関係者の個人名等はすべて記号に変えています.(転載者)
平成16年(う)第73号 傷害被告事件
被 告 人 A
上記の者に対する傷害被告事件の控訴の趣意は以下のとおりである。
平成16年6月10日
弁 護 人 松 澤 陽 明
弁 護 人 角 山 正
弁 護 人 阿 部 潔
仙台高等裁判所第1刑事部 御中
原判決には明らかに影響を及ぼすべき事実の誤認が存するので、その破棄を求める。被告人は無罪である。
1.「転倒」の態様についての事実誤認
(1)事実
事実はNが自ら尻もちをついたということであり、突き飛ばされ「転倒」したという事態ではない(記録135の228、229丁・被告人の公判廷における供述P8、P9)
S証人は、「尻もちをついていくのを見た」「(仰向けにどんと倒れたのでは)ない」と証言し、頭・背中・尻をほぼ同時に地面についたとするN証言を否定している。
この点に関して判決は、「その部分の供述内容は『被告人を取り囲んだ集団が移動する過程で、その中の1人が突然尻もちをついた。その集団が何人くらいであったか、どのような歩き方であったか、どの程度の距離移動したのか、尻もちを着く前の過程がどのようなものだったのか、しりもちをついた時点での被告人がどこにいたのかなどは記憶にない。しりもちをついた人物が地面に頭をつけた場面は、見たかもしれないが記憶にない。』などという極めて曖昧かつ漠然としたものであるから、同部分の供述は信用できず、被害者の公判供述の信用性に影響を及ぼすものではない」(判決書P8)と判断する。
しかし、数ヶ月以前に発生した出来事について、特に印象的な事象を除いては詳細に記憶にとどめていないということは至極自然なことであり(逆に、詳細に記憶しているとすれば、その方が不自然)加えて、証人が、本件について被害届が提出されているということを知り、自分がその目撃証人であるということがわかったのが、本件発生から約一ヵ月後の4月末頃であったこと(記録135の139丁・S証言P12)等を考慮すれば、上記のような公判供述は記憶として残ったものを述べたということで、むしろ自然なものと言うべきである。
その上で、S証人は、この人物が「尻もちをつくのを見た」という点に関しては、印象深かった旨述べており(記録135の135丁・供述調書P8など)、その部分に関する証言は終始一貫したものであり、十分に信用性を有するものである。
(2)Nの「転び方」の説明の不自然さ
逆にNの「転び方」の説明の方こそ不合理不自然な内容で信用できない。
Nは公判廷において、「転倒」の状況に関して、「そのままもんどりうってというか、後ろにひっくり返った」(記録135の36丁・N証言P10)、「ほとんど背中と頭が同時ぐらいにおっこった」「(しり、背中、頭が)ほぼ同時に倒れるような倒れ方」(記録135の72丁・N証言P46)と供述している。
この供述について、原判決は、「被害者は転倒する直前、もう一枚被告人の顔を写真撮影するために、両足を広げ、両手でカメラを持って構えようとした瞬間に、突然、被告人から胸を強く突かれたなどというのであるから、その時の被告人の左右の手の動きなどについて被害者が具体的に供述できなかったり、被害者が述べるように転倒したりすることは、むしろ自然というべきである」(判決書P7〜8)と説明している。
しかし、もし仮にNの供述するようなかたちで、頭・背中・尻をほとんど同時に地面に打ちつけたのであれば、その打撃はかなりのレベルにあり、尻・腰・背中・肩などの後頭部以外の部位においても打撃による痛みを生じたり、打撲等の外傷を生じたりするはずである。ところがNは、捜査段階から公判供述に至るまで、後頭部の頭痛・怪我以外には一切主張したことがない。上記のような転び方と、その結果の関係としては、極めて不合理不自然である。
また、Nは後頭部を地面に打ちつけた様子について、「思いっきりかたいアスファルトでぶつけたわけですから、非常に強い打撃というんですか、痛みを、打撃を感じました」「打撃はひどいときはとにかく衝撃ですよね。すぐに痛いというんではなくて、がんとこう、くらっとするような感じです」(記録135の36丁・N証言P10)などと説明している。これほどまでに後頭部を強打しながら、G医師の診察によっても、「擦過傷」以外認められず、明らかな「瘤」等は認められていないのである。この点も「転び方」と「その結果」の矛盾がある。
(3)「転倒」時の被告人とNの状況
Nが「転倒」した当時の被告人の状況を見ると、左手に一眼レフカメラを持参し、右肩にはカメラ用のバッグを提げていたことが認められる(記録134の100丁・N写真No3、記録134の108丁・K写真No5、No6、記録134の114、115丁・O写真No3、No5)。また、被告人の証言によれば、被告人が左手に持参していたカメラは労働組合所有のものであり、壊さないように大事に扱っていたのであり(記録135の235丁・被告人の公判廷における供述P15)、実際、被告人がD弁護士に引き倒された場面においても、被告人がカメラをかばうような形で転倒していることが認められる(記録134の115丁・O写真No5)。しかも、このカメラはかなり重いものであり、被告人はカメラのレンズ部分を直接左手で持ち、肩紐を肩にかけることはしていなかったのである(記録135の231丁・被告人の公判廷における供述P11、記録134の108丁・K写真No5、No6、記録134の114、115丁・O写真No3、No5、No6)。以上のように被告人は、Nの転倒時、身動きが取りにくい態勢にあったのである。これに対してNは、使い捨てカメラをひとつ持参していた他は目立った所持品はなく、身動きが取り易い格好をし、かつ敏捷に動き回っていたことが認められる。
また、N「転倒」後の被告人の状況を見ると、被告人はやはり左手に一眼レフカメラを持参し、姿勢ははほとんど「棒立ち」の状態で、N「転倒」以前と比べて特に変化もなく、Nを相当の力で突き倒すというような暴行に及んだことをうかがわせるものは何もない姿勢である(記録134の108 丁・K写真No5、No6、記録134の113丁・O写真No2、No3)。この点は、被告人の供述とも一致するところである(記録135の231丁・被告人の公判廷における供述P11)。
さらに、両者の体格・年令を比較、かつN自身も登山歴40年というぐらいで体力や足腰を鍛えている旨を述べる(記録135の84丁・N証言P58)こと、被告人が事件当時、身動きの取りにくい姿勢をしていたことを考え併せれば、被告人がNを「頭・背中・尻を同時に地面につくような形で突き倒す」などというのは、およそ不可能な話である。ましてや「突き飛ばされた形で1メートルくらい後ろに倒れた」(記録134丁の164・Nの司法警察員に対する平成15年5月2日付供述調書P6)なるNの説明の不合理性は明らかで、本件の事件性を強調するためになされた誇張以外のなにものでもない。
ところで判決は、Nが「転倒」に至った経過として、「被告人の顔を写真撮影するために、両足を広げ、両手でカメラを持って構えようとした瞬間に、突然、被告人から胸を強く突かれた」(判決書・P7〜8)として、Nの証言に沿う形の事実認定をしている。Nの供述を裏付ける事実も何ら存在しないのであるから、両手でカメラをもっていたがゆえにとっさに反応できなかったがごときの説明は、根拠のない憶測でしかない。
(4)大学関係者の動向について
大学関係者が撮影したとされるビデオテープの映像及び音声によると、事件の前後状況について次のことが認められる。すなわち、Nが「転倒」した直後、大学側の現場責任者であったと思われるD教授は、「暴力を振るいました」「写真撮ってください」などと周囲の関係者に指示し、さらに被告人に詰め寄り「名前言え」と、強い口調で繰り返し誰何しているのである。
しかし、Nの「転倒」時、Dは現場の反対方向にいる学生とやり取りをしていたのであり、Nの「転倒」自体は目撃していない。それにもかかわらず、即座に現場に歩み寄り、被告人が「暴力を振るった」ことを周囲に宣言し、写真を撮るように指示するなど、その動きはあまりにも不自然である。また、被告人らに対しても、事実経過を確認することすらなく「暴力を振るった」と決め付けて氏名を問い質すなど、あらかじめ事件の発生を予期していたかのごとき対応をしている。
また、Nの供述によれば、上述のように、頭・背中・尻を同時に地面につくような転び方をして後頭部を強打したNが、その後頭部を押さえて約30秒もの間地面に座り込んでいたというのにも関わらず、Nを介抱する大学関係者はひとりもいなかったというのである(記録135の73丁・N証言P47)。この点は、大学関係者が撮影したとされる写真からも窺われる。しかし、常識的に考えれば、同僚が派手な転び方をして座り込んでいたのであれば、まずはそれを介抱するのが自然であり、周囲に相当な数の大学関係者が居合わせながら、誰一人介抱していないというのも極めて不自然な話である。
そもそもにして、大学関係者はほとんど全員がカメラもしくはビデオを持参してくるという異常な態勢であり、そのうち数人は学生や支援者の顔を執拗に撮影しているなど、当日の大学関係者の動向は全体として奇異なものであり、このような状況の中で本件が発生したことは背景事情として看過できないところである。
2.被告人の「暴行」とN「転倒」の因果関係を認定した事実誤認
(1)被告人に「暴行」はない
被告人がNと向かいあった状況化でNが強引に近づいてきたことで、被告人の手の甲がNの衣服に接触するということはあった(記録135の232丁・被告人の公判廷での供述P12)が、およそ有形力の行使の範疇にも入らない程度のものである。被告人は相手を突こうと気持ちもなく、押しかえすという気持ちもなく、実際にそういう行動に出ていない(記録135の233丁・被告人の公判廷における供述P13)。被告人には「暴行」の事実はない。
(2)被告人がNを突き倒したという客観証拠はN証言以外にはない。
本件では、被告人とNが近距離で向かいあっていたこと、その後Nが路上に横になる姿勢になっていたことは認められるが、最大の焦点であるところの被告人がNを突き倒したのかどうかという点については、N証言以外の客観証拠はない。
向かいあっている両人、および横になっているNの周囲には相当数の大学関係者が存在していたことが認められ、もし被告人がNを突き飛ばしたというのであれば、その状況を目撃していた者が複数存在する蓋然性が極めて高いと言える。現場にいた相当数の大学関係者が警察から詳細な事情聴取を受けた模様であるが、公判廷に証拠として提出されたものはない。
また、公判廷で証拠調べされた写真・ビデオにも被告人がNを突き倒している場面を捉えたものは存在しなかった。それ以外の写真・ビデオを全部見た警察官であるI証人も右手で突いている場面はなかった旨述べるのである。(記録135の10丁・I証言P8)
3.「傷害」を認定した事実誤認
(1)現場において「擦過傷」の存在は認められなかった。
G医師の公判証言によると、「擦過傷」は後頭部右側の禿げ上がっている髪の毛の生え際あたりに、直径約3センチほどの大きさであったとされる。ところが、記録134の202丁・被告人撮影の写真、M撮影ビデオテープ(14:10付近、20:36〜20:56付近、28:31〜29:06付近)、U撮影ビデオテープ(20:32付近、21:01付近)、R撮影ビデオテープ(6:24付近、12:14付近)、T撮影ビデオテープ(1:10付近、5:50付近)、記録134の215〜219丁・H川ビデオ静止画P7〜P11、いずれにおいても、Nの後頭部に「擦過傷」らしきものは見当たらない。加えて、H証人および被告人が約2メートル後方から肉眼で凝視したが、やはり「擦過傷」等は見当たらなかった旨証言している。
この点に関して原判決は、「G医師の公判供述によれば、被害者の後頭部の擦過傷は、直径約3センチメートルで、被害者の後頭部の髪の生え際あたりにあり、髪を分けるとすぐに見つかった傷だと思うというのであり、また、傷口から相当程度出血するということもなかったなどという被害者の公判供述等に照らせば、被害者の擦過傷が、前記写真及びVHS用ビデオテープでは明確に判別できなかったり、H証人及び被告人が供述するように、2メートル程度後方から肉眼で注視しても発見できないということも不自然とは言えない」としている(P7)。
しかし、G医師は「外目でも見ることはできる、髪をかき分けなくても見ることができる傷だった」(記録135の1191丁・G証言P16)と証言しているのであり、この点を度外視して、G証言部分のうち「髪をかき分けた」という部分のみをことさら強調して、上記のような結論を導くことは不当というより他ない。また、直径3センチメートルの傷とは視覚的にはそれなりに大きな傷であり、しかもNの後頭部の当該部位は禿げ上がった髪の毛の生え際で、髪の毛の密度は相当程度低いのであり、写真及びビデオテープに複数回撮影されながら、一切「擦過傷」が写らないというのは極めて不自然な話である。また、H証人及び被告人は事件の捏造を疑い、Nの後頭部を注意深く観察したのであるから、上記のような「外目にも分かる傷」を発見できないというのは考えにくいことである。記録134の202丁の被告人 のN後頭部写真のどこにも外目にもわかる傷など存しない。
(2)「傷害」の内容に関する事実誤認
原判決では、「傷害」の内容についてとして、「加療一週間を要する頭部外傷」(判決書P1)と認定している。しかし、ここで言われている「頭部外傷」の具体的な内容については不明確である。
公判廷でNが説明した「症状」は、「頭痛」「瘤」「擦過傷」の三点であり、とりわけ「頭痛」が問題であった旨強調されている。この点について原判決は、「G医師の公判供述によれば、被害者が同医師の診察を受けたときには、被害者の後頭部に擦過傷があったことが認められ、これに疑問を差し挟む余地はない」(P4)とし、結局「擦過傷」が「頭部外傷」の内容であるとするもののようである。
しかし、「瘤」および「頭痛」については、「頭部外傷」に含まれているのか否かが極めて不明確である。すなわち、Nの「傷害」についての証言の変遷に関係して、判決は「もっぱら脳内の損傷等を心配していた被害者の供述に、上記のような変遷があっても不自然なことではない」(判決書P7)、「こぶに関する被害者の公判供述は、同医師の公判供述により完全に否定されているとはいえない」(P7)と説明しており、「頭痛」および「瘤」についても間接的に認定したものとも解される。
傷害の有無の認定において、その「傷害」の内容を具体的に特定することは被告人の防禦にとり不可欠である。この点で、このような曖昧な認定は不当と言うべきである。
(3)「擦過傷」に関する証拠化の回避
また、Nは怪我に関する証拠化を現場で一切行なっていない。この点についてNは、「この時点で、それを何か証拠として出すとか、そういう意識がなかったからじゃないですか」(記録135の81丁・N証言P55)と弁明しているが、他方、「事件後」に被告人を写真撮影したことについては「証拠として撮っておいてやろうと思った」(記録135の51、52丁・N証言P25、26)と証言している。Nは公判廷において、後頭部が地面にぶつかった様子を、「思いっきりかたいアスファルトでぶつけたわけですから、非常に強い打撃というんですか、痛みを、打撃を感じました」「打撃はひどいときはとにかく衝撃ですよね。すぐに痛いというんではなくて、がんとこう、くらっとするような感じです」(記録135の36丁・N証言P10)などと説明している。「事件」の証拠を保全しようとするのであれば、まずはそれほどまでに「強打した」とされる後頭部を写真やビデオに撮る、同僚に確認させるなどするのが自然であり、現場では怪我がなかったために証拠化のしようがなかったと考えるのが相当である。
重ねて、H証人は、「Yという人が私とAさんのところに近づいて、名前を教えてくださいと、被害届出しますということを言ってきました」(記録135の37丁・N証言P11)と言うのであり、現場では被害届の提出について検討しなかった旨のN証言は到底信用できないものである。ビデオテープにおいて、Nの「転倒」後、大学関係者は被告人に対して執拗に氏名を問い質し、指揮者と思われる者が周囲の関係者に「記録してください、きちっと記録してください」などと、現場状況等を写真などに撮影するように指示していることが認められる。この様な状況において、後頭部の強打を主張し、繰り返し後頭部を手で押さえていたNの後頭部を誰一人確認せず、証拠化を行なわなかったというのは極めて不自然である。やはり、証拠化したくても、傷自体が存在しなかったものと考えるのが自然である。
4.「転倒」と「頭部外傷」の因果関係を認定した事実誤認
「転倒」と「頭部外傷」の因果関係はない。
Nが有朋寮入り口前で「転倒」したのが3月28日午前8時30分頃、東北大学医学部付属病院でG医師から診察を受けたのが同日午後7時頃である。仮に「擦過傷」の存在が認められるとしても、この「擦過傷」が転倒時にできたものであることは何ら立証されていない。その点までもNの「転倒」と「擦過傷」の間の因果関係を認定できない。しかも現場での「擦過傷」の存在自体に極めて疑わしいのであるから、なおさらである。
5.N証言の信用性
(1)N証言に信用性はない。
以上、明らかにしたとおり、被告人がNを突き倒したということについては、写真・ビデオ等の客観的な証拠は存在せず、また目撃証言等も存在していない。同様に、Nの「転倒」と「頭部外傷」の因果関係について立証する客観的な証拠は存在せず、G証言も、転倒後10時間以上経過した時点における診察に関するものであり、両者の因果関係を示すものではない。つまるところ、原判決の事実認定は、被害者とされるNの供述に全面的に依拠しているものである。よって以下、N証言の信用性について、あらためて検討する。
(2)本件に関するNの利害関係について
判決は、「被害者は、被告人とは本件以前には面識はなく、ことさら虚偽の事実を述べて被告人を罪に陥れなければならない理由は見当たらない」として、Nと被告人との間の利害関係の不存在を、N証言の信用性の前提としている。
しかし、@農学研究科の教授であったNは、有朋寮に居住する学生の処分問題に関係して、本件発生以前に、当該学生が所属する理学部の会合に、自分の所属学部ではないにもかかわらず出席し、処分を躊躇する理学部に対し処分を促す発言を行なった(記録135の62、63丁・N証言P36、37)、ANは2003年4月から学生生活担当特別補佐という学長補佐職に就任しているが、この役職は学生生活協議会の副委員長に該当する要職で、学生寮に関わる問題の対策等を担当するものである(記録135の64丁・N証言P38)B本件が発生した3月28日の時点で、Nはすでに学生生活担当特別補佐への就任が内定していた(記録135の67丁・N証言P41)。
東北大学は有朋寮の2003年3月末日での「使用停止」を決定していたが、有朋寮に居住する学生らがこれに反対しており、有朋寮の廃寮問題は東北大学内における学生対策の懸案事項となっていた。
つまり、Nは本件発生以前から、有朋寮生の処分問題をめぐっては、賛否が分かれる大学内において、処分を推進する極めて強硬な態度を取っており、かつ、本件発生時においては4月以降から大学内の学生対策の要職に就いて寮問題の対処に当たることがすでに内定していたのである。よって、有朋寮の廃寮問題を大学側に(とりわけ大学内の有朋寮に対して強硬なグループに)有利な形で進めようとしていたことは疑う余地のないところである。
したがって、単に被告人との面識がないことをもって、本件に関わるNの利害関係を否定することは妥当ではない。Nの証言の信用性を推し量るに当たっては、廃寮問題をめぐる有朋寮と大学との関係、その中におけるNの態度・役割・立場等を考慮しなければならないのであって、被告人との私的な関係の有無のみから証言の信用性を判断している原判決は失当である。
(3)「外傷」に関するN証言の変遷について
「頭部外傷」に関するNの証言はおおむね以下のように変遷している。
「ぶつけた右後頭部に直径約3、4センチくらいの瘤ができて…」(記録135の87丁・135の92丁・N証言P61、P66、Nの司法警察員に対する平成15年4月12日付供述調書P8、Nの司法警察員に対する平成15年5月2日付供述調書P9)
「ハンカチで何か一度押さえたらちょっと液みたいのがついたような記憶はあるんで、それがいつだったか覚えていません」(記録135の40丁・N証言P14)
「診てくれた先生が『こぶができているね。』と言われたことは覚えているんですけど、その前に自分で触ってこぶができていたのか、その先生に『こぶができているね。』と言われて、こぶができたことを認識したか、そこは覚えていません」(記録135の87丁・N証言P61)
以上の変遷を整理すると以下のようになる。
@ 検察段階で突然主張されはじめた「擦過傷」
Nが捜査機関から取調べを受け調書を作成したのは、4月12日(司法警察員)、4月28日(司法警察員)、5月2日(司法警察員)、6月11日(検察官)、6月14日(検察官)の5回である。5月2日の調書までは、怪我に関する訴えは「夕方までにできた直径3,4センチの瘤」のみである。
ところが、被告人逮捕後の6月11日以降になって、検察官に対してはじめて「擦過傷」を主張することになる。
A 「瘤」の発生時期に関する証言の変遷
4月12日及び5月2日の員面調書によれば、Nは「夕方までに瘤ができた」旨の主張をしている。ところが、6月11日の検面調書によれば「夜頃にこぶのように盛り上がった」旨の主張に変更されている。そして、法廷においては、「医者に瘤ができているといわれたことは覚えているが、それ以前に瘤を認識していたかどうかは記憶にない」旨の説明へとさらに変更されている。
B 「瘤」に関するNとG医師の証言の齟齬
Nは法廷において、「医者にこぶができているねと言われた」と主張するが、G医師の証言によれば、「大きな皮下出血は認めなかった」「小さな皮下出血に関しては、その傷口をご本人がべたべたさわればあったのかもしれないんですけども、それに関しては僕が見た限り、例えば問題になるような大きな皮下出血は周りから触った感じと見た感じではなかった」ということである。この点はG医師作成とされる診療カルテの「皮下血腫マイナス」の記載とも一致するところであり、G医師がNに「こぶができている」旨の指摘をしたとは考えられない。
以上のような、N証言の変遷・矛盾について、原判決は「もっぱら脳内の損傷等を心配していた被害者の供述に、上記のような変遷があっても不自然なことではない」「こぶにかんする被害者の公判供述は、同医師の公判供述により完全に否定されているとはいえない」「被害者の傷害の部位は、被害者が直接観察することのできない後頭部にあり、被害者自身が傷害について正確に表現することには自ずから限界があることなどを考え併せれば、傷害の内容に関する被害者の供述に変遷などがあったとしても、それは上記のような被害者にとっては些細なことであり、その公判供述の信用性に影響を及ぼすものとは認められない」(判決書P7)と説明している。
しかし、本件が「加療約一週間の頭部外傷」の傷害事件として立件されていることを考えれば、具体的な「傷害」の内容・発生時期の立証こそが取り調べの根幹をなすものであり、「傷害」に関するNの説明内容の検討は、極めて重要なものである。
また、Nは「瘤」について、当初は「夕方までにできた直径3,4センチのこぶ」と、その発生時期、大きさについて、極めて具体的かつ明確に述べている。しかもこの説明は一度のみならず、4月12日と5月2日という月を隔てた二度にわたってなされているのである。つまり、判決の「もっぱら脳内の損傷等を心配していた被害者にとっては些細なことであり、証言の変遷は不自然ではない」という判断は明らかに誤りである。このように、捜査の初期段階から、具体的かつ明確で複数回繰り返された「瘤」に関する説明が、のちに「夜になってできた」、「いつできたか覚えていない」というかたちで変遷していることは、「擦過傷」以外認定していない診断書や診療カルテの記載内容との矛盾を埋め合わせるために作為的になされたものに他ならない。
同様に、「擦過傷」の主張が「事件」から二ヶ月半あまりも経過した6月11日から突如現れているのも、上記のような診断書や診療カルテの記載内容に供述内容をすり合わせるために、作為的になされた供述と思われる。
「擦過傷」を「被害者にとって些細なこと」と認定した原判決は誤りである。
さらに、NとG医師の証言の齟齬は、「瘤」の存在をG医師が完全に否定しているかどうかという点に止まる問題ではない。むしろ問題は、Nが「医者にこぶができているねと言われた」という明らかな虚偽の供述を行い、「瘤」の存在をあくまで貫こうとしている点にある。「医者にこぶができているねと言われた」ということは五度にわたる捜査機関での供述には一度も出てきたことはなく、「そのときは思い出さなかっただけ」(記録135の94丁・N証言P68)なるNの弁解は到底信用できるものではない。
6.G証言について
(1)判決文はG医師の証言について、「本件まで被害者及び被告人と利害関係がない上、その供述内容は、具体的かつ詳細であり、診断書(甲1)及び診療カルテの写し(甲75)により裏付けられていて、弁護人の反対尋問にも全く動揺していないことなどに照らせば、信用性は高い」(判決書P4)とする。
(2)G医師の本件における立場について
G医師は当時、東北大学医学部付属病院のZ科に所属する医員であった(記録135の104丁・G証言P1、記録135の124丁・G証言P21)。一方、N証言によれば、Nが被害届を提出するにあたって、東北大学は菅井学長補佐(当時)をはじめ、大学としてNをバックアップアップする旨の意思を表明して被害届の提出を後押ししており、捜査機関へも積極的に協力したことが窺われる(記録135の84丁・N証言P58、記録135の89丁・N証言P63)。このように、本件に関してNをバックアップする体制にあった東北大学において、大学側の一構成員であったG医師が、N及び大学側の利益に反するような言動を行なうことは、およそ困難であると言わざるを得ない。
実際に公判廷においても、Nが主張する瘤について、「小さな皮下出血に関しては、その傷口をご本人が、べたべたさわればあったのかもしれないんですけども、それに関しては僕が見た限り例えば問題になるような皮下出血は周りから触った感じと見た感じとではなかったということです」(記録135の112丁・G証言P9など)などと証言し、あくまでNの主張を否定することがないように、注意して証言していることがうかがわれる。「本件まで被害者及び被告人と利害関係がない」ということから、即座にG医師の証言の信用性を導くことではない。
(2)Nに対する処置内容に関して
G医師の証言によると、G医師自身はNの「擦過傷」に対して治療行為は何ら行っておらず、看護士に処置を頼んだということである(記録135の108丁・G証言P5、記録135の113、114丁・G証言P10、11)。ところが、当のNは看護士から何らかの処置を受けた旨の供述は行なったことがなく、G医師の証言と矛盾する。また、G医師は、看護士の行なった処置の内容についてははっきり記憶していない旨の供述をし、診療カルテにも処置内容の記載がない(記録135の108丁・G証言P5、記録135の114丁・G証言P11)。仮に、何らかの治療行為がなされたのであれば、レセプト上に記録が残っているはずであるが、結局看護士の処置内容というものの存在を裏付けるものは何もない。
また、G医師記載の診療カルテのうち、Nの後頭部の図等を記載した用紙には、診察日の記載すらなく、G医師が主張する平成15年3月28日作成であることも確定とはいえない。
以上の点からも、G証言をもってしてもNの「擦過傷」の存在自体が客観的に証明されているとは言えないのである。
以上
N供述記録
4.12 1P 記録134の138
4.28 1P 記録134の154
5.2 1P 記録134の159
6.21 1P 記録134の176