福島原発災害 ― カタストロフィーと放射能被害拡大を防ぐには

佐賀大学理工学部(教授) 豊島耕一

「反戦情報」2011.5.15に掲載
PDF

敗北の日

 今も進行中の福島原発大災害,その始まりの“3. 11”は,原発推進派にとってはもちろん,反原発派にとっても大敗北の「記念日」となった.反原発運動の最大の目的は,言うまでもなくこのような大災害が起きるのを防ぐことであった.そのことに最大の規模で失敗してしまったと言える.放射能の放出量こそ(今のところ)チェルノブイリより少ないとされるものの,3基の同時炉心溶融,水素爆発,さらに4つの燃料プールの破損,水素爆発という,前代未聞の「同時多発大事故」を許してしまうという形で,失敗したのである.私自身,核兵器の問題と並んで,原発の危険性については折に触れて発言し,行動して来たつもりであったが,結果的にその努力は水泡に帰した.痛恨の極みというほかはない.また,この問題に関わりを持たなかった人にとっても,やはり敗北― 不戦敗― と言わなければならないだろう.

 事故の収束の目処は今なお立たないどころか,さらなるカタストロフィーの恐れなど,重苦しい日々が続いている.福島県など被災地の人々は,地震と津波の被害に加えて,放射能ゆえの避難,また高い線量に曝されての暮らしと,何重もの苦難を強いられている.ところが,こともあろうに新たな人災が,特に子供たちに対してもたらされようとしている.「学校20ミリシーベルト問題」である.

 本稿では,原発事故の物理的/技術的内容は他に譲り,放射能災害を巡る政治的・社会的側面を論じてみたい.

政府主導で全世界の知恵と技術を

 それにしても,原子炉と燃料プールの危機的状態は依然として続いており[1] ,爆発的ではないにせよ,大量の放射能の放出も続いている.これを確実に収束させること,すなわち原子炉と燃料プールの冷却を安定させ,放射能を封じ込めることが重要なのは言うまでもないが,問題はその「体制」である.すでに多くの専門家やネットメディアが指摘しているように,未だに「東電まかせ」は異常であり,政府主導の体制を構築すべきだ(チェルノブイリ事故の場合は,国営でありまた社会主義体制でもあったため,当然国主導で事故の収束が計られた).政府主導というだけでなく,国内にとどまらず,世界中の最高の頭脳,人材,資源を投入しなければならない.この核物質+放射能という巨大な怪物との「戦争」は,日本という一国の手に負えないかも知れないのだ.

 「工程表」は東電ではなく政府が作らなければならず,しかもその現実性について検討出来るような,原子炉の構造やパラメータなどと共に詳細に公表されなければならない.工程表とその裏付けデータの十分な透明性によって,その実現性についての全世界的な検討・ダメ出しが可能になる.さらに,世界の知恵と技術を集約し,あらゆる機材が利用できるようになる.

 原子力界のOB らが3月30日に出した声明「福島原発事故についての緊急建言」の最後は,「国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求める」(下線引用者)と結ばれており,政府主導を主張している.このようなごく当然のことが未だに実現しないのは,東電など業界の様々な思惑と,政府の無能さとによるものだろう.この現状を突破するには,何よりも世論の喚起とそれによる圧力が,そしてその世論形成に力を持つオピニオンリーダーの発言と行動が重要だ.

「放射線・放射能安全神話」による二次被害を防ぐ

 一方,原発の外側,すなわち人々の居住地域で重要なのは,除染や避難などの対策で住民の被ばくを最小限にすることだ.事故発生直後の大量放出時に,その影響の詳細情報が公表されなかったため避難が遅れ,大量の被ばくが起きた疑いが出てきている.そして現在は,「原発安全神話」に取って代わって布教され始めた「放射線・放射能安全神話」が,特に子どもたちに不要な被ばくを強制しようとしている.すなわち,文部科学省は校庭の使用基準を,年20 ミリシーベルト以下,時間率では3.8 マイクロシーベルト/時(以下μSv/h )以下と決めたが,これがとんでもない高い値であるとして,福島の父母らをはじめとして,国内外から多くの非難の声が上がっている.

 これがどれほど高い値であるかを見るために,これに近い他の基準数値と比較しよう.被ばくによる労災認定基準は年間5 ミリシーベルトであるから,これの5倍である.また,放射線管理区域(立ち入り制限区域)の基準は3ヶ月あたり1.3 ミリシーベルトで,これを時間率に直すと,0.6μSv/h となる.文科省の基準はこれの6倍強にあたる.

 この3.8 μSv/h というのがどの程度のものかを「実感」すべく,大学の学生実験用のガイガーカウンタで試してみた.平常値は数秒間に1回「ガリッ」と鳴る程度だが,3.8 μSv/h は連続的にガリガリと鳴るレベルだ.それを再現するには37 万ベクレル(10 マイクロキュリー)のテスト用線源アメリシウム241 を,ガイガーカウンタにほとんどぎりぎりまで接近させなければならなかった[4] .これには私自身かなり驚いた.つまり,福島の学校の校庭で遊ぶ子供は,このようなテスト線源を体に何個もぶら下げているということになる.実に恐ろしい状況だ.(もし私がこの線源を紛失などしようものなら,減給処分ぐらいでは済まないだろう.)

 この「学校20ミリシーベルト問題」については,5月2日に参院議員会館で市民団体と政府との交渉が行われた.広い講堂に300人を超すような全国から集まった参加者が厚労省,文科省,原子力安全委員会の役人と対面した.もともと決定権を持たない官僚が相手のため,非常にもどかしく,時として空しい感じもしたが,それでもこの決定のいい加減さ,文科省が子どもの健康を本気で考えているとわ思えないこと,そして安全委員会と文科省の間の矛盾点などが明らかになった.福島から来た父母の方々の思いは切羽詰まったもので,「交渉」を終始リードしていた.文科省は「安全」というのなら,学校に適用したときのICRP のリスク係数による被害見積もりを示すべきであろう.

 家人が見たテレビによると[2] ,ある自治体の首長(市長?)が移動の道すがら,校庭で生徒が腕立て伏せをさせられている光景を見て,「土埃を吸い込んでの内部被ばくが心配だ」と語っていたと言う.このような状況は,「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」なる山下俊一という人物(長崎大学)によってもたらされている.この男は福島県内各地で講演しているが,「福島における放射線による危害はない」「ミリシーベルト毎時になるまで心配要らない」など,とんでもないことを言いふらしているようだ.「ようだ」というのは,この二つの言葉を私自身で講演録やビデオを確認したわけではなく,著者の同定が出来ないブログ情報[3] によるものだからだが,私自身,彼がテレビで 100 ミリシーベルト以下では健康への影響は「全くない」と言い切ったのを記憶している.低線量域での線量― 効果関係については議論があるものの,それどころではない高い数値だ.まさにハーメルンならぬ「フクシマの笛吹き男」だ.しかも連れて行くのは子どもだけではない.

 どのような説でも学会発表するのは自由だが,実社会に適用するとなるとそうは行かない.上記のような放射線リスクのとらえ方は,この国の放射線管理の基本となっている国際放射線防護委員会(ICRP )の立場,すなわち「閾値なし,かつ線量と効果は比例」という定説と真っ向から対立するものだ.このような人物を任命した福島県知事の責任は重大だ.もしこの人事を正当とするのなら,国内の放射線防護の体系を根本から変えなければならない.そうでない限り山下氏の言葉は「公的流言飛語」と言わなければならない.今や「放射線の健康影響」は,一般人にとってさえ必須の常識になってしまったのだから,知識人も,どんな分野であれこのような言動に無関心であってはならないと思う.

学会・研究者のあり方

 今回の原発災害については,科学者ないし学会のあり方という点で考えさせられることがある.それは,原子力業界に対して,周辺の学問分野が積極的に介入・チェックをしなかったことが,このような重大事態を招いた遠因ではないかと言うことだ.「原子力村」という呼称は他からの批判を受け付けないこの分野の閉鎖性を象徴しているのだろう.特にこれはアメリカとの比較でそう言えるのだ.アメリカ物理学会は1975 年と1985 年に,原発の炉心溶融事故について研究し,報告書を公表している.実は私たちが22年前に公刊し,今回の事故を受けて増補改訂して出版した「原発事故緊急対策マニュアル」[5] も,この研究に依存するところが多い.しかし,アメリカ同様に数多くの原発を持つわが国の物理学会においては,このような研究は皆無と言える.いわば原子力の事は原子力学会に「任せきり」だったのだ.

 どのような業界であれ,他からの批判から免れて閉鎖的になると,大きく誤ることになるだろう.その実例を今回の大災害は示したと言えないだろうか.しかしそのコストはあまりにも巨大だ.

 今回の事故の対策においても,また住民を放射能から守る上でも,「業界」の垣根を越えた介入,口出しが重要だ.それなしには今回の過ちを繰り返してしまうことになるだろう.

 福島第一原発では日々放射線下でのきびしい作業が続けられている.作業員の人々の命を削っての働きに,福島とその近隣地域の,そして恐らく首都の命運がかかっている.しかしこれが何ヶ月,あるいは年単位も続くと予想されているので,交代が必要となるだろう.この期に及んでも原発が必要だと主張する人がいるのには驚くが,そのような人々は,自らこの放射線作業を引き受けるべきではないのか.すべてが熟練を要する作業というわけではない.むしろ「誰でも出来る」仕事が多いのではないか.つまりこれからの作業に加わるのに必要な研修の時間は十分あるのだ.とりわけ,これまで原発は安全というプロパガンダに荷担し,広告塔の役割を果たした人々には,率先してこの役割を引き受ける道義的責任があるのではないか?

[1] 前号で吉岡氏が指摘.

[2] 事故発生以来,可能な限りテレビの報道番組を録画しているので,探せば見つけ出せる可能性もある.

[3] 「転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ」,http://ameblo.jp/study2007/

  著者は博士号を持つ核物理研究者とある.

[4] この再現動画は筆者のブログからアクセス可能. http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/ または「ペガサス・ブログ版」で検索.

[5] 日本科学者会議福岡支部核問題研究委員会著,「原発事故緊急対策マニュアル」,共同出版,2011 年.

写真キャプション

 福島の父母が持ってきた校庭の土が,5月2日の参院議員会館での政府交渉のテーブルの上に置かれた.文科省が安全とする3.8 μSv /時以下のところで採取したものだが,表土を集めているので,上に置かれたガイガーカウンタは26 μSv/時という高い値を示している.