佐賀大学理工学部 豊島耕一
4.19国大協決定を受けての,東大総長の評議会での発言をネット上で見ることができる*.それによると,佐々木毅総長は,「我々が中間報告に対する意見として述べた様々な問題は」「(調査検討会議の)最終報告においてなお必ずしも解決をみていないことは認めざるを得」ないけれども,「最終報告が独立行政法人通則法をそのまま適用するものであるとは考えていない」そうである.そしてこれら「様々な問題」の「詰めに関わりつつ、よりポジティブな評価に値するものとなるよう努力し」,「法人化」に向けた作業を具体化していくと述べている.すなわち残された作業は「詰め」の問題だというのである.
実は佐々木氏は3年前に東京新聞で独法化を真っ向から批判して次のように述べている**.
「監督官庁による監視と規制がますます厳しくなることは、目下の財政状態からして容易に想像される。」「独立行政法人通則法を抜本的に改め、新しい類型の法人をつくるといった手だてがなされない限り、ボタンのかけ遠いはスパイラル状にむごい状態を生み出すだけである。」
そして,文章上は遡るが,次のようにも述べている.
「大学は創造的な研究とざん新な人材を養成すべきだということが声高に言われつつも、定型的活動形態の組織に大学を押し込めようとするのは、精神分裂症候群の典型である。」さらに,「(大学の)命運について真面目に考える人が極めて少ないのである」
と世論やジャーナリズムを批判してもいる.
しかしわずか三年後の今日,「通則法を抜本的に改め」ない限り,「むごい状態を生み出す」とした佐々木氏自身が,通則法からわずかに字句が変わった事をもって「通則法をそのまま適用するものであるとは考えていない」ので,「法人化」の準備をするというのである.この二つの命題を整合的に理解することはできない.すなわち佐々木氏自身が「精神分裂症候群」(今は統合失調症候群と言うべきか)に見舞われているということになろう.それとも,「大学の命運について真面目に考える人がいない」という言葉は,今や佐々木氏自身に向けられることになるのだろうか.佐々木氏はこの言説の対象として想定された一般国民ではなく,当事者そのものなのだから,事態は深刻である***.
「個人としての意見と総長としての立場は違う」といったお決まりの弁護論も予想されるが,それはこと基本的な理念に関する限り許されない.そしてこの社会を,そしていろんな組織を歪めてきたのはまさにそのような「統合失調症」#なのである.
(付記)佐々木氏は政府の何かの審議会の座長をしているようだが,国立大学のシンボルともいうべき東大総長が行政府の下請け仕事をするのはいかがなものであろうか.これで大学が政府と対等にわたり合い,また行政府を自由に批判することできるのだろうか.少なくともその審議会が出した結論は批判できないだろう.大学総長としての社会的役割は,政府の中に入ることなどではなく,政府から独立して個々の問題について発言することである.学長や総長というのは個人ではなく一つの「機関」であるとの自覚が重要だ.