ある非常勤講師の場合

勝木 渥 <「科学と人間」研究庵>

日本物理学会誌 2008年6月号,p.461-464掲載.→PDFファイル
著者と同誌編集部の許可を得て転載します.(ペガサス・ホームページ,豊島)
 

物理学会からの会員宛のメール(07/10/03付 [members-all:00485]≪研究者のキャリア支援に関する調査へのご協力のお願い≫)を受取り、早速協力しようと思ってアンケート用のURLを開いてみたが、すでに2度の定年を経て年金生活に入っている私がアンケートに答えてそこに何かを書き込むことは、えられるべき情報にあらずもがなの擾乱を与えるだけだと思い、アンケートに答えることは差し控えた。

ただ、アンケート調査でえられるであろう数値化された情報に、一つの具体的イメージを与えてこれを補完することによって私なりの協力をしたいと思い、私の信州大学時代の教え子でPh.D.(工学博士)の学位を持ちながらついに定職に就きえず、50歳になった今も生計を数校掛け持ちの非常勤講師で維持しつつ、細々と研究を続けている人がいる、その人の生活の実態を、以下に詳しく書き記すことにする。

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私の信州大学時代の教え子T君は、博士の学位を持ち、現在50歳だが未だに定職に就くことができず、無給で研究を続けながら日々の生活の糧を数校掛け持ちの非常勤講師で得ている。一つのケース・スタディとして、かれのこれまでの経緯と現在の状況を詳しく紹介したい。

T君は、1978年に信州大学理学部物理学科に入学し、学部の卒業研究は私の研究室、物性理論研究室に所属し、卒研ゼミとして固体物理学の基礎を勉強して、1982年に卒業した。とてもよくできる学生だった。当時すでに信州大学理学部には大学院修士課程が設置されていたが、卒業後かれは東北大学大学院修士課程に進学して、低温物理の実験系の研究室所属した。

修士課程を修了後、博士課程に進学した。博士課程では、単位は取得したが学位は取得することなく退学した。かれは東北大を離れて、1988年3月から92年3月までの4年間、フィンランドのヘルシンキ工科大学低温研究所で研究員として過ごして、超流動ヘリウム3の研究を行い、その研究によって1992年に同大学からPh.D.(工学博士)の学位を取得した。その後、92年3月からの2年間をイギリスのランカスター大学で、ポストドクターとして超流動ヘリウム3に関する研究を継続し、94年3月に任期が満了して日本に帰ってきた。当時の日本はバブルがはじけた直後の経済状況の悪い時期でもあり、ふさわしい定職を見つけることができなかった。

かれが日本に帰った1994年頃、所用で(六本木の)東大物性研に出向いたさい、たまたまかれと出くわして「どこかにポストはないか」と尋ねられたが、私には全然心当たりがなく、かれの力にはなりえなかった。一方、私の方は、1996年3月に信州大学を定年退職したが、推薦してくれる人があって、東京都杉並区にある高千穂商科大学の環境科学の専任教授の職にその年の4月から就くことになった。そのとき、かれのことを思い出して、定年退職後に私が1つの専任教授職に就いたことで、ODの誰かのポストを1つ私が奪ってしまったのかもしれないとの、いささか後ろめたい思いを感じなくもなかったのである。

その後長らく消息をつかめない状況が続いていたが、つい最近(2007年5月に)かれの連絡先が分かり、さっそく連絡を取ってかれの近況を聞いた。かれが送ってくれた日程表の、ぎっしり詰まった週間講義予定を見て、ただ驚嘆のほかはなかった。かれの出講先の大学の中に拙宅から程遠からぬ所が2ヶ所あったので、時間を打ち合わせて会えないかと打診してみたが、講義開始前も、講義終了後も、とても会ってゆっくり話すだけの時間は取れないとのことで、結局私が週末の6月30日(土)にかれを柏の物性研に訪ねて10余年ぶりに会うことにした。私にとっては2000年4月に移転した柏の物性研への初めての訪問であった。

そのとき帰国後の状況についてかれが話してくれたところによると、帰国後今日に至るまで10年余にわたり、首都圏の複数の大学で非常勤講師をやりながら、物性研に無給の外来研究員として出入りして、そこで研究を続けているとのことであった。かれの2007年度前期の非常勤講師出講先の大学・所在地・開講時限は下表の通りである

 

 

1限目

 

神奈川工大

(厚木)

 

 

東京理科大

(都内)

2限目

湘南工大

(藤沢)

神奈川工大

(厚木)

 

 

 

3限目

湘南工大

(藤沢)

神奈川工大

(厚木)

 

埼玉大

(南与野)

法政大

(町田)

4限目

湘南工大

(藤沢)

神奈川工大

(厚木)

法政大

(小金井)

埼玉大

(南与野)

法政大

(町田)

5限目

 

 

 

 

埼玉大

(南与野)

法政大

(町田)

注:( )内はその大学の所在地

 

かれの担当している科目の、授業科目名とその授業内容、対象学生、登録学生数、必修・選択の別、を記すと以下の通りである。

月曜:湘南工大、

2限、講義「物理学1(内容は力学)」(工学部1年生、約60名、選択)、

3限、講義「物理学1(内容は力学)」(工学部1年生、約40名、選択)、

4限、講義「自然科学入門1(力学と天文学からテーマを取り入れた講義)」(工学部1年生、約10名、選択)

火曜:神奈川工大、

1〜2限、「物理及び化学実験(担当テーマ:電子の比電荷)」(工学部2年生、担当学生数週当たり10〜12名、必修)

3〜4限、「物理及び化学実験(担当テーマ:電子の比電荷)」(工学部2年生、担当学生数週当たり10〜12名、必修)

毎週異なる学生を10〜12名程度担当し、それが9週続くので、全受講登録学生数100名程度。

水曜:法政大、

4限、講義「物理学基礎A(内容は力学)」(工学部生命機能学科1年生、約70名、選択)

木曜:埼玉大、

3〜5限、「物理学実験(担当テーマ:「Meldeの実験」および「放電特性」)」(工学部1年生、担当学生数週当たり26〜30名、必修)

毎週2班の学生26〜30名程度担当している(学生は班分けされていて、1班はその半分の人数)。それが13週続くので、全受講登録学生数は(26〜30)×13/2=180名程度。

金曜:東京理科大、

1限、講義「物理学1(内容は力学)」(理学部数学科1年生、約160名、必修)、

金曜:法政大、

3〜5限、演習「コンピュータ入門1」(現代福祉学部1年生、選択)演習の内容は、Word、インターネット、メール、エクセル。

登録学生数:3限目48名、4限目約25名、5限目約15名。

 

表から分かるとおり、かれは1週間に15コマの授業をこなし、それで生計をたてている。1週間に15コマの授業というのは驚異的なスケジュールである。表中の多くの大学は神奈川県、東京都西部、埼玉県にあって、柏市に住んでいるかれは、通勤に片道2時間半ないし3時間をけている。

非常勤講師の給与は、週1コマ(=名目2時間、実時間90分)の授業を通年で担当すると30万円強(単価: 5000円強/時間、1万円強/コマ、年間コマ数:30)というのが相場であるらしい。15コマの授業を担当するかれの収入は約450万円強/年(具体的には約500万円/年)(12で割って月収に換算して38万円強;約42万円)。非常勤講師には賞与はないから、担当する授業数がそのまま年収につながる。専任教員であればボーナスが(私の経験によれば)年間3ヶ月分程度はあったから、かれの月収額に12/15を掛けたもの、あるいは年収額を15で割ったもの(30万円強;約33万円)が、定職に就いている者の月収と比較すべきかれの“月収額”である。非常勤講師は国民年金や国民健康保険料を全額自己負担していることを考慮に入れれば、かれの“換算月収額”はさらに低下したものとなる。

そこで収入の不足を補うために、学術論文の抄録の仕事も1994〜2004年までやっていた。低温物理、低温工学関係の主要ジャーナルに掲載された論文について、自宅でパソコンを使って抄録文を作り、キーワード付けをし、研究分野別に分類するという一連の作業である。この仕事は1回につき10〜30くらいの論文が送られてきて、いつも締切間際の数日間にまとめて、夜中までやっていた。この仕事は本来は政府系の特殊法人のもとで行なわれていた低賃金の出来高払いの仕事であった。90年代以降の特殊法人の統廃合の流れの中でどんどん先細りになり、最後は賃金ダウンの通告があったのを機に辞めてしまったとのことである。

専任教員なら、1週間に15コマも授業を担当することは、現実問題としてあり得ない。私立大学では6コマ程度の授業を受け持つというのが標準的のようである。卒研生や院生を指導することになるとそのための時間は一応“無制限”ということになろうから、単純に比較することはできず、どんな風に数えるか難しくなるが、それにしても15コマになることはないと思う。仮にあったとしても、専任教員の年収は1000万円ないしそれを上回っているだろうから、15コマ受持って年収450万円強(約500万円)という非常勤講師の状況は、上に述べた現実の労働実態に比してその待遇が如何に苛酷で非人道的なものであるか、今さら論ずるまでもあるまい。

さらに、非常勤講師は、カリキュラムの改訂など大学の都合でその授業がなくなったり、授業時間数が減ったりすると、雇い止め(契約満了による契約非更新)あるいは持ち時間の削減ということが起こりえて、それがもろに収入に影響する。これはかれの生活の安定を、可能性として脅かし続けており、かれはいつも、翌年の収入がこれまでどおりの額で維持されうるか否かの不安から自由になることができない。「非常勤講師は1年契約の繰り返しだから、次年度は契約更新しないというだけのことだ」というのが大学側(雇用側)の言い分なのであろう。しかし、一般のパートタイマーに対しては「パートタイム労働法」1)があって、1年契約を反復更新していると更新に対する期待権が生じ、簡単には整理解雇できなくなってしまう。非常勤講師もパートタイマー労働者であるから、この法律の適用の対象者であって、本来は大学(雇用者)の一方的な都合で雇用打ち切りというわけには行かないはずである。そのことを大学も非常勤講師も知ってか知らずか、実際には守られていないというのが現実の状況である。T君も非常勤講師1年目のときからずっと前述の表にあるような5大学6学部計15コマ担当だったわけではない。これまでにいくつかの大学で雇い止めにされたり、新規に雇われたり、という経過を経てきている。図1に示したように、受け持ちコマ数は毎年のように変化している。これまでに延べ7大学9学部で授業を担当した経験がある由である。

 

図1

注:95, 96年度も非常勤講師をしていたが、記録がないため正確な数値はわからない。

 

理工系の非常勤講師の中には、企業の研究所等の正規社員、他大学の正規教員もいるが、非常勤講師総数の約3割は本務先を持たぬ人たち(専業非常勤講師)である2)。本来、非常勤講師は、当該大学の専任教員だけではカバーしきれない特別のテーマについてのトピックス的な講義のために外部から一時的に招くものなのだと思う。しかし、最近は、安上がりの労働力であることを奇貨として、本来そこの大学の専任教員が責任をもってやらなくてはならない必修科目のような重要科目についても非常勤講師が担当するようになってきて、非常勤講師の数が急増している。どこの大学でも、とりわけ私立大学では専任教員数に対する非常勤講師数は1〜3倍程度になり、国立大学でも専任教員よりも非常勤講師の数が多くなっているケースもある3)。非常勤講師の担当授業数は全カリキュラム中の約4割を占め、非常勤講師抜きにはカリキュラム編成もできない状況になっている。そして、重要科目を担当する非常勤講師が何年にもわたる継続的なものになってしまっている。だが、非常勤講師がいくら授業をしっかりやってもその大学で専任教員に採用されることはほとんどない。その大学で専任教員のポストに空きが生じても、公募等でわざわざ外部の人を採用するというのが一般的であり、非常勤講師の中から採用されることはめったにない。非常勤講師は「非常勤講師要員」として当該大学の教育運営システムの中に組み込まれてしまっていて、何年頑張ってもやっぱり非常勤講師のままだというのが大方の実情である。

こうした労働条件のもとで何年にもわたって非常勤講師を続けていると、ほとんどの人は研究をやらなく(やれなく)なり、ただ授業をやるだけの「研究をしない大学教員」(常勤的非常勤講師も大学教員の変則的一形態であって、大学教員の範疇に属する) になってしまいがちのようだ。もっとも「研究をしない大学教員」は専任教員の中にもいくらでもいる。一般の人からは、「大学教員」は「研究と教育の両方の仕事をする人だ」と見られているように思うが、現状は必ずしもそうではない。

T君の話や私の経験から判断すると、こうした状況が非常勤講師の実態であるようだ。ただひとこと救いのようなものを感じたのは、T君の場合、こうした厳しい状況にありながら、物性研の外来研究員としてある研究室に所属し、そこで研究を継続しているということである。かれは、物性研の近くに賃貸アパートを借りて(もちろん住居手当はない)5年前に結婚した伴侶と慎ましく暮らしている。月・火曜日は非常勤講師の仕事を終えて帰宅し、夕食を家で済ませた後物性研に出掛けて、2時間程度実験や文献調べを行い、木曜日は午前中、非常勤講師先の授業に間に合う時間まで物性研にいて仕事をし、時間が来たら非常勤講師先の大学に移動、週末はほぼ終日物性研で仕事をしている、とのことであった

授業のある平日の日課を具体的に示せば、以下の通りである。

月:自宅7:30 発、湘南工大10:00 着、10:40〜16:10授業、湘南工大16:20発、帰宅18:50、夕食、自宅20:10発、物性研20:20着、研究、物性研21:50発、帰宅22:00

火:自宅6:20発、神奈川工大9:10着、9:30〜16:30授業、神奈川工大16:30発、帰宅19:10、夕食、自宅20:10発、物性研20:20着、研究、物性研21:50発、帰宅22:00

水:自宅8:45発、物性研9:00着、研究、昼食、物性研12:10発、帰宅12:20、

自宅12:30発、法政大14:40着、15:10〜16:40授業、法政大16:50発、帰宅19:00

木:自宅8:45発、物性研9:00着、研究、物性研10:20発、埼玉大12:30着、13:00〜17:30授業、埼玉大17:40発、帰宅19:20

金:自宅7:20発、東京理科大8:30着、8:50〜10:20授業、東京理科大10:30発、法政大12:10着、昼食、13:30〜18:20授業、法政大18:30発、帰宅21:00

T君は実験系の研究者だが、講義開講期間は、上記のように短い時間を継ぎ足し継ぎ足しして研究を続けている。授業のない2月、3月、8月には、毎日ほぼ終日物性研で過ごしている。研究を大学院生と組んで一緒にすると、大部分は大学院生がやってしまって自分の研究にならないから、研究テーマは一人でできるものを選び、所属研究室の所員の理解もあって、わずかながらも研究に必要な物品は購入してもらうことが出来ている。ただ、絶えず生計の心配をしながら研究をやっているので研究のペースは遅くなりがちだが、それでも着実に研究成果を得て、まとまるごとにそれを研究論文として発表している (2005年に3編、2006年に1編)。これらの研究が評価され、2006年度には科研費(奨励研究)を得た由である。

 

私が本稿でT君のことを紹介したのは、冒頭で述べた「物理学会」による調査への協力を私なりにしたいということのほかに、次の3点の問題提起を広く物理学会会員に向けてしたいと思ったからである。

(1)大学が専任教員のポストを増やさず、非常勤講師を安い労働力として大量に雇用していることが本当に正しいことなのかどうか。

たとえ非常勤講師として雇用するにしても、生理的能力の限界ぎりぎりの(あるいは限界を超えているかもしれないほどの)過度に多い授業数を担当してようやく生計が成り立つか否かのぎりぎりの賃金しか得られないというシステムが正しいことなのかどうか。

専任教員と非常勤講師との間に大きな格差があ、このような状況をいつまでも放置しておいて良いものなのかどうか。

(2)最近は、若い人にも安定したポストをという機運は確かに高まっているようで、35歳以下を対象とするポストドクターの制度も拡充されつつあるようにも見受けられる。だが、必ずしも暦年的には「若い」とはいえないけれども、精神的若さを保ちながら、今なお経済的苦境の中で頑張り続けている者もいる。そのような“適齢期”を逃してしまったような人たちが現在進行中の改革の機運から取り残されているのではないだろうか。頑張っても頑張っても専任教員になれない人が存在していることが見落とされてはいないか。

最近はマスコミなどで「ワーキングプア」などという言葉を良く聞くようになったが、大学の中にも、いくら頑張ってもそこから抜け出せないような人たちの存在を前提として大学の運営がようやく成立っているような、そのような歪んだ社会的構造が存在しているのではないだろうか。

(3)若者の理科離れ・物理嫌いの状況が極めて深刻で黙過できないということから、若者たちに科学や物理の魅力を伝え、若者たちを科学や物理の世界に誘おうとする試みを官・学・民挙げて行おうとする機運が、近年顕著になってきた。日本物理学会も例外ではない。

しかし気になるのは、官・学・民の“熱狂”に比して、産業界がこの問題に“冷静”ないし“冷淡”であるように見受けられることである。

2007年秋の物理学会の年次大会での物理と社会領域でのシンポジウム「研究・教育の場における男女共同参画 ― 女性研究者支援策の現状と展望」の後半の講演に「女子高校生理系進路選択支援事業について」と題するものがあったが、これは若い女性たちを科学の道に誘おうとする一つの試みであるとみなされうるだろう。

このシンポジウムのほとんど終了間際に、私はT君のことを念頭に置きつつ、次のような意味の発言をした:

われわれが若い青年男女に物理学や科学の魅力を伝えてかれらを物理学や科学の世界に誘おうとする以上、かれら新しい参入者が学業を終えて独り立ちして社会に出ようとするとき、かれらを受け入れる社会的ポストが創出されていることをわれわれ自らの責任として果たさねばならぬ。その覚悟・その見通しを欠いたまま、ただ一時のムードや高揚でこの勧誘を行うならば、それは無責任であるとの謗りをまぬかれ得ないであろう、と。

最後にこの投稿について、次のことを断わっておきたい。それは、T君本人ではなく、なぜ私がかれを紹介・代弁するような形でこの投稿をしたかということである。日本物理学会が「研究者のキャリア支援」に取り組んでいるということを知ったとき、かれのことを思い出して『会誌』への投稿を勧めようと思ったが、手許にある1992年度の名簿にはかれの名前があったが、1998年度以降のものには、なかった。この間の事情について、かれに確かめたところ、海外滞在期間中は休会していたが、帰国後、学会の年会費が高く払うのが大変だったので退会したとのことであった。そこで会員でないかれに代わって、会員である私が、かれから詳しく事情を聴いて、私の責任で投稿したのである。内容に関して事実の間違いがないこと、かれの本意を枉げていないこと、「T君」とは誰であるか本稿から特定されたとしてもかれは気にしないことを、かれに事前に原稿を送って確かめてある。

謝辞 T氏に詳細な情報と資料の提供を感謝する。

 

文献

1)厚生労働省:パートタイム労働法の改正について

http://www.mhlw.go.jp/topics/2007/06/tp0605-1b.html

『労働手帳』(神奈川県商工労働部労政福祉課、2004)74頁

首都圏大学非常勤講師組合機関紙『控室』64号(2007.9.16)

2)大学非常勤講師問題会議編『大学危機と非常勤講師運動』(2000)20頁

文部科学省「平成16年度学校教員統計調査報告書」統計表一覧 第2部大学等の部

178専門分野別 本務先別 兼務教員数(そこに記載されている「計」の欄の理学、工学の項目の、「本務あり」の合計数と「本務なし」の人数とから算出できる)

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/002/2004/xls/178.xls

3)横浜国立大学が2000年に情報開示した資料「平成12年度 横浜国立大学非常勤講師数 H12.7.1現在」による。それによると、H12年非常勤講師総数は852人であり、他方、H12年度の専任教員数は650名であった。

また、2007年度の埼玉大学工学部では、専任教員数(助教以上)134名に対して、非常勤講師数は、前期47名、後期27名、計74名(うち14名は通年)となっており、その比は、およそ2:1である。

さらに、文部科学省「平成16年度学校教員統計調査報告書」統計表一覧 第2部大学等の部(178専門分野別 本務先別 兼務教員数、168年齢区分別 専門分野別 本務教員数)を見ると、国立大学全体で、本務教員61,492名に対して兼務教員38,793名、理学分野だけに限っても、本務教員8,258名に対して兼務教員3,645名となっている。専任教員数と非常勤講師数の比は、およそ2:1である。いずれにしても、国立大学でも非常勤講師の占めるウェイトはかなり大きいと言える。http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/002/2004/xls/178.xls

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/002/2004/xls/168.xls

 

補足:非常勤講師の状況一般については、

首都圏大学非常勤講師組合編『大学教師はパートでいいのか―非常勤講師は訴える―』(1997)

大学非常勤講師問題会議編『大学危機と非常勤講師運動』(2000)

に詳しい。

さらに、朝日新聞社説(20044月28日付)でも、「こんな処遇ではいけない―非常勤講師」と題して取り上げられている。