岡山教研での発言

(A1分科会)

要約

 法律の成立以前に行われたいかなるその実施行為も無効である.100メートル競走でピストルの前にスタートすればやり直しになるのと同じように,いま「中期目標・計画」を作成しても,法律成立後それは何の効力も持たないのである.そのような全く無駄な作業に時間を使うことは明らかに「職務専念義務」違反であろう*.今の時点で最も重要なのは阻止・反対のための活動である.これこそ法律が通ってからでは「間に合わない」のであり,まさに「今」しか出来ない活動である.

 基調報告に反対運動の方法,方針が書かれていないこと,また,参加者からそれに触れた発言がほとんどないことに失望する.「対応」に終始しており,「中期目標」の中味をどうするかの類の議論などを聞いていると,皆さんを怒らせるかも知れないが,率直に申し上げて全体として「志があまりにも低すぎる」と言わざるを得ない.

 はたして,この「準備」作業に加わることが正当化されるのだろうか.「『既成事実化』に荷担することは分かっているが,その内容をできるだけ悪いものにしないために,この作成作業に加わるべきだ」というのは正しいのか?

 類似の事について我々はすでに経験を持っている.国大協が文部科学省の「調査検討会議」に加わることを決めたとき,これは明らかに独法化への協力に他ならないとして,私も含め数人がこれを批判した.(最終的には大学内外の数百名の声となり国大協会長に届けた.)この「参加」が結局何をもたらしたかは今や明かではないか.「外野で議論しても仕方がない」などとこれを正当化した人たちは,その誤りを認めたのだろうか.それとも今でも正しかったと思うのだろうか.

 「調査検討会議」の場合と同じように,ひとたびそのような作業に参加すれば,どのような結論であれそれを批判したり,拒否することは困難になる.内容次第で拒否出来ないことはないだろうが,その迫力はなく,またその作業の中で「ミイラ取りがミイラに」なってしまうかも知れない.人間の心理というのはおそらくそのように出来ているのだろうし,推進の側はそれを利用しているのである.同じ過ちを繰り返すほど愚かなことはない.

 われわれは「国民にとって分かりやすい」行動を取るべきである.法律の制定どころか,審議さえ始まっていないのに,それを部分的とはいえ実施する(中期目標・計画の立案や策定はまさに実施行為である.準備行為ではない)というのは全くのヤミ行為であり,どのようにも正当化されない.だから「非公然」とやらざるを得ないだろう.もし防衛庁や自衛隊が,「有事法」の成立を前提としてその実施行為や準備行為をやっているとしたら一体世論はどう反応するだろうか.「成立してから始めたのでは,いつ起こるとも分からない脅威に対応できない」として納得するのだろうか.しかも,どちらも違憲行為(独法化は23条と教基法10条の,有事法は9条の)という点でも共通している.

 これを推進している文部科学省の役人の立場に立ってみたらどうだろうか.批判的な人まで「準備」作業に加わっていることは,自分たちのペースにすべてを巻き込むことが出来たとして,大喜びしているのではないだろうか.あなたがその立場だったらどう思うか想像していただきたい.文科省の官僚が国大協会長に,「調査検討会議」に加わるよう「懇願」したと言うのも納得できる.

 どうしてもこの「準備」行為を正当化したい人は,「法律が通ってからでは間に合わない」と言うのかもしれない.これは文部科学省スジから大学管理者層を通じての心理作戦に単に乗せられているに過ぎない.だれが考えても分かるように,いちばん「間に合わない」のは阻止・反対のための活動である.これこそ法律が通ってからでは「後の祭り」である.まさに「今」しか出来ない活動である.物事の順序,軽重というものが分からないのだろうか.

 「実用的」に物事を考えたい人に言いたいのは,もし独法化が通った場合でも,それを出来るだけ害の少ないものに出来るかどうかも,この反対運動の盛り上がりにかかっているということである.問題のある制度であることをどれだけの国民に知らせることが出来るか,と言うことこそが,大きなファクターであって,国民の知らないところでの「準備」は,たとえ効果を持つとしてもマイナーなものであり,むしろこの阻止運動からマンパワーを外し,「独法化は既定事実」を心理的に刷り込ませる効果の方が大きい.また実際にそのように作用している.

 「いずれにせよ中・長期の計画は必要ではないか」と考える人もいるかも知れない.しかしそれはどの大学にも作られているであろう「将来計画委員会」のような場で議論すればいいのである.私は独法化の枠組みにしたがった計画作成作業を問題にしているのである.

 この異常な事態は実は文部科学省と国大協,大学当局を告発する絶好のチャンスを我々に与えている.独法化がいかに独裁的であるか,官僚支配そのものであるかをよく物語っているだけでなく,このこと事態が違法行為の疑いがあるのである.法的措置などこの告発にこそ大きなマンパワーを注ぐべきであろう.

 結論:「独法化粉砕なくして真の大学改革なし」



* もしこれが「無駄な作業」にならなければ,もっと重大な不法行為,すなわち国会無視の「法律」の先行実施ということになる.つまり「有事法」が継続審議中なのに自衛隊・防衛庁がこれを実施するのと同じである.「独法化」は継続審議どころか,まだ国会に提出されてさえいない.


(B1分科会)

 「統合・再編」をめぐる動きは,はしなくも「法人化問題」とは一体何であるかを浮き彫りにしている.「法人格」を持っていないことが大きな問題だとされた大学どうしが,隣の大学と勝手に「統合協定」を結び,発表し,大学の広報紙で「xx年に統合する予定」と書いている.これはもはや(部分的にであれ)法人格を持っているということである.実はこれは国立学校設置法の改正による国会事項なので,これらの事は違法であろう.しかしもしも国民がこれを容認しているというのであれば,やはり事実上「法人格」を部分的に持っていることになる.つまり「法人格」を持つ・持たないと言ってもそれは「程度問題」なのである.

 これに対して独法化された後はどうか.組織の「目標」が何年かごとにお役所から与えられるような機関,つまり根本のところで政府の命令で動かなければならないような機関がはたして「法人格」を持っているなどと言えるのだろうか.これは決して「程度問題」ではないだろう.

 全大教の態度は「法人化そのものは必要.その内容が問題」ということのようだが,これ自体が「法人格が重要な問題」という,文部科学省のアジェンダ・セッティングに乗せられてしまっているのである.これにとらわれる限り,それこそ今の「力関係」では,どこまでも限りなく独法化の引力に引き寄せられるであろう.それに対する最も効果的でインパクトのある対応は,このアジェンダ・セッティングそのものを批判することである.そして大学のかかえる真の問題を国民全体のアジェンダにしていくことである.



(以上は,全大教岡山教研での,02年9月7日の私の発言に加筆修正したものです.)