にもそれは書いてあるとは思いますけれども、もっと情報公開していくと。この点について御意見をお伺いしたいんですが、三人の先生方、よろしくお願いします。
○参考人(田端博邦君) 中期目標の制度を法律的に定めた場合は、そのような素案段階といいますかね、から公表するという方式は望ましいと思いますね。
○参考人(松尾稔君) 私も、もう徹底した公開が必要だと考えております。おっしゃるとおりだと思います。
○参考人(糟谷正彦君) 情報公開は当然でございまして、現在も白書がございます、ホームページがございます、もうあらゆるところでパンフレットも一杯出ております。各大学へいらしていただければ、その大学の目指しているものははっきりいたしております。
○岩本司君 ありがとうございました。
次に移らさせていただきたいんですが、評価結果に基づく運営費交付金の配分の在り方ですね。これ、この配分の在り方なんですが、将来的に私立大学も、国立大学が独立行政法人化されるわけですから、もう何というんですか、同じように扱ってもらえないかという意見は、これ当然将来出てくると思うんです、今でももう出てきておりますけれども。この点について、三人の先生方に御意見をお伺いしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
○参考人(田端博邦君) 私立大学についても運営費交付金的な交付金をすべきだという御意見でしょうか。
○岩本司君 今でももちろん交付金といいますか、国からのお金は出ているわけですけれども、もっと比率を上げてくれと、私立に対する、そういう御意見が当然、そういう議論が当然近い将来もう起こってくると思うんですね。この点についてお願いします。
○参考人(田端博邦君) 私の考えは先ほど述べましたように、今の問題については賛成の考えであります。
基本的には、公教育一般がそうでございますけれども、高等教育における教育や研究の活動というものは市場ベースでは成り立たないと考えております、私は。いや、理論上はそれでもやれますけれども、そうしますと学生の負担は非常に膨大なものになることになりますので、そういうふうにすべきではないと考えておりますので、本来の在り方としては、私立大学を含めて公財政による支持というものを厚くする必要があると考えております。
○参考人(松尾稔君) 私も大体同じことですけれども、まず前提として、高等教育研究に掛ける国費全体を上げるべきだ、もっと多くすべきだと、こういうように思っております。
それから、大学は、国公私立を問わず全部国際公共財と私は考えておりますので、そういう意味で、このごろよくイコールフッティングという言葉が使われておるようでありますけれども、そういうことには原則的には私は賛成なんです。
ただし、それは賛成の部分と、賛成といっても、全部、何もかも全部賛成と言っているわけじゃなくて、例えば研究とか、競争に掛かる部分ですね、競争が対象になる部分については、国立も私立も無関係にその競争に参加できるというように私はすべきだと思います。
ただ、教育とかの面に関しては、私立の場合は私よく知りませんが、それぞれの建学の精神とかいろんなものがありますから、単に、簡単にお金の配分を云々するというようにはまいらないかもしれないと、こういうように思っております。
○参考人(糟谷正彦君) 資料、私の配っております資料Cをごらんいただきたいんですけれども、国公私立を問わず、我が国の高等教育のグランドデザインというのをどう考えるか。大学の機能、目的に従って配分をする、それが必要だと思います。その場合に、別に国立だから、私立だからと区別をする必要はございませんけれども、それぞれ大学の果たしておる役割というのは違うわけでございまして、そのことははっきりさせて助成していくべきだ、そういうように考えております。
○岩本司君 ありがとうございます。
また、外部資金の導入、ちょっと時間限られていますのでどんどん進ませていただきたいんですけれども、研究費を集めるために、現実的には大学の事務職員の方々が各企業に、先ほど学長さんが、総長さんが企業に行ってお金、寄附をお願いしたという話もありましたけれども、寄附か研究費か僕はちょっとあれなんですけれども、分かりませんが、そういう事務職員の方々が外に営業にしていくことも十分にこれ考えられるんですが、この点についてはどうお考えでしょうか。いいか悪いか、お願いします。三人の先生方。
○参考人(田端博邦君) 私は社会科学分野でございますので、そういう経験がないので何とも言えないんですけれども、直観的には余り望ましくないと考えております。
それから、高等教育の財源について言いますと、国際比較的に見まして、アメリカを含めて欧米諸国の大学も、日本の大学ですね、やはり公財政の部分が非常に圧倒的な部分を占めておりまして、産業界からの財源の提供という割合はそれほど高くないですね。ですから、余りにそちらの方に傾斜するように考えるのは非現実的であると私は考えています。
○参考人(松尾稔君) 私は、基本的にはそういう事務職員が営業的にお金を集めて回るということには賛成できません。外部資金の場合、研究費、大きく言えばまず研究費がありますね。こういうものは研究者の努力によって競争的に取ってくるというものです。もちろん、その処理とかに関して事務職員の協力を得なければできませんけれども、それは研究者がやるべき問題だと思っております。
もう一つ、しかし私どもは、この間、名古屋大学の場合ですが、十万人規模の全学の同窓会を設立しました。ここにはかつての職員の方も全部入っていただいております。それはこの大学の応援団を作ろうということでございまして、そういうところではかつての事務職員であったり、現在の事務職員の方にも御協力をいただきたいと、このように思っております。
○参考人(糟谷正彦君) 外部資金、企業からの寄附というようなことを想像していらっしゃるんだと思いますけれども、これは単に事務職員が向こうの下っ端の職員のところへ行ったからといってらちの明く問題ではございませんで、私もいろいろ、いろんな基金を回ったことございますけれども、芸術文化振興基金やりますときにも会社を回りましたし、いろんなところ回りますけれども、これこそ正に総長、少なくとも学部長以上のクラスの人が向こうの社長とか副社長とじっくり話し合って、いただけるというものなんですよ。そんなの事務職員が行ったって門前払い食うだけでございますから、それはやめた方がよろしいと思います。
○岩本司君 ありがとうございます。
終わります。
○山本香苗君 本日は貴重な御意見どうもありがとうございます。さきの二人に重ならないような形で質問させていただきたいと思います。
まず初めに、松尾先生の方に、今までユーザーの視点が欠けていたというところで、もうちょっと掘り下げたお話をお伺いしたいと思います。
ユーザーといえば学生もユーザーでございますが、学生というものの視点というのが、午前中の質疑の中でも視点として抜けていたんじゃないかということが委員の中から出てまいりました。学生にとって、これが、この法人化が行われることによってどういったメリットがあり、また貴大学におきましてはこのメリットをどのように学生に還元していこうとお考えになっていらっしゃいますか、具体的なお話をお伺いしたいと思います。
○参考人(松尾稔君) 私が若いころは、学生の立場なんて本当に考えておりませんでしたですね。しかし、こういう大改革をやっていこうとすれば、学生を参加させるのではなくて、参画させる、共同作業者だと私は考えております。そういうことを学生によく話をするんです。そういう仕組みを少しずつ作りまして、どういうような例えばプログラムを組んでいけばいいかというところにまで彼らの意見が入ってくるようにしたいと、こういうように考えますし、もっと身近なところでいいますと、よく先生御存じのように、最近は学生の方の評価というのがありますね。昔は教官が学生に評価なんかされてたまるかということだったんですが。これは捨てたものじゃありませんね。数年たちますと、非常に正確に出てきます。彼らは非常にきちっと見ていますね。
ですから、それはやはり、そうすると、学生のもっと視点に立った教育の方法とか知識の伝達の方法、それを考えようということはおのずから出てくるわけであって、そういう意味では非常に互いにプラスになっていくんじゃないかと、このように思っております。
○山本香苗君 今、松尾先生の方からこういった御意見ございましたけれども、田端先生の方は、一教授として学生さんと接していらっしゃって、いわゆるこういった学生も参画していくような大学になってくると、そういった意識を学生に芽生えさせるというか、持たせるためにはどういった御苦労があるとお考えになられますでしょうか。
○参考人(田端博邦君) 私は実は研究所に勤めておりますので、大学院生しか付き合っておりませんので、恐らくイメージされている学生が違うかもしれないんですけれども、私自身は、学生を大学の一つの主役としてしかるべく位置付けることは当然必要である、場合によったら管理運営に関してもボードのようなものに学生が参加するということもあり得る。これはドイツ、フランスなどそういう制度もございますということでございます。
それから、ただ、今御議論になっておられますような教育評価について言いますと、教育評価については非常に難しいというのが、例えばイギリスなどでは、十五年間の経験に基づいてそういうことが言われているんですね。教育評価の効果というものは非常に疑わしいというのが大多数の意見になっているという現状でございますので、どの程度そういうものが有効に機能するかどうかは不安があるというふうに思っております。
それから、教育評価については、学生評価、東京大学では、例えば駒場のキャンパスなどでは、義務的なものではないようですけれども、試行的に行っております。必ずしもこれは法人化とは関係ないということですね。
○山本香苗君 ありがとうございます。
次に、糟谷先生の方にお伺いしたいんですけれども、先ほど、事務量が増えていくんじゃないか、それが徒労に終わっちゃいけないというお話ございましたけれども、実際、事務職の方々、仕事が来た、やらなくちゃいけないという気持ちになるわけですよね。それをこなしていかなくちゃいけないわけで、そうした中で、事務職の方々の改革だとか、教員の方々のいわゆる更にもっと能力アップしていくようなことが必要とされていくように思うんですけれども、こうしたものを現場から見ていてどのような御感想というか、これを良くしていくためにはどういった方策があるとお考えになられますでしょうか。
○参考人(糟谷正彦君) 資料Dでお配りをしておりますこの最後のところをごらんになっていただきたいんでございますけれども、現場のいろんな事務は増えてまいります。定員削減は掛かってまいります。教官の方はそれほど掛かりませんけれども、事務職員の方はすごく掛かってまいります。そのときに、今おっしゃいましたように、改善をする、やる気を出すというためには、いわゆるQCサークル、そこへもちょっと書いておきましたけれども、自発的な改善案というのを下の方からどんどん出してもらう、それを吸い上げていく、そういうやり方というのを、私も大阪大学におりましたときに努力をしてやっておりますけれども、それも一つの方法ではないか、そういうふうに考えております。
そうしますと、本当に自分が担当している仕事、それをどう変えた方がいいかというのをいろいろ意見を上げて、それで変えていく、それによって事務の改善がなされていくと、そういうことになるんだと思います。
それで、最近は組合もおとなしくなってまいりましたので、昔はそういうことをやりますと、それがすべてのサボタージュにつながると、そういうようなことがございまして、なかなかやりにくかったわけでございますけれども、最近はそれもうまくできるようになってきておりますので、それが一つの方法ではないかと。私は、現にそういうふうにして事務局長のときにやりました。
○山本香苗君 ありがとうございます。
それで、松尾先生の中にもう一つお伺いしたいのがあったんですが、先ほどの、非公務員型に今回なるということで、人事交流、どういう形でやっていくべきかという問題提起がございましたけれども、この点につきまして、文部科学省から行ったり来たり、いろんなことがあるわけですね。この点におきまして、松尾先生と糟谷先生の方にこの人的交流につきましてどういうふうにやっていくべきか、また危惧される点はどういったことがあるのか、お伺いしたいと思います。
○参考人(松尾稔君) 私は、まさか非公務員型になるとは思いも寄りませんでした。それで、この点だけは非常にショックを受けました。それは、一に人事の交流活性化の問題です。
聞くところによりますと、今、文部科学省本省に全国的に動く人が千二百人かおられると聞いておりますし、大学の現場に千二百人ぐらいいると聞いております。その人たちといつも話しながらやっていますが、しかし、今度は法人の長が当然人事権を持つわけですから、私がその人の立場になりますと、入ったときの約束と違うわけですね。入ったときは、全国を回って力を付けて偉くもなっていこうと、こうお考えになっていたのが、ある日突然変な総長、学長のところへ行ったら絶対止められて動けなくなるということでは、これは約束が違いますね。ですから、やはり人事が活性化を持って動くような工夫をしていく必要があると。
それで今、国大協ではどういうシステムが考えられるかということを今一生懸命議論している最中です。しかし、何とかしなければならない。同時に、文部科学省の方にもそれは真剣に考えてもらいたいということを申し上げております。
例えば、よく文部科学省にそういう、簡単にお話ししますと、知事さんとか副知事さんとか何かそういうなのが各省からおいでになりますね。そういう方法も考えられますということはおっしゃいますけれども、それじゃこれ要りませんから本省で採っていただけますかと言ったら、うんという、ううんちょっとという話になりますので、やはりシステムとして考えて、ここは本省が全部そういうことを支配するということじゃなくて、国立大学は新しい協会を今作ろうとしておりますから、それと本省とやはり非常にオープンな形できちんと対峙して、話し合って、そういう現実におられる全国型の方たちの意欲が喪失されないようにしていく努力を我々していかなければいかぬと、このように思っております。まだしかし、国大協でもこれだけはまだ結論が出ておりません。
○参考人(糟谷正彦君) 非公務員型になって、それぞれの法人、独立ということにいたしますから、もう非常に人事交流、少なくとも事務職員の人事交流はやりにくくなる、これはもう明らかでございますね。
それからもう一つは、非公務員型に、公務員でなくなったということで、採用の段階、それがそれぞれの各大学でやはり難しくなるんではないか。やっぱり、地元では公務員志向というのはやはりまだ残っておりますので、それで法人に入れば一か所じっとそこに定年までいるというようなことになりますと、非常に難しい問題を抱えるんじゃないかと、そういうふうに想像をいたします。
○参考人(松尾稔君) 議長、よろしいでしょうか。
○委員長(大野つや子君) はい。松尾参考人。
○参考人(松尾稔君) 一言申し忘れました。
教官につきましては非公務員型で一向に問題はないと考えております。現実に今も非公務員型と一向に変わりません。私があくまで申し上げているのは一般の職員の問題でございます。
○山本香苗君 ありがとうございます。
あとわずかになってまいりましたけれども、先ほどちょっと評価のお話が出てまいりました。
田端参考人の方に最後にお伺いしようと思うんですけれども、教育についての評価は難しい、また研究についても評価が難しい、そういった話は午前中にもございました。
信頼足り得る評価結果というもの、これをどうやったら出すことができるのか。実際、この形でやっていくと、評価という形がどうしても、始めを決めておいて、入口のところで計画と目標、それで出口のところでという話で関与をしていこうというこの文科省の考えの中では、この評価がすごく大事だと思うんですけれども、そこの辺りについてのお考えをお伺いしたいと思います。
○参考人(田端博邦君) 恐らく、現段階では適切な評価の基準や方法は確立していないと思います。ですから、法人化をして評価制度を取り入れるというふうにした場合に、うまくは回らないのではないかと私は考えております。
一般的に言いますと、研究評価というものについて言いますと、研究者にとっては学会の中での活動において非常に激しい競争と評価があるわけですね。ですから、それと別に行政的な手続において評価をするというような作業が本当に研究者の研究という面から見ますと必要かどうか非常に疑わしいと考えております。
○山本香苗君 以上です。
どうもありがとうございました。
○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。
本日は本当にありがとうございます。
まず、田端参考人にお伺いしたいと思いますが、先ほどのお話の中で、今回の法案の出発点が行政改革だった、もし出発点が本当に大学改革であったならば今日異なったものになっていたのではないかというふうにお話をされました。
大学改革というのならばどういうものであるべきかとお考えでしょうか、その点を伺います。
○参考人(田端博邦君) 基本的には、研究、教育の自由というものが確保されるというのがあらゆる形態の改革の枢要な点だと思います、大学について言いますと。それを侵すような形の改革というのは改革としては望ましくないと考えております。
それから、改革のバラエティーという点でいえば、法人化ということも一つの選択肢としてはあり得ると思いますけれども、今回の法案の法人化では様々な問題がありまして、いわゆる間接方式と言われる方式になった問題とか、それから行政的な関与が非常に強過ぎるとか、様々な制度設計上、法人化といっても様々なバラエティーがあり得るわけですね。そういう点で、本来、大学を改革するという大学の研究教育の現状から出発して国会でも議論をするということであれば、恐らく現在の法案のような形の方向にはならないのではないかというのが私の考え方であります。
それから、更にちょっと実態的なことを付け加えますと、今回の法案の趣旨として遠山大臣は大学の教育研究の活性化ということを言われているんですけれども、活性化という面からいいますと、教員だけではなくて職員の方々の仕事が、仕事ぶりが活力あるものになるということは必要だというふうに思います。
そういう点からいいますと、現在の国立大学は非常に深刻な問題を抱えておりまして、非常勤職員が非常に多いという問題があります。かつ、こういう方、非常勤職員の方については、仮に法人化するといった場合に雇用が継承するかどうかということも現在の法案では全く確定していない状況なんですね。
それから、正規の職員も含めて労働環境が非常に悪化しておりまして、サービス残業であるとか年休が取れないという状況が非常に広く広がっております。国立大学の外側から見ていますと、しばしば護送船団でぬくぬくしているというふうな議論があるんですけれども、国立大学の中で仕事をしている者から見ますと、状況は非常に厳しい。
ですから、そういった職場環境なり労働環境を改善し、向上するということも大学の教育研究を活性化する上での不可欠の条件であると私は考えております。
○畑野君枝君 先ほど、職員の非公務員化については望ましくないという御意見がありましたが、田端先生は、併せて教官の非公務員化という点も含めてどのようにお考えになりますか、それぞれ、教官、職員含めて。
○参考人(田端博邦君) 教官の非公務員化につきましては、法律制度の面からいいますと、教特法の適用がなくなるということで、学問の自由を守ってきた身分保障がなくなるとか、それから、教特法の中に実は人事権についての教授会の権限などが書かれておりますので、あるいは学長の選考、評議会による選考とか大学の自治の枠組みもなくなるということで、それ自体非公務員化することで学問の自由を保障する身分保障と同時に大学の自治を保障する法システムというものが揺らぐという問題がございます。ですから、国立大学の制度というものからして非常に重大な意味を持っているというふうに私は考えております。
ただ、一般的に、もう少し一般的に言いますと、先ほど来、私申し上げておりますとおり、大学あるいは高等教育というものは本来的に市場でペイするような企業のような活動ではございませんので、その中での働き方も企業のようにはいかないという面があります。特に、研究教育という面でいいますと、一定のタームで成果が目に見えて出てくるとか、そういうことが必ずしも保証されない仕事であるわけですね。ところが、そういう世界において、現在の法案が通りますと、これは法律文書、法文には書いていないんですけれども、人事管理も民間のように任期制をたくさん導入するであるとか、業績主義的な給与を採用するとかという構想がいろいろなところから語られております。こういった企業的な人事管理システムというのは、私は、大学であるとか高等教育の非常に公共的な性質を持つ仕事の世界には余りなじまないというふうに考えておりますので、一般的には非公務員化は望ましくないというのが私の考えでございます。
○畑野君枝君 関連して、大学運営組織の在り方について三人の参考人の方に伺いたいんですが、田端参考人は今少しお触れいただきましたけれども、今回の法案で言われている大学運営の組織の在り方についてどのようにお考えになりますか。
○参考人(田端博邦君) 参考人の糟谷さんが屋上屋を重ねるというふうに言われたんですけれども、私も同様に考えておりまして、管理運営組織そのものは余りよくできていないというふうに考えています。
特に、教育研究の現場で働いています教員ないし職員の大学の管理運営に関する発言力が非常に弱まるという仕組みになっているんですね。大学の財務、会計というのは、大学の、法人化した場合には法人の運営に言わば生命線を握るような非常に重要な問題ですけれども、そういった問題が経営協議会と役員会で基本的には処理されるという構造になっておりますので、研究教育に携わる教職員の発言権が及ばないという点では非常に問題が多いというふうに考えております。
○畑野君枝君 次に、関連して松尾参考人にお伺いしたいんですが、今年の二月に法案の概要が出されたときに、各国立大学、二十四大学から、とりわけ運営や管理などについての懸念が出されたというふうに思います。ある大学の方は、安全性の概念からいえば、物事は安全だと言う人より危険だと言える人に任せた方がより安全であるというような御意見もあったかというふうに思いますけれども、こういう懸念についてどのように払拭される必要があるのか、国大協の副会長さんとしてのお立場含めて伺いたいと思いますし、あわせて、地方大学のことに先ほど触れられましたけれども、国会の参考人の方からもこれへの懸念が非常に多うございますし、午前中は小規模大学あるいは人数の少ない研究所の存続の問題でもいろいろな懸念が出されていると思います。その点について併せて伺いたいと思います。
○参考人(松尾稔君) 御質問は非常に幅広いですので何からお答えしたらいいか非常に難しいんですけれども、大学の運営に、私も工学部長をやっておりましたのが五十二、三歳ですし、十数年前ですが、ずっとやってきまして、教授会とか、教授会の位置付けとか自治とか、そういったものが、これは今は非常にあいまいになっておりますが、私の大学では、今その位置付けを一生懸命考えているところです。
しかし、大学というところは、先ほど申しましたように会社のようなところじゃありませんので、各教官は、助教授、教授とは関係なしに、そういう身分とは関係なしに一人の研究者であり教育者ですから、ベクトルはあっち向いたりこっち向いたりしているわけですね。しかし、そういう人たちの多くの意見というものを無視して組織を運営していくということは、およそ不可能だと私は考えております。したがいまして、今度は評議会が、教育研究評議会ということになりましたかね、しかし、その評議会がそういう構成員の、研究者とか教育者の意見を吸収しつつ動かしていけると思っております。
それよりも、むしろ、先ほどから自治というのがありますね。大学の自治、学問の自由、これはもう私は当然のことだと思います。思います。ただ、それはいつも保障されなければならないという、これが私としては個人的にはどうもしっくりしない。大学の自治とか学問の自由というのは、自ら守るものであって、そういう意識でやっていって少しも心配な点はないと思っております。
もう一点だけ。それで、先ほど、外部から入ってきます、これはね。だから、外部の人はむちゃなことばっかり言うとお思いかもしれないけれども、先ほどユーザーの視点ということを申し上げましたように、優れた外部の人というのはこちらが全然気が付かないようなことをぴしゃっと言いますね。ですから、そういう大学のこういう経営の場合、運営の場合も、優れた外部者をいかに探すかということが大切だと思っております。
もっとたくさん言いたいことはありますけれども、時間がありません。
○畑野君枝君 あわせて、地方大学、これが衰退してくるのではないかと、していくのではないかという御意見について。
○参考人(松尾稔君) 地方大学は、私が先ほど言いましたように、もう非常に大切だと思っております。地方大学の果たしてきた役割は、先ほど申し上げましたのでもう繰り返しません。
地方は、今度そこでやはり個性化ということと多様化ということが出てきますね。名古屋大学も決して、これ一地方大学です、生き残れるかどうか分かりません。ですからやはり、そうしますと、一生懸命個性化を図るでしょうね。あるいは、それで、どういうんでしょうか、小さいというデメリットがありますね。それは、例えば今日、午前中、佐々木さんがどういう発言したか分かりませんが、新国大協の設立委員長です、今。ですから、やはり大きい大学だけが調子がよろしいということでないような連携組織を私は作るべきだと思っておりますし、そこで不利益な点が出たところは全体で考えていかなければならない。
一方で、しかし小さいから余計プラスの場合も私はあると思いますね。うちなんかですと、十三部局あるんです。もうもう勝手なことを言いますよ。なかなか意見集約に物すごい時間が掛かる。そういうふうなのはこの個性の発揮という意味ではかえって動きやすい点も出てくるかもしれないと思っております。
○畑野君枝君 糟谷参考人に伺いますけれども、先ほど教授会の位置付けの問題がお話しされました。運営組織の問題含めて、加えておっしゃっていただくことがあればお願いをいたします。
○参考人(糟谷正彦君) いや、もうここに書いてございますように、屋上屋を架す会議だからこれはもう一つでいいという。それから、教授会の自治、これは非公務員型になったら直ちに消えるんだという、それみんな思い込んでおりますけれども、そうじゃないんですよ。これは放送大学学園法の、古い方の放送大学学園法の条文を見ていただけると分かるんですけれども、前の放送大学学園法の二十一条六項、七項という規定がございます。これは、教員の免職、降任のときには評議会にかけろということをちゃんと特殊法人の法律の中で書いているんですよ。今度だって書けば書けるんですよ。非公務員型になったから全部消すんだという、それがおかしいんですよ。だから、それだけは守らなきゃいけない。
これが正にそのジュリストの藤田教授の論文に書いてあるその線なんですよ。そこを何ではみ出してしまったのかというのが私は分からない。あの論文は是非先生方お読みいただきたい。非常に丁寧に分かりやすく書いてある。あれだけ分かりやすく書いている論文は私はないと思います、あの大学の先生があれだけ易しく、かんで含めたように書いているのは。
それで、あの線からどう工夫するかというところがスタートなんです。出てきた法案、がらっと変わっちゃっているという、そこが一番問題だというのが私の意見なんです。
以上でございます。
○畑野君枝君 ありがとうございました。
○山本正和君 どうもお疲れさまでございます。どうぞよろしくお願いします。
最初に松尾先生にお伺いしたいんですが、先生からいただいたこのメモで、メモの二ページのところに、独立行政法人化の方向を検討という平成十一年の段階から国立大学法人像についてという最終報告に至る経過があったと。それで、この最初の独立行政法人化の検討の段階では、独立行政法人ということについては反対と、こういう意見が多かったし、先生もそういうお考えであったというふうに聞いたんですが、そこで国立大学法人ならばこれはよろしいと、まあよろしいというか、やむを得ないというか、この段階ならばというふうにお考えになったと、こういうことを最初お聞きしたんですけれども。
なぜ、この独立行政法人という段階と、今度の国立大学法人という段階で、どこがどう変わったのか。これによってどれだけ、例えば大学本来の機能というか、オーソリティーとは言いませんけれども、そういうものが保たれるようになったのか、その辺がちょっと私が分かりにくかったものですから、御説明いただければと思いますが。
○参考人(松尾稔君) 私は独立行政法人通則法をそのまま適用されるのは絶対駄目だと思っておりました。それで、実は七、八年前からと書きましたが、随分これは、しかし必ず大学へ及んでくると、行革の問題もありますからね。随分いろんな人に話をしましたが、一般の大学の人はほとんど気にしませんでしたね。私は心配でございました。
独立行政法人通則法では、例えば一つの大きなポイントは、先生指摘しろとおっしゃいましたので申し上げますが、企画立案の機能と実施機能を切り離すということがありますね。これはある種の分野では非常に効率よく働くと思いますが、研究とか教育という分野では常なるフィードバックが必要ですので、その点で私は非常にこれは駄目だと思いました、このままでは。
それから、通則法の場合にはすべて中期計画、中期目標から始まっております。しかし、大学とか教育というのは、教育百年の計と言いますけれども、そこまで長くなくても、長期目標なくして中期計画とかそういったものは出てまいりません。
それで、そういったものを、初めは独立行政法人特例法というような用語も最初の松尾レポートでは使っております。しかし、それと同時に国立大学法人法というものも考えまして、通則法というのはともかく、専門家に聞くと、百年に一本出るかどうかの物すごい大きな柱だと、この柱を土台から変えるなんてなものは大学人のちょっとやそっとじゃ駄目だ。
だから、それの中で何とか大学の特性を生かすということ、ほかにもありますが、今の企画立案機能と実施機能とのあれ、それから長期の目標、そういったことが大きいと思います。それが入ってくるような法律にしてもらいたいということであります。
○山本正和君 そこで、今度の法人、今度の法案ですね、文部省の法案が、実はそれで私もそこのところは心配で検討したんですけれども、どうしてもやっぱりいわゆる独立行政法人のその施策の中に含まれている部分が脈々と生き残っておると、というよりも、そのポイントが抜けてないような気がしてならないんですね。
これは、参議院はまだこれで委員会質疑は一遍しかやっておりませんけれども、そこで文部大臣に繰り返しそこのところを詰めている最中なんですね。特に、有馬先生からも大学の学問の自由それから大学の自治、こういう問題に関してきちっとしたものにしないといけないよという趣旨の御質問等もあって、文部大臣もそれに答えてはおるんですけれども。
それから、法律を読んでみると、どうしてもそこのところが、法律上なぜこれを書くのと、そこまで答えるんならば、これを抜いてもいいじゃないかというところがあるのが、いわゆる文部省の認可とそれから指示ですね。そこのところはやっぱり私は、ですから、表現がなぜ独立行政法人と同じ表現でそれを使うのと。国立大学法人ということでするんならば、少なくともそこは違うよと、教育の方は違うよというものが法律になくちゃいけないとこう思うんですけれども、それについては先生のお考えいかがですか。
○参考人(松尾稔君) 大変難しい御質問ですが、私もその中期計画、中期目標ということよりも長期ということが大事だということを申し上げました。
それから、しかし通則法というのは物すごい大きいどん柱なので、そのエレメントは使うべきものは使わざるを得ないといいますか、そうでないと法律はできないというように専門家から聞きました。私、工学部ですので、法律の専門家ではございません。しかし、使う場合に、それは使うと、しかし使うときに、そうしたらその通則法のどん柱のまたその一番のポイントは中期目標、中期計画であると。これを抜きにするということはできないと。ですから、そこはできるだけ大学の要請が入るようにいろんなことをお願いしました。
先生がおっしゃいました関与、届出の問題ですね。私も初めは届出の方がいいんじゃないかと思ったんですよね。しかし、一方で、国はどこで責任を取ってくれるんだろうということを考えました。そうしますと、例えば部局とか学部ですね、そういったものは全部もう省令に書かないということになりましたですね。それはいかにも自由に任せるからということでいいんですけれども、どこで予算的なことを責任を取ってくれるのかと。そうすると、このどん柱のここで、実質は我々が作らないと、文部大臣、目標を名古屋大学に与えるというようなことはできないと思いますよ、私は、こちらで一生懸命相談してやらないと。
ですから、実質はそのようにさせていただいて、しかし認可はしっかりしていただいて保障をいただくと、ちょっと勝手な言い方ですけれども。そんなふうに思いました。
○山本正和君 これはひとつ、先生、是非また文部省とお話合いをしていただきたいと思いますが、私の方に聞こえてくる話は、やっぱり、法制局というものがあって、法律上の建前はいろいろあると、片や独立行政法人というものを作って行政改革をしようとしているんだと、その中の一環であるということを明確にするためには、文部省の言う気持ちはよく分かるけれども、こういう表現にしてほしいというふうなことがまことしやかに今言われているんですね。
ですから、本当に、いわゆる独立行政法人では駄目ですよと、だからせめて国立大学法人にしなさいということを言った以上は、そこはもう一遍文部省は私は再検討すべきだというふうに思っているんですけれどもね。これはまた、先生、後ほど文部大臣とお話合いをしていただきたいと思います。
○参考人(松尾稔君) 私もお願いします。
○山本正和君 そこで、次に評価の問題について、これは田端先生、もう時間がありませんので、糟谷先生、お二人とも、こういうことを入れることがいかに困難であるかということについてのお話ございましたので、そこをもう少し御説明いただきたいと思うんですが、大学評価の方のですね。
○参考人(田端博邦君) 評価については、数量的な評価は一番客観的だと言われておりまして、論文数であるとか論文引用件数とかと、こういうふうな尺度は通常用いられるんですけれども、その方式は、致命的な欠陥は質ですね。引用度ということで大筋はできるんですけれども、本当にイノベーティブな研究といいますか、まだ学会のメーンストリームになっていないような研究、こういうものはある意味で見落とされるということがありますので、評価の方式も使い方だと思いますけれども、それを過度に重視するのは望ましくないと思っております。
○山本正和君 糟谷先生、お願いします。
○参考人(糟谷正彦君) 教育研究の個々の業績というのは評価可能だし、評価できると思いますし、現に厳しく評価されていると思います。しかし、組織を評価するというんですよ、業務を評価するというんですよ。それはできない。
評価書作れと言われて、私、事務局長として作るとすれば、本当、これ何を書くのか。美辞麗句を山のように書くんですかという。それで、評価する方はどういう基準で評価するんですか。だから、そういう無駄な作業はやめた方がよろしいということなんです。
じゃ、どうするんだ。やはり大学の目的、機能がそれぞれ違うんですから、おたくの大学はこういう方針でこういうふうなところに重点を置いてもっと発展しなさいよ、この大学はこういうところに重点を置いてもっと発展しなさいよ、地元に貢献しなさいよ、そういう大まかな方針だけを示せばいいんですよ。それ以上何が評価できるんだ。これはもう本当に紙の無駄だと思います。
以上でございます。
○山本正和君 本当にありがとうございました。
私も、大学を変えなきゃいけないというのは大賛成ですし、改革に取り組まなきゃいけないというのは。ただ、いろいろと問題点とかあることをお聞きいたしまして、特に松尾先生からは、直接かかわられた立場で御苦労をいただいたと思いますが、今後ともひとつ何かと文部省にも、また私どもにもお申し付けいただきますようお願いいたしまして、これで終わります。
どうもありがとうございました。
○委員長(大野つや子君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしましてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
本日はこれにて散会いたします。
午後三時六分散会