Date: Thu, 18 Jul 2002 13:25:15 +0900
From: toyo@cc.saga-u.ac.jp (TOYOSHIMA Kouichi)
Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp
Subject: [reform:04225] 独法化は高等教育分野での「大政翼賛会」,ほか
To: reform@ed.niigata-u.ac.jp

Date: Thu, 18 Jul 2002 13:25:18 +0900
To: he-forum@ml.asahi-net.or.jp
From: toyo@cc.saga-u.ac.jp (TOYOSHIMA Kouichi)
Subject: [he-forum 4310] 独法化は高等教育分野での「大政翼賛会」,ほか

以下は上の投稿を少し追加修正したものです.ver.1.1


せっかくの文通団ですから,情報交換だけでなく意見交換にもっと使ってはどうでしょうか.3つのポイントについて意見,提案をします.

1.独法化は高等教育分野での「大政翼賛会」

 以前,「独法化はスーパー大管法」(1) という問題提起をしたことがありますが,また次のような比喩も強力ではないかと思います.すなわち独法化とは高等教育分野での「大政翼賛会」である,ということです.1940年に政党を解散して作られた大政翼賛会は,「大東亜戦争」という「非常時」のために,国策をそれこそ効率よく遂行するために作られたものです.独法化も,グローバル競争という「非常時」に際して「世界に伍していく」ための「新体制」ではないのか,ということです.「中期目標」という,政府による大学への指令という世界に例のない制度であるという点でも,大政翼賛会は良いアナロジーであると思われます.当時これが「新體制」と呼ばれ,「古い頭には分からない」と言われたそうです.今日の「改革」の言葉の大量流通と軌を一つにするものではないでしょうか.

 大政翼賛会には社会大衆党の河上丈太郎や浅沼稲次郎らも賛同し,むしろ反対者の中に保守政治家の吉田茂らがいたことも教訓的です.また,政党政治家らの多くもこれに「対応」して戦争中も「生き残」り,政治への影響力を保持し続けたことも同様に教訓的ではないでしょうか.そして数多くの国民は「生き残る」ことができませんでした.

 大政翼賛会は結局は世界を敵に回しての無謀な戦争と破局への道をもたらした政治的装置の一つでしたが,独法化はどのような破局をもたらすのでしょうか.

 いくら歴史の知識を持っていても,現在の事態と引き比べて「歴史は繰り返す」という“定理”を破ることにつながる能力を持たなければ意味がありません.これは国立大学という知識人社会で起ころうとしている「繰り返し」ですから,なおさら止めることは可能なはずです.

2.「対案がない」「時間がない」

 「対案はあるのか」というバーチャルな質問に金縛りにされて,堂々と独法化反対を言い出せない,という心理状況が確かに存在します.かつて独法化反対を叫んでいた人,あるいは左翼や組合系と思われる人のあいだでさえもそうです.これは,推進側の心理戦に見事にはまっている,ということ以外の何ものでもありません.一体全体,有事立法に対する「代替案」がなければこれに反対できないというのでしょうか?

 現状より悪くなる提案に対する「対案」は「現状維持」で十分なのであり(2) ,むしろ説明責任,「挙証責任」は提案する側にあります.しかし,なされている説明は内容的にも,また首尾一貫性という点でも破綻しており,単に権力によって,権力を用いて流通させられているので,なんとか「存在」できているに過ぎません.

 もちろん自分なりの改善案を持っているに越したことはありませんが,大学管理者はともかく,一般の教職員にまで,何か首尾一貫した「対案」を要求するというのはどう考えても異常です.「対案」があることは一般国民に説得力を持つ,というのは真理でしょうか,対案がないから反対できない,というのは明白な誤りだということです.

 「反対運動する時間的余裕がない」という人もいるかも知れませんが,そのような忙しい人は時間を使ってもらう必要は全くありません.単にあらゆる場で「反対だ」と公言することだけで十分なのです.そして独法化準備なる作業にも加わらないことです.これによってもさらに時間は節約できます.(反対運動する時間はないが独法化準備に関わる時間はある,ということはないはずです.)つまり,時間があるかどうかではなく,単に自分の信じることを言い続ける勇気があるかどうか,ということだけです.われわれの世代は「学問の自由」をただ消費するだけでいい,などということはないはずです.

3.ユネスコへの意見具申

 ユネスコが,自ら出した宣言などの実効性に無関心であるはずはありません.意見聴取にどのような制度が取られているにせよ,ユネスコは各国からの情報や意見に当然関心を示すはずです.独法化は多くの点でユネスコの諸宣言に反しているのですから,多くの人がこの状況をユネスコに報告すべきです.その際,個人よりも公的な団体のそれがより注目されやすいこともあきらかです.そこで,とりわけ全大教が報告や意見を出す責任があると思います.

 個人や任意団体でなく,ほぼ唯一の労働組合の連合体であれば,向こうも無視するわけにはいかないでしょう.また,申し立てをしたという事実,そしてそれを国内で宣伝することだけでも大きな意味があります.かつて外国の新聞に(おそらく大きな経費をかけて)広告を出したのですから,それが単発で終わったのでは「国際化」の活動に首尾一貫性がないということになるとも思います.

------------------------

(1) ../UniversityIssues/sprdaikanho.html

(2) 今日の大学をめぐる問題のポイントが「国立大学」という制度にあるのではないことは,たとえば最近の医学部をめぐる事件でも明かでしょう.古くからの,そして今日もあまり改善の兆しがみられない医学部の封建的体質は,何も国立大学という制度のためではありません.