改憲阻止に連なる反大学再編・
反独法化の闘いを!

---いまこそ「大学自治」の擁護を高く掲げよう

 山内恵太(学生)

大学再編への視点---前提的に確認すべきこと

いま急進展する大学再編を考察するうえで不可欠な視点は何か。

グローバリゼーションのもとで先進資本主義間の国際競争が加速度的に激化し、これに照応する国家再編が強行されている。周知の通り、地球規模で資本を防護するための軍事力強化と、資本の自由度を増すための「規制緩和」が帝国主義諸国における国家再編の基調となっている。グローバリゼーションにおける国家再編の一環として位置付けられた大学再編もまた、国家主義的な統制強化と新自由主義的な競争激化の二つの側面を持っている。この両側面は相矛盾するものではない。資本のための既存の「秩序」を資本自らが破壊的に再編しつつ、資本の従属下へ徹底的に編入するという点で両者は表裏一体のものである。大学再編とは、大学をよりいっそう完全に、資本の従属のもとに置こうとする資本側の運動にほからない。国際競争の激化に伴って日本帝国主義の生き残りをかけた国家再編が加速化するなかで、大学再編も加速化し、またその重大性も高まりつつある。国際競争力強化の切り札として、資本がどれほど大学再編にかけているかは、昨年6月の産業構造改革・雇用対策本部「中間とりまとめ」に現れた「産学官総力戦」という言葉を見れば充分である。そしていま、大学再編は国立大学の独立行政法人化という突破口から抜本的な破壊的再編へとなだれ込もうとしている。この再編過程は、「学問の自由」をはじめ大学がこれまで立脚してきた憲法的諸価値との衝突と、その破壊を伴いつつ進行している。

大学に対する破壊的再編の狙い

大学に対する資本の従属下への徹底的な編入という狙いのもと、資本は大きく二つの役割を大学に求めている。

まずこれまで資本が企業内で行ってきた技術開発の肩代わり、すなわち格安の「下請け研究機関化」を大学に求めている。昨年11月に開催された第一回「産学官連携サミット」の共同宣言の言葉を借りれば「研究開発の自前主義から脱却し、大学等の知的ポテンシャルの積極的活用による新技術・サービス創出を促進する」ということである。従来のように、大学での研究成果を企業が応用するにとどまらず、あらかじめ資本が必要とする技術開発に合わせた研究を割り与えることのできる大学作りにほかならない。従属的な産学協同の徹底化を通じて、国際競争に生き残るための日本帝国主義の「知的武装」の尖兵として大学を徴用する狙いである。このために、技術移転機関(TLO)の整備、資本の「ニーズ」に合致する実用化の「シーズ(種)」選定と植え付け、さらに知的所有権の帰属ルールや守秘義務をはじめとする産学間の契約関係の整備などが重要となる。そして安上がりに済ませるべく、産学協同を税金で支援し、税制上の各種優遇措置を講じようとしている。のみならず、若手研究者の使い捨て的導入(ポストドクター1万人計画)や学費の大幅値上げによる施設整備、大学構内への工場建設の解禁まで狙われているのである。

次に、産業構造の変化に照応する労働力再生産、すなわち格安の「労働力養成所」である。95年に日経連が打ち出した「雇用の三類型」に照応する大学の種別化についてはすでに指摘がなされている(本誌120号参照)。「養成」される対象は学生であるから、対学生政策の抜本的な改悪にほかならない。「無駄」を省く教養部廃止や成績管理の厳格化など、学生を「品質管理」の対象とする一貫した流れは、さらに強まっている。昨年10月、いち早く地方大学統廃合に名乗りを上げた山梨大学では、単位取得が遅れている学生126名に対する「退学勧告」が発せられた。もはや学生は、「学ぶ権利」を行使する大学の構成主体とされないのは当然のこと、「お客」どころか企業に売り出す「商品」と位置付けられている。紛いなりにも98年大学審答申では、「サークル活動充実の支援やこれらの施設・設備の整備」への配慮が欺瞞的に掲げられていたが、今では「大学の自己収入源」と「データ収集のタダ働き手」を兼ねた労働者予備軍とされている。全国の大学で学生自治の圧殺、懐柔など、手法は様々ではあれ学生自治潰しが行われているのも、「労働力養成所化」の露払いにほかならない。

資本はまた、初就職を目指す現役学生のみならず、社会人入学枠を拡大し、「再教育」と称して資本の求める労働力の質を労働者に維持させるための場として活用しようとしている。これまでも99年の文部省・生涯学習審議会答申に典型的であるように、「生涯学習」の名を借りた、一生涯にわたるスキルアップの強要を打ち出してきたが、ここに至ってその狙いはより露骨に洗練されつつある。従来であれば社内研修など企業の必要経費であったものが、「自己責任(自助努力)」イデオロギーのもとに労働者自らに転嫁される。これはコスト削減=労働者階級に対する負担転嫁であると同時に、新自由主義的な競争イデオロギーを学生・労働者に植え付ける機能も果たす。そして、高失業率のなかでの「労働力養成所」は、「社会不安」軽減のための「高級」失業者の受け入れという、セーフティーネット型の失業対策の性格まで帯びつつある。しかしその殆どが日経連の言う「雇用流動型」類型であって、なけなしの金を叩いて大学で資格を取得しても、言い換えれば涙ぐましい個人的個別的努力によっても、やはり有期雇用の使い捨て労働力=フリーター以上にはなれないことは自明である。本質的に、競争イデオロギーの植え付けは現実のリストラ攻勢から目を逸らさせ、失業者の怒りを「自己責任」、さらに「転職幻想」でなだめすかすだけに過ぎない。大学はその実践場に変質させられようとしている。

「労働力養成所」は、グローバリゼーションにおける国家再編に照応する人材育成も引き受けることになる。競争激化に伴って激増するであろう各種の紛争に対して迅速に対応するための司法制度再編が、やはり国家再編の重要な柱として位置付けられている。資本の論理に忠実な法律家の量産を狙う法科大学院(ロースクール)計画も、その一環にほかならない。

大学再編の現状と国立大学の独法化問題

国立大学の独法化問題は、99年の閣議決定と文部省の方針転換以後、大学再編の中心的課題として動きが本格化した。そして資本の切迫した国際競争力強化の要求を受けた自民党が、名称を「国立大学法人」とすることで早急な法人化を目指すことを2000年5月に打ち出して以降、文部省内に調査検討会議が設置されるなど、独法化への動きは急ピッチになっていた。

ところが昨年4月、すべてを暴力的に資本の「常識」論で押し切る小泉政権が発足して以降、大学再編のスピードが劇的に速まった。「小泉人気」に勢いづいた政府は、独法化論議では一足飛びに踏み出すことのできなかったところにまで突き進んでいる。小泉首相の国立大学民営化発言も踏まえるかたちで昨年6月、『大学(国立大学)の構造改革の方針』(通称「遠山プラン」)と題する指針が文科省から出された。ここでは、独法化を通じた再編では遅すぎるとばかりに、国立大学の統廃合や民間的経営手法の導入、すなわち大学の経営組織体化、そして日本帝国主義が国際競争に勝ち残るための「トップ30」育成など、大学再編の狙いが露骨に表明されている。要するに、法人化という設置形態変更を通じて「自然に」達成される筈だった破壊的再編の姿を、政府が先回りして提示し、そのような目標に向けた「大学構造改革」の政策的な推進を宣言したのである。その意味で、驚愕した国立大学関係者が感じたように「唐突」ではあるとしても、文科省の言う通り「これまでの議論をまとめたもの」に過ぎない。とはいえ、ここまでの踏み込みは、やはり資本の焦燥感を体現する小泉政権と小泉人気、「小泉構造改革」があって初めて可能であった。「遠山プラン」は「小泉改革」の指針である「骨太の方針」(昨年6月)や「改革工程表」(同9月)で「雇用対策」、「科学技術」、「人材育成」など多分野にわたって反映されており、大学再編がもはや大学だけの問題ではなく、国家再編の一環、それも重要な柱の一つであることが明確にされた。

「遠山プラン」以降、文科省は国立大学に対して統廃合の圧力を加え、各地の単科大学や教員養成系学部を中心に統廃合の動きが強まっている。この圧力に対して、「国民」の「教育の機会均等」を楯に各大学が結束して撥ね返す余地は充分残されていたにも関わらず、ずるずると後退戦を強いられていった。独法化の前哨戦は完全に政府・資本に有利に進んだ。

こうした動きを踏まえて、昨年9月には調査検討会議から『新しい「国立大学法人」像について』(中間報告)が公表された。中間報告の公表は、政府側による国立大学独法化のための初の具体的な制度設計図であるという点で、法制化に向けた新たな段階への突入を意味した。そこには国家主義的な統制強化と新自由主義的な競争激化という基調が貫かれている。

文科省が任免権を握る学長の権限を学内的に強化することによって資本_政府_大学のトップダウンを貫徹する狙い、学内組織に監事をはじめとする学外者を送り込んで内側から大学を統制する狙い、さらに幾重もの監視に基づく予算配分を通じて財政面から統制を貫徹する狙いが示されている。のみならず、学長選挙を廃止して学外者を学長に送り込む仕組みの構築、教授会の審議事項の事前制限など、戦後民主主義の残存物を一掃して国家主義的な統制でもって代える狙いが表明されている。こうした国家主義的な統制強化は、「国のグランドデザイン」に合致する長期目標・中期目標を各大学に持たせ、計画遂行を強制するという国家戦略に結びついている。佐賀大学教職組が「帝国大学ハ国家ノ須要二応スル学術技 芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」という条文をわざわざ引いて指摘する通り、国策遂行を理念とした明治時代の帝国大学令への回帰そのものである。

また中間報告が「経営面で諸規制が大幅に緩和され、大学の裁量が拡大するといった法人化のメリット」というように、そもそも国立大学という枠組みを破壊して資本の好き放題を可能にする大学版「規制緩和」が独法化である以上、国立では難しかった競争激化のための方策が挙げられている。産学協同の実績を含んだ評価に基づく予算配分といった財政面での締め付けにとどまらず、「国際競争に対応しうる教員の多様性・流動性の拡大」を掲げて研究プロジェクトの請負化=任期制拡大、裁量労働制の導入を打ち出した。教育公務員特別法の適用を逃れてこうした雇用破壊を可能にするために教職員の非公務員化を提起している。さらに民営化や分社・子会社化への抜け道も用意しているのである。

加えて、資本の好き放題を確実なものとするため、教授と企業役員の兼任・営利活動の一部容認など、大学じたいの経営組織体化と相まった新たな段階の産学協同が示されている。

大学再編と労働者階級

大学は、技術開発のための「下請け研究機関化」と同時に、格安の「労働力養成所化」される。そこに送り込まれる「学生」には、18歳人口だけでなく失業中の「再教育」組も含まれ、しかも、大衆化した現代の大学では、18歳人口といってもその殆どが労働者予備軍である。いまでも、学生本人では賄えない高学費は労働者の家計を直撃しているが、労働政策・失業対策にまたがって進められる大学再編は、より直接的に労働者の利害と関係しつつある。別な表現をすれば、グローバリゼーションと「世界同時不況」のなかで切羽詰った資本が、職場生産点だけでなく、あらゆる領域にわたって労働者階級への収奪を強めていると言える。

政府は、国立大学の全国一律の授業料をやめて大学別・学部別授業料を導入し、大幅な学費値上げを強行するとしている。その値上げ分も下請け研究機関の緊急施設整備費に充てるということが財務省の審議会で表明されている。労働力養成に係る経費を「自己責任」で支払わせるのみならず、技術開発の必要経費までも労働者階級に肩代わりさせようとしている。こうした二重三重の負担転嫁にも学生・労働者を無理やり耐えさせるために、「小泉改革」は「意欲と能力のある者に対する」欺瞞的な奨学金拡充を狙っている。それは雇用破壊という労働者への最大の攻撃をキャリアアップのチャンスと勘違いさせて、飽くなき競争地獄へと引きずり込むための新自由主義的なセーフティーネット・イデオロギーを教育分野で実体化するものである。これは厳格な成績管理と表裏一体となって、独法化を通じた大学に対する評価・予算配分と同一の構造を、学生個人に対し、借金返済によって一生涯にわたり拘束しつつ押し付けるものである。それを身につけさせられた学生が輩出する大学は、まさに新自由主義を「社会に還元する」策源地と化する。「批判精神の自由」を奪われ産学協同に邁進する大学は、国際競争力を国家戦略とするイデオロギーの広告塔と化する。そこでは労働者階級を抑え付けて金儲けする技術開発が行われているのに、なけなしの金でスキルアップする労働者・労働者予備軍が居候させられるのである。愚弄という特典付きで労働者階級への負担を強いるのが大学再編である。

こうした狙いのもとに推し進められる大学再編は、「学問の自由」や「教育を受ける権利」といった教育・研究分野における憲法的諸価値の破壊的再編であり、改憲の先取りにほかならない。グローバリゼーションにおける反労働者的な改憲策動が、第9条にとどまらない憲法体系総体に対する攻撃である以上、その一端を典型的に担う大学への破壊的再編の重大性も自明である。現に昨年11月、奉仕活動の義務化やエリート教育を掲げた教育改革国民会議の提言を踏まえ、準憲法的な根本法である教育基本法の改悪を文科相が中教審に諮問するに至っている。

大学再編に抗する闘いの方向性

今年度末をメドに独法化調査検討会議の最終報告が予定されている。これを受けた国立大学の独法化が今通常国会で狙われている。だが、全国99の国立大学で構成する国大協は調査検討会議に参加し、中間報告の拒否ではなく修正を求めている。それどころか、すでに政府すら言っていない「通則法による独法化」への反対をアリバイ的に掲げるだけで、実質的に独法化支持ないし容認の立場にある。一方憂慮すべきことには、教職員組合の全国組織である全大教も「一致点での運動」を理由に、「より高い自律性を有する法人のあるべき姿を徹底して追求」する路線に傾きつつある。一体誰との「一致点」を考えているのか?法制化の日程が迫るなか、大学再編の中心をなす独法化を巡る攻防は、まさに正念場を迎えつつある。独法化の流れを押し止める力をどこに求めるか。反独法化の大衆的な闘いだけがこの流れを食い止めることが出来る。その闘いに求められる内容はなにか。

まずもって、「学問の自由」を制度的に保障する「大学自治」破壊に抗して、「大学自治」の擁護を一致点とする共闘を、学内外にわたって広げる必要がある。その過程は、労働者階級全体に対する大学再編の狙いを見抜きつつ、学生自治・教職員自治に立脚してそれぞれの内実を築くことを通じて準備されなければならない。特に学内においては、現場での様々な問題を大学再編のなかに位置付けて、現場での実践と独法化阻止の闘いを結びつけることが重要である。文科省の差し金で、あろうことか教職員が学生を弾圧するという事態に立ち至っているいま、形骸化した「大学自治」への現実認識は不可欠だが、これを擁護し、その内実を足元から築くこと抜きには、独法化を阻止することはできないし、また仮に独法化された後には、本当に何も残らないということになりかねないのである。

その際、私たちは学内民主主義の擁護という観点にとどまらず、憲法の外堀を埋める全社会的な攻撃の一環として捉えると同時に、現行の大学が極めて根本的に依拠している憲法的諸価値への攻撃として認識する必要と義務がとりわけある。すなわち、大学再編と憲法改悪を一体のものとして捉え、「労働者人民の共有財産たるべき大学を資本に売り渡すな」というスローガンのもと、改憲阻止に合流し得る独法化阻止運動が求められる。特に、アフガニスタン侵略戦争に便乗した自衛隊参戦が現実のものとなったいま、反戦・平和が歴史的に刻印された「学問の自由」を改憲阻止の武器として活かすことが求められている。

さらに、独法化・大学再編の狙いが産学協同の徹底化を通じた国際競争力強化である以上、国際競争力粉砕、そして国際競争力を必要とするグローバリゼーション=剥き出しの資本運動への反対が運動に織り込まれる必要がある。独法化の本質・産学協同の内実を「下請け研究機関」と捉えれば、その狙いがグローバリゼーションにおける国際競争力強化であることは容易に看破し得る。国大協もこの点を積極容認していることを考えれば、飽くまで独法化阻止を目指す運動の側の一致点となり得るし、またそうする義務が私たちにはある。ますます凶暴化するグローバリゼーションが世界中で労働者階級を痛めつける武器にほかならない国際競争力を、大学は一片たりとも資本に提供するな!大学再編反対運動は改憲阻止統一戦線へ、そして世界の反グローバリゼーション運動へと合流しなければならない。「日本帝国主義が国内外で搾り取るための道具として我々が搾り取られる」ことを拒否せよ!

2001年11月30日記す

(本稿は10月24日HOWS講座における報告をもとに書かれた。)



この論文は次に掲載されたものです.
『社会評論』No.128(小川町企画,2002年1月1日発行),p130〜p136.